「シベール (同人誌)」の版間の差分
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{{otheruseslist|日本初の[[コミックマーケットのジャンルコード#男性向|男性向けエロ同人誌]]|[[アナトリア半島]]や[[古代ギリシア|古代ギリシャ]]、[[古代ローマ]]で信仰された大地母神「シベール」の別名|キュベレー|山形市に本社を置く食品メーカー|シベール}} |
{{otheruseslist|日本初の[[コミックマーケットのジャンルコード#男性向|男性向けエロ同人誌]]|[[アナトリア半島]]や[[古代ギリシア|古代ギリシャ]]、[[古代ローマ]]で信仰された大地母神「シベール」の別名|キュベレー|山形市に本社を置く食品メーカー|シベール}} |
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{{基礎情報 雑誌 |
{{基礎情報 雑誌 |
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| 英文誌名 = Cybele |
| 英文誌名 = Cybele |
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| 誌名略称 = シベ・黒本・黒シベ |
| 誌名略称 = シベ・黒本・黒シベ |
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| ジャンル = [[コミックマーケットのジャンルコード#男性向|男性向創作系]]<br />[[ |
| ジャンル = [[コミックマーケットのジャンルコード#男性向|男性向創作系]]<br />[[ロリコン漫画]]<br />[[二次創作|アニパロ漫画]]<br />[[近親相姦]]<br />[[百合]]・[[レズビアン|レズ]]<br />[[獣耳]]・[[ケモナー|ケモノ]]<br />[[サイエンス・フィクション|SF]]・[[ギャグ漫画|不条理ギャグ]]<br />[[ジュブナイルポルノ]]<br />[[二次元コンプレックス]] |
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| 読者対象 = [[青年]]・[[おたく]] |
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| 刊行頻度 = [[季刊]] |
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| 特記事項 = '''[[成人向け漫画|成人向]]につき18歳未満閲覧禁止'''([[コミックマーケット]]で頒布された[[コミックマーケットのジャンルコード#男性向|男性向けエロ同人誌]]の記念すべき第1号) |
| 特記事項 = '''[[成人向け漫画|成人向]]につき18歳未満閲覧禁止'''([[コミックマーケット]]で頒布された[[コミックマーケットのジャンルコード#男性向|男性向けエロ同人誌]]の記念すべき第1号) |
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『'''シベール'''』は、[[吾妻ひでお]]の漫画制作[[プロダクション]]である無気力プロダクション{{Efn|参考:[http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/98mukiryoku.html 無気力プロのこと]。元来、吾妻ひでおは[[低血圧]]で「必要に迫られなければ何もせずゴロゴロしている無気力体質」だというのが名前の由来<ref>[[奇想天外社]]『[[奇想天外 (SF雑誌)|奇想天外]]』1981年5月臨時増刊号『吾妻ひでお大全集』288頁</ref>。}}のシベール編集部が、[[コミックマーケット]](コミケ)11〜17で販売していた'''[[日本初]]の[[ロリコン漫画]][[同人誌]]'''。 |
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『'''シベール'''』は、[[吾妻ひでお]]の漫画制作プロダクション「無気力プロ」のシベール編集部が、[[コミックマーケット]](コミケ)11〜17で販売していた[[日本初]]の[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]漫画[[同人誌]]。[[1979年]]4月に創刊され、[[1981年]]4月の第7号で終刊した。誌名は吾妻ひでおの命名で、映画『[[シベールの日曜日]]』に由来する<ref name="夢ムックp34">[[吾妻ひでお]]+[[森川嘉一郎]]+ヤマダトモコ+彩古「吾妻ひでお2万5千字ロングインタビュー 現代日本的美意識『かわいいエロ』の創始者」[[KAWADE夢ムック]]『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』[[河出書房新社]] 2011年4月30日 34頁</ref>。黒一色の表紙で、[[袋#紙袋|紙袋]]や[[袋#ポリ袋・ビニール袋|ビニール袋]]に入れられて<ref name="alice">[[蛭児神建]](元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』の中「初のロリコン文芸誌『愛栗鼠』」角川書店 2005年11月 pp.39-45</ref><ref name="azima">[[阿島俊]]「ロリコン同人誌ピックアップ 第1回 シベール神話の誕生」『[[レモンピープル]]』1982年2月号(創刊号)[[あまとりあ社]](2004年9月に[[久保書店]]から発行された阿島俊『[[#参考文献|漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史]]』23頁に再録)</ref>人目を忍ぶように販売されていたため「'''謎の黒本'''」とも称された<ref name="夢ムックp34" />{{Efn|当時『シベール』に[[吾妻ひでお]]が関与していたことは暗黙の了解として認識されていた。<ref>[[奇想天外社]]『[[奇想天外 (SF雑誌)|奇想天外]]』1981年5月臨時増刊号『吾妻ひでお大全集』284頁</ref>}}。なお『シベール』はコミケで行列が出来た最初の[[同人サークル]]といわれる<ref>みぐぞう『くりいむレモン毒本』華ディスコ 2017年 87頁</ref><ref name="夢ムックp34" />。 |
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[[1979年]]4月に創刊され、[[1981年]]4月の第7号で終刊した。誌名は吾妻ひでおの命名で、当時たまたまNHKでやってた映画『[[シベールの日曜日]]』に由来する<ref name="夢ムックp34">[[吾妻ひでお]]+[[森川嘉一郎]]+ヤマダトモコ+彩古「吾妻ひでお2万5千字ロングインタビュー 現代日本的美意識『かわいいエロ』の創始者」[[KAWADE夢ムック]]『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』[[河出書房新社]] 2011年4月30日 34頁</ref>。黒一色の表紙で、[[袋#紙袋|紙袋]]や[[袋#ポリ袋・ビニール袋|ビニール袋]]に入れられて<ref name="alice">[[蛭児神建]](元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』の中「初のロリコン文芸誌『愛栗鼠』」角川書店 2005年11月 pp.39-45</ref><ref name="azima">[[阿島俊]]「ロリコン同人誌ピックアップ 第1回 シベール神話の誕生」『[[レモンピープル]]』1982年2月号(創刊号)[[あまとりあ社]](2004年9月に[[久保書店]]から発行された阿島俊『[[#参考文献|漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史]]』23頁に再録)</ref>人目を忍ぶように販売されていたため「謎の黒本」とも称された<ref name="夢ムックp34" />{{Efn|当時『シベール』に[[吾妻ひでお]]が関与していたことは暗黙の了解として認識されていた<ref>[[奇想天外社]]『[[奇想天外 (SF雑誌)|奇想天外]]』1981年5月臨時増刊号『吾妻ひでお大全集』284頁</ref>。}}。なお『シベール』はコミケで行列が出来た最初の[[同人サークル]]といわれる<ref>みぐぞう『くりいむレモン毒本』華ディスコ 2017年 87頁</ref><ref name="夢ムックp34" />。 |
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同誌は「'''[[コミックマーケットのジャンルコード#男性向|男性向けエロ同人誌]]'''」の草分けかつ立役者的役割の同人サークルで、コミケ黎明期における「'''[[ロリコンブーム]]'''」の起点となったことで名が知られる。また、同誌の潮流は『[[レモンピープル]]』『[[漫画ブリッコ]]』を始めとする[[美少女コミック誌]]の成立に多大な影響を与え、その後の[[アダルトアニメ|美少女アニメ]]や[[美少女ゲーム]]の発展にもつながった。現在では資料的価値も指摘されているが<ref>{{cite web|author=コミックマーケット準備会共同代表×森川嘉一郎|date=2009-04-30|url=https://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/feature/feature04_5.html|title=米沢嘉博記念図書館とは何なのか? 第2部 コミックマーケットの見本誌閲覧 第4章 コミケットの見本誌──保存・閲覧することの意義|publisher=[[明治大学]]|accessdate=2020-01-28}}[[森川嘉一郎]]の弁。</ref>、[[同人誌]]という[[メディア (媒体)|メディア]]の性質上、[[国立国会図書館]]など[[公共機関]]での所蔵は皆無に等しく{{Efn|所蔵機関は[[明治大学]][[米澤嘉博|米沢嘉博記念図書館]]のみ。Vol.1,2,3,4,6の計5冊を[[閉架式図書館|閉架所蔵]]している(一般/1ヶ月会員のみ請求可)。}}、全体を目にすることは極めて困難となっている。 |
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同誌は[[コミックマーケットのジャンルコード#男性向|男性向けエロ同人誌]]の草分けかつ立役者的役割の同人サークルで、コミケ黎明期における[[ロリコンブーム]]の起点となったことで名が知られる。また、同誌の潮流は『[[レモンピープル]]』『[[漫画ブリッコ]]』を始めとする[[美少女コミック誌]]の成立に多大な影響を与え、その後の[[アダルトアニメ|美少女アニメ]]や[[美少女ゲーム]]の発展にもつながった。現在では資料的価値も指摘されているが<ref>{{Cite web|和書|author=コミックマーケット準備会共同代表×森川嘉一郎|date=2009-04-30|url=https://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/feature/feature04_5.html|title=米沢嘉博記念図書館とは何なのか? 第2部 コミックマーケットの見本誌閲覧 第4章 コミケットの見本誌──保存・閲覧することの意義|publisher=[[明治大学]]|accessdate=2020-01-28}}[[森川嘉一郎]]の弁。</ref>、[[同人誌]]という[[メディア (媒体)|メディア]]の性質上、[[国立国会図書館]]など[[公共機関]]での所蔵は皆無に等しく{{Efn|所蔵機関は[[明治大学]][[米澤嘉博|米沢嘉博記念図書館]]のみ。Vol.1,2,3,4,6の計5冊を[[閉架式図書館|閉架所蔵]]している(一般/1ヶ月会員のみ請求可)。}}、全体を目にすることは極めて困難となっている。 |
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主な執筆者はシベール編集部の[[吾妻ひでお]]、[[沖由佳雄]]、[[蛭児神建]]、[[仁科蒼一]]、[[孤ノ間和歩]]、[[計奈恵]]、[[豊島ゆーさく]]、[[三鷹公一]]、[[早坂未紀]]、[[森野うさぎ]]、[[川猫めぐみ]]、[[海猫かもめ]]等で全員別名義で描いている<ref>[[米澤嘉博|コミックマーケット準備会]]『[http://www2.comiket.co.jp/archives/30th/30th_221_251.pdf コミックマーケット30’sファイル]』[[青林工藝舎]] 2005年7月,P241</ref>{{Sfn|大塚|吾妻|2005|p=19}}。 |
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主な執筆者はシベール編集部の[[吾妻ひでお]]、[[沖由佳雄]]、[[蛭児神建]]、[[仁科蒼一]]、[[孤ノ間和歩]]、[[計奈恵]]、[[豊島ゆーさく]]、[[三鷹公一]]、[[早坂未紀]]、[[森野うさぎ]]、[[川猫めぐみ]]、[[海猫かもめ]]等で、全員別名義で描いている<ref>[[米澤嘉博|コミックマーケット準備会]]『[http://www2.comiket.co.jp/archives/30th/30th_221_251.pdf コミックマーケット30’sファイル]』[[青林工藝舎]] 2005年7月,P241</ref>{{Sfn|大塚|吾妻|2005|p=19}}。主力作家は、漫画やアニメの[[ファン|愛好家]]が出入りしていた[[江古田]]の喫茶店・[[まんが画廊]]に置かれていた「らくがき帳」{{Efn|現在は[[伸童舎]]に保管されている<ref>https://twitter.com/shindosha/status/553457614084771840</ref>。}}に常連客が残した落書きをみて、吾妻の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]であった[[沖由佳雄]]がスカウトした<ref name="azumahideosakuhin97">[http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/97cybele.html 映画『シベールの日曜日』など] - 吾妻ひでお作品のあらすじ</ref>{{Sfn|大塚|吾妻|2005|p=19}}。 |
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本項では[[ロリコンブーム]]の火付け役<ref>川本耕次「1976-79年『A5判の夢』〜『シングル・ピジョン』」『20世紀エディトリアル・オデッセイ 時代を創った雑誌たち』[[赤田祐一]]+[[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]著 [[誠文堂新光社]]刊 2014年4月発行 162-164頁</ref>となった[[自販機本|自販機雑誌]]『'''少女アリス'''』([[アリス出版]])および『少女アリス』に[[吾妻ひでお]]が連載していた[[成人向け漫画]]作品である『'''純文学シリーズ'''』についても解説する。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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{{seealso|ロリコン漫画}} |
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=== シベールの発刊まで === |
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=== シベール創刊までの経緯 === |
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『シベール』は[[吾妻ひでお]]の仕事場「無気力プロダクション」{{Efn|http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/98mukiryoku.html}}に集まった有志数人により創刊された[[日本初]]の[[コミックマーケットのジャンルコード#男性向|男性向けエロ同人誌]]である。『シベール』の主力作家は、漫画やアニメの[[ファン|愛好家]]が出入りしていた[[江古田]]の喫茶店「[[まんが画廊]]」に置かれていた「らくがき帳」{{Efn|https://twitter.com/shindosha/status/553457614084771840}}{{Efn|現在は[[伸童舎]]に保管されている<ref>[https://togetter.com/li/768205 まんが画廊のお宝発掘にどよめくビッグネーム達] - [[Togetter]] 2015年1月10日</ref>。}}に常連客が残した落書きをみて、吾妻の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]であった[[沖由佳雄]]がスカウトしてきた数名の同人で構成された<ref name="azumahideosakuhin97">[http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/97cybele.html 映画『シベールの日曜日』など] - 吾妻ひでお作品のあらすじ</ref>{{Sfn|大塚|吾妻|2005|p=19}}。この中には『シベール』に先駆けて日本初の[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]同人誌『愛栗鼠』を1978年12月17日の「[[コミックマーケット]]10」で発表し、後に「ロリコンの神様」と呼ばれるようになる[[蛭児神建]]もいた。 |
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吾妻によると本誌は「コミケから[[やおい]]を駆逐する」目的で創刊したとのことで、これは同誌のスローガンにもなった<ref name="alice"/>。[[コミックマーケット準備会]]の資料などによれば、最初期のコミケットに訪れる参加者の9割以上が女性、[[24年組|花の24年組]]を筆頭とする[[少女漫画]]ファンを中心とした女子中高生や漫画誌『[[COM (雑誌)|COM]]』の流れを汲む漫画研究会の大学生などであり{{Efn|コミックマーケットは当初「参加者の9割が[[少女漫画]]ファンの[[女子高生]]」だったが、ロリコン同人誌の登場によって、1981年頃には「参加者の過半数は男性が占める」ようになる<ref>{{Cite journal|和書|author=相田美穂 |date=2005-02 |url=https://shudo-u.repo.nii.ac.jp/records/850 |title=コミックマーケットの現在 : サブカルチャーに関する一考察 |journal=広島修大論集. 人文編 |ISSN=03875873 |publisher=広島修道大学人文学会 |volume=45 |issue=2 |page=157 |CRID=1050282812718927744}}</ref>。}}{{sfn|高月|2009|pp=105-106}}<ref>[[霜月たかなか]]『コミックマーケット創世記』[[朝日新聞出版]]([[朝日新書]])2008年, [[Kindle]]版, 位置No.全2936中 80-90 / 4%。ISBN 978-4022732507。</ref><ref name="shimotsuki 135">霜月たかなか『コミックマーケット創世記』朝日新聞出版(朝日新書)2008年, Kindle版, 位置No.全2936中 135-144 / 5-6%。ISBN 978-4022732507。</ref><ref name="ComicMarket">1975年12月の[[コミックマーケット]]第1回は、虎ノ門消防会館で参加サークル32、一般参加700人の規模で行われ、主として漫画誌『[[COM (雑誌)|COM]]』の流れを汲む大学などの漫画研究会が集まっていたが、『[[宇宙戦艦ヤマト]]』の劇場公開以降は、アニメファンクラブの参加が増え、80年代前半には[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]・[[ショタコン]]や[[コスプレ]]が盛り上がった。その後、1981年から『[[週刊少年ジャンプ]]』に連載された『[[キャプテン翼]]』が起爆剤となり、後半には[[やおい]]・[[二次創作|アニパロ]]も急成長した(西村マリ『アニパロとヤオイ』[[太田出版]] 2002年)</ref><ref>コミックマーケット準備会『[http://www2.comiket.co.jp/archives/30th/30th_031_065.pdf コミックマーケット30’sファイル]』青林工藝舎 2005年7月,P33</ref><ref name="comiket90">([[コミックマーケット準備会]]『[https://www2.comiket.co.jp/archives/30th/30th_071_093.pdf コミックマーケット30’sファイル]』[[青林工藝舎]] 2005年7月 90頁(初出:[[米澤嘉博|米沢嘉博]]「夢の記憶 記憶の夢─コミケット私史─」の中「JUNEとPEKE」『コミケット年鑑'84』コミケット準備会 1985年8月 148頁)</ref>、流行していたのも『[[ポーの一族]]』の[[下ネタ]][[パロディ]]『ポルの一族』{{Efn|C1の実質的な主催者であった[[漫画評論|漫画批評]][[同人サークル|集団]]「[[迷宮 (同人サークル)|迷宮'75]]」発行の[[同人誌]]『[[漫画新批評大系]]』に連載された[[霜月たかなか|原田央男]]の[[二次創作]]。}}<ref name="shimotsuki 135"/><ref>霜月たかなか『コミックマーケット創世記』朝日新聞出版(朝日新書)2008年, Kindle版, 位置No.全2936中 1831-1840 / 62-63%。ISBN 978-4022732507。</ref><ref>[[阿島俊]]『[[#参考文献|漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史]]』[[久保書店]] 2004年9月 p.71「第24回/ロリコンアニメとその周辺」(1985年1月)</ref>をはじめとする「[[やおい]]」もの{{Efn|「[[やおい]]」という言葉は、1970年代末、[[坂田靖子]]により同人誌『ラブリ』の中で自嘲的に使用されたのが始まりとなり広まった<ref>{{Cite journal|和書|author=岩崎彩香 |date=2005-09 |title=現代女性の社会適応戦略 : 〈やおい〉文化の社会学的考察 |journal=関西大学大学院人間科学 : 社会学・心理学研究 |ISSN=02892472 |publisher=関西大学 |volume=63 |page=55 |CRID=1572543027048748288}}</ref>。周知のように「[[やおい]]」は「ヤマなし、オチなし、意味なし」の[[頭字語|アクロニム]]であり、[[二次創作|アニパロ]]や[[ボーイズラブ]]などの源流でもある。}}や、『[[宇宙戦艦ヤマト]]』ないし[[サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ]]作品などに登場する[[美形]][[悪役]][[キャラクター|キャラ]]の[[ボーイズラブ|同性愛]]を扱ったものばかりであったことから<ref name="alice"/><ref name="ComicMarket"/><ref name="comiket90"/><ref>コミックマーケット準備会『[http://www2.comiket.co.jp/archives/30th/30th_221_251.pdf コミックマーケット30’sファイル]』青林工藝舎 2005年7月,pp.224-225</ref>、ロリコン漫画の出現とは「やおい」が席巻するコミケという場へ向けた、男性側からの一種の[[カウンターカルチャー]]であったのだという<ref name="aoyama30">[http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/29_2.html ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第30回 ロリコンにおける青山正明(2)]</ref>。 |
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[[蛭児神建]]は『シベール』に先駆けて日本初の[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]同人誌『愛栗鼠』を1978年12月17日の「[[コミックマーケット]]10」で発表していた。蛭児神は「やおいがあったからこそ『シベール』ができたということもあるわけです」「ロリコン同人誌を作ること自体、勇気が要ることだったんですよ。やおいがなければ、それをやる勇気はなかったかもしれません。やはり、いくら迫害されてもしようがないという意識があったわけです」と後年回想しており{{Sfn|森川|2011|pp=181-182}}、[[森川嘉一郎]]はコミケにおける「やおい」の隆盛について、「それに対する対抗意識と同時に、アニメの、もしくはアニメ調の絵柄のエロパロが許容される場をそこに形成し、 ロリコンマンガの発表を促していたのである。その意味では、やおいはロリコン同人誌の母だったとさえいえるかもしれない」と評している{{Sfn|森川|2011|p=182}}。 |
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吾妻によると本誌は「コミケから[[やおい]]を駆逐する」目的で創刊したとのことで、これは同誌のスローガンにもなった<ref name="alice"/>。[[コミックマーケット準備会]]の資料などによれば、最初期のコミケットに訪れる参加者の9割以上が女性、[[24年組|花の24年組]]を筆頭とする[[少女漫画]]ファンを中心とした女子中高生や漫画誌『[[COM (雑誌)|COM]]』の流れを汲む漫画研究会の大学生などであり{{sfn|高月|2009|pp=105-106}}<ref>[[霜月たかなか]]『コミックマーケット創世記』[[朝日新聞出版]]([[朝日新書]])2008年, [[Kindle]]版, 位置No.全2936中 80-90 / 4%。ISBN 978-4022732507。</ref><ref name="shimotsuki 135">霜月たかなか『コミックマーケット創世記』朝日新聞出版(朝日新書)2008年, Kindle版, 位置No.全2936中 135-144 / 5-6%。ISBN 978-4022732507。</ref>{{Efn|コミックマーケットは当初「参加者の9割が[[少女漫画]]ファンの[[女子高生]]」だったが、ロリコン同人誌の登場によって、1981年頃には「参加者の過半数は男性が占める」ようになる<ref>相田美穂「[https://shudo-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=850&file_id=18&file_no=1 コミックマーケットの現在──サブカルチャーに関する一考察]」広島修道大学人文学会『広島修大論集・人文編』第45巻2号、2005年、157頁)</ref>。}}<ref name="ComicMarket">1975年12月の[[コミックマーケット]]第1回は、虎ノ門消防会館で参加サークル32、一般参加700人の規模で行われ、主として漫画誌『[[COM (雑誌)|COM]]』の流れを汲む大学などの漫画研究会が集まっていたが、『[[宇宙戦艦ヤマト]]』の劇場公開以降は、アニメファンクラブの参加が増え、80年代前半には[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]・[[ショタコン]]や[[コスプレ]]が盛り上がった。その後、1981年から『[[週刊少年ジャンプ]]』に連載された『[[キャプテン翼]]』が起爆剤となり、後半には[[やおい]]・[[二次創作物|アニパロ]]も急成長した(西村マリ『アニパロとヤオイ』[[太田出版]] 2002年)</ref>{{Efn|「[[やおい]]」という言葉は、1970年代末、[[坂田靖子]]により同人誌『ラブリ』の中で自嘲的に使用されたのが始まりとなり広まった(岩崎彩香「現代女性の社会適応戦略──〈やおい〉文化の社会学的考察」関西大学大学院社会学研究科院生協議会編『関西大学大学院人間科学──社会学・心理学研究』第63号、2005年、55頁)。周知のように「[[やおい]]」は「ヤマなし、オチなし、意味なし」の[[頭字語|アクロニム]]であり、[[二次創作物|アニパロ]]や[[ボーイズラブ]]などの源流でもある。}}<ref>コミックマーケット準備会『[http://www2.comiket.co.jp/archives/30th/30th_031_065.pdf コミックマーケット30’sファイル]』青林工藝舎 2005年7月,P33</ref><ref name="comiket90">([[コミックマーケット準備会]]『[https://www2.comiket.co.jp/archives/30th/30th_071_093.pdf コミックマーケット30’sファイル]』[[青林工藝舎]] 2005年7月 90頁(初出:[[米澤嘉博|米沢嘉博]]「夢の記憶 記憶の夢─コミケット私史─」の中「JUNEとPEKE」『コミケット年鑑'84』コミケット準備会 1985年8月 148頁)</ref>、流行していたのも『[[ポーの一族]]』の[[下ネタ]][[パロディ]]『ポルの一族』{{Efn|C1の実質的な主催者であった[[漫画評論|漫画批評]][[同人サークル|集団]]「[[迷宮 (同人サークル)|迷宮'75]]」発行の[[同人誌]]『[[漫画新批評大系]]』に連載された[[霜月たかなか|原田央男]]の[[二次創作物|二次創作]]。}}<ref name="shimotsuki 135"/><ref>霜月たかなか『コミックマーケット創世記』朝日新聞出版(朝日新書)2008年, Kindle版, 位置No.全2936中 1831-1840 / 62-63%。ISBN 978-4022732507。</ref><ref>[[米澤嘉博|阿島俊]]『[[#参考文献|漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史]]』[[久保書店]] 2004年9月 p.71「第24回/ロリコンアニメとその周辺」(1985年1月)</ref>をはじめとする「[[やおい]]」ものや、『[[宇宙戦艦ヤマト]]』ないし[[サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ]]作品などに登場する[[美形]][[悪役]][[キャラクター|キャラ]]の[[ボーイズラブ|同性愛]]を扱ったものばかりであったことから<ref name="alice"/><ref name="ComicMarket"/><ref name="comiket90"/><ref>コミックマーケット準備会『[http://www2.comiket.co.jp/archives/30th/30th_221_251.pdf コミックマーケット30’sファイル]』青林工藝舎 2005年7月,pp.224-225</ref>、ロリコン漫画の出現とは「やおい」が席巻するコミケという場へ向けた、男性側からの一種の[[カウンターカルチャー]]であったのだという<ref name="aoyama30">[http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/29_2.html ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第30回 ロリコンにおける青山正明(2)]</ref>。 |
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{{see also|やおい#歴史}} |
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[[蛭児神建]]も「やおいがあったからこそ『シベール』ができたということもあるわけです」「ロリコン同人誌を作ること自体、勇気が要ることだったんですよ。やおいがなければ、それをやる勇気はなかったかもしれません。やはり、いくら迫害されてもしようがないという意識があったわけです」と後年回想しており{{Sfn|森川|2011|pp=181-182}}、[[森川嘉一郎]]はコミケにおける「やおい」の隆盛について、「それに対する対抗意識と同時に、アニメの、もしくはアニメ調の絵柄のエロパロが許容される場をそこに形成し、 ロリコンマンガの発表を促していたのである。その意味では、やおいはロリコン同人誌の母だったとさえいえるかもしれない」と評している{{Sfn|森川|2011|p=182}}。 |
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{{see also|やおい#発生から現在までの経緯}} |
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また当時の一般的な[[成人向け漫画#男性向け成人漫画|男性向けエロ漫画]]はリアルタッチの[[エロ劇画誌|三流劇画]]がほとんどで、『シベール』をはじめとするロリコン漫画の出現は「[[手塚治虫]]や[[石ノ森章太郎]]のような丸っこい記号的な絵柄でもセックスが描ける」という「[[かわいい]][[エロ]]」{{Sfn|吾妻|2011|p=31}}ないし「[[エロかわいい]]」という現代の日本的美意識の発見と革命をもたらしたとされる。実際、吾妻と沖によれば同誌を創刊した背景には当時の[[三流劇画ブーム]]に対する強固な反発心が根底にあったという<ref name='comike30 242'/><ref>{{Citation | 和書 |author=[[吾妻ひでお]] | title = 逃亡日記 | publisher = [[日本文芸社]] | date = 2007-01-30 | isbn = 978-4-537-25465-5 | page = 180 }}</ref>{{Sfn|森川|2011|p=181}}。 |
また当時の一般的な[[成人向け漫画#男性向け成人漫画|男性向けエロ漫画]]はリアルタッチの[[エロ劇画誌|三流劇画]]がほとんどで、『シベール』をはじめとするロリコン漫画の出現は「[[手塚治虫]]や[[石ノ森章太郎]]のような丸っこい記号的な絵柄でもセックスが描ける」という「[[かわいい]][[エロ]]」{{Sfn|吾妻|2011|p=31}}ないし「[[エロかわいい]]」という現代の日本的美意識の発見と革命をもたらしたとされる。実際、吾妻と沖によれば同誌を創刊した背景には当時の[[三流劇画ブーム]]に対する強固な反発心が根底にあったという<ref name='comike30 242'/><ref>{{Citation | 和書 |author=[[吾妻ひでお]] | title = 逃亡日記 | publisher = [[日本文芸社]] | date = 2007-01-30 | isbn = 978-4-537-25465-5 | page = 180 }}</ref>{{Sfn|森川|2011|p=181}}。 |
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{{see also|エロ劇画誌#三流劇画ムーブメント}} |
{{see also|エロ劇画誌#三流劇画ムーブメント}} |
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[[蛭児神建]]は、[[まんが画廊]]で[[沖由佳雄]]にスカウトされた時のエピソードを次のように記している。{{Quotation|初対面の沖由佳雄氏に手渡された本を見て、私の全身の血液は一瞬で頭に昇った。それは二つ折りのコピー紙をホッチキスでとめた、ほんの数ページの品である。しかしその内容は、彼の可愛い絵の少女が靴下だけの全裸になり、ワレメがくっきりと描かれた、当時としては衝撃的なものであった。私は頭がクラクラした。アニメ的美少女をエロの対象とする、その偉大なる先駆けは沖由佳雄氏である。全く、世界観が引っ繰り返るような思いをした。〔……〕ともかく漫画画廊が存在しなければ、蛭児神建も『シベール』も無く、後のロリコン同人誌ブームも起こらなかったかもしれない。あんな小さな店に、あれだけの偉大な才能が集結したのは神秘というか、神の悪戯とさえ感じる。西洋の芸術史などを調べていると、複数の天才が同じ時代に誕生して寄り集い花開くという、神の意志としか思えない瞬間が幾度も起こるが、その小規模な形を私は目にしたのだ。|[[蛭児神建]](元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』の中「吾妻ひでおとの出会い」角川書店 2005年11月 pp.46-52}} |
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=== 日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』創刊 === |
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創刊号はB5判26ページの[[コピー誌]]で、何も印刷されていない黒色無反射ラシャ紙を表紙にした不気味な装幀だった{{Sfn|森川|2011|p=180}}。創刊号の原稿は[[吾妻ひでお]]、[[沖由佳雄]]、[[蛭児神建]]、そして蛭児神の紹介で加わった[[仁科蒼一]]の4名で構成され{{Sfn|森川|2011|p=184}}、併行して蛭児神は『愛栗鼠』の臨時増刊号『ロリータ』を準備し(吾妻は[[1ページ漫画]]「美少女製造の手引き」を寄稿)、1979年4月8日に開催された[[コミックマーケット]]11([[大田区産業プラザ|大田区産業会館]])において両誌は隣り合うスペースで頒布された{{Sfn|森川|2011|p=184}}。 |
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=== 『シベール』創刊 === |
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『シベール』創刊号は1979年4月8日に開催された[[コミックマーケット]]11{{Efn|[[大田区産業プラザ|大田区産業会館]]で開催された。}}で頒布された{{Sfn|森川|2011|p=184}}。何も印刷されていない黒色の[[画用紙|ラシャ紙]]の表紙のB5判26ページの[[コピー誌]]で、執筆者は[[吾妻ひでお]]、[[沖由佳雄]]、[[蛭児神建]]および蛭児神の紹介で加わった[[仁科蒼一]]の4名である{{Sfn|森川|2011|p=180}}。隣り合うスペースでは蛭児神による『愛栗鼠』の臨時増刊号『ロリータ』{{Efn|吾妻による[[1ページ漫画]]「美少女製造の手引き」が寄稿されている。}}も頒布された{{Sfn|森川|2011|p=184}}。 |
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吾妻と沖はコミックマーケット11の実質的な主催者であった「[[迷宮 (同人サークル)|迷宮'79]]」の[[米澤嘉博|米沢嘉博]](のちに[[コミックマーケット準備会]]2代目代表)と事前に打ち合わせを行っており、吾妻は「無理言ってコミケに潜り込ませてもらいました」と後年述懐している<ref name="COMIKET PRESS 25">吾妻ひでお「米沢さんありがとう」吾妻ひでお『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2』[[復刊ドットコム]] 2016年3月 133頁(初出:コミックマーケット準備会『COMIKET PRESS 25』2006年12月29日発行)</ref>。また蛭児神によれば両誌は袋に入れて糊付けし、とじ目に赤くマル秘の印を押して売っていたとのことで「世間の冷たい視線の痛さが何故か快感で、マゾヒスティックな喜びに震えていた。売り手と買い手の共犯意識による友情に私の体は火照っていた」と当時の心境を振り返っている<ref name="alice"/>{{Efn|創刊当時の[[逸話]]として、創刊号を出した後、事情を知らない吾妻ファンが読者集会に同誌を持参してきて「これ、先生のにそっくりですよ」とわざわざ[[漫才#ボケとツッコミ|突っ込み]]を入れてきたというが、吾妻は「本当に似ているな。なかなかうまいじゃない」と誤魔化したと語っている{{Sfn|大塚|2005|p=18}}。}}。 |
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実際、当時はメジャー[[少年誌]]・[[少女漫画|少女誌]]で活動している[[プロフェッショナル|プロ]]の現役漫画家が、成人向け同人誌に作品を執筆するということは[[タブー]]に等しかった。吾妻ファンでヒルダコン{{Efn|ヒルダコンとは[[米澤嘉博|米沢嘉博]]の造語で、[[宮崎駿]]や[[高畑勲]]らが参画した[[東映アニメーション|東映動画]]の[[アニメーション映画|劇場用アニメ]]『[[太陽の王子 ホルスの大冒険]]』(1968年)に登場する[[太陽の王子 ホルスの大冒険#登場人物|ヒルダ]]という[[美少女]]の熱狂的な愛好家(いわゆる[[二次元コンプレックス]])を指す。ちなみにヒルダコンであると同時に「[[ロリータ・コンプレックス]]」という言葉を漫画界で初めて紹介したとされる[[和田慎二]]は、漫画雑誌の欄外にある作家紹介スペースや作中の[[モブキャラクター|モブシーン]]でもヒルダを描いたり、[[アラビア]]が舞台の作品『[[炎の剣]]』の[[ヒロイン]]に「ヒルディアス」という(およそアラビアらしくない)名前をつけたりしている。}}{{Sfn|高月|2009|p=99「『[[太陽の王子 ホルスの大冒険]]』に登場した少女[[太陽の王子 ホルスの大冒険#登場人物|ヒルダ]]は、[[テレビアニメ#アニメブーム|アニメブーム]]以前の[[マニア]]にとって重要な存在だった。[[1971年]]にデビューしたベテラン[[少女漫画家|少女マンガ家]]の[[和田慎二]]も、一部の作品でヒルダヘの偏愛をアピールしている。[[1950年]]生まれの和田は『太陽の王子 ホルスの大冒険』公開時18歳だった。[[アニメ雑誌]]の一般的な論調としては、[[白娘子|白娘]]やヒルダヘの素朴な憧れが[[二次元コンプレックス|二次コン]]のルーツとして位置づけられたようだ。またヒルダを元祖[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]][[キャラクター]]として扱った例(引用者注:阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』p.52によれば『[[ルパン三世 カリオストロの城]]』に登場する[[ルパン三世 カリオストロの城#ゲストキャラクター|クラリス]]人気の流れでの再発見でもあったらしい)もあちこちで見られる」}}の[[少女漫画家]]・[[和田慎二]]を『シベール』に[[同人]]として勧誘する案もあったものの「それはやっぱしアカンじゃないかい」という吾妻の一声で取りやめになったという。これについて蛭児神は「やはり吾妻先生としては、メジャー作家を巻き込むのは不味いと思われたのだろう」と語っている<ref>漫画の手帖事務局『[[漫画の手帖]]』79号(2020年4月10日発行)30-31頁「[[蛭児神建|蛭児神建(元)]]の日常/その31」</ref>。 |
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2号目からは[[孤ノ間和歩]]、[[計奈恵]]、[[豊島ゆーさく]]が参加する(沖が[[まんが画廊]]の「らくがき帳」を通じて孤ノ間に接触し<ref name="azumahideosakuhin97"/>、計奈は孤ノ間の弟子をしていた)。計奈によれば「真っ黒い本で殆ど手に取ってもらえなかった」と証言しており、グループ客も「こんな本売っていいのか」と[[立ち読み]]で騒ぐだけで、そのまま買わずに通りすぎて行ったというが、中の一人が後でこっそり買いに戻ってくることもあったと回想している<ref name="yonezawa">[[沖由佳雄]]+KAZUNA([[計奈恵]])トークイベント「[https://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/archives/t_event9.html 『シベール』の頃]」 - [[明治大学]][[米澤嘉博|米沢嘉博記念図書館]]</ref><ref name="kazuna20191021">[https://twitter.com/kazunakei/status/1186257889461067776 計奈恵のツイート] 2019年10月21日</ref><ref name='comike30 249'>コミックマーケット準備会『コミックマーケット30’sファイル』青林工藝舎 2005年7月,P249</ref>。 |
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==== 孤ノ間和歩と計奈恵の参加 ==== |
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この頃、編集長の沖が[[まんが画廊]]の「らくがき帳」を通じて[[孤ノ間和歩]]と接触し<ref name="azumahideosakuhin97"/>、それに伴い弟子の[[計奈恵]]も2号目から本誌に参加したが、計奈は「真っ黒い本で殆ど手に取ってもらえなかった」と証言しており、グループ客も「こんな本売っていいのか」と[[立ち読み]]で騒ぐだけで、そのまま買わずに通りすぎて行ったというが、例外的にその中のひとりが後でこっそり戻ってきて、中身も見ずにお金だけ置いてすぐに帰っていったと回想している(この出来事を計奈は「こっちは、そういうのを見て『仲間』と思ってた。僕にとっては同志を見つける気持ちでしたね」と述懐する)<ref name="yonezawa">[[沖由佳雄]]+KAZUNA([[計奈恵]])トークイベント「[https://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/archives/t_event9.html 『シベール』の頃]」 - [[明治大学]][[米澤嘉博|米沢嘉博記念図書館]]</ref><ref name="kazuna20191021">[https://twitter.com/kazunakei/status/1186257889461067776 計奈恵のツイート] 2019年10月21日</ref><ref name='comike30 249'>コミックマーケット準備会『コミックマーケット30’sファイル』青林工藝舎 2005年7月,P249</ref>。 |
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こうした[[エロ本]]を買う時にありがちな気恥ずかしい状況<ref name='comike30 249'/>が急変するのは吾妻がコミケに行かなくなった{{Sfn|吾妻|2011|pp=32-34}}3号目(1979年冬のC13)からで、この日は開場前から人だかりが出来ており、当時のコミケには開場前行列という概念が存在しなかったため、不審に思った会場スタッフが参列者に同誌の購入希望者かどうか尋ねると、ほとんどの人が満面の笑みで一斉に挙手したという<ref name="kazuna20191021"/><ref>[https://twitter.com/kazunakei/status/983615664383389696 計奈恵のツイート] 2018年4月10日</ref>。 |
こうした[[エロ本]]を買う時にありがちな気恥ずかしい状況<ref name='comike30 249'/>が急変するのは吾妻がコミケに行かなくなった{{Sfn|吾妻|2011|pp=32-34}}3号目(1979年冬のC13)からで、この日は開場前から人だかりが出来ており、当時のコミケには開場前行列という概念が存在しなかったため、不審に思った会場スタッフが参列者に同誌の購入希望者かどうか尋ねると、ほとんどの人が満面の笑みで一斉に挙手したという<ref name="kazuna20191021"/><ref>[https://twitter.com/kazunakei/status/983615664383389696 計奈恵のツイート] 2018年4月10日</ref>。 |
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=== シベール同人について === |
=== シベール同人について === |
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* '''[[吾妻ひでお]]'''(あづま ひでお、[[1950年]][[2月6日]] - [[2019年]][[10月13日]]) |
* '''[[吾妻ひでお]]'''(あづま ひでお、[[1950年]][[2月6日]] - [[2019年]][[10月13日]]) |
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{{Main|吾妻ひでお}} |
