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近鉄1600系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
近鉄1800系電車から転送)
共通事項
基本情報
製造所 近畿車輛
主要諸元
軌間 1,435 mm
電気方式 直流1,500 V
架空電車線方式
最高運転速度 1984年以前:100 km/h
1984年以降:110 km/h
車体長 20,720 [1] mm
全高 4,150 [1] mm
車体 普通鋼
駆動方式 WNドライブ
制御装置 日立製作所
制動装置 電磁直通ブレーキ (HSC-D) [1]
抑速制動は省略)
保安装置 近鉄型ATS列車選別装置列車無線装置
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近鉄1600系電車(きんてつ1600けいでんしゃ)とは、近畿日本鉄道(近鉄)が保有していた一般車両(通勤形電車)である。本項では1800系電車1810系電車、救援用電動貨車モワ50形電車も併せて記述する。

解説の便宜上、宇治山田鳥羽側先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述(例:モ1601以下2両編成=1601F)する。

概要

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1957年に登場した南大阪線用一般車6800系WN駆動方式・片側4扉20 m級車体を採用して急増する南大阪線沿線の通勤輸送に絶大な効果を発揮したが、名古屋線においては既に標準軌化工事が計画されていたため20 m級車体ながら吊り掛け駆動方式・片側3扉とされた6441系が5編成投入されたのみであった。

しかし、1959年に発生した伊勢湾台風による冠水・路盤流出といった大災害からの復旧工事と合わせて急遽繰り上げ実施された改軌工事とそれに関連した線路強化によって、名古屋線・神戸線でも大阪線・山田線と同等の20 m級大型車が直通運転可能となった。この改良工事で最大の恩恵を受けたのは名阪間を直通する甲特急であったが、一般車にもその恩恵はもたらされ、16 m級から19 m級の種々雑多な中型車が運用されていた名古屋線に、20 m級4扉車体を備えるWNドライブ車の開発が決定され、名古屋線に新製配置が開始された。それが1600系である[1][2]1600系に続き、改良増備型の1800系1810系も登場している。

これらはラッシュ時輸送に絶大な威力を発揮したが、その新製ペースは遅く1959年から1966年までの8年間に41両が製作されたに留まり、1966年から1970年にかけて製造された1800系(計10両)や1810系(計43両)、1979年製造のサ1970形(計2両)を合わせても94両の製造に留まった。しかし、名古屋線には大阪線ほどの長距離急勾配区間は擁していないために発電制動抑速制動が省略され(HSC-Dなのに発電制動が省略されるのは大変珍しい)、名古屋統括部管内での限定運用を強いられたことから1990年代後半から順次新型車への代替が進行した。

1600系

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近鉄1600系電車
1987年 鳥羽
主要諸元
編成 2両編成(Tc - Mc)
4両編成(Tc - Mc - T - Mc、1988年まで)
車体幅 2,740[1] mm
車体高 冷房改造後:4,037 mm[3]
新造時:3,990 [1][3] mm
台車 Mc車:KD-36A/KD-30B/KD-51B[1][3]
Tc車:KD-36B/KD-30C/KD-51C[1][3]
主電動機 MB-3020D[1][3]
主電動機出力 125 kW[1][3]
歯車比 82:15[2] (5.47)
制御装置 VMC-HTB-10A[1][3]
備考 電算記号:R
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1959年に登場した名古屋線初の高性能通勤車[1]。同線改軌後初の新形式でもある。車体は南大阪線6800系ラビットカーの近鉄標準スタイルを踏襲し、名古屋線初の片側4扉車となり、当時の近鉄社内では名古屋ラビットと呼ばれていた[4]。電算記号(他鉄道事業者の編成番号に相当)が「R」だったのはこれに由来している。車体塗装はクリーム色に青帯をあしらった当時の高性能車標準色で落成した[1]

基本編成は近鉄名古屋寄りからTc+Mcの2両編成で、初回製造分は5編成10両が投入された[2]。なお、1961年製造の2次車まではク1600形(偶数)とモ1600形(奇数)を名乗ったが、1963年増備の3次車に合わせてク1600形はク1700形に改番された[2]

