Wikipedia:投稿ブロック依頼/Greenland4 20201102

利用者:Greenland4会話 / 投稿記録 / 記録

このページは以下にある投稿ブロック依頼の議論を保存したものです。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートページで行ってください。このページは編集しないでください。

注意: あなたが投稿ブロック依頼を提出しようとしてこのページを見ている場合は、依頼へのリンクを {{Wikipedia:投稿ブロック依頼/利用者名 (日付または依頼回数)}} のように書き換え、新しい依頼ページを作ってください。新しい依頼ページでは、過去の議論を参考にできるよう、該当の古い依頼ページへのリンクを作成してください。

議論の結果、ブロック見送り に決定しました。


Wikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者の条件に該当することを理由として、利用者:Greenland4さんに対する投稿ブロックを依頼します。

先行する議論としてWikipedia:コメント依頼/Greenland4があります。また、個人的には本件と関連する話題はほとんどなかったと思いますがWikipedia:投稿ブロック依頼/Greenland4が先日提出され、終了しています。

理由は主に以下の通りです。

  • 1)基本的なレベルの方針無理解
基礎的な方針やガイドラインの理解が備わっておらず、後述するいつまでも納得しない対話姿勢により改善がほぼ見込めないか、または改善していただくのに多大なコミュニティの労力を要します。利用者‐会話:Greenland4#個人ブログを出典とした加筆などと前記コメント依頼での対話まで行ってようやく「基本的に個人サイトの類を出典としてはならない」という点はご理解いただけましたが、この点以外にも例えば「子供にも論理的に導き出せる帰結なので出典を出す必要はない」「ライターだから排除みたいなことをやっていると、削除マニアみたいな人が喜ぶだけ」など、方針を根本的に無視した言動が次から次へと繰り返されてしまう状態で、十分な方針理解に達するまであとどれほどの時間と他の利用者の労力を要するのか見通しが立ちません。
  • 2)いつまでも納得しない
会話ページからコメント依頼に至るまでの「いつまでも納得しない」に反すると思われる行動はおおむね以下の通りです。
基本的に個人サイトを出典としてはならないということに会話ページでいつまでも納得しない→コメント依頼までされてようやく納得
レイシ分野では作家の著書がWikipedia:信頼できる情報源に当たらないという良質な記事選考での複数利用者の指摘に対して、コメント依頼でいつまでも納得しない
小村寿太郎が歴史記事であることに対していつまでも納得しない(今現在のWikipedia‐ノート:コメント依頼/Greenland4#人物記事の出典について
小村寿太郎の件は良質な記事の選考で「歴史分野では信頼できる情報源に当たらない」と複数利用者から指摘を受けた出典を掲載し続けたいがために屁理屈を言っているだけであることは明らかだと思います。小村寿太郎が歴史記事であるだとか、百科事典の論拠に個人サイトなどを用いてはならないだとか、これらはいずれも方針以前の一般常識レベルの事柄ではないでしょうか。このような一般常識レベルの問題をわざわざコメント依頼まで行われて大勢から指摘されないと理解できない(or指摘されても理解できない)のでは困ります。1)の問題がある上に、論点が変わっても次々にこういった常識レベルのことに対して「いつまでも納得しない」ようでは、Greenland4さんが関わるあらゆる作業は方針上も出典上も何も根拠がない単なる根競べの結果にならざるを得ないです。

--Henares会話2020年11月2日 (月) 02:05 (UTC)[返信]

