第2普通科連隊
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第2普通科連隊 | |
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84mm無反動砲を装備し接敵行進する隊員 | |
創設 | 1954年(昭和29年)7月1日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 普通科 |
人員 | 約650名 |
所在地 | 新潟県 上越市 |
編成地 | 松本 |
上級単位 | 第12旅団 |
担当地域 | 上越地方 |
第2普通科連隊(だいにふつうかれんたい、JGSDF 2nd Infantry Regiment(Light)は、新潟県上越市の高田駐屯地に駐屯する、陸上自衛隊第12旅団隷下の普通科連隊(軽)である。
概要
[編集]連隊長は1等陸佐(三)が充てられ、連隊本部、本部管理中隊、3個普通科中隊および重迫撃砲中隊により編成される。連隊長は高田駐屯地司令を兼務している。
1951年(昭和26年)5月に警察予備隊の部隊として編成された。その後の部隊改編により、本連隊の普通科大隊を母体として第13普通科連隊、第30普通科連隊、第31普通科連隊が編成された。
2001年(平成13年)3月に第12師団の旅団化に伴い、軽普通科連隊へ改編された。
訓練は主に関山演習場で実施している。また、積雪地部隊でもある。
警備隊区は上越市を除く新潟県上越地方である。
沿革
[編集]第2連隊
- 1951年(昭和26年)5月1日:警察予備隊第1管区隊第2連隊として松本駐屯地において編成。
- 1952年(昭和27年)1月19日:部隊改編により、金沢駐屯地の第3連隊第3大隊を編入。
- 1953年(昭和28年)
第2普通科連隊
- 1954年(昭和29年)
- 1956年(昭和31年)8月7日:第6管区隊の妙高山系における陸上自衛隊初の山地研究演習に参加(8月9日まで)。
- 1958年(昭和33年)6月26日:管区隊の再編により、第6管区隊から第1管区隊隷下に編成替え[3] 。
- 1962年(昭和37年)1月18日:第12師団新編に伴い、同師団隷下に編入され連隊再編。
- 本部管理中隊及び4個普通科中隊、重迫撃砲中隊編成となる。
- 第2普通科連隊第1大隊を母体に第31普通科連隊が習志野駐屯地において編成完結。
- 第2普通科連隊第3大隊を母体に第30普通科連隊が新発田駐屯地において編成完結。
- 1964年(昭和39年)8月15日:東京オリンピック支援(10月26日まで、副連隊長が近代五種支援隊を兼補)。
- 1991年(平成 3年)3月29日:第12師団の師団近代化への改編により、自動車化。1個普通科中隊が教育担当中隊となる。
- 1995年(平成 7年)1月17日 - 4月27日:阪神淡路大震災災害派遣。
- 1997年(平成 9年)1月9日 - 3月19日:ナホトカ号重油流出事故に伴う災害派遣。
- 1998年(平成10年)1月20日:長野オリンピックを支援(2月24日まで)。
- 2001年(平成13年)
- 3月26日:第4普通科中隊及び重迫撃砲中隊を廃止。
- 3月27日:第12師団の旅団化に伴う改編。
- 2004年(平成16年)
- 2006年(平成18年)5月6日 - 7月25日:第12旅団を主力とする第10次イラク復興支援群に要員を派遣。
- 2007年(平成19年)7月16日 - 8月27日:新潟県中越沖地震に伴う災害派遣。
- 2015年(平成27年)10月29日:柏崎刈羽原子力発電所にて、武装工作員が上陸した想定で新潟県警と合同訓練を行う。
- 2016年(平成28年)12月22日:糸魚川市大規模火災に伴う災害派遣[4][5]。
- 2023年(令和 5年)3月16日:重迫撃砲中隊が新編[6]。
部隊編成
[編集]- 第2普通科連隊本部
- 本部管理中隊「2普‐本」 - 対戦車戦闘、偵察
- 第1普通科中隊「2普‐1」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 第2普通科中隊「2普‐2」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 第3普通科中隊「2普‐3」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 重迫撃砲中隊「2普‐重」:120mm迫撃砲 RT
