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石川県立金沢錦丘中学校・高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石川県立金沢錦丘中学校・高等学校
石川県立金沢錦丘中学校・高等学校(2019年6月)
地図北緯36度31分49.7秒 東経136度38分29秒 / 北緯36.530472度 東経136.64139度 / 36.530472; 136.64139座標: 北緯36度31分49.7秒 東経136度38分29秒 / 北緯36.530472度 東経136.64139度 / 36.530472; 136.64139
過去の名称
  • 石川県第二中学校
  • →石川県立第二中学校
  • →石川県立金沢第二中学校
国公私立の別 公立学校(県立)
設置者 石川県の旗 石川県
学区 全県一学区
校訓 弘毅篤学こうきとくがく[1]
設立年月日
創立記念日
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード C117220100267 ウィキデータを編集(中学校)
D117220100014 ウィキデータを編集(高等学校)
高校コード 17113B
所在地 921-8151
石川県金沢市窪6丁目218番地
外部リンク
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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石川県立金沢錦丘中学校・高等学校の位置(石川県内)
石川県立金沢錦丘中学校・高等学校

石川県立金沢錦丘中学校・高等学校(いしかわけんりつ かなざわにしきがおか ちゅうがっこう・こうとうがっこう、: Ishikawa Prefectural Kanazawa Nishikigaoka Junior & Senior High School)は、石川県金沢市窪にある公立中高一貫校

概要

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金沢市の南部に所在。団塊の世代の高等学校進学に合わせて1963年昭和38年)開校。戦後の学制改革により後継校を失っていた旧制石川県立金沢第二中学校の後継校として設置され、校名は同中の校歌の一節「紫錦にしきおかの学窓に 集う健児は七百人」[4]に由来する[注釈 1]。同窓会組織も共通。2004年平成16年)、「石川県立金沢錦丘中学校」を新設し、併設型中高一貫教育を開始した。現在、石川県の公立学校では唯一の中高一貫校。普通科設置。通称は「錦(にしき)」、「錦丘(にしきがおか)」。

教育方針

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高い志を育み、豊かな心と知性、健やかな身体を培い、地域や国家、国際社会の持続可能な発展に貢献できる人材を育成する[1]

平日7限授業。以前は土曜授業などがあったが、廃止された。

年表

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《主要な出典:[6]

石川県立金沢第二中学校

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  • 1899年明治32年)4月[7] - 石川県第二中学校開校。
  • 1901年(明治34年)5月 - 校名を石川県立第二中学校と改称[8]
  • 1907年(明治40年)3月[8] - 校名を石川県立金沢第二中学校と改称。
  • 1948年昭和23年)3月[9] - 学制改革により後継校がなく廃校となる。

石川県立金沢錦丘高等学校

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  • 1963年昭和38年)
    • 1月 - 金沢第二中学校の後継校として石川県立金沢錦丘高等学校発足。普通科と家政科を設置。
    • 4月 - 金沢市立兼六中学校旧校舎を仮校舎として[10]開校。
    • 8月21日 - 校舎建設起工式[11]
  • 1964年(昭和39年)4月 - 石川県金沢市窪町(現在地)に校舎を新築し移転。当時の所在地表記:石川県金沢市窪町リ1番地[10]
  • 1965年(昭和40年)6月24日 - 校舎落成記念式挙行[10][12]
  • 1966年(昭和41年)1月 - 昭和41年度より家政科を募集停止。
  • 1967年(昭和42年)7月 - プール竣工。
  • 1973年(昭和48年)
    • 10月 - 講堂兼体育館竣工、創立10周年記念式典挙行。
    • 12月5日 - 『金沢二中錦丘高校史』発刊[13]
  • 1983年(昭和58年)9月 - 創立20周年記念式典挙行。
  • 1993年平成05年)9月 - 創立30周年記念式典挙行。
  • 1999年(平成11年)9月 - 石川県立金沢第二中学校・金沢錦丘高等学校創立100周年記念式典挙行。
  • 2002年(平成14年)4月 - 2学期制に移行。
  • 2003年(平成15年)
    • 2月 - 推薦入試実施。
    • 11月1日 - 石川県立金沢錦丘中学校設置(金沢錦丘高等学校に併設)[14]
  • 2004年(平成16年)4月7日 - 石川県立金沢錦丘中学校開校式を挙行[14]
  • 2006年(平成18年)
    • 1月 - 新体育館及び中学校棟竣工。
    • 2月3日 - 中学校新校舎へ移転[14]
  • 2008年(平成20年)1月 - 高校棟(2期工事分)竣工。
  • 2010年(平成22年)
    • 8月 - 中学校外構工事完成[14]
    • 10月17日 - 校舎完成記念式典挙行[15]
  • 2013年(平成25年)9月 - 創立50周年記念式典挙行。
  • 2015年(平成27年)4月[16] - 3学期制を復活[17][出典無効]
  • 2023年令和05年)
    • 9月 - 創立60周年記念式典挙行(高校)。
    • 11月1日 - 金沢錦丘中学校創立20周年記念式典を挙行[14]

