コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「福岡県立福岡魁誠高等学校」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Mzmsgk (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
編集の要約なし
35行目: 35行目:


== 沿革 ==
== 沿革 ==
; 農学校(実業学校)時代
=== 年表 ===
*[[1912年]][[大正]]元年) - '''糟屋郡立農学校'''として
* 1912年(大正元年)[[10月16日]] - '''糟屋郡立農学校'''」の置が[[文部省]]により認可される
*[[1920年]](大正9年)[[518日]] 糟屋郡立粕屋農'''福岡県粕屋農学校'''と改称
* [[1913年]](大正2年)[[410日]] - 開校式ならびに第1回入挙行
*[[1923年]](大正12年)[[3月30日]] 県に移管され'''福岡県立農学校'''と改称。
* [[1916年]](大正5年)
** 3月 - 第1回卒業式を挙行。
*[[1925年]](大正14年)[[4月1日]] '''福岡県粕屋農学校'''改称。
** [[11月14日]] - [[大正天皇]]が特別大演習の際、訪問。
*[[1948年]]([[昭和]]23)[[331]] 学制改革により'''福岡県立粕屋農業高等学校'''(新制高等学校)となる
*[[1949年]](昭和24年)[[831日]] '''福岡県立粕屋高等学'''と校名変更
* [[1917年]](大正6年)[[211日]] - 友会(同窓会の前身)が発足
*[[1955年]](昭和30)[[41日]] '''福岡県粕屋農業高等学校'''と校名変更
* [[1920年]](大正9)5 - 「'''福岡県粕屋農学校'''改称
*[[1974年]](昭和49年)[[1月1日]] '''福岡県立粕屋高等校'''校名変更
* [[1921年]](大正10年)[[4月1日]] - 級数を4、定員を150名する
*[[2003年]]([[平成]]15)41日 - 学科を総合学科改組し、'''福岡県立福岡魁誠高等学校'''改称。
* [[1923年]](大正12)3月 - 県立移管より'''福岡県立学校'''」と改称。
* [[1925年]](大正14年)4月1日 - 「'''福岡県粕屋農学校'''」に改称。
* [[1928年]](昭和3年)3月 - 学則の一部を変更の上、修業年限を4年、定員を200名とする。
* [[1936年]](昭和11年)3月 - 組織を変更。
** 第一本科(2年制、入学資格は[[尋常小学校]]卒業程度、定員100名)を設置。
** 第二本科(3年制、入学資格は[[高等小学校]]卒業程度、定員150名)を設置。
* [[1937年]](昭和12年)2月 - 学則を改正し、2学期制を3学期制とする。
* [[1940年]](昭和15年)3月 - 第一本科を3年制とする。研究科を設置。全生徒定員を350名とする。
* [[1941年]](昭和16年)3月 - 第一本科の学級を増設の上、全生徒定員を500名とする。
* [[1944年]](昭和19年)3月 - 学級増により、全生徒定員を550名とする。
* [[1947年]](昭和22年)4月1日 - [[学制改革]](六・三制の実施)により、[[新制中学校]]を併置し(以下・併置中学校)、農学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
* 1948年(昭和23年)3月31日 - 旧制・農学校が廃止される。
; 新制高等学校
* 1948年(昭和23年)
** 4月1日 - 学制改革により、新制高等学校「'''福岡県立粕屋農業高等学校'''」に改組・改称。併置中学校を継承。
** [[6月30日]] - 定時制課程(1学級)を併置。
* [[1949年]](昭和24年)
** 3月31日 - 併置中学校を廃止。
** [[8月31日]] - 「'''福岡県立粕屋高等学校'''」に改称。
* [[1951年]](昭和26年)3月 - 定時制古賀分校(農村家庭科)を設置。
* [[1952年]](昭和27年)4月1日 - 農業科の学級数を2から1に減じ、畜産科(1学級、定員50名)を新設。
* [[1955年]](昭和30)41- 「'''福岡県立粕屋農業高等学校'''」に改称
* [[1957年]](昭和32年)
