コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

磯崎貞序

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
磯崎貞序

磯崎 貞序(磯﨑貞序[1]、いそざき ていじょ、1890年明治23年)10月11日[2][注釈 1] - 1984年昭和59年)9月10日[2][3])は、大正から昭和期の農業経営者[4]政治家衆議院議員(2期)、茅ヶ崎市名誉市民

経歴

[編集]

神奈川県[3]高座郡鶴嶺村中島[2](茅ヶ崎町を経て現茅ヶ崎市[4]中島[2])で、磯崎半十郎[注釈 2]の長男として生まれる[2][4][5]。神奈川県中郡立農業学校を経て[5]、1912年(明治45年)東京農業大学[注釈 3]を卒業した[2][3][4]

神奈川県農会に勤め、江陽銀行取締役、寒川農園取締役などに在任[2][3][4][5]。1921年(大正10年)高座郡会議員(1期)となり[2][4]、1927年(昭和2年)茅ヶ崎町会議員に当選して2期在任[2][4]。1928年(昭和3年)4月、町会議員の互選で町長に当選したが辞退した[2]。同年6月、神奈川県会議員に選出され立憲民政党に所属して1940年(昭和15年)まで3期在任した[2][3][4]太平洋戦争中は茅ヶ崎農業会長として食糧増産に務め、1945年(昭和20年)11月、農村青年連盟の委員となった[2]

1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に神奈川県全県区から日本自由党公認で出馬して初当選[3][6]。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙神奈川県第3区から出馬して再選され[7]、その後民主自由党に所属して衆議院議員に連続2期在任した[2][3]。この間、1948年(昭和23年)に政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された[8]

その後、自由党茅ヶ崎支部長、神奈川県相模川土地改良区理事長などを務めた[2]。1957年(昭和32年)2月の茅ヶ崎市長選挙に立候補したが内田俊一に敗れた[2]

土地改良事業団体の要職に就いて事業を推進させ農業用水確保を図るなど食糧増産に貢献したとして1964年(昭和39年)藍綬褒章受章[9]。1966年(昭和41年)春の叙勲で勲三等瑞宝章受章[1]

1976年(昭和51年)3月26日、茅ヶ崎市名誉市民に選出された[2]

1984年(昭和59年)9月10日死去、93歳。死没日をもって従五位に叙される[10]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『財界二千五百人集 本編』661頁では10月12日。
  2. ^ 鶴嶺村長、高座郡会議員、神奈川県会議員などを歴任。『財界二千五百人集 本編』661頁。
  3. ^ 『財界二千五百人集 本編』661頁では専門部卒。

出典

[編集]
  1. ^ a b 『官報』号外第48号2頁 昭和41年4月30日号
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『茅ヶ崎を彩った70人』28頁。
  3. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』67頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第15版 上』イ58頁。
  5. ^ a b c 『財界二千五百人集 本編』661頁。
  6. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』599頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』185頁。
  8. ^ 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第11号 昭和23年4月5日
  9. ^ 『官報』第11227号18頁 昭和39年5月20日号
  10. ^ 『官報』第17300号9-10頁 昭和59年10月5日号

参考文献

[編集]
  • 財界二千五百人集編纂部編『財界二千五百人集 本編』財界二千五百人集編纂部、1934年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 茅ヶ崎市史編集委員会編『茅ヶ崎を彩った70人:ゆかりの人物でたどる歴史風土:市制施行70周年記念』茅ヶ崎市文化生涯学習部文化生涯学習課市史編さん担当、2018年。