コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

良岑季高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
良岑季高
時代 平安時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 立木田太夫
官位 散位従五位下丹羽郡大領
主君 当時の天皇
氏族 良岑氏
父母 父:良岑惟季
母:?
良岑高成
テンプレートを表示

良岑 季高(よしみね の すえたか、生没年不詳)は、平安時代末期の貴族。官位は散位従五位下[1]良岑惟季の子で、子に良岑高成

良岑季高

[編集]

季高は、尾張国丹羽郡郡司・良岑惟季の子に生まれる[2]。父の跡を継いで丹羽郡司となる。保安4年(1123年)から保延3年(1137年)まで郡務にあたったとされる。私領を陽明門院後三条院に寄進している。季高の子・良岑上総守高成は、良岑氏前野氏の始祖・前野高長の父である。高成の娘で高長の妹にあたる人物は平忠盛側室となり、平忠度を生んだ[2]。良岑氏は桓武天皇百済永継の子である良岑安世を祖とする氏族[1][2] で、種別としては皇別に分類される。本貫は山城国で、後裔には児玉丹羽氏・良岑氏流前野氏などがある。この季高も、良岑安世の子孫である。

系譜

[編集]

良岑氏系図

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 公卿補任
  2. ^ a b c 尊卑分脈及び良岑氏系図