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: [[漫画家]]。1950年に[[北海道]][[浦幌町]]で生まれる。1968年に上京後、[[工員]]などの職を経て[[板井れんたろう]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を務める。1969年に『[[まんが王]]』([[秋田書店]])12月号付録に発表した『リングサイド・クレイジー』で[[デビュー]]。その後、1972年から『[[週刊少年チャンピオン]]』に連載した『[[ふたりと5人]]』で人気作家となる。1970年代は『二日酔いダンディー』『エイト・ビート』『きまぐれ悟空』『[[やけくそ天使]]』『チョッキン』『おしゃべりラブ』『ちびママちゃん』『[[翔べ翔べドンキー]]』『やどりぎくん』『スクラップ学園』(すべて秋田書店)などの[[ギャグ漫画|ナンセンスギャグ浸画]]で人気を得る一方、1978年の『[[不条理日記]]』を皮切りに発表した一連の作品が[[サイエンス・フィクション|SF]][[ファン]]・[[漫画]][[マニア]]に熱狂的に受け入れられ、そのマニアックなSF[[パロディ]]と革新的なギャグセンスから今日の[[不条理漫画]]の先駆けになる。また1978年に[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ漫画誌]]『[[Peke]]』([[みのり書房]])で連載した『どーでもいんなーすぺーす』によって[[1980年代]]に「ロリコンまんが」と呼ばれることになるSFと美少女を中心とした先鋭的な作風をいち早く確立する。1979年4月から[[日本]]初の[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]][[漫画]][[同人誌]]『シベール』(無気力プロ)を[[自費出版]]。さらに並行して[[アリス出版]]の[[自販機本]]『少女アリス』([[川本耕次]]編集)に『陽差し』『海から来た機械』など「純文学シリーズ」と呼ばれる作品群を発表し、一連の作品で性的表現の中に[[手塚治虫]]を系譜とする戦後漫画の正統的な絵柄と[[少女漫画]]の内面世界を持ち込んだ{{Sfn|おおこし|2014|p=117}}ことから今日の「[[美少女]]」「[[萌え]]」につながる「[[おたく]]」的表現に決定的な影響を与えた。その後も『[[ななこSOS]]』『[[オリンポスのポロン|おちゃめ神物語コロコロポロン]]』などの人気作品(2作品とも[[テレビアニメ]]化された)を精力的に発表するも、創作に行き詰まり、1989年11月と1992年4月に突如[[失踪]]、1998年12月には[[アルコール依存症]]で入院する。その経緯を描いた[[自伝]]『[[失踪日記]]』(2005年)は[[ロングセラー]]となり、第34回[[日本漫画家協会賞]]大賞、第10回[[手塚治虫文化賞]]大賞、第9回[[文化庁メディア芸術祭マンガ部門]]大賞を受賞したほか、2019年10月には[[イタリア]]の[[グラン・グイニージ]]賞のRiscoperta di un’opera(再発見された作品)部門を受賞する。2019年10月13日没。 |
: [[漫画家]]。1950年に[[北海道]][[浦幌町]]で生まれる。1968年に上京後、[[工員]]などの職を経て[[板井れんたろう]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を務める。1969年に『[[まんが王]]』([[秋田書店]])12月号付録に発表した『リングサイド・クレイジー』で[[デビュー]]。その後、1972年から『[[週刊少年チャンピオン]]』に連載した『[[ふたりと5人]]』で人気作家となる。1970年代は『二日酔いダンディー』『エイト・ビート』『きまぐれ悟空』『[[やけくそ天使]]』『チョッキン』『おしゃべりラブ』『ちびママちゃん』『[[翔べ翔べドンキー]]』『やどりぎくん』『スクラップ学園』(すべて秋田書店)などの[[ギャグ漫画|ナンセンスギャグ浸画]]で人気を得る一方、1978年の『[[不条理日記]]』を皮切りに発表した一連の作品が[[サイエンス・フィクション|SF]][[ファン]]・[[漫画]][[マニア]]に熱狂的に受け入れられ、そのマニアックなSF[[パロディ]]と革新的なギャグセンスから今日の[[不条理漫画]]の先駆けになる。また1978年に[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ漫画誌]]『[[Peke]]』([[みのり書房]])で連載した『どーでもいんなーすぺーす』によって[[1980年代]]に「ロリコンまんが」と呼ばれることになるSFと美少女を中心とした先鋭的な作風をいち早く確立する。1979年4月から[[日本]]初の[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]][[漫画]][[同人誌]]『シベール』(無気力プロ)を[[自費出版]]。さらに並行して[[アリス出版]]の[[自販機本]]『少女アリス』([[川本耕次]]編集)に『陽差し』『海から来た機械』など「純文学シリーズ」と呼ばれる作品群を発表し、一連の作品で性的表現の中に[[手塚治虫]]を系譜とする戦後漫画の正統的な絵柄と[[少女漫画]]の内面世界を持ち込んだ{{Sfn|おおこし|2014|p=117}}ことから今日の「[[美少女]]」「[[萌え]]」につながる「[[おたく]]」的表現に決定的な影響を与えた。その後も『[[ななこSOS]]』『[[オリンポスのポロン|おちゃめ神物語コロコロポロン]]』などの人気作品(2作品とも[[テレビアニメ]]化された)を精力的に発表するも、創作に行き詰まり、1989年11月と1992年4月に突如[[失踪]]、1998年12月には[[アルコール依存症]]で入院する。その経緯を描いた[[自伝]]『[[失踪日記]]』(2005年)は[[ロングセラー]]となり、第34回[[日本漫画家協会賞]]大賞、第10回[[手塚治虫文化賞]]大賞、第9回[[文化庁メディア芸術祭マンガ部門]]大賞を受賞したほか、2019年10月には[[イタリア]]の[[グラン・グイニージ]]賞のRiscoperta di un’opera(再発見された作品)部門を受賞する。2019年10月13日没。 |
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* '''[[蛭児神建]]'''(ひるこがみ けん、[[1958年]][[7月18日]] - ) |
* '''[[蛭児神建]]'''(ひるこがみ けん、[[1958年]][[7月18日]] - ) |
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[[File:Ken_Hirukogami.png|thumb|250px|[[コミックマーケット]]黎明期に出没していた[[蛭児神建]]は「[[おたく]]」が公然化する以前<ref>[https://ameblo.jp/tocs/entry-11960703249.html 谷地淳平「ミニコミ誌の思い出 その15」2014年12月4日付]</ref>に“プレおたく”の[[パブリックイメージ]]を「[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]の[[変質者]]」としてなぞらえた<ref name="kaidai">[[大塚英志]]「集・真説おたくの精神史──解題」『[[新現実|Comic新現実]]』Vol.4([[角川書店]] 2005年4月 pp.76-77)</ref>。[[大塚英志]]は「[[中森明夫]]が『おたく』の語をもって外からコミケに集う人々を[[カリカチュア|カリカチュアライズ]]するより前に蛭児神建の異装は既におたく自身による『[[批評]]』としてあった」と指摘しており<ref name="kaidai"/>、[[ステレオタイプ]]なオタク像にも少なくない影響を与えたとされる<ref>[https://twitter.com/obenkyounuma/status/1300499056041443328 ぬまきちのツイート] 2020年9月1日</ref>。]] |
[[File:Ken_Hirukogami.png|thumb|250px|[[コミックマーケット]]黎明期に出没していた[[蛭児神建]]は「[[おたく]]」が公然化する以前<ref>[https://ameblo.jp/tocs/entry-11960703249.html 谷地淳平「ミニコミ誌の思い出 その15」2014年12月4日付]</ref>に“プレおたく”の[[パブリックイメージ]]を「[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]の[[変質者]]」としてなぞらえた<ref name="kaidai">[[大塚英志]]「特集・真説おたくの精神史──解題」『[[新現実|Comic新現実]]』Vol.4([[角川書店]] 2005年4月 pp.76-77)</ref>。[[大塚英志]]は「[[中森明夫]]が『おたく』の語をもって外からコミケに集う人々を[[カリカチュア|カリカチュアライズ]]するより前に蛭児神建の異装は既におたく自身による『[[批評]]』としてあった」と指摘しており<ref name="kaidai"/>、[[ステレオタイプ]]なオタク像にも少なくない影響を与えたとされる<ref>[https://twitter.com/obenkyounuma/status/1300499056041443328 ぬまきちのツイート] 2020年9月1日</ref>。]] |
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: [[作家]]・[[編集者]]・[[僧|僧侶]]。ロリコンの神様と呼ばれた伝説的人物。[[東京都]]生まれ。1978年に日本初のロリコン文芸誌『愛栗鼠』を創刊。その後『シベール』創刊参画を経て、過激派ロリコン同人誌『幼女嗜好』『SMロリータ』(変質社)を[[コミックマーケット|コミケット]]で発表。[[1980年代]]に巻き起こった[[ロリコンブーム]]の立役者・教祖的存在となる。また当時のコミケットには髪を腰まで伸ばし、[[ハンチング帽]]に[[サングラス]]、[[トレンチコート]]に[[マスク]]、[[女王陛下のプティアンジェ|プティアンジェ]][[人形]]を逆さまにぶらさげた[[変質者]]スタイルで出没{{Sfn|土本|1989|p=104}}していたことから[[吾妻ひでお]]の漫画『[[ななこSOS]]』『スクラップ学園』や[[アダルトゲーム]]『[[ALICE (PSK)|ALICE]]』などに登場する変質者のモデルにもなった。1982年には商業誌初のロリコン[[漫画雑誌]]『[[レモンピープル]]』でプロデビュー。1984年から雑誌『プチパンドラ』([[一水社]])の[[編集長]]に就任するが、1987年に引退・[[絶筆]]する。後に[[出家]]。その経緯に関しては2005年に上梓された[[自伝]]『出家日記―ある「おたく」の生涯』([[角川書店]])に詳しい。 |
: [[作家]]・[[編集者]]・[[僧|僧侶]]。ロリコンの神様と呼ばれた伝説的人物。[[東京都]]生まれ。1978年に日本初のロリコン文芸誌『愛栗鼠』を創刊。その後『シベール』創刊参画を経て、過激派ロリコン同人誌『幼女嗜好』『SMロリータ』(変質社)を[[コミックマーケット|コミケット]]で発表。[[1980年代]]に巻き起こった[[ロリコンブーム]]の立役者・教祖的存在となる。また当時のコミケットには髪を腰まで伸ばし、[[ハンチング帽]]に[[サングラス]]、[[トレンチコート]]に[[マスク]]、[[女王陛下のプティアンジェ|プティアンジェ]][[人形]]を逆さまにぶらさげた[[変質者]]スタイルで出没{{Sfn|土本|1989|p=104}}していたことから[[吾妻ひでお]]の漫画『[[ななこSOS]]』『スクラップ学園』や[[アダルトゲーム]]『[[ALICE (PSK)|ALICE]]』などに登場する変質者のモデルにもなった。1982年には商業誌初のロリコン[[漫画雑誌]]『[[レモンピープル]]』でプロデビュー。1984年から雑誌『プチパンドラ』([[一水社]])の[[編集長]]に就任するが、1987年に引退・[[絶筆]]する。後に[[出家]]。その経緯に関しては2005年に上梓された[[自伝]]『出家日記―ある「おたく」の生涯』([[角川書店]])に詳しい。 |
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* '''[[森野うさぎ]]'''(もりの うさぎ、[[1960年代]]前半 - ) |
* '''[[森野うさぎ]]'''(もりの うさぎ、[[1960年代]]前半 - ) |
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{{Main|森野うさぎ}} |
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: [[漫画家]]・[[イラストレーター]]・[[キャラクターデザイン|キャラクターデザイナー]]・[[同人作家]]。現在の[[萌え]]属性につながる「[[ぷに (萌え属性)|ぷにロリ]]」の元祖的存在<ref>[https://r18.mangaz.com/book/detail/49391 ミルキィ★ボックス] - [[Jコミ|マンガ図書館Z]]</ref>。[[あさりよしとお]]や[[ふじたゆきひさ]]らが参画した同人サークル「スタジオ・アオーク」主宰<ref name="burikko 20131216">[http://www.burikko.net/people/awake.html 漫画ブリッコの世界 - アオーク(AWAKE)について] 2013年12月16日</ref>。同人サークル「うさぎ幼稚園]」主宰{{Efn|http://www.usagimix.com/}}。[[クリエイター]]集団「[[いちごはうす]]」メンバー。また「影夢 優」(えいむ ゆう)名義で[[成人向け漫画]]も執筆している。コミケ参加当初は同人誌経験もない高校生だったが<ref name="deai">蛭児神建(元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』の中「吾妻ひでおとの出会い」角川書店 2005年11月 pp.46-52</ref>、[[まんが画廊]]でスカウトされる形で『シベール』に参加する{{Sfn|米沢|森野|1992|p=115}}。その後「[[メカ少女|メカと少女]]」をテーマにした先駆的な[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]][[SF漫画]][[同人誌]]『TEKUNO RORIA』(STUDIO BAKI)を[[豊島ゆーさく]]らと創刊し{{Sfn|米沢|森野|1992|p=115}}、二大ロリコン漫画誌『[[レモンピープル]]』『[[漫画ブリッコ]]』でも活躍する。1984年から[[自主映画|同人アニメ]]『AWAKE』{{Efn|『AWAKE』とは[[1984年]]8月16・17日に[[杉並公会堂]]で開催された第3回特撮大会(通称:ウル祭III)で上映されたオープニングアニメのこと。[[1981年]]に[[大阪]]で開催された第20回[[日本SF大会]](通称:DAICON 3)開会式で流れた短編アニメーション作品『[[DAICON FILM|DAICON III OPENING ANIMATION]]』に触発されて自主制作された。その後、ビデオ発売に向けて予約をとったものの遅れに遅れ、3年後の[[1987年]]に『VIDEO AWAKE』(発売元:STUDIO AWAKE)としてようやく[[VHS]][[映像ソフト|ソフト]]化された(収録作品はオリジナル版『アオーク』、改訂版『アオーク改』、実写作品『宇宙刑事オバノン』、最新作『オーパーツ・オーマン』の4本。ちなみに[[少女]]役の[[声優]]は[[本多知恵子]]が務めた}}を[[自主映画|自主制作]]するため同人サークル「スタジオ・アオーク」を結成{{Sfn|米沢|森野|1992|p=115}}。これを皮切りに[[大塚英志]]原案の[[アダルトアニメ]]『[[魔法のルージュ りっぷ☆すてぃっく]]』([[白夜書房]])や[[テレビアニメ]]『[[おやゆび姫物語]]』([[テレビ東京]])の[[キャラクターデザイン]]のほか、[[スーパー戦隊シリーズ]]『[[光戦隊マスクマン]]』『[[超獣戦隊ライブマン]]』や[[宇宙刑事シリーズ]]『[[宇宙刑事ギャバン]]』『[[宇宙刑事シャリバン]]』の怪人デザインなども担当した。 |
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: [[漫画家]]・[[イラストレーター]]・[[キャラクターデザイン|キャラクターデザイナー]]・[[同人作家]]。現在の[[萌え]]属性につながる「[[ぷに (萌え属性)|ぷにロリ]]」の元祖的存在<ref>[https://r18.mangaz.com/book/detail/49391 ミルキィ★ボックス] - [[マンガ図書館Z]]</ref>。[[あさりよしとお]]や[[ふじたゆきひさ]]らが参画した同人サークル「スタジオ・アオーク」主宰<ref name="burikko 20131216">[http://www.burikko.net/people/awake.html 漫画ブリッコの世界 - アオーク(AWAKE)について] 2013年12月16日</ref>。同人サークル「うさぎ幼稚園」主宰{{Efn|http://www.usagimix.com/}}。[[クリエイター]]集団「[[いちごはうす]]」メンバー。コミケ参加当初は同人誌経験もない高校生だったが<ref name="deai">蛭児神建(元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』の中「吾妻ひでおとの出会い」角川書店 2005年11月 pp.46-52</ref>、[[まんが画廊]]でスカウトされる形で『シベール』に参加する{{Sfn|米沢|森野|1992|p=115}}。 |
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: 『AWAKE』制作後は「スタジオ・アオーク」を解消して同人サークル「SYSTEM GZZY」に移行し、1990年から[[近親相姦]]をテーマにした代表作『遊裸戯』シリーズ(影夢優名義)を発表、[[米澤嘉博|米沢嘉博]]から「ちゃんとエロチシズムと少女をテーマにした『作品』が、おそらく初めて[[同人誌]]界に誕生することになるだろう」と評された<ref>[[阿島俊]]『[[#参考文献|漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史]]』[[久保書店]] 2004年9月 pp.183-184「第93回/エロスの行方を求めて…」(1991年3月)</ref>。[[1980年代]]に頒布した主なロリコン同人誌に『ま』『ん』『GSPOT』『ZZ』『XSEED』{{Sfn|米沢|森野|1992|p=116}}『学習漫画・保健4・女体のひみつ』{{Sfn|高月|2009|p=155}}などがある。 |
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* '''[[川猫めぐみ]]'''(しまねこ めぐみ、[[1953年]][[1月29日]] - ) |
* '''[[川猫めぐみ]]'''(しまねこ めぐみ、[[1953年]][[1月29日]] - ) |
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: [[漫画家]]・[[愛猫家]]・[[同人作家]]・[[路上詩人]]{{Sfn|大塚|吾妻|2005|p=19}}。[[神奈川県]][[横浜市]]出身<ref name="shimaneko">{{Cite web|title=川猫めぐみのプロフィール、受賞歴、全作品リストなど|url=https://mangaseek.net/person/6509.html|website=まんがseek|accessdate=2020-07-11|language=ja|last=まんがseekプロジェクト}}</ref>。[[女性]]。1973年に[[横浜美術短期大学|トキワ松学園女子短期大学]]卒業後<ref name="shimaneko"/>、1974年に『蒼い馬I』([[北冬書房]])に「花帽子―宵の秋」発表。その後、[[北冬書房]]の『[[夜行 (雑誌)|夜行]]』などに[[四畳半フォーク]]調で[[幽玄]]的雰囲気を漂わせた[[叙情]]派作品を発表していた。1976年には『[[週刊漫画ジョー]]』([[廣済堂あかつき|廣済堂出版]])に「半夏生」を発表し、一般誌デビュー。1979年には『[[Seventeen (日本の雑誌)#月刊セブンティーン|月刊セブンティーン]]』([[集英社]])に掲載した「知らない明日へ」で第1回新人グランプリ努力賞を受賞した。1980年に初単行本『どこか遠い虹の国』(集英社セブンティーンコミックス)上梓。以後[[フリーランス|フリー]]となり、[[川本耕次]]監修の[[美少女]][[専門雑誌|専門誌]]『[[ロリコンHOUSE]]』([[三和出版]])や『シベール』の後継[[同人誌]]『[[#シベール・メンバーのその後|アスケロン]]』([[#シベール・メンバーのその後|ぐるーぷティンカーベル]])の[[レギュラー]]作家となる<ref name="azima 59">阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店 2004年9月 pp.59-60「第18回/少女たちの少女たち」(1984年6月)</ref><ref name="azima 77">阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店 2004年9月 pp.77-78「第29回/老舗の今にロリコン同人誌を探る!」(1985年6月)</ref>。この頃から[[デフォルメ]]系[[少女漫画]]調のスタイルを確立し、[[ファンシー]]かつ[[エロティシズム|エロティック]]な世界観で知られた。主な漫画作品集に『川猫めぐみ没作品集―星野原紙芝居』([[虎馬書房]]・1983年)や『しましまBOOKS』([[けいせい出版]]・1986年)がある。2008年に公式ホームページ{{Efn|http://shimanekomegumi.web.fc2.com/}}を開設。並行して雑貨販売や音楽活動を行うなど、現在も精力的に創作活動を行っている。 |
: [[漫画家]]・[[愛猫家]]・[[同人作家]]・[[路上詩人]]{{Sfn|大塚|吾妻|2005|p=19}}。[[神奈川県]][[横浜市]]出身<ref name="shimaneko">{{Cite web|和書|title=川猫めぐみのプロフィール、受賞歴、全作品リストなど|url=https://mangaseek.net/person/6509.html|website=まんがseek|accessdate=2020-07-11|language=ja|last=まんがseekプロジェクト}}</ref>。[[女性]]。1973年に[[横浜美術短期大学|トキワ松学園女子短期大学]]卒業後<ref name="shimaneko"/>、1974年に『蒼い馬I』([[北冬書房]])に「花帽子―宵の秋」発表。その後、[[北冬書房]]の『[[夜行 (雑誌)|夜行]]』などに[[四畳半フォーク]]調で[[幽玄]]的雰囲気を漂わせた[[叙情]]派作品を発表していた。1976年には『[[週刊漫画ジョー]]』([[廣済堂あかつき|廣済堂出版]])に「半夏生」を発表し、一般誌デビュー。1979年には『[[Seventeen (日本の雑誌)#月刊セブンティーン|月刊セブンティーン]]』([[集英社]])に掲載した「知らない明日へ」で第1回新人グランプリ努力賞を受賞した。1980年に初単行本『どこか遠い虹の国』(集英社セブンティーンコミックス)上梓。以後[[フリーランス|フリー]]となり、[[川本耕次]]監修の[[美少女]][[専門雑誌|専門誌]]『[[ロリコンHOUSE]]』([[三和出版]])や『シベール』の後継[[同人誌]]『[[#シベール・メンバーのその後|アスケロン]]』([[#シベール・メンバーのその後|ぐるーぷティンカーベル]])の[[レギュラー]]作家となる<ref name="azima 59">阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店 2004年9月 pp.59-60「第18回/少女たちの少女たち」(1984年6月)</ref><ref name="azima 77">阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店 2004年9月 pp.77-78「第29回/老舗の今にロリコン同人誌を探る!」(1985年6月)</ref>。この頃から[[デフォルメ]]系[[少女漫画]]調のスタイルを確立し、[[ファンシー]]かつ[[エロティシズム|エロティック]]な世界観で知られた。主な漫画作品集に『川猫めぐみ没作品集―星野原紙芝居』([[虎馬書房]]・1983年)や『しましまBOOKS』([[けいせい出版]]・1986年)がある。2008年に公式ホームページ{{Efn|http://shimanekomegumi.web.fc2.com/}}を開設。並行して雑貨販売や音楽活動を行うなど、現在も精力的に創作活動を行っている。 |
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* '''[[海猫かもめ]]'''(うみねこ かもめ) |
* '''[[海猫かもめ]]'''(うみねこ かもめ) |
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=== 自動販売機雑誌『少女アリス』に「純文学シリーズ」連載開始 === |
=== 自動販売機雑誌『少女アリス』に「純文学シリーズ」連載開始 === |
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{{Main|吾妻ひでお#純文学シリーズ}} |
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1979年冬には業界最大手の[[自販機本]]専門出版社・[[アリス出版]]の看板雑誌『少女アリス』の[[川本耕次]]編集長([[三流劇画ブーム]]・[[ロリコンブーム]]の仕掛け人){{Efn|批評集団「[[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]」[[同人]]。[[みのり書房]]『[[Peke]]』『[[官能劇画]]』元編集長。[[アリス出版]]『少女アリス』編集長。[[群雄社出版]]『[[ロリコン大全集]]』編集人。[[吾妻ひでお]]の漫画『美美』『ぶらっとバニー』『スクラップ学園』『不思議ななんきん豆』『仁義なき黒い太陽 ロリコン編』などに登場する「[[編集者]]」のモデルとなった。}}<ref name="netgerila20181125">{{cite web|author=[[川本耕次]]|date=2018-11-25|url=http://my.shadowcity.jp/2018/11/post-14348.html|title=怪しい編集者|publisher=ネットゲリラ|accessdate=2020-01-27}}</ref><ref name="fus zadankai">[[吾妻ひでお]]+[[谷口敬]]+[[内山亜紀|野口正之]]+[[蛭児神建]]+[[早坂未紀]]+[[川本耕次]]「ロリコン座談会 ロリコンの道は深くて険しいのだ」『[[ふゅーじょんぷろだくと (雑誌)|ふゅーじょんぷろだくと]]』1981年10月号「特集 ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」[[ラポート]] pp.86-91</ref><ref name="kawamoto112">川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 112-113頁</ref>から吾妻のもとに「ロリコン(美少女)ものを描いてください。純文学みたいなやつ」という依頼があり<ref name="netgerila20191021">{{cite web|author=川本耕次|date=2019-10-21|url=http://my.shadowcity.jp/2019/10/post-16506.html|title=代表作はガス屋のガス公|publisher=ネットゲリラ|accessdate=2020-01-27}}</ref><ref>「なんかあれもアリスの山田さんがね、ロリコンものを一つ…(笑)」『はあど・しゅ〜る新聞』1980年3月15日付(大日本吾妻漫画振興会・虎馬書房, p.3)</ref>、商業誌初のロリコン漫画「'''純文学シリーズ'''」を1980年1月頃から1980年9月<ref>[http://link3.jp/manga/yonezawa_lib/pdf/t_event12.pdf SFと美少女の季節(吾妻ひでおと川本耕次の関連年表)] [[明治大学]][[米澤嘉博|米沢嘉博記念図書館]]</ref>まで連載する(1981年7月に[[奇想天外社]]から『[[陽射し]]』として単行本化された)。 |
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1979年冬には業界最大手の[[自販機本]]専門出版社・[[アリス出版]]の看板雑誌『少女アリス』の[[川本耕次]]編集長([[三流劇画ブーム]]・[[ロリコンブーム]]の仕掛け人){{Efn|批評集団「[[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]」[[同人]]。[[みのり書房]]『[[Peke]]』『[[官能劇画]]』元編集長。[[アリス出版]]『少女アリス』編集長。[[群雄社出版]]『[[ロリコン大全集]]』編集人。[[吾妻ひでお]]の漫画『美美』『ぶらっとバニー』『スクラップ学園』『不思議ななんきん豆』『仁義なき黒い太陽 ロリコン編』などに登場する「[[編集者]]」のモデルとなった。}}<ref name="netgerila20181125">{{Cite web|和書|author=川本耕次|authorlink=川本耕次|date=2018-11-25|url=http://my.shadowcity.jp/2018/11/post-14348.html|title=怪しい編集者|publisher=ネットゲリラ|accessdate=2020-01-27 |url-status=dead |url-status-date=2024-10-04}}</ref><ref name="fus zadankai">[[吾妻ひでお]]+[[谷口敬]]+[[内山亜紀|野口正之]]+[[蛭児神建]]+[[早坂未紀]]+[[川本耕次]]「ロリコン座談会 ロリコンの道は深くて険しいのだ」『[[ふゅーじょんぷろだくと (雑誌)|ふゅーじょんぷろだくと]]』1981年10月号「特集 ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」[[ラポート]] pp.86-91</ref><ref name="kawamoto112">川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 112-113頁</ref>から吾妻のもとに「ロリコン(美少女)ものを描いてください。純文学みたいなやつ」という依頼があり<ref name="netgerila20191021">{{Cite web|和書|author=川本耕次|date=2019-10-21|url=http://my.shadowcity.jp/2019/10/post-16506.html|title=代表作はガス屋のガス公|publisher=ネットゲリラ|accessdate=2020-01-27}}</ref><ref>「なんかあれもアリスの山田さんがね、ロリコンものを一つ…(笑)」『はあど・しゅ〜る新聞』1980年3月15日付(大日本吾妻漫画振興会・虎馬書房, p.3)</ref>、商業誌初のロリコン漫画「純文学シリーズ」を1980年1月頃から1980年9月<ref>[http://link3.jp/manga/yonezawa_lib/pdf/t_event12.pdf SFと美少女の季節(吾妻ひでおと川本耕次の関連年表)] [[明治大学]][[米澤嘉博|米沢嘉博記念図書館]]</ref>まで連載する。 |
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メジャー少年誌・少女誌で活動する[[プロフェッショナル|プロ]]の漫画家が、[[同人誌]]のみならず「最底辺のエロメディア」<ref name="GekigaAlice22">[[亀和田武]]「総括」『[[劇画アリス]]』通巻22号([[アリス出版]]/[[迷宮 (同人サークル)|迷宮'79]])</ref>と呼ばれた[[自販機本]]に[[成人向け漫画]]を発表することは当時としても前代未聞のことであった。このような経緯から吾妻ひでおは[[商業誌]]・[[同人誌]]ともにロリコン漫画の開拓者とみなされている。 |
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この連作は吾妻が得意とする[[ギャグ]]や[[サイエンス・フィクション|SF]]を離れ、[[叙情]]的に描かれた[[美少女]]の[[エロティシズム]]を明確なテーマとしており、後のロリコン漫画〜美少女コミックに直結する最重要作品群とみなされている。[[大塚英志]]は著書において、 |
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{{Quotation|これは戦後まんが史における恐らくは最初の確信犯的な「ロリコンまんが」です。もちろんそれ以前にいくつか手塚的記号絵に近い作風でエロを描いた作品はなかったわけではありません。けれどもこの連作は手塚的記号絵の正当な後継者による、しかも作品としても高い水準のものでした。吾妻ひでおはいきなりこの連作で「ロリコンまんが」の到達点ともいえる水準を示しているのであり、それ以降の今日に至るまでの二十年間に描かれたこの種のまんがは吾妻ひでおの縮小再生産でしかありません。|[[大塚英志]]+[[ササキバラ・ゴウ]]『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈[[講談社現代新書]]〉2001年、93頁}}と評価している。 |
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また大塚はメジャー少年誌で活動していた吾妻が突如として[[アリス出版]]の[[自販機本]]にロリコン漫画を発表したことを「漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きの始まりであった」と評価している{{Sfn|大塚|2005|p=96}}。そのため大塚は吾妻のことを |
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*「まんが界の中にあった[[少年雑誌|少年週刊誌]]を頂点とする[[ヒエラルキー]]を最初に崩した一人」{{Sfn|大塚|1998|p=237}} |
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*「ぼくが師事した[[みなもと太郎]]の時代には、少年誌出身のまんが家がエロ雑誌に書くことは凋落を意味したが、わずか数年の後の吾妻ひでおの時代にはむしろそれは快挙となる」<ref>大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』星海社文庫 2016年 123-124頁</ref> |
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*「メジャー少年まんが誌のまんが家が自販機本という[[エロ本]]の中でも最底辺であるメディアに現役のまま登場するというのはあり得ないことでした。もちろんこういった壁はばかげたものでしかありません。そして吾妻ひでおはこの壁を最初に乗り越え無化していったまんが家だったのです」<ref name="otsuka92">大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈講談社現代新書〉2001年、92頁</ref> |
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と[[日本の漫画の歴史|日本の漫画史]]におけるエポックメイキングな存在として位置づけている。 |
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なお大塚が言うように、メジャー少年誌・少女誌で活動する[[プロフェッショナル|プロ]]の漫画家が、[[同人誌]]のみならず「最底辺のエロメディア」<ref name="GekigaAlice22">[[亀和田武]]「総括」『[[劇画アリス]]』通巻22号([[アリス出版]]/[[迷宮 (同人サークル)|迷宮'79]])</ref>と呼ばれた[[自販機本]]に[[成人向け漫画]]を発表することは当時としても前代未聞のことであった(吾妻によれば、古巣の[[秋田書店]]から警告を受けていたが無視したという{{Sfn|吾妻|2011|p=32}})。このような経緯から吾妻ひでおは[[商業誌]]・[[同人誌]]ともにロリコン漫画の開拓者とみなされている。 |
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=== シベールの終刊 === |
=== シベールの終刊 === |
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ほどなく巷では吾妻の新作を求めて『少女アリス』([[アリス出版]])が売られている[[自動販売機]]を捜し歩くマニアが続出し<ref>川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 118頁</ref><ref name="yonezawa198012"/><ref name="80s_erogekiga">{{Wayback |url=http://hoippuchan.tripod.com/80s_erogekiga.htm|title=80年代美少女症候群/三流劇画|date=20010305080908}}</ref><ref name="ShojoAlice">{{Wayback |url=http://www2.alice-novell.cc/pict/b5/syojoalc.html|title=昭和レトロ・懐かしポルノ館 - B5判64ページの夢/初期ビニ本・自販機本プライベート・コレクション - 少女アリスの伝説/全25冊紹介|date=20110824214928}}</ref>、同じく『シベール』も列整理が必要となる最大手の[[同人サークル|壁サークル]]に急成長する{{Sfn|吾妻|2011|p=34}}。[[アニメ雑誌]]『[[月刊OUT]]』([[みのり書房]])1980年12月号に掲載された「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータ・コンプレックス」という記事では[[コミックマーケット準備会]]代表の[[米澤嘉博|米沢嘉博]]が「[[コミックマーケット|コミケット]]なぞで見かけたら買っておくこと。汚染度90%である」と同誌を取り上げ、その名をアニメファンに広く知らしめるきっかけとなった<ref name="yonezawa198012">[[米澤嘉博|米沢嘉博]]「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータ・コンプレックス」([[みのり書房]]『[[月刊OUT]]』1980年12月号 pp.96-97)</ref><ref>アニメージュ編集部「ここまで来た『ロリコン』ブーム。その最前線を追う!」([[徳間書店]]『[[アニメージュ]]』1982年5月号 pp.125-127)</ref>。 |
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[[ファイル:Cybele formiae.jpg|thumb|黒本は全ての男性向け同人誌の母たる存在として[[キュベレー|大地母神]]の如く[[コミックマーケット|コミケ]]史に燦然と輝く[[神話]]となった。]] |
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ほどなく巷では吾妻の新作を求めて『少女アリス』([[アリス出版]])が売られている[[自動販売機]]を捜し歩くマニアが続出し<ref>川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 118頁</ref><ref name="yonezawa198012"/><ref name="80s_erogekiga">{{Wayback |url=http://hoippuchan.tripod.com/80s_erogekiga.htm|title=80年代美少女症候群/三流劇画|date=20010305080908}}</ref><ref name="ShojoAlice">{{Wayback |url=http://www2.alice-novell.cc/pict/b5/syojoalc.html|title=昭和レトロ・懐かしポルノ館 - B5判64ページの夢/初期ビニ本・自販機本プライベート・コレクション - 少女アリスの伝説/全25冊紹介|date=20110824214928}}</ref>、同じく『シベール』も列整理が必要となる最大手の[[同人サークル|壁サークル]]に急成長する{{Sfn|吾妻|2011|p=34}}。その人気を決定づけたのが[[アニメ雑誌]]『[[月刊OUT]]』([[みのり書房]])1980年12月号に掲載された「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータ・コンプレックス」という記事の中で[[コミックマーケット準備会]]代表の[[米澤嘉博|米沢嘉博]]が「[[コミックマーケット|コミケット]]なぞで見かけたら買っておくこと。汚染度90%である」と同誌を取り上げたことで、その名をアニメファンに広く知らしめるきっかけとなった<ref name="yonezawa198012">[[米澤嘉博|米沢嘉博]]「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータ・コンプレックス」([[みのり書房]]『[[月刊OUT]]』1980年12月号 pp.96-97)</ref><ref>アニメージュ編集部「ここまで来た『ロリコン』ブーム。その最前線を追う!」([[徳間書店]]『[[アニメージュ]]』1982年5月号 pp.125-127)</ref>。 |
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しかしブームの折りから次第に吾妻をはじめとする参加者の本職が忙しくなり<ref name="yonezawa"/>、それに加えて同誌に追随する複数のロリコンファンジンも現れ始めたことから「やるべきことはやった」という確信のもと<ref>シベール編集部『シベール』Vol.7「編集後記」108頁</ref>、[[コミックマーケット]]17(1981年4月5日)で頒布された7号目を最後に本誌は終刊宣言する。なお終刊号の行列は発売前から100人前後にまで達し<ref name="manganotecho 4">漫画の手帖事務局『[[漫画の手帖]]』4号(1981年6月)14頁「えっ! シベールが廃刊だって?!」</ref>、この中にはデビュー前の「森山塔」こと[[山本直樹]]も並んでいたという逸話がある{{Sfn|吾妻|山本|2011|p=141}}。 |
しかしブームの折りから次第に吾妻をはじめとする参加者の本職が忙しくなり<ref name="yonezawa"/>、それに加えて同誌に追随する複数のロリコンファンジンも現れ始めたことから「やるべきことはやった」という確信のもと<ref>シベール編集部『シベール』Vol.7「編集後記」108頁</ref>、[[コミックマーケット]]17(1981年4月5日)で頒布された7号目を最後に本誌は終刊宣言する。なお終刊号の行列は発売前から100人前後にまで達し<ref name="manganotecho 4">漫画の手帖事務局『[[漫画の手帖]]』4号(1981年6月)14頁「えっ! シベールが廃刊だって?!」</ref>、この中にはデビュー前の「森山塔」こと[[山本直樹]]も並んでいたという逸話がある{{Sfn|吾妻|山本|2011|p=141}}。 |
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[[コミックマーケット|コミケット]]のみならず一般にも[[ロリコンブーム]]を巻き起こした同誌の存在は終刊後すぐに伝説化した<ref name="manganotecho 4"/><ref name='ani_p44'>[[ラポート]]『[[アニメック]]』17号(1981年4月)特集「“ろ”はロリータの“ろ”」P44</ref>。まず[[志水一夫]](原丸太)が「終刊半年足らずにして伝説的存在に」と『[[ふゅーじょんぷろだくと (雑誌)|ふゅーじょんぷろだくと]]』1981年10月号のロリコン特集「ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」や[[アニメージュ]]増刊『[[プチアップルパイ|アップル・パイ 美少女まんが大全集]]』(1982年3月)の寄稿記事などで同誌を |
[[コミックマーケット|コミケット]]のみならず一般にも[[ロリコンブーム]]を巻き起こした同誌の存在は終刊後すぐに伝説化した<ref name="manganotecho 4"/><ref name='ani_p44'>[[ラポート]]『[[アニメック]]』17号(1981年4月)特集「“ろ”はロリータの“ろ”」P44</ref>。まず[[志水一夫]](原丸太)が「終刊半年足らずにして伝説的存在に」と『[[ふゅーじょんぷろだくと (雑誌)|ふゅーじょんぷろだくと]]』1981年10月号のロリコン特集「ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」や[[アニメージュ]]増刊『[[プチアップルパイ|アップル・パイ 美少女まんが大全集]]』(1982年3月)の寄稿記事などで同誌を紹介した<ref name='fus_p108'> 『[[ふゅーじょんぷろだくと (雑誌)|ふゅーじょんぷろだくと]]』1981年10月号「特集 ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」 P108</ref><ref name="shimizu198203">[[志水一夫|原丸太+志水一夫]]「ロリコン同人誌レビュー 幻の『シベール』伝説にはじまるロリコン同人誌の覚醒期を経て今日のブーム到来までをロリコン雑誌研究家・原丸太がドキュメント」[[アニメージュ]]増刊『[[プチアップルパイ|アップル・パイ 美少女まんが大全集]]』[[徳間書店]] 1982年3月 pp.116-117</ref><ref name="shimizu198110">原丸太「ロリコンファンジンとは何か──その過去・現在・未来 ロリコン同人誌界分布図の試み」『[[ふゅーじょんぷろだくと (雑誌)|ふゅーじょんぷろだくと]]』1981年10月号「特集 ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」[[ラポート]] pp.92-98</ref>。続いて[[米澤嘉博|米沢嘉博]](阿島俊)が『[[レモンピープル]]』創刊号(1982年2月号)から連載を開始した「同人誌エトセトラ{{Efn|[[米澤嘉博|米沢嘉博]]が「阿島俊」名義で『[[レモンピープル]]』創刊号(1982年2月号)から休刊号(1998年11月号)まで18年間にわたり計187回連載していた同人誌紹介記事。創刊当初の題は「ロリコン同人誌ピックアップ」。1982年12月号のリニューアルから「同人誌エトセトラ」に改題。雑誌の性格上男性向け作品を中心としながら全ジャンルを対象とし、時には漫画同人誌の歴史にまでも言及した。休刊から6年後の2004年9月、[[久保書店]]から350頁超の大著『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98』として単行本化された。}}」第1回で「今や神話となった幻のシベール」と同誌を紹介する<ref name="azima"/>。吾妻は「米沢さんが評論をいっぱい書いてくれたので私は[[日本の漫画の歴史|漫画史]]に名前が残ります」と感謝の弁を述べていた<ref name="COMIKET PRESS 25"/>。 |