学校行事

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  • 修学旅行(12月)3泊4日。沖縄。2年生対象。
  • 紫錦祭(8月後半)2日間。かつては9月前半に行われていた。

部活動

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  • 運動部 - バスケットボール、バレーボール、ソフトテニス、テニス、野球、陸上競技、水泳、サッカー、卓球、剣道、スキー、バドミントン、ハンドボール、弓道、少林寺拳法、フェンシング
  • 文化部 - 書道、美術、合唱、華道、写真、新聞、演劇、英語研究、自然科学、家庭、吹奏楽、茶道、文芸、JRC、放送、囲碁・将棋、競技かるた
  • 同好会 - パソコン

所在地

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921-8151 石川県金沢市窪6丁目218番地

校歌

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作詞:長岡博男、作曲:鴛原利蔵

アクセス

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著名な出身者

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「紫錦陵」は、石川県立金沢第二中学校が所在した小立野台地の美称であった[5]

出典

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  1. ^ a b 学校紹介”. 石川県立金沢錦丘高等学校. 2024年8月31日閲覧。
  2. ^ 令和6年度年間行事予定(前期)”. 石川県立金沢錦丘高等学校. 2024年8月31日閲覧。
  3. ^ 令和6年度年間行事予定”. 石川県立金沢錦丘中学校. 2024年8月31日閲覧。
  4. ^ 三尖塔遥か(1983), p. 81.
  5. ^ 紫錦台の由来について”. レファレンス協同データベース. レファレンス事例詳細. 2024年8月31日閲覧。
  6. ^ 学校紹介 - 沿革・歴史”. 石川県立金沢錦丘高等学校. 2024年8月31日閲覧。
  7. ^ 北国新聞社編集局 編『三尖塔遥か――金沢二中の半世紀』北国出版社、1983年8月、30頁。NDLJP:12112802/21 
  8. ^ a b 『石川県立金沢第二中学校一覧 明治44年4月-45年2月』石川県立金沢第二中学校、1912年5月、2-3頁。NDLJP:812582/5 
  9. ^ 三尖塔遥か(1983), p. 269.
  10. ^ a b c 『石川県高校教育二十年史』石川県高等学校長協会、1970年5月、276-277頁。NDLJP:12113512/164 
  11. ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(大正・昭和編)』金沢市、1967年6月、457頁。NDLJP:2994372/233 
  12. ^ 金沢の百年 大正・昭和編(1967), p. 485.
  13. ^ 市史年表 金沢の百年 昭和続編”. 金沢市図書館. 2024年8月31日閲覧。編集は金沢二中・錦丘高校校史編集委員会、発行は金沢二中・錦丘高校十周年記念事業実行委員会によるもの。
  14. ^ a b c d e 金沢錦丘中学校の誕生”. 石川県立金沢錦丘中学校 (2023年11月1日). 2024年8月31日閲覧。
  15. ^ 学校行事(石川県立金沢錦丘高等学校 旧・旧ウェブサイト) - ウェイバックマシン(2010年11月9日アーカイブ分)
  16. ^ 学校日誌 2015年7月17日(石川県立金沢錦丘高等学校 旧ウェブサイト) - ウェイバックマシン(2015年7月24日アーカイブ分) "今日は3学期制になって(戻って)から初めての終業式でした"
  17. ^ 沿革・歴史”. 石川県立金沢錦丘高等学校. 2021年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月5日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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