Wikipedia‐ノート:合意形成/合意が変更できるとの記述を追加する提案

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合意が変更できるとの記述を追加する提案 (2009年5月28日から6月15日まで)[編集]

英語版には以下のような文面があります。

Consensus can change

Consensus is not immutable. Past decisions are open to challenge and are not binding, and one must realize that such changes are often reasonable. Thus, "according to consensus" and "violates consensus" are not valid rationales for making or reverting an edit, or for accepting or rejecting other forms of proposal or action.

Wikipedia remains flexible because new people may bring fresh ideas, growing may evolve new needs, people may change their minds over time when new things come up, and we may find a better way to do things.

A representative group might make a decision on behalf of the community as a whole. More often, people document changes to existing procedures at some arbitrary time after the fact. But in all these cases, nothing is permanently fixed. The world changes, and the wiki must change with it. It is reasonable and indeed often desirable to make further changes to things at a later date, even if the last change was years ago. — en:Wikipedia:Consensus#Consensus can change

訳してみました。

合意は変わるものです

合意は不変ではありません。過去の決定とは、それに疑問を投げかける自由が認められるものであり、また拘束するものでもなく、そのような変更が大抵は正当なものであることが理解されなくてはなりません。したがって、「合意によって」とか「合意に反する」ということが編集や編集のリバート、あるいは他の形による提案や作業を認めたり拒絶したりするための有効な根拠とはなりません。

ウィキペディアが柔軟であり続けるのは、新しい人が新鮮な考えを持ち込み、成長が新しい必要性を育て、新しい事が現れると人の気持がゆっくりと変化し、そして我々はより良い作業の方向を見つけることができるという可能性を提供するためです。

ある代表グループがその本来の集まりに代わり、全体としての決定を行うかもしれません。事後のある機会に既存の手順に変更が加えられることはかなりあります。しかし、いずれの場合でも何かが永久に決定されるわけではありません。世界は変化し、ウィキペディアは共に変化しなくてはなりません。最後の変更が何年も前であっても、後になって変更を加えることは合理的であり、実際に大抵は望ましいものです。

これを三つ目の節として加えたいと考えています。これに書き加えるとすれば「当事者間で合意はしばらく有効となるものの第三者を縛るものではありません。」ということでしょうか?さらに合意に関する7日間のルールにも影響すると考えています。なぜ7日間も待たねばならないのか。拘束力のない合意を得るために時間を費やす意味をどう考えるのかということです。いろいろな意見を望みます。--Sweeper tamonten 2009年5月28日 (木) 02:43 (UTC)

反対 この文章のままで加えるということには反対をします。合意に関しては提案からある程度時間を待つという段階を踏んでいるものであり、場合によっては長く時間をかけ、複数の利用者が意見をすり合わせ結論を出していることもあります。その結果を覆すためには、覆す方にも手順を踏んでもらうことが必要ではないでしょうか。その「合意に反する編集」がきちんとした理由を持って行われるなら、それくらいは簡単なはずです(例えば、その前の合意の結果が方針に反するものである、新しい情報があるなど)。それを、合意を理由にリバートする方にだけ、してはいけないというような文面の文章には賛成はできません。
もちろん編集合戦になってはいけませんから、リバートの際に合意となった議論への誘導をしたり、その前後に会話ページやノートページに書き込みをするくらいのクッションはあってもいいので、合意は変えることができ、再提起をすることを縛らない、リバートの仕方やその前にすることを考える、こうしたらよいというものに変えるなどだったら賛成できるのですが。--春日椿 2009年5月28日 (木) 14:24 (UTC)
コメント「したがって、「合意によって」とか「合意に反する」ということが編集や編集のリバート、あるいは他の形による提案や作業を認めたり拒絶したりするための有効な根拠とはなりません。」とあるのですが、この文章を読みますと合意そのものに意味がないかのように思えてしまいます。
この文面で重要なことは「合意の効力は永久ではなく、いつでも変更することができる」ということだと考えます。あくまで変更が可能であるということであって、いったん合意が形成されたら、どなたかがそれに疑問を投げかけない限り効力は持続するのではないでしょうか。この文面ですとその点が明確でないように思います。--長月みどり 2009年5月28日 (木) 17:43 (UTC)
コメントひとまず期間についてだけ。合意の意味、合意の拘束力はある、但し再提案を受けて将来変えられる、という前提で書きますので一応念のため。
以前別のところ差分で書いたことがあることでもありますが、jawpよりも人数の多いであろう(と私は思っています)enwpですら7日間という期間を設けてあるわけで、マイナー分野を含め、ほとんどの記事に主執筆者として人が複数張り付いているような状況でもあれば提案/再提案後、その短い期間内でその提案に反応できると思いますが、現時点のjawpはそういう状態だとは思えません(一例を挙げれば、先日私が書いたBackTrackPacket Stormで提案を呼びかけても誰も気づかないのではないか、私が私事で1週間空けているときに他者から提案があれば、誰も反応できないんじゃないか、と思う)ので、enwpよりも短くすることに意義を感じません。週末ウィキペディアンの排除のような印象を受けるのも一つの理由です(その時は5日を7日にするのは砂山じゃないか、とも言われましたが、ってあたりの周辺議論も含めたのはこちらの過去ログを参照してください)。--NISYAN 2009年5月28日 (木) 23:21 (UTC)
春日椿さん、長月みどりさん、NISYANさん、ようこそ。
春日椿さんの発言には「それを、合意を理由にリバートする方にだけ、してはいけないというような文面の文章には賛成はできません。」とありますがこれは誰かが合意に反する編集を行った際に合意を理由にリバートする場合のことと判断しました。これについて私はHelp:以前の版にページを戻す方法にある「一般に、差し戻しは荒らし行為への対処として推奨される行為です。通常の投稿者が記事に対して寄与すると確信して行った編集への対処としては、推奨される行為ではありません。編集された内容に疑問がある場合はノートページなどで議論を提起してください。合わせて、議論が白熱しても冷静に、議論に参加してください」を支持していますのでそのまま意見をいただくというわけではありませんが異議を示す権利を否定するものではありません。「合意となった議論への誘導」「合意は変えることができ、再提起をすることを縛らない」というところに一致する考えがあると判断しました。
私はある合意を将来の編集者に守れと言うことはできませんが合意の基となった議論をできれば分かりやすく残して将来の判断の材料にしてもらいたいと考えています。今のままでもノートに残るので過去の合意がどのようになされたかを誰かが指摘して将来の合意形成に役立ててもらえることが期待できます。あとは将来において新たな視点が加わるなどしていればそれも材料として合意を形成していただければいいと考えています。
この前提で「合意は変えることができ、再提起をすることを縛らない」ということが可能と考えています。特に初心者であれば周りを見ないで編集することがありますので気がついた他の編集者がノートで会話を始めればいいと考えています。そして簡単に議論が解決することもあれば、あるいは過去の議論の記録を持ち出して、その良い点悪い点を改めて論議する過程などが重なる場合もあるでしょう。前者は早期解決、後者は論点の見直しということでどちらも悪いことではありません。慣れた編集者であればノートを少しは確認して過去の経緯を確認するでしょう。すると重要な合意があれば尊重するでしょうからより良い編集作業が期待できます。
長月みどりさんの意見について考えを述べさせていただきます。「この文章を読みますと合意そのものに意味がないかのように思えてしまいます。」とあります。私もそう思いました。ここは「有効な根拠とは必ずしもなりません」あるいは「第三者に対する有効な根拠とはなりません」というような言い回しが必要と思います。
「どなたかがそれに疑問を投げかけない限り効力は持続するのではないでしょうか。この文面ですとその点が明確でないように思います。」とありますが本質をつかれてたじろいでおります。合意に反する編集が行われた場合にはその編集者に参加してもらって新たな合意形成をすべきと考えます。つまり合意に反する編集自体が疑問の提起としてとらえられるという考えです。その際には過去の議事録が利用できるのでその議事録の範囲内の議論ならすぐに合意に達するか、あるいは過去の論点の隠れた問題点がはっきりするなど得るものがあると考えます。こういった内容を文章に反映して誤解のないようにすべきですね。また論争が起きた場合に最後の合意をどのように尊重すべきかが次の合意形成までの間は特に重要となると判断しました。一律に最後の合意内容を反映した記事の表現を維持することを新規参入の編集者に求めるのか、それとも新規参入の編集者が行った編集のまま次の合意形成を進めるのかですが、基準を設けるのかその場の話し合いにまかせるのかなどは合意形成の手順の中に説明されるべきであってこの節で問題としている合意は変更できるという内容に含む必要はないと考えています。こちらの解決を優先させたほうが良いと思われるのなら上記の『「合意の尊重」と「議論の再提起」について』の節で議論させていただけるかもしれません。この場合にはLos688さんにまず議論の場所としての妥当性を確認してからのことになると思います。
NISYANさん、どういう時間の使い方をするかは論議の中で話し合って決めることができますので自分の時間の都合を相手に伝えて作業していただくことがよいと思われます。ところで私はenwpの7日間が確認できなかったのですがその成立過程を知りたいと思いますのでどこで確認できるか案内をお願いします。--Sweeper tamonten 2009年5月28日 (木) 23:54 (UTC)
呼ばれましたので。まず、議論の場所は気にしないたちなんで。私の発言も必要なら好きに移してください。で、みなさんとさして、意見は変わりません。「合意の再変更は可能」という点から詰めてはいかがでしょうか。また、編集したことが異議の表明と取るのは理屈的にはありです。しかし、各利用者の参加時期・時間は違います。適切に論議してくれた利用者があったとしても、そのような立派な利用者は常にいるわけではないです。新規に異議者が出るたびに、その新規利用者も含めて新たに合意を求めるようでは先にすすめないのではないでしょうか。あと、記事については合意時の文面を優先すべきです。合意形成は通常複数が関わっているはずで、一人の異議よりは複数による合意の方が重いです。
あと、「過去の論議の尊重」(厳守ではない)は入れておくべきです。例えば、5人が2ヶ月かけて様々調べてやっと得られた合意を、過疎状態のときに1人の提案で7日間反応なしで、再合意ということでひっくり返されたら、たまったものではりません。そのようなケースでは、(時事的な状況の変化が発生した場合を除きまして)前回の議論を上回るほどの討議・解説が必要になる可能性があるのではないでしょうか。(ここから先は蛇足ですので、今は忘れて詰めの時になってから思い出してください。再変更は可能であるが、前回と同じ議論になってしまったり、完全に結論が出ているものを無理に持ち出してきた場合、周囲は疲弊するだけですので、どのように注意すべきか。合意を無視して強行編集するのは、多重アカのあらしということも少なからずあるので、運用面でそのような多重アカを容易に排除できるように、文面をどう工夫するか。あらし・積極的な非協調編集のパターンの一つには、「複数の」記事を連続して自己に都合の良い文面に改変していくのがあり、それのあぶり出しとして合意形成を行なっている場合がありますので、合意に反する編集を異議とだけ捉えるのは実務面からは楽観的過ぎると思います。)--Los688 2009年5月29日 (金) 12:52 (UTC)
再提案自体の議論が進んでいる中なので、期間の部分だけコメントしてもあまり意味のないものになるかもしれませんが、まずはいただいたコメントの後半(enwp関連)が私の記憶に基づく誤認である旨、お詫びをいれさせていただきます。今後(この場に限らず)enwpのことを発言する際は、発言前に確認するように致します。いただいたコメントの前半(時間の使い方云々)については、ファーストアクションが取れないうちに再提案の結果が決まることを問題視しているわけであって、《論議の中で話し合って決めることができます》ってのはファーストアクションを取ることができた後の話だと思います。まあ、合意事項が既にある場合、再提案者が融通の効く人であればここでの合意形成期間がどうであれ、例えば「前回の合意形成に関わった人が1週間のウィキブレイク中なので、翌週末まで待ちましょう」などといった融通を働かせる(=ファーストアクションが取れないことにはならない)であろうと思いますが、そういう再提案者ばかりではないだろうとも思います。--NISYAN 2009年5月31日 (日) 07:23 (UTC)
コメント 横から失礼します。Wikipediaでの依頼系・プロジェクト系などをいろいろと見渡しての雑感をコメントします。合意形成となっていても最後のまとめが不足しているような感想を受けました(特に長い議論などは)。とくに指針に関わることでは、どのような経過で合意に至ったかのまとめがあると、その後の再提案者にも要点確認や新たな提案の無駄を省くこととなるでしょう。(そのまとめを考慮しての再提案なのか・無視しての再提案なのかでその提案な重さが推し量れると思います)
  1. 合意形成の目的・問題点・主旨
  2. 議論期間
  3. 議論参加者
  4. 合意の要点・結論
上記のまとめをする事を推奨するなどの文言が公式な方針?(その運用ガイドライン)に記載される方向は如何ですか。(このコメントは適時移動してください)--Qoop 2009年5月29日 (金) 13:37 (UTC)
コメント Consensus can changeについては、もうずいぶん前のことになるのですが、他の方が訳したものもありますので、参考までにご紹介します。「利用者:Snusmumrik000/合意は変えられる」とそのノートページです。翻訳元の「Wikipedia:Consensus can change」は当時独立したページで、現在はen:Wikipedia:Consensus#Consensus can changeに統合されているようですね。--へのいち 2009年5月29日 (金) 15:32 (UTC)
Los688さん、Qoopさん、へのいちさん、ようこそお出でくださいました。皆さんには具体的な問題、合意に関する包括的な説明、過去の議論について貴重なご意見や情報を戴きました。
直ちにこれらの問題すべてにコメントすることはできませんがこの節で解決すべきことは「過去の論議の尊重」を示すことと考えています。私は合意の大切さは皆さんが理解しているとして過度に守ることによる弊害がないようにと考えました。しかし、現在のWikipedia:合意形成には合意がウィキペディアでどのように大切な存在であるかの説明がなく、合意形成の手順が示されているだけです。この状態で「合意は変えられる」という説明があるだけではバランスを欠きます。合意はどういうもので、その目的はという程度は入れておくべきと考えました。具体的にはen:Wikipedia:Consensusの導入部、"What consensus is"内の"Purpose"・"Level of consensus"に相当する部分も同時にWikipedia:合意形成に置かれるべきと考えています。
Los688さん、既存の合意と再提起の手順を具体的に議論する場所として上記の"「合意の尊重」と「議論の再提起」について"の節を使わせていただいてよろしいでしょうか?私は合意がなされた際には以後の「議論の再提起」に対応する有志の署名を数人分掲示しておいて、新たな合意が必要とされる場合には連絡され、活発な議論を保証する手段を勧めることを考えています。こういった内容を"「合意の尊重」と「議論の再提起」について"の節において議論することは不適切でしょうか?--Sweeper tamonten 2009年5月30日 (土) 01:00 (UTC)
この節を1段下げて、新たな議論は===議論再開===以下で開始するとしてはいかがですか?--Qoop 2009年5月30日 (土) 01:46 (UTC)
Qoopさん、ありがとうございます。気が付きませんでした。Qoopさんの案の方がいいですね。--Sweeper tamonten 2009年5月30日 (土) 01:54 (UTC)
コメント 合意の位置づけについて前に考えたことがあったので、「いろいろな意見を望みます。」という呼びかけに応えてちょっと書いてみます。論点がズレていたらごめんなさい。
過去の合意の内、「水掛け論以上のものになりにくい性質のもの」についての合意は、原則従っておくべきだと思います。それについて議論を提起しても、水掛け論を繰り返して、あまり有効な時間の使い方が望めないような気がするので。ただ、コミュニティのメンバーが入れ替わった場合など、過去の合意とは違うところで合意が形成されるだろうと考える根拠があれば、変更の提案をするのがいいだろうと思います。
何か合理的な理由によって合意が形成されている場合には、その理由とか根拠について考えて、根拠が間違っているとか、もっと優れた考え方があるという場合にはそれを提起して支持をとりつけるのがよいと思います。
こういった意味で、過去に合意が成立していることは、現在のコミュニティにより合った合意やより優れた合意を形成することを妨げる理由にはならないと思います。ただ、新たな合意形成を試みるということは、原則必要なのではないかな、という気がします。
場合によっては、過去に合意は形成されたものの非常に遠い昔の話で、わざわざ議論を改めて提起するまでもないし、他の類似の件についての合意内容から類推して現在のコミュニティが合意できる方針がどの辺りにあるかも明らか、というような件もありそうです。そういう場合には合意形成を改めてするまでもなく、単に編集するだけでもいいように思います。
過去の合意を無視していいかどうか、判断が難しい場合は、編集して、とりあえずその理由をノートで説明する、というようなアプローチをとるといいかも、と思います。
こういう風に考えていくと他にもいろいろ場合分けはできそうです。全部明文化するのがいいとも思えないし、もう少し要領よくまとめることができたらいいなと思いつつ自分の中ではよい案は思いつかないのですが。。Tomos 2009年5月30日 (土) 18:36 (UTC)
反対 いやあなんだ。いったん確定的なものとして結論された合意事項(あるいは命令事項)などについても、手順を踏めば覆せるなんて常識だと思ったり。Wikipediaに限らず、民主主義政権下では当然、革命的手段を使えば独裁的政権下でも同様。んなもん、合意を覆すためにどの程度の覚悟を持っているかという行為者の問題なんであって、ルールの問題じゃないでしょう。へたに「合意は覆せる」とか明記したら、明記されなければそれがわからないレベルの知的底辺層が暴れることにしかつながらんと思う(もともと「合意は、覆せる」ということがわかっている知的高等市民は、ほっといても必要に応じてがんばるだろうからね)。よって、「合意は、覆せる」とか書いても、アフォを勇気づけるだけであるというのが、おれの結論です。ゆえにそんなことを記す必要はないし、記したことによる被害の方が大きい。やめておきなはれ。--Nekosuki600 2009年5月30日 (土) 18:45 (UTC)

反対 Nekosukiさんに同じく。現状を鑑みて有害無益な提案でしかありません。--ikedat76 2009年5月31日 (日) 01:57 (UTC)

コメント タコ焼き作ってるときに「ボク、これ好きなの」とか言ってチョコパイのチョコの部分だけを入れようとする行為。英語から日本語への翻訳が得意と自認してるなら、en:Wikipedia:Consensusを全訳して、「英語版だったらこう」と提示してくれたほうがよっぽどウィキペディア日本語版の為になるよ。まぁ、日本語版の現状が分かってりゃ全訳の提示なんてむなしくて出来ないと思うけど。理想と現実が違いすぎてるってのも考え物だよな。現実じゃネコの言ってるとおり、アホのエサにしかならない。--119.150.18.246 2009年6月1日 (月) 01:34 (UTC)

Tomosさん、Nekosuki600さん、ikedat76さん、119.150.18.246さん、ようこそ。以前から参加していただいていた皆様には私のコメントが遅くなりましたことをお詫びします。NISYANさん、求めに応じて作業していただいたことに感謝いたします。以前にお話させていただいたようにen:Wikipedia:Consensusの導入部とその最初の節である"What consensus is"内の内容を基にWikipedia:合意形成の前半部分に大きく加筆したいと考えました。この節で求めている部分は慎重を期さなくてはなりませんが他の部分については多くを記載できるものと考えています。

(導入部) 合意は編集者が他の編集者とどのように作業を行うかという方針の範囲の一部であり、同時にウィキペディアの五本の柱の4番目にある行動規範の一部です。編集者達は一般にウィキペディアの編集作業による本来の成果として合意に達します。通常、誰かがあるページに変更や加筆を行うとそのページを読む誰もがそのページをそのままにしておいたり、あるいは変更する機会が与えられます。複数の編集者が即座の編集によっては合意に達することができない場合には記事のノートページにおいて合意が求められます。このページは、ウィキペディア日本語版における合意形成の方法について解説したページです。

(セクション)合意とは何か
(サブセクション)目的
ウィキペディア上の記事を作成するという共同作業は異なる観点、異なる情報源、そして異なる記述法と論法を持つ編集者によって行われます。そのような状況下において中立的な観点を成すために、編集者は広範な観点と関連事項に相応の注意を払いながら耳を傾け、評価しながら記事の内容について真剣な議論を積極的に行わなくてはなりません。これがウィキペディア(および他のウィキメディア財団のプロジェクト)における合意の目的です。

通常、著作権違反や存命人物の伝記に関連する特定の問題というような内容の問題は、主にそのことが内包する訴訟の危険性のために議論や合意の対象ではありません。しかし、それが関係しないところで合意はウィキペディアにおけるルールです。方針とガイドラインですらコミュニティ内の合意を持ったものであると考えなくてはなりません。それらに対して疑問を投げかけることは確かに可能ですが、そのような疑問はその合意を修正あるいは変更することための議論によるものであることが求められます。

(サブセクション)合意に向けた作業
合意に向けた議論は常に理由を示して相手を説得する努力が求められます。議論が決裂して対立した怒鳴り合いになる場合には、そこに合意の可能性はなく、記事の品質に悪影響を及ぼします。そういうことがあるものの、合意は単なる同意ではありません。あることについて一握りの編集者の同意は、最も薄弱な意味を除けば合意を形成しません。合意は広範な過程であり、編集者には百科辞典に記す実用上の必要性ならびに法的、倫理的制限とともに競合する見解の間における妥当なバランスを協議することが望まれる中で、記事内容の特定の点が記事全体の観点及び百科辞典の記事の場所の観点から検討されます。

(サブセクション)合意の地位
一つの場所の1回の機会における限られた編集者グループの中の合意はより大きな規模のコミュニティの合意を無効にすることはできません。方針とガイドラインに関する場合にはウィキペディアは他のページ以上に関与と合意に高い基準を期待します。どの場合にもコミュニティへの妥当な公開が行われる場合のみ沈黙が同意を意味すると言うことができます。

(サブセクション)合意は変わるものです
合意は不変ではありません。過去の決定とは、それに疑問を投げかける自由が認められるものであり、また拘束するものでもなく、そのような変更が大抵は正当なものであることが理解されなくてはなりません。したがって、「合意によって」とか「合意に反する」ということが編集や編集のリバート、あるいは他の形による提案や作業を認めたり拒絶したりするための有効な根拠とは必ずしもなりません。

ウィキペディアが柔軟であり続けるのは、新しい人が新鮮な考えを持ち込み、成長が新しい必要性を育て、新しい事が現れると人の気持がゆっくりと変化し、そして我々はより良い作業の方向を見つけることができるという可能性を提供するためです。

ある代表グループがその本来の集まりに代わり、全体としての決定を行うかもしれません。事後のある機会に既存の手順に変更が加えられることはかなりあります。しかし、いずれの場合でも何かが永久に決定されるわけではありません。世界は変化し、ウィキペディアは共に変化しなくてはなりません。最後の変更が何年も前であっても、後になって変更を加えることは合理的であり、実際に大抵は望ましいものです。

(サブセクション)例外
いくつかの例外はページに対する合意による決定に優先します。

  • ジミー・ウェールズ、ウィキメディア評議員会、あるいは開発者からの宣言は、特にそれが著作権、法律問題あるいはサーバー負荷に関するものは方針の意味を持つものです(参照、Wikipedia:基本方針とガイドラインのウィキペディアの方針の根源)。
  • ウィキメディア財団事務所の活動は英語版ウィキペディアの方針の範囲外です。
  • 特定の場合においての合意された決定は自動的に更に広範囲の合意に優先するものではありません。例えば本来の場所ではない所におけるウィキプロジェクトに関する議論は方針あるいはガイドラインを支える大きな合意に優先することはありません。ウィキプロジェクトはその範囲内の記事についてある方針は適用されないということの決定はそうすることが正しいと広範囲のコミュニティを納得させることができない限りありません。
  • コミュニティ財団の発信はウィキメディア・プロジェクト全部のための基本原理を説明します。これはウィキメディア・プロジェクト全部において達成可能な決定合意を代表し、その全てに影響します。

この中で「合意は変わるものです」と「例外」については掲載を控えるつもりです。「例外」はその基本がWikipedia:基本方針とガイドラインに記載されるべきことなのでしょうがそれがまだなされていませんし、ウィキメディア財団の活動は編集者の上位にあることは説明しなくても理解されると考えています。そして「合意は変わるものです」についてはここでさらに議論を続けて必要な調整を行わなくてはならないと考えています。

皆さんの意見をうかがい、現段階で合意の重要性を否定するようなことは適当ではないのでまずは合意が如何に重要かの部分を先に本文に記載し、その後で「合意は変わるものです」について議論するということでどうでしょうか?--Sweeper tamonten 2009年6月1日 (月) 02:32 (UTC)

消極的な賛成が得られたものと判断し、提案に沿って処理しました。この処理について反応が予測されますので当面はそちらに注目しますがご意見はいつでも受け付けます。(合意形成の具体的な方法についても見直しを行うべきです。英語版では多数決を行わないし、図解して実践を求めるなど日本の状態とは異なっています。これらの違いをどう考えるか話し合ったりすることは必要な作業です。実行がどのように行われるかを示しながら合意した事を第三者にどのように示すのか、第三者はどのように合意に対して尊敬を払いながらも挑戦していくべきなのかを具体的に考えることで解決の方向が見えると考えています。)--Sweeper tamonten 2009年6月8日 (月) 09:04 (UTC)
こんにちは。議論のリード、おつかれさまです。追加部分に関して訳を一部修正してみました。おかしな部分がありましたら、お手数ですが再修正お願いいたします。--Penn Station 2009年6月11日 (木) 03:26 (UTC)
Penn Stationさん、翻訳の見直し作業をしていただいたことに感謝いたします。修正されたところを拝見することで勉強させていただきました。--Sweeper tamonten 2009年6月11日 (木) 03:56 (UTC)
  • 賛成 (条件付き)合意が形成したことを確認するには規定によりコンセンサス方式(全会一致)によります。つまり、その時点での議論の参加者の総意であるということです。規定通りに合意形成の手順を最初から進めれば、従来の賛成者が異論を挟むうちは新しい合意形成は出来ないということです。不正な運用を防ぐために2点ほど規定を修正すべきだと考えます。この修正が賛成の条件です
    1. 再度合意形成する場合は、最初から、つまり合意形成の趣旨説明から、意見聴取、コンセンサス形成、告知のすべてのプロセスを適切な期間を設けてやり直さなかった場合(つまり新規案件ど同等の手続きを経なかった場合)はその事実をコメント依頼で確認してもらい、手続き不備が同意されれば合意形成(コンセンサス形成)は完了しなかったとみなす。完了しなかったの意味は不備のあるプロセスから再度合意形成の議論をやり直す必要があるという意味です(プロセス不備についての意義申し立て)。
    2. 再合意形成が形成されたとき以降で、合意案のなかで一つあるいはコンセンサスが得られた合意に、過去の当該分野の合意や他分野の合意事項・方針・規定と干渉するという意見が出た場合は、合意形成が作成され、(具体的に)何々の合意と関連するので意見のある方は合意形成にご参加ください。(合意形成場所のリンク)という告知をお知らせに掲示し、且つ告知後一定期間を経ずにコンセンサス確認をした場合は合意プロセス不備になる。(あとは上のプロセス不備についての意義申し立てで対応してくださいということです)
    このルールをWP:悪用してサクラだけ集めて、再合意形成する輩についてはプロセス不備についての意義申し立てをして、再合意形成のやり直しをしてくださいということです(一人でも異論があるうちは再合意形成はできないでしょうから。この条件が履行されれば、非常に高度な(つまり想定外の)悪用以外は懸念は無いと考えました。)。あと全会一致にケチをつけられないようにするには各プロセスに時間を十分ついやす必要があるとも考えます(合意形成が遅いのは当たり前だと考えます)。--あら金 2009年6月11日 (木) 11:55 (UTC)
    (補足)合意形成プロセス不備についての意義申し立ては、意義申し立てルールが試行期間に入る前に提案された合意形成には遡及的に適用しない。というのも必要かも。(その過去のケースは再合意形成を新規に立てればよしということです。)ではプロセス不備の意義申し立てや再合意形成のお知らせ告知の存在意義は、合意形成の議論をするのに「作法どおり皆まで繰り返す必要は無いが、すべてすっ飛ばしてコンセンサス形成すると合意自体にケチがつく」ので、要所要所は確認するというのが趣旨です。--あら金 2009年6月11日 (木) 12:11 (UTC)
あら金さん、ようこそ。そして具体的な方法論の記述に感謝いたします。方法論については別の節でも取り扱いたいと考えていますがここでも具体的な方法論を示しながらでないと話を進めにくいと考えておりました。
再度合意形成する場合には新規案件と同等の手続きが基本であり、趣旨説明・意見聴取・コンセンサス形成・告知が必要とのことですね。そして手続き不備についてはコメント依頼を求めていらっしゃいます。
告知についてはお知らせに掲示する方法が後段で示されていますが一般の記事については告知のタグを利用し、基本方針とガイドラインのようなウィキペディア全体に関わるようなことはお知らせを利用するということではないかなと考えております。(さらに希望される編集者には積極的に連絡することも考慮の内ですがこのことはある合意が形成されたときの記録に希望する編集者がその旨を宣言しておくことなどがない限りできないことなので現在の議論のレベルでは触れられません)
不備を指摘する人には合意を形成した人がまず説明する責任があると考えています。そしてその説明に納得できない場合にはWikipedia:論争の解決の手段としてのコメント依頼ではないでしょうか。
「サクラだけ集めて」という部分については再度の合意形成のみの問題ではありません。英語版では多数決を行わないことも基としてより大きな問題としたいと思います。
皆さん、サブセクションのタイトルを利用者:Snusmumrik000/合意は変えられるに基づき「合意は変わるものです」ではなく分かり易い「合意は変えられる」にすべきと考えました。--Sweeper tamonten 2009年6月12日 (金) 01:59 (UTC)
英語版の具体的な合意形成の説明を「合意形成の説明の置き換え案」に置きます。その説明の中では合意には他人の編集に対して反対意見を示さない消極的な合意から議論を通して得られる合意まであります。合意というものに対して私を含めて理解を深めるためのものでもありますので是非ご一読ください。--Sweeper tamonten 2009年6月15日 (月) 09:49 (UTC)

合意が変更できるとの記述を追加する提案(2010年3月1日から6月18日まで)[編集]

提案、英語版の文章の訳[編集]

英語版には以下のような文面があります。

Consensus can change

Consensus is not immutable. Past decisions are open to challenge and are not binding, and one must realize that such changes are often reasonable. Thus, "according to consensus" and "violates consensus" are not valid rationales for accepting or rejecting proposals or actions. While past "extensive discussions" can guide editors on what influenced a past consensus, editors need to re-examine each proposal on its own merits, and determine afresh whether consensus either has or has not changed.