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『シベール』神話に関して[[同人]]の[[計奈恵]]は、[[ロフト (ライブハウス)#Naked Loft|新宿Naked Loft]]のトークイベント「プレイバック’80年代〜あの頃の美少女漫画の話をしよう」(2016年10月30日)出席時、同席者から『ミャアちゃん官能写真集』([[吾妻ひでお]]が1981年夏のC18で頒布した伝説的同人誌)の話が出た時、当時からすでに「伝説のシベール」と扱われるような状況だったと述べており、「美少女漫画の[[黎明|黎明期]]を語る」という趣旨のイベントだったにも関わらず、最古参の計奈は同席者との会話に全く付いて行けなかったと苦笑する<ref>[https://twitter.com/kazunakei/status/792746336831496192 計奈恵のツイート] 2016年10月30日</ref>。さらに計奈は吾妻ひでおファン葬(2019年11月30日)参加時も「知ってる人がいなかった」と語っており、[[同人]]の[[孤ノ間和歩]]ともども「確かに吾妻先生と美少女同人誌の歴史に居たけど、私ら〔シベールメンバー〕って[[ミッシングリンク]]だよね」と述懐している<ref>[https://twitter.com/kazunakei/status/1201105125999173632 計奈恵のツイート] 2019年12月1日</ref>。また[[大塚英志]]も「結局、あの後『シベール』の人たちよりもう一つ下の世代が次々出てきて、そっちの連中の方がもっとエロとしては過激なものを描いてたんで、わりと『シベール』の人たちはそういう世代の狭間にはまっちゃったみたいなところがあった」「[[吾妻ひでお]]の許に集まった創世記のロリコン/美少女まんがの描き手たちは、その後にやってきた世代に呑み込まれる形でフェードアウトしていかざるを得なかったが、たいてい新しいジャンルやスタイルのおいしいところは二世代ぐらい後にやってきた一群が全てさらっていくものだ」と語っており、黎明期のロリコン漫画家たちが[[ミッシングリンク]]化している状況を認めている{{Sfn|大塚|2005|p=22}}<ref>[[大塚英志]]「特集・真説おたくの精神史―解題」『[[新現実|Comic新現実]]』Vol.4 角川書店 2005年4月 pp.76-77</ref>。 |
『シベール』神話に関して[[同人]]の[[計奈恵]]は、[[ロフト (ライブハウス)#Naked Loft|新宿Naked Loft]]のトークイベント「プレイバック’80年代〜あの頃の美少女漫画の話をしよう」(2016年10月30日)出席時、同席者から『ミャアちゃん官能写真集』([[吾妻ひでお]]が1981年夏のC18で頒布した伝説的同人誌)の話が出た時、当時からすでに「伝説のシベール」と扱われるような状況だったと述べており、「美少女漫画の[[黎明|黎明期]]を語る」という趣旨のイベントだったにも関わらず、最古参の計奈は同席者との会話に全く付いて行けなかったと苦笑する<ref>[https://twitter.com/kazunakei/status/792746336831496192 計奈恵のツイート] 2016年10月30日</ref>。さらに計奈は吾妻ひでおファン葬(2019年11月30日)参加時も「知ってる人がいなかった」と語っており、[[同人]]の[[孤ノ間和歩]]ともども「確かに吾妻先生と美少女同人誌の歴史に居たけど、私ら〔シベールメンバー〕って[[ミッシングリンク]]だよね」と述懐している<ref>[https://twitter.com/kazunakei/status/1201105125999173632 計奈恵のツイート] 2019年12月1日</ref>。また[[大塚英志]]も「結局、あの後『シベール』の人たちよりもう一つ下の世代が次々出てきて、そっちの連中の方がもっとエロとしては過激なものを描いてたんで、わりと『シベール』の人たちはそういう世代の狭間にはまっちゃったみたいなところがあった」「[[吾妻ひでお]]の許に集まった創世記のロリコン/美少女まんがの描き手たちは、その後にやってきた世代に呑み込まれる形でフェードアウトしていかざるを得なかったが、たいてい新しいジャンルやスタイルのおいしいところは二世代ぐらい後にやってきた一群が全てさらっていくものだ」と語っており、黎明期のロリコン漫画家たちが[[ミッシングリンク]]化している状況を認めている{{Sfn|大塚|2005|p=22}}<ref>[[大塚英志]]「特集・真説おたくの精神史―解題」『[[新現実|Comic新現実]]』Vol.4 角川書店 2005年4月 pp.76-77</ref>。 |
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=== シベール・メンバーのその後 === |
=== シベール・メンバーのその後 === |
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[[吾妻ひでお]]が定型化したロリコン漫画の形式は、その周辺にいた[[同人作家]]たちに継承され拡散していった{{Sfn|大塚|1992|p=194}}。吾妻は1979年4月から1981年8月までの約2年間の活動で[[同人誌]]や[[自販機本]]といった[[アンダーグラウンド (文化)|アンダーグラウンド]]な[[インディーズ]][[メディア (媒体)|メディア]]を通して以降の漫画状況をメジャー・マイナーを問わず決定的に変え、それを[[1980年代]]以後の[[おたく|おたく文化]]に繋いだ |
[[吾妻ひでお]]が定型化したロリコン漫画の形式は、その周辺にいた[[同人作家]]たちに継承され拡散していった{{Sfn|大塚|1992|p=194}}。吾妻は1979年4月から1981年8月までの約2年間の活動で[[同人誌]]や[[自販機本]]といった[[アンダーグラウンド (文化)|アンダーグラウンド]]な[[インディーズ]][[メディア (媒体)|メディア]]を通して以降の漫画状況をメジャー・マイナーを問わず決定的に変え、それを[[1980年代]]以後の[[おたく|おたく文化]]に繋いだ。 |
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[[蛭児神建]]は1980年から自身が主宰する「変質社」に移り、[[過激派]][[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]][[文芸雑誌|文芸誌]]『幼女嗜好』を発行。ロリコン界の教祖的存在としてコミケに君臨する{{Sfn|土本|1989|p=104}}<ref name="atogaki">蛭児神建(元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』の中「蛭児神建氏のこと」([[吾妻ひでお]]のあとがき)角川書店 2005年11月 pp.183-186</ref>。それ以外のメンバーは「グループ601」「ぐるーぷティンカーベル」「STUDIO BAKI」に分かれ、本誌終刊後も活動を継続した<ref name="azima 77"/>。 |
[[蛭児神建]]は1980年から自身が主宰する「変質社」に移り、[[過激派]][[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]][[文芸雑誌|文芸誌]]『幼女嗜好』を発行。ロリコン界の教祖的存在としてコミケに君臨する{{Sfn|土本|1989|p=104}}<ref name="atogaki">蛭児神建(元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』の中「蛭児神建氏のこと」([[吾妻ひでお]]のあとがき)角川書店 2005年11月 pp.183-186</ref>。それ以外のメンバーは「グループ601」「ぐるーぷティンカーベル」「STUDIO BAKI」に分かれ、本誌終刊後も活動を継続した<ref name="azima 77"/>。 |
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「グループ601」は『シベール』元[[編集長]]の[[沖由佳雄]]が主宰する[[同人サークル]]であり、1981年12月に創刊された後継同人誌『エピカル』には『シベール』出身メンバー([[計奈恵]]、[[孤ノ間和歩]]、[[三鷹公一]]、[[豊島ゆーさく]]、[[仁科倉一]])も多数参加していた。しかし、その後は離合集散を繰り返し、やがて見解の相違などから一部の初期メンバーが分派・独立した結果、シベール時代の痕跡は跡形も |
「グループ601」は『シベール』元[[編集長]]の[[沖由佳雄]]が主宰する[[同人サークル]]であり、1981年12月に創刊された後継同人誌『エピカル』には『シベール』出身メンバー([[計奈恵]]、[[孤ノ間和歩]]、[[三鷹公一]]、[[豊島ゆーさく]]、[[仁科倉一]])も多数参加していた。しかし、その後は離合集散を繰り返し、やがて見解の相違などから一部の初期メンバーが分派・独立した結果、シベール時代の痕跡は跡形も無くなった{{Sfn|大塚|2005|p=22}}<ref>コミックマーケット準備会『[http://www2.comiket.co.jp/archives/30th/30th_221_251.pdf コミックマーケット30’sファイル]』青林工藝舎 2005年7月,P244</ref><ref>[https://twitter.com/kazunakei/status/902155280892346368 計奈恵のツイート] 2017年8月28日</ref>。 |
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一方「ぐるーぷティンカーベル」は、[[ファンタジー]]路線を基調にした創作系同人誌『アスケロン』や批評誌『アーケロン』を定期刊行し、[[沖由佳雄]]、[[豊島ゆーさく]]、[[計奈恵]]、[[森野うさぎ]]、[[川猫めぐみ]]、[[よしき志信]]、[[毛羽毛現 (漫画家)|毛羽毛現]]、[[さえぐさじゅん]]らが原稿を寄稿した<ref name="azima 77"/><ref>[https://twitter.com/kazunakei/status/1405421777551953922 計奈恵のツイート] 2021年6月17日</ref>。 |
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[[森野うさぎ]]主宰の「STUDIO BAKI」は、後に[[同人サークル|壁サークル]]となる[[クリエイティブ]][[同人サークル|集団]]「スタジオ・アオーク」<ref name="burikko 20131216"/>に発展し、[[自主映画|自主制作アニメ]]『AWAKE』{{Efn|http://www.burikko.net/people/awake02.html}}の製作を主軸にその資金稼ぎ{{Sfn|米沢|森野|1992|p=115}}<ref name="azima 77"/>として[[同人誌]]以外に『[[漫画ブリッコ]]』誌上で[[メディアミックス]]も展開し、第2次ロリコン[[商業誌]]ブームの嚆矢となる<ref name="ikemoto 199108">池本浩一「なつかしの業界ケンカ史─ブリッコ盛衰記(1)」[[日本出版社]]『[[レモンクラブ]]』1991年8月号,177頁</ref>。さらに1985年には活動拠点であった[[白夜書房]]を製作母体に[[大塚英志]]原案の[[アダルトアニメ]]『[[魔法のルージュ りっぷ☆すてぃっく]]』の企画制作も行なった<ref name="burikko 20131216"/>。主なメンバーは[[森野うさぎ]]、[[豊島ゆーさく]]、[[あさりよしとお]]、[[来留間慎一]]、『[[プラモのモ子ちゃん]]』作者の[[藤田幸久 (漫画家)|ふじたゆきひさ]]、『[[レモンピープル]]』読者欄担当の[[くあTERO]]、[[エディター]]の[[町田知之]]の7人で構成され<ref name="azima 77"/>、[[編集者]]の池本浩一はサークル主宰者の[[森野うさぎ]]について「彼こそが、それまで夢のまた夢のように思われてきた『同人誌の商業化』という概念をモデル化し、また初めての実証実験にも成功して、のちに〈[[まんがの森]][[商法]]〉とも呼ばれるようになる『同人誌リンケージによる複合的な利潤追求』を完成させてしまった第一人者。彼の活躍がなかったなら『販売活動を重視したサークルによる同人誌制作』が全盛となることもなかった」と評している<ref name="ikemoto 199108"/>{{Efn|[[計奈恵]]の[https://twitter.com/kazunakei/status/1405481649907724292 証言]によれば「同人誌の商業化」という指針は『シベール』の頃から[[沖由佳雄]]がすでに意識していたという。}}。 |
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=== シベール以後―ロリコン文化の浸透と拡散 === |
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{{Main|ロリータ・コンプレックス#ロリコン・ブーム|エロ劇画誌#流れの変化}} |
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[[画像:Lolicon Sample.png|thumb|270px|[[アニメ]]調や[[少女漫画]]調の可愛らしい絵柄で性的に表現された[[美少女]]([[ロリータ]])は『シベール』から[[天地創造]]された。]] |
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[[Image:Taisougi2.png|thumb|270px|昭和50年代中頃に流行した[[美少女]][[キャラクター]]の典型的イメージ。当時のロリコン漫画は[[手塚治虫]]風の丸っこい描線(=[[ぷに (萌え属性)|ぷに系]])で描かれたものが多く、反手塚的な[[リアリズム]]で[[性行為|セックス]][[暴力|バイオレンス]]を表現した[[三流劇画]]とは全く対照的であった。後に[[大塚英志]]はロリコン漫画の開祖的存在である[[吾妻ひでお]]の画期性について「決して性を描いてはいけない表現(=手塚を系譜とする戦後まんがの正統な文体)で性を描いた。つまりそこには禁忌の侵犯があった」と評価している{{Sfn|大塚|1998|p=237}}<ref>大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』星海社文庫 2016年 125頁</ref>。]] |
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『シベール』は初期のコミケでブームを呼ぶも早期に終刊したが、日本漫画界ならびに[[コミックマーケット]]に与えた影響は計り知れず、これを嚆矢として1981年夏のC18ではロリコン同人誌が氾濫するに至り{{sfn|原|1982|p=117}}、その後の[[ロリコンブーム]]の直接的な起爆剤となった。[[志水一夫 (作家)|志水一夫]]はロリコン漫画同人誌ブーム到来と共に本誌が突然廃刊したことで、欲求不満になった有志が次々にロリコン同人誌を出しはじめたと言い「盛り上がったところで消滅しちゃったもんだから、どんなモノでも売れた」と述懐している{{sfn|原|1982|p=117}}{{Sfn|青山|志水|斉田|1994|p=141}}。 |
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なお当時流行していた'''ロリコン漫画'''という[[ジャンル]]は[[ペドフィリア|頽廃的な幼女趣味]]に基づく漫画表現のみを単純に指していたわけではなく<ref>{{cite web|author=[[黒沢哲也]]|date=2013-01|url=http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/29_1.html|title=手塚マンガあの日あの時 第26回:手塚萌えの異色作『プライムローズ』の時代!!|publisher=『虫ん坊』2013年1月号([[手塚プロダクション]]Web事業部)|accessdate=2021-05-24}}</ref>、[[SFアニメ]]や[[特撮]]などに育てられた若い世代の描き手たちが生み出した「[[パロディ]]的・[[アニメ]]的で必ずといっていいほど[[美少女]]が登場するような作品群」を半ば冗談で括った[[命名|ネーミング]]として現れたもので、広義の意味では「[[美少女]]をキーワードとする[[ニューウェーブ (漫画)|新しい感覚]]の[[少年漫画]]」<ref name="AsahiJournal19840514">米沢嘉博「『美少女』たちを主人公にしたロリコンブームは、いま同人マンガ誌の世界で大盛況だ。『レモンピープル』を筆頭に同人誌的な季・月刊誌、単行本が、かつての『ガロ』『COM』のような勢いなのだ」(所載:[[朝日新聞社]]『[[朝日ジャーナル]]』1984年5月14日号)</ref>全般を指していた([[米澤嘉博|米沢嘉博]]は[[同人誌]]における[[少年漫画]]がロリコン漫画によって「復権」したと結んでいる)<ref>編/[[漫画ブリッコ]]編集部『美少女同人誌 スーパーアンソロジー』[[白夜書房]] 1984年4月 p.166([[米澤嘉博|阿島俊]]の解説)</ref><ref>[[みのり書房]]『[[月刊OUT]]』1982年3月号 p.60</ref>。 |
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また志水によれば、それ以前から類似同人誌に存在していた「[[メルヘン|メルヘンチック]]な、あるいは[[乙女チックラブコメ|オトメチック]]な[[可愛い|かわいい]]ものに接したい」「[[エッチ|エロチック]]な、あるいは[[性 (生物学)|セクシャル]]なものに接したい」「(主に[[アニメ]]の)[[ひいき]]の[[キャラクター]]に接したい」という3つの異なる志向がロリコン漫画ブームにより部分的に重なり合ったと言い{{sfn|原|1982|p=117}}<ref name="shimizu198110"/>、その結果「[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]」は'''美少女を素材とした広い意味での[[ファンタジー]]表現を包括する概念'''として汎用化され<ref name="takeuchi">[[竹内オサム]]・[[西原麻里]]編著『世界文化シリーズ別巻2 マンガ文化55のキーワード』[[ミネルヴァ書房]] 2016年2月 pp.60-63「ロリコンマンガ──美少女ものと結びついて」(竹内オサム)</ref>、このジャンルは後に「'''[[美少女コミック]]'''」として括られることになる。 |
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[[おたく|おたく文化]]における[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]文化の受容と拡散について、[[コミックマーケット準備会]]2代目代表で[[漫画評論|漫画評論家]]の[[米澤嘉博|米沢嘉博]]は次のように説明している。 |
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{{Quotation|ロリコンは、吾妻ひでおブームと重なって出てきた。マンガの中の少女の[[エロティシズム|エロチシズム]]を認め、自覚しようとするものであり、当初提唱された[[概念]]は、今で言う「[[萌え]]」に非常に近い。即物的な少女姦、[[ペドフィリア]]、ではなく、[[精神]]的な「[[少女]]」への愛しさ、自らの子供時代に向けた追憶、世界として自律していた「少女」という[[美]]など様々なものを含んでいた。[[小説]]、[[映画]]、[[絵画]]などの中に散らばっている「少女」のモチーフのフレクト。無垢な現実の少女たちを、時間を記憶する装置である[[カメラ]]や[[ビデオ]]によって、その時を止め置く行為。それは、[[性行為|SEXという行為]]とは無関係に成立する。[[かわいさ]]への憧憬であり、「美」の収集の一つでもあったはずだ。 |
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ほんの一時の間、少女は輝き、子供でも女でもない「[[時間]]」の中に生きる。それが失われるものであるなら、その刹那的なまでのはかなさを記録しようとすることに、他意はない。ロリコンが、「少女の美」にこだわっていたのは、「少女」という存在が孕む物の大きさ故だったのでもあるのだろう。しかし、それは少女への[[性犯罪]]という現実の犯罪と混同され、一方では「ロリコン」という言葉から「[[性的対象化|商品化された性]]」として[[消費]]されていく、[[プラグマティズム|プラグマティック]]な[[成人向け漫画|エロマンガ]]を生み出していった。こうした「ロリコン」の一般化、混乱などが、後に問題を引き起こしていったのかもしれない。 |
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ただ、マンガ状況の中では「ロリコンマンガ」は八〇〜八三年のわずかな時期、マンガの中の「少女」に[[エッチ|エロス]]を感じたり、萌えたりすることの言い訳として、ちょっと危なげでオシャレな言葉として燃え上がっただけだ。少女の[[美学]]は、[[ウラジーミル・ナボコフ|ナバコフ]]、[[ルイス・キャロル|キャロル]]、[[ジョン・ラスキン|ラスキン]]といった作家と関係付けて語られ、ペダンティックに取り扱われもしたし、古今東西の[[文化]]や[[芸術]]も漁られた。それは「[[JUNE (雑誌)|JUNE]]」「[[耽美漫画|耽美]]」が、[[ジャン・ジュネ|ジュネ]]、[[澁澤龍彦]]、[[三島由紀夫]]などと共に一つの[[文学]]的[[少女趣味]]として「[[少年愛]]」を語ったのに似ていた。ジュネは、より普通の[[少年]]たちによる「[[やおい]]」によって一般化したように、ロリコンマンガは、[[アニメ]]、[[少女漫画|少女マンガ]]、[[少年漫画|少年マンガ]]などの絵によって描かれる「エロマンガ」である「[[美少女コミック]]」へと一般化し、消えていくことになるのだ。|[[米澤嘉博|米沢嘉博]]『[[戦後エロマンガ史]]』[[青林工藝舎]] 2010年4月 pp.279-280「第35章/ロリコンマンガと美少女劇画」}} |
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さらに米沢は[[吾妻ひでお]]人気とも重なる同人誌発のロリコンブームについて「“[[少女]]”というモチーフを[[少年漫画]]や[[青年漫画]]の中で浮上させていくだけでなく、[[サイエンス・フィクション|SF]]/[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]]/[[少女漫画]]/[[アニメ]]等と結びつかせたことで新世代にとっての心地良さ感覚を[[エッチ|エロス]]として描いていく方法論を内在させていた」と説明し、[[しらけ世代|昭和30年代以後の世代]]のためのエロ表現として従来の[[三流劇画]]とは一線を画した「アニメ絵による[[成人向け漫画|エロ漫画]]」が登場したと位置づけている{{Sfn|米沢|1998|p=26}}。また、こうした作品への思い入れは[[青年]][[男性]]を中心に「'''[[二次元コンプレックス]]'''」なる現象を生み出すことにもつながっていった<ref name="takeuchi"/>。 |
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とりわけ[[宮崎駿]]監督『[[ルパン三世 カリオストロの城]]』を題材にした[[さえぐさじゅん]]の『クラリスMAGAZINE』や[[高橋留美子]]の『[[うる星やつら]]』をはじめとする[[アニメ]]調や[[少女漫画]]風の男性向け同人誌がコミケで急増し{{Sfn|森川|2011|pp=185-186}}<ref>コミックマーケット準備会『[http://www2.comiket.co.jp/archives/30th/30th_221_251.pdf コミックマーケット30’sファイル]』青林工藝舎 2005年7月,pp.245-246</ref><ref>[[米澤嘉博|米沢嘉博]]「同人誌の歴史」『同人漫画大百科』[[辰巳出版]] 1992年</ref><ref>[[宮台真司]]・[[石原英樹]]・[[大塚明子]]『増補 サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の変容と現在』筑摩書房 2007年2月 pp.351-352</ref>、そこから描き手の供給を得ながらロリコン漫画同人誌ブームのひとつの到達点として1981年12月に商業初の美少女コミック誌『'''[[レモンピープル]]'''』([[久保書店#あまとりあ社|あまとりあ社]])が創刊される{{Sfn|永山|2014|p=81}}。創刊に際しては[[米澤嘉博|米沢嘉博]]の全面協力<ref>[[稀見理都]].[https://twitter.com/kimirito/status/1404284450842636291 レモンピープル執筆者が1980年代美少女コミックシーンをゆるゆる語る会 Vol.0](2021年6月14日放送)</ref>のもと、[[蛭児神建]]、[[千之ナイフ]]、[[破李拳竜]]、[[孤ノ間和歩]]、[[森野うさぎ]]、[[猫井るとと]]、[[MEIMU]]、[[阿乱霊]]、[[火野妖子]]ら[[コミックマーケット|コミケ]]出身の[[同人誌|同人作家]]が大量に起用されたほか、[[吾妻ひでお]]、[[内山亜紀]]、[[中島史雄]]、[[村祖俊一]]、[[あさりよしとお]]、[[御茶漬海苔]]、[[高屋良樹|ちみもりを]]、[[雨宮淳 (漫画家)|雨宮じゅん]]、[[しのざき嶺]]、[[新田真子]]、[[牧村みき]]、[[米澤嘉博|阿島俊]]らも執筆陣として参画した<ref name="AsahiJournal19840514"/><ref>川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 193頁</ref>。 |
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ここまでの経緯を米沢は次のように総括している。 |
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{{Quotation|79年末{{Efn|引用者注:実際には1980年12月号に掲載された。}}、たぶん『[[月刊OUT|OUT]]』で連載されていた「病気の人のためのマンガ考現学」(米沢嘉博)で、さりげなく「シベール」のことが紹介され、「[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]」というキーワードがあたえられた時、[[同人誌]]は大きく変化し、[[コミックマーケット|コミケット]]では、シベールに大きな列が出来、混乱が起きた。続く[[横浜市|横浜]]で行なわれたコミケット18では、[[吾妻ひでお]]の出した「ミャアちゃん官能写真集」が一人一冊という頒布にもかかわらず1500冊を売っている。そして、この刺激を受けて、ロリコン同人誌と呼ばれる新たな波が同人誌界で生まれるのだ。その方向性は大きく分けて3つあった。一つは、[[少女]]という[[美学]]にこだわり、[[ルイス・キャロル|キャロル]]以来の流れにある「[[ロリータ・コンプレックス|ロリータコンプレックス]]」という「少女妄想」をテーマに創作、研究などを行なう本。ロリコンという言葉をもっと単純に捉えて、女の子の出てくる[[エッチ]]なマンガ、[[成人向け漫画|エロマンガ]]を描く方向。そして、アニメやマンガの中に出てくる少女[[キャラクター]]を、男性の性的妄想をテコに[[パロディ]]にする方向だ。 |
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「シベール」を核にして、同人誌界には[[ロリコンブーム]]が訪れることになる。アリス、変質社、キャロリータ。さらに[[ピグマリオニズム]]をテーマにした「[[#1980年|人形姫]]」(サーカスマッドカプセル)。アニメキャラ系では「[[ルパン三世 カリオストロの城|カリオストロの城]]」のヒロインを扱った小冊子「クラリスマガジン」。80年から82年、サークルの数は20から30もなかったにも関わらず、[[女性]]が8割を占めていた同人誌界に、大量の[[男性]]参加者を呼び込むことになっていった。こうした「ロリコン」という方法論、キーワードによって、[[高橋留美子|留美子]]系サークルなどの[[ジャンル]]も築かれていったのだ。(中略) |
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一方、創作少女マンガサークルは、[[JUNE (雑誌)|JUNE]]系の特化が行なわれていき、ロリコンにたいする「[[アダルト・コンプレックス|アダルトコンプレックス]]」(おじさま趣味)が[[まのとのま]]{{Efn|引用者注:[[桜玉吉]]の実姉・[[真野匡]]の[[ペンネーム|共有筆名]]。}}などを中心に提唱される一方、[[可愛い|かわいい]]系少女マンガの描き手を中心に「[[ショタコン]]」という言葉が作られることになる。これらは明らかに「ロリコン」への女性たちの[[カウンターカルチャー|対抗文化]]であった。(中略) |
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こうした中、初の[[商業誌]]としてのロリコンマンガ誌『[[レモンピープル]]』が創刊されることになるのである。|[[米澤嘉博|阿島俊]]『[[#参考文献|漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史]]』[[久保書店]] 2004年9月 p.22「序章/マンガ同人誌の歴史 〜1981」より一部省略して引用}} |
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==== 美少女コミック誌『漫画ブリッコ』とその周辺 ==== |
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{{seealso|漫画ブリッコ|成人向け漫画#歴史}} |
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[[画像:Otsuka photo1.jpg|thumb|270px|[[大塚英志]](元『[[漫画ブリッコ]]』[[編集長]])]] |
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[[コミックマーケット]]の創設母体となった[[漫画評論|漫画批評]][[同人サークル|集団]]「[[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]」と深い関わり<ref name="yonezawa 223">[[米澤嘉博|米沢嘉博]]『戦後エロマンガ史』([[青林工藝舎]] 2010年4月)223P</ref>のあった[[村上知彦]]は、1982年3月発刊の『マンガ宝島』([[宝島社|JICC出版局]]『[[宝島 (雑誌)|月刊宝島]]』臨時増刊号/[[高取英]]編)に寄稿した「ニューコミック派宣言」という記事の中で、[[1970年代]]後半に「迷宮」を中心として勃興した「[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]]」が、[[少女漫画]]・[[エロ劇画誌|三流劇画]]・[[アニメ]]・[[同人誌]]などの要素を混然一体と巻き込みながらロリコン漫画(=ポスト・ニューウェーブ・コミック)に移行したと指摘しつつも、その流れが結局は[[ラブコメディ|女の子を中心に展開するメジャーな少年漫画]]([[あだち充]]『[[みゆき (漫画)|みゆき]]』や[[鳥山明]]『[[Dr.スランプ]]』など。80年前後からメジャー[[少年誌]]を中心に[[ラブコメディ|ラブコメ]]作品が大人気となった)の売り上げに奉仕させられているに過ぎないという現状と憂慮を記していた<ref>[[村上知彦]]「ニューコミック派宣言 “ニューウェーブ”から“ロリコン” “中道定着路線”、そして“ニューコミック”へ」月刊『[[宝島 (雑誌)|宝島]]』臨時増刊号『マンガ宝島』[[宝島社|JICC出版局]] 1982年3月 172-173頁</ref>。 |
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そうした状況のなか、[[ふゅーじょんぷろだくと (雑誌)|ふゅーじょんぷろだくと]]編集部による[[アンソロジー]]『ロリコン白書─ロリコン同人誌ベスト集成』が同年7月に[[白夜書房]]から発売される。内容は同人誌紹介や少女写真、[[ルポルタージュ]]、[[青山正明]]や[[蛭児神建]]らの過去発表済みの原稿など、雑多な記事を寄せ集めたものだったが、[[ロリコンブーム]]の後押しもあって同書は中ヒットを記録した{{sfn|藤脇|2015|p=56}}。 |
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これを契機として同年9月{{Efn|『[[漫画ブリッコ]]』創刊号の発行日は名目上「昭和57年(1982年)11月1日」となっているが、[[大塚英志]]『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』(星海社文庫 2016年3月 53頁)には「82年9月に創刊」という記載があり、実際の発売日は発行日よりも約1ヶ月ほど早かった。}}には[[藤脇邦夫]]の企画{{sfn|藤脇|2015|p=56}}で[[エロ劇画誌|三流劇画誌]]『'''[[漫画ブリッコ]]'''』([[セルフ出版]]→[[白夜書房]])が創刊され、ほどなく先行誌『[[レモンピープル]]』の後を追って「'''夢見る男の子のための美少女コミック誌!'''」を[[キャッチコピー]]に同誌は1983年5月号から突如ロリータ路線に誌面刷新した。この過程で『漫画ブリッコ』は[[徳間書店]]の[[契約社員|契約]][[編集者]]<ref>大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』星海社文庫 2016年3月 131頁</ref>であった[[大塚英志]](オーツカ某)と『少女アリス』『[[Peke]]』『[[ロリコン大全集]]』編集人の[[川本耕次]]と関係があった元[[ふゅーじょんぷろだくと (雑誌)|ふゅーじょんぷろだくと]]編集部/[[群雄社]]の[[小形克宏|緒方源次郎]](おぐゎた)<ref name="kawamoto 182">川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 182-183頁</ref>を迎えた二頭体制となる<ref name="azima 68">阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店 2004年9月 p.68</ref><ref name="kawamoto 193">川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 193-194頁</ref>。 |
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さらに1983年6月号<ref>http://rioysd.hateblo.jp/entry/20090711/p1</ref>から[[中森明夫]]が『東京おとなクラブ<ref>http://www.burikko.net/another/toc.html</ref>』の出張版<ref name="endo 2013">{{cite web|author=[[遠藤諭]]|date=2013年5月16日|url=https://weekly.ascii.jp/elem/000/002/615/2615521|title=おたく30周年、発祥の地をご案内しましょう|work=[[週刊アスキー]]|publisher=角川アスキー総合研究所|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200624213725/https://weekly.ascii.jp/elem/000/002/615/2615521|archivedate=2020-06-24|accessdate=2020-06-25}}</ref>として「'''『おたく』の研究<ref>http://www.burikko.net/people/otaku.html</ref>'''」を全3回にわたり連載し、同誌は「'''[[おたく]]'''」の語源として日本の[[サブカルチャー]]史に名を残すことになった(ただし中森の連載は読者から猛反発を受けた結果、大塚の一存で[[打ち切り]]となる)<ref name="azima 68"/><ref name="kawamoto 193"/>{{Sfn|永山|2014|p=92}}。その後、売上不振で休刊が決まっていた同年11月号より表紙を[[エロ劇画誌|三流劇画]]出身の[[谷口敬]]から[[少女漫画]]風のあぽ([[かがみあきら]])に変更し、[[アリス出版]]に[[嘱託社員]]として勤務<ref>[http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_4ae9.html 俺の“難民”時代(1)] - たけくまメモ 2007年7月17日</ref><ref>[https://twitter.com/kamuif/status/1381215652711559171 藤原カムイのツイート] 2021年4月11日</ref>していた[[藤原カムイ]]と、当時10代であった[[岡崎京子]]、[[桜沢エリカ]]、[[白倉由美]]ら3人の非[[少女漫画]]系[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]][[女性]][[漫画家]]<ref name="azima 59"/><ref name="kawamoto 193"/>{{sfn|高月|2009|p=152}}<ref>川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 37-38頁</ref>を雑誌の主軸とした。結果としてリニュアール号は完売し雑誌の存続が決定する<ref>大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』星海社文庫 2016年3月 54頁</ref>。 |
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なお『[[漫画ブリッコ]]』では[[ポルノグラフィ|直接的・実用的な性的描写]]よりも『シベール』の雰囲気を受け継いだ[[ナンセンス]]色の強い[[ギャグ漫画|不条理系]]作品が多く、実際に[[計奈恵]]、[[豊島ゆーさく]]、[[早坂未紀]]、[[森野うさぎ]]ら『シベール』出身の[[同人作家]]が執筆陣として関わっていたほか{{Sfn|大塚|吾妻|2005|p=19}}、[[みやすのんき|洋森しのぶ]]、[[中田雅喜]]、[[増田晴彦|寄生虫]]、[[三留まゆみ|早坂みけ]]、[[あびゅうきょ]]、[[いくたまき]]、[[水縞とおる]]、[[西秋ぐりん]]、[[高屋良樹|ちみもりを]]、[[ねぐら☆なお]]、[[外薗昌也|外園昌也]]、[[五藤加純]]、[[中森愛]]、[[悶悶]]、[[後藤寿庵 (漫画家)|後藤寿庵]]、[[竹熊健太郎]]、[[飯田耕一郎]]ら「一人一派」とも言えるほどの個性的な[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーヴ]]作家が多数起用されていた{{Sfn|永山|2014|p=92}}。言い換えれば、ここに「[[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]」の[[米澤嘉博|米沢嘉博]]や[[川本耕次]]らが主導した'''[[エロ劇画誌#三流劇画ムーブメント|三流劇画ブーム]]'''<ref name="yonezawa 223"/><ref>{{Wayback |url=http://shadow-city.blogzine.jp/net/2009/10/post_1057.html|title=私事ですが - ネットゲリラ(2009年10月13日配信)|date=20111120104715}}</ref>→'''[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ運動]]'''<ref name="comiket90"/>→'''[[エロ劇画誌#流れの変化|ロリコン漫画革命]]'''<ref>{{Citation | 和書 | author = [[藤本由香里]] | contribution = 実録!「生き字引」伝説 | title = [[米澤嘉博|米澤嘉博に花束を]] | publisher = [[虎馬書房]] | date = 2007-08-19 | page = 52-53 }}</ref>へと連なる'''表現運動としての[[成人向け漫画|エロ漫画史]]'''の流れが確立したといえる(この潮流は「'''[[漫画ブリッコ#廃刊|祭りの時間は終わった]]'''」という[[大塚英志]]の[[漫画ブリッコ#廃刊|終了宣言]]により雑誌を「[[休刊|自殺]]」させた1985年前後まで続いた){{Sfn|永山|2014|p=93}}。 |
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ちなみに大塚が『[[漫画ブリッコ]]』で唱導した「'''美少女コミック'''」とは、[[成人向け漫画]]というより「'''男性も読める[[少女漫画]]的なもの'''」{{Sfn|永山|2014|p=163}}<ref>[https://vobo.jp/hero_nagayama.html ヒロイン手帖 その19 永山薫 表現規制において怖いのは自主規制、問われるのは作家より編集者(文/荒玉みちお・構成/うぶモード特ロリ班)] - VOBO</ref>ないし「'''ちょっと[[エッチ]]で可愛い女の子が出てくる青少年向けのマニア雑誌'''」{{Sfn|稀見|2017|p=361}}という位置づけが強く、作り手も18歳以下の[[未成年]]を読者に想定していた節があったため、必ずしも[[エッチ|エロ]]要素は必要条件ではなく「'''美少女さえ出ていれば何をしてもいい'''」という非常に自由で実験的な漫画ジャンルだったとされている(同誌の顛末については[[大塚英志]]『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』などに詳しい){{Sfn|稀見|2017|p=361}}。 |
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以後、[[1980年代]]前半から[[1990年代]]初頭にかけて |
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| style="vertical-align:top; width:50%" | |
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* 『[[月刊YOUNG KISS]]』([[一水社]]) |
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* 『[[プチアップルパイ|プチアップル・パイ]]』([[徳間書店]]) |
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* 『[[漫画ブリッコ#姉妹誌|COMICキュロットDX]]』([[セルフ出版]]) |
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* 『[[漫画ブリッコ]]』→『[[漫画ホットミルク]]』→『[[コミックメガキューブ]]』→『[[コミックメガプラス]]』→『[[コミック0EX]]』→『[[コミックメガミルク]]』→『[[コミックホットミルク]]』<ref name="HOTMILK">[https://web.archive.org/web/20200925101722/https://twitter.com/kimirito/status/1309400546202198016 稀見理都のツイート] 2020年9月25日</ref>(セルフ出版→[[白夜書房]]→[[コアマガジン]]) |
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* 『[[コミックボックス#コミックボックス(新)|COMIC BOX Jr.]]』([[ふゅーじょんぷろだくと]]) |
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* 『[[コミックマルガリータ]]』([[笠倉出版社]]) |
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* 『PETITパンドラ』(一水社) |
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* 『[[メロンCOMIC]]』([[ビデオ出版]]) |
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* 『[[いけないCOMIC]]』([[白夜書房]]) |
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* 『[[怪奇と幻想 メディウム]]』(徳間書店) |
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* 『[[ペパーミントCOMIC]]』([[日本出版社]]) |
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* 『[[アリスくらぶ]]』([[群雄社]]/[[大洋図書]]) |
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* 『[[月刊COMICロリポップ]]』(笠倉出版社) |
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* 『[[メルティ・レモン]]』([[白泉社]]) |
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* 『[[ホリディCOMIC]]』([[ミリオン出版]]) |
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* 『[[ロリポップ]]』(笠倉出版社) |
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* 『[[パンプキン (漫画雑誌)|パンプキン]]』(白夜書房) |
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* 『[[COMICモモ]]』→『[[ロリコンKISS]]』→『[[月刊COMICロリタッチ]]』→『[[コミックBeat]]』([[東京三世社]]) |
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* 『[[コミックチューリップ|まんがチューリップ]]』→『[[コミックチューリップ]]』([[大陸書房]]) |
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* 『[[コミックボックス|美少女症候群]]』(ふゅーじょんぷろだくと) |
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* 『[[ハーフリータ]]』([[松文館]]) |
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* 『[[ハーフリータ|いちごダイフク]]』(松文館) |
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* 『[[イチゴみるく]]』→『[[COMICポプリクラブ]]』([[大洋図書|大洋書房]]→[[晋遊舎]]→[[マックス (出版社)|マックス]]) |
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* 『[[リフレックス]]』(白夜書房) |
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* 『[[ペリカンハウス]]』([[司書房]]) |
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* 『[[らずべりーヨーグルト]]』([[蒼竜社]]) |
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* 『[[フェアリーダスト]]』([[ABC出版]]) |
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* 『[[キャンディCOMIC]]』(日本出版社) |
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* 『[[コミックジャンボ]]』([[桃園書房]]) |
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* 『[[COMICアットーテキ]]』([[光彩書房]]) |
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* 『[[漫画ホットパンツ]]』([[東京三世社|フロム出版]]) |
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* 『[[コットンクラブ]]』(東京三世社) |
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* 『[[COMICマンモスクラブ]]』([[セブン新社]]) |
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* 『[[ヤングレモン]]』([[あまとりあ社]]) |
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* 『[[月刊コミックフラミンゴ]]』([[三和出版]]) |
