自衛隊青森地方協力本部
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自衛隊青森地方協力本部(じえいたいあおもりちほうきょうりょくほんぶ、Aomori Provincial Cooperation Office)は、青森県青森市長島1丁目3-5青森第二合同庁舎2階[1]に所在する、自衛隊地方協力本部のひとつ。陸・海・空自衛隊共同の機関だが、通常は陸上自衛隊の東北方面総監の指揮監督下にある。管轄する地域における防衛省・自衛隊の総合窓口として青森県管内で活動する。
沿革
[編集]出先機関
[編集]- 青森募集案内所 担当地区:青森市、平内町、外ヶ浜町、今別町、蓬田村
- 弘前地域事務所 担当地区:弘前市、平川市、黒石市、藤崎町、大鰐町、西目屋村
- 五所川原地域事務所 担当地区:五所川原市、つがる市、中泊町、鶴田町、板柳町、深浦町、鰺ヶ沢町
- 八戸地域事務所 担当地区:八戸市、階上町、五戸町、南部町、三戸町、田子町、新郷村
- 三沢募集案内所 担当地区:三沢市、十和田市、六戸町、七戸町、東北町、野辺地町、おいらせ町、六ヶ所村
- むつ地域事務所 担当地区:むつ市、横浜町、大間町、東通村、佐井村、風間浦村
主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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自衛隊青森地方協力本部長 | 1等空佐 | 岡村正彦 | 2024年 | 8月 1日西部航空警戒管制団基地業務群司令 |
代 | 階級 | 氏名 | 在職期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2等陸佐 | 青山基三 | 1956年 | 8月 1日 - 1958年 7月31日中央大学 | 陸上幕僚監部第5部勤務 | |
2 | 2等陸佐 | 高橋芳雄 | 1958年 ※1961年 7月 1日 1等陸佐昇任 |
8月 1日 - 1961年12月15日東京帝国大学 | 第5普通科連隊 (2等陸佐) |
第1教育連隊長 |
3 | 2等海佐 | 石神昌威 | 1961年12月16日 - 1963年 | 7月31日海兵67期 | 海上自衛隊幹部学校教官 | 海上自衛隊幹部学校教官 |
4 | 2等海佐 | 小川左右民 | 1963年 | 8月 1日 - 1964年 9月30日海兵65期 | 横須賀地方総監部総務室長 | 自衛隊千葉地方連絡部長 |
5 | 2等海佐 | 原田周三 | 1964年10月 | 1日 - 1967年 7月15日海機48期 | 海上自衛隊第3術科学校航空教官 | 呉地方総監部付 |
6 | 1等海佐 | 相馬清士 | 1967年 | 7月16日 - 1969年 1月15日海兵65期 | 函館基地隊司令 | 函館基地隊付 →1969年7月8日 停年退官 |
7 | 1等海佐 | 鈴木井 | 1969年 | 1月16日 - 1970年10月15日海兵69期 | 舞鶴警備隊司令 | 横須賀教育隊司令 |
8 | 1等海佐 | 北村光顕 | 1970年10月16日 - 1972年 | 3月15日法政大学 | 海上幕僚監部厚生課厚生班長 | 呉地方総監部付 →1972年7月1日 退職 |
9 | 1等海佐 | 橘正道 | 1972年 | 3月16日 - 1973年12月15日早稲田大学 | 自衛隊東京地方連絡部勤務 | 海上自衛隊東京業務隊司令 |
10 | 1等海佐 | 原統一 | 1973年12月16日 - 1975年11月30日 | 中央大学 | かとり艦長 | 海上自衛隊東京業務隊付 →1976年2月6日 停年退官(海将補昇任) |
11 | 1等海佐 | 藤尾良邦 | 1975年12月 | 1日 - 1978年 3月15日高等商船学校 | 海上自衛隊第2術科学校教育第2部長 | 防衛大学校教授 |
12 | 1等海佐 | 佐藤実 | 1978年 | 3月16日 - 1980年 3月16日清水高等商船 | 海上自衛隊第2術科学校学生隊長 兼 学生隊第1学生隊長 |
海上自衛隊第2術科学校副校長 |
13 | 1等空佐 | 江原雅美 | 1980年 | 3月17日 - 1982年 3月15日明治大学 | 航空自衛隊幹部学校勤務 | 航空自衛隊幹部学校勤務 |
14 | 1等海佐 | 一ノ瀬朝三郎 | 1982年 | 3月16日 - 1984年 7月31日防大2期 | 第2航空群司令部幕僚 | 航空集団司令部付 →1984年12月3日 徳島教育航空群司令 |
15 | 1等空佐 | 菅沼憲彦 | 1984年 | 8月 1日 - 1986年 3月16日防大5期 | 航空幕僚監部装備部装備課輸送室長 | 航空幕僚監部監理部総務課長 |