** 4月1日 - 農村家庭科(1学級)を設置(定員50名)。本校定時制課程の募集を停止。
** [[4月30日]] - 臨時石炭鉱害復旧法([[地盤沈下]]から復旧)に基づき、4年計画で、実習地(水田)を耕地の交換分合を行うとともに、校舎を復旧、校庭盛土及び庭園樹を移植、排水溝を完成させることとなる。
* [[1962年]](昭和37年)
** 3月31日 - 定時制課程古賀分校(農村家庭科)の募集を停止。
** 7月 - 体育館兼講堂が完成。
* [[1963年]](昭和38年)
** 3月 - 石炭鉱害復旧法に基づき、運動場の盛土工事が完了。
** 4月1日 - 農村家庭科を「生活科」に改称。
* [[1964年]](昭和39年)3月 - 生活科学級を2学級を臨時増。
* [[1965年]](昭和40年)4月 - [[糟屋郡]][[久山町]]大字山田椿河内内の町有林を果樹園用地として購入。
* [[1966年]](昭和41年)
** 3月 - 畜産科を「農業土木科」に変更。
** 4月 - 生活科学級数を以降2学級とする。
* [[1967年]](昭和42年)3月 - 測量実習と土壌土質実習室が完成。
* [[1970年]](昭和45年)3月 - 新校舎第一棟が完成。
* [[1971年]](昭和46年)3月 - 実習棟が完成。
* [[1973年]](昭和48年)
** 3月 - 新校舎第二棟が完成。
** 4月1日 - 普通科(2学級)を新設。
* [[1974年]](昭和49年)
** [[1月1日]] - 「'''福岡県立粕屋高等学校'''」に改称。
** 4月1日 - 普通科が2学級増。1年生の学級数が、職業科4(農業科1・農業土木科1・生活2)、普通科4、合計8(定員340)となる。[[プレハブ]]6教室を開設。
* [[1974年]](昭和49年)
** 6月 - 新校舎2棟・実習棟が完成。
* [[1975年]](昭和50年)
** 3月 - 新校舎2棟が完成。
** 4月 - 新運動場の造成が完了。
* [[1976年]](昭和51年)6月 - 新校舎2棟が完成。
* [[1979年]](昭和54年)12月 - クラブハウスが完成。
* [[1980年]](昭和55年)
** 3月 - 体育館兼講堂が完成。
** 7月 - 図書室、視聴覚室、職員室、[[ピロティー]]が完成。
** 8月 - 食堂が完成。
* [[1983年]](昭和58年)2月 - 武道場が完成。
* [[1985年]](昭和60年)3月 - 2階建て部室(10室)が完成。
* [[1989年]](平成元年)3月 - 果樹園を造成。果樹園ビニールハウスが完成。
* [[1992年]](平成4年)4月1日 - 1学年の学級数が普通科6(そのうち体育コース1)、産業技術科2、合計8となる。
* [[1993年]](平成5年)
** 1月 - 地学教室を生物工学実験室に改造。
** 2月 - 運動場を造成。創立「80」周年を記念誌、桜「80」本を植樹。記念碑を運動場に建立。
* [[1994年]](平成6年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、農業科・農業土木科・生活科を閉科。
* [[1997年]](平成9年)
** 3月 - 大規模改造([[耐震]])工事が完了。
** 4月 - 1学年の学級数が普通科7学級(臨時増1、そのうち、体育コース1)、産業技術科2学級、合計9となる。
* [[2002年]](平成14年)4月1日 - 1学年の学級数が普通科5(そのうち、体育コースは1)、産業技術科2、合計7となる。
* 2003年(平成15年)
** 4月1日 - 「'''福岡県立福岡魁誠高等学校'''」(現校名)に改称。総合学科(1学年7学級)を設置。普通科および産業技術科の募集を停止。
** 10月 - 第1期工事(第一棟西側大規模改築)が完了。
* [[2004年]](平成16年)8月 - 第2期工事(第三棟総合学科棟と渡り廊下)が完了。
* [[2005年]](平成17年)
** 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、普通科および産業技術科を閉科。
** 10月 - 第3期工事(第一棟東側大規模改築)が完了。
* [[2006年]](平成18年)3月 - 相撲場が完成。
* [[2007年]](平成19年)
** 1月 - 第4期工事(第二棟大規模改築)が完了。
** 3月 - 第5期工事(旧体育館等解体・外構)が完了。
* [[2008年]](平成20年)3月 - 野球部室が完成。
* 2012年(平成24年)10月 - 創立100周年記念式典を挙行。