被依頼者コメント

  • コメント依頼で約束した通り、今後は「意見を求められた時以外は議論に参加しない」ということと「投票行為には、新着記事・強化記事ふくめ一切かかわらない」ということ、また、「専門研究者以外の個人ブログを典拠として使用しない」ということ、「礼儀を忘れない」ということを再度お約束します。つまりは、今後「執筆だけやる」ということです。「Wikipedia:コメント依頼/Greenland4」そして、このブロック依頼は「意見を求められている」わけですから、コメントいたしますが、それ以外では一切発言をしないことをお約束します。
  • 自分としては、GA選考のあり方、すなわち「出典チェックをもって選考にかえる」というようなあり方に不満を持っていたことは事実です。「ちゃんと読んでほしい」というのはありましたし、ちゃんと読んでいたら選ばれないような記事が選ばれているかと思うと、妙に厳しい方もおられて「通史を出典にしている」ことを問題にしている方もおられた。それですっかり、選考にかかること自体が苦痛になっていました。私が、GAがほしくてゴネていると思っている方がおられるとしたら、それは誤解です。ちゃんと読んでくださった方にはきちんと丁寧に対応していますし、それが何よりの褒美と心得ています。
  • 「いつまでも納得しない」ということですが、「個人サイトを使用してはダメ」ということについては十分に納得しており、いま2007年の参加開始時まで戻って削除・訂正の作業をおこなっています。13年もやっていますから、かなり長時間かかりそうです。それが終わったら、ウィキペディアの活動をやめようと思っています。仮に、ブロックということになっても、その作業はおこなうつもりです。「立つ鳥、後をにごさず」を約束します。
  • 私からすれば、「伝記に拠らずに伝記を書け」とか「人物は歴史に包含される」という意見に「即座に納得できる」という人の方が不思議です。しかも、私が申し上げているのは「考証しながら書け」ということです。別に歴史家のしごとを否定しているわけでも排除しているわけでもない。「伝記を書くのに伝記作家を排除するな」は真っ当な意見だと思います。--Greenland4会話2020年11月2日 (月) 17:21 (UTC)[返信]
  • (追記)ごめんなさい。IPからも投稿できないのですね。御面倒かけることになりそうで、その点はコミュニティの皆様に深くおわびします。--Greenland4会話2020年11月2日 (月) 18:01 (UTC)[返信]

  • 「子供にも論理的に導き出せる帰結なので出典を出す必要はない」について、再度御説明申し上げます。これは、「三段論法」と呼ばれているものであり、(1)兄が身長180cm、弟が身長170cm、(2)180cm>170cm、ということが成り立っているときは、(3)兄は弟よりも身長が高いということが「論理的に」成り立つということであり、そこに「出典は必要ない」ということを申し上げたつもりです。しかし、これは「どんな場合にでも成り立つ」というふうに一般化できることではなく、現実には兄より背の高い弟も当然おります。「竹島」の場合でも同じであり、現実には領土問題について中立な人がすべて「リアンクール岩礁」と呼ぶわけではなく、単に「日本語だから」という理由で「竹島」を呼称する人もいますから、三段論法の三段目は定義には使えませんし、出典もありません。ただし、論理的には成り立ってしまうから、たとえば説明の都合上「独島」を用いる場合には「(領土問題について)韓国側に立っているからこの言葉を使うのでない」ということを常にエクスキューズする必要が生じてきます。そういうことを申し上げたかったのです。説明が不足しており、申し訳ありませんでした。また、いかなる理由を以てしても「子どもにも導き出せる」は非礼な物言いであり、議論相手の人格を深く傷つける行為であったと思います。重ねて謝罪申し上げます。「議論にも出典が必要である」ということについて異存があるわけではなく、その点についてもお詫びいたします。