整備支援部隊
[編集]主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第2普通科連隊長 | 1等陸佐 | 末本紀彦 | 2024年 | 1月26日中部方面総監部人事部募集課長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 羽切正平 (2等警察正) |
1951年 | 5月 1日 - 1953年 4月10日金沢駐とん地部隊長 | 保安隊業務学校副校長 |
2 | 真下英三郎 | 1953年 | 4月11日 - 1955年 5月24日第1幕僚監部第3部総務班長 | 第6管区総監部付 |
3 | 千原清治 | 1955年 | 5月25日 - 1959年 6月30日多賀城駐とん地業務隊長 | 第1管区総監部付 →1959年7月17日 退職(陸将補昇任) |
4 | 大平四年生 | 1959年 | 8月 1日 - 1962年 7月31日第9混成団本部第2部長 | 西部方面総監部第2部長 |
5 | 川島威伸 | 1962年 | 8月 1日 - 1964年 7月15日陸上自衛隊調査学校研究課長 | 第2師団司令部幕僚長 |
6 | 桑原安正 | 1964年 | 7月16日 - 1966年 7月15日東北方面総監部業務室長 | 陸上幕僚監部付 →1967年7月17日 北部方面総監部幕僚副長 |
7 | 竹内春夫 | 1966年 | 7月16日 - 1969年 3月16日第4陸曹教育隊長 | 自衛隊奈良地方連絡部長 |
8 | 牧野勝則 | 1969年 | 3月17日 - 1971年 3月15日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 北部方面総監部第1部長 |
9 | 土手喜文 | 1971年 | 3月16日 - 1973年 3月15日北部方面総監部第3部勤務 | 統合幕僚会議事務局第2幕僚室勤務 |
10 | 高橋清 | 1973年 | 3月16日 - 1975年 3月16日第1教育団本部訓練科長 | 東部方面総監部第3部長 |
11 | 渡部敬太郎 | 1975年 ※1976年 7月 1日 陸将補昇任 |
3月17日 - 1976年 8月 1日陸上幕僚監部第3部防衛班長 | 西部方面総監部幕僚副長 |
12 | 清田稜威郎 | 1976年 | 8月 2日 - 1979年 3月15日第1教育団本部訓練科長 | 陸上自衛隊通信補給処勤務 |
13 | 新野晃平 | 1979年 | 3月16日 - 1981年 7月31日西部方面総監部人事部募集課長 | 自衛隊新潟地方連絡部長 |
14 | 荒武良弘 | 1981年 | 8月 1日 - 1983年 3月15日陸上自衛隊幹部学校勤務 | 中部方面総監部防衛部長 |
15 | 小林啓也 | 1983年 | 3月16日 - 1985年 8月 7日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上自衛隊幹部学校総務部総務課長 |
16 | 青山利雄 | 1985年 | 8月 8日 - 1988年 3月15日陸上幕僚監部教育訓練部教育課 学校第1班長 |
東部方面総監部調査部長 |
17 | 泉芳憲 | 1988年 | 3月16日 - 1990年 3月15日陸上幕僚監部教育訓練部教育課 企画班長 |
東部方面総監部人事部長 |
18 | 下川征四郎 | 1990年 | 3月16日 - 1992年 8月 2日陸上幕僚監部人事部人事計画課 服務班長 |
真駒内駐屯地業務隊長 |
19 | 北口隆一 | 1992年 | 8月 3日 - 1995年 3月22日陸上幕僚監部監理部総務課 企画班長 |
旭川駐屯地業務隊長 |
20 | 椋木功 | 1995年 | 3月23日 - 1996年 6月30日陸上幕僚監部装備部装備計画課 後方計画班長 |
陸上幕僚監部教育訓練部教育課長 |
21 | 山口淨秀 | 1996年 | 7月 1日 - 1998年 6月30日陸上幕僚監部防衛部運用課 国際協力室長 |
陸上幕僚監部人事部厚生課長 |