Wikipedia remains flexible because new people may bring fresh ideas, growing may evolve new needs, people may change their minds over time when new things come up, and we may find a better way to do things.

A representative group might make a decision on behalf of the community as a whole. More often, people document changes to existing procedures at some arbitrary time after the fact. But in all these cases, nothing is permanently fixed. The world changes, and the wiki must change with it. It is reasonable and indeed often desirable to make further changes to things at a later date, even if the last change was years ago. — en:Wikipedia:Consensus#Consensus can change

訳してみました。

合意は変わるものです

合意は不変ではありません。過去の決定とは、それに疑問を投げかける自由が認められるものであり、また拘束するものでもなく、そのような変更が大抵は正当なものであることが理解されなくてはなりません。したがって、「合意によって」とか「合意に反する」ということが提案や作業を認めたり拒絶したりするための有効な根拠とは必ずしもなりません。過去になされた広範囲の議論というものが過去の合意に何が影響したかを示せるなら、編集者たちは各々の提案を各々の利点によって再検討し、合意が変更されるべきか否かを新たに決定する必要があります。

ウィキペディアが柔軟であり続けるのは、新しい人が新鮮な考えを持ち込み、成長が新しい必要性を育て、新しい事が現れると人の気持がゆっくりと変化し、そして我々はより良い作業の方向を見つけることができるという可能性を提供するためです。

ある代表グループがその本来の集まりに代わり、全体としての決定を行うかもしれません。事後のある機会に既存の手順に変更が加えられることはかなりあります。しかし、いずれの場合でも何かが永久に決定されるわけではありません。世界は変化し、ウィキペディアは共に変化しなくてはなりません。最後の変更が何年も前であっても、後になって変更を加えることは合理的であり、実際に大抵は望ましいものです。

これを加えたいと考えています。過去に提案しましたが全体の変更を優先させようと本文に手を加えておりました。しかし、その本文も考慮すべきガイドラインになりました。ここに至り、合意のレベルの次のサブセクションとして加筆したいと考えております。ご意見をお待ちします。--Sweeper tamonten 2010年3月1日 (月) 07:47 (UTC)

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コメント
  • Consensus can change ⇒ 「合意は修正することができます」
  • Past decisions are open to challenge ⇒ 「過去の合意に対する申し入れは開かれており、拘泥されるものではありません」
  • one must realize that such changes are often reasonable ⇒ 「このような申し入れはしばしば合理的であり、理にかなっているからこそ実現されるべきものです」
ではないでしょうか? --あら金 2010年3月1日 (月) 10:20 (UTC)
あら金さん、早速のコメントありがとうございます。"Consensus can change" は「総意は変わりうるものです」と訳したいのですが「合意」が基本の語となっているため「合意は変わるもの」とすべきかなと考えております。"Past decisions are open to challenge" の訳については意味するところに反対するものはないと考えていますが、できるだけ平易な表現にしたいと思います。"one must realize that such changes are often reasonable" については仰るような訳になるのかなと感じています。日本語版にあった文面にする必要があり、その点で他の方からの意見もあると思いますのでしばらく待たせてください。--Sweeper tamonten 2010年3月1日 (月) 11:26 (UTC)
◆うーん。二点目についてはびみょんぬ。「拘泥する」はほとんどのひとにとっては経験がないであろう表現であり、その簡易表現である「拘る」はもともとはマイナス評価を意味する表現だったはずが近年プラス評価を帯びてきていて、いずれにせよそこらへんの価値判断は避けたいような気がする。やや意訳がまじりますが、「過去の合意は常に再検討によって更に鍛えられるものだ」みたいなニュアンスで煮詰めることはできないでしょうか。--Nekosuki600 2010年3月1日 (月) 14:54 (UTC)
コメント以前にもコメントしたように、「合意が変更できるとの記述を追加する」というもとの考え自体に反対はしませんが、この文章でということには私は反対です。日本語版にあった文面にする必要性は感じておられるようですが、以前出された疑問や条件に応えるのも不可欠であると思います。修正案を待ちます。--春日椿 2010年3月1日 (月) 15:04 (UTC)
反対山吹色の御菓子さんの私案に対して…どさくさに紛れて自分の願望を織り込まないでください。
コメントSweeper tamontenさんの原案に対して…「過去の合意事項に疑問がある場合には常に問題提起することができます。」くらいでまとまりませんかね。--Springtide 2010年3月2日 (火) 04:10 (UTC)
春日椿さん、山吹色の御菓子さん、Springtideさん、コメントありがとうございます。
春日椿さん、あらためて貴方が以前コメントされた内容を読みました。そこには「結果を覆すためには、覆す方にも手順を踏んでもらうことが必要ではないでしょうか。」とあります。その手順とは新たな合意を形成する手続きと考えております。新たな合意についても以前の合意と同様に提案からある程度時間をかけた議論という段階を経る必要もあると考えております。その点を記述すべきとするならそれについて反対はありません。しかし、きちんとした理由があれば古い合意を覆すという結論が短期間ででることがありますがそれについて構わないということであれば不必要に長い時間をかける必要はありません。新たな合意について特段の優遇措置が取られるわけではないので以前の合意形成と変わらぬ思慮深さが必要と考えております。重要な点は論点に対する論理が何であるかであり、それが一通り出揃うまでの時間が考慮されなくてはならないということではないでしょうか、そしてそれは合意を形成する際に必ず求められることであり、特に古い合意を覆して新たな合意を形成する際だけに求めることではないと考えております。それともすで合意がある場合にはそれを覆す合意を形成するにはより厳しい手順が必要でしょうか。春日椿さんの考え方を理解したいのでお応えいただければ幸いです。
山吹色の御菓子さん、貴方の提案は分けて処理するほうがよいと思われます。別のセクションを用意されるべきと考えます。
Springtideさん、平易な文面で目的を達成しようとする意見と受け取りました。私が訳した理由の部分については注記で紹介する程度で十分かもしれませんね。--Sweeper tamonten 2010年3月3日 (水) 11:49 (UTC)
ちょうど以前のここでの議論で話題となったあたりが英語版で書き換えられつつあるようです。[1]--Ks aka 98 2010年3月3日 (水) 12:26 (UTC)
文意を理解していただけたので良かったです。結局の所「何をしていいのか、悪いのか」だけを書けばいいのに、なにやら背景やら理屈やら並べてしまうと、どんどん隠してある悪意があるんじゃないか、と誰でも深読みしたくなりますので。そして難解文書では曲解する人も増えると危惧します。--Springtide 2010年3月4日 (木) 11:53 (UTC)
まず翻訳の文章では日本語的にまわりくどく何を伝えたいのかがわかりにくいです。また、今回の提案の意図(重点)が、英語版の文章を加えたいということか、節の名の通り「合意が変更できます」という文面を加えたいのかがわからないです。前者ならば、それだけの理由では私は「合意が変更できる」という文面を加える以外私は賛成しかねます。後者でも、わかりやすい文章にした方が良い、全てが必要なのだろうかと言っています。例えばこの文章の方がいいたいことがわかりやすくはないでしょうか。
合意は変えることができます

合意は不変ではありません。過去の合意とは、それに疑問を投げかけ再度議論を行う自由を拘束するものではありません。「合意によって」とか「合意に反する」という対処を行うことは可能ですが、場合によっては再度合意を図ることが有効な手段となるでしょう。

ウィキペディアが柔軟であり続けるのは、新しい人が新鮮な考えを持ち込み、新しい情報が成長や人の気持の変化を促すことで、我々がより良い作業の方向を見つけることができるという可能性を持っているためです。
>きちんとした理由があれば古い合意を覆すという結論が短期間ででることがありますがそれについて構わないということであれば不必要に長い時間をかける必要はありません。
Sweeper tamontenさんは春日椿が、再合意には通常の合意よりももっと長く議論しなければならない、1ヵ月の議論で決定したことは2ヵ月の議論でしか覆せないというようなことを記述するべきと主張したと解釈した、と言われているのだと思って回答します。私は、現在の提案にある文章は、再合意をしようとする側を優遇しようとしているように見える、と考えています。まずはそれを取り払って頂きたいです。正式な合意の手順を踏むのは合意の基本ですから、念のためそれを記述したほうが良いと思うのがもうひとつ。「ただし、再合意が基本的な合意の手順にのっとっていない場合は、新しい合意は無効であり、過去の合意が有効となります。」など。--春日椿 2010年3月3日 (水) 16:36 (UTC)

コメント何か危険な兆候を感じます。「合意」という魔法の言葉を使って「何か」が正当化される兆候です。つまりピーナッツを鼻に詰める面白さを期待させる意味は無いと思うのです。

確かに過去の合意をルールと看做して「合意に従え」と言う人達(恐らくは苦労して合意を「勝ち取った」人達)に対抗するにはいい得物(武器)だと思います。ですが、そうした人達と「合意を形成すること」もまたwikipediaにとって大切なことだと思うわけです。少なくとも「勝ち取った」合意は合意ではなく、単に論敵を追い出しただけの「形式的な合意」なのですから。

ピーナッツを鼻に詰めるべきだと思うのならば、その時にピーナッツを鼻に詰める面白さを説いて「理解してもらう」ことが重要なのではないでしょうか。ピーナッツを鼻に詰めるべきではない子供にピーナッツを鼻に詰めたら面白いことが起こるかも知れないと期待させることではなく。

その「合意は変わるものです」の主旨は「過去の合意はルールではない」ということだと思います。それは合意とは何かを考えれば当然に導き出されるものであり、ガイドラインという葵の御紋で手早く「やっつける」のではなく根気強くそれを説くことは、相手に考える余裕を与え聞く耳を持たせ理解する機会を与え、最終的には幸せな合意を得られるものだと考えます。わざわざガイドラインに載せなくても、百年か二百年かする頃には自然と合意も変わっているでしょうし。

さて、言うだけなのも何なので提案しますと、どうしてもそれを載せたいと思うならば、それが「過去の合意を無視して良いことを意味している」という詭弁を使われることのないように何らかの明言があるべきだと思います。過去にその合意が形成された状況を精査し、疑問に思うところは質問するなどして理解し、中立的な観点を充分に考慮した上で提案するということです。合意とは論争での勝利によって得られるものではなく、相互理解と中立的な観点への配慮によって得られるものです。中立的な観点に配慮する為には、過去に行なわれた合意形成の際に存在した各観点を理解しなければなりません。それをせずに自説を主張することは、いつまでも「納得」しないことと同等ですからね。

そういった明言が無い(或いは複雑で難解な表現しか出来ない)ままでは、ピーナッツを鼻に詰めたら面白いことが起こるかも知れないと期待させる効果の方が大きいと思います。現状、面白いことを起こしたくて仕方が無い人達が充分に沢山居るのですから。少なくとも「合意に従え」と言う科白が出てくる間は。それは間違ってはいるけれども、それなりに治安維持、つまりコミュニティーの疲弊を防ぐ役に立っていると考えます。

世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月3日 (水) 22:07 (UTC)

春日椿さま、世界最狂の魔法使いCray-Gさま、コメントありがとうございました。

春日椿さま、
--翻訳の文章では日本語的にまわりくどく何を伝えたいのかがわかりにくいです。」--

この点に付いては英文を参考に何を伝えるべきかが議論されるべきであり、次にそれをいかに分かり易く伝えるかを議論したいと考えております。どちらかの議論について資するものをお持ちである方にはどんどん意見を出していただきたいと考えております。

--今回の提案の意図(重点)が、英語版の文章を加えたいということか、節の名の通り「合意が変更できます」という文面を加えたいのかがわからないです。--

節の名の通り「合意が変更できます」という文面を加えたいと考えております。これはウィキペディアの方針など重要な合意についてその合意を遵守しつつも常に吟味されている状態が健全であろうと判断するからです。そしてそれはそのための議論があった方が編集者各人の負担が減るものと考えています。

--後者でも、わかりやすい文章にした方が良い--

前述のようにわかりやすくするために意見を求めております。私の翻訳はたたき台ですから遠慮なく批判し、ご自分の意見をお示しください。

--現在の提案にある文章は、再合意をしようとする側を優遇しようとしているように見える、と考えています。--

最初の合意を除き、後の合意は全て再合意となりますね。最初の合意については捨石と考えれば特に問題はないと考えます。再合意する側が優遇されていると考える点は何でしょうか。

--正式な合意の手順を踏むのは合意の基本ですから、念のためそれを記述したほうが良いと思うのがもうひとつ。--

正式な合意の手順は決まっているのでしょうか?再合意は合意のひとつとして決定されなくてはならないとすれば問題はないと考えています。

--「ただし、再合意が基本的な合意の手順にのっとっていない場合は、新しい合意は無効であり、過去の合意が有効となります。」--

ウィキペディアの方針に関する文書でもその作成手続きに不備が指摘されているものがあったとおぼえております。手続きに不備がある場合にも議論が起こされ、新しい合意は無効であるとの合意がなされるべきと考えております。


世界最狂の魔法使いCray-Gさま、

「過去の合意を無視して良いことを意味している」という誤解を与えるような文章にはするべきではありませんね。あくまで合意の再検討を認め、その結果必要であれば再合意がなされるべきということが目的と考えております。

--過去に行なわれた合意形成の際に存在した各観点を理解しなければなりません。--

このためにも合意形成に関わった人たちには論点のまとめを作成していただきたいのですがそこまでされている例は少ないのではないでしょうか。すると合意に疑問を持つ人は長大な過去の議論を読み直す必要があります。この場合には問題の合意形成に関わった人たちにも責任があります。合意を支える理由が何であるかがどのように示されているかはその合意の品質に関わることです。それを指摘されて再検討され、同じ合意ながらも論点がまとめられれば合意の質が向上したことに満足すべきでしょう。--Sweeper tamonten 2010年3月5日 (金) 08:37 (UTC)
あえて、恐ろしい程の私見を述べさせて頂きます。わざわざこれを述べるのは、Sweeper tamonten氏の春日椿氏に対する返信の中に危険な兆候を読み取ったからです。
合意の再検討を認め
「合意」が魔法の言葉になる前は、当然に認められていることです。「合意」とは合意です。合意とは全員の納得であり、効率良く全員の納得を得る為に「議論」が行なわれます。ですが、議論の内容がどうであれ納得の行かないことは納得が行かないのです。
本件内容を明に書く意味があるのは、問題が起きているからです。問題が起きている場所とは前述の、「納得の行かないことは納得が行かない」人達が居る場所です。そして問題を起こしている人達とは、その「納得の行かないことは納得が行かない」人達から合意を「勝ち取った」人達です。つまり、幸せな合意を得られた場所では容易に「合意の再検討」の機会が得られるわけです、ノートで話しかけるだけで。
問題を起こしている人達を刺激することは同時に、彼らに敵対する「問題を起こしたくて仕方が無い人達」を刺激することです。問題を起こしたくて仕方が無い人達とはつまり「納得の行かないことは納得が行かない」人達なわけです。そうです。彼らはまだ「納得していない」のです。そんな彼らを抑えている唯一の「ルール」が、素敵な魔法の言葉「合意」です。
合意の質が向上したことに満足すべき
それに満足出来る人達には、本件内容は不要な言葉です。
本件内容を読むべきなのは「問題を起こしている人達=納得の行かないことは納得が行かない人達から合意を勝ち取った人達」であり、彼らに本件内容を読ませたいのは「問題を起こしたくて仕方が無い人達=納得の行かないことは納得が行かない人達」です。両者は話し合いをして合意を得るべきではありますが、いつまでも「納得」しない人達が居るので合意が得られないのです。其処の秩序を守っている「唯一の魔法」を解除する危険を冒す価値があるのでしょうか。勝ち取った「合意」を破戒されまいと必死に守っている彼らの頑なな心を解かすのは、個別に対応するべきことなのではないでしょうか。
さて、危険な兆候について話しますと、正式な合意の手順は決まっているのでしょうか?という一文です。「合意」を合意とは異なる「何か」だと認識している兆候です。合意は合意であり、正式も制式もありません。それを「正式」な合意とそうでない合意との違いに敏感になるのは、何か「問題を起こしたくて仕方が無い人達」と同じ傾向があると認識します。それは即ち「合意の仕方を知らない」ということです。合意の仕方を知っている人が提案したのなら、不要なはずのこの文章に何らかの必要性を感じてのことでしょう。ですが合意の仕方を知らない人が提案したのなら、それは「問題を起こす為の得物」を得る為に相違無いと判断します。
反対 以上より、私は本件「合意が変更できるとの記述を追加する」ことに強く反対致します。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月5日 (金) 10:17 (UTC)
世界最狂の魔法使いCray-Gさま、新たなコメントの書き込みに感謝します。
私の"合意の再検討を認め、その結果必要であれば再合意がなされるべき"とのコメントについて、このことは"「合意」が魔法の言葉になる前は、当然に認められていることです。"とあります。ウィキペディアを知る人がそのような認識となる理由は何でしょうか?ウィキペディアのどこかにそのような記述があるのでしょうか?--Sweeper tamonten 2010年3月5日 (金) 12:14 (UTC)
普通に日本語で合意と言った時の意味に拠っています。対する魔法の言葉である「合意」とは「wikipediaに於ける合意」という意味です。この両者は本来同じ意味ですが、wikipediaに於いては合意が「最も重視されるべきものの内の一つ」に数えられています。ですが日常生活に於いては、合意よりも法(ルール)とか選挙とか伝統とか何とかかんとか、合意よりも重視されるべきものが多々存在します。この差異は、wikipediaに於ける他の「最も重視されるべきものの内の一つ」である中立的観点に起因しています。
日常生活に於いては、犯罪者とか部外者とか若輩者とか異端者とかの観点は基本的に無視されます。wikipediaに於いては、それらの観点も無視されるべきものではありません。しかしながら、特定の(恐らくは国家運営上有用な)観点のみを重視しその他の観点が当然に議論の余地無く無視される日常生活に慣れている人(←日本人は特にその傾向が強いと考えています)にとっては、その他の観点を排斥する以外の方法(つまり中立的な観点を模索する為に議論すること)に慣れていません。故に彼らには「その他の観点を議論の余地無く無視する」為に、議論の余地無く従わなければならいない何か(法や投票など)が必要になります。投票が基本的に強制力を持たないことはガイドラインに明記されています。他に何とかなりそうなものは(ガイドラインそのものを除けば)「合意」しかありません。彼らは合意を曲解し、「合意」に「守るべき法」という性格を付与したわけです。これが魔法の言葉「合意」です。此処までは、問題を起こしているいないに関わらず、多くの人に共通した傾向があります。
それがwikipediaにとって最良の状態ではないことには強く同意します。頑なな彼らにそれを知らしめることは意味があることです。ですが其処には必ず、過去に「敗北」を喫した「無視された観点」を持つ者達が存在するのです。彼らが如何なる形で「敗北」したのかは知りませんが、恐らくは「wikipediaに於いて許されざる何か」をしたのでしょう。敵が自滅するまで激しい論争に耐え抜いた側には、未だ消えやらぬ恐怖が心の傷(トラウマ)として残っています。善意にとったその意図を裏切られ悪意に曝され荒らされ戦った恐怖です。それが我々には「頑な」に見えるのです。それは明らかに最良の状態ではありませんが、少なくとも「wikipediaに於いて許されざる何か」をした者達を「合意」という呪文の束縛から解放して再び同じ悲劇を繰り返すよりはまだマシな状態だと判断します。
彼らの頑なな心を解かすのは論争ではなく、誠意ある態度です。敵意を以って武器を取るのではなく、誠意を以って対話することです。彼らが恐怖を感じることなく対話のテーブルに着いてくれるように、誠意ある態度で時間をかけて信用を築くことです。それが私の言う「合意の仕方」です。
それが出来ないなら、したくないなら、手軽に楽に「やっつけ」たいなら、ガイドラインを変更することで彼らの唯一の「救いの拠り所」を破壊することは、彼らの心を打ち砕き希望を失わせ抵抗の気力を奪い速やかに降伏させる最も効果的な方法です。
古来より、異なる観点の持ち主と合意を得ることは、とてもとても難しいことなのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月5日 (金) 13:50 (UTC)
世界最狂の魔法使いCray-Gさま、早速の回答に感謝いたします。私の2010年3月5日 (金) 12:14 (UTC)の質問についての回答は理由はあるがウィキペディアでは明文化されていないと受け取りました。--Sweeper tamonten 2010年3月5日 (金) 14:54 (UTC)
誤解があるといけませんので、念の為に改めて書かせて戴きます。
ウィキペディアを知る人がそのような認識となる理由は何でしょうか?
wikipediaを知る以前から持っている認識だからです。
ウィキペディアのどこかにそのような記述があるのでしょうか?
(私の知る限り)何らの記述は存在していませんし、wikipediaに特有の認識ではないのでwikipediaによる再定義が無いことを私は何ら疑問に思っていません。
そして総論としては、wikipediaによって再定義されることで意図していない意味が発生する可能性を考慮し、反対します。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月5日 (金) 15:12 (UTC)
世界最狂の魔法使いCray-Gさま、私の2010年3月5日 (金) 12:14 (UTC)の質問についての回答は回答は理由はあるがウィキペディアでは明文化されていないということに間違いはないのですね。そして貴方は明文化には反対です。貴方は合意に対して疑問を呈し、それに対して議論を起こし、その議論の参加者が新たな合意を形成することに反対でしょうか?今の時点でどのように考えられますか?--Sweeper tamonten 2010年3月5日 (金) 15:33 (UTC)
理由はあるがウィキペディアでは明文化されていない
その表現には、私が意図していない意味が含まれている可能性を感じます。私の 2010年3月5日 (金) 15:12 (UTC) の投稿を読んでもそのようにしか認識出来ないのであれば、Sweeper tamonten氏にはそれ以上の理解は恐らく不可能なのだと思われます。
貴方は合意に対して疑問を呈し、それに対して議論を起こし、その議論の参加者が新たな合意を形成することに反対でしょうか?
この質問もこの前の質問も、詭弁#多重尋問である可能性があります。詭弁によって言質を取る質問の仕方は、議論を論争と考えている人間の特徴です。そういった特徴を持つ人間の発言を善意に取ると、善意にとったその意図を裏切られ悪意に曝され荒らされ不毛な戦いに引きずり込まれることになるので、善意にとることが出来ません。
とりあえず、「それに対して議論を起こし」の部分が問題です。合意に至る為には相互理解をするべきです。相互理解の為には議論ではなく質問をし、その回答を理解し受け入れる必要があります。それが受け入れられないからといって議論を起こすことはイコール過去の合意を無視することであり、過去の合意を無視して形成した合意は無効です。
今の時点でどのように考えられますか?
今の時点では、Sweeper tamonten氏は論争は出来る(=所謂ディベート技術や弁論技術を保有している)人物だが議論(=合意形成の為に必要となる相互理解の一環として行われる議論)は出来ない人物であり、そのような人物との議論は「議論にならない」と考えています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月5日 (金) 16:22 (UTC)

長くなるので引用しないでコメントします。

  • 英文を参考に何を伝えるべきかが議論されるべきというならば、私は反対です。
  • 「合意が変更できます」という文面を加えるのが真意ならば、英文を参考にするより、その文章がないことでどのような問題がおきているかというような、日本語版の現状に合わせる方が(つまり「合意が変更できます」という文面を加える合意をとる)ことが必要ではないでしょうか。
  • 「最初の合意については捨石と考えれば特に問題はない」というのは? 再度提案された場合はその前の合意が無効になるという意味でしょうか。
  • ええと、それを伝えているのがこのガイドライン(と提案)だと私は思っていたのですが。
  • それは、告知がなくされた議論だった、誰かの会話ページや違う記事のノートでされたものを合意とされた場合も、無効だと手続きしなければならないんでしょうか。--春日椿 2010年3月5日 (金) 16:14 (UTC)


春日椿さん、コメントありがとうございます。対応が取れるようにコメントを加えました。
  • --英文を参考に何を伝えるべきかが議論されるべきというならば、私は反対です。--

英文を参考に何を伝えるべきかが議論されることに反対される理由は何でしょうか?

