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{{by|2016年}}シーズンは一軍登板がないまま終えた。10月1日戦力外通告を受け<ref name = "fighters161001">{{Cite web|和書|date=2016-10-01 |url=http://www.fighters.co.jp/news/detail/6525.html |title=来季契約について |publisher=北海道日本ハムファイターズ公式サイト |accessdate=2016-10-01}}</ref>、その後引退を表明。引退後は球団スタッフとして内定していた<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/1731453.html 日本ハム米野、須永ら4選手が引退「本当に幸せ」日刊スポーツ2016年10月30日]</ref>。現在は日本ハムのジュニアチームの監督を務める<ref>[https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/202210070000692_m.html?mode=all 【日本ハム】ジュニアメンバー16人発表 須永英輝監督「頂点を目指しチーム一丸となって」日刊スポーツ2022年10月7日]</ref>。 |
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== 選手としての特徴 == |
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140km/h前後の力強い速球とキレのある変化球を武器に打者から空振りが取れる三振奪取型の左腕<ref>{{Cite web |title=中島学童野球場にて野球教室を開催しました。 |url=https://www.dontaku.co.jp/%e4%b8%ad%e5%b3%b6%e5%ad%a6%e7%ab%a5%e9%87%8e%e7%90%83%e5%a0%b4%e3%81%ab%e3%81%a6%e9%87%8e%e7%90%83%e6%95%99%e5%ae%a4%e3%82%92%e9%96%8b%e5%82%ac%e3%81%97%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f%e3%80%82/ |website=スーパーマーケット どんたく |access-date=2024-02-18 |language=ja |last=クリエイティブ伝}}</ref><ref>{{Cite web |title=「須永英輝」、「須永英輝「セレクション合格のために必要な準備」」練習法{{!}} TURNING POINT |url=https://tp-bb.jp/set/417 |website=tp-bb.jp |access-date=2024-02-18}}</ref>。 |
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== 詳細情報 == |
== 詳細情報 == |
2024年2月18日 (日) 03:01時点における版
日本ハム時代(2009年8月26日) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都荒川区 |
生年月日 | 1985年10月28日(39歳) |
身長 体重 |
181 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2003年 ドラフト2巡目 |
初出場 | 2004年6月16日 |
最終出場 | 2015年9月21日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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須永 英輝(すなが ひでき、1985年10月28日 - )は、東京都荒川区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
経歴
プロ入り前
東京都荒川区出身。2001年、浦和学院高校に進学。1年時の夏にメンバー入りし2学年上の大竹寛の引退後、1年秋からエースを務めた。甲子園通算63奪三振。
2002年春の第74回選抜大会では、優勝候補の一角だった平安高校に快勝し、ベスト8に進出。準々決勝で同大会優勝校だった報徳学園高校と対戦し、初回に3点を奪うも直後に逆転され惜敗した。2002年夏の選手権大会ではその報徳学園高校と対戦し勝利。2回戦で鎌倉健を擁する川之江高校に5-1とリードするもサヨナラ負けを喫した。
2003年の第75回選抜大会では、21世紀枠の隠岐高校に14奪三振で勝利。次戦・智弁和歌山高校戦では序盤に4-0とリードするも終盤に追いつかれ延長12回にサヨナラ負け。
2003年の春季関東大会では、優勝を果たした。準決勝戦では、涌井秀章、成瀬善久を擁する神奈川の強豪・横浜高校に勝利した。 捲土重来で4度目の夏の甲子園を目指したが、埼玉大会の準決勝で聖望学園に2-1とサヨナラ負けを喫した。
2003年のプロ野球ドラフト会議前には、巨人入りを熱望。巨人以外に指名された場合は社会人野球に進むと表明していたが、当日の会議で日本ハムが2巡目で強行指名。当日の会見ではプロ入り拒否の姿勢も見せ、直後の指名あいさつも拒否したが、「うちに必要な選手」などと言われるなどして2週間悩んだ末に北海道日本ハムファイターズへの入団に合意した。
第一次日本ハム時代
1年目の2004年、イースタン・リーグで6月途中までに6勝を挙げた。同年6月16日の千葉ロッテマリーンズ戦で1軍初先発したが、3回7失点で降板。2軍では最終的に10勝を挙げ、イースタン・リーグの最多勝利となった。
2年目以降は制球の乱れが目立ち、不振に陥った。2005年・2006年と2年連続で、1試合に先発登板したのみに終わった。2005年9月27日の対ロッテ戦では、9回を無失点に抑えたにも関わらず、打線も小林宏之の前に無得点に抑え込まれ、勝利投手になれなかった。2006年に先発した試合では、後続の失点で初勝利を逃した。
2007年は3試合に中継ぎとして登板。同年6月14日の横浜ベイスターズ戦の延長11回裏にフェルナンド・セギノールの代走として出場した。2008年は1軍登板なし。
2007年12月、東京ドームの元ボールガールの女性と結婚。2009年6月、第一子となる長男が誕生。
2009年、開幕1軍入りを果たし、主に左のワンポイントとして登板。同年8月5日、3年ぶりに先発し6回まで無安打に抑えたが7回に連打を浴び降板、初勝利を逃した[1]。その次の登板となった8月12日、5回8失点で降板し、2軍に降格した[2]。
2010年は、5試合に中継ぎとして登板するも、防御率7点台と打ち込まれた。同年10月には、第17回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選ばれた。
