第1回天皇杯全日本サッカー選手権大会
表示
日比谷公園の地図(1907年) | |
開催国 | 日本 |
---|---|
参加チーム数 | 4 |
優勝 | 東京蹴球団 |
準優勝 | 御影蹴球団 |
試合総数 | 2 |
ゴール数 | 5 (1試合平均 2.5点) |
1922 → |
この項目ではア式蹴球全國優勝競技會(あしきしゅうきゅうぜんこくゆうしょうきょうぎかい)として1921年(大正10年)11月26日と27日に日比谷公園グラウンドで開催された大会[1] について記載する。なお、本大会は天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会の第1回大会に当たる。
概要
[編集]東京、名古屋、大阪、広島の4地区に分け[1]、各地区の代表1チームが全国大会に出場した[1]。地方予選は東京に20、名古屋に3チームが参加して行われた[1]。全国大会に出場した4チームのうち、山口高校が東上を見合わせ[1] 棄権したため、準決勝1試合と決勝の2試合が行われた。
東京蹴球団は当時の日本代表チームとして極東オリンピック大会にも出場した精鋭チーム、名古屋蹴球団は名古屋の学校(明倫中学校、愛知第一師範学校など)のOB選手を中心として構成、御影蹴球団は中等学校である御影師範学校の1校単一チームであった[2]。
大会終了後、イングランドのフットボール・アソシエーション(FA)から寄贈された「FAカップ」と呼ばれる銀製のカップが第9代駐日英国大使のチャールズ・エリオットから優勝した東京蹴球団主将の山田午郎に授受された[3]。
出場チーム
[編集]結果
[編集]準決勝 | 決勝 | |||||
1921年11月26日 | ||||||
名古屋蹴球団 | 0 | |||||
御影蹴球団 | 4 | |||||
1921年11月27日 | ||||||
御影蹴球団 | 0 | |||||
東京蹴球団 | 1 | |||||
山口高校(棄権) | ||||||
東京蹴球団 |
主な出場選手
[編集]- 山田午郎(東京蹴球団)