自衛隊秋田地方協力本部
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自衛隊秋田地方協力本部(じえいたいあきたちほうきょうりょくほんぶ、Akita Provincial Cooperation Office)は、秋田県秋田市山王4丁目3-34[1]に所在する、自衛隊地方協力本部のひとつ。陸・海・空自衛隊共同の機関だが、通常は陸上自衛隊の東北方面総監の指揮監督下にある。管轄する地域における防衛省・自衛隊の総合窓口として秋田県管内で活動する。
沿革
[編集]- 1956年(昭和31年)8月1日 - 自衛隊秋田地方連絡部が編成される[2]
- 2006年(平成18年)7月31日 - 自衛隊秋田地方協力本部に改編される
出先機関
[編集]- 秋田募集案内所 担当地区:秋田市、潟上市、男鹿市、五城目町、八郎潟町、大潟村
- 能代地域事務所 担当地区:能代市、八峰町、三種町、藤里町
- 由利本荘地域事務所 担当地区:由利本荘市、にかほ市
- 大仙地域事務所 担当地区:大仙市、仙北市、美郷町
- 横手地域事務所 担当地区:横手市、湯沢市、羽後町、東成瀬村
- 大館出張所 担当地区:大館市、鹿角市、北秋田市、小坂町、上小阿仁村
- 地域援護センター (秋田駐屯地内)
主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
---|---|---|---|---|
自衛隊秋田地方協力本部長 | 1等空佐 | 上村宗顕 | 2023年 | 3月30日航空幕僚監部運用支援・情報部 運用支援課部隊訓練第2班長 |
代 | 階級 | 氏名 | 在職期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2等陸佐 | 恒河勇太郎 | 1956年 | 8月 1日 - 1959年 8月 4日日本大学 | 第6管区総監部警務課長 (2等陸佐) |
定年退官 (1等陸佐昇任) |
2 | 2等陸佐 | 田中正一 | 1959年 | 8月 4日 - 1961年 7月31日陸士49期 | 第5普通科連隊副連隊長 | |
3 | 1等陸佐 | 浦川泰一郎 | 1961年 | 8月 1日 - 1964年 3月15日早稲田大学 | 第2管区総監部第1部長 | 第14普通科連隊長 兼 金沢駐とん地司令 |
4 | 1等陸佐 | 中根平次 | 1964年 | 3月16日 - 1965年 3月15日陸士48期・ 陸大60期 |
西部方面総監部通信課長 | 自衛隊愛知地方連絡部長 |
5 | 1等陸佐 | 桑名清 | 1965年 | 3月16日 - 1967年 7月16日陸士49期・ 陸大60期 |
第24普通科連隊長 | 陸上幕僚監部付 |
6 | 1等陸佐 | 米田満 | 1967年 | 7月17日 - 1969年 3月16日慶應義塾大学 | 第4普通科連隊長 | 千僧駐とん地業務隊長 |
7 | 1等陸佐 | 蔀哲朗 | 1969年 | 3月17日 - 1970年 7月15日多賀工専 | 陸上自衛隊業務学校勤務 | 陸上幕僚監部付 →1971年7月16日 東北方面総監部募集課長 |
8 | 2等陸佐 | 中川求 | 1970年 ※1971年 7月 1日 1等陸佐昇任 |
7月16日 - 1972年 7月16日陸士58期 | 第21普通科連隊副連隊長 (2等陸佐) |
第35普通科連隊長 |
9 | 1等陸佐 | 加島敬一 | 1972年 | 7月17日 - 1974年 7月15日陸士58期 | 陸上幕僚監部第1部勤務 | 陸上自衛隊少年工科学校教育部長 |
10 | 1等陸佐 | 柴田久 | 1974年 | 7月16日 - 1976年 8月 1日陸士60期 | 陸上幕僚監部第1部勤務 | 陸上幕僚監部厚生課総括班長 |
11 | 1等陸佐 | 鶴田昌治 | 1976年 | 8月 2日 - 1978年 3月15日陸士60期 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 仙台駐とん地業務隊長 |
12 | 1等陸佐 | 野村利幸 | 1978年 | 3月16日 - 1980年 3月16日陸上自衛隊高射学校人事科長 | 第10師団司令部付 →1980年7月1日 退職 | |
13 | 事務官 | 狩野良徳 | 1980年 | 3月17日 - 1982年 8月 1日学習院大学 | 防衛庁人事教育局人事第2課勤務 | 防衛庁人事局人事第3課給与室長 |
14 | 1等空佐 | 児玉節正 | 1982年 | 8月 2日 - 1984年 7月31日防大4期 | 航空幕僚監部人事教育部教育課 一般教育班長 |
航空自衛隊幹部学校勤務 |
15 | 1等海佐 | 今野克己 | 1984年 | 8月 1日 - 1986年 7月31日防大1期 | 海上自衛隊第3術科学校教育第1部長 | 海上自衛隊第3術科学校学生隊長 |
