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神郡 (つくば市)

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日本 > 茨城県 > つくば市 > 神郡 (つくば市)
神郡
神郡の町並み
神郡の町並み
神郡の位置(茨城県内)
神郡
神郡
神郡の位置
北緯36度11分34.6秒 東経140度5分37.1秒 / 北緯36.192944度 東経140.093639度 / 36.192944; 140.093639
日本の旗 日本
都道府県 茨城県
市町村 つくば市
地区 筑波地区
面積
 • 合計 4.376420 km2
標高
26 m
人口
2017年(平成29年)8月1日現在)[1]
 • 合計 695人
 • 密度 160人/km2
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
300-4212 
市外局番 029
ナンバープレート つくば
※座標・標高は田井ミュージアム付近
田井小学校

神郡(かんごおり)は、茨城県つくば市大字郵便番号は300-4212[2]住民基本台帳に基づく2013年10月1日現在の人口は742人[3]

茨城県道139号筑波山公園線(つくば道)沿いに古い家並みが残る筑波山麓の集落である[4]

地理

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つくば市北部の旧筑波町中部から東部に位置し、筑波研究学園都市周辺開発地区に含まれる。茨城県道139号筑波山公園線(つくば道)に沿って集落が展開する[5]。このほか、蚕影神社(こかげじんじゃ)周辺の館(たて)地区にも集落がある[6]。西部は桜川へと続く沖積平野で田畑の広がる農業地域、東部は筑波山に連なる標高の低い山地となっている[7]。この地形は古鬼怒川が2万年前に流路を変更して以降、そのまま変化していないと考えられている[8]粘土を産出したため、かつてはの製造が盛んであった[9]

  • - 蚕影山、神郡山
  • - 逆川(鴨井川・酒香川)

北はつくば市筑波飛地)・臼井、東は石岡市小幡、南はつくば市平沢北条漆所、西はつくば市杉木大貫と接する。

小・中学校の学区

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市立中学校に通う場合、秀峰筑波義務教育学校学区となる[10]

地価

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住宅地の地価は、2017年平成29年)1月1日公示地価によれば、神郡字上町98番1の地点で9,610円/m2となっている。[11]

歴史

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神郡では、縄文時代の遺跡である「神郡遺跡」や、土師器須恵器が出土した「宮の前遺跡」が見つかっている[12]。神郡西部の耕地は、古代条里制遺構が顕著で、小字にも五反田・二反町などの名が残されている[6]。この条里遺構は「神郡条里遺跡」と呼ばれ、茨城県営の圃場整備事業を前に1987年(昭和62年)に発掘調査が行われた[13]

普門寺

中世には神郡村の普門寺が小田氏の庇護を受けていたため、村自体も小田氏の配下となった時期があると考えられる[6]江戸時代は神郡村として常陸国筑波郡に属し、当初佐竹氏領だったが、慶長7年(1602年)から天領[12]、慶長11年(1606年)から真壁藩浅野氏領、元和8年(1622年)から笠間藩浅野氏領を経て、正保2年(1645年)に旗本の井上正義の知行地となって以降、井上氏の配下となった[6]。ほかに寺社領も存在した[6]。井上氏の知行地としては大島村に次いで村高が多く[14]享保9年(1724年)、神郡に陣屋を設け支配の拠点とした[12]。神郡に陣屋を置いたのは、配下の8村の中で最も中心性が高く、井上氏の屋敷のある江戸大塚からの交通の便が良かったことが理由として推定される[15]。陣屋は交代制の代官が置かれたが、実質的には神郡村の名主・飯田氏が代官の役割を担った[16]。その後、文化年間(1804年 - 1818年)に名主罷免運動が起き、中堅層の石井氏が村政の中核を担うこととなった[17]

北条から神郡を経て筑波山の中禅寺に至る参道(つくば道)が寛永年間(1624年 - 1644年)に整備され、街村が形成された[6]。神郡村の普門寺は寺領30石を有する田舎談林として発展し、吉祥院・自性院などの門徒寺を持っていた[12]。また元治元年(1864年)の天狗党の乱では、天狗党の1隊が駐屯し、1878年(明治11年)には神郡小学校が設置されるなど、郷土史の舞台となった[12]

明治に入ると、旧天領・旗本領をもって県が設置されることになり、明治2年1月(グレゴリオ暦1869年2月)には、新県の県庁所在地の候補に神郡村が入った[18]。結局、県庁は新治郡若森村に置かれることになり、新県名は若森県となった[18]1889年(明治22年)の町村制施行に際し、田井村行政の中心となった[12]。すなわち、村役場駐在所小学校郵便局がここに置かれたのである[12]

田井ミュージアム

21世紀に入ってからは、まちづくり活動が活発化している。この活動には住民のほか、地元の筑波大学[注 1]特定非営利活動法人(NPO法人)が参加している[9]2001年(平成13年)には、NPO法人自然生クラブがつくば市農業協同組合の所有する大谷石製の倉庫を借り受けて「田井ミュージアム」を開設した[21]2006年(平成18年)4月には筑波山の自然についてまとめた書籍『筑波山』の改訂版出版に当たって、散策コースを筑波山麓まで広げるため、神郡地区で調査が行われた[4]。同年11月には田井ミュージアムなどを会場として「田井の里の秋祭り」が開かれ、町並みのライトアップが行われた[9]2009年(平成21年)12月には薪ストーブを愛好する「つくば薪クラブ」によって荒れた里山間伐が行われ[22]2010年(平成22年)3月には「つくば環境フォーラム」と「田井の里地域づくり愛好会」が耕作放棄地ヤマザクラなどの苗木を植える活動を行った[23]