増備車

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1961年に基本編成が4本(1606F - 1609F)増備され[2]1963年から1964年には基本編成が6本(1610F - 1615F)と増結用の単独Mc車モ1650形が5両(モ1651 - モ1655)[2]1965年から1966年にはモ1650形4両(モ1656 - モ1659)と単独Tcク1750形2両(ク1751・ク1752)がそれぞれ製造された[2]。その後、長距離急行や団体専用列車運用に対応するために、1967年に大阪線よりトイレ付きの1480系ク1580形3両(ク1581 - ク1583)を改番・編入してク1780形となったが[1]1973年にモ1601 - モ1603とク1780形の運転台を撤去してク1780形は付随車化されてサ1780形となり[1]、1601F - 1603Fやモ1655 - モ1657と4両編成を組成した[5]

最終的に本系列として在籍した車両は44両となる[1]。1次車ではファンデリアと扇風機が併用されていたが、2次車以降では扇風機のみとなった。

主要機器・性能

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駆動装置はWNドライブで、主電動機三菱電機MB-3020D (125 kW) 、制御装置日立製作所製超多段式VMC-HTB-10A(モーター4台制御)[* 1]電動車に搭載した[1][3]

台車近畿車輛金属ばね台車であるが、製造時期によっては新造品のKD-36系とKD-51系、10100系の台車交換によって捻出された台車を金属ばね化して流用したKD-30系を装着する車両が混在する[1][3]

集電装置はMc車連結側に1台装備した[5]

ブレーキ(制動)方式はHSC-D電磁直通ブレーキである[3]。空気圧縮機はモ1600形とモ1650に、補助電源装置はモ1600形(モ1610 - モ1615は除く)とモ1650形、ク1700形(ク1710 - ク1715のみ)に搭載した[3]運転台連結器密着形であるが、当初、電気連結器は搭載されていなかった。

車両性能は最高速度110 km/hを確保した[* 2]

改造

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肌色・青帯の塗装で登場した初・中期車は1965年からマルーンレッド1色に変更された。また、1次車のファンデリアが撤去されている。

1982年6月1日実施の京都線急行の朝ラッシュ時5連化(新田辺駅 - 京都駅間)[* 3]に伴い、増結用単独Mc車が必要となったためモ1651 - 1654が連結面簡易運転台取付け・連結器高さ変更などの改造を受け、京都線に転属した[1]。その後、京都線での奇数編成の需要減と、大久保駅のホーム長制約が高架化で解消されたことから、モ1651・1652は救援車モワ51モワ52、モ1653は五位堂検修車庫の入替車、モ1654は高安検修センターの入替車に改造された。なお、モ1654は2016年16200系と同様の車体塗装に変更されている[6]

1982年から1964年製3次車1610F以降の冷房化と車体更新が行われ[1]、車体の内外装材交換・方向幕設置、モ1656形 - モ1659形はク1750形や1800系 ク1950形と固定編成化された[* 4][5]

廃車

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1次車、2次車1601F - 1609Fとモ1655、サ1780形の全車は冷房改造・車体更新の対象外となり、1988年より順次廃車された[1]1992年から1994年にかけて1615F・モ1650形(モ1656 - モ1659)・ク1750形は狭軌化改造の上、養老線(現・養老鉄道)に転出し[1][7]、名古屋線に残った編成は1997年までに全車廃車され、系列消滅した[1]。その後、制御装置がモト94・96の機器更新用として転用された。

1800系

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近鉄1800系電車
養老線転出後の姿 (元ク1902)
主要諸元
編成 2両編成(Tc - Mc)
3両編成(Tc + Tc - Mc)
車体幅 2,709[8] mm
車体高 新造時:3,990 mm[8][9]
冷房改造後:4,037 [9] mm
台車 KD-60B形・KD-60C形[8][9]
主電動機 MB-3110A[8][9]
主電動機出力 155 kW[8][9]
歯車比 4.61[9]
制御装置 抵抗制御
型式:MMC-HT10E[8][9]→MMC-HTB-10E
備考 電算記号:H
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1966年1600系の増備型として登場[8]。主電動機の出力が1600系の125 kWに代わり高出力の155 kWとなった[10]。編成はMc-Tcの2両編成4本8両と、1M2T編成を当初から想定していたため増結用ク1950形2両があった。翌年にはラインデリア装備の1810系に移行したため、計10両の製造にとどまった。電算記号はH

車体

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車体関係は先に製作された大阪線向け2470系2400系を基に各線で定められた車体共通規格が採用され、貫通路は広幅に、車内見付の見直しなどの改良が行われている。塗装はマルーンレッド一色を採用している。