  • --「合意が変更できます」という文面を加えるのが真意ならば、英文を参考にするより、その文章がないことでどのような問題がおきているかというような、日本語版の現状に合わせる方が(つまり「合意が変更できます」という文面を加える合意をとる)ことが必要ではないでしょうか。--

起きている問題を取り上げて具体的な必要性を論じるようなことをしていない今の段階では「合意が変更できます」という文面を加える合意を得ることは難しいでしょう。できるとすれば「合意は絶対に変更できない」という文面は絶対に加えないという合意を得ることでしょう。すると「合意は絶対に変更できないものではない」というタイトルなら受け入れやすいのでそこから始める手もあるのかなと考えてしまいます。春日椿さんの経験から特に必要ではなかったというような実例があれば参考にさせていただきます。

  • --「最初の合意については捨石と考えれば特に問題はない」というのは? 再度提案された場合はその前の合意が無効になるという意味でしょうか。--

再度提案されただけではその前の合意が無効になるということではないでしょう。その提案が新たな合意になればということです。

  • --ええと、それを伝えているのがこのガイドライン(と提案)だと私は思っていたのですが。--

Wikipedia:合意形成は公式な方針ではなくガイドラインの状態ですが現実には公式な方針と同等の扱いを受けると考えていいわけですね。

  • --それは、告知がなくされた議論だった、誰かの会話ページや違う記事のノートでされたものを合意とされた場合も、無効だと手続きしなければならないんでしょうか。--ウィキペディアでそこまで決まっていないと認識しています。必要と考える人は何らかの行動を起こすべきでしょうね。無効だとする手続きとはどんなものでしょうか?--Sweeper tamonten 2010年3月7日 (日) 12:27 (UTC)
各言語版は、それぞれの事情や現状に合わせて動いています。その文章が追加された経緯を添えた上で文章を提示されたならば事情は異なりますが、ただの判断材料のひとつです。また個人的に言わせてもらうと、私は「○○言語版でこうだから」という前提でされる話が嫌いです。
「合意は変更できないものではない」ということばでも、問題が起きていないなら反対されるかもしれません。
ならば問題ありません。
前者はその通りですが、後者はそのようには私は言っていません。
このページやWikipedia:ノートページでの慣習的な決まりや各種提案の文書を見れば、議論はそのページのノートかわかりやすい場所で行うこと(告知)ということが、改めて明文化するまでもなく示されていると私は思っていましたが。もし必要ならば複数の節への加筆の提案をかんがえます。--春日椿 2010年3月7日 (日) 16:55 (UTC)
横槍ですが、
英文を参考に何を伝えるべきかが議論されることに反対される理由は何でしょうか?
Wikipedia:鼻に豆を詰めないでのページに書かれている通りの理由でしょう。少なくとも私はそうです。
「合意は絶対に変更できないものではない」というタイトルなら
タイトルの問題ではないので、タイトルが何であれ私は反対しますし、他の人も意見は変わらないことでしょう。
再度提案されただけではその前の合意が無効になるということではないでしょう。その提案が新たな合意になればということです。
その「再度提案され」てから「その提案が新たな合意にな」るまでの間に「前の合意」が無視されるのであれば、その「新たな合意」はWikipedia:中立的な観点に違反していることになります。Sweeper tamonten氏の「最初の合意については捨石」(2010年3月5日 (金) 08:37 (UTC))という発言が、その中に「前の合意を無視する手順」を含んでいることを暗黙に意味しています。何故なら「中立的な観点」に違反しない限り、再合意に於いて捨てられるべきものは何も無いはずなのですから。
Wikipedia:合意形成は公式な方針ではなくガイドラインの状態ですが現実には公式な方針と同等の扱いを受けると考えていいわけですね
いいえ、ガイドラインはガイドラインです。
wikipediaの全ての指針の基礎である五大原則「五本の柱」の一つである「中立的な観点」を維持する為に重要な手段の一つが「合意を形成すること」なので、「中立的な観点」が公式な方針である以上「合意を形成すること」自体も公式な方針に記載されているのと同様の扱いを受けることになります。ですが、それと「Wikipedia:合意形成というガイドラインの内容」が公式な方針に記載されているのと同等の扱いを受けるか否かは別の問題です。既に 2010年3月5日 (金) 10:17 (UTC) にて書いた通り、「正式な合意の手順」に関してはwikipediaの何処を探しても書いていないと思います。それが何処に書いてあるかを探す人は、合意を知らない人か誤解している人か、或いは歪曲しようとしている人だけです。アップルパイの出典を求める人は、アップルパイを知らない人か誤解している人か、或いは歪曲しようとしている人だけなのと同じように。
無効だとする手続きとはどんなものでしょうか
私からはこれへの回答を当面の間は留保します。論争準備の為に言質を取ろうとしている可能性があるからです。これに関して言質を取られると、其処からお前だって論法を用いることで「中立的な観点」への違反を正当化することが可能になるからです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月7日 (日) 17:34 (UTC)
春日椿さん、コメントありがとうございます。分からない箇所がありましたのでそこまでの部分について対応させていただきます。
  • --各言語版は、それぞれの事情や現状に合わせて動いています。その文章が追加された経緯を添えた上で文章を提示されたならば事情は異なりますが、ただの判断材料のひとつです。--その通りですね。判断材料のひとつです。
  • --また個人的に言わせてもらうと、私は「○○言語版でこうだから」という前提でされる話が嫌いです。--これが経緯や論理を吟味せずに表面のみに注目することに抵抗があるということならばもっともなことで、ウィキペディアでも議論が終わったらまとめておくように言っていたとおぼえています。結論を得た論理が何なのかが重要と考えています。
  • --「合意は変更できないものではない」ということばでも、問題が起きていないなら反対されるかもしれません。/ならば問題ありません。--問題が起きていないという共通認識が形成されるなら、そのことをもって当面は明文化を控えるべきと考えています。
  • --前者はその通りですが、後者はそのようには私は言っていません。--この部分が分からないのですが前者と後者はそれぞれ何を指しているのでしょうか?--Sweeper tamonten 2010年3月8日 (月) 11:58 (UTC)
この文章がガイドラインであるという部分が前者、これが公式な方針と同等という部分が後者です。世界最狂の魔法使いCray-Gさんが詳しく解説してくださっています。
>問題が起きていないという共通認識が形成されるなら、そのことをもって当面は明文化を控えるべき
あなたがここで提案者としてしなければいけないのは、「問題が起きているという共通認識の形成」でしょう。問題が起きていないという共通認識が形成されるということは、提案者であるあなたでさえその問題はないといっているのと同じとなり、何のためにこの提案を起こしているのか疑問に思います。--春日椿 2010年3月8日 (月) 16:27 (UTC)
(反対)どうも提案者は各コメントへの返答で「自分の良いように言い直しておいて、自分に都合の良い質問にのみ回答」しているので本筋に全く修正要素が含まれておりません。よって明確に「合意を変更できる」という文言の追加は全面的に反対します。繰り返しますが自分の良いように言い直しするような方に合意無視の免罪符など与える気は毛頭ございません。「合意に疑問を述べることはいつでも可能です。」という文言に変更した場合のみ、賛成することにしましょう。--Springtide 2010年3月18日 (木) 02:27 (UTC)

春日椿さん、

  • 各言語版は、判断材料のひとつということでは合意が得られたと考えています。
  • 結論を得た論理が何なのかが重要と考えることも合意が得られるのではないかと考えています。

Springtideさん、 「自分の良いように言い直しておいて、自分に都合の良い質問にのみ回答」しているということは誤解です。理解できない部分について確認したり質問したり、難しいコメントは後回しにしているだけですし、私だけが発言する権利を持っているわけでもありませんし、まして私一人が主体となって原案をまとめあげていくべきものでもありません。ゴールが決まっているわけではありませんので皆さんの建設的な意見を求めています。 --Sweeper tamonten 2010年3月25日 (木) 10:52 (UTC)

少なくとも最新のコメントでわたしはそんなことは言っていません。「自分の良いように言い直しておいて、自分に都合の良い質問にのみ回答」していることが誤解なら、回答を求めます。難しい回答を求めているつもりはありません。
各言語版が判断材料のひとつということ、結論を得た論理が何なのかが重要と考えること、どちらもここで話し合われていないものですから、今のところ合意の得ようがありません。--春日椿 2010年3月25日 (木) 16:23 (UTC)
春日椿さん、
回答を求めているものはどれでしょうか、箇条書きにしていただけませんか?
なお、私はあなたが3月7日(日)16:55に発言された「各言語版は、それぞれの事情や現状に合わせて動いています。その文章が追加された経緯を添えた上で文章を提示されたならば事情は異なりますが、ただの判断材料のひとつです。」とありましたので各言語版が判断材料として認められ、しかもその論理が必要であるものと発言されていると考えました。--Sweeper tamonten 2010年3月28日 (日) 04:52 (UTC)
2010年3月8日 (月) 16:27 (UTC)にて発言している後半、具体的には「あなたがここで提案者としてしなければいけないのは~疑問に思います。」の文で言っている内容が、私があなたに回答を求めている必要最低限の部分となります。
次に同コメントで、私の言いたい内容を世界最狂の魔法使いCray-Gさんが解説してくださっているということを付記しており、私からも氏に対する回答をしてほしいというのが二つ目です。
また、私の文章の意図が正しく伝わっていないことを了解しました。3月7日(日)16:55に発言した文章を、正しく伝わるように省略しないで書きます。「各言語版は、それぞれの事情や現状に合わせて動いています。そのため、そこで発信された内容が別の言語版にも受け入れてもらえるとは限りません。その文章が追加された経緯を添えた上で文章を提示されたならば事情は異なりますが、それはただの判断材料のひとつです。」
追記しますと、私が言えるのは「他言語版で成立したガイドラインや修正文は、その文章の必要性と結論を得た論理が何なのかを示すことで判断材料のひとつと考えることができる」ということで、それにあなたが同意された場合は二人の間での共通見解の形成ができたということになります。しかし議論の焦点となっていないので、このことが合意されたというレベルまではいきません。--春日椿 2010年3月28日 (日) 13:28 (UTC)
春日椿さん、回答に感謝します。まず一つ目の点について話を進めたいと思います。あなたは私が提案者として「問題が起きているという共通認識の形成」を行わなくてはならないとしていますが、私は「問題が起きているという認識」が確かではありません。起きているか否かについて皆さんの認識とその根拠を伺いたいと考えています。そしてその結果によって作業を進めるか止めるかを判断します。あなたに問題が起きているか否かについての認識と根拠があるのであればそれをお示し下さい。--Sweeper tamonten 2010年3月30日 (火) 17:29 (UTC)

主要な返答は会話ページの方でしましたが、ここでは補足を。あなたは何をしたいのですか。「問題が起きているという認識」がないのであれば、どのような理由で文章の追加を望んでいるのですか。私には、提案者が持っているべき問題意識の形成を、反対している私が協力しなければならない理由がわからないのですが。「提案されている文章がなかったことで今まで問題が起きた経験が私にはないし、それがあることで何か問題を解決したり防いだりすることがあるとは思わない」--春日椿 2010年3月31日 (水) 16:46 (UTC)

春日椿さん、私はウィキペディアのルールも記事と同様に考えています。Wikipedia:ウィキペディアに参加する#ウィキペディアにおける材料を利用するでは「多数の言語版にあるが日本語版にない記事」がリストにあります。ここで追加しようとする合意は変更できるという部分はそれに当たるものではないでしょうか?貴方の主張は何かウィキペディアの方針に基くものでしょうか?つまり提案者に求められることが規定されているのでしょうか?Wikipedia:編集方針#完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください。の精神からすれば各編集者の協力によってウィキペディアのルールも形成されていくべきものと考えています。
さて、春日椿さんからは「提案されている文章がなかったことで今まで問題が起きた経験が私にはないし、それがあることで何か問題を解決したり防いだりすることがあるとは思わない」という認識が表明されました。これについての根拠はまだ示されていませんが本人、あるいは他の編集者からそれが示されれば今回の作業にとってより有意義なことと考えます。また、私は何か問題が起きていなければこのルールも明記はいらないのではないかと考えていましたが「今まで火事が起きていないのだから消火器はいらない」と考えるようなもので潜在的な必要性があるかないかが問題であると考え直しています。--Sweeper tamonten 2010年4月1日 (木) 05:45 (UTC)
そうですか。私はウィキペディアのルールが記事と全く同じとは考えていないのですが、Wikipedia:ウィキペディアに参加するWikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事は、さらにどちらでもない文章でしょう。提案者に求められること、「合意を取りたい側」が示さなければらないという根拠はいくつか会話ページの方に示しましたので、そちらをご覧いただければと思います。
次には、私の認識に対する根拠がないということですが、それは私の編集履歴にありますからご確認くださいとしか言えませんね。それ以外の形で、私が証明するということについては、必要性がわからないうえに「今まで無かった」ことを証明するのは「一回でもあった」ことを証明するよりも難しいことです、そちらが「その根拠を私が提示しなければならない」根拠をお持ちなら、私がやらなくていいという認識を変えることが出来るかもしれません。例文を借りれば「火元となりうるものがひとつもないのだから、水をためておく必要はないし」。
私には、どうしてあなたがこの提案をしているのかが見えません。「火事が起きるかもしれない危険性」を感じていないのに、何を「消火器」としようと考えているのか、もっと言えば現行の文章のままでどうしてそれが出来ないと考えているのかがわかりません。あなたがやりたいことが、この文章に合意が変更できることを示したいだけなら、そもそも現時点でそれは叶っていることです。わかりやすく明示する、というならそれはここまで反対っされたり長引いたりもしなかったでしょう。--春日椿 2010年4月1日 (木) 07:52 (UTC)
ウィキペディアのルールを変更するために合意が必要になると考えていますが、これまでの変更について合意がこのように成ったということで経験が語られるなら今回の議論に役立つことなので知っている方にはいろいろな議論を紹介していただきたいと考えています。なお、私はウィキペディアのルールを変更する際に達成された合意は過去の合意を覆すものと考えています。これを説明に利用するということも選択肢のひとつと考えています。--Sweeper tamonten 2010年4月1日 (木) 08:35 (UTC)
コメント 提案者さんへ、議論が始まって1ヶ月が経過しようとしていますが、未だ誰一人納得させられていませんね。論破ばかりを狙って何が進むのですか。春日椿さんを押し切ったところでまだ反対者ばかりであり、賛同者は一人もいません。本質的な修正案を出す、出さないどっちですか?これ以上「自己の詭弁のためだけに」ルールルール言うのなら、いい加減雪玉適用を発議しますがそれでも良いのですか?--Springtide 2010年4月1日 (木) 08:56 (UTC)
Springtideさん、コメントありがとうございます。私は今の段階で確固とした案を用意しているとは考えていないので意見の集約に努めています。私が最初に示した案が最終案でないことはこれまでの議論の中で示されていたと考えていました。そしてあなたも本質的な修正案を出していないと認識しているようです。今の段階で本質的な修正案があるべきとは考えていません。いい案を用意するために意見の集約を行っている段階です。また、あなたは私が「自己の詭弁のためだけに」ルールルール言っていると主張されていますがあなたも雪玉適用を発議するとルールの適用を示唆しています。私の進め方が気に入らないからといってこれはあまりに乱暴ではないでしょうか?--Sweeper tamonten 2010年4月1日 (木) 11:45 (UTC)
あなたが今第一にやりたいことが意識調査ならば、提案という形ではなく調査として行ってください。ここではなく、井戸端で募集したらおそらくここでやるよりも多数の意見が集まるでしょう。でも、私には2010年4月1日 (木) 08:35 (UTC)のコメントで何を求められているのかさっぱりわからないので、申し訳ないのですが、わかりやすく書きなおしていただけないでしょうか。--春日椿 2010年4月1日 (木) 12:10 (UTC)

春日椿さんが意識調査をそのような形で行ってくださるなら助かります。私はそのような経験がありませんのでそのような考えを持ちませんでした。なお、ここでは編集者のコメントを受け付けて案に反映させたりする機能を持っていて単なる意識調査だけのために存在しているとは考えていません。--Sweeper tamonten 2010年4月1日 (木) 12:16 (UTC)

やはりおわかりいただけていないようで残念です。まず私はあなたがどのような意識調査をしたいのか理解できていません。そして、あなたが自分の行動を決めるためにしなければならない意識調査がどんなものかも思いつきませんので、Wikipedia:井戸端にはあなた自身で行ってください。
ノートページは付属のページよよりよくするための議論のために存在していますから、あなたが個人的にどうするかを決めるために使うことは歓迎されません。編集者のコメントを受け付けて案に反映させるというなら、それは意識調査ではありません。--春日椿 2010年4月1日 (木) 12:29 (UTC)
私はあなたがどのような意識調査をすべきなのか腹案をお持ちと考えましたがそれがないようであれば結構です。私は今この場をお借りしているだけで十分と考えているので他の場所を借りてまで意識調査をしようとは思いません。しかし、その手続きの何かの助けとなるような資料がありましたらご教示願います。また、ノートページの利用方法についてご意見を頂きましたが特に問題となるような使い方をしているとは考えていません。--Sweeper tamonten 2010年4月1日 (木) 12:45 (UTC)
あなたは2010年3月30日 (火) 17:29 (UTC)のコメントで、私は「問題が起きているという認識」が確かではありません。起きているか否かについて皆さんの認識とその根拠を伺いたいと考えています。そしてその結果によって作業を進めるか止めるかを判断します。と書かれています。
それは、そのページのために付属しているノートページの利用法としては乖離しているものです。あなたが判断するために必要な意見を募集したいのであれば、Wikipedia:井戸端で行った方が意見も集まりますよと言っています。Help:ノートページは読みましたか。
「春日椿がどのような意識調査をすべきなのか腹案をを持っている」と考えたのですか。私はどこでそのような誤解を与える言葉を使いましたか。--春日椿 2010年4月1日 (木) 13:19 (UTC) 署名忘れのため付記--春日椿 2010年4月1日 (木) 13:33 (UTC)

今回の議論参加者、全員が修正すべき要素を述べてます。

  • 「過去の合意は常に再検討によって更に鍛えられるものだ」程度にぼかしたらどうか by Nekosuki600さん
  • 再合意をしようとする側を優遇しようとしているように見える、と考えています。まずはそれを取り払って頂きたい by 春日椿さん
  • 「過去の合意を無視して良いことを意味している」という詭弁を使われることのないように何らかの明言があるべき by 世界最狂の魔法使いCray-Gさん
  • 「過去の合意事項に疑問がある場合には常に問題提起することができます。」くらいでまとまりませんかね by 下名(Springtide)

全員が全員実は同じ事を言っていると私は認識しています。「過去の合意事項は合意事項として尊重する文言を加えなさい。その点さえ明記されているなら賛成する余地が出てきます。」と言う意味ですが、これ理解できませんか?--Springtide 2010年4月1日 (木) 13:06 (UTC)

「過去の合意事項は合意事項として尊重する文言を加えなさい。その点さえ明記されているなら賛成する余地が出てきます。」とあります。私はちゃんとした手段で達成されている合意は第三者に尊重されるべき旨を本文に加えるべきと考えています。ちゃんとした合意は尊敬されるべきですし、瑕疵ある合意については再考されるべきです。現在のWikipedia:合意形成の本文の大部分は私が用意したものですがそれが本人の知らぬ間にガイドラインとなってしまいました。うれしくもあるのですが問題点を指摘されれば今後修正しなくてはなりません。そのような場合は過去の合意を覆すということになるのでその際に「合意は変更できるもの」という考え方が必要になってきます。現在のWikipedia:合意形成がガイドライン化する過程の合意をどう評価するかは具体的な研究材料と考えています。現行のいくつもの合意には品質に差があると考えています。それらの合意を尊重はしますが一様ではありません。どのように現行の合意を評価するかという点も重要と考えています。私があまり意見を言うようではブレインストーミング的な場ではなくなるので控えるべきとも考えますが関連するコメントがありましたので意見を述べさせていただきました。--Sweeper tamonten 2010年4月1日 (木) 13:35 (UTC)
なるほど、もしかするとここまで紛糾してしまった理由はただ一つだったのかもしれません。Sweeper tamontenさんが説明ばかりとなってしまって、実際に提案した現物が「原案=ただの翻訳文」「その後の修正文=合意が変更できます、という一文」の二つだけに見えるんですよ。これじゃさすがに誤解を招く進行になっているのかなと思います。思いはよく分かりました。Sweeper tamontenさんが述べた「ちゃんとした合意は尊敬されるべき」という部分を追加文面の前に含ませればどうでしょう。その辺含んでいただいた上でもう一度「この文面を追加したいんだ」という文案を出していただきたいと思いますがどうでしょう。--Springtide 2010年4月1日 (木) 14:01 (UTC)
「ちゃんとした合意は尊敬されるべき」という部分を追加文面の前に含ませればどうでしょう。---->賛成です。//もう一度「この文面を追加したいんだ」という文案を出していただきたいと思いますがどうでしょう。---->ウィキペディアの方針変更についてWikipedia:基本方針とガイドライン#内容の修正を中心に考えを深めてから現行の文面を見直させてください。--Sweeper tamonten 2010年4月1日 (木) 14:44 (UTC)
上のコメントを見ると、Sweeper tamontenさんのやりたいことは、英語版の文章を反映させる、合意が変更できるという文を追加するというよりももっと上の次元であり、この文章の改定・大幅な加筆を視野に入れているように思います(合意の質に関するコメントから)。--春日椿 2010年4月1日 (木) 14:51 (UTC)
了解しました、完全な改稿ならそれは大きな意義があるかもしれません。英語版にこだわらずSweeper tamontenさんの思いはしっかり文面にしていただければと思いますし、その案ならばお互いに色眼鏡かけてしまって紛糾するようなこともないと思います。私今すごくさっぱりしているのは独り合点だったりしますかね…。--Springtide 2010年4月1日 (木) 15:30 (UTC)
私がそう解釈したというだけなので、もしかしたら違うのかもしれませんが。ただわたしもそういう方向で話をするならば納得というか、自分の文章をよりよくしたいという、何がしたいのかわかるような気がするくらいにはなっています。ですがもしかすると、ガイドライン化は時期として早すぎたのかも知れないのかもしれません。草案状態の方が影響をあまり気にすることなく、もっと自由にできるような気がします。--春日椿 2010年4月1日 (木) 15:40 (UTC)
そのような場合は過去の合意を覆すということになるのでその際に「合意は変更できるもの」という考え方が必要になってきます。
覆されるのではありません。合意されるのです。その際、「この場には居ないけど、過去に過去の合意に合意した人達も合意するに相違無い」と合意された「合意」が有効になります。それを「今此処に居ないから」という理由で「過去に過去の合意に合意した人達」を「無視」するのなら、「過去に過去の合意に合意した人達」が合意しないことを前提とした「合意」であり、実際それは「中立的な観点に基づいた合意」では有り得ないので「合意」として無効です。実際問題として「過去に過去の合意に合意した人達」が本当に合意するか否かはわかりません(もしかしたら何百年も前に死んでしまっているのかも知れません)が、「合意するに相違無い」と合意された(=誰もがそう思っている)ような内容なら、きっと「過去に過去の合意に合意した人達」も「合意するに相違無い」ことでしょう。
「合意は変更できるもの」という考え方は(少なくとも今の日本語版にはまだ)必要無いと考えます。それは正しい考え方ですが、日本の文化の中で育った人なら大多数が知っている(そして逆にルール軽視という悪い習慣を併せ持つ)ことだと私は思い込んでいるからであり、それをことさら取り立てることは逆に、既に書いたような悪影響を及ぼすと私は信じ込んでいるからです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年4月2日 (金) 13:10 (UTC)
「過去の合意を常に見直し、新しい合意を得ることが出来る」という言い方だとどうでしょう。--Springtide 2010年4月2日 (金) 13:23 (UTC)
観点が異なる人間に対する言葉なので、「シンプルで且つ意図した通りに伝わる(=曲解不能な)表現」を探すのはとても難しいと思うのです。同じ言葉でも、異なる観点の人が見れば異なる意味に聞こえるものです。言葉を尽くすことで伝わる場合もありますが、伝わらない(相手に聞く気が無い/観点が異なることを理解してもらえない)場合の方が「私の経験上」多いです。対面で会話をしながら言葉を尽くしてすら伝わらない場合の方が多いのに、ガイドラインという一方的な言葉だけで(しかもシンプルに)伝えるのは絶望的に難しいと「私は」考えています。この絶望的に難しい問題を解決するにはとても極端な表現か、或いは「正確ではないが相手の観点に立った表現」を用いるのがある程度の有効性があると「経験上私は」判断していますが、本件に於いては「問題を起こしている」のが「両極端な二者」であることから、極端な表現でも「いづれか一方」の観点に立った表現でも不適切だと思います。(先の私の投稿のように)長々と書けば或いは伝わるのかも知れませんが、単に「長い」というだけの理由で読むことを敬遠する人も少なくありませんし、長ければその一部だけをあげつらって都合良く解釈することも出来るようになりますのでどうかと思います。
なので反対であることに変化は無いのです。そしてよほどの文案よほどの傑作が出て来ない限り、民主主義なら以後議論に参加すること無く黙って最後の投票で反対票を投じるだけの状態です。「私は信じ込んでいる」のです。
本件に関して、私の主張したいことは全て主張しました。そして私自身は「議論により意見が変化しない」状態にまで来ました。つまり私は以後、本件「合意が変更できるとの記述を追加する」議論に関していつまでも「納得」しないで反対し続ける議論参加者になることになります。ですが私の観点が偏っている自覚はありますし妨害行為をしたいわけでもないので、圧倒的多数が追加する案に賛成となれば(納得は出来ないとしても)棄権するつもりでいます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年4月2日 (金) 14:52 (UTC)
ちょっと気になったのですが、私が再三Sweeper tamontenさんに何がやりたいのと聞いていた理由の一つでもあるのですが、実は今のガイドライン、よく見ればWikipedia:合意形成#編集作業の結果としての合意に、新しい合意を形成できることが図示されているのです。つまり、今のままでも「合意が変更できるとの記述」は伝わるもの、という見方もできます。
もし、またもや私が提案者の意図をわかっていなかったら、振り出しに戻ることとなります。そうすると、やはり私はSweeper tamontenさんが、こちらの求めていることを果たさない限り、反対を続けることになります。これもいつまでも「納得」しないとなるかもしれませんが、状況が変わらなければ仕方がないことではないかと。--春日椿 2010年4月2日 (金) 15:42 (UTC)
(インデント軽く戻します)Cray-Gさんの思いも充分伝わっていると思います。ここまで皆が慎重になっている理由、今回はこれが正しいあれが正しいっていう二極論ではなくそれぞれの受け止め方の違いを一つの文章でどう均一化?共通化?できるかが問題、としっかり理解しているからなのだと思っています。もしかすると既にこの議論は悪意による曲解が不可能な文章を作ることが果たして可能かどうかって非常に難しい命題、これがテーマと解釈してしまって良いのかもしれません。この難しい状況下ですから、新しい案を見ても「やっぱり誤解を招きそうだからダメじゃん」あるいは「やっぱりなんか悪意持っていそうな文だ」って意見ばかりになる可能性もあります。でも、今はちょうどSweeper tamontenさんに持ち帰っていただいている状態です、しばらく一緒に待ちましょう。--Springtide 2010年4月2日 (金) 16:11 (UTC)
それはそうだと思います。この文章でどのようなメリットが生じ、今まであったどんなデメリットが解決できるのか(どんな問題があったのか)を聞いていたのも、生じるデメリットをどうなくすか、またその議論にみあった内容になるのかという話題に続けたかったからです。
ただし、ご本人はゆっくりやると、会話ページで宣言されていてそれもどうなのだろうと(合意には1週間が目安と書いているガイドラインですることではないと私は思うのですが)。持ち帰って、今まで出たコメントの内容を吟味する期限を定めていただきたいことろですね。--春日椿 2010年4月2日 (金) 16:46 (UTC)

ご本人に、ガイドラインに手を加えたいのならばそれを提案する側はどうするべきなのか、要求されていることは何なのかを私からの要求を中心に、議論の本筋から脱線していたため利用者‐会話:Sweeper tamontenにおいてここ数日コメントと苦言を呈してきましたが、つい先ほど「追加したいと考えるのはそれが必要であると納得したときですが私はまだ納得していません。必要性も含めて考えています。」という驚きの回答を得るに至りました。「納得できる文案ができたら反映したい」ではないそうです。Springtideさんとのやりとりから、議論を進める方向に動きそうであると考えましたが、その結果も下のようであり、出されている反対意見や懸念を解消する方向に動こう、もしくは相手を説得しようという気配が見えません。提案者すら納得していないものに、時間とコミュニティの労力をかける価値があるのだろうかと疑問に思います。私は、この議論はいったん終了するべきではないかと思います。文章の必要性を感じ自分自身が納得した文章を提示、議論ができる提案者に再開もらうのが良いのではないでしょうか。--春日椿 2010年4月3日 (土) 16:56 (UTC)

Springtideさん、私は「ちゃんとした合意は尊敬されるべき」という部分を追加文面の前に含ませる方向に賛意を持っています。しかし、これは合意に限られないのではないかと考えています。つまり、その合意が形成されるまでの議論についても尊重されなくてはならず、しかし、その量が長大になりがちな議論を全て読んでからものを言えということも適当でないと考え、議論が終わったらまとめておくべきとの意見を文に含ませようと考えています。ちゃんと議論が理解できている人なら議論をまとめておくことができるはずですし、それができないのであれば実は議論がまとまっていない状態と考えています。また、「合意は変更できる」との文を加筆することについても考えています。既にウィキペディアには合意は変更できると解釈できる文面があちこちにあるようなのでそれらの間にリンクを用意して理解の助けにする方法もあります。この方法ですといずれかの文が更新されたときに他の文をその更新のために変更する手間もはぶけ、異なるウィキペディアの方針とガイドラインの不調和を生まずにすみます。しかし、やはり合意の変更についてまとまった文章があれば行動の基準として参考となるという考えが尊重されるのなら「合意は変更できる」との文を追加すべきでしょう。これはつまり合意の変更についての理解を助ける情報をウィキペディアの妥当な場所に確保することを意識してのことです。--Sweeper tamonten 2010年4月3日 (土) 17:43 (UTC)

修正案[編集]

議論に参加していただいている諸兄に感謝申し上げます。問題の記述は英語版だけではなく、フランス語・ドイツ語・スペイン語にもあるようですが、私がこの部分に注目したのは現在ある合意というものはどのように守られ、そしてどのようにその使命を終わるのかということが簡単には理解できないと考えたからです。既存の合意に疑問を持ち、それについて話し合い、新しい合意を得るといった流れはどのように行われるべきかということにモデルとなる答を見つけられませんでした。

周りを見回すと、Wikipedia:合意形成#目的には「基本方針とガイドラインですらコミュニティ内の広範な合意を持ったものであると考えなくてはなりません。それらに対して疑問を投げかけることは確かに可能ですが、そのような疑問はその合意を修正あるいは変更するための議論によるものであることが求められます。」とされているので「合意に疑問を投げかけ、変更することを認めている」と判断できます。また対立する合意についてもWikipedia:合意形成#合意のレベルにおいて述べられています。さらにWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんには「明文化された規則は受け入れられた実践そのものではなく、むしろ何が受け入れられ何が排除されるべきかという事に関するコミュニティの既存の合意を文書化したものです。もし指示の肥大化の発生が確認されたならば、そのようなルールは除去すべきです。」とあり、合意も場合によっては廃棄されるべきと解釈できます。これらから合意というものは単独で見直されたり、他の合意と対比されたり、あるいは廃棄されることもある存在です。英文を翻訳しただけではそのことが伝わりません。ウィキペディアにおける合意の位置を示すだけでも価値があると考えます。そして議論が進めば合意を変更するために何が求められるのかという内容を盛り込んでいくことができると考えています。単純に言えばそれは新たな合意を形成することですがその在り方によってはWikipedia:合意形成#合意のレベルで説明されるように既存の合意を否定できないものに成り得ます。これは合意の手順の失敗です。私は合意は記事の投稿とは違い、手続き上の瑕疵が問われるものと考えています。(参照:Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありません)--Sweeper tamonten 2010年4月3日 (土) 14:46 (UTC)