16 | 1等陸佐 | 瀬山博英 | 1986年 | 3月17日 - 1988年 3月15日防大5期 | 陸上幕僚監部人事部警務課警務班長 | 警務隊副隊長 |
17 | 1等空佐 | 別府芳 | 1988年 | 3月16日 - 1990年 3月15日防大7期 | 航空幕僚監部監理部総務課広報室長 | 航空自衛隊幹部学校勤務 |
18 | 1等海佐 | 森田光彦 | 1990年 | 3月16日 - 1992年 3月22日防大7期 | 大湊地方総監部管理部長 | 下関基地隊司令 |
19 | 1等海佐 | 経田勇 | 1992年 | 3月23日 - 1994年 3月22日防大12期 | 第42護衛隊司令 | 海上幕僚監部調査部調査第1課長 |
20 | 1等海佐 | 河邊博 | 1994年 | 3月23日 - 1996年 3月31日防大13期 | 自衛艦隊司令部後方主任幕僚 | 海上自衛隊幹部学校主任教官 |
21 | 1等海佐 | 元村隆吉 | 1996年 | 4月 1日 - 1998年 7月31日防大14期 | 第33護衛隊司令 | 海上自衛隊幹部学校研究部 主住研究開発官 |
22 | 1等空佐 | 叶邦臣 | 1998年 | 8月 1日 - 2000年 7月31日防大16期 | 第12飛行教育団副司令 | 中部航空方面隊司令部監察官 |
23 | 1等海佐 | 池田栄男 | 2000年 | 8月 1日 - 2002年 7月31日防大17期 | 第31整備補給隊司令 | 海上幕僚監部人事教育部 援護業務課長 |
24 | 1等空佐 | 西野哲 | 2002年 | 8月 1日 - 2005年 3月31日防大22期 | 航空幕僚監部調査部調査課 情報保全室長 |
航空幕僚監部総務部総務課広報室長 |
25 | 1等海佐 | 鈴木修 | 2005年 | 4月 1日 - 2006年12月 5日茨城大学・ 27期幹候[3] |
海上自衛隊補給本部艦船部長 | 装備施設本部大阪支部副支部長 |
26 | 1等空佐 | 石田隆久 | 2006年12月 | 6日 - 2008年11月30日九州学院大学・ 昭和54年卒 |
航空幕僚監部装備部装備課調達室 調達計画班長 |
航空幕僚監部装備部装備課調達室長 |
27 | 1等海佐 | 竹本三保 | 2008年12月 | 1日 - 2011年 4月14日奈良女子大学・ 30期幹候[4] |
呉システム通信隊司令 | 中央システム通信隊司令 |
28 | 1等空佐 | 増田友晴 | 2011年 | 4月15日 - 2013年 3月31日防大33期 | 航空幕僚監部人事教育部人事計画課 制度班長 |
航空幕僚監部総務部総務課 総務調整官 |
29 | 1等海佐 | 池田徳重 | 2013年 | 4月 1日 - 2015年 3月31日防大28期 | 第4護衛隊司令 | 呉地方総監部防衛部勤務 |
30 | 1等空佐 | 島津貴治 | 2015年 | 4月 1日 - 2017年 3月30日中央大学・ 88期幹候[5] |
中部航空警戒管制団基地業務群司令 | 第1航空団副司令 |
31 | 1等海佐 | 田中佳行 | 2017年 | 3月31日 - 2019年 3月30日防大36期 | 第21整備補給隊司令 | 下総教育航空群司令部勤務 →2019年4月1日 下総航空基地隊司令 |
32 | 1等空佐 | 木村政和 | 2019年 | 3月31日 - 2021年12月21日防大39期 | 航空幕僚監部総務部会計課予算班長 | 航空幕僚監部総務部会計課長 |
33 | 1等空佐 | 川島寛人 | 2021年12月22日 - 2023年 | 3月30日防大40期 | 第3航空団基地業務群司令 | 航空自衛隊幹部学校教育部主任教官 兼 航空自衛隊幹部学校勤務 |
34 | 1等海佐 | 渡邉雄一 | 2023年 | 3月31日 - 2024年 7月31日防大36期 | 呉教育隊司令 | 佐世保地方総監部防衛部長 |
35 | 1等空佐 | 岡村正彦 | 2024年 | 8月 1日 -玉川大学・ 94期幹候[6] |
西部航空警戒管制団基地業務群司令 |
脚注
[編集]- ^ 自衛隊年鑑2009 ISBN 978-4-938467-20-3
- ^ “自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和31年 6月14日政令第180号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2016年6月19日閲覧。
- ^ 防大20期相当
- ^ 防大23期相当
- ^ 防大32期相当
- ^ 防大38期相当
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 自衛隊青森地方協力本部
- 自衛隊青森地方協力本部 (@aomori_PCO) - X(旧Twitter)