  • Wikipedia:信頼できる情報源#分野ごとのアドバイス」については、当該方針文書に「存命人物の伝記」「歴史」「自然科学、数学と医学」以下の説明がありますが、近現代の人物、いわば「『存命人物の伝記』以上『歴史上の人物』」未満の人物」とでもいうべき人物群(伝記作家によって伝記が書かれる程度には特筆性があるが、歴史を専門に研究する研究者による評伝のない近現代の人物)についての指針が書かれていません。英語版の"en:Wikipedia:Reliable sources"を読んでも、"Biographies of living persons"や"Medical claims"、すなわち、「存命人物の伝記」「医学」についてのアドバイスはあっても "history(歴史)"についてはアドバイスそのものがありません。それが私の「納得できない理由」であり、理解に苦慮した点です。しかし2、3日、よくよく考えて「伝記に拠らずに伝記を書く」という、この難題について自分なりの「解」というか、「こうすれば書ける」という方法を見つけましたので、一応、納得いたしました。私は非常にものわかりがわるく、具体的なイメージがわかないとなかなか納得できない人間なので、コミュニティの皆様には御迷惑をかけ通しだったと思います。今まで、長い間申し訳ありませんでした。
  • 個人サイトについては、初心者並みのミスであったと思います。いま、ずっと自分が立項した項目や加筆した項目について個人サイトの除去作業をおこなっております。ウィキペディア参加当初、私は民俗学や考古学といった地味な記事を書いていたので、十数年放置されていたために看過されてしまった部分もあるのかなと思います。これは弁解になってしまいますが。あまりにも初歩的なミスであり、恥ずかしい限りです。自分のミスは極力自分でカバーしていきたいと考えております。
  • ウィキペディアを長年つづけてきたことですっかり惰性に流されてしまい、人との向き合い方や方針を虚心坦懐に読むということ、記事の質、自分はすべてにおいて謙虚さを失っていたと思います。皆様に不愉快な思いをさせていることを心よりお詫び申し上げます。--Greenland4会話) 2020年11月4日 (水) 01:49 (UTC) (誤記訂正)--Greenland4会話2020年11月4日 (水) 02:50 (UTC)[返信]
  • 返信 (みっちさん宛) みっちさんの御指摘はご尤もだと思います。ノートページでの忠太さんの指摘を見落としておりました。申し訳ありませんでした。「世紀末ウィーン」に関しては、2007年7月3日の初稿のときから「広義には20世紀世界に大きな影響を与えた政治的・経済的諸事象や学芸における諸潮流を含み、多くの場合、1938年のアンシュルス(ナチス・ドイツによるオーストリア併合)までのそれも含んで呼称する」というふうに書いてあって、これは間違いなく、何かをもとに書いたものだったと思います。というのも、アルベルト・フックス「世紀末オーストリア1867~1918」という書籍があり、また、[世紀転換期をめぐるウィーン]年譜(三重県立美術館)が1918年まで、ウィーン世紀末年譜(続)1919-1939(同美術館)が1919年から1939年までの間、また、 池内紀監修 編『読んで旅する世界の歴史と文化 オーストリア』新潮社、1995年5月。ISBN 410-6018403 のpp.216-217掲載の年表は「ウィーン世紀末文化史年表 1873~1924」とあって、要するに、当時の私もこれについては、その始まりと終わりをどうするかについては随分悩んだのですが、ある本に「(広義には)多くの場合、1938年のアンシュルスまでのそれも含む」とハッキリ書いてあったので、あっさり問題は解決し、かつ、その結論は私にとっても少々意外だったという記憶があります。そのことはよく覚えているのですが、その出典が何であったのかについては13年前のことでもあり、なかなか調べがつきません。現在、追跡調査中です。「要出典」タグについては復帰させておきました。貴重な御指摘ありがとうございました。--Greenland4会話2020年11月27日 (金) 23:54 (UTC)[返信]

