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13時ショー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
13時ショー
ジャンル ワイドショー
司会者 黒柳徹子
三本和彦
高井正憲
棟方宏一
言語 日本語
製作
プロデューサー 中島力
制作 NETテレビ
放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
番組開始から1975年3月まで
放送期間1972年10月2日 - 1975年3月28日
放送時間月曜 - 金曜 13:00 - 13:55
放送分55分
1975年4月から最終回まで
放送期間1975年3月31日 - 1976年1月30日
放送時間月曜 - 金曜 13:15 - 13:55
放送分40分
番組年表
次作徹子の部屋
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13時ショー』(じゅうさんじショー)は、1972年10月2日[1]から1976年1月30日[1]まで平日の「13時」(午後1時)台にNET(現在のテレビ朝日系列で放送されたワイドショー

概要

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NET本社(東京都港区六本木)のスタジオにゲストを招いての生放送番組で、基本として1つのテーマを取り上げていた[2]

番組の開始に当たっては、ニューヨークでの留学から日本に帰国したばかりの黒柳徹子俳優)をメイン司会者に起用。黒柳のトレードマークである「タマネギヘア」は、当番組で初めて披露された。また、三本和彦(自動車評論家)と高井正憲(当時はNETのアナウンサー)がサブ司会者として出演。1973年4月からは高井に代わって、棟方宏一(当時の先輩アナウンサー)が司会陣に加わった。

NET系列では1975年3月28日金曜日)まで、平日の12:00から『アフタヌーンショー』(報道・芸能情報色の強いワイドショー)と当番組を2本連続で編成。当番組の放送時間を55分(13:00 - 13:55)に定めていたが、翌週の月曜日3月31日)以降は40分(13:15 - 13:55)に短縮している。近畿広域圏でのネット局が3月31日のネットチェンジ毎日放送から朝日放送(当時)へ移行したことに伴って、ネットチェンジの前からTBS系列で流れていた『シャボン玉プレゼント』(朝日放送発の全国ネット向け生放送番組)の放送枠を、NETがこの日からネットチェンジ前と同じ時間帯(13:00 - 13:15)へ組み込んだことによる。

ちなみにNETでは、当番組から司会者(黒柳)とノウハウを継承した『徹子の部屋』を、当番組終了の翌週(1976年2月2日)から平日の13時台に放送している。

放送時間

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期間 放送時間(日本時間
1972.10.02 1975.03.28 月曜 - 金曜 13:00 - 13:55(55分)
1975.03.31 1976.01.30 月曜 - 金曜 13:15 - 13:55(40分)

ネット局

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系列局および局名・放送対象地域は放送当時のもの

放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 NETテレビ NETテレビ系列 制作局
北海道 北海道テレビ放送(HTB)
宮城県 東日本放送(KHB) 1975年10月開局から
中京広域圏 中京テレビ放送(CTV) NETテレビ系列

日本テレビ系列

1973年3月30日まで
名古屋テレビ(NBN) NETテレビ系列 1973年4月2日から
近畿広域圏 毎日放送(MBS) 1975年3月28日まで
朝日放送(ABC) 1975年3月31日から

現・朝日放送テレビ

岡山県 テレビ岡山(OHK)1 フジテレビ系列

NETテレビ系列

正式社名および現在の通称は岡山放送

現・フジテレビ系列

広島県 広島ホームテレビ(UHT) NETテレビ系列 現略称・HOME
香川県 瀬戸内海放送(KSB)1
福岡県 九州朝日放送(KBC)
鹿児島県 鹿児島テレビ放送(KTS) 日本テレビ系列

フジテレビ系列

NETテレビ系列

現・フジテレビ系列

スタッフ

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  • プロデューサー:中島力

エピソード

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  • 1975年8月30日に同局系の土曜昼番組『土曜ショー』で放送された「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」に、当時福岡から上京し、漫画家の赤塚不二夫宅に居候していたタモリが出演し(同番組がタモリ自身初のテレビ出演、かつ芸能界デビュー作でもある)、その番組を黒柳が偶然視聴して、タモリに興味を持ったことがきっかけとなり、翌9月にこの番組で放送された「珍芸スターお笑い大行進」にて、実際にタモリが出演することとなる(もちろん赤塚も一緒に出演した)[3][4]。これが、後年の『徹子の部屋』におけるタモリの年末恒例出演(1978年 - 2013年・2021年-)へも繋がることとなる。
  • 2019年9月27日に現・テレビ朝日系で放送された『徹子の部屋SP TVエンタメ伝説の名場面史』にて、黒柳が所有していた当番組のビデオ映像を放送[5]、最終回映像ではエンディング(「13時ショー おわり」のエンドテロップあり)後に『徹子の部屋』予告編[6]も放送された。
  • なお、本番組の後番組である『徹子の部屋』に三本・高井・棟方がゲスト出演したかどうかは不明である。

脚注

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  1. ^ a b 全国朝日放送株式会社総務局社史編纂部 編『テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年』全国朝日放送、1984年2月1日、409頁。NDLJP:12276014/491 
  2. ^ 全国朝日放送株式会社総務局社史編纂部 編『テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年』全国朝日放送、1984年2月1日、185頁。NDLJP:12276014/267 
  3. ^ タモリは無名時代に黒柳徹子に「徹子の部屋」に呼ばれていた!”. こいもうさぎのブログ. 2021年11月30日閲覧。
  4. ^ 「『大タモリ年表』第2弾公開」タモリのデビューと『徹子の部屋』”. てれびのスキマ (2014年3月20日). 2021年10月15日閲覧。
  5. ^ テレビ朝日には当番組のVTRは存在しなかった。
  6. ^ 当時の番組宣伝CMは基本的にフィルム映像であった。なお、この映像には1977年3月まで『徹子の部屋』のワンコーナーだったクイズコーナー「フラッシュクイズ」(担当:ラビット関根(現・関根勤))も収められている。

関連項目

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NET系列 平日13時台(1972年10月2日-1975年3月28日)
前番組 番組名 次番組
13:00 お昼のクイズ・バッチリ当てよう!
NETCTVSUN交互制作
MBSでは別番組
13:30 奥さまこっち向いて
13時ショー
13:00-13:15:シャボン玉プレゼント
ABC製作・TBS系列から移行
13:15-13:55:13時ショー
NET系列 平日13:15-13:55枠(1975年3月31日-1976年1月30日)
13時ショー
(13:00-13:55)
13時ショー
(15分短縮)