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* 『[[COMICレモンクラブ]]』([[日本出版社]]) |
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* 『[[漫画YOUNGビタミン]]』([[辰巳出版]]) |
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* 『[[コミックランド]]』(大洋書房) |
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* 『[[COMICダッシュ]]』(辰巳出版) |
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* 『[[ヤングヒップ]]』([[ワニマガジン社]]) |
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* 『[[COMICピーチパイ]]』(一水社) |
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* 『[[コミック花いちもんめ]]』([[メディアックス]]) |
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* 『[[COMICパピポ]]』([[フランス書院]]/[[コミックハウス]]) |
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|} |
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といった模倣誌・亜流誌・類似誌・競合誌が雨後の筍のごとく猛烈な勢いで産み出され、このムーブメントはロリータ総合情報誌『[[ヘイ!バディー]]』([[白夜書房]])や[[川本耕次]]監修『[[ロリコンHOUSE]]』([[三和出版]])の誌面にも大いに反映された。たとえば前者では[[蛭児神建]]が連載に起用<ref>蛭児神建(元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』の中「変態として崇拝される」角川書店 2005年11月 pp.83-88</ref>されたほか、[[ねぐら☆なお]]が商業誌デビューを果たしている<ref>[http://nnaosaloon.com/archives/483/ 「エロマンガノゲンバ大休刊号」とデビュー作] - ねぐら☆なお公式サイト 2014年11月18日付</ref>。また後者では[[川猫めぐみ]]が挿絵を担当したほか、[[あらきあきら]]が商業誌デビューを果たした。 |
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これらの雑誌は比較的短命に終わる状況が続いたが、現在では老舗エロ漫画誌の『[[COMICペンギンクラブ]]』『[[コミックMate]]』『[[COMIC快楽天]]』『[[コミックマショウ]]』『[[コミックエルオー|COMIC LO]]』『[[コミックホットミルク]]』<ref name="HOTMILK"/>などがロリコン漫画〜美少女コミックの血脈を引き継いでいる。 |
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また、この流れを受けて1980年頃から[[エロ劇画誌|三流劇画誌]]も[[ロリコン劇画]]に舵を切り<ref>米沢嘉博「ロリコンブームに物もうす」([[みのり書房]]『[[月刊OUT]]』1982年4月号 p.97)</ref>、とくに三大エロ劇画誌のひとつ『[[漫画エロジェニカ]]』([[海潮社]])は[[中島史雄]]、[[村祖俊一]]、[[ダーティ松本]]、[[谷口敬]]らを起用するなど、いち早く美少女路線に移行する{{Sfn|高取|1982|p=144}}。これを口火として『[[漫画大快楽]]』([[檸檬社]])も[[内山亜紀]]、[[谷口敬]]、[[村祖俊一]]、[[火野妖子]]、[[五藤加純]]、[[エル・ボンテージ|牧村みき]]、[[小鈴ひろみ]]、[[西江ひろあき]]を起用し{{Efn|[[五藤加純]]は[[檸檬社]]発行の[[エロ劇画誌|官能劇画誌]]『[[漫画大快楽]]』に連作『移動性高気圧』を連載予定だったが、その直前に同社が[[倒産]]したため[[白夜書房]]発行の美少女まんが誌『[[漫画ブリッコ]]』に移籍連載した。ちなみに[[双子]]の弟の[[中森愛]]は当時檸檬社の[[編集者]]で失業後は[[東京三世社]]の『[[漫画エロチスト]]』に持ち込み1983年3月号掲載「夜の訪問者」で漫画家デビューした。その後、中森も五藤の後を追って兄弟ともに[[大塚英志]]の美少女コミック誌『[[漫画ブリッコ]]』([[白夜書房]])で再デビューする。[[中森愛]]+[[五藤加純]]『二人でロリコメばかり描いていた』ネコ通信社 2019年12月31日発行 pp.38-43「対談:中森愛VS五藤加純 兄弟対決 二人でロリコメばかり描いていた―デビューから漫画ブリッコまで」}}、[[亀和田武]]と[[米澤嘉博|米沢嘉博]]が編集長を務めた[[自販機本|自販機専門の三流劇画誌]]『[[劇画アリス]]』([[アリス出版]]/[[迷宮 (同人サークル)|迷宮]])も[[吾妻ひでお]]の『[[不条理日記]]』『[[るなてっく]]』を連載する。以降、三流劇画における女性キャラの低年齢化が進み『[[漫画エロス]]』([[司書房]])では[[丸尾末広]]の残酷劇画『[[少女椿]]』([[青林工藝舎]])が連載され、美少女に特化した『漫画エロリータ』『漫画聖少女』『漫画ロリータ』『劇画ロリコン』『劇画ジッパー』『コミックひろこ』といったロリコン劇画誌すら出現するようになる{{sfn|原|1982|p=117}}<ref name="yonezawa273">[[米澤嘉博|米沢嘉博]]『戦後エロマンガ史』[[青林工藝舎]] 2010年4月 pp.273-280「第35章/ロリコンマンガと美少女劇画」参照。</ref><ref name="COMICBOX 198209">原丸太「ロリコン・まんが誌の現状を総括する」([[ふゅーじょんぷろだくと]]『[[コミックボックス]]』1982年9月創刊号,29頁所載)</ref>。 |
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さらにこの潮流は漫画界のみならず[[美少女ゲーム]]業界にも波及し、[[パソコンショップ高知|PSK]]からは[[吾妻ひでお]]風の絵柄{{sfn|高月|2009|pp=169-170}}を採用した[[アダルトゲーム]]『[[ロリータ(野球拳)]]』(1982年12月)や『[[不思議の国のアリス]]』をモチーフにした[[アドベンチャーゲーム]]『[[ALICE (PSK)|ALICE]]』(1984年7月)がリリースされ{{sfn|高月|2009|p=170}}、同時期には[[エニックス]](現・[[スクウェア・エニックス]])からも『[[マリちゃん危機一髪]]』(1983年2月発売。[[ダイナミックプロ]]の[[どろんぱ|槙村ただし]]が原画担当)や猟奇作品『[[ロリータ・シンドローム (ゲーム)|ロリータ・シンドローム]]』(1983年10月発売。[[学習漫画]]で知られる[[もちつきかつみ|望月かつみ]]が制作<ref name="mochitsuki">[http://fishmans.web.fc2.com/ MAISON ROLITA] - 望月かつみデータベース</ref>。1985年3月に[[コーエー|光栄]]から発売された続編『[[マイ・ロリータ]]』は前作を上回る過激さ{{sfn|高月|2009|p=170}}からエニックスに販売拒否される)といった話題作・問題作もリリースされ、いずれも好セールスを記録した<ref>{{Wayback |url=http://migzou.blog84.fc2.com/blog-entry-133.html|title=みぐぞうの後ろ向き日記「マイコン創世記を飾ったロリゲーについて語ってみる」(2007年11月16日)|date=20190908002341}}</ref>。 |
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アニメ界では1977年放送の『[[女王陛下のプティアンジェ]]』{{sfn|高月|2009|p=151}}<ref>蛭児神建(元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』の中「プロのエロ・ライターに」角川書店 2005年11月 pp.75-79</ref>、1982年放送の『[[魔法のプリンセス ミンキーモモ]]』{{sfn|高月|2009|p=151}}、1983年放送開始の[[ぴえろ魔法少女シリーズ]]『[[魔法の天使クリィミーマミ]]』{{sfn|高月|2009|p=150}}を皮切りに「[[大きいお友達]]」と呼ばれる視聴層が[[女児向けアニメ]]に流入するようになり{{sfn|高月|2009|pp=148-151}}、1984年夏には[[中島史雄]]原作の[[アダルトアニメ]]『[[ロリータアニメ|仔猫ちゃんのいる店]]』が[[ワンダーキッズ]]から発売され、続いて[[フェアリーダスト]]から[[アダルトアニメ|美少女アニメ]]の金字塔『[[くりぃむレモン#くりいむレモンシリーズ|くりぃむレモン パート1 媚・妹・Baby]]』(パート3『[[くりぃむレモン#くりいむレモンシリーズ|SF・超次元伝説ラル]]』およびパート10『[[くりぃむレモン#くりいむレモンシリーズ|STAR TRAP]]』には『シベール』出身の[[計奈恵]]と[[孤ノ間和歩]]も[[原作]]・[[キャラクターデザイン]]・[[作画監督]]などで[[アニメーション]]制作に参加している)<ref>阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店 2004年9月 pp.70-71「第24回/ロリコンアニメとその周辺」(1985年1月)</ref>がリリースされるなど、[[漫画]]・[[アニメ]]・[[雑誌]]・[[同人誌]]・[[ゲーム]]・[[SF大会]]・[[エロ劇画誌|三流劇画]]・[[官能小説]]・[[ラブコメディ|ラブコメ]]・[[OVA]]・[[ロリータビデオ]]・[[ロリコンショップ]]・[[少女ヌード写真集]]にまたがる複合的な流れが「'''[[ロリコンブーム]]'''」として形成されていく{{Sfn|森川|2011|pp=185-186}}。 |
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ちなみにロリコン漫画における「[[美少女]]=[[ロリータ]]」というイメージは、[[漫画]]や[[アニメ]]の受容年齢層の上限が拡大したことで現れた「'''漫画・アニメ調の[[可愛い|かわいい]]絵柄で[[性 (生物学)|セクシャル]]な漫画が読みたい'''」という「'''[[劇画]]に対して劣勢であった[[手塚治虫|手塚]]系漫画絵の復権運動における[[アイコン]]'''」として祭り上げられたものに過ぎず、別に[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]縛りである必然性もなかったが、当時の[[出版]][[業種|業界]]・[[写真]][[業種|業界]]では[[ロリコンブーム]]の実質的な火付け役となった[[山木隆夫]]撮影『[[少女ヌード写真集#1970年代後半|Little Pretenders 小さなおすまし屋さんたち]]』([[ミリオン出版]]/1979年1月)や[[石川洋司]]撮影『[[少女ヌード写真集#1980年代|les Petite Fees ヨーロッパの小さな妖精たち]]』(世文社/同年11月)といった[[少女ヌード写真集]]{{Efn|ほとんどの読者は当時[[陰毛|ヘア]]規制されていた成人女性の性器の代替品として少女の[[陰裂|ワレメ]](子供の[[性器]]はまだ性器になってない「ただの[[排出器官|排泄器官]]」と当時はみなされていた)目当てに[[少女ヌード写真集]]を消費していたといわれている。}}が大流行しており<ref name="barubora 29">{{cite web|author=[[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]|date=2008-10-19|url=http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/29_1.html|title=ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第29回 ロリコンにおける青山正明(1)|publisher=WEBスナイパー([[大洋図書]]Web事業部)|accessdate=2020-04-27}}</ref>{{sfn|高月|2009|p=55}}{{sfn|高月|2009|pp=78-79}}、版元にとってもセールスしやすい[[命名|ネーミング]]として現在の「[[萌え]]」に相当する言葉の不在から「[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]」という呼称が美少女作品全体を集約・包括する[[キャッチコピー]]として便宜的に用いられたとみられている{{Sfn|永山|2014|pp=86-87}}<ref name="clarisse">一ノ瀬健太[http://renaissanceman.jp/iccchiiiiii/clarissecrisis.pdf 『クラリス・クライシス ─なぜ日本でロリコン文化が花開いたのか?─』] [[東京藝術大学]][[修士論文]] 2015年</ref>。また[[志水一夫]]は「[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]」という言葉が[[アニメ雑誌]]で初めて[[クローズアップ (曖昧さ回避)|クローズアップ]]された[[米澤嘉博|米沢嘉博]]の[[記事]]「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータ・コンプレックス」([[みのり書房]]『[[月刊OUT]]』1980年12月号掲載)で意味が曖昧なまま「ロリコン」という言葉だけが世に広まった結果、本来「[[ロリータ・コンプレックス]]」とは異なる対象までも「ロリコン」と呼ばれるような状況が生み出されてしまったと指摘していた{{sfn|原|1982|p=116}}。 |
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=== ロリコン漫画から美少女コミックへ―祭りの終わりと皮肉な餞別 === |
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{{seealso|夜の魚|失踪日記}} |
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[[漫画評論家]]の[[永山薫]]は、ロリコン漫画の隆盛と[[エロ劇画誌|三流劇画]]の敗北について、その形成要因と歴史的な意義について次のように語っている。 |
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{{Quotation|最初は全部ロリコン漫画だった。 |
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ロリコン漫画を語る上で、まず二〇〇五年に『[[失踪日記]]』([[イースト・プレス]])でカムバックした[[吾妻ひでお]]の名を挙げておかなければならない。吾妻が画期的だったのは、それまでは[[つげ義春]]、[[宮谷一彦]]といった劇画作家が得意とした[[不条理|不条理文学]]的な表現や、[[エロ劇画誌|三流劇画]]の専売状態だった[[エロティシズム]]を、[[幼年漫画|児童漫画]]の丸っこい絵で描いてしまったことだ。当時はそれだけで強烈な異化効果があり、「児童漫画のエロパロディ」として誤読することも可能だった。 |
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欲望の細分化はすでにこの時期から進行しており、それこそ一人一派ともいえそうなほどだった。八〇年代前半の『[[レモンピープル]]』と『[[漫画ブリッコ]]』のラインナップをざっと眺めるだけでも(中略)それぞれの作家の属性はバラバラで、初期のロリコン漫画は「美少女さえ出てくれば何をやってもロリコン」と認証されていたわけだ。エロス以上に「可愛い少女キャラ」が最優先で、エロスは主に[[内山亜紀|内山]]、[[村祖俊一|村祖]]、[[中島史雄]]らの三流劇画経験者が担当していたが、それとても具体的で露骨な性的行為描写は抑えられており、現在の目で見れば一般青年誌の方がよほどセクシャルに映るだろう。なにしろ当時は[[レイプ]]やハードなセックス場面があると読者から「ひどいことをしないで下さい」という抗議が来たほどで、読者の側が求めていたのも実はセックスシーン満載のエロ漫画ではなく、可愛くてエッチな漫画だったわけだ。 |
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そもそも初期のロリコン漫画の中核にあったのは手塚ミームの「かわいい」と「エロティシズム」であり、「セックス」は「かわいいエロティシズム」に奉仕する構成要素の一つでしかなかったのだ。 |
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セックス志向であれば三流劇画を読めばいい。しかし、三流劇画は結果的に[[ポスト団塊ジュニア|ポスト団塊/ポスト全共闘世代]]のスタンダードにはなれなかった。端的にいえば、[[劇画]]は[[漫画]]じゃなかったからだ。[[アニメ]]絵っぽくなかったからだ。可愛くなかったからだ。 |
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後に[[おたく|オタク]]と呼ばれることになる[[新人類|六〇年代生まれの世代]]は劇画のエロティシズムに官能するような「大人」にはならなかった。セックスそのものではない、セックスの周辺にもやもやと甘く切なく愛らしく漂うなにものかを求めていた。 |
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エロ漫画における[[ネオテニー]](幼形成熟)と呼んでもいい。手塚漫画やアニメ絵の、つまり「幼児形態」を保ちつつ、性的刺激をもたらすこと。倒錯した表現になるが、初期ロリコン漫画の登場こそが、真の意味で「大人が漫画を読む時代」を確定したともいえるだろう。|[[永山薫]]『[[エロマンガ・スタディーズ|増補 エロマンガ・スタディーズ「快楽装置」としての漫画入門]]』[[筑摩書房]]〈[[ちくま文庫]]〉2014年4月 pp.133-136}} |
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これら経緯から『シベール』は今日まで連綿と受け継がれている'''[[二次元コンプレックス|二次元美少女(二次ロリ)文化]][[イザナミ|すべての産みの親であり原点]]'''とみなされている{{Sfn|森川|2011}}<ref>[https://twitter.com/kimirito/status/899557514575925248 稀見理都のツイート] 2017年8月21日</ref>。 |
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しかし、その一方でロリコン漫画から派生した'''美少女コミック'''が80年代後半以降、急速に大衆化・商業化・肥大化して行く過程で[[山本直樹|森山塔]]など[[性行為|セックス]]に特化した次世代のエロ漫画が人気を博すようになり{{sfn|高月|2009|pp=158-159}}{{Sfn|稀見|2017|p=362}}、美少女漫画の始祖的存在であった[[吾妻ひでお]]は読者からの[[プレッシャー]]{{Sfn|大塚|吾妻|2005|p=11}}<ref>{{cite news|title=「おたく文化」の祖、体験ギャグで復活 漫画「[[失踪日記]]」の吾妻ひでおさん|newspaper=[[読売新聞]]・東京夕刊|date=2005-3-30|author=[[石田汗太]]}}</ref><ref>[[蛭児神建]](元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』の中「『蛭児神建』を殺す」[[角川書店]] 2005年11月 pp.116-117</ref>に耐えきれず、二度の[[失踪日記|失踪事件や自殺未遂を私生活で起こす]]など初期のロリコン漫画を支えた先駆的作家の多くは世代交代の波に揉まれるなどして消えていくことを余儀なくされた。ロリコン漫画界では最古参の[[谷口敬]]も「まあ、これで谷口敬の役目は終わったのでありましょう。もはや初期のロリコン漫画の実験的な雰囲気は薄れ、マイナーなものがメジャーへと躍り出るとき、どうしても数の多い方へと移行せざるを得ないのは自然なことであります。『ロリコン漫画』がエロ主体の『美少女コミック』に変質していった、そんな時代でありました…」と行き場を失った当時の状況を述懐している<ref>{{Wayback |url=http://mizunotawamure.sa-kon.net/tanko-bon1.html|title=谷口敬のホームページ「水の戯れ」から単行本『フリップ・フロップ3』解説|date=20131128081311}} - [[谷口敬]]の旧サイトのアーカイブ</ref>。 |
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[[大塚英志]]は「[[吾妻ひでお]]が忘れられた理由」について[[1992年]]に[[太田出版]]から刊行された『[[夜の魚]]』の解説で以下のように述べている{{Sfn|大塚|1992}}。 |
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{{Quotation|吾妻ひでおは私たちが置き去りにしてきた作家である。いや、置き去りにされることの{{Efn|「置き去りにされることの」は[[ママ_(引用)|ママ]]。「置き去りにされることを」の誤植と思われる。}}望んだのは吾妻ひでおのほうかもしれない。どちらにせよ私たちは吾妻ひでおを忘れることで[[1980年代|八〇年代]]のあの狂おしくもばかばかしい狂騒を生きていたことだけは確かだ。誰もが気づいていたことだが、ただ一人、吾妻ひでおだけが八〇年代の不毛と不可能性をあらかじめ体現し、そして黙って時代から降りていったのである。(中略)もっと器用に気軽に全てやりすごしていいはずなのに吾妻ひでおは行き詰まり、私たちはそんな彼から目をそむけ、そして忘れた。(中略)多くの人々がそうであったようにこの種の流行にさりげなく身をゆだねれば吾妻は八〇年代をそれなりの「カルト作家」として生きられたはずである。しかし吾妻が不幸だったのはこれらの不毛な諸現象が自分の中のどこから立ちあらわれるのかを彼が知っていた点にある。ただ不毛と気軽に戯れることに終始した時代にあって、その不毛の出自を知っている作家はやはり忘れなれなくて{{Efn|「忘れなれなくて」は[[ママ_(引用)|ママ]]。}}ならなかったのである。<br />本書の表題となった『夜の魚』は吾妻が見てしまい私たちが顔をそむけたものをめぐって描かれている。そして吾妻しかそれを描き得なかった以上、そんなことは免罪符にならないが、八〇年代の不毛と未だ{{Efn|「未だ」は引用元では「末だ」。}}地続きのこの時代に[[編集者]]であり続けるぼくは自分で始めて{{Efn|「始めて」は[[ママ_(引用)|ママ]]。}}持つレーベルの最初の配本として『夜の魚』を流通させる。|[[大塚英志]]「吾妻ひでおを再び「流通」させる理由」より抜粋}} |
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やがて『シベール』が蒔いたロリコン漫画の種は[[アニメ]]調の明るく[[ポップ]]な絵柄で描かれる[[プラグマティズム|実用的]]な「[[美少女コミック]]」へと一般化する過程で拡散・消滅し<ref name="yonezawa273"/>{{sfn|高月|2009|pp=158-159}}{{Sfn|稀見|2017|p=362}}、コミケにおける男性向け同人誌の主流ジャンルなども「[[ロリータ]]」の範疇から大きく外れた「美少女もの」や「[[二次創作物|アニパロ]]」などになっていく{{Sfn|土本|1989|pp=105-106}}<ref>米沢嘉博「同人誌の歴史」『同人漫画大百科』[[辰巳出版]] 1992年 126頁</ref><ref>{{Citation|和書|author=[[米澤嘉博|米沢嘉博]]|contribution=ロリコンマンガから美少女コミックへ|title=戦後エロマンガ史|publisher=[[青林工藝舎]]|date=2010-04-22|isbn=978-4-88379-258-0|page=285}}</ref>{{sfn|高月|2009|pp=64-65}}。[[明治大学]][[准教授]]の[[森川嘉一郎]]によれば『シベール』を起点とするこの潮流と併行してコミケの規模拡大とともに、それまで継続的に展開されていたエロパロ系の同人誌から美少女コミック誌や[[アダルトゲーム|エロゲー]][[アダルトゲームメーカー一覧|メーカー]]への描き手の供給が拡大していき、次第に一般誌のみならず[[秋葉原]]の屋外広告物といった街の景観レベルで美少女([[萌え]])キャラが露出・展開されるようになっていったという{{Sfn|森川|2011|p=186}}。 |
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[[永山薫]]はロリコン漫画ブームの顛末について |
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{{Quotation|[[学園祭]]でテーマをでっち上げて、盛り上がるのと似た構造だが、違うのは「ロリコン祭」を支え、展開した初期オタクたちの背後には、巨大な[[マーケット]]となるオタク世代が控えていたことだ。オタク世代が[[大学生]]となり、あるいは[[社会人]]となって可処分所得が増加するのと並行してマーケットは倍々ゲームで膨らんでいく。文字通り「[[うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー|終わりなき学園祭]]」の時代が始まったのだ。{{Sfn|永山|2014|p=87}}}} |
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{{Quotation|ロリコン漫画は起爆剤として有効だったが、ありがたいことに偏狭な[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]][[原理主義]]はほとんど存在しなかった。元々、「ロリコン」は「お祭りのテーマ」にすぎなかったからだ。祭りが終われば、神輿は倉庫に収納される。ロリコン漫画ブームはたかだか二年も続かずに下火になってしまう。とはいえ、ロリコンは充分に役目を果たした。漫画読者の注目を集め、新しいエロ漫画の可能性をプレゼンテーションすることができた。 |
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一方「ぐるーぷティンカーベル」は、[[ファンタジー]]路線を基調にした創作系同人誌『アスケロン』や批評誌『アーケロン』を定期刊行し、沖由佳雄、豊島ゆーさく、計奈恵、森野うさぎ、[[川猫めぐみ]]、[[よしき志信]]、[[毛羽毛現 (漫画家)|毛羽毛現]]、[[さえぐさじゅん]]らが原稿を寄稿した<ref name="azima 77"/><ref>[https://twitter.com/kazunakei/status/1405421777551953922 計奈恵のツイート] 2021年6月17日</ref>。 |
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雑誌が増え、作者が増え、読者が増えれば、ありとあらゆるものが拡大していく。 |
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[[森野うさぎ]]主宰の「STUDIO BAKI」は、後に[[同人サークル|壁サークル]]となる[[クリエイティブ]][[同人サークル|集団]]「スタジオ・アオーク」<ref name="burikko 20131216"/>に発展し、[[自主映画|自主制作アニメ]]『AWAKE』{{Efn|http://www.burikko.net/people/awake02.html}}の製作を主軸にその資金稼ぎ{{Sfn|米沢|森野|1992|p=115}}<ref name="azima 77"/>として[[同人誌]]以外に『[[漫画ブリッコ]]』誌上で[[メディアミックス]]も展開し、第2次ロリコン[[商業誌]]ブームの嚆矢となる<ref name="ikemoto 199108">池本浩一「なつかしの業界ケンカ史─ブリッコ盛衰記(1)」[[日本出版社]]『[[レモンクラブ]]』1991年8月号,177頁</ref>。 |
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元々[[ペドフィリア|ペドファイル]]でもなんでもなかった読者の九九・九%は、あっさりと次の波に乗る。(中略)エロ漫画の歴史ということを考える上で、重要なのは「一度生まれたモード、スタイル、テーマ、モチーフ、趣味趣向、傾向は盛衰があっても決してなくならない」ということだ。どんなに時代が進んでも、相変わらずベタなロリコン漫画は存在するし、明朗な巨乳ラブコメもなくならない。年を追うごとに、エロ漫画は多様化し、細分化し、幅と奥行きが拡がり、交雑し、越境し、浸透し、拡散することを繰り返すことによって豊穣な土壌を形作っていく。{{Sfn|永山|2014|pp=95-97}}}} |
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と指摘しており、後に人口に膾炙して[[大衆]]化する「'''[[おたく|おたく文化]]'''」「'''[[萌え|萌え文化]]'''」の前哨戦的存在として同ブームを位置づけている{{Sfn|永山|2014|pp=116-117}}。 |
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== 書誌情報 == |
== 書誌情報 == |
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すべて無気力プロダクション刊 |
すべて無気力プロダクション刊 |
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;ALICE(1977年〜1978年頃) |
;ALICE(1977年〜1978年頃) |
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:無気力プロが[[吾妻ひでお]]の愛読者に向けて無料で郵送していた『シベール』の前身誌に相当するコピー新聞<ref name="azumahideosakuhin98">[http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/98mukiryoku.html 無気力プロのこと] - 吾妻ひでお作品のあらすじ</ref><ref>[https://twitter.com/kazunakei/status/758684803981914113 計奈恵のツイート] 2016年7月29日</ref>。主筆は吾妻と[[チーフ]][[アシスタント (漫画)|アシスタント]]の[[沖由佳雄]]と[[みぞろぎ孝]]<ref name="azumahideosakuhin98"/>。なお沖は紙上で「 |
:無気力プロが[[吾妻ひでお]]の愛読者に向けて無料で郵送していた『シベール』の前身誌に相当するコピー新聞<ref name="azumahideosakuhin98">[http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/98mukiryoku.html 無気力プロのこと] - 吾妻ひでお作品のあらすじ</ref><ref>[https://twitter.com/kazunakei/status/758684803981914113 計奈恵のツイート] 2016年7月29日</ref>。主筆は吾妻と[[チーフ]][[アシスタント (漫画)|アシスタント]]の[[沖由佳雄]]と[[みぞろぎ孝]]<ref name="azumahideosakuhin98"/>。なお沖は紙上で「[[アリス (不思議の国のアリス)|アリス]]狂い、[[ロリータ・コンプレックス]]、戦記マニア」(吾妻いわく「[[ミリオタ|軍事おたく]]で[[おたく|アニメおたく]]。[[おたく]]のかたまりのような奴」とのこと{{Sfn|大塚|2005|p=17}})を自称していたが、当時は「[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]」「[[アリコン]]」という概念が一般に普及しておらず、読者からは[[谷村新司]]の[[フォークソング|フォーク]]・[[グループ]]「[[アリス (フォークグループ)|アリス]]」に沖が熱中しているのかと勘違いされたという逸話がある<ref name="azumahideosakuhin97"/>。 |
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:同紙の詳細については『シベール』創刊直前の1979年春頃まで無気力プロに出入りしていた[[吾妻ひでお]]ファンのh-aokiが運営する[[ウェブサイト]]「吾妻ひでお作品のあらすじ<ref>http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/</ref>」内「無気力プロのこと<ref>http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/98mukiryoku.html</ref>」の項を参照されたい<ref name="azumahideosakuhin98"/>。ちなみに吾妻が同紙に掲載した漫画作品や[[挿絵|カットイラスト]]などは2016年3月に[[復刊ドットコム]]から出版された単行本『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2』に初収録されている<ref name="sano201603">{{ |
:同紙の詳細については『シベール』創刊直前の1979年春頃まで無気力プロに出入りしていた[[吾妻ひでお]]ファンのh-aokiが運営する[[ウェブサイト]]「吾妻ひでお作品のあらすじ<ref>http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/</ref>」内「無気力プロのこと<ref>http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/98mukiryoku.html</ref>」の項を参照されたい<ref name="azumahideosakuhin98"/>。ちなみに吾妻が同紙に掲載した漫画作品や[[挿絵|カットイラスト]]などは2016年3月に[[復刊ドットコム]]から出版された単行本『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2』に初収録されている<ref name="sano201603">{{Cite web|和書|author=佐野邦彦|authorlink=漫画の手帖|date=2016-03-17|url=https://www.webvanda.com/2016/03/azuma-hideo.html|title=吾妻ひでお:『ワンダーAZUMA HIDEOランド2』(復刊ドットコム)|publisher=WebVANDA|accessdate=2020-04-27}}</ref>。 |
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或る日、無気力プロ(昼下がりで無人だった)へ沖さんと行ってみると、[[フェルト]]で自作した[[人形]]がいくつか吊り下げてあるのです。(中略)この人形の作者は男性であり後日お会いする事になるのですが、もしかすると彼こそが[[蛭児神建]]その人だったのかも知れません(2006年7月17日付記:沖さんのお話によれば、その通りだったようです)。(中略)沖さんはその人と、[[同人誌]]発行について相談するために朝のカトレアへ来てもらったようでした。「見本誌を1冊、[[同人誌即売会|即売会]]主催者に提出するきまりで……」と聞かされた沖さんが「あ、提出しなくちゃいけないの?」と言っていたりしましたが、一体何を発行しようとしているのか僕には説明してくれません。(中略)そのあと解散し店を出て、沖さんとその人と僕の3人だけになりました。すると沖さんが悩んだ表情で「この人(と言って沖さんは僕を指差しました)も入れちゃおうか」と提案し、「いや、この苦しみに人を引きずり込むのはつらい」とその人が止めたのでした。もしこの謎の会話が『シベール』創刊準備に関するものであったとすれば1979年4月以前であり、この時に吾妻先生の『猫日記』([[月刊OUT]] 1979年3月号)の話もしたので、たぶん1979年春の出来事だったのでしょう。 |
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<br>──[http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/98mukiryoku.html 吾妻ひでお作品のあらすじ98「無気力プロのこと」]<br /> |
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:*どーどー(吾妻ひでお)「10月の空」 |
:*どーどー(吾妻ひでお)「10月の空」 |
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:*あとがき(担当:どーどー=吾妻ひでお) |
:*あとがき(担当:どーどー=吾妻ひでお) |
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{{Efn|告知文に「感想を送ってくれた人には抽選で御希望の美少女をシベールさせますです〔注・御希望のアニメ・まんがのキャラクターを御指定下さい〕」と記した所「 |
{{Efn|告知文に「感想を送ってくれた人には抽選で御希望の美少女をシベールさせますです〔注・御希望のアニメ・まんがのキャラクターを御指定下さい〕」と記した所「シベールする(させる)」という言葉も流行した<ref name='fus' /><ref name='ani_p44'/>。}} |
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;Vol.6(1980年12月発行/コミックマーケット16)扉絵:[[三鷹公一]] |
;Vol.6(1980年12月発行/コミックマーケット16)扉絵:[[三鷹公一]] |
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:*堡褻絞(沖由佳雄)「ブルートレイン異聞」 |
:*堡褻絞(沖由佳雄)「ブルートレイン異聞」 |
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:*INUNECO USAGI & FL.PRO(豊島ゆーさく)「ぱーるぴんく くりすます」 |
:*INUNECO USAGI & FL.PRO(豊島ゆーさく)「ぱーるぴんく くりすます」 |
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:*どーどー(吾妻ひでお)「マイナースペース ササミストリート」{{Efn|思いつきえっせいぷらすシベールゴシップ。「 |
:*どーどー(吾妻ひでお)「マイナースペース ササミストリート」{{Efn|思いつきえっせいぷらすシベールゴシップ。「コミケはやがてエロ本即売会となることを私は予言する」という示唆的な一文がある。}} |
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:*シベール通信販売のお知らせ |
:*シベール通信販売のお知らせ |
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:[[吾妻ひでお]]を除く『シベール』同人のカラーイラスト45葉で構成されたB6判のフォトブック<ref name="mandarake">[https://k.mandarake.co.jp/auction/item/itemInfoJa.html?index=599965 ホワイトシベール] - [[まんだらけ]][[オークション]]</ref>。発行部数が極端に少なく[[私家版]]に近い<ref name="mandarake"/>。発行人は[[森野うさぎ]]。本誌『シベール』と違って表紙が[[白|白色]]のため「白本」「白シベ」等とも呼ばれる。 |
:[[吾妻ひでお]]を除く『シベール』同人のカラーイラスト45葉で構成されたB6判のフォトブック<ref name="mandarake">[https://k.mandarake.co.jp/auction/item/itemInfoJa.html?index=599965 ホワイトシベール] - [[まんだらけ]][[オークション]]</ref>。発行部数が極端に少なく[[私家版]]に近い<ref name="mandarake"/>。発行人は[[森野うさぎ]]。本誌『シベール』と違って表紙が[[白|白色]]のため「白本」「白シベ」等とも呼ばれる。 |
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;ミャアちゃん官能写真集(1981年8月発行/コミックマーケット18) |
;ミャアちゃん官能写真集(1981年8月発行/コミックマーケット18) |
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:[[吾妻ひでお]](あじましでお)が[[20世紀]]に発行した最後の同人誌。1981年8月発行<ref name='fus3_p93'> 『[[ふゅーじょんぷろだくと (雑誌)|ふゅーじょんぷろだくと]]』1981年10月号「特集 ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」 P93</ref>。吾妻の漫画『[[スクラップ学園]]』の主人公・猫山美亜(ミャアちゃん)のイラスト等を収録。巻末には[[沖由佳雄]]、[[孤ノ間和歩|このま和歩]]、[[森野うさぎ]]、[[早坂未紀]]、[[豊島ゆーさく]]、[[三鷹公一]]らがイラストを寄稿した。C18(81年夏のコミケ)にて1,600冊を6時間かけて頒布<ref name='comike30_p265'>コミックマーケット準備会『[コミックマーケット30’sファイル』青林工藝舎 2005年7月,P265</ref>。なお当時のコミケ参加者は1万人規模であったが、1日の頒布部数は未だ破られていない<ref>[https://twitter.com/Syozit/status/954858713579364352 虎馬書房のツイート] 2018年1月21日</ref>。続編として『ミャアちゃんラブワールド―吾妻ひでおイラスト集』([[秋田書店]]・1983年7月)に描き下ろされたPart.3がある(Part.1のあとがきでPart.2は出さないと明言したため、いきなりPart.3に飛んでいる){{Efn|『ミャアちゃん官能写真集 Part.3』は[[復刊ドットコム]]版『[[スクラップ学園]]』下巻にも再収録されている(Part.1は上巻に再録)。}}。また[[ |
:[[吾妻ひでお]](あじましでお)が[[20世紀]]に発行した最後の同人誌。1981年8月発行<ref name='fus3_p93'> 『[[ふゅーじょんぷろだくと (雑誌)|ふゅーじょんぷろだくと]]』1981年10月号「特集 ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」 P93</ref>。吾妻の漫画『[[スクラップ学園]]』の主人公・猫山美亜(ミャアちゃん)のイラスト等を収録。巻末には[[沖由佳雄]]、[[孤ノ間和歩|このま和歩]]、[[森野うさぎ]]、[[早坂未紀]]、[[豊島ゆーさく]]、[[三鷹公一]]らがイラストを寄稿した。C18(81年夏のコミケ)にて1,600冊を6時間かけて頒布<ref name='comike30_p265'>コミックマーケット準備会『[コミックマーケット30’sファイル』青林工藝舎 2005年7月,P265</ref>。なお当時のコミケ参加者は1万人規模であったが、1日の頒布部数は未だ破られていない<ref>[https://twitter.com/Syozit/status/954858713579364352 虎馬書房のツイート] 2018年1月21日</ref>。続編として『ミャアちゃんラブワールド―吾妻ひでおイラスト集』([[秋田書店]]・1983年7月)に描き下ろされたPart.3がある(Part.1のあとがきでPart.2は出さないと明言したため、いきなりPart.3に飛んでいる){{Efn|『ミャアちゃん官能写真集 Part.3』は[[復刊ドットコム]]版『[[スクラップ学園]]』下巻にも再収録されている(Part.1は上巻に再録)。}}。また[[二次創作]]として[[沖由佳雄]]、[[孤ノ間和歩|このま和歩]]、[[三鷹公一]]、[[計奈恵]]、[[高屋良樹|ちみもりを]]らによるPart.2(24頁のB5判コピー合同誌)がC24(83年夏のコミケ)で頒布されている<ref>[https://twitter.com/kazunakei/status/934044361037266944 計奈恵のツイート] 2017年11月24日</ref>。 |
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本誌4号で予告したとおり、あの「ミャアちゃん官能写真集」がついに出てしまった! この情報、[[リュウ (雑誌)|リュウ]]9月号でも引用されたこともあってか、8月15・16日のコミケットでは、朝早くからならんでいた人間([[♂]])が開場と同時に売場へ殺到、一人一冊の制限にもかかわらず、大混乱のうちにたった一時間で売り切れるという前代未聞の記録になりました。三千部つくったのですが、もはや一冊の在庫もないそうで、買いそびれて悲嘆の涙にくれている人も多いとか。 |
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先生にお聞きしたら、実は前々から、いつ出そうかと機会をねらっておられたそーで、決してヒョウタンからコマではなかったと言うから恐れ入りました。さすがに、[[同人誌]]の乄切があるからと、[[商業誌]]の仕事を断わるという吾妻ひでおだけのことはある! こんなとこが根強い人気の秘密なんでしょーね! |
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このぶんだと「出ません」と言う「ミャア官」第2巻とか、ポルノ編とかも、かるーく出てしまうかもしれませんなあ。恐ろしや、恐ろしや…。 |
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<br>──漫画の手帖事務局『[[漫画の手帖]]』6号(1981年12月)5頁「吾妻ひでおする人のぺえじ」<br /> |
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</blockquote> |
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;同人誌『シベール』『ロリータ』掲載作品 |
;同人誌『シベール』『ロリータ』に掲載された吾妻ひでお作品 |
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{| class="wikitable" style="font-size:smaller" |
{| class="wikitable" style="font-size:smaller" |
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!作品名 !! 作品を収録している単行本 !! 名義 !! 初出 !! 発表年月日 !! 発行所 |
!作品名 !! 作品を収録している単行本 !! 名義 !! 初出 !! 発表年月日 !! 発行所 |
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| [[日ペンの美子ちゃん|日ヘンの美子ちゃん]] 官能編 || rowspan="2"|ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド<br />(2015年 復刊ドットコム)<ref name="natalie20150102">[https://natalie.mu/comic/news/135288 吾妻ひでおのレア作品集、同人誌掲載作からホームページ日記まで] - [[ナタリー|コミックナタリー]] 2015年1月2日</ref> || あほらしい || シベール Vol.0 || 1978年秋 || rowspan="2"|無気力プロダクション |
