コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

パリ日本館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
薩摩館から転送)

座標: 北緯48度49分7.7秒 東経2度20分29.6秒 / 北緯48.818806度 東経2.341556度 / 48.818806; 2.341556

パリ日本館
地図
地図

パリ日本館(パリにほんかん、フランス語: Maison du Japon)は、パリ南部14区国際大学都市にある、学生寮のひとつ。また、この寮を管理運営する、パリ国際大学都市日本館 - 薩摩財団(パリこくさいだいがくとしにほんかん さつまざいだん)の通称[1]

概要

[編集]

留学生のほか、一定の条件を満たす研究者や芸術家が入居することを認められており、夏季のみの短期滞在も可能である[2]。居住者は、日本人の比率が7割を超えないように選定されており、居住者交換制度により多様な国籍の居住者が入館するよう配慮されている[3]

建物としてのパリ日本館は、詩人劇作家として知られ、駐日フランス大使となって来日したポール・クローデルが、国際大学都市への日本館の建設を提唱したことを契機として、薩摩治郎八が拠出した350万フランによって建設され、1929年に完成して国際大学都市に寄贈されたものである[1]。パリ国際大学都市の設立初期において,ヨーロッパの国々や財団がこうした寮を設立する中,日本館の設立は6番目でありアジアの国としては特に早期からパリ国際大学都市に寮を構えていることになる.第二次世界大戦などをまたぎながら現在に至るまで,数多くの日本人留学生および研究者,芸術家の滞在拠点となっている.2020年の時点でアジアの国からは,日本,インド,カンボジア,および韓国がアジアの国々が自国の名を冠した寮を有している。

当初は国際大学都市の直轄館であったが、第二次世界大戦後の1953年に結ばれた日仏文化協定によって、駐仏日本大使を理事長とする管理組織としてのパリ日本館が主体となって運営される非直轄館へと移行した[4]。日本館の所有権はフランス政府にあるが、非直轄館となってからは、日本館に家賃等を課すことも、補助金を出すこともしておらず、管理責任は最終的に日本政府にあり、館長は日本から派遣されている[4]1990年代までは、施設の老朽化や、運営資金の不足に悩まされていたが[4]、その後、日本政府の資金により、二次にわたる改修が行なわれた[1]

パリ日本館は、建設の経緯から薩摩館とも称され、館内には薩摩治郎八がパトロンとして支援していた藤田嗣治の大作「欧人日本へ渡来の図」「馬の図」の2点が展示されている[4]

館内には図書室が設置されており、日本文学と日本国内で出版されたフランスに関する文献、戦前から今日に至るまでのフランス人研究者による日本研究の成果等を中心に約1万冊の蔵書を有する[5]。CiNii Booksでは蔵書のうち823件の書誌データを閲覧できる[6]。以前は図書室に司書が勤務していたが、西海真樹館長の在任期間中、館の経済的理由から解雇された[7]

館長経験者

[編集]

