JR西日本硬式野球部
チーム名(通称) | JR西、JR西日本 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1935年 |
チーム名の遍歴 |
広島鉄道局(1935年 - 1950年)→ 広島鉄道管理局(1950年 - 1987年)→ JR西日本(1987年 - ) |
本拠地自治体 | 広島県広島市 |
チームカラー | 青色 |
監督 | 田村亮 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 7回 |
最近の出場 | 2024年 |
最高成績 | ベスト8 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 9回 |
最近の出場 | 2024年 |
最高成績 | 2回戦進出 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
JR西日本硬式野球部(ジェイアールにしにほんこうしきやきゅうぶ)は、広島県広島市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球チームである。6つあるJR本社チームのうち、唯一本社所在地と本拠地が同一都道府県にないチームである(JR東日本東北は、JR東日本の営業エリアが広く、東北地方で活動していた鉄道管理局チームが多かったことから、他地区と分離の上本社支援としたもの)。
概要
[編集]1935年に創部した「広島鉄道局」が前身。当時は全国各地に強豪鉄道局チームが存在し、全国大会への出場は果たせなかった。1950年の組織改正で「広島鉄道管理局」に改称。さらに国鉄民営化で「JR西日本」に改称した。1999年に全国大会初出場、2004年の日本選手権1回戦で七十七銀行を相手に2大大会初のタイブレークが適用される激戦を制し、全国大会初勝利を挙げた。
2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故を受ける形で活動自粛、同年7月8日に活動休止の届出を行った。休部後、主力選手は活動の場を求めて他チームに移籍している。
以後長らく活動を休止していたが、2013年度に活動再開を目指す方針が報じられ[1]、2013年1月に広島県野球連盟に活動再開届を提出した[2]。その年の都市対抗野球大会予選には出場しなかったが、秋の日本選手権大会予選に出場し、計3勝を挙げた。そして翌2014年、第85回都市対抗野球大会の中国地区予選では伯和ビクトリーズとの第2代表決定戦に勝利し、創部80年目にして本大会初出場を決めた。[3]さらに同年の日本選手権大会にも9大会ぶりに出場したが、両大会とも初戦敗退となった。
2015年のドラフト会議では、高野圭佑(ロッテ7位)・杉本裕太郎(オリックス10位)の二人が所属選手として18年ぶりに指名された。
選手は全員が中国統括本部(経営企画部など)および広島支社管内の現業機関(広島駅・横川駅・広島車掌区など)に勤務しながら練習を行っている。練習拠点はかつてNTT中国の練習場として使用されていた「JR西日本広島総合グラウンド」(広島市安佐北区安佐町)。
2016年からは広島東洋カープで内野手・外野手・コーチ・二軍監督を歴任した山崎隆造(中国放送野球解説者)が臨時コーチを務めている。
エピソード
[編集]- 1936年夏、日本初のプロ野球公式戦である名古屋大会を終えた大阪タイガースと東京巨人軍が九州と広島を遠征。前座試合としてこの両チームが連合軍を作り「広島鉄道局」と対戦、「広島鉄道局」が5対4と勝った。
設立・沿革
[編集]- 1935年 「広島鉄道局」として創部
- 1950年 国鉄の組織改正で「広島鉄道管理局」に改称
- 1987年 国鉄民営化に伴い、「JR西日本」に改称
- 1999年 日本選手権初出場(初戦敗退)
- 2005年 活動休止
- 2013年 活動再開
- 2014年 都市対抗初出場(初戦(2回戦)敗退)
主要大会の出場歴・最高成績
[編集]主な出身プロ野球選手
[編集]広島鉄道局
[編集]- 平山菊二外野手(1937年巨人入団→大洋)
- 松本操投手(1937年イーグルス入団;戦時中の応召のため退団、1942年大和軍(イーグルスから名称変更)再入団)
- 山根実外野手(1939年阪神入団;退団後に広島鉄道局に所属、1950年国鉄入団)
- 樋笠一夫外野手(1950年広島入団→巨人)
JR西日本
[編集]- 平松一宏投手(1997年巨人ドラフト8位→中日)
- 中東直己捕手・外野手(2006年広島大学生・社会人ドラフト5巡;ホンダ鈴鹿移籍後の指名)
- 高野圭佑投手(2015年ロッテドラフト7位→阪神)
- 杉本裕太郎外野手(2015年オリックスドラフト10位)