22 | 長谷部洋一 | 1998年 | 7月 1日 - 2000年 4月27日陸上幕僚監部教育訓練部教育課 企画班長 |
陸上幕僚監部教育訓練部訓練課長 |
23 | 安藤正一 | 2000年 | 4月28日 - 2002年 3月26日陸上幕僚監部防衛部防衛課勤務 兼 防衛庁防衛局防衛政策課 研究室勤務 |
北部方面総監部防衛部防衛課長 |
24 | 阿部金二 | 2002年 | 3月27日 - 2005年 3月27日陸上幕僚監部監理部総務課勤務 | 東北方面指揮所訓練支援隊長 |
25 | 蛯谷久祐 | 2005年 | 3月28日 - 2007年 3月31日東部方面総監部装備部後方運用課長 | 宇都宮駐屯地業務隊長 |
26 | 穴久保聡宏 | 2007年 | 4月 1日 - 2008年 3月25日富士教導団本部高級幕僚 | 陸上自衛隊研究本部研究員 |
27 | 德田純 | 2008年 | 3月26日 - 2010年 7月31日陸上自衛隊補給統制本部総務部 総務課長 |
陸上自衛隊高等工科学校総務部長 |
28 | 大橋秋則 | 2010年 | 8月 1日 - 2011年10月19日陸上自衛隊高等工科学校総務部長 | 死亡(自殺[7]) |
29 | 宮﨑洋治 | 2011年11月 | 7日 - 2013年11月30日陸上自衛隊富士学校管理部 演習場管理課長 |
陸上自衛隊化学学校総務部長 |
30 | 大崎達也 | 2013年12月 | 1日 - 2016年 3月22日陸上自衛隊関西補給処装備計画部 企画課長 |
情報本部勤務 |
31 | 二宮充史 | 2016年 | 3月23日 - 2018年 3月22日陸上自衛隊幹部学校付 | 統合幕僚学校教育課 第2教官室学校教官 |
32 | 榧野道彦 | 2018年 | 3月23日 - 2020年 3月15日中部方面総監部総務部 地域連絡調整課長 |
第10師団司令部監察官 |
33 | 古賀理都靖 | 2020年 | 3月16日 - 2022年 3月13日駒門駐屯地業務隊長 | 富士教導団本部高級幕僚 |
34 | 小段雄三 | 2022年 | 3月14日 - 2024年 1月25日陸上自衛隊東北補給処装備計画部 企画課長 |
陸上自衛隊教育訓練研究本部勤務 |
35 | 末本紀彦 | 2024年 | 1月26日 -中部方面総監部人事部募集課長 |
主要装備
[編集]- 82式指揮通信車
- 軽装甲機動車
- 高機動車
- 1/2tトラック / 73式小型トラック
- 1 1/2tトラック / 73式中型トラック
- 3 1/2tトラック / 73式大型トラック
- 78式雪上車
- 軽雪上車
- 偵察用オートバイ
- 9mm拳銃
- 9mm機関けん銃
- 89式5.56mm小銃
- 5.56mm機関銃MINIMI
- 84mm無反動砲
- 110mm個人携帯対戦車弾
- 中距離多目的誘導弾
- 87式対戦車誘導弾
- 81mm迫撃砲 L16
- 120mm迫撃砲 RT
警備隊区
[編集]廃止(改編)部隊
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 自衛隊ニュース 郷土記念館 高田駐屯地
- ^ 管区隊の増置に伴う方面隊及び管区隊の警備区域の特例に関する政令(昭和29年政令第255号 )『官報』本紙第8300号(昭和29年9月1日)
- ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和33年政令第166号)『官報』本紙第9431号(昭和33年6月3日)
- ^ テレ朝NEWS 同日15時18分付け 陸上自衛隊に災害派遣要請
- ^ 本部管理中隊の装甲車とみられる車両が「災害派遣」のプレートをかかげて走行しているのが確認される
- ^ 陸上自衛隊高田駐屯地 公式 [@JGSDF_takada] (2023年3月17日). "3月16日、陸上自衛隊の部隊改編に伴い新たに重迫撃砲中隊が新編されました。". X(旧Twitter)より2023年3月17日閲覧。
- ^ 上越タウンジャーナル 2011年10月19日
- ^ “防衛省防災業務計画(令和6年3月28日)”. pp. 63. 2024年12月20日閲覧。
出典
[編集]- “防衛省人事発令”. 2016年3月23日閲覧。