== 教育組織 ==
== 教育組織 ==

2024年12月21日 (土) 06:49時点における版

福岡県立福岡魁誠高等学校
地図北緯33度37分7.3秒 東経130度28分55.7秒 / 北緯33.618694度 東経130.482139度 / 33.618694; 130.482139座標: 北緯33度37分7.3秒 東経130度28分55.7秒 / 北緯33.618694度 東経130.482139度 / 33.618694; 130.482139
過去の名称 糟屋郡立農学校
福岡県立粕屋農業高等学校
福岡県立粕屋高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 福岡県の旗 福岡県
校訓 至誠 礼節 勤労
設立年月日 1912年大正元年)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 総合学科
学期 2学期制
学校コード D140234900018 ウィキデータを編集
高校コード 40134A
所在地 811-2317
福岡県糟屋郡粕屋町長者原東5丁目5番1号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示
福岡県立福岡魁誠高等学校の位置(福岡県内)
福岡県立福岡魁誠高等学校

福岡県立福岡魁誠高等学校(ふくおかけんりつ ふくおかかいせいこうとうがっこう)は、福岡県糟屋郡粕屋町長者原東五丁目に位置する公立高等学校

沿革

農学校(実業学校)時代
  • 1912年(大正元年)10月16日 - 「糟屋郡立農学校」の設置が文部省により認可される。
  • 1913年(大正2年)4月10日 - 開校式ならびに第1回入学式を挙行。
  • 1916年(大正5年)
  • 1917年(大正6年)2月11日 - 校友会(同窓会の前身)が発足。
  • 1920年(大正9年)5月 - 「福岡県粕屋農学校」と改称。
  • 1921年(大正10年)4月1日 - 学級数を4、定員を150名とする。
  • 1923年(大正12年)3月 - 県立移管により、「福岡県立農学校」と改称。
  • 1925年(大正14年)4月1日 - 「福岡県粕屋農学校」に改称。
  • 1928年(昭和3年)3月 - 学則の一部を変更の上、修業年限を4年、定員を200名とする。
  • 1936年(昭和11年)3月 - 組織を変更。
    • 第一本科(2年制、入学資格は尋常小学校卒業程度、定員100名)を設置。
    • 第二本科(3年制、入学資格は高等小学校卒業程度、定員150名)を設置。
  • 1937年(昭和12年)2月 - 学則を改正し、2学期制を3学期制とする。
  • 1940年(昭和15年)3月 - 第一本科を3年制とする。研究科を設置。全生徒定員を350名とする。
  • 1941年(昭和16年)3月 - 第一本科の学級を増設の上、全生徒定員を500名とする。
  • 1944年(昭和19年)3月 - 学級増により、全生徒定員を550名とする。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、新制中学校を併置し(以下・併置中学校)、農学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
  • 1948年(昭和23年)3月31日 - 旧制・農学校が廃止される。
新制高等学校
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革により、新制高等学校「福岡県立粕屋農業高等学校」に改組・改称。併置中学校を継承。
    • 6月30日 - 定時制課程(1学級)を併置。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月31日 - 併置中学校を廃止。
    • 8月31日 - 「福岡県立粕屋高等学校」に改称。
  • 1951年(昭和26年)3月 - 定時制古賀分校(農村家庭科)を設置。
  • 1952年(昭和27年)4月1日 - 農業科の学級数を2から1に減じ、畜産科(1学級、定員50名)を新設。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 「福岡県立粕屋農業高等学校」に改称。
  • 1957年(昭和32年)
    • 4月1日 - 農村家庭科(1学級)を設置(定員50名)。本校定時制課程の募集を停止。
    • 4月30日 - 臨時石炭鉱害復旧法(地盤沈下から復旧)に基づき、4年計画で、実習地(水田)を耕地の交換分合を行うとともに、校舎を復旧、校庭盛土及び庭園樹を移植、排水溝を完成させることとなる。