- 佐藤直樹外野手(2019年ソフトバンクドラフト1位)
- 石黒佑弥投手 (2023年阪神ドラフト5位)
- 西倉実捕手、外野手(松竹ロビンス退団後に入部。1954年高橋ユニオンズ入団)
- 国頭光仁投手(1954年阪急ブレーブス入団)
- 吹田俊明投手(近鉄バファロー退団後に入部。1962年国鉄スワローズ入団)
- 西村秀一内野手(1967年サンケイアトムズ入団)
- 北井正雄投手(旧制関西大学を経て、1936年阪急軍入団)
- 木下勇投手(阪神軍退団後に入部。1944年南海軍入団。後に大阪鉄道管理局に入部し、1948年大陽ロビンス入団)
- 井上親一郎捕手(大阪鉄道管理局でもプレー。1950年国鉄スワローズ入団)
- 成田啓二投手(1950年国鉄スワローズ入団)
- 拝藤聖雄投手(1952年近鉄パールス入団)
- 種部儀康投手(1962年読売ジャイアンツ入団)
元プロ野球選手の競技者登録
[編集]- 柳川事件によるプロアマ断絶以前
- 木下勇投手(元阪神軍、南海軍、大陽ロビンス、西鉄ライオンズ) - 阪神軍退団後に大阪鉄道局米子に入部。後にプロ野球復帰も再び大阪鉄道管理局に入部し、後に再度プロ野球に復帰。
- 和中道男捕手(元阪急ブレーブス) - 阪急ブレーブス退団後に大阪鉄道管理局に入部。
- 西倉実捕手、外野手(元松竹ロビンス、高橋ユニオンズ) - 松竹ロビンス退団後に大阪鉄道管理局に入部。後にプロ野球復帰。
- 大根晃投手(元大阪タイガース) - 大阪タイガース退団後に天王寺鉄道管理局に入部。後に退部し、鐘化カネロンでもプレー。
- 東郷幸捕手(元大阪タイガース、国鉄スワローズ) - 大阪タイガース退団後に天王寺鉄道管理局に入部。後にプロ野球復帰。
- 吹田俊明投手(元近鉄パールス、国鉄スワローズ) - 近鉄パールス退団後に大阪鉄道管理局に入部。後にプロ野球復帰。
- 大橋一郎内野手、外野手(元国鉄スワローズ) - 国鉄スワローズ退団後に天王寺鉄道管理局に入部。
- 北畑利雄投手(元国鉄スワローズ) - 国鉄スワローズ退団後に天王寺鉄道管理局に入部。
- プロ選手の受け入れ再開後
- 植大輔投手(元中日ドラゴンズ)- 退部して社業に専念。
- 平松一宏コーチ(元読売ジャイアンツ、中日ドラゴンズ)- 引退後、ゼネラルマネージャー補佐を経て退部・退社し、広島経済大学野球部コーチ。
- 近田怜王投手(元福岡ソフトバンクホークス)- 退部[4]。引退後社業に専念し、2015年より三ノ宮駅駅員や明石車掌区車掌として勤務。その傍ら2017年からボランティア扱いで京都大学硬式野球部のコーチも務めたが、2020年9月1日から、JR西日本に籍を残したまま京都大学の出向職員となり、同時に助監督となった。2021年11月18日から、総監督となった青木孝守の後を受けて監督に就任した。
- 加賀美希昇投手(元横浜DeNAベイスターズ) - 入部初年度の第42回社会人野球日本選手権大会でノーヒットノーランを達成。2023年限りで退部。
- 藤澤拓斗内野手(元中日ドラゴンズ) - 2016年に入部。2021年限りで退部し引退。
かつて所属していた選手・関係者
[編集]広島鉄道管理局
[編集]- 柿田登投手
JR西日本
[編集]- 中須賀諭投手(JT休部に伴い、JR西日本に転部。その後のJR西日本の休部に伴い、JR東海に転部)
- 片山純一投手(JR西日本の休部に伴い、JR東日本に転部)
- 山本大貴内野手(当時、高校通算本塁打歴代最多記録保持者)
- 後藤寿彦アドバイザー(同じ広島県内の三菱重工三原でプレー。慶應義塾大学などで指導。2014年にはJR西日本を第85回都市対抗野球大会初出場に導く。その後は同社の総監督を務めていたが2022年4月から朝日大学硬式野球部総監督就任し、同社野球部としてはアドバイザーに役職変更されている。その後の同社野球部のホームページには後藤の名前は未掲載である)
脚注
[編集]- ^ JR西日本野球部、来年度から活動再開目指す…本拠地は広島 - スポーツニッポン、2012年4月28日配信
- ^ JR西野球部が活動再開へ - スポーツ報知、2013年1月16日配信(リンク切れ)
- ^ 都市対抗野球:JR西日本が初出場 創部80年目 - 毎日新聞、2014年6月12日配信
- ^ 社会人野球:JR西野球部が活動再開 練習初公開「礼節備えたチームに」 - 毎日新聞広島版、2013年9月4日配信
関連項目
[編集]- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- JR北海道硬式野球クラブ
- JR盛岡硬式野球部
- JR東日本東北硬式野球部
- JR秋田硬式野球部
- JR新潟硬式野球部
- JR水戸硬式野球部
- JR千葉硬式野球部
- JR東日本硬式野球部
- JR東海硬式野球部
- JR四国硬式野球部
- JR九州硬式野球部