阿部助哉
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阿部 助哉(あべ すけや、1914年(大正3年)9月14日[1] - 1995年(平成7年)4月22日[1])は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員(5期、日本社会党)。
経歴
[編集]新潟県出身[1][2]。1938年(昭和13年)早稲田大学専門部法律科を卒業[1][2]。卒業後は中国に渡り1943年(昭和18年)北支新民会中央総会参事に就任した[1][2]。
帰国後は、新潟労働基準局職員、電源開発社員、国会議員秘書などを務めた[1][2]。全日農北蒲原郡協議会の創立に参画し事務局長となり、全日農役員も務めた[2]。1963年(昭和38年)新潟県議会議員に当選した[1][2]。
1967年(昭和42年)の第31回衆議院議員総選挙で新潟県第2区から日本社会党公認で立候補して初当選[1][2]。以来、通算5期務める[1][2]。この間、社会党物価政策副委員長、同政審財政金融政策副委員長などを務めた[2]。農業政策を専門とし衆議院予算委員会などで活躍[1]。1983年(昭和58年)の第37回総選挙には出馬せず[3]、政界を引退した。1995年4月22日死去、80歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈(勲八等からの昇叙)、従四位に叙される[4]。
国政選挙歴
[編集]- 第31回衆議院議員総選挙(新潟県第2区、1967年1月、日本社会党公認)当選[5]
- 第32回衆議院議員総選挙(新潟県第2区、1969年12月、日本社会党公認)当選[6]
- 第33回衆議院議員総選挙(新潟県第2区、1972年12月、日本社会党公認)当選[6]
- 第34回衆議院議員総選挙(新潟県第2区、1976年12月、日本社会党公認)落選[6]
- 第35回衆議院議員総選挙(新潟県第2区、1979年10月、日本社会党公認)当選[3]
- 第36回衆議院議員総選挙(新潟県第2区、1980年6月、日本社会党公認)当選[3]
著作
[編集]- 『高度成長政策との闘い』阿部経済研究所、1972年。
- 『黄砂にまみれて : ある特務機関員の青春』時事通信社、1986年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。