顕本寺 (桑名市)
顕本寺 | |
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所在地 | 三重県桑名市萱町74番地 |
位置 | 北緯35度03分22.8秒 東経136度41分27.8秒 / 北緯35.056333度 東経136.691056度座標: 北緯35度03分22.8秒 東経136度41分27.8秒 / 北緯35.056333度 東経136.691056度 |
山号 | 自栄山 |
宗旨 | 日蓮宗 |
創建年 | 不明 |
開山 | 不明 |
開基 | 不明 |
中興年 | 永正6年(1509年)[注 1] |
中興 | 円教院日意 |
正式名 | 自栄山 顕本寺 |
別称 | 鏡智堂 |
文化財 | 吉村又右衛門宣充墓、水谷九左衛門光勝墓(桑名市指定文化財) |
法人番号 | 2190005007937 |
顕本寺(けんぽんじ)は、三重県桑名市にある日蓮宗の寺院である。山号は自栄山[1][注 2]。旧本山は身延山久遠寺、莚師法縁(隆源会)。檀家には桑名藩士が多く、関連する墓が多数現存する。中でも、吉村又右衛門宣充、水谷九左衛門光勝の墓は桑名市指定文化財に指定されている[1]。
歴史
[編集]開創については不詳だが、かつては天台宗寺院で大泉寺と称し、桑名城三ノ丸にあった。のちに当時の藩主である本多忠勝の「慶長の町割り」と呼ばれる都市計画事業によって、現在地である萱町に移された[2]。
永正6年(1509年)[注 1]、身延山久遠寺第12世法主である円教院日意が上洛する際に当寺に滞在して布教した。その結果、当時の住職である実成は、日意に心服して弟子となり、当寺を顕本寺と改称、日意を中興第1世、自らは日相を名乗り第2世となった。この時、塔頭大泉院をはじめとして、僧坊は19院もあった[2]。
しかし、第5世日実の頃は衰退し、塔頭も大泉院ひとつだけになっていた。さらに、その頃起きた洪水によって、仏像、仏具類残らず全て流される。のちに大鳥居村(現・三重県桑名市多度町大鳥居)で仏像を得て持ち帰り、草庵を建てて祀った。この時、四日市代官であった水谷九左衛門光勝は、仏堂を再興し、日透( - 万治2年8月8日(1659年9月24日)[3])を招聘して第14世住職とした[2]。
その後、檀家であった桑名藩士の久松忠義は、吉村又右衛門宣充らの隣の土地を購入して当寺に寄付する。次いで、忠義の子である久松義重や吉村権左衛門宣秀らは堂宇を建立し、他の久松氏一族も各自宝物等を寄進した[2]。
文政3年(1820年)火災で類焼するが、天保6年(1835年)には本堂が再建された。この頃の境内は、表側南北に36間余、裏側南北に25間、東西に35間余であった。塔頭大泉院には、南柳院と実成坊という2院もあったが、後に廃絶された[2]。
昭和20年(1945年)7月に、太平洋戦争の空襲を受けて焼失、のちに再建されて現在に至る。当寺檀家には桑名藩士が多く、関連する墓が多数祀られ現在に至っている[2]。
境内
[編集]- 本堂
- 日蓮上人銅像 - 昭和9年(1934年)に皇紀2600年記念で建立。原型は岡徳太郎が制作、愛知県知多郡大府町(現・愛知県大府市)にて鋳造する[4]。
- 井上峨山景文墓 - 儒者。天保3年1月3日(1832年2月4日)没[5][6]。
- 井上残夢正矩墓 - 儒者。嘉永2年8月5日(1849年9月21日)没[7][8]。
- 井上竹陵政文墓 - 儒者。明治30年(1897年)4月5日没[9][10]。
- 岡本約斎秀堅墓 - 桑名藩儒官。嘉永3年11月21日(1850年12月24日)没[8][11]。
- 梶川弥左衛門正陳墓 - 桑名藩士。文久元年6月19日(1861年7月26日)没[7][12]。
- 小出善兵衛広高墓 - 桑名藩士。文久3年7月12日(1863年8月25日)没[11][12][13]。
- 成合桃斎洪墓 - 儒者。嘉永2年8月5日(1849年9月21日)没[8][14]。
- 西村迂直二平墓 - 大正5年10月22日(1916年10月22日)没[11]。
- 服部半蔵正重墓 - 桑名藩家老。慶安5年5月27日(1652年7月2日)没[14][15]。
- 服部半蔵正礼(服部日記)墓 - 桑名藩家老。文政7年8月4日(1824年8月27日)没[11][16]。
- 服部半蔵正啓墓 - 桑名藩士。文政8年2月18日(1825年4月6日)没[17][18]。
- 服部半蔵正義墓 - 桑名藩家老、軍人、政治家。明治19年(1886年)1月22日没[19]。
- 久松義路墓 - 嘉永2年4月16日(1849年5月8日)没[14]。
- 水谷九左衛門光勝墓 - 四日市代官。寛永7年12月12日(1631年1月14日)没[4][20]。詳細は文化財項目を参照。
- 宮部桑陰豊直墓 - 儒者。明治26年(1893年)1月8日没[10][21]。
- 吉村又右衛門宣充墓 - 桑名藩家老。慶安3年4月27日(1650年5月27日)没[21][22][23]。詳細は文化財項目を参照。
- 吉村将監宣光墓 - 桑名藩家老。延宝3年1月23日(1675年2月17日)没[17][24]。
- 吉村宣秀墓 - 桑名藩家老。元禄4年閏8月16日(1691年10月7日)没[14][25]。
- 吉村又右衛門宣徳(吉村静軒)墓 - 桑名藩家老、国学者。天保7年2月23日(1836年4月8日)没[26][27]。
- 吉村玄蕃宣洪墓 - 桑名藩家老。安政4年4月16日(1857年5月9日)没[14][28]。
- 吉村宣浚(東里翠山)墓 - 桑名藩家老、学者。慶応3年9月7日(1867年10月4日)没[7][29]。
文化財
[編集]桑名市指定史跡
[編集]- 水谷九左衛門光勝墓 - 昭和41年(1966年)11月22日指定。五輪塔の形式の墓で、水谷光勝の墓以外の2基も含めた3基で指定されている。向かって右端の五輪塔が光勝の墓で、空、風、火、水、地輪に渡って「南無妙法蓮華経」、地輪中央に「昌慶位」、地輪両側に「真如院逆修元和四暦戊午七月吉日」とあり、高さは128cm。