| [[日ペンの美子ちゃん|日ヘンの美子ちゃん]] 官能編 || rowspan="2"|ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド<br />(2015年 復刊ドットコム)<ref name="natalie20150102">[https://natalie.mu/comic/news/135288 吾妻ひでおのレア作品集、同人誌掲載作からホームページ日記まで] - [[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]] 2015年1月2日</ref> || あほらしい || シベール Vol.0 || 1978年秋 || rowspan="2"|無気力プロダクション |
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| 赤ずきん・いん・わんだあらんど || れおなるど・だ・ひでお<br />→れおなるど・だ・ちんぽ || シベール Vol.1 || rowspan="2"|1979年4月8日 |
| 赤ずきん・いん・わんだあらんど || れおなるど・だ・ひでお<br />→れおなるど・だ・ちんぽ || シベール Vol.1 || rowspan="2"|1979年4月8日 |
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| (イラストのみ2P) || ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2<br />(2016年 復刊ドットコム)<ref name="sano201603"/> || プチ・シベール || 1981年4月26日 |
| (イラストのみ2P) || ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2<br />(2016年 復刊ドットコム)<ref name="sano201603"/> || プチ・シベール || 1981年4月26日 |
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== 純文学シリーズ == |
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『'''純文学シリーズ'''』は、[[吾妻ひでお]]が1980年1月頃から1980年9月まで[[自販機本]]『少女アリス』([[アリス出版]])に連載した一連の[[成人向け漫画]]作品の通称{{Efn|ただし連載当時の掲載誌『少女アリス』には「純文学シリーズ」の記載はない(連載時は「LOLITA COMIX」とだけ表紙に書かれていた)。「純文学シリーズ」の名称は[[米澤嘉博|米沢嘉博]]が「阿島俊」名義で編纂し、1979年12月31日に発行した[[同人誌]]『吾妻ひでおに花束を』([[虎馬書房]]/大日本吾妻漫画振興会)中の「『AZUMA HIDEO の純文学シリーズ』が少女アリスに連載される」(p.101)という囲み記事が初出である。また[[明治大学]][[米澤嘉博|米沢嘉博記念図書館]]が作成した「SFと美少女の季節(吾妻ひでおと川本耕次の関連年表)」<ref>http://link3.jp/manga/yonezawa_lib/pdf/t_event12.pdf</ref>によれば1981年5月発行『[[奇想天外 (SF雑誌)|奇想天外]]臨時増刊号 吾妻ひでお大全集』([[奇想天外社]])の年譜と単行本『[[陽射し]]』広告に「純文学シリーズ」と記載されたものが[[商業誌]]における初出とされているが、それ以前の『[[月刊OUT]]』([[みのり書房]])1980年12月号に掲載された「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータ・コンプレックス」(米沢嘉博)において既に「純文学シリーズ」の記載が確認できる。}}。いわゆるロリコン漫画のルーツとされる記念碑的作品群であり<ref>[[大塚英志]]+[[ササキバラ・ゴウ]]『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈講談社現代新書〉2001年、93頁</ref>{{sfn|ヨコタ村上|2006|ps=-第5章 ロリータ・コンプレックスの系譜学「妹萌え」の起源|pp=121-122}}{{sfn|高月|2009|p=154}}、[[おおこしたかのぶ]]は「ロリコン漫画を文学的表現にまで高めた作品」「それは[[衒学者|ペダンチック]]なロリコンファンの趣向に合致し、ロリコンであることの後ろめたさへの[[贖宥状|免罪符]]の役割を果たした」と評している{{Sfn|おおこし|2014|p=117}}。 |
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発表の場が自販機本になったのは、吾妻が海外[[サイエンス・フィクション|SF小説]]を元ネタにした[[マニアック]]な[[パロディ漫画]]『どーでもいんなーすぺーす』<ref name="netgerila20181125"/><ref name="kawade 211">KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』河出書房新社 2011年 211頁「吾妻ひでお作品解説/どーでもいんなーすぺーす」</ref>を連載していた[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]]漫画雑誌『[[Peke]]』([[みのり書房]])<ref name="kawamoto36">川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 36-37頁</ref>の担当編集者であった[[川本耕次]]が自販機本出版専門の[[アリス出版]]に移籍したからで、自販機本に発表することに何らかの意図や目的があった訳ではないが、当時はメジャー[[少年雑誌|少年誌]]出身の[[漫画家]]が成人向けの自販機本に、それも[[写真]]・[[文芸]]中心の非漫画誌『少女アリス』に執筆することは、それだけで「事件」であった<ref name="otsuka92"/><ref name="KAWADE 222">KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』河出書房新社 2011年 222頁「吾妻ひでお作品解説/陽射し 少女アリス掲載の作品群」</ref>。連載は[[アリス出版]]の分裂にともなう川本の退職(同社から派生した[[群雄社]]に移籍)とともに[[打ち切り]]となるが<ref name="KAWADE 222"/>、翌年7月の『少女アリス』廃刊にともない、吾妻は全8頁からなる短編『海から来た機械』を終刊号に寄稿している。 |
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単行本は[[アリス出版]]から発行されず、1981年7月に[[奇想天外社]]から『'''陽射し'''』のタイトルで表題作含む「純文学シリーズ」8作品のほか『[[マンガ奇想天外]] SFマンガ大全集』No.4(1981年1月)に掲載された「帰り道」と[[書き下ろし|描き下ろし]]のイラスト集「妄想画廊」を加えて、漫画単行本としては大変珍しい[[紙の寸法#B列|B5判]][[ハードカバー]]の[[装幀]]で単行本化された{{Efn|ちなみに[[自販機本]]『少女アリス』掲載作品のうち「海から来た機械」は翌1982年3月に[[奇想天外社]]から刊行された単行本『海から来た機械』に収録されている。}}。 |
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その後、同年7月26日に[[紀伊國屋書店]]新宿本店で行われた『陽差し』の刊行記念[[サイン (有名人の署名)|サイン会]]<ref name="mandarake 98">はぁどしゅ〜る編集部「吾妻ひでおサイン会のお知らせ」([[まんだらけ|まんだらけ出版部]]『まんだらけZENBU98号』2020年4月15日発行,578頁)</ref>には多数の[[ファン]]が集まり、時間内でサインが終わらず、会場を倉庫に変えて夜まで続行する事態となった<ref name="aduma2007 179">吾妻ひでお『逃亡日記』日本文芸社 2007年 179頁</ref><ref>KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』 河出書房新社、2011年4月30日、18頁</ref>。 |
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;自販機本『少女アリス』掲載作品 |
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!作品名 !! 作品を収録している単行本 !! 初出<ref>川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 111-119頁</ref> !! 発表年月<ref name="ShojoAlice"/> !! 担当編集者 !! 発行所 |
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| ゴタゴタブラザース「我ら、少女を愛す」<ref name="kawamoto112"/> || 人間失格(1980年 [[奇想天外社]])<br />ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2<br />(2016年 [[復刊ドットコム]]) || [[プレイコミック]]<br />1974年<br />少女アリス Vol.7<br />1980年1月号(再録) || 1974年 || rowspan="9"|[[川本耕次]]<ref name="80s_erogekiga"/> || rowspan="10"|[[アリス出版]] |
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| 午後の淫荒{{Efn|担当編集者が「午後の淫荒」を「[[午後の曳航]]」になぞらえて「純文学シリーズ」と名付けたともいわれる(KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』河出書房新社 2011年 222頁)。92年刊行の『[[夜の魚]]』([[太田出版]])収録以降「午後の淫行」に改題。}} || 陽射し(1981年 奇想天外社)<br />十月の空(1984年 [[双葉社]])<br />[[夜の魚]](1992年 [[太田出版]])<br />[[新現実|COMIC新現実]] Vol.3(2005年 [[角川書店]])<br />夜の帳の中で(2006年 [[チクマ秀版社]])<br />陽射し -reissue-(2018年 復刊ドットコム) || 増刊少女アリス || 1980年1月? |
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| 水仙 || 陽射し(1981年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の魚(1992年)<br />夜の帳の中で(2006年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 少女アリス Vol.8<br />1980年3月号 || 1980年2月 |
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| さまよえる魂{{Efn|[[手塚治虫]]の伝統に忠実な記号的な絵で少女キャラクターの身体の上に残された精液さえもが描写された作品(大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈講談社現代新書〉2001年 94頁)。}} || 陽射し(1981年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の魚(1992年)<br />夜の帳の中で(2006年) || 少女アリス Vol.9<br />1980年4月号 || 1980年3月 |
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| 不思議ななんきん豆 || 陽射し(1981年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の魚(1992年)<br />夜の帳の中で(2006年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 少女アリス Vol.11<br />1980年6月号 || 1980年5月6日<ref>[[アリス出版]]『The Buther』創刊号の巻末広告より</ref> |
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| 夜のざわめき || 陽射し(1981年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の帳の中で(2006年)<br />さまよえる成年のための吾妻ひでお<br />(2013年 [[河出書房新社]])<br />陽射し -reissue-(2018年) || 少女アリス Vol.12<br />1980年7月号 || 1980年6月 |
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| 陽射し{{Efn|「この原稿いただいた時は感動しました。傑作です」(川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 118頁)「筆を使ったと思われるやわらかい描線で描かれた佳作は『シベール』読者も、ギャグやSFから入ったファンも魅了した」(KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』河出書房新社 2011年 222頁)}} || 陽射し(1981年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の魚(1992年)<br />夜の帳の中で(2006年)<br />さまよえる成年のための吾妻ひでお(2013年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 少女アリス Vol.13<br />1980年8月号 || 1980年7月 |
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| 水底{{Efn|「ますます鋭く文学的になって、[[編集者]]としても背筋が寒くなるような思いだった」川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 119頁}} || 陽射し(1981年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の魚(1992年)<br />夜の帳の中で(2006年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 少女アリス Vol.14<br />1980年9月号 || 1980年8月 |
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| 夕顔{{Efn|「この号で私は[[アリス出版]]を退職するのだが、ドタバタのせいで[[写植]]が間に合わなかったのか、この回だけ手書き文字です」川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 119頁}} || 陽射し(1981年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の帳の中で(2006年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 少女アリス Vol.15<br />1980年10月号 || 1980年9月 |
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| 海から来た機械{{Efn|この作品は[[古屋兎丸]]によって[[カバー]]されている(1999年10月/[[イースト・プレス]]刊『[[COMIC CUE]]』Vol.7掲載。同社刊『Garden』所収)。「[[ファンタジー|ファンタジック]]なのに残酷でリアルなこの話が大好きでカバーさせていただきました」(古屋兎丸『禁じられた遊び』イースト・プレス 2015年 81頁)。}} || 海から来た機械(1982年 奇想天外社)<br />十月の空(1984年)<br />夜の魚(1992年)<br />コミックスクライマックス エッチ編<br />(1995年 [[竹書房]])<br />夜の帳の中で(2006年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 少女アリス Vol.25<br />1981年8月号 || 1981年7月 || 草間緑<ref name="ShojoAlice"/> |
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| 妄想画廊 || 陽射し(1981年)<br />夜の帳の中で(2006年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 単行本『陽射し』用<br />[[書き下ろし|描き下ろし]] || 1981年7月 || 千頭俊吉<ref>吾妻ひでお『[[陽射し]]』(1981年 [[奇想天外社]])[[奥付]]</ref> || [[奇想天外社]] |
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;[[ボーイズラブ#耽美とボーイズラブ|耽美雑誌]]『[[JUNE (雑誌)|JUNE]]』掲載作品 |
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!作品名 !! 作品を収録している単行本 !! 初出 |
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| 九月怪談 || 海から来た機械(1982年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の帳の中で(2006年) || 1981年10月号 |
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| 愛玩儀式 || 海から来た機械(1982年)<br />十月の空(1984年)<br />吾妻ひでお童話集(1996年 [[筑摩書房]])<br />さまよえる成年のための吾妻ひでお(2013年) || 1982年1月号 |
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| ラブ・ミー・テンダー || 十月の空(1984年)<br />吾妻ひでお童話集(1996年) || 1982年5月号 |
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| ストレンジ・フルーツ || 十月の空(1984年)<br />吾妻ひでお童話集(1996年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 1982年9月号 |
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| ジャアクダブラー || 十月の空(1984年)<br />贋作ひでお八犬伝(1985年) || 1983年1月号 |
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| MAIDO ONAJIMI || rowspan="2"|ミニティー夜夢(1984年 双葉社) || 1983年5月号 |
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| 野獣の檻 || 1983年9月号 |
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| ガデム || 十月の空(1984年)<br />吾妻ひでお童話集(1996年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 1984年1月号 |
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| 横穴式 || 十月の空(1984年)<br />夜の魚(1992年)<br />吾妻ひでお童話集(1996年) || 1984年5月号 |
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| ひでお童話集 || ひでお童話集(1984年 双葉社)<br />吾妻ひでお童話集(1996年) || 1984年9月号 |
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| KOTATU || 贋作ひでお八犬伝(1985年) || 1985年3月号 |
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== 関連雑誌 == |
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=== 1978年 === |
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;『愛栗鼠』 |
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: [[蛭児神建]](当時20歳)がC10(1978年冬のコミケ)で頒布した'''日本初のロリコン同人誌'''。1978年12月創刊号[[海のトリトン#登場人物|ピピ]]の号のみ。蛭児神の個人サークルである[[アリスマニア集団・キャロルハウス出版部]]が発行した。数十部程度のコピー誌(蛭児神すら現物を所持していない)かつ性的要素の乏しい[[文芸雑誌|文芸誌]]<ref name="alice"/>のためか『シベール』ほど大きな話題にならなかった<ref name="aoyama30"/>。[[手塚治虫]]『[[海のトリトン]]』の[[海のトリトン#登場人物|ピピ]]をはじめ[[松本零士]]原作の[[テレビアニメ]]『[[宇宙海賊キャプテンハーロック]]』に登場する[[宇宙海賊キャプテンハーロックの登場人物#ハーロックの友人とその家族|まゆ]]など複数の[[少女|幼女]][[キャラクター|キャラ]]が取り上げられている。表紙のカラー部分は手塗り。1978年12月17日発行。44頁。 |
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=== 1979年 === |
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;『ロリータ』 |
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: 『愛栗鼠』臨時増刊号として[[蛭児神建]]がC11(1979年春のコミケ)で頒布した「不健全ロリコン文芸誌」<ref>[[アリスマニア集団・キャロルハウス出版部]]『ロリータ』Vol.1表紙</ref>{{Sfn|森川|2011|p=184}}<ref name="atogaki"/>。同年7月の2号で休刊。『シベール』と協力関係を結び、[[吾妻ひでお]]<ref>アリスマニア集団・キャロルハウス出版部『ロリータ』Vol.1「美少女製造の手引き」(あじましでお名義)</ref>、[[沖由佳雄]]<ref>アリスマニア集団・キャロルハウス出版部『ロリータ』Vol.1「アニメヒロイン危機一髪! 危うし!! 美少女のいたぶり方」(沖由加雄名義)</ref>、[[孤ノ間和歩]]<ref>アリスマニア集団・キャロルハウス出版部『ロリータ』Vol.2にイラスト(1P)を「[[孤ノ間和歩|このま和歩]]」名義で寄稿している。</ref>が原稿やイラストを寄稿している。[[志水一夫]]は「読物あり漫画ありキャラ・ヌードありの、正に現在のほぼすべてのロリコン誌の先駆」と評している<ref name='fus3_p96'> 『[[ふゅーじょんぷろだくと (雑誌)|ふゅーじょんぷろだくと]]』1981年10月号「特集 ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」 P96</ref>。[[アリスマニア集団・キャロルハウス出版部]]発行。 |
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;『少女アリス』 |
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: [[アリス出版]]が1979年6月頃から1981年6月まで刊行していた[[自販機本]]<ref name="ShojoAlice"/>。創刊編集長はアリス出版初代社長の[[小向一實|小向一実]]。2代目編集長は[[ロリコンブーム]]の仕掛人である[[川本耕次]]。通巻25号で終刊<ref name="ShojoAlice"/>。ロリコンをテーマにした雑誌の第1号で「少女の恥部とかわいらしさを求める[[アリス (不思議の国のアリス)|アリス]]の少女愛好家のため」の雑誌を標榜し<ref>[[安田理央]]『日本エロ本全史』[[太田出版]] 2019年7月 p.84</ref>、最盛期の1980年8月には自販機雑誌としては破格の5万部を売り上げた<ref name="ShojoAlice"/>。本誌は1982年にロリータ誌に転向した[[白夜書房]]発行の『[[ヘイ!バディー]]』に先駆けて刊行されていた美少女総合月刊誌であるが、メインであるヌードグラビアの[[モデル (職業)|モデル]]は全て18才以上であり、本物の少女ヌードは一切取り扱っていない所謂「疑似ロリータ誌」であった{{sfn|高月|2009|p=56}}。しかしながら「当時、娘の制服を借りて来たのか、と張り倒したくなるような[[ババア]]が[[セーラー服]]姿でニカッと笑っているのが普通でさえあった自販機本業界にあって、おそらく本物の十代の少女が登場する数少ない総合[[グラフ誌]]」([[斉田石也]]談)でもあったという<ref>{{Cite journal|和書|author=[[斉田石也]]|title=アリス雑誌の文化論 少女写真の繁栄と衰退 第25回『研究・川本耕次』の巻|journal=[[アリス・クラブ]]|issue=1994年3月号|pages=87 - 89|publisher=[[白夜書房]]|date=1994-03-01|ref={{SfnRef|斉田|1994}}}}</ref>。[[吾妻ひでお]]は[[川本耕次]]の依頼で増刊号(1979年12月)から通巻15号(1980年8月)まで8ヶ月間にわたり『'''純文学シリーズ'''』(※「午後の淫荒」「水仙」「さまよえる魂」「不思議ななんきん豆」「夜のざわめき」「陽射し」「水底」「夕顔」の8作品)を連載した<ref name="ShojoAlice"/>{{sfn|高月|2009|p=56}}。同連載は川本の退職とともに終了したが、翌1981年に[[奇想天外社]]から『'''[[陽射し]]'''』の題で単行本化され、当時の「吾妻ひでおブーム」を象徴する記念碑的一冊となった。のちに吾妻は「[[紀伊國屋書店|新宿の大きい本屋]]で『陽射し』の[[サイン (有名人の署名)|サイン会]]したら、えらい列ができちゃって。夜までかかってサインを描いていた。本屋が閉まっちゃって、そのあとは倉庫で書いてた。『[[ふたりと5人]]』の時もサイン会をやったことあるけど、その時は3人くらいだったよ(笑)」と当時を回想している<ref name="aduma2007 179"/>。 |
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;『AMA』 |
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: 1979年12月創刊。81年7月の第4号で終刊<ref name="shimizu198203"/>。東京アニメニア・アーミー発行。『[[機動戦士ガンダム]]』の成人向け同人誌{{sfn|高月|2009|p=151}}。'''男性向けアニパロ誌の嚆矢'''として知られる。 |
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=== 1980年 === |
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;『ロータリー』 |
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: 1980年7月創刊<ref name="shimizu198203"/>。1989年夏コミ時点で27号<ref name='etc_p155'>[[米澤嘉博|阿島俊]]『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビュ-で読むおたく史』 P155</ref>。ロータリークラブ発行。あるデザイン学校の学生が『シベール』を見て自分たちも同様の同人誌の発行を志す<ref name='fus3_p93' />。1981年夏のコミケにおけるロリコンファンジンの大量出現の契機を作る。 |
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;『クラリス狂専誌 クラリスMAGAZINE』 |
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: 1980年8月創刊。同年12月の2号で休刊<ref name='fus2' />。A・W・S・C内クラリスマガジン編集室発行。[[さえぐさじゅん]]による『[[ルパン三世 カリオストロの城]]』の非エロ同人誌<ref name="aoyama30"/>{{sfn|高月|2009|p=102}}。ロリコンファンジンの中核としてコミケで人気を博すが、増刷時の未発送トラブル(サークル関係者ではなく再販時の関係者の不祥事)で再販予約を募った『[[アニメック]]』誌を巻き込んだ「同人誌史上最大の詐欺事件」と呼ばれる「'''クラリスマガジン事件'''」を引き起こした<ref>[https://ekizo.mandarake.co.jp/auction/item/itemInfoJa.html?index=378672 クラリスFC『クラリス狂専誌 クラリスMAGAZINE』No.1+No.2+「クラリスマガジン被害者同盟からのお知らせ」セット] - まんだらけオークション</ref>。 |
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;『幼女嗜好』 |
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: 1980年9月創刊の過激派ロリコン文芸誌。変質社([[蛭児神建]])発行。4号で終刊。主に幼女姦を主題にした猟奇的な官能小説やイラスト・漫画で構成された。表紙の幼女は『[[機動戦士ガンダム]]』に登場する[[キッカ・キタモト]]。また『[https://www.cyzo.com/2012/11/post_11850_entry.html ロリコン大全集]』([[群雄社出版]]・1982年)には出張版も掲載されている。ちなみに1981年冬のC19で頒布された『SMロリータ』は蛭児神が「落ちる所まで落ちてやる」つもりで作った臨時増刊号<ref>[[ふゅーじょんぷろだくと (雑誌)|ふゅーじょんぷろだくと]]編集部+[[志水一夫]]「パワーの時代」『ロリコン白書─ロリコン同人誌ベスト集成』白夜書房刊、1982年、pp.6-10</ref>。 |
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;『人形姫』 |
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: 1980年12月創刊。サーカスマッドカプセル([[千之ナイフ]]や[[破李拳竜]]が中心のサークル)発行。少女サイボーグや[[ピグマリオンコンプレックス]]を主題とした同人誌<ref name='fus3_p93' />。のちに『[[レモンピープル]]』の主力作家陣として同誌黎明期を支えた<ref>米沢嘉博『戦後エロマンガ史』青林工藝舎 2010年4月 p.261「第33章/エロ劇画界の再編とロリコンマンガ」</ref>{{sfn|高月|2009|pp=151-152}}。 |
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;『のんき』 |
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: 1980年12月創刊。[[鬼畜系]]・[[リョナ]]の元祖的存在である洋森しのぶ(現・[[みやすのんき]])主宰。おとぼけ企画のんき編集室発行。アニメキャラのヌードを主題にした同人誌で創刊号は『[[機動戦士ガンダム]]』のギャルズ特集、2号は[[セイラ・マス]]特集、3・4号はロリコン特集となっている。1982年12月までに5号を刊行。当時としては過激な内容から印刷所が自主回収したとされる{{Sfn|青山|志水|斉田|1994|p=141}}。 |
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=== 1981年 === |
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;『赤本』 |
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: [[やおい]][[同人サークル|サークル]]「FOX」代表が黒本『シベール』に対抗して1981年春頃に発行した[[コミックマーケットのジャンルコード#男性向|男性向け同人誌]]<ref name="kazunakei 20160715">[https://twitter.com/kazunakei/status/753965815272120321 計奈恵のツイート] 2016年7月15日</ref>。主な素材は当時[[やおい|一部の女性]]に人気があった[[テレビアニメ]]『[[超電磁マシーン ボルテスV]]』『[[闘将ダイモス]]』『[[J9シリーズ]]』など。[[計奈恵]]によれば「'''最初に見た女性作家の男性向け同人誌'''」だったと述懐している<ref>[https://twitter.com/kazunakei/status/457822321781112832 計奈恵のツイート] 2014年4月20日</ref>。なお『赤本』完成直後『シベール』の終刊を知った製作者の女性は「黒本が話題なので男性向けに挑戦しようと『噂の赤本』を創ったのに、シベが解散しちゃうんだもんなぁ」と苦笑したという<ref name="kazunakei 20160715"/><ref>[https://twitter.com/kazunakei/status/664605055048224768 計奈恵のツイート] 2015年11月12日</ref>。 |
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;『ヴィーナス』 |
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: 1981年5月創刊、同年11月の第3号で終刊<ref name="shimizu198203"/>。ムーンライン製作室発行。「アニメ女性キャラクター・ヌード専門誌」を名乗る<ref name='fus2' />。1981年夏のコミケにおけるロリコンファンジンの大量出現の契機を作るが、当時としては過激な内容から印刷所が自主回収したとされる{{Sfn|青山|志水|斉田|1994|p=141}}。 |
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;『プティアンジェ専門誌 アンジェ』 |
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: 1981年冬のコミケで[[蛭児神建]]が創刊した『[[女王陛下のプティアンジェ]]』のアニパロ同人誌。蛭児神の人脈が総動員されており、[[吾妻ひでお]]、[[沖由佳雄]]、[[三鷹公一]]、[[破李拳竜]]、[[孤ノ間和歩]]など元シベール編集部やサーカスマッドカプセルなどの人気サークルが大集結した。全104頁。 |
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=== その他 === |
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;『PETITパンドラ』 |
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: [[蛭児神建]]編集の[[モンド系]]ロリコン漫画雑誌([[雑誌コード]]が取られていないため正確には[[ムック (出版)|ムック]]本)。1984年から1987年まで全12冊を刊行した。[[一水社]]発行。キャッチコピーは「'''どうせ亜流誌 みんなで[[レミング]]'''」。著名な愛読者に『[[美少女戦士セーラームーン]]』原作者の[[武内直子]]がいる<ref> 蛭児神建(元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』の中「カオスのようなロリコン・ブーム時代」角川書店 2005年11月 p.81</ref>。主な執筆陣は[[新田真子]]、[[沖由佳雄]]、[[森野達弥|万寺タツヤ]]、[[雨宮淳 (漫画家)|雨宮じゅん]]、[[山本直樹|森山塔]]、[[帯ひろ志]]、[[飛鳥弓樹|やまぐちみゆき]]。 |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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=== 単行本・ムック === |
=== 単行本・ムック === |
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* [[蛭児神建]]責任編集・監修『ロリコン大全集』編集発行:[[群雄社出版|群雄社出版株式会社]]/発売:都市と生活社 1982年5月31日{{Efn|[[吾妻ひでお]]、[[内山亜紀]]、[[米澤嘉博|米沢嘉博]]、[[蛭児神建]]、[[高取英]]、[[谷口敬]]、[[杉浦日向子]]、[[さべあのま]]、[[早坂未紀]]、[[青山正明]]、[[近藤昌良]]、[[孤ノ間和歩]]、[[千之ナイフ]]、[[赤井孝美]]、[[女子高生]]など多彩な人材が集った[[ロリコンブーム]]の集大成本。初版2万3千部は完売し、1982年末までに4万部を発行した{{Sfn|高取|1982|p=140}}。本書は蛭児神建が責任編集・監修という名目だが、実質的には[[群雄社]]の[[川本耕次]]と[[小形克宏|緒方源次郎(小形克宏)]]によって編集された<ref name="kawamoto 182">川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 182-183頁</ref>{{Sfn|高取|1982|p=146}}{{Sfn|高取|1982|p=141}}。主に少女写真やコミックのほか、ロリコン用語の基礎知識(米沢嘉博)、[[女子高生]][[座談会]]、[[少女愛]]の[[社会学]]・[[考現学]]を多角的に分析した評論などが掲載されている。付録にロリーポップ[[着せ替え人形]]、ろりろりシール、ロリコンカセットレーベル、蛭児神の同人誌『幼女嗜好』出張版付き。吾妻が寄稿した『仁義なき黒い太陽 ロリコン篇』は美少女が一切登場せず<ref>[http://www.kurata-wataru.com/ruin/ruinb15c.html#110521 川本耕次(&竹熊健太郎)トークイベント(2011年05月21日)] - 倉田わたるの廃墟通信</ref>、1982年当時のロリコン漫画界の諸相を[[ヤクザ映画|任侠映画]]風の[[パスティーシュ]]という形で描き出した作品である([[河出書房新社]]刊『ポスト非リア充時代のための吾妻ひでお』に再録)<ref name="kawamoto 182"/>。}} |
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* [[蛭児神建]]責任編集・監修『[https://www.cyzo.com/2012/11/post_11850_entry.html ロリコン大全集]』編集発行:[[群雄社出版|群雄社出版株式会社]]/発売:都市と生活社 1982年5月31日 |
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* [[高桑常寿]]+[[ふゅーじょんぷろだくと (雑誌)|ふゅーじょんぷろだくと]]編『ロリコン白書―ロリコン同人誌ベスト集成』編集発行:エンドレス企画/発売:[[白夜書房]] 1982年7月{{Efn|ふゅーじょんぷろだくと編集部「パワーの時代」(協力:[[志水一夫]])}} |
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** [[吾妻ひでお]]、[[内山亜紀]]、[[米澤嘉博|米沢嘉博]]、[[蛭児神建]]、[[高取英]]、[[谷口敬]]、[[杉浦日向子]]、[[さべあのま]]、[[早坂未紀]]、[[青山正明]]、[[近藤昌良]]、[[孤ノ間和歩]]、[[千之ナイフ]]、[[赤井孝美]]、[[女子高生]]など多彩な人材が集った[[ロリコンブーム]]の集大成本。初版2万3千部は完売し、1982年末までに4万部を発行した{{Sfn|高取|1982|p=140}}。本書は蛭児神建が責任編集・監修という名目だが、実質的には[[群雄社]]の[[川本耕次]]と[[小形克宏|緒方源次郎(小形克宏)]]によって編集された<ref name="kawamoto 182"/>{{Sfn|高取|1982|p=146}}{{Sfn|高取|1982|p=141}}。主に少女写真やコミックのほか、ロリコン用語の基礎知識(米沢嘉博)、[[女子高生]][[座談会]]、[[少女愛]]の[[社会学]]・[[考現学]]を多角的に分析した評論などが掲載されている。付録にロリーポップ[[着せ替え人形]]、ろりろりシール、ロリコンカセットレーベル、蛭児神の同人誌『幼女嗜好』出張版付き。吾妻が寄稿した『仁義なき黒い太陽 ロリコン篇』は美少女が一切登場せず<ref>[http://www.kurata-wataru.com/ruin/ruinb15c.html#110521 川本耕次(&竹熊健太郎)トークイベント(2011年05月21日)] - 倉田わたるの廃墟通信</ref>、1982年当時のロリコン漫画界の諸相を[[ヤクザ映画|任侠映画]]風の[[パスティーシュ]]という形で描き出した作品である([[河出書房新社]]刊『ポスト非リア充時代のための吾妻ひでお』に再録)<ref name="kawamoto 182"/>。 |
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* [[高桑常寿]]+[[ふゅーじょんぷろだくと (雑誌)|ふゅーじょんぷろだくと]]編『ロリコン白書―ロリコン同人誌ベスト集成』編集発行:エンドレス企画/発売:[[白夜書房]] 1982年7月 |
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** ふゅーじょんぷろだくと編集部「パワーの時代」(協力:[[志水一夫]]) |
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* [[別冊宝島]]104『おたくの本』[[宝島社|JICC出版局]] 1989年12月 |
* [[別冊宝島]]104『おたくの本』[[宝島社|JICC出版局]] 1989年12月 |
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**{{Cite journal|和書|author=[[土本亜理子]]|title=ロリコン、二次コン、人形愛―架空の美少女に託された共同幻想|publisher=JICC出版局|journal=別冊宝島|volume=104|pages=102 - 115|ref={{SfnRef|土本|1989}}}} |
**{{Cite journal|和書|author=[[土本亜理子]]|title=ロリコン、二次コン、人形愛―架空の美少女に託された共同幻想|publisher=JICC出版局|journal=別冊宝島|volume=104|pages=102 - 115|ref={{SfnRef|土本|1989}}}} |
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* [[吾妻ひでお]]『[[夜の魚]]』[[太田出版]](太田COMICS 芸術漫画叢書)1992年9月(担当者:[[大塚英志]])<ref>[https://twitter.com/MiraiMangaLabo/status/1186425886779686912 大塚英志のツイート] 2019年10月22日</ref> |
* [[吾妻ひでお]]『[[夜の魚]]』[[太田出版]](太田COMICS 芸術漫画叢書)1992年9月(担当者:[[大塚英志]])<ref>[https://twitter.com/MiraiMangaLabo/status/1186425886779686912 大塚英志のツイート] 2019年10月22日</ref>{{Efn|吾妻ひでおの[[私小説]]的作品集。伝説的[[自販機本]]『少女アリス』や『[[マンガ奇想天外]]』掲載作品を収録。あとがき漫画『夜を歩く』(後に『[[失踪日記]]』の「夜の1」となる)は本書のための[[書き下ろし|描き下ろし]]([[大塚英志]]に『夜を歩く』の原稿を[[宅配便]]で送ったその足で再び[[失踪]]した)<ref>大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈講談社現代新書〉2001年、106-107頁。ISBN 978-4061495531</ref>。巻末解説は大塚英志、[[いしかわじゅん]]、[[飯田耕一郎]]。本書出版当時の顛末については『[[新現実|Comic新現実]]』Vol.3で大塚が2005年に行った吾妻ひでおインタビューを参照されたい{{Sfn|大塚|吾妻|2005|p=11}}。}} |
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** 吾妻ひでおの[[私小説]]的作品集。伝説的[[自販機本]]『少女アリス』や『[[マンガ奇想天外]]』掲載作品を収録。あとがき漫画『夜を歩く』(後に『[[失踪日記]]』の「夜の1」となる)は本書のための[[書き下ろし|描き下ろし]]([[大塚英志]]に『夜を歩く』の原稿を[[宅配便]]で送ったその足で再び[[失踪]]した)<ref>大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈講談社現代新書〉2001年、106-107頁。ISBN 978-4061495531</ref>。巻末解説は大塚英志、[[いしかわじゅん]]、[[飯田耕一郎]]。本書出版当時の顛末については『[[新現実|Comic新現実]]』Vol.3で大塚が2005年に行った吾妻ひでおインタビューを参照されたい{{Sfn|大塚|吾妻|2005|p=11}}。 |
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* [[辰巳出版]]『同人漫画大百科』1992年10月 |
* [[辰巳出版]]『同人漫画大百科』1992年10月 |
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**{{Cite journal|和書|author=米沢嘉博|author2=森野うさぎ|title=同人漫画家インタビュー [[森野うさぎ]]|journal=同人漫画大百科|pages=114 - 117|ref={{SfnRef|米沢|森野|1992}}}} |
**{{Cite journal|和書|author=米沢嘉博|author2=森野うさぎ|title=同人漫画家インタビュー [[森野うさぎ]]|journal=同人漫画大百科|pages=114 - 117|ref={{SfnRef|米沢|森野|1992}}}} |
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* ササキバラ・ゴウ『〈美少女〉の現代史―「萌え」とキャラクター』講談社〈講談社現代新書〉2004年5月 |
* ササキバラ・ゴウ『〈美少女〉の現代史―「萌え」とキャラクター』講談社〈講談社現代新書〉2004年5月 |
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* [[吉田正高]]『二次元美少女論―オタクの女神創造史』[[二見書房]] 2004年9月 |
* [[吉田正高]]『二次元美少女論―オタクの女神創造史』[[二見書房]] 2004年9月 |
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* [[米澤嘉博|阿島俊]]『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』[[久保書店]] 2004年9月{{Efn|[[米澤嘉博|米沢嘉博]]が阿島俊名義で『[[レモンピープル]]』創刊号(1982年2月号)から休刊号(1998年11月号)まで18年間にわたり計187回連載していた同人誌紹介記事に[[書き下ろし]]を加えて単行本化したもの。創刊当初のタイトルは「ロリコン同人誌ピックアップ」。1982年12月号のリニューアルから「同人誌エトセトラ」に改題。雑誌の性格上男性向け作品を中心としながら全ジャンルを対象とし、時には漫画同人誌の歴史にまでも言及した。休刊6年後の2004年9月、[[久保書店]]から350頁超の大著として刊行。記念すべき連載第1回目には『シベール』が取り上げられている。}} |