新しい文案について考えていますが特に代わり映えしません。なお、(part a)の文節は必須ですが後は脚注でかまわないと考えています。内容についてご意見、質問などありましたらお願いします。--Sweeper tamonten 2010年4月3日 (土) 15:26 (UTC)

合意は変更することができます

(part a)合意は不変ではありません。過去の合意とは、それに疑問を投げかける自由が認められるものであり、また拘束するものでもなく、そのような変更が大抵は正当なものであることが理解されなくてはなりません。したがって、「合意によって」とか「合意に反する」ということが提案や作業を認めたり拒絶したりするための絶対的な根拠とはなりません。過去の合意に何が影響したかを過去になされた広範囲の議論が示しているなら(これはちゃんとした合意の手続きの要件です--参照:Wikipedia:議論が終わったらまとめておく)、編集者たちは各々の提案を各々の利点によって再検討した上で合意が変更されるべきか否かを新たに決定する義務があります。

(part b)ウィキペディアが柔軟であり続けるのは、新しい人が新鮮な考えを持ち込み、成長が新しい必要性を育て、新しい事が現れると人の気持がゆっくりと変化し、そして我々はより良い作業の方向を見つけることができるという可能性を提供するためです。

(part c)ある代表グループがその本来の集まりに代わり、全体としての決定を行うかもしれません。事後のある機会に既存の手順に変更が加えられることはかなりあります。しかし、いずれの場合でも何かが永久に決定されるわけではありません。世界は変化し、ウィキペディアは共に変化しなくてはなりません。最後の変更が何年も前であっても、後になって変更を加えることは合理的であり、実際に大抵は望ましいものです。
(コメント)これが、Springtideさんが要求された結果のそのものであるならば、ほどんど変わり映えせず、しかも若干加えられている部分はまだここに書かれていない考えを持ち込んだものであり、今出ている反対意見や懸念を解消するものではありません。--春日椿 2010年4月3日 (土) 16:07 (UTC)
春日椿さん、内容について改善案を含め、質問や意見があれば具体的にお願いします。--Sweeper tamonten 2010年4月3日 (土) 16:55 (UTC)
コメント 昨年にも申し上げましたけど[2]
したがって、「合意によって」とか「合意に反する」ということが提案や作業を認めたり拒絶したりするための絶対的な根拠とはなりません。
これを読みますと、過去の合意の意味はそれほどないと解釈されてしまうのではないでしょうか。「合意によって」編集することが認められないのでしたら、その「合意」にどのような意味があるのか疑問に思います。これにより、合意を無視して編集を強行することがでてくれば、収拾がつかなくなりそうです。
ここでは「合意は変更可能」ということであって、「過去の合意は無意味」と同じではないと思います。--長月みどり 2010年4月3日 (土) 18:57 (UTC)
長月みどりさん、コメントありがとうございます。やはり文面に「過去の合意を尊重すべし」あるいは「過去の合意を軽視してはならない」との具体的な文言を入れ、さらに既存の「過去になされた広範囲の議論」を考慮の内に含めるように求める方が安全というように私は理解しました。このふたつは重複するようですが、私は役立つ「過去になされた広範囲の議論」の存在が過去の合意の品質を判断する要素として少しでも言及しておくことで今後の踏み台となればと考えています。また、「合意を無視して編集を強行することがでてくれば、」と具体的なケースを心配されております。合意の存在を知らずに編集した場合は他の編集者が注意すればすむと考えますが合意があることを認識しながらも合意を無視するような場合に他の編集者がどんな行動を取れるかという問題と考えます。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんには、「もし規則が百科事典の改善をどうしても妨げるものなら、それらを無視してください」と規則を無視できるとの文言があります。しかし、そこにも「見解の不一致は、規則や手続きに固執することによってではなく、合意形成を重視した議論によって解決してください」と合意形成を求めています。各種の規則があろうとも結局は参加する編集者の合意によって物事を決するという姿勢があることで歯止めがかかると考えています。「合意が変更できる」との文言が加えられていない現在でも上記に示したように「規則を無視してください」との文言があるウィキペディアですがあなたが心配されるほどはひどい状態ではないと考えます。誰かが合意に反した行動を取っても現行の方針とガイドラインの本質に言及して他の編集者と会話することで解決するように行動することが求められると考えます。ところで「合意」にどのような意味があるのかということですがいろいろな方針やガイドライン、それらとは異なる「合意」についてどのようにその価値とか拘束力を評価すべきでしょうか?一様ではないと考えています。今は抽象的にまともな既存の合意を軽視することのないようにとするしか考えていません。しかし、十分な考慮が得られなかった合意については簡単に論破されるでしょうから合意を形成した論拠が何かを示しておくことで合意の品質を云々する必要はないと考えています。ウィキペディアでは合意をもとに物事が進められて行くのでその取り扱いに慎重になるべきですが既存の合意がどのように成立したかが将来の編集者に分かり易く伝えられ、合意についてその成立の根拠と共に軽視することのないように求めれば十分ではないでしょうか?なお、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんには英語版の「合意は変更できる」の部分にリンクがあることに気付きました。日本語版を用意しないと英語版が参照されてしまいますのであなたの心配を解消するためには、そのための配慮を伴った日本語版を用意しなければならないと考えます。--Sweeper tamonten 2010年4月4日 (日) 02:24 (UTC)
長月みどりさんへのコメントですが、それを追加するべきということは、今回の議論でも多くの人が言っています。あなたは、先の私のコメントに対して、それらについては賛意を持っているということも言っています。ですが、ならばなぜそれを入れなかったのか、それを今あえてまだ提示に載せていないことはどんな意味があるのか私にはわかりかねます。あなたはそれについて一度も答えていない、答えているように装って全く違う次元の自分の考えをただ書き連ねているだけと私は思いました。完全に後半は、正式な合意の示し方をガイドラインに加えたいといっているように、私には思いました。--春日椿 2010年4月5日 (月) 10:13 (UTC)
春日椿さん、コメントありがとうございます。さて、追加すべき内容として過去の合意に対する配慮が求められました。私はそれに加えて過去の合意に関係する議論も無視できないものと考えて「過去の合意に何が影響したかを過去になされた広範囲の議論が示しているなら(これはちゃんとした合意の手続きの要件です--参照:Wikipedia:議論が終わったらまとめておく)、編集者たちは各々の提案を各々の利点によって再検討した上で合意が変更されるべきか否かを新たに決定する義務があります」としました。しかし、過去の合意が必ず論拠や議事録を持って伝えられているとは限りませんのでそういった合意のことを考えて「過去の合意は挑戦されるか遵守されるか、あるいはその両方であり、無視することは基本的に許されません」とか入れる手段があると考えるに至りました。--Sweeper tamonten 2010年4月6日 (火) 08:08 (UTC)
>私はそれに加えて過去の合意に関係する議論も無視できないものと考えて
それは、ここではあなただけの考えであって、議題にすら上っていなければ誰もコメントもしていません。新しい考え方がいきなり出てきたら、その方向に元々賛成している人でなければ、何なんだと思うでしょう。Wikipedia:議論が終わったらまとめておくはルールではなくちゃんとした合意の手続きの要件ではありません。
>とか入れる手段があると考えるに至りました
ならばなぜそれを、まだ審議にかかっていない新しい話題を挟む前に入れなかったのですか。まさか、この段階ではそれが必要だという考えにまで至らなかった、とは言わないと思いますが。Springtideさんがそれまでの意見を整理して下さったのですし。
その文言をいれなかったことは、あなたにとっては些細なことかもしれませんが、他の参加者は「それまでの経緯を全て無視している」という印象を持っています。また言いすぎを承知で申し上げますが、「人の意見を全く聞かない、共同作業には向かない利用者だ」とも私は考えます。この改定案に対し、何も変わっていない=賛成すべき理由が見つけられない、とした私に対して「意見があれば具体的に」というコメントをされる態度からもそう考えています。--春日椿 2010年4月7日 (水) 01:55 (UTC)
節名称ちょっと変えました。で、「合意は変更することができます」という二元論をひっくり返す文言が本題で残っている以上、これで賛同を得ることは不可能でしょう。まず二元論でいうならば「合意は尊重され守られるべきもの」という事が重くて、そういう文面だからこそ現行表記のガイドラインが採択されているわけです。それをひっくり返すのはまずいでしょう、この合意こそ最近の出来事なんですから。Sweeper tamontenさんがどう思おうと、現行ラインが「参加者の総意」であり「コモン・ロー」です。その上で例外規定を作りたいのであれば、それは議論の俎上に乗ります。が、「合意は尊重され守られるもの」という二元論を否定する事は最早不可能です。草案時代にも同じ提案していますよね。そのときも却下されています。時系列でいうならば「以前の案>却下>却下された状態の文章がガイドラインと合意」なんですよ。ぶっちゃけますが前回みんなから却下された案から何が変わっているのでしょうか?草案レベルで通らないものどうやってガイドラインで通せるのでしょうか。--Springtide 2010年4月4日 (日) 07:38 (UTC)
Springtideさん、コメントありがとうございます。さて、「合意は守られるべきもの」という説明はどこにありますか?現行のウィキペディアの方針とガイドラインには間接的に「合意は変更することができます」ということを示しているものはあったのですが合意を墨守するような説明は見つけられませんでした。それと他の複数の言語版に「合意は変更することができます」という節があるのはなぜかという点があります。さらに合意から離れて法律を考えてみると法律は時代の流れとともに変化しますが同時に守られるべきものです。守られるべきものが変化しても不思議はありません。--Sweeper tamonten 2010年4月4日 (日) 10:53 (UTC)
「合意はウィキペディアにおけるルール」とありますが、ルールは守らないものなんですか?--Springtide 2010年4月4日 (日) 12:10 (UTC)
Springtideさん、回答をありがとうございます。「合意はウィキペディアにおけるルール」とありますね。これによって合意はルールなのだから遵守すべきものと判断できますね。法律と同じで遵守はしても変更もできるものと考えられます。--Sweeper tamonten 2010年4月4日 (日) 13:12 (UTC)
誤謬で主張を正当化するのはどうかと思いますのでつっこみます。他の複数の言語版で「合意は変更することができます」という節が無いものがあります、それはなぜでしょうかね。要はSweeper tamontenさんの考え方、因果関係が逆転しているんですよ。本来は「なぜ言語によって明記する・しないが分かれているのか」を先に検証しなければいけません。で、私は「合意はルールである」の書いてしまった時点で絶対的なものと解釈されてしまう言語圏、そうではない言語圏で表記が分かれているのだと思います。日本ではルールの絶対視はないでしょうしね。--Springtide 2010年4月5日 (月) 04:27 (UTC)
あと大事なことを言い忘れていました。「Consensus can change」これあら金さんの訳しかたでは誤訳となります。この文章ではconsensusが動作主体であり、他の意志を入れる余地はどこにもありません、「Someone」とか「you」とか勝手に付け加えてはいけないのです。canは「可能性がある」という意味でしかありませんので、この文章から導かれる適切な訳としては「合意は変わることがあります」となります。「合意は変わっていくことがあります」と書いてもずれはないですね。ちなみに原案の「合意は変わるものです」も誤訳レベルですよ、変わるのが普通である・普遍的であると訴えたいならば、ここはcanではなくmustと書かなくてはいけないことになります。--Springtide 2010年4月5日 (月) 10:52 (UTC)

Springtideさん、コメントありがとうございます。 順番が逆になりますがまず「Consensus can change」について これまでに出ている案は

  • 合意は変わるものです
  • 合意は修正することができます
  • 合意は変えることができます
  • 合意は変わることがあります

でした。ここで私も考えると「合意は変更することができます」と思いました。するとより平易な文体である「合意は変えることができます」という案が出ているのでこれがいいと思います。 次に他の複数の言語版で「合意は変更することができます」(やはり"合意は変更することができます"という方向ですね)という節が無いものがありますという指摘ですが関係する私の論拠を全否定するものではありませんね。少なくとも選択肢として選ばれるだけの価値はそこにあると判断できます。そしてあなたは「合意はルールである」と書いてしまった時点で絶対的なものと解釈されてしまう言語圏、そうではない言語圏で表記が分かれているのだと思われるとのことですがルールは人間が作るもの、そしてその人間は完全ではないのでルールは完全ではないと解釈しています。ルールを絶対視するような言語圏とは例えば独裁国家によるものであろうと考えています。--Sweeper tamonten 2010年4月6日 (火) 19:27 (UTC)

(修正案も反対)前段は解釈の違い入る余地はないのでいいとして、「他言語版が、他言語版が」とあまりにも決めつけていらっしゃるので、下手すれば個人攻撃レベルになりかねませんが失礼を承知ではっきり言います。Consensus can changeとConsensus is not immutableが対比構成になっている事を全く分かっていないとかnot validの訳し方とかSweeper tamontenさんの英語力、自己欲求のための恣意的な変造と言われても文句の言えないほどの読めて無さです、もちろん通じる通じないの話をしているわけではありません。英語版での発言者・修正後の本文で「なぜその単語・言い回しを選んだのか」の理由などが到底分かっていらっしゃらないんだろうなという観点です。仮に英語版でもいいですし、スペイン語版でもいいですし、フランス語版でもいいです。何らかご自身が分かる言語のノートを見ましたか?私、自分が読める言語のノート全部見てきましたけど、どこの版に「英語版がそうだから」だけで導入された所があるのでしょう?どこに「他の複数の言語版で書かれているところがあるから」で導入されたところがあるのでしょう?別に他言語版と同じ理由を根拠として議論提起する分には構いませんが、他言語版を論拠にするんだったらせめてその言語版で導入された理由を読み取り、日本語版利用者に主旨を伝えられるくらいの語学力を持って他の利用者を説得してください。そしてせめて他言語版と同レベルの理由付けをしてください次、英語版ではこういう理由でこの節が書かれています、その理由は私も同感だと思いますので日本語版へも反映しましょう。程度までブラッシュアップしてから提案出し直してください。「独裁国家」って概念もそうです。「常に明示を推奨される言語」「行間を読むので冗長を避けることが推奨される言語」とかある言語間の違いがあるわけですが、言語の話をしてるのにどうやったらそういう飛躍が出来るのですか?国家が変わると言語が変わる、なんてわけないでしょう。詭弁というレベル通り越してますよ。ちょっとあきれ果てました。独りよがりの理屈だけでむちゃくちゃな提案をしていると理解したこと、結局は過去に自ら議論放棄した事に固執しているだけであること、これじゃ全体の利益になる可能性は極めて低いと感じるため、絶対に反対姿勢は変えられません。春日椿さんも打ち切りの話をしていますし、打ち切りというのが総意になりかけている、提案者にとっては大変危機的状況であることをいい加減理解してください。で、最後ですが補足一点、もしかしたら「実はヒンズー語版にはそう書いてある」のかもしれません。私はヒンズー語だのハンガリー語だのまでは分かりませんからその部分でSweeper tamontenさんの主張と同様の進行があったならば謝ります。--Springtide 2010年4月7日 (水) 00:10 (UTC)
(コメント)現実問題として、合意が変更できなければ歴史問題のページでは、例えば南京大虐殺は無かったという合意がなされれば、一生その内容にしなければならないことになってしまいませんか?逆に一切変更不可となったら荒らしに利用されてしまうのではないですか。--山吹色の御菓子 2010年4月7日 (水) 01:17 (UTC)
個人的には、ここまで「英語版がこうだから、複数の言語版がこうだから」というようなことを、一番の理由としてガイドラインや方針の草案をつくろうとする人がいる言語版は日本語版だけじゃなかろうか、と考えます。はじめに私が「英語版がこうだから」というのは理由にならないと申し上げましたが、それは言語が増えたって同じです(日本語版にだけないとかだったらさすがに、変わるかもしれませんんが)。英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語の4つの言語版でその提案が受理された、もしくは議論の末ブラッシュアップされたという経緯、それがなければ「○○版がこうだから」というのは論拠にも判断材料にもなっていません。
そのうえ、今回の提案で若干の加筆がある部分については、Sweeper tamontenさんの今回の提案内容とは違う(ガイドライン全体の改変を必要とするような)あたなだけの考えであって、とうてい受け入れられるものとは思いません。
「○○版がこうだから」を理由とするなら、せめてその要約を提示してください。また、そのどこにあなたが共感したのかを考え、反対意見がなければすぐに本文に反映できるような自分自身が納得している文章を提示していただけないでしょうか。会話ページにも書きましたが、私や他の方のコメントに逐一返答する必要はなく、あなた自身が自分の考えを整理し、胸をはって提案できる文章を構築し、それがどうしたら他の人に受け入れられるかということをまず考えて下さい。前段で私や世界最狂の魔法使いCray-Gさんは、すこし危険な方向のコメントをしましたが、今のままではあなた自身もいつまでも「納得」しない利用者であるといわれても仕方ない状況だと思います。また、会話ページにおける、「反対意見がつかない提案はだめ」、この議論から得るものがあった、何を急ぐ必要があるのかというコメントを総合して考えると、あなたはこうしてただ議論を続けたいだけの議論屋であるというように思います。--春日椿 2010年4月7日 (水) 01:55 (UTC)
>山吹色の御菓子さん
合意が変更できない、という文言はどこにあるでしょうか。現実問題として、このガイドラインを「合意がその先変更される余地はない」というものとして読まれる方はいないでしょう。--春日椿 2010年4月7日 (水) 01:55 (UTC)

Sweeper tamonten氏の完成度を求める姿勢と、それが拙速とならないように慎重を期す姿勢とに敬意を表します。

私見で恐縮ですが、本件議論が紛糾している原因は、Sweeper tamonten氏が「何故に」そうしたいと考えたのかに関する他の方々の理解が不充分なことに起因しているのではないでしょうか。

Sweeper tamonten氏にはある考え(=理由)があり、その考えに従うと現状の本項を始めとするガイドラインは不完全である。不完全なガイドラインを完全に近づける為には各項を編集する必要があり、その中の一つとして以前に付け加え損なった「合意は変更できる」との文面を付け加えるのが適切なのではないかと考えた。しかしながら自身では「合意は変更できる」という文面を付け加えた方がより良いであろうという推測はあるものの、特に付け加えたいという強い動機があるわけではない。なので自分では日本語版wikipediaに適した完全性の高い文章にすることが出来ない。故に他の多数のウィキペディアンとの忌憚無い意見交換(=ブレーンストーミング)を望んだ。結果として本件提案を行った。

本件提案の当初、前段落の最後の文だけが明らかとなっていました。その所為でSweeper tamonten氏が何を望んでいるのかが誤解され、希望するブレーンストーミングは発生せずに単なる質疑応答となりました。その後の遣り取りの中で、前段落の二つ目の文以降が明らかとなっています。

で、問題となる「最初の文」なのですが、私はその「ある考え」を「方針及びガイドラインの自己完結性(=法としての完全性)の追求」なのではないかと推察しました。これが正しければ、それに対する私の見解としては、問題は恐らくSweeper tamonten氏が「合意」というものを「法(ルール)としての側面」から理解し行動しようとしているところに起因しているのではないかと思います。

合意と法は異なりますが、wikipediaに於ける「合意」は法と同じ性格を持っています。即ち「俺が好き勝手やることを阻む」性格です。そしてあらゆる法には精神があり、法と同じ性格を持つ「合意」にも精神があります。目的は精神であり、その為の手段が法(そして「合意」)です。wikipediaの全ての法が持つ精神とはwikipediaの理念であり、それはWikipedia:五本の柱です。wikipediaがこの五本の柱に基づいた「素晴らしい百科事典」になることが目的であり、あらゆる法はその為の手段の内の一つでしかありません。そしてwikipediaには、その五本の柱以外には「確固としたルールはありません」ので、法としての完成度を求める意味は無いと思うのです。それどころか逆に、法としての完成度を求めることでWikipedia:指示の肥大化を避けるに違反し、さらにWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんに反する規則主義者達を助長し活性化させることになるのではないかと危惧します。そしてまた法としての完成度を求めないことは、それら規則主義者やまだwikipediaの理念を充分に理解していない初心者等の規則主義者予備軍に対し、wikipediaでは「従わなければならない」のではなく「考えなければならない」のだということを理解してもらう良い機会になるのではないかとさえ思います。

こうした「観点の相違」を理解して戴いた上で、Sweeper tamonten氏とは異なる観点を持つ我々が理解出来る言葉で、Sweeper tamonten氏の考え(=理由)を表現して戴かないと、我々はSweeper tamonten氏の考えを理解出来ません。現状のまま我々が理解出来る範囲で話を進める限り、これまでと同じような議論(と言うか質疑応答)の繰り返しにしかなりません。そしてそこからSweeper tamonten氏が完璧な文案を考える為に必要な情報を手に入ることは無いにも関わらず、それはSweeper tamonten氏が完璧な文案を出すまで終結しないことでしょう。

必要性や興味を感じられないことかも知れませんが、Sweeper tamonten氏の考えを我々に理解させるべく手を煩わせて戴けるよう御願い致します。

世界最狂の魔法使いCray-G 2010年4月7日 (水) 07:09 (UTC)

皆様の意見を拝見しますとセクションのタイトルは「合意は変えることができます」でよろいしかと思われます。ここで確認させていただきたいのですが「合意は変えることができます」ということはあらためて説明する必要のないことでしょうか?その理由をお示しいただける方がいらっしゃいましたらお願いします。--Sweeper tamonten 2010年4月9日 (金) 08:14 (UTC)

ええと? セクションのタイトルというのは、「合意は変えることができますという内容を、ガイドラインに加えた場合につけるセクションのタイトル」ということでしょうか。それならば、誰もそうで良いといっている人は、いませんが。
「あらためて説明する必要のないこと」の理由は多くの人が説明していらっしゃいますし、私もコメントしていますが。--春日椿 2010年4月9日 (金) 16:24 (UTC)
Sweeper tamontenさんがコメントをされなくなってから再び2週間以上経ちました。善意に解釈すると、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの要求に応じて考えをまとめているか、集まったコメントの意見を反映した新規提案文章の作成中ということになるのでしょう。ならば、提案をリリースする準備ができた時に、改めて場を設けていただくのが一番良いのではないかと思いますがいかがでしょうか。さらに1週間コメントがなければこの節はいったん終了します。--春日椿 2010年4月25日 (日) 14:54 (UTC)
皆さま、ご無沙汰しました。さて拝見しますと春日椿さんは自身の書き込みにおいて「合意は変えることができます」とされていたのに自身で否定されているようです。その矛盾を追及するつもりはありませんが分かりやすい表現なのでガイドラインにセクションを加えるなら利用したいと考えています。要はウィキペディアに関して活動する際にいくつもの合意がなされて作業が進められている状態の中で既存の合意に対して過度に遠慮することがあってはならない、過度に保護されることがあってはならないということです。十分な議論を経ていない合意は論理的に容易に看破されるものでしょう。ウィキペディアでは論理的な理由によって合意が形成されるべきと理解しています。合意が形成された後に新たな意見を挙げる方が出てくるならばその意見も含めて新たな合意を求めるべきであり、他の指針やガイドラインの記述はそのような行動を認めているようです。従って単にそのような記述の情報をまとめておくだけでも役に立つでしょう。ガイドラインとは別にノートにそのまとめがあれば当面はかまわないのではないかとも考えています。ガイドラインに合意が変更できることを書き加えるとするならば既存の合意に対しての配慮を求める声があることはわかりましたが配慮を求められる方からの具体的な文案はありません。何らかの必要を感じる方たちからは文案はまだ提出されていないのでここは抽象的に「既存の合意に十分配慮しながら新たな合意を求めることは何ら規制されるものではありません」というような文の追加でよいかと考えます。求めるものが違うのであれば文案を出していただき、それを参加者全員で調整する作業が必要でしょう。--Sweeper tamonten 2010年4月26日 (月) 14:53 (UTC)
ええと、全体の合意がとれていないということがまずでが私はいつ、「合意は変えることができます」という節に賛成するといったでしょうか。こちらの要求が呑まれた場合にならば文章については賛成する余地があるという趣旨のコメントは前も今回もしていますが(その後にあなたのコメントによって、こちらにすら賛成する余地がゼロになりました)。
既存の合意に対して過度に遠慮することがあってはならない、過度に保護されることがあってはならない、ということには全く同意できません。過去の合意には慎重な態度を持ってしかるべきです。
十分な議論を経ていなくても合意は合意ですから、議論のあるなしに合意の質がかわることはありません。
単にそのような記の情報をまとめておくだけで、役に立つ状況は想像できません。どのような文案をお考えですか。
>ガイドラインに合意が変更できることを書き加えるとするならば既存の合意に対しての配慮を求める声があることはわかりましたが配慮を求められる方からの具体的な文案はありません。
ええそうですね。こちらが譲歩していた時には、部分的な修正やこのような文を加えるといいと何度もコメントしましたし、それに対してそのような文があってもいいとか賛成するという返信があったと私は理解していましたが、「ガイドラインに合意が変更できることを書き加える」必要を感じている人からの、それらの文案の反映や既存の合意に対しての配慮を求める声に対する改良案の提示などがないので当然だと思います。提案者からの歩み寄りがなく、改良したら賛成する余地というものがないのですから。
>ここは抽象的に~というような文の追加でよいかと考えます。
良くはありません。
>求めるものが違うのであれば~作業が必要でしょう。
いいえ。求めるものが違うなら、あなたの提案内容は実行すべでないと私は考えます。「ガイドラインに合意が変更できることを書き加える」必要があると思う人が、他の人の意見を受け入れた文案を出してはじめてそれを参加者全員で調整する作業に移るのです。--春日椿 2010年4月26日 (月) 15:55 (UTC)
春日椿さんは「既存の合意に対して過度に遠慮することがあってはならない、過度に保護されることがあってはならない、ということには全く同意できません。過去の合意には慎重な態度を持ってしかるべきです。」と発言されています。なぜ過度に保護されることが許されるのでしょうか?いったん合意されたことはまず変更できないということでしょうか?理由はありますか?--Sweeper tamonten 2010年4月26日 (月) 23:02 (UTC)
過去の合意に対して慎重な態度を持たなくて良いという根拠は何でしょうか。文の後半については、私がいつそんなことを言ったのでしょうか。
そして、またあなたはあなたが心から思っていないことを理由に提案しようとしているのでしょうか。「ガイドラインに合意が変更できること」が書かれていないことで、現実に問題が起きている認識もないとおっしゃった時と同じで。「既存の合意に対して過度に遠慮することがあってはならない、過度に保護されることがあってはならない」と主張されるあなたには、あなたの許容できない「過度」の基準と、現在の文章ではそれを防ぐことができないという具体例を持っている(もしくは現行の文章には、突っ込まれる余地があると考えている)から、提案をしているのではないのですよね。--春日椿 2010年4月27日 (火) 16:00 (UTC)
なぜ過度に保護されることが許されるのでしょうか?
何故ならば、それが五本の柱の一つである中立的な観点を守る為だからです。その為ならば、許されます。それ以外の為、つまり五本の柱のいづれかを守る以外の為であれば許されません。
いったん合意されたことはまず変更できないということでしょうか?
変更出来ないならば、本件議論が此処まで紛糾することはありません。変更出来ます。ですが、もしもそれが五本の柱のいづれか、例えば中立的な観点を破る為であれば変更出来ません。
理由はありますか?
理由は前記の通りです。『過度に保護される』ことと『変更出来る』こととは矛盾しません。五本の柱の全てを守れるほど『過度』に保護されなければなりません。そして五本の柱の全てが守られている限り『変更』することが可能です。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年4月28日 (水) 05:31 (UTC)
一か月以上たちましたが、コメントがないので終了したと判断し提案を除去しました。
また、議論も長くなっているので、過去ログ化した方が良いと考えています。もし、近いうちに再開を考えている方がいるのであれば、この節のみサブページとすることも視野に入れていますが、異論がなければ前例にならって固定リンク方式で行います。--春日椿 2010年5月28日 (金) 11:57 (UTC)

春日椿さん、おひさしぶりです。

>>過去の合意に対して慎重な態度を持たなくて良いという根拠は何でしょうか。文の後半については、私がいつそんなことを言ったのでしょうか。

--過去の合意に対して慎重な態度を過度に持つべきではないとしています。妥当な程度の慎重さは必要と考えていますのでそこまでの慎重さについて意見は一致していると考えますが「過度」にあたる部分についてはそうではないようですが私の理解は間違っていますか?

