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飯山満町

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飯山満から転送)
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飯山満町
飯山満駅南口(2012年11月7日)
飯山満駅南口(2012年11月7日
飯山満町の位置(千葉県内)
飯山満町
飯山満町
飯山満町の位置
北緯35度42分49.37秒 東経140度1分20.38秒 / 北緯35.7137139度 東経140.0223278度 / 35.7137139; 140.0223278
日本の旗 日本
都道府県 千葉県
市町村 船橋市
人口
2020年(令和2年)8月1日現在)[1]
 • 合計 19,457人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
274-0822[2]
市外局番 047[3]
ナンバープレート 船橋

飯山満町(はさまちょう)は、千葉県船橋市にある地名。現行行政地名は飯山満町一丁目から三丁目。郵便番号は274-0822。

地理

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この地域は深田のため、「帽子田んぼに落ちても絶対に取りに入ってはならぬ」と言われていたほどで、大人でも一度はまるとなかなか抜け出せなかったという[4]

地勢は高低差が激しく、飯山満川前原川海老川水系)が流れている[4]。かつては低地では谷津田が盛んに営まれていた[4]戦後の開発に伴い宅地化が進んだが、斜面林も多く残されている[4]

地価

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住宅地地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、飯山満町3丁目1709番72の地点で11万3000円/m2となっている。[5]

歴史

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地名は江戸時代にあった上・下飯山満(かみ・しもはさま)に由来する。千葉県における難読地名のひとつである。

1955年(昭和30年)1月1日実施の船橋市による旧二宮町地区の町名設定の際、それまでの大字上飯山満・下飯山満および北側に隣接していた滝台の一部(飛び地)を「飯山満町一〜三丁目」と「中野木町」に再編し、また下飯山満の一部(飛び地)は「習志野町一丁目」(現在の高根台)に、上飯山満の一部は「前原町一丁目」(現在の前原西)にそれぞれ編入された[6]

その後、「前原西六・八丁目」を皮切りに、飯山満町一〜三丁目の一部地域が住居表示の実施により「芝山一・三〜七丁目」や「二宮一・二丁目」などとして分割・独立し、現在に至る[7]

地名の由来

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「飯山満」の語源は良く分かっていないが、「谷あいの場所:谷と谷のはざま(はさまれた場所)」という音を後に漢字にあてたのではないかと考えられている[8]。実際に古くからの住民を中心に「はざま」と濁点付きで呼ぶ人も多く、町内の店舗や企業の営業所などの看板には「はざま」や「HAZAMA」の表記が見られる[4]

また、山奥でもが取れる良い土地ということで、「ご飯が山に満る」ということから地名の飯山満と由来しているという説もある[8]

世帯数と人口

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2020年(令和2年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
飯山満町一丁目 686世帯 1,735人
飯山満町二丁目 3,742世帯 7,904人
飯山満町三丁目 4,344世帯 9,818人
8,772世帯 19,457人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]

丁目 番地 小学校 中学校
飯山満町一丁目 102・103番地、105番地
108番地1、108番地15~57
110~113番地、116~122番地
124~162番地、1335番地9~20
1335番地28~33、1344~1384番地
1386番地、1388~1400番地
1402~1404番地
船橋市立飯山満南小学校
船橋市立芝山西小学校
※どちらか選択
船橋市立飯山満中学校
船橋市立芝山中学校
※どちらか選択
その他 船橋市立飯山満南小学校 船橋市立飯山満中学校
飯山満町二丁目 1~380番地、394番地
397~527番地、536〜641番地
648~697番地
381~393番地、395・396番地
528~535番地
船橋市立中野木小学校 船橋市立前原中学校
642~647番地、698番地以降 船橋市立飯山満小学校 船橋市立飯山満中学校
飯山満町三丁目 1304~1387番地、1424~1462番地
1465~1469番地、1575~1672番地
1388~1423番地、1463・1464番地
1470~1532番地
船橋市立二宮中学校
1~1303番地、1533~1574番地
1673番地以降
船橋市立七林小学校 船橋市立七林中学校

主な施設

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教育

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高等学校

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中学校

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小学校

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幼稚園・保育園

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  • 飯山満幼稚園(3丁目)
  • 不二幼稚園(2丁目)
  • 神明幼稚園(1丁目)
  • 飯山満地区学童保育園(2丁目)