16 | 1等海佐 | 竹内秀人 | 1986年 | 8月 1日 - 1988年 7月31日9期幹候 | 余市防備隊司令 | 第1潜水隊群司令部付 →1988年12月11日 退職 |
17 | 1等海佐 | 安部真一朗 | 1988年 | 8月 1日 - 1990年 3月15日宮崎大学・ 11期幹候 |
航空集団司令部幕僚 | 館山航空基地隊司令 |
18 | 1等空佐 | 村岡亮道 | 1990年 | 3月16日 - 1992年 3月15日防大11期 | 航空幕僚監部副監察官 | 第8航空団副司令 |
19 | 1等空佐 | 柴田雄二 | 1992年 | 3月16日 - 1994年 3月22日防大14期 | 航空幕僚監部人事教育部教育課 一般教育班長 |
第1航空団基地業務群司令 |
20 | 1等空佐 | 正岡富士夫 | 1994年 | 3月23日 - 1996年 3月31日防大15期 | 航空幕僚監部人事教育部人事計画課 企画班長 |
第1航空団基地業務群司令 |
21 | 1等空佐 | 板津卓世 | 1996年 | 4月 1日 - 1998年11月30日岐阜大学 | 航空支援集団司令部防衛部防衛課長 | 航空幕僚監部総括副監察官 |
22 | 1等陸佐 | 藤井信二 | 1998年12月 | 1日 - 2001年 6月28日防大14期 | 第33普通科連隊長 兼 久居駐屯地司令 |
陸上自衛隊中央業務支援隊長 兼 市ヶ谷駐屯地司令 |
23 | 1等陸佐 | 山下富雄 | 2001年 | 6月29日 - 2003年 7月31日防大21期 | 陸上幕僚監部装備部武器・化学課 総括班長 |
陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 |
24 | 1等陸佐 | 吉田則之 | 2003年 | 8月 1日 - 2005年 3月31日防大20期 | 第6地対艦ミサイル連隊長 兼 宇都宮駐屯地司令 |
防衛研究所主任研究官 |
25 | 1等空佐 | 幕田啓二 | 2005年 | 4月 1日 - 2007年 3月31日防大22期 | 航空幕僚監部人事教育部厚生課 給与室長 |
北部航空施設隊司令 |
26 | 1等空佐 | 三浦博安 | 2007年 | 4月 1日 - 2009年 3月31日防大28期 | 航空幕僚監部総務部会計課予算班長 | 航空自衛隊幹部候補生学校勤務 |
27 | 1等空佐 | 太田久雄 | 2009年 | 4月 1日 - 2011年 4月14日防大30期 | 航空幕僚監部人事教育部人事計画課 制度班長 |
航空教育隊第1教育群司令 |
28 | 1等空佐 | 阿部博文 | 2011年 | 4月15日 - 2013年 3月22日防大31期 | 航空自衛隊幹部候補生学校業務部長 | 統合幕僚監部総務部総務課人事室長 |
29 | 1等空佐 | 田邊道 | 2013年 | 3月23日 - 2015年 3月31日防大31期 | 統合幕僚学校教育課第1教官室 学校教官 |
第1輸送航空隊副司令 |
30 | 1等空佐 | 原田一樹 | 2015年 | 4月 1日 - 2017年 3月31日防大34期 | 第3高射群副司令 | 航空自衛隊幹部学校勤務 |
31 | 1等空佐 | 今福博文 | 2017年 | 4月 1日 - 2019年 3月 6日日本大学・ 88期幹候[3] |
航空幕僚監部装備計画部装備課 技術支援室長 |
防衛研究所政策研究部 軍事戦略研究室長 |
32 | 1等空佐 | 大久保正広 | 2019年 | 3月 7日 - 2021年 3月17日青山学院大学・ 92期幹候[4] |
航空幕僚監部総務部総務課 警務管理官 |
航空幕僚監部人事教育部募集・援護課募集・援護調整官 兼 航空幕僚監部人事教育部 募集・援護課企画班長 |
33 | 1等空佐 | 米山浩 | 2021年 | 3月18日 - 2023年 3月29日熊本大学・ 95期幹候 |
統合幕僚監部運用部運用第2課 災害対策調整官 |
航空幕僚監部総括副監理監察官 |
34 | 1等空佐 | 上村宗顕 | 2023年 | 3月30日 -防大42期 | 航空幕僚監部運用支援・情報部 運用支援課部隊訓練第2班長 |
脚注
[編集]- ^ 自衛隊年鑑2009 ISBN 978-4-938467-20-3
- ^ “自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和31年 6月14日政令第180号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2016年6月19日閲覧。
- ^ 防大32期相当
- ^ 防大36期相当
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 自衛隊秋田地方協力本部
- 自衛隊秋田地方協力本部 (@jieitaiakitapco) - X(旧Twitter)