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* [[米澤嘉博|阿島俊]]『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』[[久保書店]] 2004年9月 |
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* [[コミックマーケット準備会]]『[https://www.comiket.co.jp/archives/30th/ コミックマーケット30’sファイル]』[[青林工藝舎]] 2005年7月{{Efn|2005年3月21日に[[東京ビッグサイト]]で開催された「30周年記念24耐(!?)コミケットスペシャル4」の際に刊行されたコミックマーケットの30周年史。現在はコミケット公式サイトにおいて[[Portable Document Format|PDFファイル]]が無料公開されている。}} |
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** [[米澤嘉博|米沢嘉博]]が阿島俊名義で『[[レモンピープル]]』創刊号(1982年2月号)から休刊号(1998年11月号)まで18年間にわたり計187回連載していた同人誌紹介記事に[[書き下ろし]]を加えて単行本化したもの。創刊当初のタイトルは「ロリコン同人誌ピックアップ」。1982年12月号のリニューアルから「同人誌エトセトラ」に改題。雑誌の性格上男性向け作品を中心としながら全ジャンルを対象とし、時には漫画同人誌の歴史にまでも言及した。休刊6年後の2004年9月、[[久保書店]]から350頁超の大著として刊行。記念すべき連載第1回目には『シベール』が取り上げられている。 |
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* [[コミックマーケット準備会]]『[https://www.comiket.co.jp/archives/30th/ コミックマーケット30’sファイル]』[[青林工藝舎]] 2005年7月 |
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** 2005年3月21日に[[東京ビッグサイト]]で開催された「30周年記念24耐(!?)コミケットスペシャル4」の際に刊行されたコミックマーケットの30周年史。現在はコミケット公式サイトにおいて[[Portable Document Format|PDFファイル]]が無料公開されている。 |
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* [[蛭児神建|蛭児神建(元)]]『出家日記―ある「おたく」の生涯』角川書店 2005年11月 |
* [[蛭児神建|蛭児神建(元)]]『出家日記―ある「おたく」の生涯』角川書店 2005年11月 |
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*{{Cite book|和書|date=2006-07-15|author= |
*{{Cite book|和書|date=2006-07-15|author=ヨコタ村上孝之|authorlink=ヨコタ村上孝之|title=マンガは欲望する|publisher=[[筑摩書房]]|location=[[東京]]|isbn=978-4480873514|ref={{sfnref|ヨコタ村上|2006}}}} |
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* 吾妻ひでお『逃亡日記』[[日本文芸社]] 2007年1月 |
* 吾妻ひでお『逃亡日記』[[日本文芸社]] 2007年1月 |
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* [[難波功士]]『族の系譜学―ユース・サブカルチャーズの戦後史』[[青弓社]] 2007年6月 |
* [[難波功士]]『族の系譜学―ユース・サブカルチャーズの戦後史』[[青弓社]] 2007年6月 |
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* [[斎藤学 (精神科医)|家族機能研究所]]『アディクションと家族 第25巻2号―日本嗜癖行動学会誌』2008年8月 pp.107-112 |
* [[斎藤学 (精神科医)|家族機能研究所]]『アディクションと家族 第25巻2号―日本嗜癖行動学会誌』2008年8月 pp.107-112{{Efn|[[斎藤環]]「メディアとペドフィリア―ロリコン文化はいかに消費されたか―」(後に『博士の奇妙な成熟 サブカルチャーと社会精神病理』に再録)}} |
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** [[斎藤環]]「メディアとペドフィリア―ロリコン文化はいかに消費されたか―」(後に『博士の奇妙な成熟 サブカルチャーと社会精神病理』に再録) |
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* [[霜月たかなか]]『コミックマーケット創世記』[[朝日新聞出版]]〈[[朝日新書]]〉2008年12月/[[Kindle]]版 2013年6月 |
* [[霜月たかなか]]『コミックマーケット創世記』[[朝日新聞出版]]〈[[朝日新書]]〉2008年12月/[[Kindle]]版 2013年6月 |
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*{{Cite book|和書|date=2009-02-09|author=吉本たいまつ|title=おたくの起源|publisher=[[NTT出版]]|location=[[東京]]|isbn= 978-4-75714-209-1|ref={{sfnref|吉本|2009}}}} |
*{{Cite book|和書|date=2009-02-09|author=吉本たいまつ|title=おたくの起源|publisher=[[NTT出版]]|location=[[東京]]|isbn= 978-4-75714-209-1|ref={{sfnref|吉本|2009}}}} |
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*{{Cite book|和書|date=2009-10-07|author=高月靖|title=ロリコン―日本の少女嗜好者たちとその世界|publisher=[[バジリコ (出版社)|バジリコ]]|location=[[東京]]|isbn=978-4-86238-151-4|ref={{sfnref|高月|2009}}}} |
*{{Cite book|和書|date=2009-10-07|author=高月靖|title=ロリコン―日本の少女嗜好者たちとその世界|publisher=[[バジリコ (出版社)|バジリコ]]|location=[[東京]]|isbn=978-4-86238-151-4|ref={{sfnref|高月|2009}}}} |
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* [[米澤嘉博|米沢嘉博]]『[[戦後エロマンガ史]]』青林工藝舎 2010年4月(担当者:[[浅川満寛]]) |
* [[米澤嘉博|米沢嘉博]]『[[戦後エロマンガ史]]』青林工藝舎 2010年4月(担当者:[[浅川満寛]]) |
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** 漫画誌『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』の後継誌『[[アックス (雑誌)|アックス]]』(青林工藝舎)で長期連載された[[成人向け漫画|エロマンガ]]通史(未完)。戦後の[[カストリ雑誌]]から[[貸本漫画]]、[[エロ劇画誌|官能劇画]]、ロリコン漫画、[[レディースコミック]]を経て1990年代の美少女コミックと[[有害コミック騒動]]に至るまでの半世紀にわたる歴史をまとめあげた集大成にして決定版。 |
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* [[KAWADE夢ムック]]『[[文藝]]別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』[[河出書房新社]] 2011年4月30日 |
* [[KAWADE夢ムック]]『[[文藝]]別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』[[河出書房新社]] 2011年4月30日 |
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**{{Cite journal|和書|author=[[吾妻ひでお]]|title=吾妻ひでお 2万5千字 ロングインタビュー 現代日本的美意識「かわいいエロ」の創造者|journal=文藝別冊[総特集]吾妻ひでお|pages=10 - 44|ref={{SfnRef|吾妻|2011}}}} |
**{{Cite journal|和書|author=[[吾妻ひでお]]|title=吾妻ひでお 2万5千字 ロングインタビュー 現代日本的美意識「かわいいエロ」の創造者|journal=文藝別冊[総特集]吾妻ひでお|pages=10 - 44|ref={{SfnRef|吾妻|2011}}}} |
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**{{Cite journal|和書|author=吾妻ひでお|author2=[[山本直樹]]|title=リスペクト対談:吾妻ひでお×山本直樹|journal=文藝別冊[総特集]吾妻ひでお|pages=138 - 154|ref={{SfnRef|吾妻|山本|2011}}}} |
**{{Cite journal|和書|author=吾妻ひでお|author2=[[山本直樹]]|title=リスペクト対談:吾妻ひでお×山本直樹|journal=文藝別冊[総特集]吾妻ひでお|pages=138 - 154|ref={{SfnRef|吾妻|山本|2011}}}} |
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**{{Cite journal|和書|author=[[森川嘉一郎]]|title=吾妻ひでおはいかにして「おたく文化の祖」になったか|journal=文藝別冊[総特集]吾妻ひでお|pages=179 - 186|ref={{SfnRef|森川|2011}}}} |
**{{Cite journal|和書|author=[[森川嘉一郎]]|title=吾妻ひでおはいかにして「おたく文化の祖」になったか|journal=文藝別冊[総特集]吾妻ひでお|pages=179 - 186|ref={{SfnRef|森川|2011}}}}{{Efn|本稿に引用された証言は、[[明治大学博物館]]における『[https://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/pdf/2011azuma_p.pdf 吾妻ひでお美少女実験室]』展(2011年4月23日〜5月23日)に向けた調査のために、[[明治大学]][[准教授]]の[[森川嘉一郎]]が行った[[インタビュー]]に基づく。[[吾妻ひでお]]は2011年2月15日(同誌巻頭インタビューと併行して実施)、[[蛭児神建|蛭児神建(元)]]は同年2月25日、[[沖由佳雄]]は同年3月8日にそれぞれインタビューが行われた。}} |
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*** 本稿に引用された証言は、[[明治大学博物館]]における『[https://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/pdf/2011azuma_p.pdf 吾妻ひでお美少女実験室]』展(2011年4月23日〜5月23日)に向けた調査のために、[[明治大学]][[准教授]]の[[森川嘉一郎]]が行った[[インタビュー]]に基づく。[[吾妻ひでお]]は2011年2月15日(同誌巻頭インタビューと併行して実施)、[[蛭児神建|蛭児神建(元)]]は同年2月25日、[[沖由佳雄]]は同年3月8日にそれぞれインタビューが行われた。 |
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**{{Cite journal|和書|author=[[大塚英志]]|title=吾妻ひでおを再び「流通」させる理由|journal=文藝別冊[総特集]吾妻ひでお|pages=192 - 195|ref={{SfnRef|大塚|1992}}}} |
**{{Cite journal|和書|author=[[大塚英志]]|title=吾妻ひでおを再び「流通」させる理由|journal=文藝別冊[総特集]吾妻ひでお|pages=192 - 195|ref={{SfnRef|大塚|1992}}}} |
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* [[川本耕次]]『ポルノ雑誌の昭和史』[[ちくま新書]] 2011年10月 |
* [[川本耕次]]『ポルノ雑誌の昭和史』[[ちくま新書]] 2011年10月{{Efn|[[三流劇画ブーム]]・[[ロリコンブーム]]の仕掛け人・[[川本耕次]]が書き下ろしたポルノ雑誌の昭和史。}} |
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* [[永山薫]]『[[エロマンガ・スタディーズ|増補 エロマンガ・スタディーズ「快楽装置」としての漫画入門]]』[[筑摩書房]]〈[[ちくま文庫]]〉2014年4月{{Efn|2006年11月に[[イースト・プレス]]より刊行された同名書籍に増補・加筆を加えて文庫化したもの。}} |
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** [[三流劇画ブーム]]・[[ロリコンブーム]]の仕掛け人・[[川本耕次]]が書き下ろしたポルノ雑誌の昭和史。 |
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* [[永山薫]]『[[エロマンガ・スタディーズ|増補 エロマンガ・スタディーズ「快楽装置」としての漫画入門]]』[[筑摩書房]]〈[[ちくま文庫]]〉2014年4月 |
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**{{Cite journal|和書|title=第一部 エロマンガ全史 第三章 美少女系エロ漫画の登場|pages=81 - 123|ref={{SfnRef|永山|2014}}}} |
**{{Cite journal|和書|title=第一部 エロマンガ全史 第三章 美少女系エロ漫画の登場|pages=81 - 123|ref={{SfnRef|永山|2014}}}} |
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**{{Cite journal|和書|title=第二部 愛と性のさまざまなカタチ 第一章 ロリコン漫画|pages=128 - 159|ref={{SfnRef|永山|2014}}}} |
**{{Cite journal|和書|title=第二部 愛と性のさまざまなカタチ 第一章 ロリコン漫画|pages=128 - 159|ref={{SfnRef|永山|2014}}}} |
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** 2006年11月に[[イースト・プレス]]より刊行された同名書籍に増補・加筆を加えて文庫化したもの。 |
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* [[おおこしたかのぶ]]『美少女マンガ創世記 ぼくたちの80年代』[[徳間書店]] 2014年9月 |
* [[おおこしたかのぶ]]『美少女マンガ創世記 ぼくたちの80年代』[[徳間書店]] 2014年9月 |
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**{{Cite journal|和書|title=Column*02 新世代によるエロ漫画の躍進|pages=116 - 119|ref={{SfnRef|おおこし|2014}}}} |
**{{Cite journal|和書|title=Column*02 新世代によるエロ漫画の躍進|pages=116 - 119|ref={{SfnRef|おおこし|2014}}}} |
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* 吾妻ひでお『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド』[[復刊ドットコム]] 2015年2月 |
* 吾妻ひでお『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド』[[復刊ドットコム]] 2015年2月{{Efn|『シベール』掲載作のうち単行本未収録となっていた『日ヘンの美子ちゃん 官能編』『赤ずきん・いん・わんだあらんど』を初収録。}} |
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* {{Cite book|和書|date=2015-12-30|author=藤脇邦夫|authorlink=藤脇邦夫|title=出版アナザーサイド ある始まりの終わり 1982-2015|publisher=[[本の雑誌社]]|location=[[東京]]|isbn=978-4-86011-280-6|ref={{sfnref|藤脇|2015}}}} |
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** 『シベール』掲載作のうち単行本未収録となっていた『日ヘンの美子ちゃん 官能編』『赤ずきん・いん・わんだあらんど』を初収録。 |
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* 吾妻ひでお『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2』復刊ドットコム 2016年3月{{Efn|無気力プロの頃を描いた『吾妻ひでお伝!』『絵日記』『無気力日記』『良いファン悪いファンとんでもないファン』『祝・ズッコケター御出版』ほか、同人誌『ALICE』『POCO』『シベール』『プチ・シベール』『はあどしゅ〜る』などのカットを収録<ref name="sano201603"/>。}} |
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* {{Cite book|和書|date=2015-12-30|author=[[藤脇邦夫]]|title=出版アナザーサイド ある始まりの終わり 1982-2015|publisher=[[本の雑誌社]]|location=[[東京]]|isbn=978-4-86011-280-6|ref={{sfnref|藤脇|2015}}}} |
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* 吾妻ひでお『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2』復刊ドットコム 2016年3月 |
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** 無気力プロの頃を描いた『吾妻ひでお伝!』『絵日記』『無気力日記』『良いファン悪いファンとんでもないファン』『祝・ズッコケター御出版』ほか、同人誌『ALICE』『POCO』『シベール』『プチ・シベール』『はあどしゅ〜る』などのカットを収録<ref name="sano201603"/>。 |
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* [[竹内オサム]]・[[西原麻里]]編著『世界文化シリーズ別巻2 マンガ文化55のキーワード』[[ミネルヴァ書房]] 2016年2月 |
* [[竹内オサム]]・[[西原麻里]]編著『世界文化シリーズ別巻2 マンガ文化55のキーワード』[[ミネルヴァ書房]] 2016年2月 |
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* [[大塚英志]]『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』[[星海社文庫]] 2016年3月(装画:[[早坂未紀]]) |
* [[大塚英志]]『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』[[星海社文庫]] 2016年3月(装画:[[早坂未紀]]){{Efn|元『[[漫画ブリッコ]]』編集長の[[大塚英志]]による[[おたく]]論。『[[諸君!]]』([[文藝春秋]])で連載中断中だった「ぼくと宮崎勤の'80年代」を加筆・改稿して2004年2月に[[講談社現代新書]]から出版後、2007年3月に[[朝日新聞社]]より文庫化された同名書籍を底本とし、[[書き下ろし]]を加えて新書化したもの。}} |
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* 大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』星海社文庫 2016年4月(装画:[[吾妻ひでお]]){{Efn|[[スタジオジブリ|スタジオジブリ出版部]]発行の広報誌『[[熱風 (スタジオジブリ)|熱風]]』2012年2月号から2014年6月号にかけて発表された同名連載を加筆修正のうえ新書化したもの。}} |
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** 元『[[漫画ブリッコ]]』編集長の[[大塚英志]]による[[おたく]]論。『[[諸君!]]』([[文藝春秋]])で連載中断中だった「ぼくと宮崎勤の'80年代」を加筆・改稿して2004年2月に[[講談社現代新書]]から出版後、2007年3月に[[朝日新聞社]]より文庫化された同名書籍を底本とし、[[書き下ろし]]を加えて新書化したもの。 |
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* 大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』星海社文庫 2016年4月(装画:[[吾妻ひでお]]) |
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** [[スタジオジブリ|スタジオジブリ出版部]]発行の広報誌『[[熱風 (スタジオジブリ)|熱風]]』2012年2月号から2014年6月号にかけて発表された同名連載を加筆修正のうえ新書化したもの。 |
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* [[稀見理都]]『エロマンガノゲンバ』[[三才ブックス]] 2016年12月 |
* [[稀見理都]]『エロマンガノゲンバ』[[三才ブックス]] 2016年12月 |
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* [[北田暁大]]+[[解体研]]『社会にとって趣味とは何か 文化社会学の方法規準』[[河出書房新社]]〈[[河出ブックス]]〉2017年3月 |
* [[北田暁大]]+[[解体研]]『社会にとって趣味とは何か 文化社会学の方法規準』[[河出書房新社]]〈[[河出ブックス]]〉2017年3月 |
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* [[宮本直毅 (ライター)|宮本直毅]]『エロゲー文化研究概論 増補改訂版』総合科学出版 2017年5月 |
* [[宮本直毅 (ライター)|宮本直毅]]『エロゲー文化研究概論 増補改訂版』総合科学出版 2017年5月 |
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*{{Cite journal|和書|author=[[稀見理都]]|title=補遺2『美少女コミック』と『エロマンガ』の違い|date=2017-11|publisher=[[太田出版]]|journal=[[エロマンガ表現史]]|pages=360 - 362|ref={{SfnRef|稀見|2017}}}} |
*{{Cite journal|和書|author=[[稀見理都]]|title=補遺2『美少女コミック』と『エロマンガ』の違い|date=2017-11|publisher=[[太田出版]]|journal=[[エロマンガ表現史]]|pages=360 - 362|ref={{SfnRef|稀見|2017}}}} |
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* 吾妻ひでお『陽射し -reissue-』復刊ドットコム 2017年11月{{Efn|[[奇想天外社]]版『陽射し』(1981年)を再構成した復刻愛蔵版。1979〜1984年頃にかけて吾妻ひでおが発表した美少女漫画群を「少女アリス篇」「コミケ篇」「一般誌篇」の三章に分けて収録<ref>[[奇想天外社]]版『陽射し』(1981年)に収録された「さまよえる魂」は諸般の事情により未収録となっている。</ref>。吾妻による「著者解題」は本書のための[[書き下ろし]]<ref>[http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/homepage2015/hizashi-reissue.html 陽射し -reissue-] - 吾妻ひでお作品のあらすじ2</ref>。}} |
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* 吾妻ひでお『陽射し -reissue-』復刊ドットコム 2017年11月 |
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** [[奇想天外社]]版『陽射し』(1981年)を再構成した復刻愛蔵版。1979〜1984年頃にかけて吾妻ひでおが発表した美少女漫画群を「少女アリス篇」「コミケ篇」「一般誌篇」の三章に分けて収録<ref>[[奇想天外社]]版『[[陽射し]]』(1981年)に収録された「さまよえる魂」は諸般の事情により未収録となっている。</ref>。吾妻による「著者解題」は本書のための[[書き下ろし]]<ref>[http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/homepage2015/hizashi-reissue.html 陽射し -reissue-] - 吾妻ひでお作品のあらすじ2</ref>。 |
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=== 雑誌 === |
=== 雑誌 === |
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* [[みのり書房]]『[[月刊OUT]]』1978年8月号「吾妻ひでおのメロウな世界」(担当者:[[川本耕次]]+[[米澤嘉博|米沢嘉博]])<ref>KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』 河出書房新社、2011年4月30日、16頁</ref> |
* [[みのり書房]]『[[月刊OUT]]』1978年8月号「吾妻ひでおのメロウな世界」(担当者:[[川本耕次]]+[[米澤嘉博|米沢嘉博]])<ref>KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』 河出書房新社、2011年4月30日、16頁</ref> |
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* [[アリス出版]]『グルーピー』1980年頃([[自販機本]]のため発行年月日記載なし) |
* [[アリス出版]]『グルーピー』1980年頃([[自販機本]]のため発行年月日記載なし){{Efn|[[米澤嘉博|米沢嘉博]]が企画した[[アリス (不思議の国のアリス)|アリス]]特集(掲載号不明)で『シベール』を商業誌初紹介。}} |
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** [[米澤嘉博|米沢嘉博]]が企画した[[アリス (不思議の国のアリス)|アリス]]特集(掲載号不明)で『シベール』を商業誌初紹介 |
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* みのり書房『月刊OUT』1980年12月号 |
* みのり書房『月刊OUT』1980年12月号 |
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** [[米澤嘉博|米沢嘉博]]「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータコンプレックス」 |
** [[米澤嘉博|米沢嘉博]]「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータコンプレックス」 |
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*{{Cite journal|和書|author=[[志水一夫|原丸太]]|title=ロリコン同人誌レビュー 幻の『シベール』伝説にはじまるロリコン同人誌の覚醒期を経て今日のブーム到来までをロリコン雑誌研究家・原丸太がドキュメント|pages=116 - 117|ref={{SfnRef|原|1982}}}} |
*{{Cite journal|和書|author=[[志水一夫|原丸太]]|title=ロリコン同人誌レビュー 幻の『シベール』伝説にはじまるロリコン同人誌の覚醒期を経て今日のブーム到来までをロリコン雑誌研究家・原丸太がドキュメント|pages=116 - 117|ref={{SfnRef|原|1982}}}} |
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* みのり書房『月刊OUT』1982年4月号 |
* みのり書房『月刊OUT』1982年4月号 |
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** 米沢嘉博「ロリコンブームに物もうす」 |
** 米沢嘉博「ロリコンブームに物もうす」{{Efn|[[二次元コンプレックス]]に警鐘を鳴らす記事。最下段にそれまでの流れも概説。}} |
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* 徳間書店『[[アニメージュ]]』1982年5月号 |
* 徳間書店『[[アニメージュ]]』1982年5月号 |
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** アニメージュ編集部「ここまで来た『ロリコン』ブーム。その最前線を追う!」 |
** アニメージュ編集部「ここまで来た『ロリコン』ブーム。その最前線を追う!」 |
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* [[潮出版社]]『[[潮 (雑誌)|潮]]』1982年9月号 |
* [[潮出版社]]『[[潮 (雑誌)|潮]]』1982年9月号 |
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** 岩田薫「[http://www.burikko.net/people/article01.html 大学生をおおうロリコン症候群]」 |
** 岩田薫「[http://www.burikko.net/people/article01.html 大学生をおおうロリコン症候群]」 |
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=== 論文 === |
=== 論文 === |
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* 木下信一『[http://www.hp-alice.com/lcj/ronbun/article2004.pdf 日本のサブカルチャーにおける《ルイス・キャロル=ロリータ・コンプレックス》像の定着史]』[http://www.hp-alice.com/lcj/subculture.html 日本ルイス・キャロル協会]編『Mischmasch』Vol.7, pp.74-95, 2004年。キャロル論だが、貴重なロリコン史概説をふくむ。 |
* 木下信一『[http://www.hp-alice.com/lcj/ronbun/article2004.pdf 日本のサブカルチャーにおける《ルイス・キャロル=ロリータ・コンプレックス》像の定着史]』[http://www.hp-alice.com/lcj/subculture.html 日本ルイス・キャロル協会]編『Mischmasch』Vol.7, pp.74-95, 2004年。{{Efn|キャロル論だが、貴重なロリコン史概説をふくむ。}} |
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{{Cite thesis|和書|author=一ノ瀬健太 |url=http://renaissanceman.jp/iccchiiiiii/clarissecrisis.pdf |format=PDF |title=クラリス・クライシス ─なぜ日本でロリコン文化が花開いたのか?─ |publisher=東京藝術大学 |degree=修士 |year=2015 |pages=1-113 |ref=harv}} |
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* Mark McLelland編『The End of Cool Japan―Ethical, Legal, and Cultural Challenges to Japanese Popular Culture』[[ラウトレッジ|Routledge]] 2016年8月 |
* Mark McLelland編『The End of Cool Japan―Ethical, Legal, and Cultural Challenges to Japanese Popular Culture』[[ラウトレッジ|Routledge]] 2016年8月 |
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** Patrick W. Galbraith「[https://www.academia.edu/28693090/The_Lolicon_Guy_Some_Observations_on_Researching_Unpopular_Topics_in_Japan “The Lolicon guy”―some observations on researching unpopular topics in Japan]」 |
** Patrick W. Galbraith「[https://www.academia.edu/28693090/The_Lolicon_Guy_Some_Observations_on_Researching_Unpopular_Topics_in_Japan “The Lolicon guy”―some observations on researching unpopular topics in Japan]」{{Efn|[[専修大学]]講師で[[文化人類学|文化人類学者]]のPatrick W. Galbraith([[パトリック・W・ガルブレイス]])による[[おたく]]文化論。[[日本]]における[[ロリコンブーム]]とその周辺の[[サブカルチャー]]が多角的に分析されている。}} |
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** [[専修大学]]講師で[[文化人類学|文化人類学者]]のPatrick W. Galbraith([[パトリック・W・ガルブレイス]])による[[おたく]]文化論。[[日本]]における[[ロリコンブーム]]とその周辺の[[サブカルチャー]]が多角的に分析されている。 |
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=== 同人誌 === |
=== 同人誌 === |
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* [[望月智充]]編『[http://www.burikko.net/people/anicom.html 別冊アニコム 少女愛好家のために]』早稲田大学アニメーション同好会 1981年10月 |
* [[望月智充]]編『[http://www.burikko.net/people/anicom.html 別冊アニコム 少女愛好家のために]』早稲田大学アニメーション同好会 1981年10月 |
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** 小俣誠+佐野邦彦「こうして私は同人誌した──吾妻ひでお・高橋葉介・高橋留美子・同人誌作品カタログ」 |
** 小俣誠+佐野邦彦「こうして私は同人誌した──吾妻ひでお・高橋葉介・高橋留美子・同人誌作品カタログ」 |
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* [[緑沢みゆき]]・[[孤ノ間和歩|このま和歩]]ほか『[https://ekizo.mandarake.co.jp/auction/item/itemInfoJa.html?index=347235 でんでんむすめ]』このま和歩FC 1982年11月 |
* [[緑沢みゆき]]・[[孤ノ間和歩|このま和歩]]ほか『[https://ekizo.mandarake.co.jp/auction/item/itemInfoJa.html?index=347235 でんでんむすめ]』このま和歩FC 1982年11月{{Efn|[[孤ノ間和歩]]の『シベール』時代の人気キャラなどを特集したファン同人誌。}} |
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* [[米澤英子]]ほか『米澤嘉博に花束を』[[虎馬書房]] 2007年8月 |
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** [[孤ノ間和歩]]の『シベール』時代の人気キャラなどを特集したファン同人誌 |
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* [[米澤英子]]ほか『[[米澤嘉博|米澤嘉博に花束を]]』[[虎馬書房]] 2007年8月 |
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* [https://web.archive.org/web/20081223173859/http://ameblo.jp/yeshouse/ Up-Beat Underground]『懐かしの同人誌:郷愁同人誌専門マガジン』VOLUME.1(70年代〜1985 収集記録)2008年5月 |
* [https://web.archive.org/web/20081223173859/http://ameblo.jp/yeshouse/ Up-Beat Underground]『懐かしの同人誌:郷愁同人誌専門マガジン』VOLUME.1(70年代〜1985 収集記録)2008年5月 |
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* みぐぞう『くりいむレモン毒本』華ディスコ 2017年11月 |
* みぐぞう『くりいむレモン毒本』華ディスコ 2017年11月 |
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* 漫画の手帖事務局『漫画の手帖』79号(2020年4月) |
* 漫画の手帖事務局『漫画の手帖』79号(2020年4月) |
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* 降間『[https://ci-en.dlsite.com/creator/1503/article/347831 ロリコンブームの後を追って]』暗黒拠点月 2020年8月初版 / 2021年6月増補改訂 |
* 降間『[https://ci-en.dlsite.com/creator/1503/article/347831 ロリコンブームの後を追って]』暗黒拠点月 2020年8月初版 / 2021年6月増補改訂{{Efn|『シベール』全号の各作品評ほか、当時の資料や[[ムック (出版)|ムック]]を手広く引用し、1980年代初頭までの[[ロリコンブーム]]を概観・整理・分析した一冊。}} |
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* [[白根こま]]『現代獣耳研究 VOL.1〜2』S猫出版部 2020年8月{{Efn|『シベール』における獣耳作品について詳述あり。}} |
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** 『シベール』全号の各作品評ほか、当時の資料や[[ムック (出版)|ムック]]を手広く引用し、1980年代初頭までの[[ロリコンブーム]]を概観・整理・分析した一冊。 |
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* [[白根こま]]『現代獣耳研究 VOL.1〜2』S猫出版部 2020年8月 |
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** 『シベール』における獣耳作品について詳述あり |
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=== WEBサイト === |
=== WEBサイト === |
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* {{ |
* {{Cite web|author=Matteo Watzky|date=2021-04-17|url=https://fullfrontal.moe/from-lolicon-to-moe-the-adventures-of-the-bishoujo/|title=ロリコンから萌えへ:美少女の冒険|publisher=[https://fullfrontal.moe/about-us/ Full Frontal]|accessdate=2021-06-20|language=en}} |
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* {{Wayback |url=http://www.geocities.jp/azicon1/1970_S.html|title=早坂未紀の世界「1970年代の資料」|date=20190330160544}} |
* {{Wayback |url=http://www.geocities.jp/azicon1/1970_S.html|title=早坂未紀の世界「1970年代の資料」|date=20190330160544}} |
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* {{Wayback |url=http://www.geocities.jp/azicon1/1980_S.html|title=早坂未紀の世界「1980年代の資料」|date=20190330160126}} |
* {{Wayback |url=http://www.geocities.jp/azicon1/1980_S.html|title=早坂未紀の世界「1980年代の資料」|date=20190330160126}} |
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* [https://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/pdf/2011azuma_p.pdf 吾妻ひでお美少女実験室 / 吾妻ひでおマニアックス] - [[明治大学博物館]] |
* [https://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/pdf/2011azuma_p.pdf 吾妻ひでお美少女実験室 / 吾妻ひでおマニアックス] - [[明治大学博物館]] |
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* [http://himeno.ouchi.to/cgi/a-news/data/2011/02/20.html トークイベント「『シベール』のころ」] - タマヒメβ版 2011年2月20日 |
* [http://himeno.ouchi.to/cgi/a-news/data/2011/02/20.html トークイベント「『シベール』のころ」] - タマヒメβ版 2011年2月20日 |
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* {{ |
* {{Cite web|和書|author=吉田正高|authorlink=吉田正高|date=2008-01-20|url=http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/29_1.html|title=コミケ73カタログ出張版「戦後コンテンツ文化の発展にみるコミックマーケットの意義―その1」|publisher=AIDE新聞([[共信印刷]]Web事業部)|accessdate=2020-06-20}} |
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* {{ |
* {{Cite web|和書|author=鳥山仁|authorlink=鳥山仁|date=2008-03-20|url=http://toriyamazine.blog100.fc2.com/blog-entry-133.html|title=児童ポルノQ&A(2)どうして、日本では実写よりも漫画・アニメ作品の影響力が強かったのでしょうか?|publisher=王様を欲しがったカエル|accessdate=2020-02-06 |url-status=dead |url-status-date=2024-10-04}} |
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* {{ |
* {{Cite web|和書|author=ばるぼら|authorlink=ばるぼら (ライター)|date=2008-10-19|url=http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/29_1.html|title=ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第30回 ロリコンにおける青山正明(1)|publisher=WEBスナイパー([[大洋図書]]Web事業部)|accessdate=2020-04-27}} |
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* {{ |
* {{Cite web|和書|author=ばるぼら|date=2008-10-26|url=http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/29_2.html|title=ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第30回 ロリコンにおける青山正明(2)|publisher=WEBスナイパー(大洋図書Web事業部)|accessdate=2020-01-25}} |
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* {{ |
* {{Cite web|和書|author=黒沢哲也|authorlink=黒沢哲也|date=2013-01|url=http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/29_1.html|title=手塚マンガあの日あの時 第26回:手塚萌えの異色作『プライムローズ』の時代!!|publisher=『虫ん坊』2013年1月号([[手塚プロダクション]]Web事業部)|accessdate=2021-05-24}} |