主要機器・性能

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主電動機は出力155 kWのMB-3110Aが採用され[8][10]主制御器は直並列制御の多段式MMC-HT10E(モーター4台制御)となっている[8][9]台車近畿車輌製KD-60系金属ばね台車を採用し、ブレーキ(制動)方式はHSC-D型である[8][9]空気圧縮機はモ1800形に、電動発電機はク1900形に搭載し、パンタグラフはMc車連結側に設置され[9]、Tc-Mcの重量の均等化を図っている。

性能面は1M1T編成においては2400系と同一の走行性能を有して最高速度110 km/hを確保する一方[* 2]、1M2T編成においては1両当たりの出力は200 kW余りで高速性は名古屋線旧型車のMT比1:1編成並みに留まった[* 5]

改造

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1979年から冷房化が順次開始され[8][10]、同時に方向幕取付やパンタグラフの2基搭載、1804Fは下枠交差型のPT-48型に交換された。1984年からは車体更新が施工され[8]、停止用電気制動の追設、主制御器が制動転換器付のMMC-HTB10Eに変更されたほか、増結用のク1950形は1988年の冷房改造と車体更新の際に1600系モ1650形と固定編成化された[8]

廃車

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後に1800系は養老線車両高性能化のため、1992年から1994年にかけて狭軌化の上、600系610系に編入されて全車両養老線に転属し[8][7]、系列消滅した。その際、余剰発生品となった主電動機台車モト97・98の機器更新用として転用された[11]

1810系

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近鉄1810系電車
(伏屋駅にて)
主要諸元
編成 2両編成(Tc - Mc)
3両編成(Tc - T - Mc)
編成定員 340人(2両)
530人(3両)
車両定員 170人(先頭車)
190人(中間車)
自重 Mc:40.0 tまたは40.5 t
Tc:32.5 tまたは33.0 t
T:30.5 t
車体高 新造時:3,885 mm[12]
冷房改造後:4,032 [9] mm
台車 Mc車:KD-65[12][9]
T車:KD-65A/KD-87A[9]
Tc車:KD-65A/KD-32G[12][9]
主電動機 MB-3110A[12][9]
主電動機出力 155 kW[12][9]
歯車比 4.61[9]
制御装置 抵抗制御
型式:日立製作所製NMC-HT-10R[9]→NMC-HTB-10B[12]
備考 電算記号:H
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1800系にラインデリアを装備した系列で、1967年に登場した[12][10][13]1800系の限界設計をさらに進め1M2T固定編成を標準とした[12][10]。初回製造分は3両編成5本と2両編成4本の23両が投入され、1979年までに43両が製造された[14]。電算記号はH[15](H11 - H27)。

増備車

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1968年にサ1966、1969年にサ1967が製造されて1816F・1817F[10]1979年にサ1970形が製造されて1826F・1827Fが3両固定編成化された[12][10]1970年製の1823FからはA-A基準を採用し、車体の難燃性を強化したほか、側面に列車種別表示灯がつけられた[16]

大阪線との車両転配を円滑にするため、1977年以降は大阪線・名古屋線共通設計仕様の2800系が名古屋線にも新製配備され、これが「1810系の増備車」の役割を兼ねる形となった。なお、2800系に相当する1810系の機器構成を踏襲した新製冷房車は2800系 サ2950形サ2966・サ2967と同一仕様で製造されたサ1970形を除けば、登場しなかった[* 6]

編成

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← 近鉄名古屋
Tc
ク1910形
Mc
モ1810形

車体

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基本的な車体デザインは1800系に準ずるが、ラインデリア取り付けの関係上、屋根が1800系より120 mm低いレール面から3530 mmとなり、側面の腰板高さは850 mm、窓框は900 mmとされ[12]、連結面の貫通路も狭幅に変更された。前面尾灯形状も変更されている。1979年に製造されたサ1970形では製造時から冷房装置を搭載しているため、車体断面は2800系に準じており、座席も2800系8600系と同一の座面の低いものに変更されている。

主要機器・性能

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性能面は1800系と同等で[* 2]、駆動装置や主電動機制動方式を含む補機類の配置も同系に準拠する。制御装置は低圧回路にトランジスタ磁気増幅器を用いて継電器のほとんどを無接点化した日立製作所製NMC型(モーター4台制御)で電動車に搭載した[12][9][13]。集電装置はモ1810形モ1811 - モ1813・モ1826・モ1827に2基搭載されたが、1826F・1827Fは下枠交差型に変更された。台車は1811F - 1827Fとサ1960形は近畿車輛製KD-65(電動台車)およびKD-65A(付随台車)で、サ1970形のみ近畿車輛製KD-87Aで、いずれも車体直結型シュリーレン式の空気ばね台車となっている[12]

改造

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冷房化とパンタグラフの交換

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1979年から1982年にかけて冷房化が行われ[13]、1814F・1824F・1825Fのパンタグラフが1826F・1827Fと同様の下枠交差型に交換された[* 7]

編成両数の減車と組成変更と編入

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1000系の高性能化時にク1910形ク1924・ク1925が1000系ク1100形ク1101・ク1102(旧1200系ク1300形ク1301)、ク1910形ク1912 - ク1917が1000系ク1100形ク1103 - ク1107・ク1108(元ク1102)と車番交換の上で振り替え[10][13]、1812F - 1817Fがそれぞれ中間からサ1960形サ1962 - サ1967を抜いて2両固定編成6本に短縮し、それぞれ1812F - 1817Fから外されたサ1960形サ1962 - サ1967が電装の上でモ1050形モ1053 - モ1058に改番が行われ、1000系1003F - 1007F・1008F(元1002F)に編入されたが[12][13][17]、他のM車とは前後逆の窓配置の3両固定編成に組成変更したことから、3両編成車とは異なる特徴を持つこととなった。この内、1825Fはク1910形ク1925と車番交換の上で振り替えた製造当初より冷房装置付きで製造された1000系ク1100形ク1102(旧1200系ク1300形ク1301)と編成を組んだために両先頭車で車体断面の異なる2両固定編成に短縮した。

以上の改造に伴う車番交換と改番は以下の通り[18]

  • ク1910形 ⇔ ク1100形
    • ク1924・ク1925・ク1913 - ク1917・ク1912 ⇔ ク1101・ク1102(旧1200系ク1300形ク1301)・ク1103 - ク1107・ク1108(元ク1102)
  • サ1960形 → モ1050形
    • サ1963 - サ1967・サ1962 → モ1053 - モ1058

この改造により、1810系は2両固定編成8本の陣容となった[12][13]

1991年に1811Fが中間からサ1960形サ1961を抜いて2両編成に短縮し、1826F・1827Fがそれぞれ中間からサ1970形サ1976・サ1977を抜いて元の2両編成に戻し、1811Fから外されたサ1960形サ1961が2430系2443F、1826F・1827Fから外されたサ1970形サ1976・サ1977が2430系2444F・2445Fの中間車として組み入れられ、4両固定編成3本に組成変更したが、最小限に改造の上で改番が省略された[13]。この内、製造当初より冷房装置付きで製造されたサ1970形サ1976・サ1977は2430系2444F・2445Fの中間車として組み入れられたために車体断面の異なる4両固定編成2本に組成変更した。これにより、1810系は2両固定編成と2両編成計17本と付随車3両の陣容となった[12][13]。しかし、2006年11月から2007年4月にかけてサ1960形サ1961が2430系2443F、サ1970形サ1976・サ1977がそれぞれ2430系2444F・2445Fから外され、サ1970形サ1976がサ1960形サ1961と交換されて2430系2443F、サ1970形サ1977がサ1550形サ1553を抜いて元の3両編成に戻していた2430系2433Fの中間車として組み入れられ、引き続き車体断面の異なる4両固定編成を組成した[19][20]

車体更新

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1985年から1991年にかけて1811F - 1827Fに車体前面および側面の方向幕および運転台の発電ブレーキ設置を中心とする車体更新[13]、1999年にサ1970形に車体更新が行われた。

B更新

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1996年から2000年にかけて1811F・1818F - 1823F・1826F・1827F・モ1810形モ1812 - モ1817に2回目の車体更新(B更新)が行われた。1998年以降のB更新車では乗降口の雨樋取付と乗降扉床面のノンスリップ化が行われた。なお、ク1910形ク1912 - ク1917(旧1000系ク1100形ク1103 - ク1107・ク1108(元ク1102))と1824F・1825FにはB更新が行われていない。

車体連結部の転落防止幌設置

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2007年12月から2013年2月にかけて1822F・1823F・1826F・1827F・サ1970形サ1976・サ1977に車体連結部の転落防止幌設置が行われた。

廃車

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抑速ブレーキは装備されず、先述のように運用が限定されていること、名古屋線では2002年3月20日のダイヤ改正で近鉄蟹江駅の急行停車化に伴い、日中の四日市行き準急と富吉駅折り返しの普通列車の運行本数が大幅削減で減少したことから、余剰となる車両が発生した。また、養老線に転出しても使える期間が短いこと、ク1910形ク1912・ク1924・ク1925(旧1000系1001F・1002F(旧1200系1201F)・1008F(元1002F))の台車の老朽化が進行したことから、先述の1000系の高性能化による旧ク1910形ク1912 - ク1917・ク1924・ク1925の車番交換と元サ1960形サ1962 - サ1967の改番を除き、まず2002年5月から2004年6月にかけて1812F - 1817F・1824F・1825Fが廃車となっており、この時点で1000系ク1100形(ク1100形ク1102は旧1200系ク1300形ク1301)と車番交換の上で振り替えた車両は全廃となった。続いて2005年2月から2008年9月にかけて1811F・1818F - 1821F[19][20][21]、先述の編成両数の減車時に2430系2443Fから外されたサ1960形サ1961[19]、大阪線向け2800系2両編成車の転属で置き換える形で2013年7月に1822F・1823F[22]が廃車となっており[12]、この時点で残る1826F・1827Fの4両は富吉検車区、サ1970形サ1976・サ1977の2両は高安検車区に配置されている[23]。名古屋線においては1000系と同様に最古参系列となっている。

既に廃車された1811F・1820F・1822F・1823Fは富吉検車区、1812F - 1819F・1821F・1824F・1825Fは明星検車区[20][22]、サ1960形サ1961は高安検車区に配置されていた[19]。なお、1998年時点で2両編成車は全て明星検車区に配置されていた[24]

運用

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登場時

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登場当時は名古屋線・神戸線→鈴鹿線山田線で、直通の長距離急行から普通列車まで使用されていた。1964年湯の山線の改軌以降や1970年鳥羽線開業と志摩線の改軌後は、この3線でも運用されるようになり、1975年の大阪線全線複線化後は急勾配と曲線を緩和した新線に切り替えた東青山駅 - 伊勢中川駅間でも運用された。後年のワンマン運転化や車両運用見直しで鈴鹿線や湯の山線、志摩線、大阪線東青山駅以東の定期運用からは撤退した。

京都線

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増結用として京都線に転属したモ1650形モ1651 - モ1654は本来の5両編成運用の他にも、2両固定編成や3両固定編成に1両・2両連結した3両・4両編成を組成することもあり、この場合は京都線の新田辺以南や橿原線天理線奈良線大和西大寺駅 - 近鉄奈良駅間でも運用していた(電気制動が省略されたため、奈良線の大和西大寺以西には入線不可能)。

現在の運用

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  • 1810系1826F・1827F

名古屋線系統において急行の増結編成や準急・普通列車として運用されている。併結車両は特に限定されていないが、2編成しか残っておらず、準急や普通列車よりも6両編成の急行運用が多くなっている。

2017年2月26日には残る2編成を用いた団体貸切列車が運転され、客扱い区間の桑名駅 - 中之郷駅伊勢石橋駅間では特製のヘッドマークが掲出されて運転された[25]

モワ50形

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モワ10形モワ15・モワ16の置き換えのため[26]1990年1600系モ1651・モ1652を救援用電動貨車に改造して登場した形式[27]。名古屋側からモワ51ーモワ52の2両編成を組む[27]。車体外観は冷房装置の有無とシルキーホワイト・マルーンレッドの塗装を除けば、1600系時代と同様である[27]。台車は金属ばねであるが、KD-51BからKC-30Bに取り替えられている[26]。またモワ52(旧・モ1652)は方向転換された[26]。パンタグラフは、そのままでは両車のものが極端に近接することから、モワ52のものを連結面寄から運転台寄に移設している[26]。そのため、両車とも宇治山田側に菱形式を1基ずつ搭載している[27]。また、増結用のためにあった簡易運転台側の標識灯は撤去された(車庫内入換時の単車走行は可能)[26]。最大積載量は10 tである[26]。連結器高さは両車とも運転台側が880 mm、連結面側が増結車として使用されていた当時の800 mmのままである[26]

明星検車区に配置されていた[27]