自動車学校

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医療機関

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福祉施設

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寺院・神社

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  • 大日神社(1丁目)- 一見、古墳のように見えるのは方型の塚で、上に出羽三山塔が五基並んでいる。そのうちの大日如来像を彫った塔は元禄13年の造立で、市内最古の出羽三山塔である[4]
  • 権現神社(1丁目)
  • 神明神社(1丁目)- 祭神は天照大神。境内に神楽殿があり、年に2度(初午と10月18日)、神楽が奉納される[4]
  • 子神社(1丁目)- 小川藤右衛門が祀った神社で、婦人病治癒に効験のある神様として信仰をあつめた[4]
  • 能満寺(1丁目)- 真言宗豊山派の寺。薬師堂力石、門前には六地蔵などが置かれている。八十八ヶ所札所大絵馬が奉納されている[4]
  • 阿弥陀山清房院(2丁目)- 昭和44年(1969年)、平将門の娘とされる千代姫の故事と太平洋戦争の戦死者の霊を慰めるために建てられた[4]
  • 大宮神社(2丁目)- 昔から蛇が多く里人を苦しめたので祭神に須佐之命を祀ったと伝えられる。毎年1月7日、10月23日に神楽を奉納[4]
  • 庚申塚(2丁目)- 文政11年(1828年)の馬頭観音、万延元年(1860年)の二十三夜塔および庚申塔、明治13年(1880年)の出羽三山供養塔が建てられている[4]
  • 泰真院(2丁目)
  • 東福寺(2丁目)-江戸時代の開山といわれる。医王山東福寺といい、真言宗豊山派の寺。本尊は薬師如来。明治6年(1873年)、飯山満尋常小学校の開校時に仮校舎として本堂が使用された[4]
  • 馬頭観音(2丁目)- 寛延元年(1748年)に建てられた。馬頭観音は本来は動物の馬の守護仏ではないが、江戸時代後期以後は愛馬の墓碑として盛んに造立されるようになった[4]
  • 薬師堂(2丁目)- 三尊種子が一基祠に納められている。境内墓地は慶安、万治、延宝といった江戸時代の墓が多く、古くから行われた両墓制(参り墓と埋め墓と分ける)を見ることができる。江戸時代中頃の名主総代をつとめた近藤五兵衛家の墓もある[4]
  • 王子神社(3丁目)- 本郷集落の鎮守社で、大国主之命を祭神に祀った[4]
  • 金比羅神社(3丁目)- 安産・子育を願ったものと伝えられている。大師堂には弘法大師座像が安置され、吉橋組大師講の八十五番札所になっている[4]
  • 倶利加羅不動尊(3丁目)- 不動堂の下の谷頭は現在も湧水が見られるが、かつては小滝であった。そこが行者等の修行場となり、石の倶利伽羅不動が造立された。江戸時代には飯山満不動尊といわれた[4]
  • 光明寺(3丁目)- 真言宗豊山派。本尊は阿弥陀如来[4]

文化財

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国登録

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  • 東葉高等学校正門(旧近藤家住宅長屋門)- 桁行11間2尺(約20.6メートル)、梁行2間半(約4.5メートル)。腰は彫子下見、上部を白漆喰塗とし、正面と背面にせがいをつけ、桟瓦葺の寄棟屋根をのせている。築造年代がわかるものは残されていないが、造りなどから明治時代中期頃に建てられたと推定される。東葉高等学校が近藤家屋敷跡に建設されるのにあわせて修復され、現在「東葉門」の名称で同校の正門として活用されている。国登録有形文化財[4]

市指定

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  • 木造地蔵菩薩坐像(有彫) - いわゆる「ゆるぎ松地蔵」である。巨大な松から刻んだ木造地蔵菩薩坐像。享保8年(1723年)、木喰僧観信の作と伝えられているが、専門仏師作という説もある[4]
  • 板碑 (康永4年2月在銘)(有考)
  • 八十八ヶ箇所札所大絵馬(有民) - 下飯山満(飯山満町1丁目)の能満寺にある。吉橋大師講の往年の姿を写した貴重な額。
  • 飯山満町大宮神社の神楽 (無民)

交通

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町内の停留所、駅名のみ記載。

  • 鉄道
  • バス
    • 船橋新京成バス
      • 飯山満駅(系統:飯山満駅 - 東船橋駅船橋駅北口
      • 飯山満二丁目自治会館、飯山満二丁目、飯山満南小学校(系統:津田沼駅 - 千葉病院前 - 東船橋駅)
    • 【廃線】新京成バス飯山満三丁目、本郷、光明寺前、大宮神社、ゆるぎ松、飯山満二丁目自治会館、飯山満二丁目、飯山満南小学校(系統:東船橋駅 - 飯山満二丁目 - 飯山満三丁目 - 薬園台駅 - 習志野車庫)
      • 1996年まで新京成電鉄習志野営業所(後の習志野新京成バス、現在の船橋新京成バス習志野営業所)が運行していた路線。町内ほとんどの地域の交通を補っていた。狭隘路のため、末期までツーマン運行だった。東葉高速鉄道の開業に伴い廃止となった。

脚注

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  1. ^ a b 船橋市町丁別人口表(令和2年8月1日現在)” (2020年8月1日). 2020年8月14日閲覧。
  2. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月30日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 飯山満ってどんなところ?”. 船橋市 ( ). 2014年1月20日閲覧。
  5. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  6. ^ 船橋市町名等変更一覧表. 船橋市広報部自治振興課刊. (1986年発行). pp. 21-22  船橋市中央図書館ほか所蔵
  7. ^ 過去の住居表示による住所の変更一覧”. 船橋市 (2016年2月28日). 2021年3月4日閲覧。
  8. ^ a b 綿貫啓一 『郷土史の風景-付・船橋,鎌ケ谷の地名』 船橋よみうり新聞社、1990年
  9. ^ 小・中学校通学区域表(住所別)”. 船橋市 (2016年12月22日). 2017年11月30日閲覧。
  10. ^ 元プロ野球選手が船橋中央自動車学校の営業部長に 巨人などで活躍”. 船橋経済新聞. 2020年1月18日閲覧。

外部リンク

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