審議

  • 賛成 (期間:無期限) 依頼者票。「小村寿太郎が歴史記事である」「個人サイトを出典としてはならない」などということはたまたま方針などに関連する説明が用意されているだけで、利用者‐会話:Chokorin/Log4#過去の多重投票についてでの指摘と同レベルの一般常識問題であるように思います。「いつまでも納得しない」に関してはどのような論点においてもおおよそこのような状況ですので、コメント依頼で申し上げた通り「こういう人だから」というお人柄の問題であるように思えます。いずれも短期的に改善が期待できない方針理解以前の根本的な問題だと思いますので、無期限の票としました。また、コメント依頼で申し上げた通り[1]、言葉に行動が伴わないor行動が伴ったとしてもよほどきつく言われない限り一時的、ということがあまりにも多いです(二度の議論不参加の約束に関してはこの場で何かを申し上げる意思は私個人はありません)。行動が伴わない点に関してはWikipedia:コメント依頼/Greenland4#経緯での「基本的には、信頼できる情報源以外からの加筆・編集も問題ない旨を各議論で主張し続けています。」というご指摘もあります。「「いつまでも納得しない」という御批判がありましたが、決してそのようなことはなく[2]」とおっしゃりながら、さらにコメント依頼のノートで小村寿太郎の件に関して「いつまでも納得しない」行動をしてしまうこともその一例でしょうか。これまでのGreenland4さんの行動パターンからすると本件投稿ブロック依頼提出によって何らかの殊勝なお言葉や一時的な行動改善はあるかもしれません。しかし言葉に十分な行動が伴ってこなかった今までの経緯を踏まえると、もはや新たな約束や一時的行動改善だけでは恒久的な改善がなされると信用できる状況ではないため、そうしたことがあっても私が依頼を撤回することはないかもしれません。--Henares会話) 2020年11月2日 (月) 02:05 (UTC)訂正--Henares会話2020年11月2日 (月) 02:19 (UTC)[返信]
  • 賛成 (期間:無期限) 出典についての認識についてもですが過去の記事改名問題などでもこの方の対話姿勢はともかく人の話を聞かない、wikipedia式にはいつまでも納得しないという言い方になるのですが、自分の主張だけで相手の言い分を考えてみるという点が欠けていると思います。ビジネスでいうところの落としどころを考える、引き際を考える、第三者に任せるというのが一切なくて言い出したら自分の思う通りになるまで頑張るとしか言いようのない対話姿勢が極端だと思います。1ヶ月とか1年とかの期限を区切る話ではないでしょう。1年たったからもういいやと言う話ではないです。今、問題にされている件でもwikipediaとは独自研究の場ではなく必ず情報源があって成り立つものです。その情報源が非専門家の個人サイトなどではwikipediaの信頼性など皆無となってしまいます。対話姿勢と「信頼できる情報源」についてのご認識を改めてくださるまでとします。--ぱたごん会話2020年11月2日 (月) 03:42 (UTC)[返信]
  • 賛成 (期間:無期限) 「人物記事」だけは信頼できない情報源を出典としても良いという方針はありません。「歴史記事」であれ「人物記事」であれ、非専門家の個人サイトや作家の「作品」が信頼できる情報源ではないことは明白で、出典として用いることができる範囲は、皆無ではないとしても極めて限定されるでしょう。Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Greenland4では、いまだに自説を曲げず「なぜこの記事が良くてこれはダメなのか」と他記事との比較の問題にすり替えていますが、信頼できない情報源に頼らなければ記事として成立しない記事があるならば、それはそもそもウィキペディアには書けない記事なのです。基本方針の無理解、自説に拘泥する姿勢など、現状のままでウィキペディアへの参加を続けられては、他の利用者への負担が大き過ぎると思います。コミュニティを消耗させる利用者として、参加姿勢を根本的に改めていただけるまで、参加を控えていただく必要があるものと考えます。Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/セルゲイ・ウィッテ 20200805では丁寧にご対応いただける方と感じていただけに残念です。--Semiprecious stone会話2020年11月2日 (月) 15:09 (UTC)[返信]
反対 「桂・ハリマン協定」の良質な記事の選考で被依頼者の議論をお見掛けしましたが、いつまでも納得しなかった訳ではなく、2020年7月12日 (日) 17:02 (UTC) のTEN様による説明に対しては、「誠実なお答え、ありがとうございました」とお礼を述べた後に、納得の意を表しています。コメント依頼のノートにおける議論においても、納得できないポイントを丁寧に説明しておられます。