>>そして、またあなたはあなたが心から思っていないことを理由に提案しようとしているのでしょうか。「ガイドラインに合意が変更できること」が書かれていないことで、現実に問題が起きている認識もないとおっしゃった時と同じで。「既存の合意に対して過度に遠慮することがあってはならない、過度に保護されることがあってはならない」と主張されるあなたには、あなたの許容できない「過度」の基準と、現在の文章ではそれを防ぐことができないという具体例を持っている(もしくは現行の文章には、突っ込まれる余地があると考えている)から、提案をしているのではないのですよね。

--具体例はありません。「過度」ということについて考えるべきです。あなたにはその判断基準がありますか?--Sweeper tamonten 2010年5月31日 (月) 14:07 (UTC)

「過度」の基準について、私にはあなたがどのくらい「慎重すぎる」と思ってどういう問題を想定しているのかがわからない。そして今まで、過去の合意を「過度に」慎重に尊重しているために、後の合意に問題があるという事態に遭遇したこともしそうになったこともないので、どこに問題があるかわからない。何度も繰り返していますが、基準を決めたいと思っていたり問題があると考えるなら、それを明らかにするのは、必要があると思う人です。あなたが、「問題な過度の基準」を持っていて、私たちがそれに合意できるなら、そしてガイドラインにそれを示す必要があると考えたなら話は進むでしょう。「妥当な程度の慎重さ」という表現のものも「過度」の一部ではないですか。--春日椿 2010年5月31日 (月) 14:23 (UTC)
世界最狂の魔法使いCray-Gさん、あなたから重要な発言を頂いたことに感謝します。それは「五本の柱の全てが守られている限り『変更』することが可能です」という言葉です。合意の有効性も「五本の柱」に反しては存在し得ないと受け取りました。--Sweeper tamonten 2010年5月31日 (月) 14:24 (UTC)
春日椿さん、ここで「過度」という言葉は合意を変更できないものと考える理由がないのに変更できないと考えることを意図しています。あなたも合意は変更できるものと考えられているものと理解しています。その手続きは新しい合意の形成とほとんど同じと思われますが明確な違いがあるとお考えならそれを示してください。--Sweeper tamonten 2010年5月31日 (月) 14:37 (UTC)
あなたの考える過度の基準を理解しました。言葉を変えただけで、前から言っていることと何ら変わりなはいということですね。何も変わらないのであれば、私から申し上げることは何もありません。
何を示してほしいと言っているのか、よくわかりません。もう少し噛み砕いていただけないでしょうか。--春日椿 2010年5月31日 (月) 15:21 (UTC)
合意の有効性も~~と受け取りました
その理解は正しいです。wikipediaに於いては、五本の柱に反することを目的とした全てが許されません。
また横槍になりますが、
ここで「過度」という言葉は合意を変更できないものと考える理由がないのに変更できないと考えることを意図しています
問題は、その『変更できないものと考える理由』が各観点各個人によって異なることです。即ち、Sweeper tamonten氏から見てそれが『理由』になっていない(=理由無く変更出来ないと考えている)ように思えても、私や他の人にとっては『理由』である(=理由があって変更出来ないと考えている)という場合があるということです。今まさにそうなわけですが。それは、互いの観点の不理解により生じます。
本件に関しては恐らく、Sweeper tamonten氏が『より抽象的な観点』から見ていることが、我々の観点を理解出来ない要因なのではないかと「私は」推測しています。また同時に、Sweeper tamonten氏が『何故に』具体的な観点を理解しようとしないのかを我々に理解出来るように説明してくれないことが、議論を進展させることを難しくしていると「私は」考えています。何故なら、『具体的な観点を理解しようとしない/その理由を説明しない』ことが『抽象的な観点にこだわっている』ように見えるからです。そして抽象的な観点に拘ることによって『論争に持ち込み弁論術を用い有り得ざる許されざる結論を出す』ことが可能になることを知っている「私は」それ故に、Sweeper tamonten氏が具体的な観点を理解しようとしない理由、それを説明しようとしない理由を邪推し危険を感じ警戒してしまうのです。それが善意に取って相互理解に努め議論を進展させることを難しくしていると「私は」考えています。
その手続きは新しい合意の形成とほとんど同じと思われますが
その『ほとんど』に含まれない僅かな部分が、五本の柱の一つである中立的な観点を守る為に『とてつもなく重要』なのです。Sweeper tamonten氏はこれまで、その重要さを何度も説明されながらも理解しませんでした。少なくとも今まで、理解したと思える反応を示していません。理解していない振りをしたいのか理解する能力が無いのか興味が無いのか我々を馬鹿にしているのかはわかりません。ですがその重要さ故に我々は、それを理解しようとしていないように見えるSweeper tamonten氏を理解出来ないのです。
明確な違いがあるとお考えならそれを示してください
このトークページの別の節で、既に私が二度ほど示していますね。そのいづれもSweeper tamonten氏からの返信は無く、以後も触れられることなく無視されています。その事実がまた、返信すると不都合な内容なのだろうと邪推を呼んでいるのです。その『明確な違い』を無視することが目的なのだろう、という邪推を。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月1日 (火) 08:12 (UTC)

世界最狂の魔法使いCray-Gさん、私が理解できないと言われる点について分かり易く説明してください。また、明確な違いについて説明されている具体的な場所を示してください。
春日椿さん、あなたの質問について答える代わりに世界最狂の魔法使いCray-Gさんと話を進めたいと思います。--Sweeper tamonten 2010年6月2日 (水) 11:46 (UTC)

確認ですが、それは世界最狂の魔法使いCray-Gさんの疑問に答えることで、私への回答とするということでしょうか。それとも春日椿との議論はこれで終了する=対話拒否ということでしょうか。--春日椿 2010年6月2日 (水) 15:57 (UTC)
理解できないと言われる点について分かり易く
ほとんど同じである『合意を変更する手順』と『合意を新規に形成する手順』の、ほんの僅かな差異が持つ重要性です。
<例え話>
自然豊かな山奥にある療養所に入院している二人の患者が居たとします。一方はさっき死に、もう一方も明日には危ない状態です。
都会に住む大多数の一般市民にとって、この二人の差異はほとんどありません。無いわけではありませんが重要ではありませんし、興味もありません。実際、その差異が自分の明日の生活に大きな影響をもたらすことは常識的に考えてありません。(←私の言うSweeper tamonten氏の観点です)
しかしながら当事者である明日にも死にそうな患者や、或いは既に死んだ患者にとっては、その差はとてもとても重要です。(←我々の観点です)
このような感じで、重要性や興味、影響の多寡への認識が異なるわけです。
</例え話>
回避不能な死であればそれによって未来が失われるので、諦め受け入れ、興味を失う方が良いのかも知れません。ですが本件問題は回避不能なものではなく、また未来を失うどころか、wikipediaの未来の為の提案です。なので諦め受け入れ興味を失うのは適切ではなく、こうして議論が行なわれている(=Sweeper tamonten氏の相手をしている)のです。
此処までが重要性に関する認識の違いの話です。係る差異に関して、我々(少なくとも私)がwikipediaに携わる当事者として、Sweeper tamonten氏が考えているより遥かに(生死の差に例えるぐらい)重要と考え強い興味を持っていることを認識していただければ、此処までの話はその役割を果たしています。
さて、何故にその差異に『強い興味』を持っているかという点ですが、これはwikipediaが『素晴らしい百科事典』となる為に掲げられている理念『五本の柱』を守る為に重要な《手順》が其処に含まれているからです。その《手順》が『合意を新規に形成する手順』には含まれていないからです。それ故に、『合意を変更する手順』を『合意を新規に形成する手順』と「ほぼ同じ」とすることはイコール、五本の柱を守る手順に興味が無い→五本の柱を守る気が無い→五本の柱を破る気満々なのを隠しているだけなのではないか、と疑わしく見えるわけです。またその《手順》に気付かない(≒理解出来ない)ということは、五本の柱を守ることに興味が無い→wikipediaの理念に興味が無い→wikipediaなどどうでも良くて単に統治者ごっこをしたいだけなのではないか、と思われてしまうわけです。
実際、Sweeper tamonten氏の発言にある通り、Sweeper tamonten氏はwikipediaの理念を具体的にわかり易く文書化することが目的なのではなく、単に文書群の整合性の不備を補填し完成度を高めることが目的なわけです。完成度を高めることが問題なのではありません。理念を理解していないことが問題なのです。どんなに完成度が高くとも、それが理念に反する内容なら無意味なのですから。
本件で問題となっている理解すべき理念とは、五本の柱の一柱である中立的な観点です。合意形成は、中立的な観点を維持する為に最も重要な役割を果たす方針ではありますが、合意形成さえ出来れば中立的な観点を維持出来るというわけではないことに注意して下さい。それ故に、理念無く完成度の高い合意形成のガイドラインを作ったところで、理念が守られるガイドラインになるとは限らないのです。
此処で、もう一つ例え話を。
<例え話>
中学生が万引きして捕まりました。
店主「おまえ自分が何をしたかわかってるのか!」
中学生「万引き」
店主「万引きは悪いことなんだぞ!」
中学生「それぐらいわかってるよ」(←私の言うSweeper tamonten氏の観点です)
店主「わかってない!」(←我々の観点です)
</例え話>
店主は「悪いことだとわかっているなら万引きなんてしない」という観点で以って「万引きをした」→「悪いことだとわかっていない」と判断しています。一方で万引きした中学生は「万引きすることが悪いこと」であることは理解しています。でも「悪いこと」に関する重要性を認識していないので店主とは観点が異なります。なので「万引きをすることが悪いことだと理解していても万引きをして良い」と判断し、行動に移しています。「悪いことをして良い」はずが無いので、つまり(店主の観点から見ると)理解していないわけです。
もしもSweeper tamonten氏が「自分はwikipediaの理念を理解している」と反論しようと考えたなら、反論を投稿する前に上記例え話を良く読み直して充分に考えて頂きたくあらかじめ御願い致します。本件問題はwikipediaが、『wikiというシステムを利用した素晴らしい百科事典』になるか、『wikiというシステムを利用した素人の稚拙で中途半端な落書きを保管しておく場所』になるかの分かれ目ともなり得る重要な問題だ、ぐらいに考えています。万引きが、お説教されれば赦される餓鬼の「悪戯」ではなく、生涯どころか死後も永遠に「前科一犯」という記録が残される「犯罪」であるように。
明確な違いについて~~具体的な場所を
一度目二度目です。前述の内容を理解してから改めて読んで頂ければ、今までは見えなかった何かが見えるかも知れません。あと今気付いたのですが私の最初の投稿でも該明確な違いの内容に関して触れていますね。
【春日椿氏へ】
単に「私から春日椿さんにした質問の応えは世界最狂の魔法使いCray-Gさんから得られそうです。代替手段が見付かった以上、意味のわからない質問に応える努力を続けさせ労を掛けさせたり気に病ませたりしてしまっては本意ではないので、そのようなことのないように状況をお知らせ致します」程度の意味なのではないでしょうか。なのでいづれでもないと思います。あえて言うなら「春日椿さんの発言内容を理解し議論を続けられる状態になる為に、先に世界最狂の魔法使いCray-Gさんと話をしたいと思うので、ちょっと待ってて下さい」ぐらいが妥当なのではないかと。
議論なので第三者の介入というものが有り、今回のような状況はよくあるものです。サシでタイマンで論争して「やっつけ」ることが目的ではなく、相互理解し合意を形成することが目的なのですから、なかなか理解されず進展無く議論が長引きSweeper tamonten氏の態度にも問題がありでイラつく気持ちもわかりますが、其処はグッと堪え善意にとることを忘れないように落ち着きましょう。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月3日 (木) 06:00 (UTC)
ご忠告ありがとうございます。ここで善意にとろうと考えましたが、回りくどい表現では伝わらないので直接的に問いかけることにしたのです。ですが、そのへんはサクッと無視されているようで。--春日椿 2010年6月3日 (木) 14:04 (UTC)
そのへんはサクッと無視されているようで
どうやら誠意と形式的手順との区別が付いていない方のようなので、仕方が無いことでしょう。その形式的手順さえ守る気が無い様子なのが気になるところですが、恐らくは気が付いていないのでしょう。
直接的に問いかけることに
それは一般的には有効な手段ですが、形式的手順すら守る気の無いような不誠実な相手に用いると『熱くなっている』ように見えてしまいます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月4日 (金) 03:58 (UTC)

春日椿さん、言い換えましょう。あなたは新しい合意の形成と合意の変更との手続きに大きな違いがあると考えていますか?--Sweeper tamonten 2010年6月3日 (木) 11:14 (UTC)

世界最狂の魔法使いCray-Gさん、明確な違いについて説明されている具体的な場所として示していただいた場所に理解できる答えはありませんでした。合意を成す根幹は誠意ある論理であって人の立場に配慮するようなものではないと考えています。あなたは以前は合意は変更できるということはウィキペディアには必要ないと述べていたことも確認しましたが、先日は五本の柱を遵守する合意形成や合意の変更は認められるという誰もが納得する議論の出発点を示していただきました。さて、合意は変更されうるものなので「合意に反する」ということが直ちに何かを決定づけるものではないと考えます。この点についてどのように考えていますか?--Sweeper tamonten 2010年6月3日 (木) 11:30 (UTC)

理解できる答えはありませんでした
それは難儀ですね。今後の対話に於いて、Sweeper tamonten氏にも理解してもらえるような言葉を見付け、改めて説明出来るようになるべく努めることに致しましょう。
あなたは以前~~~~ウィキペディアには必要ないと述べていた
誤解がありますね。『(少なくとも現段階に於いて)ウィキペディア日本語版のガイドラインに特記する必要は無い』と最初から主張しています。決して『合意は変更できるということ』が不要だと主張しているわけではありません。合意は変更出来るものであり、変更出来なければなりません。
なお念の為に書いておきますと、『合意は(五本の柱を守るか否かとは無関係に)変更できるということ』はwikipediaには必要ありません、と言うか不要と言うかあってはならないことです。
合意を成す根幹は誠意ある論理であって人の立場に配慮するようなものではない
意味内容が曖昧です。
  1. 『誠意ある論理』と『論理』との差異が不明瞭である。意味論的には『誠意無き論理』というものが存在すると考えていると目されるが、『論理』には誠意も悪意も無いので全ての論理は『誠意無き論理』である。故に『誠意ある論理』乃至は『誠意無き論理』として、言葉が持つ意味とは異なる意味で用いられているはずである。Sweeper tamonten氏が考えている『誠意ある論理』乃至は『誠意無き論理』の意味を説明して欲しい。
  2. 『人の立場に配慮する』場合に配慮すべき『立場』とは何かが不明瞭である。もしもそれが種族性別出身年齢学歴所属役職勲功経歴貧富信教の別、といった意味であれば私は、Sweeper tamonten氏の重大な錯誤を是正しなければならないと考えている。
  3. また文脈上『人の立場に配慮するようなものではない』が、『人の立場に配慮してはならない』を意味するのか『人の立場に配慮するか否かは無関係/独立している/してもしなくても自由である』を意味するのかが不明瞭である。
私とSweeper tamonten氏とは異なる観点に立っています。前にも言いましたが、観点の異なる相手に対してシンプル且つ意図した通りに伝わる表現を探すのは難しいものです。自身が発言する時にも、相手の発言を聞く時にも、注意が必要です。
なお、私は『合意を為す根幹とは互いの互いへの配慮である』と考えていて、『互いへの配慮』を実現するには『相互理解』が必要だと考えています。また『wikipediaに於いて中立的な観点を模索する為に行なわれる合意に関しては特により深い配慮が必要であり、その為にはより深い相互理解が必要になる』と考えています。そして、『より深い相互理解の為の有効な手段の一つが議論である』と考えています。最後に『議論はより深い相互理解以外の目的で行なわれることがあり、そういった金銭的非金銭的利益を目的とした議論に於いては目的達成の手段として論争への勝利が求められ、論争への勝利の為には相手への配慮などする余裕は無く、配慮をしない為には相互理解を拒絶し理解出来ないように装うことが容易にして有効な手段となる』ことを知っています。相互理解を拒絶すると相手への配慮を行なえなくなり合意の根幹が満たされず、合意が形成されなくなります。
合意は変更されうるものなので「合意に反する」ということが直ちに何かを決定づけるものではない
私はこれからSweeper tamonten氏が期待している返答を行なう予定ですが、今はまだ行ないません。それは前述した『合意を為す根幹』の認識の相違がある故です。言葉面だけの議論を行なうのは(合意を形成するつもりならば)無駄です。何故なら自然言語の表現は曖昧で、言葉面だけでは複数の意味に取れるからです。そして観点の異なる者は、同じ言葉を互いに異なる意味にしか取れないものだからです。言葉面だけ(=相互理解する気が無い)なら、誠意を持って善意にとる努力を行なっていても、理解出来ないものは理解出来ないものです。実際、明確な違いについて説明されている具体的な場所として示していただいた場所に書いてある言葉では理解出来なかったのですよね?
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月4日 (金) 03:58 (UTC)
世界最狂の魔法使いCray-Gさん、あなたが『合意は変更出来るものであり、変更出来なければなりません』と言われる点では意見は一致しています。しかし、『ウィキペディア日本語版のガイドラインに特記する必要は無い』と最初から主張しています。とのことですがこれまでの会話の中でウィキペディアにおける合意の変更について各人の認識がはっきりしていません。合意の変更について慎重であるべきとの意見もありますがそれらを示した方からは具体的な文案が示されていません。このため合意を変更する際に慎重であるべきとの意見は不十分なものであると考えています。意見をお持ちである方には具体的にどうすべきであるのかを示すまでをコメントしていただかないと曖昧なままですね。このような私の考えは別としてもあなたがなぜ特記する必要は無いと考えているのかの根拠は何でしょうか?特記がなくとも『合意は変更出来るものであり、変更出来なければなりません』ということはウィキペディアに参加している者には理解できるのでしょうか?--Sweeper tamonten 2010年6月9日 (水) 17:07 (UTC)
これまでの会話の中でウィキペディアにおける合意の変更について各人の認識がはっきりしていません
『はっきりしていない』と認識しているのは、恐らくSweeper tamonten氏のみです。或いはSweeper tamonten氏は単に、我々(少なくとも私)が必要充分と考える以上に「はっきり」させることを望んでいるのかも知れません。其処まで「はっきり」させることは不要だと我々(少なくとも私)は考えていますので、我々(少なくとも私)は既に「はっきり」していると考えています。
ウィキペディアに参加している者には理解できるのでしょうか
五本の柱によって明文化されている「wikipediaの理念」を理解し賛同している者には当然に理解出来ます。wikipediaの理念を「まだ」理解していない者には理解出来ないかも知れませんが、wikipediaに参加しているうちにやがてはwikipediaの理念を理解するでしょうから、理解出来るようになることでしょう。ですが、wikipediaの理念を理解出来ない者にはもしかしたら、永遠に理解出来ないのかも知れません。そしてwikipediaの理念を理解する気がない者は、当然に理解しようとしません。
あなたがなぜ特記する必要は無いと考えているのかの根拠は何でしょうか
既に何度も書いたことですが、それが「wikipediaの理念を理解していない者」に向けた文章になるからです。そしてその「wikipediaの理念を理解していない者」の中には前述した「wikipediaの理念を理解出来ない者」や「理解する気がない者」が含まれていて、彼らにとっては「素晴らしい百科事典wikipedia」の中には「是が非でも取り除くべきとても重大な欠点」があり、その重大な欠点とは即ち「wikipediaの理念」なのです。
我々「wikipediaの理念を理解出来た者」がちょっとやそっと考えた文章で、「理解出来ない者」や「理解する気がない者」に「wikipediaの理念を理解させる」ことは、不可能と言った方がより正確な表現になるぐらい不可能に近いと「私は」考えています。現段階に於いて、日本語版wikipediaの新規参加者となる日本人の大多数は、wikipediaの理念を理解し易い環境(=数千年に渉る日本の文化に基づいた環境)にあると「私は」考えています。なので、少数の「理解出来ない者」や「理解する気がない者」にwikipediaの理念に反した行動をする「根拠」を与えるべきではない、というのが「私の」根拠です。
いづれ時間が経ち、古来の日本の文化とは異なる文化と交流することで無視出来ない数の日本語版wikipediaの新規参加者が「wikipediaの理念を理解し難い環境」にある状況となれば、他国語版のwikipediaでそうであるように、本件文案を追加することに賛成するようになるでしょう。ですが今はまだ『必要は無い』と考えます。
具体的な文案が示されていません。このため~~不十分なものであると考えています
気軽に文案を提示出来るほど簡単な問題だとは考えていないからです。そして、うっかり文案を提示するとSweeper tamonten氏が「合意が変更できるとの記述を追加する」ことが合意されたと解釈してその他の議論参加者を無視して話を進め、検証が不充分な内容の文章を追加する可能性を危惧しているので、内容に関する一切の議論が出来ません。この「危惧している」と言うのは、本ページに於けるこれまでのSweeper tamonten氏の応答を見て、それをやりそうな人物である可能性を考慮し警戒しなければならない、と判断している、という意味です。
文案を出すのなら、先ずタイトルからして『合意を覆すことは出来ない』とすることが当然に選択肢に含まれなければならないぐらいの感覚でなければなりません、と言われて驚いたり不思議に思ったりする程度の感覚では、本件提案の文案を出すには不適切なのではないかと「私は」信じ込んでいます。それぐらい本件提案の文案を考えるのは難しい問題だと認識しているのです。
本件提案の文案は、「理解出来ない者や理解する気がない者」がwikipediaの理念に反した行動をする根拠に出来ない内容であることが必須条件です。そして「wikipediaの理念をまだ理解していない者」がwikipediaの理念を理解する助けになる内容でなければ意味がありません。その上で、そうであることを我々「wikipediaの理念を理解した者」が認められるだけの内容でなければならないのです。
『合意は変更出来るものであり、変更出来なければなりません』と言われる点では意見は一致しています
言葉面では一致していることを認めます。ですが、「それが同時に『合意を変更することを拒絶することは出来ない』を意味するわけではない」ことが一致していないなら、都合の良い部分だけを抜き出した「言葉面だけの一致」でしかないことに留意していただきたいと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月10日 (木) 09:23 (UTC)
>ウィキペディアに参加している者には理解できるのでしょうか
あえて誤解を恐れずに書くと、特記しないと『合意は変更出来るもの』ということを認識できないような理解力の人は、そもそもWikipediaには参加していないでしょう。
>合意の変更について慎重であるべきとの意見もありますがそれらを示した方からは具体的な文案が示されていません。このため合意を変更する際に慎重であるべきとの意見は不十分なものであると考えています。
事実とあなたの想像の間には大きな食い違いがあります。合意の変更について慎重であるべきで、それについて伝えることなしには「合意が変更できる」と明示してはいけないという意見も私は以前出したことがあります。ですがその時点では、あなたがそれを了承してそれも含んだ文案を出せば考慮(修正)に値すると言っているのであって、それを絶対にこのガイドラインに書くべきなどとは言ってはいません。私たちの認識は、そこから食い違っています。
あと、あなたは今何をしたいのですか。議論を続けたいなら、それ相応の手続きをお願いします。--春日椿 2010年6月10日 (木) 15:58 (UTC)

世界最狂の魔法使いCray-Gさん、コメントをありがとうございました。"あなたがなぜ特記する必要は無いと考えているのかの根拠は何でしょうか"との問いに対しての回答は"それが「wikipediaの理念を理解していない者」に向けた文章になるからです"とのことでした。この回答は抽象的であるのみならず、要点を示していないと判断しています。これでは納得できません。理解しがたい問題ゆえに合意の変更について慎重であるべきとの声には具体的な文案が示されていません。これはそう感じているが自分でははっきりとした意見を持っていない段階を示しているので具体的な文案が無いまま主張している方にはいずれかの時点で意見を文案にまとめていただくべきと考えています。抽象的な言葉ばかりでは具体的なウィキペディアの作業を進められません。
春日椿さん、コメントをありがとうございました。私は文案を出していただきたく考えております。各人の意見は具体的にどのような文言に集約されるべきかの案がまとまった方にその提示をお願いします。現在は合意の変更に慎重であるべきことが文案に含まれるべきであるとの意見はありますがそれはいかなる文言であるべきかの例示が意見をお持ちの方から示されていません。それが示されないのであればそのための配慮も必要ないと考えています。--Sweeper tamonten 2010年6月18日 (金) 06:32 (UTC)

ええと、結構直接的に言っているつもりなんですが、私の日本語伝わってませんかね。ガイドラインに変更加筆は不要といっているのがわかりませんか。こちらには、あなたの考えているような出すべき文案は存在しない、存在しないものは出すことができません。
また、はじめは上記のように何らかの文案を出されたら、要不要を判断し、場合によっては修正加筆に関する意見を出すように、動いても良いと考えていました。あなたが、各人の意見を取り上げる気があると考えていたからです。ですが、全く動く様子がなかったので、私としては会話ページへのお邪魔をしてじっくりあなたのお考えを見させていただいたつもりです。その結果、ただの議論のための議論をしたがっているようにしか見えません。そのための配慮も必要ないというコメントはそれを明確に示していますね。そう宣言すれば、議論は全く進まないことは、私たちも再三言っていますし理解されているでしょう。--春日椿 2010年6月18日 (金) 13:31 (UTC)

合意が変更できるとの記述を追加する提案(2010年6月18日から7月21日まで)[編集]


英語版には以下のような文面があります。

Consensus can change

Consensus is not immutable. Past decisions are open to challenge and are not binding, and one must realize that such changes are often reasonable. Thus, "according to consensus" and "violates consensus" are not valid rationales for accepting or rejecting proposals or actions. While past "extensive discussions" can guide editors on what influenced a past consensus, editors need to re-examine each proposal on its own merits, and determine afresh whether consensus either has or has not changed.

Wikipedia remains flexible because new people may bring fresh ideas, growing may evolve new needs, people may change their minds over time when new things come up, and we may find a better way to do things.

