磯部 (つくば市)
磯部 | |
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北緯36度11分19.64秒 東経140度3分37.04秒 / 北緯36.1887889度 東経140.0602889度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 茨城県 |
市町村 | つくば市 |
人口 | |
• 合計 | 143人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
300-4248 |
市外局番 | 029[2] |
ナンバープレート | つくば |
磯部(いそべ)は、茨城県つくば市の地名。郵便番号は300-4248。
地理
[編集]つくば市北西部に位置する。桜川が作る沖積地と筑波台地から成り[3]、前者に安森と磯部、後者に荒谷の集落がある[4]。水田の広がる地域である[4]。
東は田中、西は高野原新田、南は明石(あけし)、北は洞下(ほらげ)・池田と接する。
小字
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歴史
[編集]安森坪にある安森遺跡からは、弥生時代の土器や須恵器、土師器が見つかっている[3]。室町時代の文安元年(1444年)には、光栄という人物が書写した『法華玄義口伝抄』に「磯部」、翌・文安2年(1445年)の『法華文句口伝抄』に「磯部郷」の文字が見られる[3]。また、文禄4年7月16日[3](グレゴリオ暦:1595年8月31日)の『中務大輔当知行目録』に「百九拾四石七斗三升六合 いそへ」とあり、佐竹義久の領地であったことが分かる[5]。
江戸時代には常陸国筑波郡に属し、磯部村(磯辺村とも表記)と称した。初めは佐竹氏領であったが、慶長8年(1603年)から小張藩領 、元和2年(1616年)から天領、寛永2年(1625年)からは旗本・本多氏領と変遷した[3]。村高は寛永2年(1625年)時点で294石余で、年貢米は宗道河岸(現在の下妻市宗道)まで駄送りした[3]。
明治時代の大区小区制下の磯部村は、新治県治下の1872年(明治5年)に第二大区第三小区に、茨城県治下の1875年(明治8年)5月には第十一大区第六小区に組み込まれた[6]。1878年(明治11年)7月に郡区町村編制法が公布されると、磯部村は上菅間村連合村に、1884年(明治17年)には中菅間村連合村に加わった[6]。町村制の施行以降は、所属市町村名を変えながら大字として現在も存続している。
1906年(明治39年)には耕地整理事業認可の申請が茨城県に出され、1907年(明治40年)2月から着工した[7]。これは磯部だけでなく、池田・中菅間・田中まで及び、面積158町、総工費36,125円という菅間村を挙げての大事業で、1912年(明治45年)5月までかかった[8]。これにより、生産力が向上した一方、小作料の増大や村政の運営が不安定になるなどの課題を生んだ[9]。
磯部は田んぼでメダカの生息する、つくば市では数少ない地域であった[10]。しかし、2002年(平成14年)中に水路がコンクリートで固められることになったため、地元の特定非営利活動法人つくば環境フォーラムを中心に、磯部地区の溜め池やつくば市立筑波西中学校に設置されたビオトープでメダカの保護飼育が始まった[10]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、筑波郡菅間村大字磯部となる。
- 1957年(昭和32年)7月1日 菅間村が筑波町に編入され、筑波郡筑波町大字磯部となる。
- 1988年(昭和63年)1月31日 筑波町がつくば市に編入され、つくば市大字磯部となる。
- 2002年(平成14年)11月1日 つくば市が稲敷郡茎崎町を編入。同時に公式な住所から「大字」表記がなくなり、つくば市磯部となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
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磯部 | 54世帯 | 143人 |
人口の変遷
[編集]1828年(文政11年)[3] | 15戸 78人 |
1840年(天保11年)[3] | 17戸 76人 |
1891年(明治24年)[3] | 21戸 175人 |
1980年(昭和55年)[4] | 102世帯 480人 |
2010年(平成22年)[11] | 50世帯 157人 |
2017年(平成29年)[1] | 54世帯 143人 |
小・中学校の学区
[編集]番地 | 義務教育学校 |
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全域 | 秀峰筑波義務教育学校 |
交通
[編集]- 鉄道・バス
- 磯部を通る公共交通はない。
- 道路
- つくば市道が通る。
施設
[編集]- 医療法人坂入医院付属幸寿苑
史跡
[編集]- 白銀神社 - 大己貴命を祀る磯部の鎮守。明和5年に、中菅間村名主と所有を争った[3]。創建年不詳、明治年中に再建[13]。春祭(3月15日)と例祭(旧暦11月15日)が行われる[13]。
- 真言宗了善院 - つくば市寺具の宝蔵寺門徒だったが、現在は廃寺[5]。
出身著名人
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c “平成29年度行政区別人口表”. つくば市 (2017年8月9日). 2017年8月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(1983):116ページ
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(1983):1256ページ
- ^ a b 平凡社(1982):563ページ
- ^ a b 筑波町史編纂専門委員会(1990):191 - 201ページ
- ^ 筑波町史編纂専門委員会(1990):290 - 291ページ
- ^ 筑波町史編纂専門委員会(1990):291ページ
- ^ 筑波町史編纂専門委員会(1990):291 - 292ページ
- ^ a b 田中ひとみ(2004)"田んぼの生き物レスキュー隊(工事等によって変わりつつある田んぼの環境に生き物たちが住み続けられるための環境整備と教育活動)"第18回(平成15年度)TaKaRaハーモニストファンド活動助成報告:111-120.
- ^ つくば市市民課(2010)"つくば市行政区別人口統計表"(2010年11月4日閲覧。)
- ^ 義務教育学校への就学(2018年4月16日閲覧)
- ^ a b 筑波町史編纂委員会(1982):340ページ
- ^ "男女ノ川 登三"(2010年11月4日閲覧。)
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 8 茨城県』角川書店、昭和58年12月8日、1617pp.
- 筑波町史編纂委員会『筑波町史 史料集 第5篇』筑波町史編纂委員会、昭和57年5月25日、360pp.
- 筑波町史編纂委員会『筑波町史 史料集 第一篇』筑波町史編纂委員会、昭和60年1月25日再発行、152pp.
- 筑波町史編纂専門委員会『筑波町史 下巻』発行者:倉田弘、平成2年3月25日、697pp.
- 『茨城県の地名』平凡社、1982年11月4日、977pp.