個人サイト出典の問題のうち最近問題になったケースでは、単純に無分別に出典を選んでいる訳ではなさそうです。以前自分は記事「中島敦」において、個人サイトと知らず芥川賞のデータベース出典にしたことがあり見過ごしてしまい「中島敦」の良質な記事の選考でも伊佐坂安物様に指摘されたのですが、これはどこかに信頼できる情報源があると判断されたのか、今もそのままになっています。
また、自分は記事「山縣有朋」で人物像について加筆したことがありましたが、水木楊氏や三好徹氏といった作家によるものが含まれていたため、同記事の良質な記事の選考で伊佐坂安物様から「必ずしも信頼できる情報源とはみなせない」と指摘されました。ただ現時点で記述を除去されるまでは至っておらず、信頼性に乏しくても信頼できる情報源が見つかるまで記述が残される状況になっているようです。
有識者が言及しているサイトという点については、研究不正の分野では11jigenOrdinary researchersのように、研究者から信頼できる情報源で言及され、単独記事にまでなっているものもあり、経過措置として理解できないこともありません(引用時には信頼できる情報源での言及を添えるなどして欲しいですが……)。また、初期に使用した個人サイト出典を修正されていらっしゃるのは誠実な態度だと思います。
Greenland4様を全面擁護する訳ではありませんが、反省もされていらっしゃるようですし、期限を定めないブロックまで必要とは思えません。また、人物記事の在り方については広く議論が必要な議題だと考えられますし、良質な記事の自動選考の問題も遠因としてありそうです。--Assemblykinematics会話) 2020年11月7日 (土) 12:42 (UTC) 一部訂正--Assemblykinematics会話2020年11月7日 (土) 20:43 (UTC)[返信]
コメント 私の中島敦や山県有朋についての私のコメントについてですが、Assemblykinematicsさんが書いた部分だとはまったく認識していなかったのですが、Greenland4さんのブロックとは関係のない事柄だと思います。問題ある出典が放置されていることと、そうした出典を使用することの是非は無関係です。無出典の記述が大量に残されているから無出典で記事を書いても良いということにはならないのと同じことです(スピード違反の論理)。--伊佐坂安物会話/履歴2020年11月7日 (土) 15:12 (UTC)[返信]
コメント 念のために補足いたしますと、「ウィキペディアを長年つづけてきたことですっかり惰性に流されてしまい、」という被依頼者のコメントに対して、その背景になるような状況があるというのを自分の身の回りの事例で示したかっただけで、信頼性に乏しい情報源を見過ごしてよいという訳でも、被依頼者が考えを改めなくてもよいという訳ではありません(あと話がずれますが「中島敦」の件については、以前からあった記述や出典に対して出典の書誌情報を補填しただけでした)。
なお、自分は被依頼者が11月4日にコメントした
Wikipedia:信頼できる情報源#分野ごとのアドバイス」については、当該方針文書に「存命人物の伝記」「歴史」「自然科学、数学と医学」以下の説明がありますが、近現代の人物、いわば「『存命人物の伝記』以上『歴史上の人物』」未満の人物」とでもいうべき人物群(伝記作家によって伝記が書かれる程度には特筆性があるが、歴史を専門に研究する研究者による評伝のない近現代の人物)についての指針が書かれていません。英語版の"en:Wikipedia:Reliable sources"を読んでも、"Biographies of living persons"や"Medical claims"、すなわち、「存命人物の伝記」「医学」についてのアドバイスはあっても "history(歴史)"についてはアドバイスそのものがありません。それが私の「納得できない理由」であり、理解に苦慮した点です。しかし2、3日、よくよく考えて「伝記に拠らずに伝記を書く」という、この難題について自分なりの「解」というか、「こうすれば書ける」という方法を見つけましたので、一応、納得いたしました。私は非常にものわかりがわるく、具体的なイメージがわかないとなかなか納得できない人間なので、コミュニティの皆様には御迷惑をかけ通しだったと思います。今まで、長い間申し訳ありませんでした。--Greenland4(会話) 2020年11月4日 (水) 01:49 (UTC) (誤記訂正)--Greenland4(会話) 2020年11月4日 (水) 02:50 (UTC)
という文章も読んでいますので、「いつまでも納得しない」人ではないという認識です。ただ、いろいろと懸念される点は残りますので、そういった点についてほかの方々が改善を認めない場合は、方針熟読のための半年以上、二年未満程度のブロックも仕方ないような気はしています。--Assemblykinematics会話2020年11月7日 (土) 20:43 (UTC)[返信]
