藤原道信
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藤原道信朝臣(『小倉百人一首』より) | |
時代 | 平安時代中期 |
生誕 | 天禄3年(972年) |
死没 | 正暦5年7月11日(994年8月20日) |
官位 | 従四位上、左近衛中将 |
主君 | 花山天皇→一条天皇 |
氏族 | 藤原北家九条流 |
父母 |
父:藤原為光、母:藤原伊尹の娘 養父:藤原兼家 |
兄弟 | 誠信、斉信、藤原義懐室、忯子、長信、尋光、道信、公信、寝殿の御方、儼子、穠子、良光、藤原隆家室、安芸守家平室 |
妻 | 正室:藤原遠量の娘[1] |
藤原 道信(ふじわら の みちのぶ)は、平安時代中期の貴族・歌人。藤原北家、太政大臣・藤原為光の三男。官位は従四位上・左近衛中将。中古三十六歌仙の一人。
経歴
[編集]一条朝初頭の寛和2年(986年)摂政になったばかりの伯父・藤原兼家の養子として淑景舎にて元服して、従五位上に直叙され、同年侍従に任ぜられる。寛和3年(987年)正五位下・右兵衛佐、永延2年(988年)従四位下・左近衛少将、正暦2年(991年)左近衛中将に叙任されるなど武官を歴任。この間の永祚2年(990年)養父・兼家を、正暦3年(992年)実父・為光を相次いで喪っている。
正暦5年(994年)正月には従四位上に叙されたが、同年7月11日卒去。享年23。
人物
[編集]非常に和歌に秀で、奥ゆかしい性格と評されたという[2]。懸想し恋文を贈った婉子女王(為平親王の娘)が藤原実資に嫁してしまった後に詠んだ和歌が『大鏡』に伝わる[3]。また、藤原公任・藤原実方・藤原信方らと親しかった。『拾遺和歌集』(2首)以下の勅撰和歌集に49首が入首している[4]。家集に『道信朝臣集』がある。
官歴
[編集]『中古歌仙三十六人伝』による。
- 寛和2年(986年) 10月21日:従五位上。11月10日:侍従。
- 永延元年(987年) 9月4日:右兵衛佐。10月14日:正五位下
- 永延2年(988年) 正月29日:左近衛少将。3月25日:従四位下
- 永延3年(989年) 正月29日:兼近江介。3月4日:兼但馬権守
- 正暦2年(991年) 9月21日:左近衛中将
- 正暦3年(992年) 正月30日:兼美濃権守
- 正暦5年(994年) 正月12日:従四位上(近衛府労)。7月11日:卒去