A representative group might make a decision on behalf of the community as a whole. More often, people document changes to existing procedures at some arbitrary time after the fact. But in all these cases, nothing is permanently fixed. The world changes, and the wiki must change with it. It is reasonable and indeed often desirable to make further changes to things at a later date, even if the last change was years ago. — en:Wikipedia:Consensus#Consensus can change

訳してみました。

合意は変わるものです

合意は不変ではありません。過去の決定とは、それに疑問を投げかける自由が認められるものであり、また拘束するものでもなく、そのような変更が大抵は正当なものであることが理解されなくてはなりません。したがって、「合意によって」とか「合意に反する」ということが提案や作業を認めたり拒絶したりするための有効な根拠とは必ずしもなりません。過去になされた広範囲の議論というものが過去の合意に何が影響したかを示せるなら、編集者たちは各々の提案を各々の利点によって再検討し、合意が変更されるべきか否かを新たに決定する必要があります。

ウィキペディアが柔軟であり続けるのは、新しい人が新鮮な考えを持ち込み、成長が新しい必要性を育て、新しい事が現れると人の気持がゆっくりと変化し、そして我々はより良い作業の方向を見つけることができるという可能性を提供するためです。

ある代表グループがその本来の集まりに代わり、全体としての決定を行うかもしれません。事後のある機会に既存の手順に変更が加えられることはかなりあります。しかし、いずれの場合でも何かが永久に決定されるわけではありません。世界は変化し、ウィキペディアは共に変化しなくてはなりません。最後の変更が何年も前であっても、後になって変更を加えることは合理的であり、実際に大抵は望ましいものです。

これを加えたいと考えています。過去に提案しましたが全体の変更を優先させようと本文に手を加えておりました。しかし、その本文も考慮すべきガイドラインになりました。ここに至り、合意のレベルの次のサブセクションとして加筆したいと考えております。ご意見をお待ちします。--Sweeper tamonten 2010年3月1日 (月) 07:47 (UTC)

この件については長く議論されてきました。それらの意見は過去のログにあります。残念ながら本質に関わる具体的な対案としての文案は示されておりません。もっとも英語版においては以上の文で安定して運用されている様子であり、日本語版であるがゆえに特別な違いを持つとも考えにくいと判断しております。今後上記の文案に問題点を指摘されず、対案も示されないのであれば英語版の対訳としての価値を有し続けることになるものと判断しております。--Sweeper tamonten 2010年6月18日 (金) 19:41 (UTC)

ご提案のような文章がどうして必要なのか、これまでの議論からはまったく読み取れません。このような文章がないことによって、具体的にどのような問題が生じているのでしょうか?まず、そこのところを明らかにしてください。指示の肥大化を避けることについても、考えていただければと思います。--Dwy 2010年6月18日 (金) 23:16 (UTC)
Dwyさん、コメントありがとうございます。さて、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかというウィキペディア日本語版の公式な方針があります。その中の「ウィキペディアは規則主義ではありません」には「さらに、方針やガイドラインそのものも合意の変遷に応じて変化し得るものです。」とあります。そして「合意の変遷」は英語版の「Consensus can change」にリンクしています。従って英語版を読めばいいだろうという意見もあるでしょうが日本語の記述を用意して利便性を高めたいと考えています。もし、英文があるのだから単純にここでもリンクのみでかまわないというのであればそれも選択肢と考えています。--Sweeper tamonten 2010年6月18日 (金) 23:41 (UTC)
私の発言の趣旨が分かっていただけないようなので、もう少し言葉を足します。
  • 「合意が変えられる」などということはごく当り前のことであり、たいていの人は分かっている。「合意が変えられる」ということを理解できない人がWikipediaの発展を阻害しているという具体的事例も、今のところは指摘されていない。つまり、わざわざ「合意が変えられる」の文案を追加しても、具体的なメリットは何も期待できない。
  • 一方で、デメリットの方は容易に予想できる。どういう言い方をしたとしても、「合意が変えられる」という言葉尻を捉えて、「合意なんか変えればよいのだから何の拘束力もない」と屁理屈を言う人の出現は多分避けられない。
  • だから、(現状の具体的問題点と文案追加の具体的メリットがちゃんと指摘されない限り)文案の追加には反対
ということです。--Dwy 2010年6月19日 (土) 03:43 (UTC)
コメント 横から失礼します。Dwyさんご指摘のデメリット(屁理屈関連)はそう問題ないと思います。「屁理屈をこねて過去の合意に拘束力はない」などと合意を無視するような行動は腕ずくで解決する行動ですから、ブロック対象になりうる行動です(コメント依頼なりブロック依頼なりで処理すべき)。ただ、デメリットを解消する必要はあると思いますので「合意は変えられますが、実際に新しい合意が有効になるまでは、過去の合意が有効です。」とでも一文で言及すればデメリットは解消されるのではないでしょうか。--かげろん 2010年6月19日 (土) 07:15 (UTC)
>Dwyさん、かげろんさん
過去ログ及びサブページをご覧いただければわかると思いますが、参加者のほとんどが「合意が変更できる」ということをわざわざ追加する必要性は見られないといっていました。提案者にもその文言がなかったことにより今まで問題があったかをお聞きしましたが、そういったことは今まで一度もないそうです。またデメリットについても、百害あって一利なしとの指摘はあり、だから絶対反対という声と、私のように「過去の合意については尊重すべき」や「過去の合意と同等以上の手続きや議論を経て塗り替えるべき」とする文言を追加すれば反対はしないがどうだろうかという声がありました。ですが、これらの意見を提案者は一切受け入れず、議論は平行線のままとなっています。また、その理由を自分がそのことを考えて納得できるかではなく、「過去の合意について意見を持っている人たちが、文案を提示しないからだ」と解釈されているようです(最新の2010年6月18日 (金) 19:41 (UTC)のコメントでも現われています)。--春日椿 2010年6月19日 (土) 10:48 (UTC)
私も当初は、「英語版がこうだから」という根拠しかなく提案しているとは思わず、「合意が変えられること」を明言されていないために新たな合意形成に苦労したことがあったのだろうから、上の条件について理解されるならご協力しようと考えていました。しかし、はじめとほとんど変わらず自分以外の誰の意見も取り入れない文章を修正案とするなど、全く反対意見や修正意見を聞き入れない様子に、その意思は失せました。
私は、起こっている問題に対応するなどの必要性もなく、デメリットしか予想のされない文章の追加には、やはり明確に反対します。--春日椿 2010年6月19日 (土) 11:03 (UTC)

かげろんさん、春日椿さん、コメントありがとうございます。 「合意は変えられますが、実際に新しい合意が有効になるまでは、過去の合意が有効です」と加えることで過去の合意は新しい合意が有効になるまで遵守されるべきものと理解され、これは春日椿さんの「過去の合意については尊重すべき」ということになると考えています。「過去になされた広範囲の議論というものが過去の合意に何が影響したかを示せるなら、編集者たちは各々の提案を各々の利点によって再検討し、合意が変更されるべきか否かを新たに決定する必要があります」という文も過去の合意形成を尊重する為に存在していると考えていますが別の言い回しを加えることで誤解を招かない措置も有効と考えています。また、春日椿さんの「過去の合意と同等以上の手続きや議論を経て塗り替えるべき」ということについてあらためて考えてみました。新たな合意形成についてはWikipedia:合意形成の他の部分によっていただくことが基本と考えています。新たな合意が過去の合意の一部の範囲であったり、その逆もあるために簡単に「過去の合意と同等以上の手続きや議論を経て塗り替えるべき」ということは求められないと考えています。なお、英語版の議論を確認しましたが合意は変更できるということで問題が発生したということが話し合われたことはありません。特に日本語版ということで問題が起きることも考えにくいと判断しております。--Sweeper tamonten 2010年6月19日 (土) 13:08 (UTC)

何故今までは、そういうコメントが出なかったのでしょうか。もう遅いです。また、英語版は関係ないと何度言ったらわかるのでしょうか。--春日椿 2010年6月19日 (土) 13:30 (UTC)
春日椿さん、英語版は関係ないと仰いますがどこかに英語版の内容を無視してよいと書かれているのでしょうか?言語は違ってもウィキペディアなのですから参考にすべきものと考えています。それと「もう遅い」とは今後の議論に参加しないとのことでしょうか?--Sweeper tamonten 2010年6月19日 (土) 14:01 (UTC)
さんざん説明しました。どこにも英語版は基本のプロジェクトだから重視しなさい、と書かれてはいません。参考にするのと盲目に従うということでは全く意味が違います。
「もう遅い」というのは、以前ならば反対意見を取り下げましたけど、今はそれだけでは撤回しないという意味です。必要性が提示されていませんよね。--春日椿 2010年6月19日 (土) 14:32 (UTC)
春日椿さん、英語版は参考にしてよろしいのですね。そしてあなたが主張された「過去の合意と同等以上の手続きや議論を経て塗り替えるべき」ということも周知される必要のないことということであり、それが必要とされるのは「合意が変更できる」と明示される場合に限られるということと理解しました。現在は日本語版の方針からのリンクは英語版の「Consensus can change」にはってありますので英語版を読んでいただければ合意は変更できるものであり、ウィキペディアの考え方はこうであるということの説明を目にすることができます。このことは特に問題ではなく、日本語訳をペースとするものを用意することになぜ反対されるのでしょうか?そして必要性は日本語版の利便を考えてのことです。英語版を読めばいいだろうとはなかなか言えないものと考えています。さらに合意を変更する際にはあなたは「過去の合意と同等以上の手続きや議論を経て塗り替えるべき」ということが求められるとしていますからその趣旨にあった文言も明記されることを望むのではありませんか?--Sweeper tamonten 2010年6月19日 (土) 14:59 (UTC)
2010年6月18日までの2回の議論が無駄だったことを悟りました。あなたは、人の言ったことをきちんととらえようとしないし、誰も言っていないことを言ったのだと想像して話を進めるのがお好きなんでしょうか。
「参考」にして良いのが結果ではないことを、以前さんざん説明したのにご理解いただけていないようで残念です。英語版を読めばいいとは私を含め誰も言っていません。どんな利便性を生むのか、あなた以外は認識していませんから説明して下さいと言っているのです。「メリットがない」とDwyさんもすぐ上で言われています。
>さらに合意を変更する際にはあなたは「過去の合意と同等以上の手続きや議論を経て塗り替えるべき」ということが求められるとしていますからその趣旨にあった文言も明記されることを望むのではありませんか?
「もし合意が変更できるという言葉を追加するのであれば」、悪用される可能性を減らすために明記してしかるべきとは言っていますね。でも、今のこのガイドラインにその記述が必要だといつ私は言いましたか。言っていません。--春日椿 2010年6月19日 (土) 15:38 (UTC)
日本語版に適当なリンク先がないなら、リンクを削除すればよいだけの話で、英語版にはリンクにがあるのだから日本語版でもリンクがなければいけないなどと言うのは、それこそウィキペディアは規則主義ではありませんの精神に反することになります。
分かりきったことをわざわざ文章にしてルールの分量を増やすと、肝心なルールがかえって分かりにくくなってしまいます。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかでも、「指示の肥大化の発生が確認されたならば、そのようなルールは除去すべきです」と言っていますよね。指示の肥大化が最初から見えているなら、そのようなルールわざわざ追加するべきではないのです。
私としては、言うべきことは大体言いましたから、これ以上の発言は控えようと思います。Sweeper tamontenさんも、特に新しい論点がないなら、他の方の発言にいちいち「対応」しない方が良いと思います(同じ議論が何回も繰り返されて文章の分量が増えると、かえって議論がわかりにくくなります)。--Dwy 2010年6月19日 (土) 16:49 (UTC)

春日椿さん、英語版での議論は参考になると考えています。あなたは英語版を無視しようとする傾向があるようですがそれはなぜですか?そして現在のウィキペディアでは「合意は変更できるもの」との記述が存在しますがあなたはそれでも「過去の合意と同等以上の手続きや議論を経て塗り替えるべき」というような注意を喚起する記述が必要ないと考えられていることは理解に苦しみます。Dwyさんも「合意は変更できるもの」とは皆の認識であるとしていますがその認識からの弊害を防ぐ意味を含めての記述の存在の意味があることを理解されるようお願いします。--Sweeper tamonten 2010年6月19日 (土) 21:54 (UTC)

もう一度言います。重要なのは結果ではありません。あなたはいつ、英語版での議論を提示しましたか。「○○の理由でこの文章は制定されました。日本語版も×○だから、この○○という理由は重要です」というようなことをいつコメントしていますか。私は、英語版を必要以上に重視しようとする傾向がある方が全く理解できません。
「現在のウィキペディアでは「合意は変更できるもの」との記述が存在します」とは、どこのことを言っているのですか?
ここでもう一度いいます。あなたが考えている「文章の必要性」を、きちんと説明して下さい。そして、今まであなたがコメントした範囲では不十分です。同じ説明しかできないなら、それは受け入れられないでしょう。--春日椿 2010年6月20日 (日) 07:52 (UTC)
その認識からの弊害を防ぐ意味を含めての記述の存在の意味があることを理解されるようお願いします
「その認識からの弊害を防ぐ」ことが重大な弊害を許容する意味があることを理解されるようお願いします。
既に過去ログに行ってしまった内容への返信になりますが、
抽象的な言葉ばかりでは具体的なウィキペディアの作業を進められません
進めないで下さい。それが我々の主張です。我々は、Sweeper tamonten氏が今やろうとしている「具体的なウィキペディアの破壊活動」を止めようとしているのです。進めて欲しくないのです。
それはいかなる文言であるべきかの例示が意見をお持ちの方から示されていません。これはそう感じているが自分でははっきりとした意見を持っていない段階を示している~~
それは「如何なる文言であろうとも破壊活動にしかならない」と判断しているからです。つまり「破壊活動にならない文言は存在しない」と「はっきりとした意見を持っている」のです。
ですが狭量ではありません。想像すら出来ないし当然有り得ないと思っているけれども、もしも万一「破壊活動にならない文言」を具体的に示せたなら、意見を変えてそういう文言が存在することを認めSweeper tamonten氏に協力的な立場を取るのもやぶさかではない、と言っているのです。
そして、Sweeper tamonten氏が「破壊活動にならない文言」とは何かを探す時の手助けになればと、各員が意見を出しているのです。我々は合意が変更できるとの記述を追加する提案に反対しているにも関わらず。これでも我々は「必要以上にSweeper tamonten氏に協力的な行動」を取っているのだということをご理解戴きたいです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月21日 (月) 04:52 (UTC)
合意が変更できる件に関する論点としては(1)合意が変更できるということからその遵守を軽んじられる恐れがある。(2)合意が変更できることは既に常識となっているので特に記述する必要がない。ということと認識しています。この点はよろしいでしょうか?さて春日椿さんから英語版を必要以上に重視しようとする傾向があるとの指摘を受けました。これは私が春日椿さんに対してなぜ英語版を無視しようとするのかとの質問に対しての回答です。私は英語版を無視せずに参考としています。そして英語版の不備が指摘されないのであれば特に卑下する必要のないものでしょう。議論の要素となりうる英語版を排除しようとする春日椿さんの態度はどういうものでしょうか?また、「現在のウィキペディアでは「合意は変更できるもの」との記述が存在します」という点について質問されていますがこれはen:Wikipedia:Consensusにありますし、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかというウィキペディア日本語版の公式な方針の中の「ウィキペディアは規則主義ではありません」には「さらに、方針やガイドラインそのものも合意の変遷に応じて変化し得るものです。」とあります。「文章の必要性」は第一に日本語版を示すことによって英語版を読むことを強いることを回避できること、第二に合意が変更できるとの認識から既存の合意を遵守しないおそれが指摘されているため、その抑止策を講じる場所を用意することがあります。世界最狂の魔法使いCray-Gさんからもいくつかのコメントをいただきました。その最初に"「その認識からの弊害を防ぐ」ことが重大な弊害を許容する意味があることを理解されるようお願いします。 "とありますがこれは今回論点と示した二点以外を含むものでしょうか?次の抽象的な言葉ばかりでは具体的なウィキペディアの作業を進められないという点では一致していますね。文言の例示については不可能であるとの指摘がありました。すると「合意が変更できる」との記述が書かれる場合には皆さまが必要と思われる配慮に関する文言は入れないということになります。少し乱暴と思われますので最良と思われる文言を入れるべきでしょう。繰り返しますが合意が変更できるとの記述を追加する提案に反対している理由は最初に示した論点と考えています。どうでしょうか?--Sweeper tamonten 2010年6月23日 (水) 06:07 (UTC)
合意が変更できる件に関する論点としては~~
残念ながら(1)は誤りです。軽んじられる「恐れがある」こと自体はSweeper tamonten氏の過去の発言から見ても同意が得られています。論点は既にSpringtide氏に指摘されていて、その「誤解を与えないような文章」や「悪意による曲解が不可能な文章」を作ることが出来るか否かです。Sweeper tamonten氏は「出来る」と見込んで(でも自分独りでは出来ないので本件提案によってブレインストーミング的な意見収集の場を求めて)いて、我々は「出来ない」と見込んで(だから誤解曲解による弊害を避ける為に追加に反対し、「出来ると主張するなら納得の行く文案を出せ」と言って)います。
また、その他にも主幹ではないながらも重要な争点がありますね。
そして英語版の不備が指摘されないのであれば~~
英語版(やフランス語版、ドイツ語版、スペイン語版等)の不備は既に指摘されています。英語版等での議論に於いては、日本語版の事情が一切考慮されていません。これに関する争点は「英語版等で考慮されていない『日本語版の事情』が考慮に値するか否か」です。我々(少なくとも私)は考慮に値すると考えていて、既に書いた「日本語版の事情」を鑑みてそれを「不備である」と評価しています。※これは論点(2)に依存した争点です
「文章の必要性」は第一に日本語版を示すことによって英語版を読むことを強いることを回避できること
それを「強いられる」ような人(=英語版を読まないと合意が変更可能だという当たり前なことすら理解出来ない人)には、あまり合意を変更するべく積極的な行動をして欲しくないわけです。そういう人は、おっかなびっくり消極的に行動するぐらいが、wikipediaにとって適切な丁度良い程度の行動になると考えています。
これは現代日本で生まれ育った人ならば、という条件付きの話です。他国では、また異なる状況かも知れません。ですが日本語版では参加者の圧倒的大多数が「現代日本で生まれ育った人」と目されることから、「文章の必要性」は高くないと判断しています。※ここから論点(2)が発生します
そして逆に、「あまり合意を変更するべく積極的な行動をして欲しくない」人が過剰にして強引な考えで的外れに「合意を変更」しようとすると、多くのウィキペディアンが無意味な労力を投入しなければならなくなってしまいます。今でも既にそういった事象が多発していて対処に困っているというのに、これ以上そういった事象を増やし今以上にコミュニティーを消耗させるような愚は是非とも避けたいわけです。
さして高くもない「文章の必要性」(←論点(2)でその高低が問題となっています)の為に、今以上に多くのウィキペディアンに徒労を強いることは望ましくありません。
これは今回論点と示した二点以外を含むものでしょうか?
はい、含みます。厳密に言うと、私はそれを「その二点に当然に附随する内容」だと考えているのですが、Sweeper tamonten氏は今まで「それ」の存在を無視した議論を続けようとしてきました。このことから私は、Sweeper tamonten氏は『それ』を「二点に附随していない=二点以外の争点が存在する」と認識するだろうと判断しました。故に「はい、含みます」と応えます。
ついでに言うと、Sweeper tamonten氏の「その二点に当然に附随する内容」の存在を無視して議論を続けようとする様子を見て、「誠意を欠いた言葉面だけの論争」をしようとしているのではないかと「私は」警戒しています。ですがその後の、Sweeper tamonten氏が「相手の主張を理解しようと言葉を探しながら対話を続けようとする」様子を見て「少なくとも誠意を持って行動しようとしている」と判断し、それ故に「想像を絶する認識の相違があるだけなのかも知れない」と考えを軟化させつつあります。
すると「合意が変更できる」との記述が書かれる場合には~~
我々の望むところではありませんが、そうなることでしょう。実際、英語版等には係る文言は入っていませんし、いづれ時間が経ち我々が不本意ながら賛成票を投ずる時にも係る文言は入っていないだろうと想像し、悲しい思いをしています。そしてだからこそ、こうしてSweeper tamonten氏の発案に対して長々と議論が続いているのです。皆期待しているのです、既に諦めた有り得ざるべからざる理想である「最良と思われる文言」が付け加えられることを。それはもしかしたら世界各国語版のwikipedia全てで高く評価され、世界中のwikipedia全てに翻訳され追加される文言になるかも知れないと「私は」考えています。
もしもそれが見付かれば、ですがね。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月23日 (水) 09:11 (UTC)
世界最狂の魔法使いCray-Gさん、合意が変更できる件に関する論点の(1)についてはその恐れについての根拠が示されていません。その心配をされる方は具体的なデータを持っていませんし、英語版においてもそのような問題が議論されてもおりません。その恐れは実際に起きていないもので今のところ主張される方の想像でしかありません。「英語版(やフランス語版、ドイツ語版、スペイン語版等)の不備は既に指摘されています。」とはどこで確認できますか?--Sweeper tamonten 2010年6月23日 (水) 12:46 (UTC)
恐れについての根拠が示されていません
何度も示したのですが、恐らくSweeper tamonten氏には理解出来なかったのでしょう。理解出来ていない振りをしているだけなのかも知れませんし、そもそも読む気が無いので流し読みだけしてちゃんと読んでいないのかも知れません。或いは自分の考えに凝り固まって、相手の言う意味を理解しようとしない「誠意の無い姿勢」の所為なのかもわかりません。改めて書きます。
Sweeper tamonten氏はそもそも「合意とは何かを知らない人の為に、合意の生成から消滅までの全工程を明文化するべきであり、その中に存在するはずなのに明文化されていない『合意の変更』に関して明文化したい」のであり、それを「此処でブレーンストーミングのような意見収集を行なうことで完璧(に近い)な合意の変更に関する説明文章を作る」つもりでいるので、論点(1)は根本的に争点足り得ない杞憂であると認識しています。
私はそもそも「合意の定義自体が未定義な文言を含んだ主観的で曖昧なものであり、数学的な意味で言えば『合意』は未定義な単語である」と認識しているので、「どんなに完璧な説明をしようとも、都合の良い曲解が可能になる」と考えています。
その上で、合意の変更に関してはその中でも特に「未定義な文言を含んだ主観的で曖昧」であることから、特に「誤解や曲解をし易い」部分だと判断しています。
そしてそれを論点(2)である「誰も合意の意味を知らない国(と言うか、ルール遵守意識の高い国)ならともかく、大多数が合意の意味を知っている日本に於いては明文化する必要性は高くない」と総合的に判断した結果、「本件追加提案に反対」しています。
その恐れは実際に起きていないもので
多くの方は「起きていない」と認識しているようですが、私は少々認識が異なります。該文章が無い現状でも既に係る問題は起きていて、該文章を追加することでその問題に油を注ぐことが可能になると認識しています。逆の言い方をすると、私が問題を起こす側であれば、該文章さえあれば既に起きている問題に油を注いでもっと大事にし、wikipediaを滅茶苦茶にすることが出来る、と認識しているわけです。このことに関しては本件に関する私の最初の投稿で既に書いています。
明文化することで、未だ気付いていない彼らの「予備軍」にまで気付かせたくないのです。
~~の不備は既に指摘されています。」とはどこで
言葉面としての明確な指摘は無いですね、読解力の問題でしょうか。Sweeper tamonten氏との会話には、想到な苦労が必要に思えますね。
さて、春日椿氏が繰り返し該発言をしていますね。あとSpringtide氏も同様の発言をしています。言葉面の意味はいづれも「他言語版で採用されているから、という以外の日本語版で採用するべき理由を述べよ」という主旨です。他言語版での議論が出されたそもそもの段階で、既に日本語版と事情が異なります。議論提起の「後」にどんなに議論としての不備が無くとも、議論提起の「前」に既に不備(=日本語版とは異なる事情)があるわけです。だから「議論の結果の採用不採用の議論を提起するのではなく、議論の提起から始めろ」と言っているわけです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月24日 (木) 09:27 (UTC)
世界最狂の魔法使いCray-Gさんがすでにコメントして下さっていますが、補足と私は違う考えを持っている部分に対して回答します。
「合意が変えられる」という文章自体が、この日本語版のどこにあるのかという意味でお聞きしていました。
英語版にあること自体は、重要ではありません。英語版で、その文章がどのような必要性のためにどんな議論を経て追加されたのか、その経緯が参考になり場合によっては重要となります。あなたは一度も、その経緯について説明していませんから不十分だというのです。○○語版にあることを無視、排除するという表現は、妥当なものではありません。私はその文章は英語版にもなくて良いとは言っていません。「○○語版にある」という事実については認めた上で、それが何か?と言っているのです。例えばこれが262言語版あるうちの半数以上(無視できない数)にあるというのならば、WP:JPOVに反すると言える可能性もあると思います。しかし、リンクを見る限りではこの文章自体が44言語にしかありません。
論点について。(1)については、「合意が変更できる」という文章を加えるのであれば、必要となってくる考えであるということでした。が、何度も繰り返している通り、私にとってはすでにこれは論点ではありません。
(2)これが論点です。この論点がクリアされて初めて、他の部分が議論の対象になります。
>「文章の必要性」は第一に日本語版を示すことによって英語版を読むことを強いること~
英語版にあるから十分なんて誰も言っていませんが、あなたが考える英語版を読むことを強いるという状況はどこにあるのでしょうか。
>第二に合意が変更できるとの認識から既存の合意を遵守しないおそれが指摘されているため
今の文章の状態でそんな指摘を誰がしていますか、誰もしていません。あなたはわざと的外れな回答をしているのでしょうか。もう一度言います。それが問題となるのは、「あなたが提案しているような文章が追加された場合」であり、「文章が不必要」の根拠の一部となっている指摘です。
>「合意が変更できる」との記述が書かれる場合には皆さまが必要と思われる配慮に関する文言は入れないということになります。
配慮に関する文言は入れないことと、「合意が変更できる」との記述が書かれる場合は、両立しません。「少し乱暴と思われます」というのは、何が乱暴というのかわかりません。--春日椿 2010年6月23日 (水) 13:38 (UTC)
わたくしが挙げました論点(1)については大きな隔たりがあることを理解しました。私は(1)で取り上げられている心配は無用のものと考えておりますので。さて(2)の合意が変更できることは既に常識となっているので特に記述する必要がないという点についてですが「合意が変更できることは既に常識」という点では皆さまの意見が一致しているようです。--Sweeper tamonten 2010年6月23日 (水) 13:52 (UTC)
ええと、「合意が変更できることは既に常識」という点では皆さまの意見が一致している、については私からは否やはないのですが、で? 何が言いたいのでしょうか。
Sweeper tamontenさんが挙げた論点(1)について、心配する側からの根拠や具体的なデータがないということについて。データについては、そもそも日本語版にその文章があったことはないのですから、明確な形でそれを示せというのは不可能でしょう。--春日椿 2010年6月23日 (水) 14:16 (UTC)
春日椿さん、コメントありがとうございます。「合意が変更できることは既に常識」ということなので「合意が変更できる」と明示する文が存在しなくても心配される「合意は変更できるのだから軽視される」ということが起きるはずと考えています。それが起きていないのはそのように合意を軽視して議論が進められないからでしょう。私はこのように考えて「合意は変更できるのだから軽視される」ということは「合意が変更できる」という文がガイドラインに示されて初めて起きる現象とは見ていないのです。そして前述のようにそのような問題が起きて英語版で議論されたこともありません。なお、私は根拠や具体的なデータがあったら示して欲しいと言っているのであって無理に示して欲しいとは思いません。なければそういう状態ということで話を進めればいいだけでしょう。--Sweeper tamonten 2010年6月23日 (水) 14:58 (UTC)
ええと、さらによくわからなくなってきました。「合意が変更できる」と明示する文が存在しなくても心配される「合意は変更できるのだから軽視される」ということが起きるはず、というのはどういう意味ですか?--春日椿 2010年6月23日 (水) 15:32 (UTC)
そもそも、そこは論点ではないと、私も答えていますので、よくわかりませんがこの件に関しては回答は結構です。
「合意が変更できること」をこの文章に明示することの必要性が論点であるし、それを示さないことには「文章の中身について議論をする」という段階まで行かないことはご理解いただけているでしょうか。--春日椿 2010年6月23日 (水) 15:41 (UTC)
Sweeper tamontenさんは、「弊害が出る『おそれ』があるから、対応すべき」と考えている。
ほかの人々は「『おそれ』だけで現実に弊害がでていないなら、対応する必要はない。第一、現実に問題がないのに想像だけで対応を考えても、確実に効果がある対応になるとは思えない」と考えている。
基本的な論点はこれだけで、何度も確認するまでもなく、これまでの議論を丁寧に読めば明らかです。
本件については、もう充分に議論を尽くしていると思います。あまり細かいところをいつまでも議論していても埒が明きませんから、(第三者に分かるように)お互いに言うべきことを一通り言ったら、特に重要な新しい論点がない限り相手の発言に一々反応せず、提案がコミュニティ(他の人々)の賛同を得られるかどうかを、じっと静観されることを皆さんにお勧めします。--Dwy 2010年6月23日 (水) 17:05 (UTC)
私の見るところでは、Sweeper tamonten氏は恐らく「弊害が出た実例」を少なくとも一件知っています。故に「弊害があるのだから対処するべき」なので提案を行なっているのだと思われます。対して他の人は、「そんなの弊害の内に入らない/眼中に無い/そんなのが少々起きたからって何だって言うんだ馬鹿馬鹿しい」と断じています。これがSweeper tamonten氏の提示した論点(2)です。
此処で件の「弊害」への対処が無害なら問題は無いのですが、他の人は「新たな弊害」が出ると主張して反対しています。逆にSweeper tamonten氏は、この「新たな弊害」が出る根拠を理解出来ていません。これがSweeper tamonten氏の提示した論点(1)です。
互いに論点の把握さえ満足に出来ていない状態なので、流石に議論を尽くしているとは言い難いと思います。
【Sweeper tamonten氏へ】>~~と明示する文が存在しなくても心配される~~ということが起きるはずと~~
その認識は正しいです。そして実際起きていると私は認識しています。
幸いにして現在、多くのウィキペディアンがその「悪用」を防ぐべく多大な労力を割いています、記事を編集しwikipediaをより素晴らしい百科事典にする為に割くはずだった労力を。
本件提案の文章が追加されることで、係る常識を知らなかった者までがその「問題」を起こせるようになります。そして、今以上に多くのウィキペディアンが今以上に多大な労力を割かなければならなくなってしまうのです。
残念ながら、常識と呼ばれる物は「それを知らない若輩者が沢山居る」から常識と呼ばれるのです。逆の言い方をすると、「若輩者(=子供/未熟者/経験の少ない者)は大抵知らないが、その世界では共有されている知識/その世界では知らないと排斥されるような知識」を常識と呼ぶのです。つまり、知らない者が少なくないのです。知らない者は、その世界に「参加」して「活動する」という経験を通して先人達の行動を観察し、時間をかけてその世界の共有知識である「常識」を学びます。そしてそれを学んだ頃には、もう「若輩者」とは呼ばれなくなっているのです。その過程にある「先人達の行動を観察」することで、単なる形式的手順や言葉面だけの理解以上の知識を得ることになります。
ですが、その「少なくない数の知らない者」が本件提案の文章を読んで言葉面だけを知り形式的手順を知ったことで、大挙して「悪用」を始められると困るわけです。一般的な社会であれば、係る知らない者は「若輩者」と呼ばれ権限を制限されています。なので、悪用しようにも権限が無いので許されず、悪用出来ません。ですがwikipediaでは若輩者も熟達者も皆が平等です。なので係る知らない者でも、手がかりさえあれば簡単に「悪用」が可能になります。
そして幸か不幸かwikipediaは、その「悪用」をしたくなるような魅力に満ち溢れているのです。
【春日椿氏へ】>ええと、さらによくわからなくなってきました~~
  1. 合意が変更出来ることは常識である。
  2. 合意が変更出来ることを明文化することで「合意を軽視」する者が現れる。
  3. ならば、常識を知っている者の中に「合意を軽視」する者が居たはずである。
  4. それが現在まで居なかったのならば、明文化することで現れるという主張は非論理的である。(←合意を軽視することが不可能な何らかの論理的構成が存在すると想像している)
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月24日 (木) 09:27 (UTC)

(インデント戻す)私は、合意の変更についての文面は無いよりはあったほうが望ましいと思っています。WP:NOTの文面では「合意の変更」については薄っぺらいと思いますし、もう少し、このページでもう少し細かくカバーしたほうがよりマシになるはずです。また、「常識」であるのであれば、包み隠さず堂々と提示したほうが、新規参加者に対して合意形成についての理解をより促すことができ、ひいてはコミュニティ全体の利益になると思いますが、違うのでしょうか。
次に、「悪用」という観点からの反対意見がありますが、「合意の変更」について明記しても、「悪用」に対しては現行のガイドラインですでにカバーされています(前の発言ですでに指摘しています)。そもそも、方針・ガイドラインを悪用する輩に対しては、管理者伝言板なりコメント依頼なりブロック依頼で粛々と対処すればいいわけですし、ガイドラインもあるわけです。悪用者に対する策はすでにある程度整えられている現状からは、反対理由としては失当ではないかと思います。まあ、「悪用」した輩に対応するためのリソースは必要になるわけですが、それは「合意の変更」について「記載する」「記載しない」どちらの選択肢をとっても同じはずなのではないでしょうか(ただ、なるべく悪用するような輩を減らすべく、文面を手入れして努力することは当然必要です)。--かげろん 2010年6月24日 (木) 13:19 (UTC)

かげろんさん。まず、合意の変更についての文面はあったほうが望ましい、というメリットや必要性について、提案者のことばではわたしたちには理解できませんでした。WP:NOTについては、ルールに関する言及であると私は解釈していたので、薄っぺらいものとは思いませんでした。全体的な合意への言及ということなら、ここだけの話では済まなくなるかもしれません。「常識」であるので、隠すという次元ではなくあえて提示する意義を見出せません(例えば、上部のルールは変更できるという部分に関しては、「Wikipediaは基本的なルールを守る人は参加できます」となっており、そのルールとはおかしなものではないということを示していると解釈しました)、その常識に対して、明記することが合意形成についての理解をより促す、コミュニティ全体の利益に通じるとは私達は考えていないのです。だからこそ、メリットがない、デメリットばかり、意味がないと続けているわけです。
「悪用」という観点については、私達の意図しない使われ方だから「悪用」であると考えていますが、悪用している側も悪用だと認識しているかはわかりません。「間違った解釈」をふりかざしている現場でそれは間違った解釈だと断じることができる利用者がいて、「悪用」に対応できるかはわからない、という状況もあるかと思います。「合意の変更」について「記載する」「記載しない」どちらの選択肢をとっても対応するためのリソースが同じになるということはありません。だからこそ、私は悪用する層を大きくするかもしれない文面の不備に対して懸念を抱いています。そこで、悪用関連のデメリットはおいといて、文章のメリットがあるのかとお聞きしているのです。
私は、完璧とはいかないまでも悪用される可能性を低めた文章を作ることは可能であると思っているし、議論の前提である論点について双方に理解が得られた場合には、文章をどうするかという議論に移ることに否やはありません。--春日椿 2010年6月24日 (木) 14:48 (UTC)
少なくとも私は「合意の変更についての文面はあったほうが望ましい、というメリットや必要性」を理解しているつもりです。ただ、そのメリットや必要性はゼロより確実に大きいが(日本語版に於いては)無くても大した影響は無い程度に小さいと見積もっていて、対して存在することによって発生するデメリットの方を致命的圧倒的に高いと見積もっているだけです。
本件追加提案に関して前向きに考えたいのですが、後者(致命的圧倒的デメリット)に基づいて強固に反対の立場を取っています。
【かげろん氏へ】>現行のガイドラインですでにカバーされています~~粛々と対処すればいいわけです
対処する人員が現状に於いて既に不足気味であり対応が追い付いていない現実を前に言われても、虚しく聞こえます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月25日 (金) 04:26 (UTC)
メリットについて和訳を利用して簡単に述べさせていただきます。「過去になされた広範囲の議論というものが過去の合意に何が影響したかを示せるなら、編集者たちは各々の提案を各々の利点によって再検討し、合意が変更されるべきか否かを新たに決定する必要があります」の部分において過去の議論を再検討する必要を謳っています。この点に気付かずに新たな合意形成に入って議論のやり直しがなされないように機能することが期待できます。「ウィキペディアが柔軟であり続けるのは、・・・」の部分ではウィキペディアが柔軟であり続ける理由が述べられています。それはウィキペディアの目的であり、合意の再形成がなされる場合には考慮していただくべきものと考えています。「ある代表グループが・・・」の部分ではいかなる合意形成も対象とされることが述べられていると思います。単に「合意は変わるもの」という認識だけではカバーされない内容を含んでいます。合意はウィキペディアにおいて重要であるならその変更については注意されなくてはならないと考えます。付随する情報を英語版のようにまとめておくことが一般編集者の作業進行に寄与するでしょう。他にも関係することでこれは一般的に言えることだとする内容も「合意は変わるもの」の中に記述することでそのメリットはより高くなると思われます。--Sweeper tamonten 2010年6月26日 (土) 01:28 (UTC)
いや、まず意味のわからない和訳分をもとに、必要性を語られても、尚意味がわかりません。「過去の議論を再検討する必要を謳っています。この点に気付かずに新たな合意形成に入って議論のやり直しがなされないように機能することが期待できます。」というのはどういう意味ですが。この記述があれば、過去の議論は参照されるといいたいのでしょうか、なければどうなるというのでしょうか。どんなことが期待できるのかを、省略せずに説明して欲しいわけです。--春日椿 2010年6月26日 (土) 13:54 (UTC)
春日椿さんの欲しがっている情報はもとの英文自体が持っているべきですね。もとの文が有効として和文を用意するわけですから。さてもとの英文をどう判断しますか。--Sweeper tamonten 2010年6月29日 (火) 10:05 (UTC)
春日椿さんの欲しがっている情報はもとの英文自体が持っているべきで~~
持っているはずがありませんよ。「春日椿さんの欲しがっている情報」が何かを理解しようとしないから、そう誤解するのです。
そしてその『「春日椿さんの欲しがっている情報」が何かを理解』しようとしないSweeper tamonten氏の態度に「誠意」を認めることが出来ません。即ち、Sweeper tamonten氏が過去に「合意を成す根幹」だと発言した「誠意ある」論理が存在していない=合意を形成出来る状況ではない、と推測するのですが、如何なものでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月29日 (火) 11:58 (UTC)
もとの英文自体が持っているべきとは…。また意味のわからないことを。あなたは、わざと人の意見をおかしく解釈することで、議論を撹乱し相手を疲弊させようとしているように私には見えます。
  • 議論のはじめから様々な人に指摘されてきた悪用について、それもあるといいというような発言を繰り返しながら、この期に及んでなぜそれが必要なのかといい出す。
  • 日本語版での必要性を聞いているのに、英語版を無視するといって議論の方向をずらそうとする。
このように、相手を馬鹿にするような行動を繰り返すのならば、Sweeper tamonten氏との間には議論も成立しないし、合意形成や妥協点を探る余地は全くないと思います。--春日椿 2010年6月29日 (火) 14:21 (UTC)
このように、相手を馬鹿にするような行動
注意して下さい。Sweeper tamonten氏は、何故に春日椿氏が「馬鹿にされている」と感じたのか、その理由を全く想像だに出来ない可能性があります。恐らく(個人的には十中八九)Sweeper tamonten氏は、春日椿氏が「馬鹿にされている」と感じた理由を「自意識過剰や統合失調症か何か」なのではなかろうかと不思議がっていることでしょう。最悪の場合は「理解力が無いことを指摘されたから図星を指されて怒り狂っている」のだと推測している可能性もあると私は考えています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月29日 (火) 15:04 (UTC)

春日椿さん、「議論のはじめから様々な人に指摘されてきた悪用について・・・」ですが議論を続けている内に心配されている悪用は問題にならないことと判断するに至りました。実際に運用されている英語版にはそのような問題で議論が行われていないことはこの場所で報告済みです。「日本語版での必要性・・・」についてですがその必要性について英語版だから持っていなくて当然とは考えていません。英語版において合意されている内容をいかして日本語版を用意しようとしています。どの段階でチェックをしなくてはならないかということで日本語版ではなく英語版から始めて内容の取捨選択をすべきと考えています。--Sweeper tamonten 2010年7月1日 (木) 11:53 (UTC)

「英語版において合意されている内容をいかして日本語版を用意しようとしています」というアプローチは、既に何人かの人から反対を受けている一方、賛成する人は一人もいなかったものではないですか。同じ主張を何度も何度も繰り返すのは、そろそろいい加減にしてほしいと思います。--Dwy 2010年7月1日 (木) 12:54 (UTC)
Dwyさん、なぜ反対なのか合理的な説明はされていません。そして現在の合意形成は英語版の和訳が基本となっている現実があります。--Sweeper tamonten 2010年7月1日 (木) 13:19 (UTC)
「合理的な説明」かどうかは、コミュニティ全体で判断します。あなたが納得するまで説明する義務は、誰にもありません。
この節の最初の投稿は3月1日付けですから、あなたはあなたの提案の説明に既に4ヶ月を費やしていることになります。それだけの時間をかけて説明しても、この提案がコミュニティの賛同を得られないでいる事実を、あなたはどう受け止めているのでしょうか?もういい加減に「提案は受け入れられなかった」と認識すべき時期ではないですか?--Dwy 2010年7月1日 (木) 13:47 (UTC)
心配されている悪用は問題にならないことと判断するに至りました
何故問題にならないのか合理的な説明はされていませんね。それが問題になるか否かは争点になっているので、合理的か否かはともかく説明する必要があるのではないでしょうか。合意を形成するつもりならば。
それが合理的か否かや、理解出来るか否かは、説明を聞いてからでなければ判断出来ませんしね。
少なくとも我々は合意を形成するつもりで、説明をしてきました。Sweeper tamonten氏がそれを「合理的ではない」と判断した(或いは理解出来なかった)にせよ、説明をしてきたことに変わりはありません。
Sweeper tamonten氏にも、同じように説明をして戴きたいと考えます。
なぜ反対なのか合理的な説明はされていません
英語版と日本語版で事情が異なる故に、と説明したはずですし、どのように事情が異なっているかも説明しました。が、反論どころか異論一つありませんでしたね。
さて此処まで、各員がSweeper tamonten氏に合意に関して様々な説明をしてきましたが、Sweeper tamonten氏は未だに全く理解出来ていません。斯様にも、合意に関する説明は難しいものなのです。それをガイドラインの一節程度で説明し理解させることもまた難しいであろう、ということは推測出来ないのでしょうか?
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年7月1日 (木) 15:12 (UTC)
Dwyさんが指摘して下さっていることですが、あなたは昨年の5月に同じ提案を出したときにも、2週間ほどの議論ではありましたが今の参加者からのコメントと全く同じことを言われています。
その時に意見募集はできたはずだし、今年の提案時にはその意見を反映した文章が作れたはずでした。ですが、あなたは誰の意見にも耳を傾けることをせず(反対意見でないコメントの方も修正意見を出していたのにそれすらも無視をしている)、全く同じ提案を出したばかりか「今はコミュニティの意見を募っている」というあきれるばかりの言い訳をし、修正案と偽って何も変わらない提案を続けている。あなたの問いかけに対する返答も、都合の悪い部分だけは無視をしておいて、根拠がない理由がないと詭弁を弄し、相手のコメントをはぐらかそうとする。
もし、あなたがわざとでなく本当に、他の人には合理的な説明がない、自身の言葉は矛盾のない合理的なものだ、と思っておられるなら、ちょっと、ひどいと思います。私は、合意を尊重するウィキペディアの考えから、数の理論を持ち出すというのはあまり好きではありません。3人や4人の中で一人反対の立場だった時にも、それを貫き通したことは一度だけではありませんし、たまたまその時に少数派だった。ですが、これだけの参加者から今のあなたの考えはウィキペディア日本語版にはふさわしくない、合理性に欠くといわれている、ということがどういうことを意味するのか考えていただきたいのです。次に、3度にわたる議論の結果を(明確に賛否を示していない部分は中立としています)まとめました。延べ人数であり私のように重複している参加者もおり、提案者票は入っていません。これを見ると、あなたの提案通りの文章には誰も賛成していないことがわかりませんか。
  • 1度目の議論(条件付き賛成1、修正案や別案を出して賛否はなし7、反対4)
  • 2度目の議論(コメント4、賛否なしの修正コメント1、反対よりコメント1、反対2)
  • 今回(条件付き賛成1、反対より2、反対1)
他の方はどうか知りませんが、このまま変わらないのであれば私はあなたにはこれ以上コメントを続けて欲しくはありません。--春日椿 2010年7月1日 (木) 18:52 (UTC)

「合意が変更できることは既に常識」ということには意見が一致した。"Consensus can change"に対応する日本語版を用意するのは多くの日本語を利用する編集者の利便を考慮してのことであり、英語版と日本語版の差異があってもどちらもが前進することで相互に好影響を与えうると信じている。この日本語版を用意することに慎重な方々からは何らかの配慮を示す文面があるべきとされているがその具体的な文案はほとんど示されていない。例外としてかげろんさんからは「合意は変えられますが、実際に新しい合意が有効になるまでは、過去の合意が有効です。」という文案が示され、これについてはどなたからも反対意見がでていませんので本文に記載されて当然と考えています。現状では日本語の文案と同じ内容が英文にあり、その内容が憂慮されるなら日本語版として何らかの対応をすべきと考えているが憂慮される事柄が軽微と考えられるのか何らかの手段を講じるべきとの意見はでていない。反対意見はただ"Consensus can change"に対応する日本語版を用意することに反対しているように感じる。日本語版を用意することによって共通認識を確定することができることは大きなメリットであるはずであるし、「合意が変更できることは既に常識」ということで仮に合意が軽んじられる恐れがあるならそのことについて注意喚起を行うべき場所と考えている。日本語版を用意することによる悪影響については反対する側の意見が理解できない。「合意が変更できることは既に常識」というならばここで"Consensus can change"に対応する日本語版を用意することで新たな問題を引き起こすとは考えられない。日本語版ウィキペディアの方針やガイドラインの多くは英語版の和訳から始まっているのでここでも同じようにしたいと考えている。--Sweeper tamonten 2010年7月4日 (日) 03:19 (UTC)

共通認識を確定することができることは大きなメリット
これだけの問答を繰り返しながらも未だに「共通認識」を確定出来ていないような概念に関して、ガイドラインの一節程度でどんな「共通認識」を確定出来るとお考えなのか、合理的な説明とやらがあればお聞かせ戴きたいところです。
その内容が憂慮されるなら日本語版として何らかの対応をすべき
内容そのものが憂慮されるわけではありません。英語版であるが故に、それが「日本語版での『共通認識』を規定しているもの」ではない「単なる参考文献」なのです。故に英語版に存在する事実は問題視されておらず、また「参考にしたい人用に」英語版へのリンクがあることも問題視されていないのです。
反対する側の意見が理解できない
「常識で言う合意」というものは、この程度の問答では理解出来ないぐらい「高度にして複雑な概念」なので、それより短い「ガイドラインの一節」によって「我々が求める共通認識」を確定することは不可能だと考えているのです。
もしもSweeper tamonten氏が今回の問答で理解出来たのなら賛成する可能性も大いに有り得た(逆にそれを期待して今まで問答に付き合ってきた)のですが、Sweeper tamonten氏がこの期に及んで「理解出来ない」と発言したことで、我々の「強く反対するべき」という考えはより強固な確信となってしまいました。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年7月4日 (日) 13:58 (UTC)
>この日本語版を用意することに慎重な方々からは~文案はほとんど示されていない。
あなたがこれを繰り返すのを、私としては信じがたい思いで見ていました。過去には、シンプルに一文を追加するのが良いという案や、私も(自分があなたに協力しようと考えていた時には)文案を提示しています。それらを含めてやはりあなたは、ほかの人の言葉を全く聞いていなかったのだと考えています。かげろんさんの文案に反対意見が出ていない、というのには呆れます。何度も繰り返しているように、第一の論点はそこではない。そもそも、あなたの提案に反対としているのだから、本文に記載されて当然と言う結論にどうやったら至るのか、私には見当もつきません。
さて、やはりあなたが何を言いたいのか(何を文追加のメリットと考えているのか)全く私には伝わりません。
>英語版と日本語版の差異が~相互に好影響を与えうると信じている。
英語版と日本語版の差異があるのは当然、と認識されていると理解しました。相互に好影響を与えうるとは信じられません。
>現状では日本語の文案と同じ内容が英文にあり、その内容が憂慮されるなら
という前提がおかしいのでは。
>反対意見はただ日本語版を用意することに反対しているように感じる。
ただ"Consensus can change"に対応する日本語版を用意する、ということしか考えていないように感じるから、反対しているのです。
>日本語版を用意することによって共通認識を確定することができることは大きなメリット
どんな共通認識をどのように確定するのでしょうか。
>「合意が変更できることは既に常識」ということで~注意喚起を行うべき
それはあなたしか言っていないのであなたの考えですね。
>日本語版を用意することによる悪影響~新たな問題を引き起こすとは考えられない。
前述の整理でも挙げましたがこれについて、この場所で悪影響がないと言っているのはあなただけであるので、反対する側の意見が理解できないのではなくあなたは自分以外の誰の意見も理解できていないのです。それを認識して下さい。
>日本語版の方針やガイドラインの多くは英語版の和訳から始まっている
それは何もない時に参考にするしかなかっただけであり、日本語版ウィキペディアとして独自の展開をできる内容や人材がそろっている今には何の根拠にもなりません。もし、私が「合意が変更できる」という内容を追加するのに賛成の立場に変わったとしても、英語版をもとにすることだけは反対です。--春日椿 2010年7月4日 (日) 14:13 (UTC)
これ以上議論を続けても、同じ主張が堂々巡りするだけで、全く意味がないと思います。これほど長い時間をかけて説明してもコミュニティーの賛同を得られないのですから、Sweeper tamontenさんもいい加減あきらめたらいかがですか。これ以上いつまでも「納得」しないのは、「合意形成の方針を悪用した妨害行為」と言わざるを得ません。--Dwy 2010年7月4日 (日) 17:12 (UTC)
春日椿さんから過去に文案を提示しているとのコメントがありました。これは私の認識とは違うものです。2010年6月18日 (金) 13:31 (UTC)の春日椿さんのコメントを読む限り、春日椿さんには文案がないものと考えておりました。どのような文案を指してのコメントでしょうか?そして"合意は変更されるものです"という加筆を行うことに反対する理由を第三者に分かるように説明していただきたい。加筆を行うことによって悪影響があるとする意見の根拠はどこにあるのでしょうか?実際に起きていないことをどうやって説明できるのでしょうか?--Sweeper tamonten 2010年7月11日 (日) 14:45 (UTC)
過去に文案を提示している、春日椿には今は文案がない、とすると双方とも正しいです。あなたのコメント「この日本語版を用意することに慎重な方々からは何らかの配慮を示す文面があるべきとされているがその具体的な文案はほとんど示されていない。例外として~」からは、文案は唯一かげろんさんが提示した、と発言されていると理解しました。過去に私は消極的な反対をしながら、また私だけでなく今ここで発言を続けていない過去の参加者も、こういう文を加えたらどうかと発言しています。あなた自身に他の参加者の言葉をきちんととらえていないことを認識してもらうためのものです。
また論点を混同しています。私が文章の追加に反対する理由として、悪用は論点ではないので第三者に提示する必要性を感じません。反対理由については、私以外にもコメントが出ている中で誰の反対理由も認識できないというのであれば、私の示した理由を認識できていないのはおそらくSweeper tamontenさんだけでしょう。もし第三者が分からないというようなことがあれば説明します。
もし、過去の複数回の議論での参加者、そしてあなた自身のコメントを、一言一句漏らさずに再読してもやはり全くわからないというのであれば、本当にこれ以上あなたと議論することはありません。続けてもただの雑談となるでしょう。--春日椿 2010年7月11日 (日) 15:51 (UTC)

妥協案を提示してみます。

  • Sweeper tamonten氏は件の日本語訳(や、その他注意喚起等書きたい事があればそれ)を書き込んだ「自身の利用者ページのサブページ等」を作成後、現在英語版へのリンクとなっている箇所に関し、参考として其処へのリンクを付与することを提案する

これにより、Sweeper tamonten氏が主張する「英語を解さない日本語版利用者に対する利便性」を確保することが可能になります。また係る文章内容が非公式なものであることから、我々が懸念する「wikipedia日本語版に於ける合意の公式な再定義」を避け規則主義的根拠として用いることを防げると考えます。

世界最狂の魔法使いCray-G 2010年7月13日 (火) 07:46 (UTC)

(反対)Sweeper tamontenさんが自分の利用者ページのサブページで何を書いても結構ですが、方針やガイドラインのページからそのサブページにリンクを貼るのには賛成できません。Sweeper tamontenさん書き加えたい内容にコミュニティの合意が得られれれば、Wikipedia:合意形成に足せばよい。合意が得られなければ、あきらめていただくしかない。それだけのことで、とくに「妥協」が必要だとは思えません。--Dwy 2010年7月13日 (火) 13:14 (UTC)

この提案はコミュニティの合意が得られませんでした。提案者のコメントも1週間ストップしたため終了しました。--春日椿 2010年7月21日 (水) 18:14 (UTC)

合意が変更できるとの記述を追加する提案 (2011年8月15日から2011年10月5日まで)[編集]


英語版には以下のような文面があります。

Consensus can change

Consensus is not immutable. Past decisions are open to challenge and are not binding. Moreover, such changes are often reasonable. Thus, "according to consensus" and "violates consensus" are not valid rationales for accepting or rejecting proposals or actions. While past "extensive discussions" can guide editors on what influenced a past consensus, editors need to re-examine each proposal on its own merits, and determine afresh whether consensus either has or has not changed.

Wikipedia remains flexible because new people may bring fresh ideas, growing may evolve new needs, people may change their minds over time when new things come up, and we may find a better way to do things.

A representative group might make a decision on behalf of the community as a whole. More often, people document changes to existing procedures at some arbitrary time after the fact. But in all these cases, nothing is permanently fixed. The world changes, and Wikipedia must change with it. It is reasonable and indeed often desirable to make further changes to things at a later date, even if the last change was years ago. — en:Wikipedia:Consensus#Consensus can change

訳してみました。

合意は変わるものです

合意は不変ではありません。過去の決定とは、それに疑問を投げかける自由が認められるものであり、また拘束するものでもありません。その上そのような変更が大抵は正当なものであることが理解されなくてはなりません。したがって、「合意によって」とか「合意に反する」ということが提案や作業を認めたり拒絶したりするための有効な根拠とは必ずしもなりません。過去になされた広範囲の議論というものが過去の合意に何が影響したかを示せるなら、編集者たちは各々の提案を各々の利点によって再検討し、合意が変更されるべきか否かを新たに決定する必要があります。

ウィキペディアが柔軟であり続けるのは、新しい人が新鮮な考えを持ち込み、成長が新しい必要性を育て、新しい事が現れると人の気持がゆっくりと変化し、そして我々はより良い作業の方向を見つけることができるという可能性を提供するためです。

ある代表グループがその本来の集まりに代わり、全体としての決定を行うかもしれません。事後のある機会に既存の手順に変更が加えられることはかなりあります。しかし、いずれの場合でも何かが永久に決定されるわけではありません。世界は変化し、ウィキペディアは共に変化しなくてはなりません。最後の変更が何年も前であっても、後になって変更を加えることは合理的であり、実際に大抵は望ましいものです。

これを加えたいと考えています。過去に提案しましたが全体の変更を優先させようと本文に手を加えておりました。しかし、その本文もガイドラインになりました。その後でも提案いたしましたが、議論が収束に至る直前にウィキペディアに参加できない状態に陥った間に議論を終了されてしまいました。今、合意は多数決による場合を認めるとの加筆が本文に行われようとしています。この機会に合意のレベルの次のサブセクションとして加筆したいと考えております。

前回の議論において私の至ったところは以下の通りです。

「合意が変更できることは既に常識」ということには意見が一致した。"Consensus can change"に対応する日本語版を用意するのは多くの日本語を利用する編集者の利便を考慮してのことであり、英語版と日本語版の差異があってもどちらもが前進することで相互に好影響を与えうると信じている。この日本語版を用意することに慎重な方々からは何らかの配慮を示す文面があるべきとされているがその具体的な文案はほとんど示されていない。例外としてかげろんさんからは「合意は変えられますが、実際に新しい合意が有効になるまでは、過去の合意が有効です。」という文案が示され、これについてはどなたからも反対意見がでていませんので本文に記載されて当然と考えています。現状では日本語の文案と同じ内容が英文にあり、その内容が憂慮されるなら日本語版として何らかの対応をすべきと考えているが憂慮される事柄が軽微と考えられるのか何らかの手段を講じるべきとの意見はでていない。反対意見はただ"Consensus can change"に対応する日本語版を用意することに反対しているように感じる。日本語版を用意することによって共通認識を確定することができることは大きなメリットであるはずであるし、「合意が変更できることは既に常識」ということで仮に合意が軽んじられる恐れがあるならそのことについて注意喚起を行うべき場所と考えている。日本語版を用意することによる悪影響については反対する側の意見が理解できない。「合意が変更できることは既に常識」というならばここで"Consensus can change"に対応する日本語版を用意することで新たな問題を引き起こすとは考えられない。日本語版ウィキペディアの方針やガイドラインの多くは英語版の和訳から始まっているのでここでも同じようにしたいと考えている。
英語版の記録についての案内として

単独でWikipedia:Consensus can changeが存在していたときの変更履歴はen:Wikipedia:Consensus can changeのリダイレクト情報[3]から追えます。そのノートについては[4]の最後の直前にある最大の大きさを持つ版が全ての内容を含んでいます。

2007年1月20日にen:Wikipedia:Consensus can changeリダイレクトとなり、内容は完全にen:Wikipedia:Consensusに移されました。なお、en:Wikipedia:Consensusでは2006年12月18日からその内容にConsensus can changeを持っています。en:Wikipedia talk:Consensusにはアーカイブも示されています。

併合されてから大きな修正が行われた版を確認するにはen:Wikipedia:Consensusの変更履歴において変更内容の摘要にConsensus can changeを持っているものを選択することで行えます。

ご意見をお待ちします。--Sweeper tamonten 2011年8月15日 (月) 12:29 (UTC)

  • コメントこちらはその通りなので、訳文の反映に賛成します。--Dictionwolf 2011年8月15日 (月) 15:01 (UTC) 
  • 反対  最初にリンクされている過去ログを見ればわかるように、既に2度にわたり(2009年5月~2009年6月、2010年3月~2010年7月)かなりの時間をかけて議論した末に、結局採用されなかったものです。今またここで同じ提案を持ち出すのは、「フォーラムショッピング」に類するものだと思います。どうしても「合意は変更できる」の節を追加したいのなら、過去の反対の議論をしっかり考慮して、修正案を持ってくるべきでしょう。--Dwy 2011年8月16日 (火) 00:42 (UTC)

Dwyさん、冷却期間を設けたつもりでした。さて、貴方は「合意が変更できることは既に常識」という点について賛成されるでしょうか。これについては合意が得られたと考えています。貴方がこの点に賛成された上で過去の決定があったのでここで議論を持ち出すことを否定するというのは自己否定でしょう。それはともかくとして貴方が「合意は変更できる」と記述することに反対する理由を皆さんに示していただけませんか。--Sweeper tamonten 2011年8月16日 (火) 03:20 (UTC)

「過去の合意は絶対的なものではなく変更できるものである」は常識と言ってよいでしょうが、「過去の合意はできる限り尊重されるべきである」も同様に常識と言えます。この二つのバランスを上手に取ることが重要で、どちらに偏ってもおかしなことになります。そして、過去の議論の結論は、日本語版Wikipediaの現状からして、「変更できる」だけを特に強調するのは問題があるということだったと思います。--Dwy 2011年8月16日 (火) 14:35 (UTC)
Dwyさん、回答ありがとうございます。貴方は「変更できる」ことを記述することには反対しないが「変更できる」ことだけを特に強調するのは問題があるということですね。「変更できる」という記述があって、ただしこれはという文であれば問題ないということでしょうか?--Sweeper tamonten 2011年8月17日 (水) 13:37 (UTC)
  • 賛成  過去の議論には目を通しておりませんが、合意は変更できる、再検討できるというのは実際問題として当たり前のことであって運用上もそのような運用がなされていると思います。明文化するのになんら問題ないでしょう。--Truesight 2011年8月16日 (火) 03:36 (UTC)

コメント過去議論の終盤はともかく最初のあたりでは、この文章では問題だ、こういう記述にするべきだといった意見がありました。「かげろんさんの文案は記載されて当然と考える」「仮に合意が軽んじられる恐れがあるならそのことについて注意喚起を行うべき」ともSweeper tamontenさんはおっしゃっています。そういった意見が全く反映されていません。まずは積極的に記載すべきと考えるSweeper tamontenさんがそれらを反映した文章案を示すべきでしょう。はっきり言って、あれだけ議論してほとんど賛成者がでなかったものを「反対意見が理解できなかった、時間が経ったし合意は変えられる」と反対意見をほとんど無視するような形で再度もちだすという、合意形成の悪い例、「合意が変えられる」と記載する弊害そのものにも見えます。

それと英文の直訳であるからか妙な文章になっています。意味の取れないような文があり、そうでないものもぎこちないものになっています。訳にも間違いがあるような……。必ずしも英語版に基づく必要がないのであれば、英文にとらわれずに変えていったほうがいいように思います。--NNMM 2011年8月16日 (火) 11:54 (UTC)

  • 反対 過去数ヶ月にもわたる議論を二度もされてきたのにもかかわらず、当初提案と変わらない英語版からの直訳を三度提案されたことにまず疑問を感じます。また、NNMM氏も仰っているのと同様に、冷却期間を設けたから三度持ち出すというこの議論、及び姿勢そのものが「合意が変えられる」と記載する弊害にすら感じます。--Tokyodesert 2011年8月16日 (火) 12:41 (UTC)
  • コメント 英語版はあくまで参考程度にとどめておいて、日本語版としての独自の文案を考えるべきだと思います。合意が変更できる旨の追記の方向性自体は賛成です。しかし、以前の議論で指摘された点・追記すべき点などを無視されたSweeper tamontenさんのやり方はまったくもって賛同できません。--かげろん 2011年8月16日 (火) 23:28 (UTC)

参加されている皆さんへ、今回再び議論を求める形を取りました。前回私がウィキペディアに参加できない事由があったために回答できずに他の参加者にクローズされてしまいました。ここで残念なのは少なくとも議論が終わったらまとめておくことをすべきであるということです。(Wikipedia:議論が終わったらまとめておく)は編集内容の要約を残すのと同じように重要なことと考えています。今まで反対派の人は弊害が心配だとか、常識だから特に記述する必要はないとか、逆に記述するには難しい内容とする場合もありました。こういったことをまとめておきたいと考えています。まず、英語版の内容を日本語版に導入することにどのような問題があるか、そして導入するならばどうあるべきかということかと思います。最初から英語版の内容にこのような問題があるから導入は控えるべきだという意見があればそこからですし、そういったものがないのであれば導入するならばどういう文面にすべきかということかと思います。導入するかどうかのレベルで反対される理由はその弊害を恐れて、あるいは常識となっているので特に記述する必要がない、あるいは記述するには内容が難しいということと理解しています。導入するのであればどういった文面にするかということですが、これについてはなかなか具体的な文面を言っていただけていない状態です。私は導入すると決まれば文面は参加者全員で決めたいと考えているので参加者の方に自由に書き込んでいただいて相互に高めていけばいいと思います。私がWikipedia:ウィキペディアは何ではないかの更新作業に参加していた際はそういうものでした。まず「合意は変えられる」という文の導入自体に反対する理由についてここにまとめておきたいと思います。私が理解しているのは前述のように弊害を恐れて、あるいは常識となっているので特に記述する必要がない、あるいは記述するには内容が難しいということの3点です。これについて不足する点があれば教示願います。なお、英語版の文章をチェックしましたが前回の提案時からの変更は僅かでした。私はこの点を安定して運用されていると判断しました。その分の訳も更新しました。 かげろんさん、私は以上のように「合意は変えられる」という文の導入自体が受け入れられるかどうかを皆さんに判断していただくところから始めなくてはならないと考えておりますのでそのレベルでの意見と導入を決定したものとしての文案に関する意見とを合わせた文案を用意する力はありません。まずは導入されるべきか否かを決定して、それが導入であれば文案を決めるべきと考えています。導入自体に反対の方からその理由をいただき、まとめる作業から行うべきと考えます。しばらくは導入自体に反対される理由をまとめる時間をいただけませんか?--Sweeper tamonten 2011年8月17日 (水) 14:51 (UTC)

過去のやり取りから反対論を確認してみました。

◇導入自体に反対する理由のまとめ(暫定版) (a)記す必要はないし、記したことによる被害の方が大きい。(Fr. Nekosuki600さん 2009年5月30日 (土) 18:45 (UTC) , ikedat76さん 2009年5月31日 (日) 01:57 (UTC)) (b)wikipediaによって再定義されることで意図していない意味が発生する可能性を考慮し、反対(Fr. 世界最狂の魔法使いCray-Gさん 2010年3月5日 (金) 15:12 (UTC) ) (c)少数の「理解出来ない者」や「理解する気がない者」にwikipediaの理念に反した行動をする「根拠」を与えるべきではない。(Fr. 世界最狂の魔法使いCray-Gさん 2010年6月10日 (木) 09:23 (UTC) ) (d)「問題が起きているという共通認識の形成」が必要(Fr. 春日椿さん 2010年3月8日 (月) 16:27 (UTC) ) (e)「他言語版で成立したガイドラインや修正文は、その文章の必要性と結論を得た論理が何なのかを示すことで判断材料のひとつと考えることができる」(Fr. 春日椿さん 2010年3月28日 (日) 13:28 (UTC) )

(a)は不心得者を心配する(c)と加筆しようとする文面の必要性が求められること(d)が合わさったもの、(b)は翻訳の不備による弊害、(e)は表面の文面のみによらず、経緯も含めて考慮されるべきとするもの。

これらへの対応として、(b)の解決については、まず他のウィキペディアとの語彙の使い方を統一し、レビューを頼める人材を確保することが必要です。(c)本質から外れて規則を振りかざす者についての対応は、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんまわりの強化でしょうか?(d)「合意は変えられる」という記述が必要な理由について合意されなくてはなりませんが、私としては英語版の内容を理解するための利便性、日本語版における共通認識の形成と必要な調整部分を用意する基盤の用意、既存の合意の尊重と疑問を示すことの意味、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんの内容からの参照先として挙げられると考えます。(e)については英語版の記録を確認している最中です。もともと「合意は変えられる(Wikipedia:Consensus can change)」という単独の方針が存在していたものを「合意形成(Wikipedia:Consensus)」の中に含めたことを確認しました。よって単独の時期のノートにはその議論のみが残っています。Wikipedia:Consensusに併合された後のノートの記録はかなりの量で書庫化されています。重要な変更が行われた時期に何が議論されていたか確認することで要点を追えるものと考えています。

私としては「合意は変えられる」という記述を導入することに反対する理由に優先度が高いこれがあるからというのもありと考えています。翻訳のお手伝いはあちこちでしています。当面は導入自体に反対する理由の提示を待ちながら英語版の経緯を追って重要な議論をチェックしていくつもりです。--Sweeper tamonten 2011年8月20日 (土) 08:15 (UTC)

引続き文面に関わらず、導入自体に反対する意見を待ち続けております。もとの英文を理解するために示した訳例について不適切と思われる点があればそれもお願いします。次回にはこれまで示された反対意見に対する回答を提示させていただくつもりです。--Sweeper tamonten 2011年8月27日 (土) 00:14 (UTC)
「(d)『問題が起きているという共通認識の形成』が必要」について。この論点は、つまり、「現行の規定だけでは解決できない問題が現実に発生しており、その問題が新しい規定の追加によって解決されるというのでないなら、新しい規則を追加するべきではない」ということです。そして、Sweeper tamontenさんが上で列挙しておられる「英語版の内容を理解するための利便性、日本語版における共通認識の形成と必要な調整部分を用意する基盤の用意、既存の合意の尊重と疑問を示すことの意味、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんの内容からの参照先、その方針のサポート」については、過去の議論の中で既に全部検討済みであり、いずれも「問題が現実に発生」しているとは言えないという結論になったものです。Sweeper tamontenさん(あるいは他の方)が「合意が変更できるとの記述」がなければ解決できない現実の問題(想像上の問題や英語版での問題ではなく、日本語版で現実に困っている問題)を指摘してくれない限り、(私を含めて)前回(d)を理由に反対した人は、今回も同じく反対ということになるだろうと思います。--Dwy 2011年8月27日 (土) 09:44 (UTC)
日本語版で現実に困っている問題を指摘することですね。それでは一例を出してみます。仮に誰もがDwyさんに「現在有効とされている合意」を変更することについて総合的な案内をお願いすれば方針やガイドラインと同じように他の参加者が従う内容を昼夜の別なく常に回答していただけるのであればわざわざWikipedia:合意形成に「合意は変更できます」という場所を用意せずとも済みます。別にDwyさんでなくてもかまいません。誰かそのような方を用意できれば成立している合意を変更しようとする際に、そのための基準をその時のウィキペディアの状態に対応する形で説明してもらいます。こういうことは困難と考えるので他の方針やガイドラインの内容のように明文化しておいて理解の助けとするのみならず、議論の場を提供することで概念のよりよい構築を期待するわけです。--Sweeper tamonten 2011年8月27日 (土) 12:57 (UTC)
だから、「仮に」の話ではなくて、「現実に」そういう総合的な案内がなくて困っている人がいるかどうかを問題にしています。この点は、過去ログの中でも出ていて[6]、既に充分に議論していることです。もういい加減に同じことを繰り返すのはやめて、議論を先に進めてください。--Dwy 2011年8月27日 (土) 14:23 (UTC)
念のために言いますが、上で言っている「そういう総合的な案内」は、「『現在有効とされている合意』を変更することについての総合的な案内」、すなわち「Sweeper tamontenさんが提案している『合意は変更できる』という記述」の意味です。そういう案内がなくて困っている人が現実に存在するという指摘は、これまでの長い議論の中で一度もありませんでした。--Dwy 2011年9月4日 (日) 12:23 (UTC)

私は「現実に」そういう総合的な案内がなくて困っています。貴方は案内ができますか? --Sweeper tamonten 2011年8月27日 (土) 22:47 (UTC)

Sweeper tamontenさんは「合意が変更できる」ことを充分理解されていますから、総合案内に「合意が変更できる」という記述がないことで困っている人には該当しません。
というか、Sweeper tamontenさんに対しては、Wikipedia:コメント依頼/Sweeper tamontenにおいて、過去の議論や合意を軽視しすぎているのではないかという問題提起がなされています。私たちの立場から言わせていただくと、Sweeper tamontenさんは、「合意が変更できる」という明文の規定ができると困ったことになるかもしれないことを示す良い例だといえます。--Dwy 2011年8月28日 (日) 02:09 (UTC)
Dwyさんは過去の議論や合意について言及されました。このタイミングを捉えてDwyさんに導入自体に反対する理由として主張されるものとその根拠についてまとめる作業を手伝っていただきたいと考えます。例えば、導入反対の理由として導入する必要性はないとの主張には、その根拠としてすでにウィキペディアの別の場所で十分な情報が提供されているから重複するようなことは望ましくないといった風に導入反対の理由として主張されるものとその根拠をまとめたいと考えています。導入自体に反対する理由として主張されるものについては過去の議論を調べて挙げてみましたし、これ以外の理由としての主張は他の方から挙げられておりません。ここでは導入自体に反対する理由として主張されているもので根拠があるものについてはその根拠を記しておきたいと考えます。例えば私が過去の議論を調べて根拠と判断するものをDwyさんに確認していただくという手順はどうでしょうか?--Sweeper tamonten 2011年8月29日 (月) 09:14 (UTC)
導入自体に反対する主張とその根拠をまとめて、その後どうしましょう。反対する人を納得させるか論破するかまで議論しますか? この件の賛否や根拠はかなり主観的に判断されるものだと思いますから、過去議論と同様に難しいと思いますが。--NNMM 2011年8月29日 (月) 11:53 (UTC)
導入自体に反対する主張とその根拠をまとめた後で、その内容によって優先されることが決定されたりもします。最初の議論の際にはWikipedia:合意形成の全体を構成する内容を提供しています。今回もどうなるかはその根拠をまとめ、足りない部分を追って他の方に反対意見がどのようになっているか示した後と思います。この作業はWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#具体例の「もし延々と議論をしても、解決策が見出せないとき…… 」にある「話のポイントを整理し、同意できるところから同意していき、善意と協調をもって段々と議論を収束する方向に向かわせる。」に沿ったものです。貴方にもDwyさんと同様の協力を求めることができますか?--Sweeper tamonten 2011年8月29日 (月) 23:15 (UTC)
私は意見を反映した改善案を出していくべきという考えですから、これ以上のまとめに意義を感じませんし、まとめた後でどうしたいのかも分からないので、それには協力できません。反対意見のまとめは導入自体への反対に対応するものであって、20日のまとめや過去議論と同じですよね。もしまとめをするなら記述内容に反映すべき意見をまとめる(できれば改善案も同時に出す)のがいいと思います。また確認については、もし間違いや不足があれば誰かが指摘しますのでわざわざやらなくても大丈夫かと思います。
どうにも気になるのがSweeper tamontenさんに積極的な姿勢が見られないことです。記述を追加したいのであれば議論を引っ張るべきです(そこまで積極的でないなら取り下げも考える)。「優先されることが決定されたり」「今回もどうなるかは~」といっても、今のところは積極的に記述を追加しようとしている人がいませんから、自然に何かが決定されたりどうにかなったりはしません。以前の言葉の「なかなか具体的な文面を言っていただけていない状態です。私は導入すると決まれば文面は参加者全員で決めたいと考えているので」「文面は参加者全員で決めたいと考えているので参加者の方に自由に書き込んでいただいて」というのも同様です。
と、以上が私の意見ですが、やり方は人それぞれですしご自分のやり方でどうぞ。--NNMM 2011年8月30日 (火) 13:31 (UTC)
私も、MNMMさんと同様、これ以上のまとめに意義を感じません。--Dwy 2011年8月30日 (火) 14:28 (UTC)
NNMMさん、Dwyさん、コメントありがとうございます。現在の作業はWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#具体例の「もし延々と議論をしても、解決策が見出せないとき…… 」にある「話のポイントを整理し、同意できるところから同意していき、善意と協調をもって段々と議論を収束する方向に向かわせる。」との内容に沿ったものですが、その方向に意義を感じないという表明と受取りました。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないの説明に納得できないものがあるのか、それとも私がその方向に沿っていることに問題があるのかどちらでしょうか?--Sweeper tamonten 2011年8月31日 (水) 15:27 (UTC)
どちらでもありません。「同意できるところから同意していく」ためにこうしたらどうかと提案しています。現状ではもう何も言うことはありませんので引っ込みます。--NNMM 2011年9月2日 (金) 14:57 (UTC)

過去の議論を含めて調べた内容をまとめてみます。

◇導入自体に反対する理由のまとめ(暫定版2) (a)記す必要はないし、記したことによる被害の方が大きい。(Fr. Nekosuki600さん 2009年5月30日 (土) 18:45 (UTC) , ikedat76さん 2009年5月31日 (日) 01:57 (UTC)) (b)wikipediaによって再定義されることで意図していない意味が発生する可能性を考慮し、反対(Fr. 世界最狂の魔法使いCray-Gさん 2010年3月5日 (金) 15:12 (UTC) ) (c)少数の「理解出来ない者」や「理解する気がない者」にwikipediaの理念に反した行動をする「根拠」を与えるべきではない。(Fr. 世界最狂の魔法使いCray-Gさん 2010年6月10日 (木) 09:23 (UTC) ) (d)「問題が起きているという共通認識の形成」が必要(Fr. 春日椿さん 2010年3月8日 (月) 16:27 (UTC) ) (e)「他言語版で成立したガイドラインや修正文は、その文章の必要性と結論を得た論理が何なのかを示すことで判断材料のひとつと考えることができる」(Fr. 春日椿さん 2010年3月28日 (日) 13:28 (UTC) )

(a)は不心得者を心配する(c)と加筆しようとする文面の必要性が求められること(d)が合わさったもの、(b)は翻訳の不備による弊害、(e)は表面の文面のみによらず、経緯も含めて考慮されるべきとするもの。以後の説明では(a)について言及することはないので(c)(d)についての言及によっていただきたい。

ここに示した導入自体に反対する理由は主張であり、その根拠についてもまとめなくてはなりません。(b)の「意図していない意味が発生する可能性」についての根拠が明確に示されているわけではありません。しかし、「意図していない意味が発生する可能性」があるだろうかと言えばあることを予見する事例があります。この「合意は変えられます」の議論の中においてWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないの引用が何回かありました。世界最狂の魔法使いCray-Gさんによるものが2回(2010年3月3日 (水) 22:07 (UTC), 2010年4月2日 (金) 14:52 (UTC))、春日椿さんとDwyさんは1回ずつ(2010年4月7日 (水) 01:55 (UTC), 2010年7月4日 (日) 17:12 (UTC))です。世界最狂の魔法使いCray-Gさんの最初の引用は妥当なものでしたが二回目ははっきりとはしません。最初の引用の妥当性からして二回目の引用に問題はないと考えています。しかし、春日椿さんとDwyさんの引用は誤用でした。字面を追ったのみで本来の意味を理解していない為にウィキペディアの文言が言葉の暴力として使用されています。また2011年8月16日にはDwyさんが今回の私の提案が同じ場所で行われたものに関わらず「フォーラムショッピング」に類するものとの表現を使った例もレッテル貼りが目的だったのか、逃げを用意した言葉の暴力であったことは見逃せません。このような事例があるのに「合意は変えられます」が追記された場合の誤用を心配せずにはいられません。このことは不勉強者や不心得者を心配する(c)に関しても根拠となります。(d)の「問題が起きているという共通認識の形成」が必要ということに根拠は示されていません。しかし、「合意は変えられます」を追記する意義がなければ追記することに賛成する者はいないとすることに不自然さはないと考えています。この点に関しては簡単に反論を付けておきます。既存の合意内容に疑問を感じて改善を進めようとする姿勢は認められるべきもの、既存の合意に対する尊重とは具体的にどのようでありべきか、この点が示されるべきです。そして「合意は変えられます」の内容の成長によってまた必要性も膨らむものです。(e)の「他言語版で成立したガイドラインや修正文は、その文章の必要性と結論を得た論理が何なのかを示すことで判断材料のひとつと考えることができる」については提案者側の負担を求めています。このような基準がどこから出ているのかの説明はありません。春日椿さんの考え方と判断しています。よって直ちにこの基準が守られるべきものとは考えておりませんが、趣旨に沿って英語版の資料の調査を続けています。この点についてDwyさんがどのように考えられているか"「合意は必ずしも全会一致でなくてよい」旨の記述を追加する提案"においてコメントしましたが反応がないことからDwyさんにとってはさして重要ではないようです。一般にウィキペディアのガイドラインや方針の必要性や論理に関する資料はその文面やノートで示されるべきですね。他言語版のものについても同様のことが言えるでしょう。その文面やノートで示される内容がまず考慮されるべきです。その場所以外で示される内容を参考にすることは文面やノートで言及されていることを除き、考慮する義務は求められないと判断しています。記録を読み直した結果、このように各主張についての根拠はこれまでの経緯では明確に述べられることはないと判断しましたが、私の考えで根拠となるものについては述べました。間違っている点があれば指摘してください。

この時点で何を求めるかというとWikipedia:ルールすべてを無視しなさいのようにしたいということです。これは悪用を恐れて草案の状態に維持されています。そしてWikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説があります。これらの手法を参考に例えばWikipedia:Consensus can change/解説を用意して伝えたい情報を置く場とします。そこには最新の英文の日本語訳に加えて関連する情報として合意に関して求められるものとして合意に至った理論や経緯などのまとめを要求し、合意を見直す際に優先される情報として確保していただくことなどの手法を示すことによって現在の合意が得られた際の参加者とその合意を再検証する将来の参加者の協力が十分になるように利用されればと考えております。こういった情報がないためにWikipedia:井戸端/subj/「ノート:南京事件 (1937年)」他のローカルルールについてにおいてDwyさんは「問題提起した一つの理由には、目立つところで問題提起すれば、誰かがローカルルール導入の経緯や趣旨を説明してくれるのではないかと期待したということもあります」としています。現在の合意の経緯や趣旨がまとめられていない場合に、それを各人に独力で調べろということは困難であり、また遵守する是非さえ判断つかない状態をもたらしかねず、他の参加者にある合意を尊重するように求める根拠がなくなるかもしれず、そのために個人がある合意の成立についての情報を求めるといった余分なリソースの消費を避けるためにも必要に応じて合意に関する分かり易いまとめを残すべきです。こういった論理的な構成の情報を残しておかないと、あるウィキペディアの方針やガイドラインを基準とした合意は、元になった方針やガイドラインが変更された場合には見直しを迫られるにも関わらず、記録が不明瞭のために矛盾を残すことになります。ウィキペディアは一貫したものでないことが述べられていたと記憶しておりますが示した例は解決すべきものと考えております。また、この案は世界最狂の魔法使いCray-Gさんが2010年7月13日に述べられたことに近いと考えています。

私はこれまでは規則や法律に完全を求めることはできないので合意が変更できるとする文面を入れて弊害が起こるならそれは別のガイドラインか方針の規定か参加者の良心に訴えて対応しようと考えておりました。なお、文面の完全性で弊害を防ぐことは不可能と考えておりました。しかし、実例として問題となりそうな文面は正式のものにしないとされている場合がありました。この例にあわせる処理が現実的と判断しました。要は合意に関しての情報を渡すことにありますのでそれがガイドラインや方針でなくてもかまいません。しかし、参考としたWikipedia:ルールすべてを無視しなさいの例はガイドラインや方針ではないのですが、そこに存在しているのは合意なのでやはり尊重し、守らなくてはならないと判断されるなら、まずこのルールすべてを無視しなさいの情報提供と弊害防止のために別の手段を考えなくてはなりません。それを解決したら同じ方法で合意が変更できるとする文面をウィキペディアにおけるものと考えます。--Sweeper tamonten 2011年9月3日 (土) 17:22 (UTC)

Sweeper tamonten氏にはだいぶ長い文章を提示いただきましたがやはり「合意が変更できるとの記述を追加する提案」には同意できませんし納得できませんでした。もはやこの件に合意を求めているのかもちょっとわかりませんが当方としては改めて本提案には反対の表明をさせていただきます(蛇足かも知れませんがその後意見がないので合意と見なしたと言われても困るので)。--Tokyodesert 2011年9月13日 (火) 14:05 (UTC)
Tokyodesertさん、私は記述を表記することに反対する理由をすべてまとめているでしょうか?そして貴方は記述することに反対しているようですが、その理由は何でしょうか?--Sweeper tamonten 2011年9月13日 (火) 15:52 (UTC)
Tokyodesertさん、Wikipedia:合意形成#合意に向けた作業には"合意に向けた議論は常に「理由」を示して「相手を説得する」努力が求められます。"とあります。「理由」をお示し下さい。--Sweeper tamonten 2011年9月14日 (水) 03:37 (UTC)
よもや忘れておいでとは思いませんが提案をされているのはSweeper tamonten氏であって私はそれに対して賛否の表明をしているだけです。貴殿は私に対してだけでなく、反対表明されている方に逆質問をされていますが、本来「(導入しなければならない)理由」を示して「(反対している)相手を説得する」「努力」をしなければならないのは本提案をなされている貴殿です。その点何か話し合いの進め方からして間違っているような気がします。とはいえせっかくご質問いただいているので一応答えます。まずはじめの質問「私は記述を表記することに反対する理由をすべてまとめているでしょうか?」という質問には仰っている意味がわからないので答えられません。次に反対の理由ですが、理由は他の反対表明をされている方と同様です。他の反対表明をされている方に同意していると言うことになります。--Tokyodesert 2011年9月14日 (水) 10:30 (UTC)
Tokyodesertさん、貴方ははっきりとした反対の理由は示されませんでした。しかし、他の方と同様ですとのことなので私は反対意見のまとめを更新する必要がないことを確認できました。さて、私は最初に"Consensus can change"に対応する日本語版を用意するのは多くの日本語を利用する編集者の利便を考慮してのこととしています。これが導入の理由です。日本語版がなくとも英語版を直接参照して考え方を理解する方もいるでしょうし、日本語版を用意して日本語版の環境に合わせた文言を選ぶ方を望まれる方もいるでしょう。そして日本語版を用意することを心配される方もいます。私は既存の合意を疑問に思う人がどのように行動すべきかの情報を用意して、ウィキペディアを向上させようとする意欲に応えたいと考えていました。しかし、今は変化が不安定を呼ぶことも考慮して文言の在り方から置く場所の選択まで慎重にすべきと考えています。作業が認められるためには情報の必要性が理解されなくてはなりませんが実際に既存の合意に疑問を感じて行動している方でないとまとまった情報の不足により作業手順が不明のまま行動することの困難さを理解できないと考えています。それに加えてウィキペディアの方針とガイドラインの未完成さを考えると他の方の作業状況まで考えて、自分のすべき作業の順番を決めなくてはなりません。日本語版ウィキペディアの記事を読むと管理者も不足しているようなので混乱を起こさないようにすることがもっとも大切と考えるとWikipedia:ルールすべてを無視しなさいのような悪用される可能性を有する文章をどうすべきかということにも注目しています。しかしながら、ここでは"Consensus can change"に関してはそれが関係する作業が行われた事例をこの場で議論するなどして既存の合意にどう向き合うべきかについて意見の集約をしたいと考えていますし、見本とすべき事例などを本文に示すことも視野の内です。係る情報がない場合に慎重な方は作業を控えがちでしょうし、大胆な方は混乱を起こすかもしれません。Dwyさんは既存の合意に疑問を持って行動していますが、彼は大胆な方でしょう。ウィキペディアでは記事の編集は大胆であることを認めていますが、合意によるルールに対してはそうではない様なので彼の行動が問題視されるようであればやはり"Consensus can change"の文章を用意して既存の合意にどう向き合うべきかを示すようにすべきでしょう。彼に限らず、既存の合意に疑問を持って行動する方はいるでしょうから各ケースの分析を行いつつ、"Consensus can change"の文章の必要性が理解されて来るのを待ちたいと考えています。--Sweeper tamonten 2011年9月14日 (水) 15:58 (UTC)
現時点では、英語版の訳として外部に利用者:Dwy/合意形成#合意は変わる利用者:Sweeper tamonten/合意形成#合意は変えることができますがあります。これらは合意形成の全訳ですがこの中の該当部分だけを草案として独立させて本文から参照する形式が望ましいと考えています。--Sweeper tamonten 2011年9月26日 (月) 01:01 (UTC)
英語版の全訳作業は、みっちさんの「[英語版の]一部分のみ導入という形には無理があり、英語版の全体像及び趣旨を明らかにした上で、改訂するかどうかを総合的に判断する必要を感じます」という指摘に端を発しています。私としても、(日本語版に存在しない制度に関する記述等は別として)基本的に英語版全体をセットで日本語版に導入することを検討すべきだと思っています。Sweeper tamontenさんは、英語版全体を導入しようというのではなく、一部だけを選んで導入することを考えていらっしゃるのでしょうか?もしそうであるなら、どの部分を導入すべきだと考えていらっしゃるのでしょうか?--Dwy 2011年9月28日 (水) 13:35 (UTC)
en:Wikipedia:Consensus#Consensus can changeを日本版では草案として独立させて本文から参照する形式が望ましいと考えています。--Sweeper tamonten 2011年9月28日 (水) 14:12 (UTC)
en:Wikipedia:Consensus#Consensus can change以外の部分については、どのようにお考えでしょうか?英語版の全訳作業は、全訳したものをセットで日本語版に導入することを検討するためだったと理解しているのですが、全訳作業に携わられたSweeper tamontenさんご自身は、"Consensus can change"以外の節の導入について、どのような立場なのでしょう?(導入に賛成?反対?中立?)--Dwy 2011年9月29日 (木) 13:12 (UTC)
当分は参加者による研究の期間でしょう。急ぐ必要はありますか?--Sweeper tamonten 2011年10月1日 (土) 18:27 (UTC)
「急ぐ必要はありますか?」に対する私の答えは、「特に急ぐ必要はないが、『研究』という意味ならみんなで一緒に研究した方が効率が良いので、『参加者による研究の期間』がそれほど必要とは思わない」です。(でも、ここらでちょっと一息いれて、頭を冷やすのは良い考えだと思っています)
で、Sweeper tamontenさんのお答えの方は私の質問に対する答えになっていないような気がするのですが、全訳作業に携わられたSweeper tamontenさんご自身は、"Consensus can change"以外の節の導入について、どのような立場なのでしょう?英語版全体を導入することについて、Sweeper tamonntenさんの協力を期待してよいのでしょうか?それとも、Sweeper tamontenさんの反対を覚悟した方が良いのでしょうか?--Dwy 2011年10月1日 (土) 23:11 (UTC)
急ぐ必要はないということで意見の一致を見ました。それでは、みんなで一緒に研究し始めてからだんだん意見を持つようになるでしょうね。最初から導入ありきではありません。研究を始めないうちから導入の可否についての意見はありません。全体の導入についての話ならここはふさわしくありませんね。--Sweeper tamonten 2011年10月3日 (月) 17:28 (UTC)
せっかく英語版を全訳したことでもありますし、全体の導入の検討のための仕切りをもう少し整理する必要があると思います。「ここはふさわしくありません」というご指摘に従って、上の「修正案」の節に移動して話を続けたいと思いますので、Sweeper tanontenさんには申し訳ありませんが、もう少しお付き合いをお願いします。--Dwy 2011年10月5日 (水) 15:37 (UTC)