2010年11月9日、ウィルフィン・オビスポとのトレードで、紺田敏正と共に読売ジャイアンツへ移籍した。
巨人時代
2011年は3年ぶりの一軍登板なしに終わった。二軍では、セットアッパーとして林羿豪に次ぐチーム2位の51試合に登板し、防御率2.86を記録した。
2012年は3月に左ひじ内側側副靭帯再建手術を受け、シーズンをリハビリに費やしたため、一軍・二軍ともに登板はなかった[3]。
2013年も一軍登板はなかった。契約更改後、本人が「もう後がないと思う」と語った[4]。
2014年、5月20日に一軍登録される。5月23日の対千葉ロッテマリーンズ戦で2010年9月以来となる1347日ぶりの登板を果たすが、1/3回を3失点と打ちこまれ二軍降格となった[5]。
第二次日本ハム時代
2015年6月10日、北篤、矢貫俊之とのトレードで矢野謙次と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍、約4年半ぶりの復帰となった[6]。
2016年シーズンは一軍登板がないまま終えた。10月1日戦力外通告を受け[7]、その後引退を表明。引退後は球団スタッフとして内定していた[8]。現在は日本ハムのジュニアチームの監督を務める[9]。
選手としての特徴
140km/h前後の力強い速球とキレのある変化球を武器に打者から空振りが取れる三振奪取型の左腕[10][11]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | 日本ハム | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 68 | 12.2 | 21 | 3 | 10 | 1 | 0 | 8 | 1 | 0 | 13 | 13 | 9.24 | 2.45 |
2005 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 30 | 9.0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.67 | |
2006 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 23 | 6.0 | 4 | 1 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1.50 | 1.00 | |
2007 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 12 | 1.1 | 6 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 8 | 54.00 | 6.00 | |
2009 | 9 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | .000 | 83 | 18.0 | 20 | 6 | 8 | 0 | 3 | 7 | 0 | 0 | 17 | 17 | 8.50 | 1.56 | |
2010 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 47 | 10.1 | 14 | 1 | 5 | 0 | 0 | 9 | 1 | 0 | 9 | 9 | 7.84 | 1.84 | |
2014 | 巨人 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 5 | 0.1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 81.00 | 12.00 |
2015 | 日本ハム | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 24 | 5.1 | 7 | 2 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 4 | 3 | 5.06 | 1.50 |
通算:8年 | 30 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | .000 | 292 | 63.0 | 79 | 15 | 31 | 1 | 3 | 35 | 3 | 0 | 55 | 54 | 7.71 | 1.75 |
記録
- 初登板・初先発登板:2004年6月16日、対千葉ロッテマリーンズ14回戦(千葉マリンスタジアム)[7]、3回7失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回裏無死にベニー・アグバヤニから見逃し三振[7]
- 初ホールド:2009年4月5日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(札幌ドーム)[7]、6回表当初に2番手で救援登板、1/3回無失点
背番号
- 13 (2004年 - 2010年)
- 37 (2011年 - 2012年)
- 66 (2013年 - 2015年途中)
- 33 (2015年途中 - 2016年)
登場曲
脚注
- ^ “須永 6回まで無安打も初勝利はお預け”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2009年8月6日) 2013年11月12日閲覧。
- ^ “ハム 投手不足…須永またKoで即2軍落ち”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2009年8月13日) 2013年11月12日閲覧。
- ^ 【巨人】須永100万減 手術から復活期す 日刊スポーツ 2012年11月14日
- ^ 【巨人】須永540万「もう後がない」 日刊スポーツ 2013年11月8日
- ^ “内海、9戦目も勝てず 目立つ制球ミス「修正できるよう…」”. Sponichi Annex. (2014年5月24日)
- ^ “日本ハムとのトレード合意について”. 読売ジャイアンツ公式サイト
- ^ a b c d “来季契約について”. 北海道日本ハムファイターズ公式サイト (2016年10月1日). 2016年10月1日閲覧。
- ^ 日本ハム米野、須永ら4選手が引退「本当に幸せ」日刊スポーツ2016年10月30日
- ^ 【日本ハム】ジュニアメンバー16人発表 須永英輝監督「頂点を目指しチーム一丸となって」日刊スポーツ2022年10月7日
- ^ クリエイティブ伝. “中島学童野球場にて野球教室を開催しました。”. スーパーマーケット どんたく. 2024年2月18日閲覧。
- ^ “「須永英輝」、「須永英輝「セレクション合格のために必要な準備」」練習法| TURNING POINT”. tp-bb.jp. 2024年2月18日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 須永英輝 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube