門脇勝太郎
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門脇 勝太郎(かどわき かつたろう、1898年(明治31年)10月18日[1] - 1969年(昭和44年)11月19日[2])は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]鳥取県[2]東伯郡倉吉町越中町(現倉吉市越中町[3])で資産家、酒造業[4]の門脇猪蔵の長男として生まれる[5]。早稲田大学政治学科卒[1][注 1]。
「菊水」の銘柄で酒造業を営む[5][4]。その他、大東京小売市場組合主事、東京婦人子供服小売商業組合理事長、東京都繊維製品統制理事、全国繊維製品小売商連合会理事長、全国衣料品小売商協会理事長、全装商事社長、日本洋装協会会長、中央技能検定協会理事などを務めた[2][5][3]。
1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙に鳥取県全県区から民主自由党公認で出馬して当選し[3][6]、衆議院議員に1期在任した[2]。
1969年(昭和44年)11月19日死去、71歳。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈、正五位に叙される[7]。
国政選挙歴
[編集]- 第22回衆議院議員総選挙(鳥取県全県1区、1946年4月、日本自由党公認)落選[8]
- 第23回衆議院議員総選挙(鳥取県全県区、1947年4月、日本自由党公認)落選[9]
- 第24回衆議院議員総選挙(鳥取県全県区、1949年1月、民主自由党)当選
- 第25回衆議院議員総選挙(鳥取県全県区、1952年10月、自由党)落選[6]
- 第26回衆議院議員総選挙(鳥取県全県区、1953年4月、自由党)落選[6]
- 第28回衆議院議員総選挙(鳥取県全県区、1958年5月、無所属)落選[6]
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『人事興信録 第15版 上』カ29頁では「早稲田大学政経科に学ぶ」と記載。
出典
[編集]- ^ a b 『大衆人事録』第19版、東京篇、帝国秘密探偵社、238頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』176頁。
- ^ a b c 『鳥取県大百科事典』183頁。
- ^ a b 『陰陽八郡郡勢一斑』東伯郡70頁。
- ^ a b c 『人事興信録 第15版 上』カ29頁。
- ^ a b c d 『国政選挙総覧 1947-2016』299頁。
- ^ 『官報』第12882号15-16頁 昭和44年11月24日号
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』1293頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』419頁。
- ^ 人事興信所編『人事興信録』第8版、人事興信所、1928年、ハ31頁。
- ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年、361頁。