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鳥畠徳次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鳥畠徳次郎
とりばたけ とくじろう
生年月日 1893年1月7日
出生地 日本の旗石川県石川郡上金石町
(現金沢市
没年月日 (1969-12-25) 1969年12月25日(76歳没)
出身校 京都市立第一商業学校卒業
(現京都市立西京高等学校・附属中学校
前職 金沢商工会議所常議員
所属政党 (無所属→)
自由民主党
称号 正五位
勲三等旭日中綬章

選挙区 石川県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1959年6月2日 - 1965年6月1日


石川県の旗 第32代石川県議会議長
在任期間 1950年4月 - 1951年4月

石川県の旗 石川県議会議員
当選回数 3回
在任期間 1947年 - 1959年

金沢市会議員
当選回数 2回
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鳥畠 徳次郎(とりばたけ とくじろう、1893年明治26年)1月7日[1] - 1969年昭和44年)12月25日[2])は、昭和期の実業家政治家参議院議員(1期)、石川県議会議長

経歴

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石川県[2]石川郡上金石町(金石町を経て現金沢市金石[3])で生まれる。1911年(明治44年)京都市立第一商業学校(現京都市立西京高等学校・附属中学校)を卒業した[3]

商社などで勤務[2]。1927年(昭和2年)北陸自動車商会を設立し、取締役支配人に就任[3]。その他、石川合同自動車社長、朝日車輛代表、金沢交通専務取締役、石川交通社長、石川日産自動車販売社長、朝日物産社長、大阪光タクシー社長、大阪尼ケ崎自動車工業社長、石川定期運輸社長、大阪中央自動車工業会長、大阪宝タクシー取締役、北国証券金融取締役、北陸放送取締役、金沢商工会議所常議員などを務めた[2][3][4]

1942年(昭和17年)金沢市会議員に選出され2期在任[3]。1947年(昭和22年)石川県議会議員に就任し3期在任[3]。この間、金沢市議会議長と県会議長に同時に就任したが、議事運営に支障を生じ市議を辞職した[3]。1959年(昭和34年)6月の第5回参議院議員通常選挙石川県地方区から無所属で出馬して当選し[5]自由民主党に入党し参議院議員に1期在任した[2]。この間、参議院法務委員長などを務めた[2][3]

その他、東海道路運送審議会副委員長、白山観光協会会長、石川県身体障害者雇傭促進協議会会長、玉川交通安全協会会長なども務めた[2]

1965年(昭和40年)秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[6]

1969年12月25日死去、76歳。死没日をもって正五位に叙される[7]

脚注

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  1. ^ 『日本人事録 第6版 全国篇』630頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』365頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『書府太郎』上巻、130-131頁。
  4. ^ 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』石川15頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』457頁。
  6. ^ 『官報』第11670号15頁 昭和40年11月4日号
  7. ^ 『官報』第12911号12頁 昭和44年12月27日号

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 『日本人事録 第6版 全国篇』中央探偵社、1963年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『書府太郎 石川県大百科事典 改訂版』上巻、北國新聞社、2005年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
松野孝一
日本の旗 参議院法務委員長
1962年 - 1963年
次代
中山福蔵