2000年11月10日付で廃車となり[28]、現存しない。

参考文献

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脚注

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注釈

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  1. ^ 小田急2400形電車(主制御器は1C8Mの三菱ABFM)と同年の登場であり、ともに日本で初めてバーニヤスイッチによる超多段抵抗制御を採用し搭載した車両である。
  2. ^ a b c 1984年までは遅延回復時を除き名古屋線内では100 km/hで運転。
  3. ^ 京都線の急行は1982年3月18日より6両編成の運転を大久保駅でのドアカットを実施した上で開始したが、同駅前後の踏切を支障する問題があったため、5月31日に一旦廃止され、翌6月1日より5両編成に短縮された。なお、京都線急行の6両編成運転は1987年12月6日に再開している。
  4. ^ 1986年11月1日時点ではク1751・ク1752は冷房改造が行われておらず、モ1658・モ1659と暫定的な2両編成を組成していた[5]
  5. ^ 翌年に登場した1810系と同時期に同じ1M2T編成で量産化された国鉄711系電車の起動加速度は、機関車牽引の客車列車を上回る程度の1.0 km/h/s(後年1.1 km/h/sへ引き上げ)であった。国鉄213系電車も当初は1M2T編成であったが起動加速度は711系よりも若干高かった。一方、105系電車も1M2T編成での運用が可能だが、実際は登場時よりその編成で使用されたことはない。
  6. ^ 名古屋線に直接投入された新製冷房車では2800系やサ1970形の他に元1200系1201Fであった1000系1002Fや2000系が存在するが、前者は車体こそ本形式をベースとしているが走行機器は吊り掛け駆動車であり、同編成の高性能化後もTc車の台車形式を除けば、共通点がほとんど無いこと、後者は主電動機の型式や編成形態から1480系・2470系や2680系に近く、1810系とは日立製作所製制御装置を搭載した抵抗制御車という点でしか共通点がない。
  7. ^ この3編成は連結側1基のみが搭載されている。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 三好好三『近鉄電車』 p.164
  2. ^ a b c d e f g 飯島・藤井・井上『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.102
  3. ^ a b c d e f g h i j k 飯島・藤井・井上『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.168-169
  4. ^ 鹿島雅美『日本の私鉄31 近鉄II』(カラーブックス)、保育社、1983年、P107。ISBN 4-586-50622-9
  5. ^ a b c d 飯島・藤井・井上『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.157
  6. ^ 『きんてつ鉄道まつり2016in五位堂・高安』開催 交友社『鉄道ファン』railf.jp 2016年10月30日掲載
  7. ^ a b 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』p.80-81
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n 三好好三『近鉄電車』 p.165
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 飯島・藤井・井上『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.166-167
  10. ^ a b c d e f g h 飯島・藤井・井上『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.100
  11. ^ 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』p.98-99
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 三好好三『近鉄電車』 p.167
  13. ^ a b c d e f g h i 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』p.53
  14. ^ 飯島・藤井・井上『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.85
  15. ^ 三好好三『近鉄電車』 p.229
  16. ^ 大手私鉄サイドビュー図鑑 近鉄通勤車(下). イカロス出版株式会社. (2022年9月30日). pp. 38,39 
  17. ^ 飯島・藤井・井上『復刻版 私鉄の車両13 近畿日本鉄道II』p.99
  18. ^ 交友社鉄道ファン』2018年2月号 Vol.58/通巻682号 柴田東吾「機器流用車の現状 大手私鉄後編」p.88 - p.93
  19. ^ a b c d 『鉄道ファン』2007年9月号 交友社 「大手私鉄車両ファイル2007 車両配置表&車両データバンク」
  20. ^ a b c 『鉄道ファン』2008年9月号 交友社 「大手私鉄車両ファイル2008 車両配置表&車両データバンク」
  21. ^ 『鉄道ファン』2009年9月号 交友社「大手私鉄車両ファイル2009 車両配置表&車両データバンク」
  22. ^ a b 『鉄道ファン』2014年8月号 交友社 「大手私鉄車両ファイル2014 車両データバンク」
  23. ^ 交友社鉄道ファン』2019年8月号 Vol.59/通巻700号 付録小冊子「大手私鉄車両ファイル2019 車両配置表」(当文献にページ番号の記載無し)
  24. ^ 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』p.145
  25. ^ 近鉄で『1810系重連満喫ツアー』開催 交友社『鉄道ファン』railf.jp 2017年2月27日掲載
  26. ^ a b c d e f g 『鉄道ピクトリアル』1991年10月臨時増刊号、191頁
  27. ^ a b c d e 諸河久・山辺誠『日本の私鉄 近鉄2』p.96-97
  28. ^ 『鉄道ピクトリアル』2001年10月臨時増刊号、183頁

関連項目

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外部リンク

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