依頼者票付随のコメントで申し上げました通り、「言葉に行動が伴わない」、つまり、何かしら殊勝な言葉があったにもかかわらず別の議論においてまた同じことを繰り返すという点もGreenland4さんによる「いつまでも納得しない」の態様と言える状況ですので、Assemblykinematicsさんご指摘の「誠実なお答え、ありがとうございました」の言葉はあまり意味をなさないと思います。例えば依頼文に示した「子供にも論理的に導き出せる帰結なので出典を出す必要はない」について、三段論法云々などというWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性に反することをおっしゃっています[3]。これも「子供にも論理的に導き出せる帰結なので出典を出す必要はない」を批判した私に対して「私が悪かったと思います。すみませんでした。」というお言葉があった上でのこの状況です。ノート:竹島で「意見をするならば出典が必要ですよ」ということを三度か四度だったかGreenland4さんに説明しましたが、このような常識レベルのことを私はあと何回Greenland4さんに説明しなければならないのでしょうか。--Henares会話2020年11月8日 (日) 04:17 (UTC)[返信]
  • 賛成 (期間:一年以上) Greenland4さんは素晴らしい記事も書かれる方だと思っているので、個人的には非常に残念なのですが、投稿ブロックに賛成します。Greenland4さんは「専門研究者以外の個人ブログを典拠として使用しない」とお約束されていますが、それだけで十分というわけではなく、「Wikipedia:検証可能性」や「Wikipedia:信頼できる情報源」に従っていただく必要があるわけです。コメント依頼等で再三にわたって説明されていますが、結局のところご理解いただけていないように見受けられ、個人サイトさえ使わなければ問題ないとお考えのようです(専門研究者のブログでも、WP:V#SPのとおり無条件に使えるわけではないのですが)。例えば、[4]のような編集を行い、「それのどこが問題ですか」と開き直られているのでは、結局、方針・ガイドラインをご理解されていないか、理解されていても従うつもりがないか、ということでしょう。[5]の「ほぼ決着のついてしまった問題」のような個人的なご意見の表明、およびそれに基づく記事編集に関する発言も、「Wikipedia:中立的な観点」に沿わないものですし、三大方針をはじめとする基本的な方針・ガイドラインを今一度熟読いただければ幸いです。方針熟読期間として一年以上のブロックで投票しますが、御理解いただけるまでという意味で、無期限のブロックにも反対しません。--伊佐坂安物会話/履歴2020年11月7日 (土) 15:12 (UTC)[返信]
  • 反対 - 依頼が提出されて以降のGreenland4さんの編集をウォッチしてみましたが、投稿ブロックが必要と思われるような問題は見受けられませんでしたので、問題は継続しておらず、再発の予兆もないであろうと考えます。こうした状況を鑑み、Wikipedia:投稿ブロックの方針に「すべての場合において、投稿ブロックは懲罰というよりむしろ予防であり、ウィキペディアの被害を回避するためにのみ実施されます。」に照らして、反対とさせていただきます。Greenland4さんとのやり取りは、ノート:桂・ハリマン協定でのみかと思いますが、著者の肩書を理由に頭ごなしに「信頼できる情報源ではない」と断定されることに対して抵抗感を感じておられるということは伝わってきましたが、Greenland4さんが「いつまでも納得しない利用者」であるとは全く感じませんでした。これまた私個人の経験からのお話になりますが、日中戦争百人斬り競争征韓論など、特定の説を信奉している利用者たちがいて、こちらがソースを提示しても、ソース付きで編集しても、決して自説を曲げずにソースの記載内容を改竄してしまで、自説を記載してしまう場合があります。こうした場合、その利用者が飽きるか亡くなるかを待たなければならないのかと思うことがあり、それら利用者たちは「いつまでも納得しない利用者」と言えると思いますが、Greenland4さんの場合は、ソースを提示して説明すれば普通に納得されますし、ソースの記載内容を改竄するようなことはありませんでした。また、明白にWP:ATTACK違反やWP:CIV違反をしているにもかかわらず、その事実を認めないタイプの「いつまでも納得しない利用者」も少なくありません。Henaresさんもご存じの件もあるかと思います。Greenland4さんはそういうタイプでもありません。伊佐坂安物さんが問題視された「それのどこが問題ですか」についてですが、これは、開き直っているのではなくて、崔碩栄『韓国「反日フェイク」の病理学』の「信頼できる情報源」としての評価について、利用者間で見解の相違が存在していると見るのが、公正な見方であると考えます。コメント依頼でも申し上げましたが、崔碩栄『韓国「反日フェイク」の病理学』の利用には問題が無いと考えています。問題だと考えた利用者がノート:李宇衍で議論を提起しコンセンサスを得るのがあるべき姿でしょう。ただ、Greenland4さんにおかれましては、かつてやってしまったルール違反箇所の修正や加筆・補完のための作業を完遂するためにエネルギーと時間をそそいでいただくべく、新規立項を少なくとも1年間 (補完作業が1年で終了しなければ終了するまで) 控えていただきたく存じます。また、利用者:Chokorin名義のアカウントの関連ページは、Greenland4とのWikipedia:多重アカウント#適正な使用(多重アカウント使用が認められる行為)に適合しているように思われないのと、まどろっこしいので、Greenland4名義に統一していただきたく存じます。最後に、コメント依頼でもWP:CIVに関して申し上げましたが、より具体的には、嫌味っぽい物言いは「思っても書かない」「心の中にとどめておく」ようにしていただいたほうがよろしいかと思います。花蝶風月雪月花警部さんは極端な例かもしれませんが、必要最小限のコメントにとどめるのが上策だと思います。-- Takabeg会話2020年11月22日 (日) 13:06 (UTC)[返信]