- 中央の五輪塔は光勝の妻の墓で、光勝の墓と同様に、空、風、火、水、地輪に渡って「南無妙法蓮華経」、地輪中央に「妙寿位」、地輪両側に「安立院逆修元和四暦戊午七月吉日」とある。
- 向かって左端の五輪塔は、当寺過去帳にも「古帳損□之故不分明」記載され、誰の墓にあたるかは不明。地輪に「浄智院澄月一栄位」、「寛永5年7月18日」とある。
- 光勝とその妻の墓にある「逆修」とは、生前に建てた墓ということをあらわす。二人の実際の没年月日は、光勝が寛永7年12月12日(1631年1月14日)、妻が寛永8年8月8日(1631年9月4日)である。建立日の元和4年(1618年)7月は、現存する当寺の墓碑の中でも最古にあたる[20]。
- 吉村又右衛門宣充墓 - 昭和41年(1966年)11月22日指定。高さは200cm、表面の文字は浅く刻まれ、風化も進み判読が難しくなっている。中央に「南無妙法蓮華経真如院殿性白日明高霊大居士」、両側に「慶安三庚寅暦四月二十七日吉村又右衛門宣充」とある[22]。
旧末寺
[編集]日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
- 恵遠山智玄寺(四日市市元新町)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 桑名市 指定文化財所在地(顕本寺), 桑名市教育委員会
- ^ a b c d e f g 近藤杢 & 平岡潤 1959, p. 127
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 361
- ^ a b 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 362
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, pp. 356–357
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 285
- ^ a b c 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 356
- ^ a b c 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 288
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, pp. 357–358
- ^ a b 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 295
- ^ a b c d 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 358
- ^ a b 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 290
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, pp. 361–362
- ^ a b c d e 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 359
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 275
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 283
- ^ a b 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 354
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 284
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, pp. 359–361
- ^ a b 桑名市 指定文化財(水谷九左衛門光勝墓), 桑名市教育委員会
- ^ a b 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 355
- ^ a b 桑名市 指定文化財(吉村又右衛門宣充墓), 桑名市教育委員会
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 274
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 276
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 277
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, pp. 354–355
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 286
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 289
- ^ 近藤杢 & 平岡潤 1960, p. 291
参考文献
[編集]- 近藤杢、平岡潤『桑名市史』 本編、桑名市教育委員会、1959年3月31日、127頁。
- 近藤杢、平岡潤『桑名市史』 補編、桑名市教育委員会、1960年8月31日、267-300,354-362頁頁。
- “桑名市 指定文化財所在地(顕本寺)”. 桑名市教育委員会文化財ホームページ. 桑名市教育委員会. 2015年10月1日閲覧。
- “桑名市 指定文化財(水谷九左衛門光勝墓)”. 桑名市教育委員会文化財ホームページ. 桑名市教育委員会. 2015年10月1日閲覧。
- “桑名市 指定文化財(吉村又右衛門宣充墓)”. 桑名市教育委員会文化財ホームページ. 桑名市教育委員会. 2015年10月1日閲覧。
関連項目
[編集]- 日意 - 当寺の中興開山。