黒坂町
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くろさかちょう 黒坂町 | |
---|---|
廃止日 | 1959年5月1日 |
廃止理由 |
新設合併 根雨町、黒坂町 → 日野町 |
現在の自治体 | 日野郡日野町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 日野郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,440人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 |
日南町、根雨町、溝口町、西伯郡西伯町 岡山県新見市 |
黒坂町役場 | |
所在地 | 鳥取県日野郡黒坂町大字黒坂 |
座標 | 北緯35度12分30秒 東経133度23分09秒 / 北緯35.20828度 東経133.38583度座標: 北緯35度12分30秒 東経133度23分09秒 / 北緯35.20828度 東経133.38583度 |
ウィキプロジェクト |
黒坂町(くろさかちょう[1])は、鳥取県日野郡にあった町。現在の日野郡日野町の一部にあたる。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1864年(明治7年)黒坂郵便局開設[2]。
- 1888年(明治21年)米子治安裁判所黒坂出張所開設[2]
- 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、日野郡下黒坂村、黒坂宿、久住村、中畑村、下菅村、小河内村が合併して村制施行し、黒坂村が発足[1][2]。旧村名を継承した下黒坂、黒坂宿、久住、中畑、下菅、小河内の6大字を編成[2]。日野郡菅福村と組合村を結成した[2]。
- 1903年(明治36年)県原蚕種製造所黒坂支所開設[2]
- 1913年(大正2年)10月17日、菅福村と合併し黒坂村が存続[1][2]。大字上菅・福長を継承し8大字となる[2]。
- 1915年(大正4年)大字中畑を中菅に改称[2]。
- 1919年(大正8年)電気点灯[2]
- 1936年(昭和11年)1月1日、町制施行し黒坂町となる[1][2]。
- 1940年(昭和15年)紀元二千六百年記念事業として日野郡公設運動場竣工[2]。
- 1947年(昭和22年)黒坂区検察庁、黒坂簡易裁判所開設[2]。
- 1956年(昭和31年)鳥取家庭裁判所黒坂出張所開設[2]
- 1959年(昭和34年)5月1日、日野郡根雨町と合併し日野町を新設して廃止された[1][2]。合併後、日野町大字下黒坂・黒坂・久住・下菅・中菅・上菅・小河内・福長となる[2]。
地名の由来
[編集]周囲に9つの坂道があり九路坂と称したことにちなむ[2]。
産業
[編集]- 農業、蚕業、製糸[2]
- 1909年(明治42年)合名会社日野製糸場設立[2]。1925年(大正14年)福田製糸場設立[2]。1927年(昭和2年)山形製糸場設立[2]。1933年(昭和8年)黒坂蚕業合資会社、合資会社緒形蚕種部設立[2]。
交通
[編集]鉄道
[編集]教育
[編集]- 1973年(明治6年)黒坂学校開校[2]。1880年(明治13年)黒坂小学校、1887年(明治20年)黒坂尋常小学校に改称[2]。1900年(明治33年)高等科を併置した[2]。(日野町立黒坂小学校参照)
- 1947年(昭和22年)黒坂中学校開校[2](現日野町立日野中学校)
- 1920年(大正9年)郡立日野農林学校開校[2]。1923年(大正12年)県立に移管[2]。1948年(昭和23年)日野農林高等学校に改称[2]。1953年(昭和28年)日野産業高等学校に改称[2]。(現鳥取県立日野高等学校)
名所・旧跡
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 31 鳥取県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。