  • 保留 ブロック相当かというと疑問もありますが、現状では懸念材料があるため保留します。挙げられているブロック理由としては、1.作成する記事が「中立的な観点」の方針に沿っていない、2.ガイドライン「信頼できる情報源」に従わない、3.議論において「いつまでも納得しない」、の3点かと思います。以下、それぞれについて判断しました。少々長いですが、お許しを。
  • 1. はウィキペディアの方針に対する態度ですから、もっとも重いものです。Greenland4さんが作成された記事はたくさんあり、全部読んで検証することは到底無理だとあきらめています。そこで、最近精力的に加筆していらっしゃる世紀末ウィーンを拝見したところ、冒頭から引っかかるものがありました。19世紀末の文化事象といいつつ、なぜ1938年の歴史的な事象まで含めて書くのか? ノートを見ると、忠太さんからすでに同趣旨の疑問が呈されており、該当部分に要出典タグが貼られていました。世紀末ウィーンがいつまでかという問題は、この記事の定義と骨格に直接関わっており、出典をただ示すだけでは足りず、合意形成のプロセスが必要な最重要事項でしょう。しかし、Greenland4さんは文章の末尾を少し変えただけで要出典タグを取り除き、さらにウィトゲンシュタインやヒトラーなどについて大幅に加筆しておられます。このような対応は、私には受け入れ難いものです。本依頼に先立つコメント依頼では、TENさんから別の記事に対し、立項の意図自体が中立的でない可能性が指摘されています。これも事実ならまずいでしょう。このような対応は、Greenland4さんが執筆されたすべての記事に疑いの目を向けられることにつながりかねません。この点については、現状どこまで受け止めておられるか不明なため、懸念材料とします。
  • 2. 出典の選び方については、記事のジャンルというより、その文脈と内容次第だと考えます。例えば歴史上の人物記事であれば、歴史に直接関わる部分で専門的な出典が望ましいことはいうまでもないことです。そこに異論はありませんが、その人物に関連して他分野での功績や影響、流布している巷説・俗説の類、フィクションでの扱われ方などを紹介しようとすれば、専門以外の出典がふさわしい場合もあるでしょう。対象を多面的に捉えようとするなら、このようなケースは増えてきます。そういうときに、抑制的に「書かない」とするか、逆に信頼性は多少犠牲にしても有用として拾うか、という判断の幅はGreenland4さんがいわれるところの「閾値」の話として理解できます。したがって、ジャンルが歴史だから歴史の専門書しか出典に使ってはならない、といった説には与しません。加えて、「信頼できる情報源」はガイドラインであり、推奨ではあってもガチガチの金科玉条ではありませんからブロック理由にするのは無理があるでしょう。などとということを書いて、なら方針にしてしまえみたいな議論になるのがイヤなんですけどね。ただし、もしGreenland4さんがご自分の選んだ出典を絶対視していたり、他のより望ましいとされる出典を意図的に使わなかったりしているということであれば話は別です。このような事実があるなら、上記「中立的な観点」に照らしても問題となります。私はこれまで、Greenland4さんは他の利用者からの助言や編集を拒むことなく、共同作業による記事の改善をむしろ歓迎しておられると思っていたのですが、「世紀末ウィーン」での対応はそれに疑念をもたらすものでした。
  • 3. 別に議論に口出ししていけないわけではありませんが、その後がなにしろ長いなあと。これでは第三者はまず入り込めません。実のところ、一つのテーマで一度か二度コメントを交わせば感触というか先はほぼ見えるというか、そうなるよう逐次的でなくまとまったコメントをすべきでしょう。にもかかわらず、それ以上何度もコメントの応酬をしなければならない状況というのは、すでに失敗しているか、あるいはもはや歩み寄りの余地はないということです。大切なのは引き際であって、どちらかが必ず納得しなければならないものでもありません。主張の是非は別として、「いつまでも納得しない」のはお互い様ですから、これを理由にブロックするなら議論相手の方も無期限ブロックでよろしいかと。--みっち会話2020年11月27日 (金) 11:02 (UTC)[返信]

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