出典・脚注

[編集]
  1. ^ a b c 日本館案内”. Maison du Japon. 2013年12月6日閲覧。
  2. ^ 入居資格と滞在期間”. Maison du Japon. 2013年12月6日閲覧。
  3. ^ 生活環境”. Maison du Japon. 2013年12月6日閲覧。
  4. ^ a b c d e 田辺裕 (1993年10月16日). “スペクトル パリ日本館 金策の記「暗く貧しい」と同情のわが館”. 朝日新聞・夕刊: p. 15 
  5. ^ 奈良橋敏郎『フランスの大学都市と国立図書館を訪ねて: 海外研修報告』2008.3
  6. ^ CiNii Books 検索 - FA027532”. 2024年5月3日閲覧。
  7. ^ 西海真樹「パリ国際大学都市日本館館長の日々(上)」『白門』第75号秋号(通巻856号)、2023年9月、31頁
  8. ^ 倉田保雄夏目漱石とジャパノロジー伝説:「日本学の父」は門下のロシア人・エリセーエフ』近代文芸社、2007年、7頁https://books.google.co.jp/books?id=qD65dUfG2awC&pg=PA7&lpg=PA7&dq=パリ%E3%80%80日本館%E3%80%80館長&source=bl&ots=ujKRNdcDEw&sig=4RyGnoLHrr_7QWBJiARWW0fmmNs&hl=ja&sa=X&ei=wI2hUvi-NobckQXq4YGYBA&redir_esc=y#v=onepage&q=パリ%E3%80%80日本館%E3%80%80館長&f=false2013年12月6日閲覧 
  9. ^ IIS NEWS ☆生研職員海外渡航状況☆」『生産研究』第11巻第3号、東京大学生産技術研究所、1959年3月1日、ISSN 0037105X2022年6月20日閲覧 
  10. ^ 高見進小山昇教授の経歴と業績」『北大法学論集』第31巻3-4下、北海道大学、1981年3月25日、477頁、ISSN 03855953NAID 1200009578602021年9月1日閲覧 
  11. ^ 高木英明「相良惟一教授の生涯と業績(VI 故相良惟一教授追悼論文)」『日本教育行政学会年報』第13巻、日本教育行政学会、1987年、260-272頁、doi:10.24491/jeas.13.0_260ISSN 0919-8393NAID 110009590566 
  12. ^ 相良惟一 著、相良惟一先生遺稿集編集委員会 編『国家と教育――相良惟一先生遺稿集』教育開発研究所、1988年4月15日、621頁。 
  13. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『森有正』 - コトバンク
  14. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『小林善彦』 - コトバンク
  15. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『戸張智雄』 - コトバンク
  16. ^ 久米あつみ追悼 新倉俊一先生」『帝京国際文化』第16号、2003年2月、NAID 1200059455412021年9月1日閲覧。「… 1980年から82年まではパリ国際大学都市日本館館長を勤められている。」 
  17. ^ 当センター代表小堀巖先生(国連大学上席学術顧問)による「サハラに学ぶ」講演と、ドキュメンタリーフィルム「インベルベルの日本人」上映”. 日本 - アルジェリアセンター. 2013年12月6日閲覧。
  18. ^ 大学セミナーハウス館長 鈴木 康司(Suzuki Koji)プロフィール”. 八王子セミナーハウス. 2013年12月6日閲覧。
  19. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『岩崎力』 - コトバンク
  20. ^ 小林, 2010, p.407.
  21. ^ 【お知らせ】 座談会を行いました!「ユネスコスクールとの出会い」”. 日本ユネスコ協会連盟. 2013年12月6日閲覧。
  22. ^ 奈須紀幸 (1999). “海に魅せられて半世紀 (XLII 42)” (PDF). JAMSTEC (海洋科学技術センター) 11 (2): 10. http://www.godac.jamstec.go.jp/catalog/data/doc_catalog/media/JAM11-2_all.pdf 2014年6月13日閲覧。. 
  23. ^ 教員紹介 篠田勝英 教授(学科長)”. 白百合女子大学. 2013年12月6日閲覧。
  24. ^ “文学部フランス文学科西澤教授 パリ日本館より近況報告!!”. AGUニュース (青山学院大学) (17). (2003年). http://www.aoyama.ac.jp/agunews/archive/vol_17/topi_2.html 2013年12月6日閲覧。 
  25. ^ 牛場暁夫 研究者 Read & Researchmap”. 国立情報学研究所. 2013年12月6日閲覧。
  26. ^ 中央大学研究者情報デーラベース 研究者プロフィール 永見文雄”. 中央大学. 2013年12月6日閲覧。
  27. ^ 平成25年度 日仏文化学院理事会”. 日仏文化学院. 2013年12月6日閲覧。
  28. ^ 新潟大学研究者総覧 研究者詳細 寺尾仁”. 新潟大学. 2013年12月6日閲覧。
  29. ^ 教員紹介 佐野泰雄教授”. 一橋大学. 2013年12月6日閲覧。
  30. ^ 【フランス文化講演シリーズ(第251回)】パリ国際大学都市日本館の現状と未来”. 日仏会館. 2013年12月6日閲覧。
  31. ^ 青山学院女子短期大学 研究者情報”. 青山学院女子短期大学. 2015年2月26日閲覧。
  32. ^ 2014年4月、大野芳材教授がパリ国際大学都市の日本館館長に就任”. 青山女子短期大学. 2015年2月26日閲覧。
  33. ^ 中央大学 研究者情報データベース”. 中央大学. 2015年5月4日閲覧。
  34. ^ 日仏文化学院パリ日本人学校令和元年度 日仏文化学院理事会”. 日仏文化学院. 2019年9月1日閲覧。
  35. ^ 西海真樹「パリ国際大学都市日本館館長の日々(上)(下)」『白門』秋号2023年度/春号2024年度。

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]