沿革

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  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により筑波郡田井村大字神郡となる。
  • 1955年(昭和30年)2月1日 - 田井村が筑波町、北条町小田村と合併し、筑波郡筑波町大字神郡となる。
  • 1988年(昭和63年)1月31日 - 筑波町がつくば市と合併し、つくば市大字神郡となる。
  • 2002年(平成14年)11月1日 - 住所より「大字」表記が撤廃され、つくば市神郡となる。

地名の由来

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2つの説が提示されている[12]

世帯数と人口

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2017年(平成29年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
神郡 253世帯 695人

人口の変遷

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総数 [戸数または世帯数: 、人口: ]

1811年文化8年)[12] 124戸
521人
1839年天保10年)[6] 72戸
274人
1980年(昭和55年)[5] 222世帯
893人
2013年(平成25年)[3] 256世帯
742人

交通

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公共交通

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道路

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施設

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  • 筑波学校給食センター
  • つくば田井郵便局
  • つくばねカントリークラブ
  • 筑波国際カントリークラブ(敷地の一部)

寺社

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蚕影神社

脚注

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注釈
  1. ^ 筑波大学では2つのプロジェクトで神郡のまちづくりに参加しており、歴史・文化の発掘・再生による地域貢献を目指す大学院人文社会科学研究科の「筑波山ルネッサンス」事業[19]や、人とイノシシ共生を目指して活動する芸術専門学群の「アートデザインプロデュース」の1つ「ぼたんやぐら」[20]がある。
出典
  1. ^ a b 平成29年度行政区別人口表”. つくば市 (2017年8月9日). 2017年8月15日閲覧。
  2. ^ 日本郵便"神郡の郵便番号 - 日本郵便"(2013年10月30日閲覧。)
  3. ^ a b つくば市役所市民課"つくば市 行政区別人口統計表"平成25年10月1日現在(2013年10月30日閲覧。)
  4. ^ a b 「筑波山の“定本”刷新 14年ぶり 研究者ら調査開始」朝日新聞2006年4月9日付朝刊、茨城首都圏版37ページ
  5. ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):1256ページ
  6. ^ a b c d e f g h i j 平凡社(1982):560ページ
  7. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):342, 1256ページ
  8. ^ 神郡条里遺跡発掘調査会 編(1988):2ページ
  9. ^ a b c 「石の米蔵、祭りの舞台に つくば・田井地区の住民ら」朝日新聞2001年11月26日付朝刊、茨城版33ページ
  10. ^ 義務教育学校への就学(2018年4月17日閲覧)
  11. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  12. ^ a b c d e f g h i j k 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):342ページ
  13. ^ 神郡条里遺跡発掘調査会 編(1988):1ページ
  14. ^ 鈴木(1968):66ページ
  15. ^ 鈴木(1968):66 - 67ページ
  16. ^ 鈴木(1968):68ページ
  17. ^ 鈴木(1968):75ページ
  18. ^ a b つくば書店レポート部 編(2007):65ページ
  19. ^ 総務・企画部 編(2007):5ページ
  20. ^ "アートな「ししやぐら」出現 イノシシと人の共生目指す 小学生との共同制作作品も"筑波大学新聞2010年12月6日付、学芸面5ページ
  21. ^ 「米蔵が変身、アート発信 つくばの石造り倉庫、NPOが運営」朝日新聞2001年11月23日付朝刊、茨城版31ページ
  22. ^ 「森づくり→間伐材→薪ストーブ 愛好家、筑波で活動」朝日新聞2009年12月8日付朝刊、茨城版25ページ
  23. ^ 「耕作放棄地に苗木を植樹 つくばで里山守る活動」朝日新聞2010年3月23日付朝刊、茨城首都圏版37ページ
  24. ^ 平凡社(1982):561ページ
  25. ^ 人文社観光と旅編集部 編(1985):144 - 145ページ
  26. ^ 茨城県教育庁文化課"石造九重層塔|茨城県教育委員会"(2013年10月30日閲覧。)
  27. ^ 藪崎ほか(2007):158ページ

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 8 茨城県』角川書店、1983年12月8日、1617p.
  • 神郡条里遺跡発掘調査会 編『神郡条里遺跡発掘調査報告』つくば市教育委員会(筑波地区教育事務所)、1988年3月31日、53p.
  • 人文社観光と旅編集部 編『茨城県 郷土資料事典 観光と旅』県別シリーズ8、人文社、1985年4月1日(改訂新版)、199p.
  • 鈴木邑江(1968年)"旗本井上氏領における支配と村政の一考察―茨城県筑波郡神郡村を中心に―"立正史学(立正大学史学会).32:65-77.
  • 総務・企画部 編『速報つくば 2007年2月号』通巻1140号、筑波大学、2007年1月24日、8p.
  • つくば書店レポート部 編『つくばレポート vol.2』つくば書店、2007年3月1日、91pp. ISBN 978-4-902451-01-6
  • 藪崎志穂・田瀬則雄・辻村真貴・林陽生(2007年)"名水を訪ねて(77)筑波山の名水"地下水学会誌(日本地下水学会).49(2):153-168.
  • 『茨城県の地名』平凡社、1982年11月4日、977p.

関連項目

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外部リンク

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