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* [https://soorce.hatenablog.com/entries/2006/11/10 1982年頃のロリコンブームについて、米沢嘉博と内山亜紀へのインタビュー] |
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* [http://www.toshonoie.net/shojo/05_list/yonezawa_works/yonezawa_list_minori.html 米沢嘉博の仕事:暫定版─少女漫画関係を中心に/版元別[雑誌掲載状況調べ]みのり書房] |
* [http://www.toshonoie.net/shojo/05_list/yonezawa_works/yonezawa_list_minori.html 米沢嘉博の仕事:暫定版─少女漫画関係を中心に/版元別[雑誌掲載状況調べ]みのり書房] |
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* {{ |
* {{Cite web|和書|author=永山薫|authorlink=永山薫|date=2010-08-21|url=http://sniper.jp/008sniper/00850event_report/80_1.html|title=80年代初期ロリコン漫画誌の時代−SFと美少女からエロ漫画への変遷を辿って|publisher=WEBスナイパー(大洋図書Web事業部)|accessdate=2019-10-14}} |
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* {{ |
* {{Cite web|和書|author=昼間たかし|authorlink=昼間たかし|date=2012-11-08|url=https://www.cyzo.com/2012/11/post_11850_entry.html|title=昼間たかしの100人にしかわからない本千冊 10冊目 ロリコンはやっぱり永遠にロリコンだった……のか?『改訂版 ロリコン大全集』|publisher=日刊サイゾー([[サイゾー]]Web事業部)|accessdate=2020-04-27}} |
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* {{Cite web|和書|author=木澤佐登志|authorlink=木澤佐登志|date=2013-10-26|url=https://toshinoukyouko.hatenablog.com/entry/2013/10/26/194330|title=世間では吾妻ひでおを所謂「オタクカルチャー」または「萌え」の始祖とする向きがあるようだが…|publisher=Mal d’archive|accessdate=2020-01-31}} |
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* {{ |
* {{Cite web|和書|author=たまごまご|authorlink=たまごまご|date=2015-01-16|url=https://news.livedoor.com/article/detail/9680513/|title=ロリコンの原点はルパン三世だった? 宮崎駿が考えるロリコンとは|publisher=[[エキサイト|エキサイトレビュー]]|accessdate=2020-02-10}} |
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* {{ |
* {{Cite web|和書|author=佐野邦彦|authorlink=漫画の手帖|date=2017-02-26|url=http://www.webvanda.com/2017/02/vanda37090.html|title=VANDA以前にマンガとアニメのミニコミ『漫画の手帖』を作り拡大していくヒストリー。休学しながら収集、転売で暮らした3年や、新進気鋭だったマンガ家達のエピソード、無名の宮崎駿が評価される過程など70~90年代の思い出です。|publisher=WebVANDA|accessdate=2020-04-27}} |
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* {{ |
* {{Cite web|和書|author=川本耕次|authorlink=川本耕次|date=2018-11-25|url=http://my.shadowcity.jp/2018/11/post-14348.html|title=怪しい編集者|publisher=ネットゲリラ|accessdate=2020-01-27 |url-status=dead |url-status-date=2024-10-04}} |
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* {{ |
* {{Cite web|和書|author=川本耕次|date=2019-10-21|url=http://my.shadowcity.jp/2019/10/post-16506.html|title=代表作はガス屋のガス公|publisher=ネットゲリラ|accessdate=2020-01-27}} |
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* [https://www.paradisearmy.com/doujin/pasok6s.htm 同人用語の基礎知識 / ロリコン誌について] - ぱらだいす☆あ〜み |
* [https://www.paradisearmy.com/doujin/pasok6s.htm 同人用語の基礎知識 / ロリコン誌について] - ぱらだいす☆あ〜み |
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* [http://adult.megaden.net/archives/55532959.html 1980年代のエロ漫画(成年誌)] - メガネの殿堂 |
* [http://adult.megaden.net/archives/55532959.html 1980年代のエロ漫画(成年誌)] - メガネの殿堂 |
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* [http://adult.megaden.net/archives/55553037.html 1980年代のエロ漫画(少年誌)] - メガネの殿堂 |
* [http://adult.megaden.net/archives/55553037.html 1980年代のエロ漫画(少年誌)] - メガネの殿堂 |
||
* [https://togetter.com/li/1468597 誰も語らなかった美少女漫画の黎明期―シベールと無気力プロの思い出(70年代末~80年代初頭)] - [[Togetter]] 2020年2月14日 |
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* [https://togetter.com/li/1480045 伝説のロリコン漫画家・内山亜紀先生のデビュー時期が曖昧な件について検証] - Togetter 2020年3月11日 |
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* [https://togetter.com/li/1491825 『ジ・アニメ』(近代映画社)'81年11月号の美少女キャラ特集へのつっこみ] - Togetter 2020年4月9日 |
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* [https://togetter.com/li/229780 1982年女性誌におけるロリコン記事〜男の子の憧れが「姉」から「妹」になったのはいつか]- Togetter 2011年12月19日 |
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* [https://togetter.com/li/1417590 モブ顔キャラに性的な意味で萌える話] - Togetter 2019年10月16日 |
|||
* [https://togetter.com/li/1503723 意外と知らない「コミケ45年の歴史」を振り返ろう―#エアコミケ Twitter企画 @comiketofficial] - Togetter 2020年5月5日 |
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* [https://togetter.com/li/1518629 おたくの語源―”非”大塚英志史観の『漫画ブリッコ』再検証] - Togetter 2020年5月20日 |
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* [https://togetter.com/li/1702314 1985年夏コミ「男性向け同人誌」の勃興期を語ろう(コミックマーケット28)] - Togetter 2021年4月21日 |
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* [http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/98mukiryoku.html 無気力プロのこと] - 吾妻ひでお作品のあらすじ |
* [http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/98mukiryoku.html 無気力プロのこと] - 吾妻ひでお作品のあらすじ |
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* [http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/97cybele.html 映画『シベールの日曜日』など] - 吾妻ひでお作品のあらすじ |
* [http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/97cybele.html 映画『シベールの日曜日』など] - 吾妻ひでお作品のあらすじ |
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* [http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/13jycdyt.html 少女アリス掲載の作品群] - 吾妻ひでお作品のあらすじ |
* [http://azumahideosakuhin3arasuji.web.fc2.com/13jycdyt.html 少女アリス掲載の作品群] - 吾妻ひでお作品のあらすじ |
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== 関連項目 == |
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* [[ルール34]] - [[匿名]][[画像掲示板]]「[[4chan]]」発祥の[[インターネット・ミーム]]。いわく「'''それが存在するなら、それのポルノがある。例外はない'''」というもの。これは[[コミックマーケット]]で頒布されている[[二次創作物]](ロリコン/[[面妖本]]・[[やおい]]/[[ボーイズラブ]])などに起源の一端を見ることができる。 |
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* 無気力プロダクション - [[吾妻ひでお]]主宰の漫画制作[[プロダクション]]。元来、吾妻ひでおは[[低血圧]]で「必要に迫られなければ何もせずゴロゴロしている無気力体質」だというのが名前の由来<ref>[[奇想天外社]]『[[奇想天外 (SF雑誌)|奇想天外]]』1981年5月臨時増刊号『吾妻ひでお大全集』288頁</ref>。 |
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* [[機動戦士ガンダム]] - 『シベール』創刊前日(1979年4月7日)に[[名古屋テレビ]]他で放送開始された[[テレビアニメ]]。[[沖由佳雄]]は「最初の号をコピーに持って行かなきゃというときに『ガンダム』の第1話が始まったのは覚えてますね」と回想している<ref name='comike30 242'/>。その後、折からのガンダムブームで『シベール』でもたびたび同作の[[パロディ]]が登場するようになる。また同誌から派生した[[蛭児神建]]の[[同人誌]]『幼女嗜好』や『シベール』臨時増刊号『[[#書誌情報|アニベール]]』の表紙にも[[キッカ・キタモト]]の[[ヌード]][[イラストレーション|イラスト]]が象徴的に描かれた。なお『ガンダム』の[[キャラクターデザイン]]および[[作画監督]]を務めた[[安彦良和]]は[[吾妻ひでお]]の[[ファン]]であり、文庫版『[[地を這う魚|地を這う魚 ひでおの青春日記]]』([[角川文庫]]・2011年)に「あとがき漫画」を寄稿しているほか、[[漫画雑誌]]『[[月刊COMICリュウ]]』([[徳間書店]])が主催する「[[龍神賞]]」の選考委員を、第1回から第13回まで吾妻と共に務めていた経験などがある。 |
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* [[美少女コミック]] - [[1980年代]]にロリコン漫画から派生した漫画の[[ジャンル]]。美少女コミック研究家の[[稀見理都]]は「時代と共に変化する不定系の言葉」と前置きをしたうえで「'''美少女キャラクターをストーリーの中心に据え、彼女たちの美しさ、愛らしさ、健気さ、たくましさ、などの活躍を描くマンガの総称'''」と定義している{{Sfn|稀見|2017|p=360}}。ちなみに「美少女コミック」という名称の名付け親は[[吾妻ひでお]]とされ、日本初の美少女コミック誌『[[レモンピープル]]』([[あまとりあ社]])1982年6月号から用いられるようになった。なお同誌は創刊当初「ロリコン・コミック」を自称していたが、この名称が気に入らなかった吾妻が「美少女コミック」と言う名称を提案し、採用されたと言われている{{Sfn|稀見|2017|p=361}}。 |
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* [[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]] - [[1975年]]〜[[1978年]]頃<ref>阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビュ-で読むおたく史』 P21</ref>に始まった[[コミックマーケット|コミケット]]周辺の[[同人誌]]ブーム、[[三流劇画ブーム]]、マニア誌ブーム([[ニューウェーブ (漫画)|マイナー漫画誌]]、[[漫画情報誌|まんが情報誌]]、[[アニメ雑誌]]、[[三流劇画誌]]、[[自販機本]]){{Sfn|米沢|1992|pp=124-125}}時に活躍した既成の枠に囚われない新しいスタイルの漫画家([[吾妻ひでお]]、[[いしかわじゅん]]、[[大友克洋]]、[[高野文子]]、[[ひさうちみちお]]、[[いしいひさいち]]、[[宮西計三]]、[[高橋葉介]]、[[さべあのま]]、[[柴門ふみ]]、[[近藤ようこ]]、[[高橋留美子]]、[[吉田秋生]]、[[森脇真末味]]、[[ますむらひろし]]、[[川崎ゆきお]]、[[諸星大二郎]]、[[蛭子能収]]ら)が一躍注目された非メジャー漫画界のオルタナティヴな潮流を指す。特にそれまで大手出版社の[[漫画雑誌]]で活動していた[[吾妻ひでお]]は1978年から三流SF少年誌『[[Peke]]』([[みのり書房]])や[[自販機本]]『[[劇画アリス]]』([[アリス出版]])などのマイナー誌にマニアックな不条理SF作品を次々と発表するようになり、SF専門誌『[[奇想天外 (SF雑誌) #第2期|別冊奇想天外・SFマンガ大全集PART2]]』([[奇想天外社]])に発表した『[[不条理日記]]』が第10回(1979年)[[星雲賞]]コミック部門を受賞、ニューウェーブ作家としての地位を確立することになる<ref>[[ササキバラ・ゴウ]]『〈美少女〉の現代史―「萌え」とキャラクター』講談社〈講談社現代新書〉2004年5月 pp.29-31</ref>。 |
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* [[翔べ翔べドンキー]] - 1979年に『[[月刊プリンセス]]』([[秋田書店]])で連載された[[吾妻ひでお]]の[[少女漫画]]。連載開始翌月に『シベール』が創刊されている。吾妻によれば本作は「男性向けに描いた[[少女漫画]]」とのこと<ref>[[吾妻ひでお]]『[[翔べ翔べドンキー]]』([[秋田書店]] 1980年)作者コメントより。</ref>。 |
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* [[川本耕次]] - [[吾妻ひでお]]の担当編集者。[[三流劇画ブーム]]・[[ロリコンブーム]]の仕掛け人といわれる<ref name="kawamoto112"/><ref name="fus zadankai"/>。[[コミックマーケット]]の創設母体となった「[[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]」に学生時代から出入りし、[[米澤嘉博|米沢嘉博]]や[[青葉伊賀丸]]と共に[[三流劇画ブーム]]を牽引する<ref>[[米澤嘉博|米沢嘉博]]『戦後エロマンガ史』青林工藝舎 2010年4月 221-223頁</ref>。その後、大学在学中に入社した[[みのり書房]]で『[[月刊OUT]]』1978年8月号の特集「吾妻ひでおのメロウな世界」を担当し、先駆的な[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ漫画誌]]『[[Peke]]』を創刊する。同誌では吾妻の『[[ななこSOS#概要|どーでもいんなーすぺーす]]』([[奇想天外社|奇想天外コミックス]]『パラレル狂室』ほか収録)を担当したほか<ref name="netgerila20181125"/>、[[内山亜紀]]と[[さべあのま]]をデビューさせ<ref name="fus zadankai"/>、大学時代からの知人であった[[日野日出志]]を復活させる<ref>川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 37頁</ref>。同誌廃刊後は[[アリス出版]]に移籍してロリコンブームの火付け役となった[[自販機本]]『少女アリス』の2代目[[編集長]]に就任し、同誌で吾妻に美少女漫画を初依頼して「'''純文学シリーズ'''」(1980年)を描かせた<ref name="kawamoto112"/>。後に吾妻は『[[失踪日記]]』で「私の転機ともいえる作品を描く時に現れる幸運を運ぶ人」と川本について語っている<ref>[[吾妻ひでお]]『[[失踪日記]]』[[イースト・プレス]] 2005年3月 142頁</ref>。主な著書に『ポルノ雑誌の昭和史』([[ちくま新書]])ほか多数。 |
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* [[お色気漫画]] - 1970〜80年代に流行した軽度の性的描写を含む[[少年漫画]]・[[青年漫画]]のこと([[エロ劇画誌|エロ劇画]]は含まない)。[[永井豪]]の『[[ハレンチ学園]]』を端緒とする。1970年代の代表作品に『[[あばしり一家]]』『[[やけっぱちのマリア]]』『[[モーレツ先生]]』『[[あらし!三匹]]』『[[ふたりと5人]]』『[[やけくそ天使]]』『[[ドッキリ仮面]]』『[[女だらけ]]』『[[スケ番あらし]]』『[[快感ぱあマント]]』『[[おじゃまユーレイくん]]』などがある。 |
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== 脚注 == |
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== 外部リンク == |
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* [http://www.burikko.net/another.html 漫画ブリッコとその周辺] - 漫画ブリッコの世界 |
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* [http://outsite.cool.coocan.jp/ OUTSITE] - [[みのり書房]]刊『[[月刊OUT]]』全目録とその関連誌 |
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* {{Wayback |url=http://www.alice-novell.cc/alice/index2.html|title=昭和レトロ・懐かしポルノ館|date=20150325132237}} |
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** 元[[アリス出版]]の[[川本耕次]]による[[アーカイブ]][[ウェブサイト|サイト]](ネットゲリラで連載された「[https://web.archive.org/web/20111124021913/http://shadow-city.blogzine.jp/net/cat11088210/index.html 昭和ポルノ史]」も参照) |
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* {{Wayback |url=http://www2.alice-novell.cc/pict/b5/syojoalc.html|title=初期ビニ本・自販機本プライベート・コレクション - 少女アリスの伝説/全25冊紹介|date=20110824214928}} |
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* [https://www.doujinshi.org/browse/author/43292/Hirukogami-Ken/ Hirukogami Ken / 蛭児神建] - [https://www.doujinshi.org/index.php The Doujinshi & Manga Lexicon](同人誌のデータベース) |
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* [https://www.doujinshi.org/browse/circle/159697/Cybele-Henshuubu/ Cybele Henshuubu / シーベル編集部] - The Doujinshi & Manga Lexicon(同人誌のデータベース) |
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* [https://www.oya-bunko.or.jp/magazine/introduction/tabid/709/Default.aspx 吾妻ひでお] - [[大宅壮一文庫]] |
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シベール | |
---|---|
Cybele | |
『シベール』外観 何ひとつ表記のない黒一色の装幀が特徴的 | |
愛称・略称 | シベ・黒本・黒シベ |
ジャンル |
男性向創作系 ロリコン漫画 アニパロ漫画 近親相姦 百合・レズ 獣耳・ケモノ SF・不条理ギャグ ジュブナイルポルノ 二次元コンプレックス |
読者対象 | 青年・おたく |
刊行頻度 | 季刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
定価 | 300円(Vol.5以降400円) |
出版社 | 無気力プロ |
編集部名 |
シベール編集部 →グループ・シベール |
発行人 | 吾妻ひでお |
編集長 | 沖由佳雄 |
制作協力 | 蛭児神建=アリスマニア集団・キャロルハウス出版部 |
刊行期間 | 1979年4月8日 - 1981年4月5日 |
特記事項 | 成人向につき18歳未満閲覧禁止(コミックマーケットで頒布された男性向けエロ同人誌の記念すべき第1号) |
『シベール』は、吾妻ひでおの漫画制作プロダクションである無気力プロダクション[注釈 1]のシベール編集部が、コミックマーケット(コミケ)11〜17で販売していた日本初のロリコン漫画同人誌。
1979年4月に創刊され、1981年4月の第7号で終刊した。誌名は吾妻ひでおの命名で、当時たまたまNHKでやってた映画『シベールの日曜日』に由来する[2]。黒一色の表紙で、紙袋やビニール袋に入れられて[3][4]人目を忍ぶように販売されていたため「謎の黒本」とも称された[2][注釈 2]。なお『シベール』はコミケで行列が出来た最初の同人サークルといわれる[6][2]。
同誌は男性向けエロ同人誌の草分けかつ立役者的役割の同人サークルで、コミケ黎明期におけるロリコンブームの起点となったことで名が知られる。また、同誌の潮流は『レモンピープル』『漫画ブリッコ』を始めとする美少女コミック誌の成立に多大な影響を与え、その後の美少女アニメや美少女ゲームの発展にもつながった。現在では資料的価値も指摘されているが[7]、同人誌というメディアの性質上、国立国会図書館など公共機関での所蔵は皆無に等しく[注釈 3]、全体を目にすることは極めて困難となっている。
主な執筆者はシベール編集部の吾妻ひでお、沖由佳雄、蛭児神建、仁科蒼一、孤ノ間和歩、計奈恵、豊島ゆーさく、三鷹公一、早坂未紀、森野うさぎ、川猫めぐみ、海猫かもめ等で、全員別名義で描いている[8][9]。主力作家は、漫画やアニメの愛好家が出入りしていた江古田の喫茶店・まんが画廊に置かれていた「らくがき帳」[注釈 4]に常連客が残した落書きをみて、吾妻のアシスタントであった沖由佳雄がスカウトした[11][9]。
歴史
[編集]シベール創刊までの経緯
[編集]吾妻によると本誌は「コミケからやおいを駆逐する」目的で創刊したとのことで、これは同誌のスローガンにもなった[3]。コミックマーケット準備会の資料などによれば、最初期のコミケットに訪れる参加者の9割以上が女性、花の24年組を筆頭とする少女漫画ファンを中心とした女子中高生や漫画誌『COM』の流れを汲む漫画研究会の大学生などであり[注釈 5][13][14][15][16][17][18]、流行していたのも『ポーの一族』の下ネタパロディ『ポルの一族』[注釈 6][15][19][20]をはじめとする「やおい」もの[注釈 7]や、『宇宙戦艦ヤマト』ないしサンライズ作品などに登場する美形悪役キャラの同性愛を扱ったものばかりであったことから[3][16][18][22]、ロリコン漫画の出現とは「やおい」が席巻するコミケという場へ向けた、男性側からの一種のカウンターカルチャーであったのだという[23]。
蛭児神建は『シベール』に先駆けて日本初のロリコン同人誌『愛栗鼠』を1978年12月17日の「コミックマーケット10」で発表していた。蛭児神は「やおいがあったからこそ『シベール』ができたということもあるわけです」「ロリコン同人誌を作ること自体、勇気が要ることだったんですよ。やおいがなければ、それをやる勇気はなかったかもしれません。やはり、いくら迫害されてもしようがないという意識があったわけです」と後年回想しており[24]、森川嘉一郎はコミケにおける「やおい」の隆盛について、「それに対する対抗意識と同時に、アニメの、もしくはアニメ調の絵柄のエロパロが許容される場をそこに形成し、 ロリコンマンガの発表を促していたのである。その意味では、やおいはロリコン同人誌の母だったとさえいえるかもしれない」と評している[25]。
また当時の一般的な男性向けエロ漫画はリアルタッチの三流劇画がほとんどで、『シベール』をはじめとするロリコン漫画の出現は「手塚治虫や石ノ森章太郎のような丸っこい記号的な絵柄でもセックスが描ける」という「かわいいエロ」[26]ないし「エロかわいい」という現代の日本的美意識の発見と革命をもたらしたとされる。実際、吾妻と沖によれば同誌を創刊した背景には当時の三流劇画ブームに対する強固な反発心が根底にあったという[27][28][29]。
蛭児神建は、まんが画廊で沖由佳雄にスカウトされた時のエピソードを次のように記している。
初対面の沖由佳雄氏に手渡された本を見て、私の全身の血液は一瞬で頭に昇った。それは二つ折りのコピー紙をホッチキスでとめた、ほんの数ページの品である。しかしその内容は、彼の可愛い絵の少女が靴下だけの全裸になり、ワレメがくっきりと描かれた、当時としては衝撃的なものであった。私は頭がクラクラした。アニメ的美少女をエロの対象とする、その偉大なる先駆けは沖由佳雄氏である。全く、世界観が引っ繰り返るような思いをした。〔……〕ともかく漫画画廊が存在しなければ、蛭児神建も『シベール』も無く、後のロリコン同人誌ブームも起こらなかったかもしれない。あんな小さな店に、あれだけの偉大な才能が集結したのは神秘というか、神の悪戯とさえ感じる。西洋の芸術史などを調べていると、複数の天才が同じ時代に誕生して寄り集い花開くという、神の意志としか思えない瞬間が幾度も起こるが、その小規模な形を私は目にしたのだ。 — 蛭児神建(元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』の中「吾妻ひでおとの出会い」角川書店 2005年11月 pp.46-52
『シベール』創刊
[編集]『シベール』創刊号は1979年4月8日に開催されたコミックマーケット11[注釈 8]で頒布された[30]。何も印刷されていない黒色のラシャ紙の表紙のB5判26ページのコピー誌で、執筆者は吾妻ひでお、沖由佳雄、蛭児神建および蛭児神の紹介で加わった仁科蒼一の4名である[31]。隣り合うスペースでは蛭児神による『愛栗鼠』の臨時増刊号『ロリータ』[注釈 9]も頒布された[30]。
吾妻と沖はコミックマーケット11の実質的な主催者であった「迷宮'79」の米沢嘉博(のちにコミックマーケット準備会2代目代表)と事前に打ち合わせを行っており、吾妻は「無理言ってコミケに潜り込ませてもらいました」と後年述懐している[32]。また蛭児神によれば両誌は袋に入れて糊付けし、とじ目に赤くマル秘の印を押して売っていたとのことで「世間の冷たい視線の痛さが何故か快感で、マゾヒスティックな喜びに震えていた。売り手と買い手の共犯意識による友情に私の体は火照っていた」と当時の心境を振り返っている[3][注釈 10]。
実際、当時はメジャー少年誌・少女誌で活動しているプロの現役漫画家が、成人向け同人誌に作品を執筆するということはタブーに等しかった。吾妻ファンでヒルダコン[注釈 11][34]の少女漫画家・和田慎二を『シベール』に同人として勧誘する案もあったものの「それはやっぱしアカンじゃないかい」という吾妻の一声で取りやめになったという。これについて蛭児神は「やはり吾妻先生としては、メジャー作家を巻き込むのは不味いと思われたのだろう」と語っている[35]。
2号目からは孤ノ間和歩、計奈恵、豊島ゆーさくが参加する(沖がまんが画廊の「らくがき帳」を通じて孤ノ間に接触し[11]、計奈は孤ノ間の弟子をしていた)。計奈によれば「真っ黒い本で殆ど手に取ってもらえなかった」と証言しており、グループ客も「こんな本売っていいのか」と立ち読みで騒ぐだけで、そのまま買わずに通りすぎて行ったというが、中の一人が後でこっそり買いに戻ってくることもあったと回想している[36][37][38]。
こうしたエロ本を買う時にありがちな気恥ずかしい状況[38]が急変するのは吾妻がコミケに行かなくなった[39]3号目(1979年冬のC13)からで、この日は開場前から人だかりが出来ており、当時のコミケには開場前行列という概念が存在しなかったため、不審に思った会場スタッフが参列者に同誌の購入希望者かどうか尋ねると、ほとんどの人が満面の笑みで一斉に挙手したという[37][40]。
シベール同人について
[編集]- 漫画家。1950年に北海道浦幌町で生まれる。1968年に上京後、工員などの職を経て板井れんたろうのアシスタントを務める。1969年に『まんが王』(秋田書店)12月号付録に発表した『リングサイド・クレイジー』でデビュー。その後、1972年から『週刊少年チャンピオン』に連載した『ふたりと5人』で人気作家となる。1970年代は『二日酔いダンディー』『エイト・ビート』『きまぐれ悟空』『やけくそ天使』『チョッキン』『おしゃべりラブ』『ちびママちゃん』『翔べ翔べドンキー』『やどりぎくん』『スクラップ学園』(すべて秋田書店)などのナンセンスギャグ浸画で人気を得る一方、1978年の『不条理日記』を皮切りに発表した一連の作品がSFファン・漫画マニアに熱狂的に受け入れられ、そのマニアックなSFパロディと革新的なギャグセンスから今日の不条理漫画の先駆けになる。また1978年にニューウェーブ漫画誌『Peke』(みのり書房)で連載した『どーでもいんなーすぺーす』によって1980年代に「ロリコンまんが」と呼ばれることになるSFと美少女を中心とした先鋭的な作風をいち早く確立する。1979年4月から日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』(無気力プロ)を自費出版。さらに並行してアリス出版の自販機本『少女アリス』(川本耕次編集)に『陽差し』『海から来た機械』など「純文学シリーズ」と呼ばれる作品群を発表し、一連の作品で性的表現の中に手塚治虫を系譜とする戦後漫画の正統的な絵柄と少女漫画の内面世界を持ち込んだ[41]ことから今日の「美少女」「萌え」につながる「おたく」的表現に決定的な影響を与えた。その後も『ななこSOS』『おちゃめ神物語コロコロポロン』などの人気作品(2作品ともテレビアニメ化された)を精力的に発表するも、創作に行き詰まり、1989年11月と1992年4月に突如失踪、1998年12月にはアルコール依存症で入院する。その経緯を描いた自伝『失踪日記』(2005年)はロングセラーとなり、第34回日本漫画家協会賞大賞、第10回手塚治虫文化賞大賞、第9回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞したほか、2019年10月にはイタリアのグラン・グイニージ賞のRiscoperta di un’opera(再発見された作品)部門を受賞する。2019年10月13日没。
- 吾妻ひでおのアシスタント。『シベール』創刊編集長兼スカウト係[9]。同人サークル「グループ601」主宰。吾妻の漫画『オリンポスのポロン』に登場するエロースや『ななこSOS』に登場するDr.チャバネのモデル。『アニメック』で商業誌デビュー後、蛭児神建編集のモンド系ロリコン漫画雑誌『プチパンドラ』などにも執筆した[42]。
- 作家・編集者・僧侶。ロリコンの神様と呼ばれた伝説的人物。東京都生まれ。1978年に日本初のロリコン文芸誌『愛栗鼠』を創刊。その後『シベール』創刊参画を経て、過激派ロリコン同人誌『幼女嗜好』『SMロリータ』(変質社)をコミケットで発表。1980年代に巻き起こったロリコンブームの立役者・教祖的存在となる。また当時のコミケットには髪を腰まで伸ばし、ハンチング帽にサングラス、トレンチコートにマスク、プティアンジェ人形を逆さまにぶらさげた変質者スタイルで出没[46]していたことから吾妻ひでおの漫画『ななこSOS』『スクラップ学園』やアダルトゲーム『ALICE』などに登場する変質者のモデルにもなった。1982年には商業誌初のロリコン漫画雑誌『レモンピープル』でプロデビュー。1984年から雑誌『プチパンドラ』(一水社)の編集長に就任するが、1987年に引退・絶筆する。後に出家。その経緯に関しては2005年に上梓された自伝『出家日記―ある「おたく」の生涯』(角川書店)に詳しい。
- 仁科蒼一(にしな そういち)
- パロディ漫画家。蛭児神建が初参画した漫画評論サークル「ユニオン・エカルテ」主宰者。吾妻ひでおの漫画に登場するモブキャラクターのモデルのひとり。みのり書房発行の『月刊OUT』『ランデブーコミック』でも活躍した。後に蛭児神の仲介で『シベール』創刊に参加する[3]。
- 漫画家。孤ノ間和歩の弟子。くりいむレモンシリーズ『SF・超次元伝説ラル』『STAR TRAP』キャラクターデザインを孤ノ間和歩と共に担当。『アニメック』でプロデビュー後『漫画ブリッコ』を経て『月刊少年ガンガン』など少年誌にも執筆するかたわら「和猫」名義で成人向け漫画も執筆した。吾妻ひでおの漫画『ななこSOS』に登場する国際セル密売組織の男のモデル。
- 豊島ゆーさく(とよしま ゆーさく/豊島U作)
- 漫画家。東京都生まれ。中村プロダクション出身の元アニメーター[48]。I.N.U.(いぬねこうさぎざえもん)名義にて同人誌で活躍。ケモナーの先駆者で『シベール』時代からケモノを描き続けてきたケモロリおたくの最古参[49]。大塚英志編集のアンソロジーコミック『美少女まんがベスト集成3 プチアップル・パイ』(徳間書店/1983年6月)に発表した『きゃっとがーる』でデビュー。1986年に初単行本『硝霊島』(白夜書房)を上梓。1992年からは同人誌『獣姦王』を創刊し『キャッ党忍伝てやんでえ』や『RPG伝説ヘポイ』のミーヤ・ミーヤなどメスケモを題材にした成人向け漫画をあさりよしとおらと共に次々と発表していた[注釈 12]。なお『シベール』の頃「抜けシベ」を考えていた児童漫画志望[50]の計奈恵に「まんが画廊でロリコンと呼ばれ、今ここ(無気力プロ)を抜けるお前に行く所があるのか?」と釘を刺して退路を断たせ[27][51]、三流劇画誌『漫画大快楽』(檸檬社刊)に谷口敬の起用を投書で推薦するなど[52]、当時のロリコン文化にも少なからず影響を残している。代表作に『下品な魔法使いケツメドアナル』など。
- 三鷹公一(みたか こういち)
- 兵庫県出身。岡山大学卒業。望月三起也、吾妻ひでお、みやたけしの元アシスタント。小学館の学年別学習雑誌やコロコロコミックなど小学生向けの漫画雑誌でも執筆。また、吾妻ひでお原作のテレビアニメ『ななこSOS』の絵本は三鷹が作画を担当している。
- 富山県出身。和田慎二、吾妻ひでお、村上もとかの元アシスタント[9]。同人サークル「トラブルメーカー」所属。1980年に同人誌『フリス』を自費出版。その後、大塚英志が編集していた漫画雑誌『リュウ』『プチアップルパイ』『漫画ブリッコ』などにも執筆し、かがみあきらやあさりよしとおらとともに1980年代前半を代表する美少女SF漫画家として知られた。しかし現在は消息を絶っている模様である[53][54]。
- 漫画家・イラストレーター・キャラクターデザイナー・同人作家。現在の萌え属性につながる「ぷにロリ」の元祖的存在[55]。あさりよしとおやふじたゆきひさらが参画した同人サークル「スタジオ・アオーク」主宰[56]。同人サークル「うさぎ幼稚園」主宰[注釈 13]。クリエイター集団「いちごはうす」メンバー。コミケ参加当初は同人誌経験もない高校生だったが[57]、まんが画廊でスカウトされる形で『シベール』に参加する[58]。
- 漫画家・愛猫家・同人作家・路上詩人[9]。神奈川県横浜市出身[59]。女性。1973年にトキワ松学園女子短期大学卒業後[59]、1974年に『蒼い馬I』(北冬書房)に「花帽子―宵の秋」発表。その後、北冬書房の『夜行』などに四畳半フォーク調で幽玄的雰囲気を漂わせた叙情派作品を発表していた。1976年には『週刊漫画ジョー』(廣済堂出版)に「半夏生」を発表し、一般誌デビュー。1979年には『月刊セブンティーン』(集英社)に掲載した「知らない明日へ」で第1回新人グランプリ努力賞を受賞した。1980年に初単行本『どこか遠い虹の国』(集英社セブンティーンコミックス)上梓。以後フリーとなり、川本耕次監修の美少女専門誌『ロリコンHOUSE』(三和出版)や『シベール』の後継同人誌『アスケロン』(ぐるーぷティンカーベル)のレギュラー作家となる[60][61]。この頃からデフォルメ系少女漫画調のスタイルを確立し、ファンシーかつエロティックな世界観で知られた。主な漫画作品集に『川猫めぐみ没作品集―星野原紙芝居』(虎馬書房・1983年)や『しましまBOOKS』(けいせい出版・1986年)がある。2008年に公式ホームページ[注釈 14]を開設。並行して雑貨販売や音楽活動を行うなど、現在も精力的に創作活動を行っている。
- 海猫かもめ(うみねこ かもめ)
※上記人物のうち、吾妻、沖、蛭児神、仁科、計奈、孤ノ間、豊島、森野、早坂、川本は、吾妻の漫画にサブキャラクターとしてたびたび登場する。
自動販売機雑誌『少女アリス』に「純文学シリーズ」連載開始
[編集]1979年冬には業界最大手の自販機本専門出版社・アリス出版の看板雑誌『少女アリス』の川本耕次編集長(三流劇画ブーム・ロリコンブームの仕掛け人)[注釈 15][63][64][65]から吾妻のもとに「ロリコン(美少女)ものを描いてください。純文学みたいなやつ」という依頼があり[66][67]、商業誌初のロリコン漫画「純文学シリーズ」を1980年1月頃から1980年9月[68]まで連載する。
メジャー少年誌・少女誌で活動するプロの漫画家が、同人誌のみならず「最底辺のエロメディア」[69]と呼ばれた自販機本に成人向け漫画を発表することは当時としても前代未聞のことであった。このような経緯から吾妻ひでおは商業誌・同人誌ともにロリコン漫画の開拓者とみなされている。
シベールの終刊
[編集]ほどなく巷では吾妻の新作を求めて『少女アリス』(アリス出版)が売られている自動販売機を捜し歩くマニアが続出し[70][71][72][73]、同じく『シベール』も列整理が必要となる最大手の壁サークルに急成長する[74]。アニメ雑誌『月刊OUT』(みのり書房)1980年12月号に掲載された「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータ・コンプレックス」という記事ではコミックマーケット準備会代表の米沢嘉博が「コミケットなぞで見かけたら買っておくこと。汚染度90%である」と同誌を取り上げ、その名をアニメファンに広く知らしめるきっかけとなった[71][75]。
しかしブームの折りから次第に吾妻をはじめとする参加者の本職が忙しくなり[36]、それに加えて同誌に追随する複数のロリコンファンジンも現れ始めたことから「やるべきことはやった」という確信のもと[76]、コミックマーケット17(1981年4月5日)で頒布された7号目を最後に本誌は終刊宣言する。なお終刊号の行列は発売前から100人前後にまで達し[77]、この中にはデビュー前の「森山塔」こと山本直樹も並んでいたという逸話がある[78]。
コミケットのみならず一般にもロリコンブームを巻き起こした同誌の存在は終刊後すぐに伝説化した[77][79]。まず志水一夫(原丸太)が「終刊半年足らずにして伝説的存在に」と『ふゅーじょんぷろだくと』1981年10月号のロリコン特集「ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」やアニメージュ増刊『アップル・パイ 美少女まんが大全集』(1982年3月)の寄稿記事などで同誌を紹介した[80][81][82]。続いて米沢嘉博(阿島俊)が『レモンピープル』創刊号(1982年2月号)から連載を開始した「同人誌エトセトラ[注釈 16]」第1回で「今や神話となった幻のシベール」と同誌を紹介する[4]。吾妻は「米沢さんが評論をいっぱい書いてくれたので私は漫画史に名前が残ります」と感謝の弁を述べていた[32]。
『シベール』神話に関して同人の計奈恵は、新宿Naked Loftのトークイベント「プレイバック’80年代〜あの頃の美少女漫画の話をしよう」(2016年10月30日)出席時、同席者から『ミャアちゃん官能写真集』(吾妻ひでおが1981年夏のC18で頒布した伝説的同人誌)の話が出た時、当時からすでに「伝説のシベール」と扱われるような状況だったと述べており、「美少女漫画の黎明期を語る」という趣旨のイベントだったにも関わらず、最古参の計奈は同席者との会話に全く付いて行けなかったと苦笑する[83]。さらに計奈は吾妻ひでおファン葬(2019年11月30日)参加時も「知ってる人がいなかった」と語っており、同人の孤ノ間和歩ともども「確かに吾妻先生と美少女同人誌の歴史に居たけど、私ら〔シベールメンバー〕ってミッシングリンクだよね」と述懐している[84]。また大塚英志も「結局、あの後『シベール』の人たちよりもう一つ下の世代が次々出てきて、そっちの連中の方がもっとエロとしては過激なものを描いてたんで、わりと『シベール』の人たちはそういう世代の狭間にはまっちゃったみたいなところがあった」「吾妻ひでおの許に集まった創世記のロリコン/美少女まんがの描き手たちは、その後にやってきた世代に呑み込まれる形でフェードアウトしていかざるを得なかったが、たいてい新しいジャンルやスタイルのおいしいところは二世代ぐらい後にやってきた一群が全てさらっていくものだ」と語っており、黎明期のロリコン漫画家たちがミッシングリンク化している状況を認めている[85][86]。
シベール・メンバーのその後
[編集]吾妻ひでおが定型化したロリコン漫画の形式は、その周辺にいた同人作家たちに継承され拡散していった[87]。吾妻は1979年4月から1981年8月までの約2年間の活動で同人誌や自販機本といったアンダーグラウンドなインディーズメディアを通して以降の漫画状況をメジャー・マイナーを問わず決定的に変え、それを1980年代以後のおたく文化に繋いだ。
蛭児神建は1980年から自身が主宰する「変質社」に移り、過激派ロリコン文芸誌『幼女嗜好』を発行。ロリコン界の教祖的存在としてコミケに君臨する[46][88]。それ以外のメンバーは「グループ601」「ぐるーぷティンカーベル」「STUDIO BAKI」に分かれ、本誌終刊後も活動を継続した[61]。
「グループ601」は『シベール』元編集長の沖由佳雄が主宰する同人サークルであり、1981年12月に創刊された後継同人誌『エピカル』には『シベール』出身メンバー(計奈恵、孤ノ間和歩、三鷹公一、豊島ゆーさく、仁科倉一)も多数参加していた。しかし、その後は離合集散を繰り返し、やがて見解の相違などから一部の初期メンバーが分派・独立した結果、シベール時代の痕跡は跡形も無くなった[85][89][90]。
一方「ぐるーぷティンカーベル」は、ファンタジー路線を基調にした創作系同人誌『アスケロン』や批評誌『アーケロン』を定期刊行し、沖由佳雄、豊島ゆーさく、計奈恵、森野うさぎ、川猫めぐみ、よしき志信、毛羽毛現、さえぐさじゅんらが原稿を寄稿した[61][91]。
森野うさぎ主宰の「STUDIO BAKI」は、後に壁サークルとなるクリエイティブ集団「スタジオ・アオーク」[56]に発展し、自主制作アニメ『AWAKE』[注釈 17]の製作を主軸にその資金稼ぎ[58][61]として同人誌以外に『漫画ブリッコ』誌上でメディアミックスも展開し、第2次ロリコン商業誌ブームの嚆矢となる[92]。
書誌情報
[編集]号数 | 発行日 | 判型 | 印刷形態 | 頁数 | 定価 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
創刊号 (Vol.1) | 1979年4月8日 | B5 | コピー | 26ページ | 300円 | 1979年6月15日に第2版刊行。最終項の編集後記、本文2か所に差異あり |
Vol.2 | 1979年7月27日 | B5 | コピー | 46ページ | 400円 | 1980年8月にVol.1の一部を合わせたオフセット第2版刊行。 |
Vol.3 | 1979年12月 | B5 | オフセット | 54ページ | 300円 | この号より完全オフセット化 |
Vol.4 | 1980年5月 | B5 | オフセット | 46ページ | 300円 | 劇画調に描かれた掲載作品がメンバー間で議論となる[93][94] |
Vol.5 | 1980年9月 | B5 | オフセット | 80ページ | 400円 | 掲載のアニパロ漫画が好評。この号からアニパロが増えたとのこと |
Vol.6 | 1980年12月 | B5 | オフセット | 82ページ | 400円 | 「メンバー間の意見の相違が作品中に」[95]表出 |
Vol.7 (終刊) | 1981年4月 | B5 | オフセット | 108ページ | 400円 | 「終刊それ自体をテーマとした作品」[95]多数 |
- この他にも『プチ・シベール』(1981年4月発行の補遺・番外編)[96],『アニベール』(1981年4月発行のアニパロ系コピー誌)[97],『ホワイトシベール Vol.10』(1981年12月発行のB6判フォトブック),Vol.0(吾妻・沖の2名で1978年秋に作成した限定50部のコピー誌)[27]がある。
掲載情報
[編集]すべて無気力プロダクション刊
- ALICE(1977年〜1978年頃)
- 無気力プロが吾妻ひでおの愛読者に向けて無料で郵送していた『シベール』の前身誌に相当するコピー新聞[98][99]。主筆は吾妻とチーフアシスタントの沖由佳雄とみぞろぎ孝[98]。なお沖は紙上で「アリス狂い、ロリータ・コンプレックス、戦記マニア」(吾妻いわく「軍事おたくでアニメおたく。おたくのかたまりのような奴」とのこと[100])を自称していたが、当時は「ロリコン」「アリコン」という概念が一般に普及しておらず、読者からは谷村新司のフォーク・グループ「アリス」に沖が熱中しているのかと勘違いされたという逸話がある[11]。
- 同紙の詳細については『シベール』創刊直前の1979年春頃まで無気力プロに出入りしていた吾妻ひでおファンのh-aokiが運営するウェブサイト「吾妻ひでお作品のあらすじ[101]」内「無気力プロのこと[102]」の項を参照されたい[98]。ちなみに吾妻が同紙に掲載した漫画作品やカットイラストなどは2016年3月に復刊ドットコムから出版された単行本『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2』に初収録されている[103]。
などという作品をだれか描いて下さい。あなたのアイドルをあなたの歯牙に!! ピピを! まゆを! 龍子を! ヒルダを! あなたの手で!!