  • 1962年(昭和37年)
    • 3月31日 - 定時制課程古賀分校(農村家庭科)の募集を停止。
    • 7月 - 体育館兼講堂が完成。
  • 1963年(昭和38年)
    • 3月 - 石炭鉱害復旧法に基づき、運動場の盛土工事が完了。
    • 4月1日 - 農村家庭科を「生活科」に改称。
  • 1964年(昭和39年)3月 - 生活科学級を2学級を臨時増。
  • 1965年(昭和40年)4月 - 糟屋郡久山町大字山田椿河内内の町有林を果樹園用地として購入。
  • 1966年(昭和41年)
    • 3月 - 畜産科を「農業土木科」に変更。
    • 4月 - 生活科学級数を以降2学級とする。
  • 1967年(昭和42年)3月 - 測量実習と土壌土質実習室が完成。
  • 1970年(昭和45年)3月 - 新校舎第一棟が完成。
  • 1971年(昭和46年)3月 - 実習棟が完成。
  • 1973年(昭和48年)
    • 3月 - 新校舎第二棟が完成。
    • 4月1日 - 普通科(2学級)を新設。
  • 1974年(昭和49年)
    • 1月1日 - 「福岡県立粕屋高等学校」に改称。
    • 4月1日 - 普通科が2学級増。1年生の学級数が、職業科4(農業科1・農業土木科1・生活2)、普通科4、合計8(定員340)となる。プレハブ6教室を開設。
  • 1974年(昭和49年)
    • 6月 - 新校舎2棟・実習棟が完成。
  • 1975年(昭和50年)
    • 3月 - 新校舎2棟が完成。
    • 4月 - 新運動場の造成が完了。
  • 1976年(昭和51年)6月 - 新校舎2棟が完成。
  • 1979年(昭和54年)12月 - クラブハウスが完成。
  • 1980年(昭和55年)
    • 3月 - 体育館兼講堂が完成。
    • 7月 - 図書室、視聴覚室、職員室、ピロティーが完成。
    • 8月 - 食堂が完成。
  • 1983年(昭和58年)2月 - 武道場が完成。
  • 1985年(昭和60年)3月 - 2階建て部室(10室)が完成。
  • 1989年(平成元年)3月 - 果樹園を造成。果樹園ビニールハウスが完成。
  • 1992年(平成4年)4月1日 - 1学年の学級数が普通科6(そのうち体育コース1)、産業技術科2、合計8となる。
  • 1993年(平成5年)
    • 1月 - 地学教室を生物工学実験室に改造。
    • 2月 - 運動場を造成。創立「80」周年を記念誌、桜「80」本を植樹。記念碑を運動場に建立。
  • 1994年(平成6年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、農業科・農業土木科・生活科を閉科。
  • 1997年(平成9年)
    • 3月 - 大規模改造(耐震)工事が完了。
    • 4月 - 1学年の学級数が普通科7学級(臨時増1、そのうち、体育コース1)、産業技術科2学級、合計9となる。
  • 2002年(平成14年)4月1日 - 1学年の学級数が普通科5(そのうち、体育コースは1)、産業技術科2、合計7となる。
  • 2003年(平成15年)
    • 4月1日 - 「福岡県立福岡魁誠高等学校」(現校名)に改称。総合学科(1学年7学級)を設置。普通科および産業技術科の募集を停止。
    • 10月 - 第1期工事(第一棟西側大規模改築)が完了。
  • 2004年(平成16年)8月 - 第2期工事(第三棟総合学科棟と渡り廊下)が完了。
  • 2005年(平成17年)
    • 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、普通科および産業技術科を閉科。
    • 10月 - 第3期工事(第一棟東側大規模改築)が完了。
  • 2006年(平成18年)3月 - 相撲場が完成。
  • 2007年(平成19年)
    • 1月 - 第4期工事(第二棟大規模改築)が完了。
    • 3月 - 第5期工事(旧体育館等解体・外構)が完了。
  • 2008年(平成20年)3月 - 野球部室が完成。
  • 2012年(平成24年)10月 - 創立100周年記念式典を挙行。


教育組織

総合学科
  • 人文科学系列
  • 自然科学系列
  • 生物資源系列
  • ビジネス系列
  • 情報系列
  • スポーツ科学系列

教育方針

校是

  • 自らを創造する心
  • 自らを律する心
  • 自ら学ぶ意欲的な心

校歌

交通アクセス

最寄りの鉄道駅

最寄りのバス停

最寄りの道路

著名な出身者

関連項目

外部リンク