- シベール発行に際して(沖由佳雄)
- Vol.1(1979年4月8日発行/コミックマーケット11)扉絵:沖由佳雄
- Vol.2(1979年7月27日発行/コミックマーケット12)扉絵:孤ノ間和歩
- Vol.3(1979年12月発行/コミックマーケット13)扉絵:孤ノ間和歩
-
- 羅留下有介(沖由佳雄)「野良神様」
- 魔化留奈ルナ(計奈恵)「ライヴ」
- 怨訃居士「BLOODY.MARY」
- T.ルナ「もぎたて新聞」
- あ〜さ〜・ゆ〜ばん(孤ノ間和歩)「だれもしランドファンタジー」
- いぬねこうさぎざえもん(豊島ゆーさく)「エレネアの子ら」
- なんだかとってもイラスト展
- 羅留下有介(沖由佳雄)「美少女のおろし方」
- あ〜さ〜・ゆ〜ばん(孤ノ間和歩)「いっぺえじのたわごと」
- 魔化留奈ルナ(計奈恵)「ネるほうほう」
- いぬねこうさぎ(豊島ゆーさく)「君は何を見ているのかな?」
- いぬねこうさぎのぺいじ「てれびあにめきゃらくたあるうむ」(キッカ、おちゃめ、テンプルちゃん、さよちゃん、ハイジ、スー)
- にせ海がめ(吾妻ひでお)「赤い風」
- 作者アンケート
- 後記(吾妻ひでお)
- Vol.4(1980年5月発行/コミックマーケット14/カセット付)扉絵:沖由佳雄
- Vol.5(1980年9月発行/コミックマーケット15/B4ポスター付)扉絵:早坂未紀
-
- じゃっく・ぱんぷきん(早坂未紀)「フリーザ」
- 久輪言(沖由佳雄)「学園無稽帳」
- うにほやなまこ(孤ノ間和歩)「プラトニック ソルジャー」
- 美少女通信社
- マドーラほしい(森野うさぎ)「鏡の中のマリー」
- G・クローバー「シベール・アニメ考 あくと2」
- 息鳴漠「火星の赤い砂と白い肌」
- リムジン・アルファ「雨」
- 堂納豆聖(計奈恵?)「ふろむ いんなあすぺぃす うぃず るぅあぶ」
- シベールアートギャラリー(堂納豆聖・ひろひろ・ふんぼるとぺんぎんかものほしざえもんあるまじろ・マドーラほしい・久輪言・じゃっくぱんぷきん・うにほやなまこ)
- ふんぼるとぺんぎんかものほしざえもんあるまじろ(豊島ゆーさく)「我が国のTVアニメーションドラマにおける幼女キャラクターの魅力と人気についていささか極私的な考察」[注釈 22]
- どーどー(吾妻ひでお)「10月の空」
- あとがき(担当:どーどー=吾妻ひでお)
- Vol.6(1980年12月発行/コミックマーケット16)扉絵:三鷹公一
-
- 無墓誇負(三鷹公一)「西遊記 in wonder land」
- 典薪霰(森野うさぎ)「落葉」
- しゅうあいはら&ゆきちゃん(計奈恵?)「FOX HUNTING」
- I・C INC.「the Bright Side Of the MOON」
- 濡亜樹羅「渚にて…」
- マケルナ・ポピー「シベール・アニメ考 ACT3:こすちゅーむ」
- みどりのおやま(緑沢みゆき?)「れいめい」
- 鶸出矢嵐(孤ノ間和歩)「プラトニック・ソルジャーはどこいった」
- めめめこねねね(無題のイラスト)
- 亜炒孤茶「アスタルエゴ・シュベール」
- 堡褻絞(沖由佳雄)「ブルートレイン異聞」
- INUNECO USAGI & FL.PRO(豊島ゆーさく)「ぱーるぴんく くりすます」
- どーどー(吾妻ひでお)「マイナースペース ササミストリート」[注釈 24]
- シベール通信販売のお知らせ
- Vol.7 終刊号(1981年4月発行/コミックマーケット17)扉絵:川猫めぐみ
-
- 蔵栗鼠(三鷹公一)「西遊記 in wonder land 2&3」
- 海猫かもめ「Faiys meking love story.」
- 山の一本杉「流れたら」
- 藤野矢舞「メデュウム 雨 Part.2」
- 畦砥夢兎蘭(森野うさぎ)「ミルキィ♡ピンク」
- ×××(川猫めぐみ)「ねねねこ山のハイジ」(終刊それ自体をテーマとした作品)
- 美少女通信社「びしょーじょつーしん」
- MORINO(森野うさぎ)「KOEDA」(こえだちゃんの性的なパロディ)
- かっぱふえにっくす(孤ノ間和歩)「シベールの星だなどと思うなよ」
- タイバーン・ヘルミ(沖由佳雄)「アクシデント プラネット」
- 佐久間心眼「ザクと少女が」
- 糧丹新聖(計奈恵?)「幻の震駭戦」
- らぶりい・ψ・きゃっつ(豊島ゆーさく)「南風」
- どーどー(吾妻ひでお)「妄想のおと(ロリコン編)」(散文的に描かれた美少女イラスト集)
- どーどー(吾妻ひでお)「うわさ」(シベール作家陣の噂について)
- らぶりい・ψ・きゃっつ(豊島ゆーさく)「シベオン」
- パパラパー(孤ノ間和歩)「シベール・マンガ考」(うる星やつらのラムなど)
- 編集後記(終刊のお知らせ)
- Vol.8 プチ・シベール(1981年4月26日発行)扉絵:吾妻ひでお
- 通販で終刊号を希望したのに買えなかった人のために作ったというイラスト集[108]
- Vol.9 アニベール(シベール終了記念臨時特別増刊創刊廃刊号/1981年5月号)扉絵:豊島ゆーさく
- 『シベール』廃刊時に臨時増刊として頒布された限定50部のアニパロ系コピー誌。登場キャラクターはクラリス、ラナ、ボッコ、ウラン、リーズ、神北恵子、アラレ、チャオ、マドーラ、ケーナ、ララァ、怪子、うらら、アンジェ、ビュウティ、レイカ、ペリーヌ、アン、マリア・フリードなど。
- Vol.10 ホワイトシベール(別冊特別版/1981年12月20日発行)表紙:孤ノ間和歩[109]
- 吾妻ひでおを除く『シベール』同人のカラーイラスト45葉で構成されたB6判のフォトブック[110]。発行部数が極端に少なく私家版に近い[110]。発行人は森野うさぎ。本誌『シベール』と違って表紙が白色のため「白本」「白シベ」等とも呼ばれる。
- ミャアちゃん官能写真集(1981年8月発行/コミックマーケット18)
- 吾妻ひでお(あじましでお)が20世紀に発行した最後の同人誌。1981年8月発行[111]。吾妻の漫画『スクラップ学園』の主人公・猫山美亜(ミャアちゃん)のイラスト等を収録。巻末には沖由佳雄、このま和歩、森野うさぎ、早坂未紀、豊島ゆーさく、三鷹公一らがイラストを寄稿した。C18(81年夏のコミケ)にて1,600冊を6時間かけて頒布[112]。なお当時のコミケ参加者は1万人規模であったが、1日の頒布部数は未だ破られていない[113]。続編として『ミャアちゃんラブワールド―吾妻ひでおイラスト集』(秋田書店・1983年7月)に描き下ろされたPart.3がある(Part.1のあとがきでPart.2は出さないと明言したため、いきなりPart.3に飛んでいる)[注釈 25]。また二次創作として沖由佳雄、このま和歩、三鷹公一、計奈恵、ちみもりをらによるPart.2(24頁のB5判コピー合同誌)がC24(83年夏のコミケ)で頒布されている[114]。
- 同人誌『シベール』『ロリータ』に掲載された吾妻ひでお作品
作品名 | 作品を収録している単行本 | 名義 | 初出 | 発表年月日 | 発行所 |
---|---|---|---|---|---|
日ヘンの美子ちゃん 官能編 | ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド (2015年 復刊ドットコム)[104] |
あほらしい | シベール Vol.0 | 1978年秋 | 無気力プロダクション |
赤ずきん・いん・わんだあらんど | れおなるど・だ・ひでお →れおなるど・だ・ちんぽ |
シベール Vol.1 | 1979年4月8日 | ||
美少女製造の手引き | KAWADE夢ムック 文藝別冊 [総特集]吾妻ひでお(2011年) 陽射し -reissue-(2018年) |
あじましでお | ロリータ Vol.1 | アリスマニア集団 キャロルハウス出版部 | |
マイ・タウン | 贋作ひでお八犬伝(1985年 秋田書店) さまよえる成年のための吾妻ひでお(2013年) 陽射し -reissue-(2018年) |
じゃ・じゃばあ・うおっく | シベール Vol.2 | 1979年7月27日 | 無気力プロダクション |
赤い風 | にせ海がめ | シベール Vol.3 | 1979年12月 | ||
夢の少女 | 贋作ひでお八犬伝(1985年) 夜の帳の中で(2006年) さまよえる成年のための吾妻ひでお(2013年) 陽射し -reissue-(2018年) |
ぐりほん | シベール Vol.4 | 1980年5月 | |
10月の空 | 十月の空(1984年) 夜の帳の中で(2006年) 陽射し -reissue-(2018年) |
どーどー | シベール Vol.5 | 1980年9月 | |
マイナースペース ササミストリート | - | シベール Vol.6 | 1980年12月 | ||
妄想のおと(ロリコン編) | 陽はまた昇る(1985年 双葉社) 夜の帳の中で(2006年) 陽射し -reissue-(2018年) |
シベール Vol.7 | 1981年4月 | ||
うわさ | - | ||||
(イラストのみ2P) | ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2 (2016年 復刊ドットコム)[103] |
プチ・シベール | 1981年4月26日 |
参考文献
[編集]単行本・ムック
[編集]- 蛭児神建責任編集・監修『ロリコン大全集』編集発行:群雄社出版株式会社/発売:都市と生活社 1982年5月31日[注釈 26]
- 高桑常寿+ふゅーじょんぷろだくと編『ロリコン白書―ロリコン同人誌ベスト集成』編集発行:エンドレス企画/発売:白夜書房 1982年7月[注釈 27]
- 別冊宝島104『おたくの本』JICC出版局 1989年12月
- 土本亜理子「ロリコン、二次コン、人形愛―架空の美少女に託された共同幻想」『別冊宝島』第104巻、JICC出版局、102 - 115頁。
- 吾妻ひでお『夜の魚』太田出版(太田COMICS 芸術漫画叢書)1992年9月(担当者:大塚英志)[120][注釈 28]
- 辰巳出版『同人漫画大百科』1992年10月
- 米沢嘉博、森野うさぎ「同人漫画家インタビュー 森野うさぎ」『同人漫画大百科』、114 - 117頁。
- 米沢嘉博「同人誌の歴史」『同人漫画大百科』、122 - 127頁。
- KKベストセラーズ『ベストの本3 SEXYコミック大全―マンガで「抜く」時代がやってきた!』1998年8月
- 米沢嘉博「略史・エロとマンガの密やかな関係」『ベストの本』第3巻、22 - 27頁。
- 大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈講談社現代新書〉2001年5月
- 東浩紀編著『網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』青土社 2003年1月
- 竹熊健太郎「オタク第一世代の自己分析―あくまで個人的立場から」
- ササキバラ・ゴウ『〈美少女〉の現代史―「萌え」とキャラクター』講談社〈講談社現代新書〉2004年5月
- 吉田正高『二次元美少女論―オタクの女神創造史』二見書房 2004年9月
- 阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店 2004年9月[注釈 29]
- コミックマーケット準備会『コミックマーケット30’sファイル』青林工藝舎 2005年7月[注釈 30]
- 蛭児神建(元)『出家日記―ある「おたく」の生涯』角川書店 2005年11月
- ヨコタ村上孝之『マンガは欲望する』筑摩書房、東京、2006年7月15日。ISBN 978-4480873514。
- 吾妻ひでお『逃亡日記』日本文芸社 2007年1月
- 難波功士『族の系譜学―ユース・サブカルチャーズの戦後史』青弓社 2007年6月
- 家族機能研究所『アディクションと家族 第25巻2号―日本嗜癖行動学会誌』2008年8月 pp.107-112[注釈 31]
- 霜月たかなか『コミックマーケット創世記』朝日新聞出版〈朝日新書〉2008年12月/Kindle版 2013年6月
- 吉本たいまつ『おたくの起源』NTT出版、東京、2009年2月9日。ISBN 978-4-75714-209-1。
- 高月靖『ロリコン―日本の少女嗜好者たちとその世界』バジリコ、東京、2009年10月7日。ISBN 978-4-86238-151-4。
- 米沢嘉博『戦後エロマンガ史』青林工藝舎 2010年4月(担当者:浅川満寛)
- KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』河出書房新社 2011年4月30日
- 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年10月[注釈 33]
- 永山薫『増補 エロマンガ・スタディーズ「快楽装置」としての漫画入門』筑摩書房〈ちくま文庫〉2014年4月[注釈 34]
- 「第一部 エロマンガ全史 第三章 美少女系エロ漫画の登場」。
- 「第二部 愛と性のさまざまなカタチ 第一章 ロリコン漫画」。
- おおこしたかのぶ『美少女マンガ創世記 ぼくたちの80年代』徳間書店 2014年9月
- 「Column*02 新世代によるエロ漫画の躍進」。
- 吾妻ひでお『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド』復刊ドットコム 2015年2月[注釈 35]
- 藤脇邦夫『出版アナザーサイド ある始まりの終わり 1982-2015』本の雑誌社、東京、2015年12月30日。ISBN 978-4-86011-280-6。
- 吾妻ひでお『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2』復刊ドットコム 2016年3月[注釈 36]
- 竹内オサム・西原麻里編著『世界文化シリーズ別巻2 マンガ文化55のキーワード』ミネルヴァ書房 2016年2月
- 大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』星海社文庫 2016年3月(装画:早坂未紀)[注釈 37]
- 大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』星海社文庫 2016年4月(装画:吾妻ひでお)[注釈 38]
- 稀見理都『エロマンガノゲンバ』三才ブックス 2016年12月
- 北田暁大+解体研『社会にとって趣味とは何か 文化社会学の方法規準』河出書房新社〈河出ブックス〉2017年3月
- 宮本直毅『エロゲー文化研究概論 増補改訂版』総合科学出版 2017年5月
- 稀見理都「補遺2『美少女コミック』と『エロマンガ』の違い」『エロマンガ表現史』、太田出版、2017年11月、360 - 362頁。
- 吾妻ひでお『陽射し -reissue-』復刊ドットコム 2017年11月[注釈 39]
雑誌
[編集]- みのり書房『月刊OUT』1978年8月号「吾妻ひでおのメロウな世界」(担当者:川本耕次+米沢嘉博)[125]
- アリス出版『グルーピー』1980年頃(自販機本のため発行年月日記載なし)[注釈 40]
- みのり書房『月刊OUT』1980年12月号
- 米沢嘉博「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータコンプレックス」
- ラポート『アニメック』17号(1981年4月)特集「“ろ”はロリータの“ろ”」[126]
- ラポート『ふゅーじょんぷろだくと』1981年10月号「特集/ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」
- 月刊『宝島』臨時増刊号『マンガ宝島』JICC出版局 1982年3月
- 北崎正人「三流劇画ムーブメント・エロ劇画ルネッサンスが残したもの」
- 村上知彦「ニューコミック派宣言 “ニューウェーブ”から“ロリコン”“中道定着路線”、そして“ニューコミック”へ」
- 小学館『GORO』1982年3月11日号「成熟した女を愛せないロリコン・ボーイの世界からキミは本当に脱出しているか」
- アニメージュ増刊『アップル・パイ 美少女まんが大全集』徳間書店 1982年3月
- 原丸太「ロリコン同人誌レビュー 幻の『シベール』伝説にはじまるロリコン同人誌の覚醒期を経て今日のブーム到来までをロリコン雑誌研究家・原丸太がドキュメント」。
- みのり書房『月刊OUT』1982年4月号
- 米沢嘉博「ロリコンブームに物もうす」[注釈 41]
- 徳間書店『アニメージュ』1982年5月号
- アニメージュ編集部「ここまで来た『ロリコン』ブーム。その最前線を追う!」
- 潮出版社『潮』1982年9月号
- 岩田薫「大学生をおおうロリコン症候群」
- サンデー社『Mr.Dandy』1982年11月号(No.129)
- 目方海里「ロリコンマンガ・ブームの裏に潜む現代社会の抑圧された性」
- 創出版『創』1982年12月号
- 高取英「若者を覆う“ロリコンブーム”の仕掛人」『創』1982年12月号、創出版、140 - 147頁。
- 朝日新聞社『朝日ジャーナル』1984年5月14日号
- 米沢嘉博「『美少女』たちを主人公にしたロリコンブームは、いま同人マンガ誌の世界で大盛況だ。『レモンピープル』を筆頭に同人誌的な季・月刊誌、単行本が、かつての『ガロ』『COM』のような勢いなのだ」
- ふゅーじょんぷろだくと『COMIC BOX Jr.』1984年12月号「特集/ロリータ・シンドローム」
- 石清水了ほか「床下放談:それからのロリコン それからのファンジン」
- 日本出版社『レモンクラブ』1990年12月号〜1991年7月号
- 池本浩一「なつかしの業界ケンカ史─大魔神・蛭児神建の怒り」
- 日本出版社『レモンクラブ』1991年8月号〜1991年12月号
- 池本浩一「なつかしの業界ケンカ史─ブリッコ盛衰記」
- 宝島30編集部+東京公司『宝島30』1994年9月号、宝島社、1994年9月8日。
- パルコ出版『流行観測アクロス』1996年9月号
- 大塚英志「ぼくと宮崎勤の'80年代 第10回 マッチョなものの行方」『諸君!』1998年7月号、文藝春秋、234 - 239頁。
- 大塚英志、吾妻ひでお「吾妻ひでおインタビュー 今度出て行くときは『出て行きます!』って言ってからにします──無頼派の作家が書いた小説、放浪の詩人が編んだ詩集、破滅派のまんが家が描いたまんがそのものを、本当に生きてしまった人、吾妻ひでお。本人が語る、誰のものでもない人生。」『Comic新現実』第3巻、角川書店、2005年2月、10 - 22頁。
- 大塚英志「吾妻ひでおのいる場所」『Comic新現実』第3巻、角川書店、2005年2月、96 - 97頁。
- 大塚英志「特集・真説おたくの精神史―解題」『Comic新現実』第4巻、角川書店、2005年4月、76 - 77頁。
論文
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- Mark McLelland編『The End of Cool Japan―Ethical, Legal, and Cultural Challenges to Japanese Popular Culture』Routledge 2016年8月
- Patrick W. Galbraith「“The Lolicon guy”―some observations on researching unpopular topics in Japan」[注釈 43]
同人誌
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- 漫画の手帖事務局『漫画の手帖』3号(1981年2月)
- 漫画の手帖事務局『漫画の手帖』4号(1981年6月)※『シベール』廃刊を伝える小記事が14頁に掲載
- 望月智充編『別冊アニコム 少女愛好家のために』早稲田大学アニメーション同好会 1981年10月
- 小俣誠+佐野邦彦「こうして私は同人誌した──吾妻ひでお・高橋葉介・高橋留美子・同人誌作品カタログ」
- 緑沢みゆき・このま和歩ほか『でんでんむすめ』このま和歩FC 1982年11月[注釈 44]
- 米澤英子ほか『米澤嘉博に花束を』虎馬書房 2007年8月
- Up-Beat Underground『懐かしの同人誌:郷愁同人誌専門マガジン』VOLUME.1(70年代〜1985 収集記録)2008年5月
- みぐぞう『くりいむレモン毒本』華ディスコ 2017年11月
- 漫画の手帖事務局『漫画の手帖』79号(2020年4月)
- 降間『ロリコンブームの後を追って』暗黒拠点月 2020年8月初版 / 2021年6月増補改訂[注釈 45]
- 白根こま『現代獣耳研究 VOL.1〜2』S猫出版部 2020年8月[注釈 46]
WEBサイト
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- 早坂未紀の世界「1970年代の資料」 - ウェイバックマシン(2019年3月30日アーカイブ分)
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- 川本耕次(&竹熊健太郎)トークイベント(2011年05月21日) - 倉田わたるの廃墟通信
- SFと美少女の季節(吾妻ひでおと川本耕次の関連年表) - 明治大学米沢嘉博記念図書館
- 沖由佳雄+KAZUNA(計奈恵)トークイベント「『シベール』の頃」 - 明治大学米沢嘉博記念図書館
- 吾妻ひでお美少女実験室 / 吾妻ひでおマニアックス - 明治大学博物館
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- 同人用語の基礎知識 / ロリコン誌について - ぱらだいす☆あ〜み
- 1980年代のエロ漫画(成年誌) - メガネの殿堂
- 1980年代のエロ漫画(少年誌) - メガネの殿堂
- 無気力プロのこと - 吾妻ひでお作品のあらすじ
- 映画『シベールの日曜日』など - 吾妻ひでお作品のあらすじ
- 少女アリス掲載の作品群 - 吾妻ひでお作品のあらすじ
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 参考:無気力プロのこと。元来、吾妻ひでおは低血圧で「必要に迫られなければ何もせずゴロゴロしている無気力体質」だというのが名前の由来[1]。
- ^ 当時『シベール』に吾妻ひでおが関与していたことは暗黙の了解として認識されていた[5]。
- ^ 所蔵機関は明治大学米沢嘉博記念図書館のみ。Vol.1,2,3,4,6の計5冊を閉架所蔵している(一般/1ヶ月会員のみ請求可)。
- ^ 現在は伸童舎に保管されている[10]。
- ^ コミックマーケットは当初「参加者の9割が少女漫画ファンの女子高生」だったが、ロリコン同人誌の登場によって、1981年頃には「参加者の過半数は男性が占める」ようになる[12]。
- ^ C1の実質的な主催者であった漫画批評集団「迷宮'75」発行の同人誌『漫画新批評大系』に連載された原田央男の二次創作。
- ^ 「やおい」という言葉は、1970年代末、坂田靖子により同人誌『ラブリ』の中で自嘲的に使用されたのが始まりとなり広まった[21]。周知のように「やおい」は「ヤマなし、オチなし、意味なし」のアクロニムであり、アニパロやボーイズラブなどの源流でもある。
- ^ 大田区産業会館で開催された。
- ^ 吾妻による1ページ漫画「美少女製造の手引き」が寄稿されている。
- ^ 創刊当時の逸話として、創刊号を出した後、事情を知らない吾妻ファンが読者集会に同誌を持参してきて「これ、先生のにそっくりですよ」とわざわざ突っ込みを入れてきたというが、吾妻は「本当に似ているな。なかなかうまいじゃない」と誤魔化したと語っている[33]。
- ^ ヒルダコンとは米沢嘉博の造語で、宮崎駿や高畑勲らが参画した東映動画の劇場用アニメ『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)に登場するヒルダという美少女の熱狂的な愛好家(いわゆる二次元コンプレックス)を指す。ちなみにヒルダコンであると同時に「ロリータ・コンプレックス」という言葉を漫画界で初めて紹介したとされる和田慎二は、漫画雑誌の欄外にある作家紹介スペースや作中のモブシーンでもヒルダを描いたり、アラビアが舞台の作品『炎の剣』のヒロインに「ヒルディアス」という(およそアラビアらしくない)名前をつけたりしている。
- ^ この流れは90年代後半を境に断絶している。ちなみに当時のコミケにはケモノ趣味のサークルも殆どなく現在のケモノ系とは大きな隔たりがある
- ^ http://www.usagimix.com/
- ^ http://shimanekomegumi.web.fc2.com/
- ^ 批評集団「迷宮」同人。みのり書房『Peke』『官能劇画』元編集長。アリス出版『少女アリス』編集長。群雄社出版『ロリコン大全集』編集人。吾妻ひでおの漫画『美美』『ぶらっとバニー』『スクラップ学園』『不思議ななんきん豆』『仁義なき黒い太陽 ロリコン編』などに登場する「編集者」のモデルとなった。
- ^ 米沢嘉博が「阿島俊」名義で『レモンピープル』創刊号(1982年2月号)から休刊号(1998年11月号)まで18年間にわたり計187回連載していた同人誌紹介記事。創刊当初の題は「ロリコン同人誌ピックアップ」。1982年12月号のリニューアルから「同人誌エトセトラ」に改題。雑誌の性格上男性向け作品を中心としながら全ジャンルを対象とし、時には漫画同人誌の歴史にまでも言及した。休刊から6年後の2004年9月、久保書店から350頁超の大著『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98』として単行本化された。
- ^ http://www.burikko.net/people/awake02.html
- ^ 吾妻が「れおなるど・だ・ひでお」名義(第2版では「れおなるど・だ・ちんぽ」名義)[80]で発表した「赤ずきん・いん・わんだあらんど」は単行本未収録のまま(紙媒体以外では『吾妻ひでお CD-ROM WORLD』(アスキー・1995年)に電子ファイルとして収録されたことがある)だったが、復刊ドットコムから2015年に出版された『ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド』に初収録された[104]。
- ^ 『白雪姫』のパロディ漫画。テレビアニメ『女王陛下のプティアンジェ』のパロディコマも一部あり。
- ^ 幼女同士の百合漫画。ロリレズの先駆的作品。
- ^ 兄妹の近親相姦を劇画調に重苦しく描いたことでメンバー間で「意見の相異」を呼んだ問題作[93][94][105]。
- ^ アニメ『機動戦士ガンダム』に登場するキッカ・キタモトなどの幼女キャラをないまぜにした楽屋落ち漫画。ちなみにコミケット準備会は作者の豊島ゆーさくについて「ペドで獣な人。本人はいたってまじめな人だが、ひとだびア・バオア・クーあたりに理性を置き忘れ、たががはずれたパロディの破壊力はすさまじく、沖氏がうみうしになるほど」と評している[106][107]。
- ^ 告知文に「感想を送ってくれた人には抽選で御希望の美少女をシベールさせますです〔注・御希望のアニメ・まんがのキャラクターを御指定下さい〕」と記した所「シベールする(させる)」という言葉も流行した[95][79]。
- ^ 思いつきえっせいぷらすシベールゴシップ。「コミケはやがてエロ本即売会となることを私は予言する」という示唆的な一文がある。
- ^ 『ミャアちゃん官能写真集 Part.3』は復刊ドットコム版『スクラップ学園』下巻にも再収録されている(Part.1は上巻に再録)。
- ^ 吾妻ひでお、内山亜紀、米沢嘉博、蛭児神建、高取英、谷口敬、杉浦日向子、さべあのま、早坂未紀、青山正明、近藤昌良、孤ノ間和歩、千之ナイフ、赤井孝美、女子高生など多彩な人材が集ったロリコンブームの集大成本。初版2万3千部は完売し、1982年末までに4万部を発行した[115]。本書は蛭児神建が責任編集・監修という名目だが、実質的には群雄社の川本耕次と緒方源次郎(小形克宏)によって編集された[116][117][118]。主に少女写真やコミックのほか、ロリコン用語の基礎知識(米沢嘉博)、女子高生座談会、少女愛の社会学・考現学を多角的に分析した評論などが掲載されている。付録にロリーポップ着せ替え人形、ろりろりシール、ロリコンカセットレーベル、蛭児神の同人誌『幼女嗜好』出張版付き。吾妻が寄稿した『仁義なき黒い太陽 ロリコン篇』は美少女が一切登場せず[119]、1982年当時のロリコン漫画界の諸相を任侠映画風のパスティーシュという形で描き出した作品である(河出書房新社刊『ポスト非リア充時代のための吾妻ひでお』に再録)[116]。
- ^ ふゅーじょんぷろだくと編集部「パワーの時代」(協力:志水一夫)
- ^ 吾妻ひでおの私小説的作品集。伝説的自販機本『少女アリス』や『マンガ奇想天外』掲載作品を収録。あとがき漫画『夜を歩く』(後に『失踪日記』の「夜の1」となる)は本書のための描き下ろし(大塚英志に『夜を歩く』の原稿を宅配便で送ったその足で再び失踪した)[121]。巻末解説は大塚英志、いしかわじゅん、飯田耕一郎。本書出版当時の顛末については『Comic新現実』Vol.3で大塚が2005年に行った吾妻ひでおインタビューを参照されたい[122]。
- ^ 米沢嘉博が阿島俊名義で『レモンピープル』創刊号(1982年2月号)から休刊号(1998年11月号)まで18年間にわたり計187回連載していた同人誌紹介記事に書き下ろしを加えて単行本化したもの。創刊当初のタイトルは「ロリコン同人誌ピックアップ」。1982年12月号のリニューアルから「同人誌エトセトラ」に改題。雑誌の性格上男性向け作品を中心としながら全ジャンルを対象とし、時には漫画同人誌の歴史にまでも言及した。休刊6年後の2004年9月、久保書店から350頁超の大著として刊行。記念すべき連載第1回目には『シベール』が取り上げられている。
- ^ 2005年3月21日に東京ビッグサイトで開催された「30周年記念24耐(!?)コミケットスペシャル4」の際に刊行されたコミックマーケットの30周年史。現在はコミケット公式サイトにおいてPDFファイルが無料公開されている。
- ^ 斎藤環「メディアとペドフィリア―ロリコン文化はいかに消費されたか―」(後に『博士の奇妙な成熟 サブカルチャーと社会精神病理』に再録)
- ^ 本稿に引用された証言は、明治大学博物館における『吾妻ひでお美少女実験室』展(2011年4月23日〜5月23日)に向けた調査のために、明治大学准教授の森川嘉一郎が行ったインタビューに基づく。吾妻ひでおは2011年2月15日(同誌巻頭インタビューと併行して実施)、蛭児神建(元)は同年2月25日、沖由佳雄は同年3月8日にそれぞれインタビューが行われた。
- ^ 三流劇画ブーム・ロリコンブームの仕掛け人・川本耕次が書き下ろしたポルノ雑誌の昭和史。
- ^ 2006年11月にイースト・プレスより刊行された同名書籍に増補・加筆を加えて文庫化したもの。
- ^ 『シベール』掲載作のうち単行本未収録となっていた『日ヘンの美子ちゃん 官能編』『赤ずきん・いん・わんだあらんど』を初収録。
- ^ 無気力プロの頃を描いた『吾妻ひでお伝!』『絵日記』『無気力日記』『良いファン悪いファンとんでもないファン』『祝・ズッコケター御出版』ほか、同人誌『ALICE』『POCO』『シベール』『プチ・シベール』『はあどしゅ〜る』などのカットを収録[103]。
- ^ 元『漫画ブリッコ』編集長の大塚英志によるおたく論。『諸君!』(文藝春秋)で連載中断中だった「ぼくと宮崎勤の'80年代」を加筆・改稿して2004年2月に講談社現代新書から出版後、2007年3月に朝日新聞社より文庫化された同名書籍を底本とし、書き下ろしを加えて新書化したもの。
- ^ スタジオジブリ出版部発行の広報誌『熱風』2012年2月号から2014年6月号にかけて発表された同名連載を加筆修正のうえ新書化したもの。
- ^ 奇想天外社版『陽射し』(1981年)を再構成した復刻愛蔵版。1979〜1984年頃にかけて吾妻ひでおが発表した美少女漫画群を「少女アリス篇」「コミケ篇」「一般誌篇」の三章に分けて収録[123]。吾妻による「著者解題」は本書のための書き下ろし[124]。
- ^ 米沢嘉博が企画したアリス特集(掲載号不明)で『シベール』を商業誌初紹介。
- ^ 二次元コンプレックスに警鐘を鳴らす記事。最下段にそれまでの流れも概説。
- ^ キャロル論だが、貴重なロリコン史概説をふくむ。
- ^ 専修大学講師で文化人類学者のPatrick W. Galbraith(パトリック・W・ガルブレイス)によるおたく文化論。日本におけるロリコンブームとその周辺のサブカルチャーが多角的に分析されている。
- ^ 孤ノ間和歩の『シベール』時代の人気キャラなどを特集したファン同人誌。
- ^ 『シベール』全号の各作品評ほか、当時の資料やムックを手広く引用し、1980年代初頭までのロリコンブームを概観・整理・分析した一冊。
- ^ 『シベール』における獣耳作品について詳述あり。
出典
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- ^ 大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈講談社現代新書〉2001年、106-107頁。ISBN 978-4061495531
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- ^ 奇想天外社版『陽射し』(1981年)に収録された「さまよえる魂」は諸般の事情により未収録となっている。
- ^ 陽射し -reissue- - 吾妻ひでお作品のあらすじ2
- ^ KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』 河出書房新社、2011年4月30日、16頁
- ^ https://web.archive.org/web/20020223174209/http://hoippuchan.tripod.com/80s_animec.htm