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2016年4月24日 (日) 06:05時点における版
オフコース OFF COURSE | |
---|---|
出身地 |
日本 神奈川県 |
ジャンル |
フォーク ニューミュージック ロック AOR |
活動期間 | 1969年 - 1989年 |
レーベル |
エキスプレス ⁄ 東芝EMI (1969年 - 1983年) ファンハウス (1984年 - 1989年) |
事務所 |
パシフィック・エンタープライズ(プロダクション) ⁄ ボン・ミュージック(音楽出版) (1969年 - 1973年) サブミュージック・パブリシャーズ・オフィス (1973年 - 1976年) オフコース・カンパニー(プロダクション) ⁄ フェアウェイ・ミュージック(音楽出版) (1976年 - 1989年) |
公式サイト | universal-music.co.jp/offcourse |
メンバー |
小田和正(ボーカル・キーボード・ギター) 結成 - 1989年 鈴木康博(ボーカル・ギター) 結成 - 1983年 清水仁(ベース・コーラス) 1979年 - 1989年 大間ジロー(ドラムス・コーラス) 1979年 - 1989年 松尾一彦(ボーカル・ギター・ハーモニカ) 1979年 - 1989年 |
オフコース (OFF COURSE) は、1969年から1989年まで活動した日本の音楽グループ。
概略
オフコースの始まりは神奈川県横浜市の聖光学院高校に在学中だった小田和正、鈴木康博、地主道夫らが結成したフォーク・グループ。1970年に「群衆の中で」でレコードデビュー、当初はアコースティック・ギターを中心としたフォークソング的な曲を歌っていたが、長年ヒット曲に恵まれなかった。
結成7年目の1976年にギターの松尾一彦、ベースの清水仁、ドラムスの大間ジローが加わり、キーボード、シンセサイザーを含めたバンドサウンドとなる。結成10年目の「さよなら」の大ヒットで多大なる人気を獲得、それ以降も数多くのヒット曲を生み出し、時代を代表するビッグ・グループになった。しかし、音楽番組全盛の時代にあって、テレビ出演で人気を高めていった他のグループとは一線を画し、テレビ番組にはほとんど出演せず、レコード制作とコンサートに力を注ぐという独自の姿勢を頑なに貫いた[† 1]。
1982年の鈴木の脱退により一時活動を休止した後、4人での活動再開以降もヒット曲を連発し、変わらぬ人気を博する。その後5年近く4人で活動を続け、結成から19年目の1989年に解散。その後、小田と鈴木はソロとして、松尾、清水、大間は各々のソロ活動の傍ら1999年3月にユニットAcoustic Beatles Clubを結成した[† 2]。再結成を望む声は根強いが、その可能性は薄いと見られている[† 3]。
音作り
オフコースは5人で演奏可能なアレンジでレコーディングする方針を取っていた。最初は曲のタイトルも歌詞もない状態でコード進行を作り、そこにメンバーが意見を出し合ってアレンジを加えて行き、最後に詞が作られる。小田は当時「オーバープロデュースは嫌うので、音的には足りない部分もあるが、聴く人が足して聴いてくれればいい」[1]と語っていた。
メンバー
- 1979年8月1日加入。大阪府大阪市西成区出身。尊敬する人は自分というマイペースな人柄[1]。 ライブでもコーラスをこなす。「ザ・バッド・ボーイズ」[† 4]を経て、1976年10月よりオフコースに参加。鈴木康博と並ぶ長身が特徴。
- 1979年8月1日加入。本名:大間仁世(おおま ひとせ)。秋田県鹿角郡小坂町出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校卒業。高校時代に松尾と出会い音楽活動を共にする。松尾一彦と共に活動していた4人組ロックバンド「ザ・ジャネット」を経て、1976年5月よりオフコースに参加[1]。
- 1979年8月1日加入。秋田県山本郡八森町(現:八峰町)出身。秋田県立能代高等学校卒業。幼い頃から音楽に目覚め、5歳で作曲したという。オフコース在籍時から他のアーティストに曲を提供している。「ザ・ジャネット」を経て、1976年10月よりオフコースに参加[1]。口髭・顎髭がトレードマーク。
過去
- 小林和行(こばやし かずゆき)ベース
- 1978年12月加入、1979年1月脱退。1973年 - 1976年、「ザ・バッド・ボーイズ」[† 4]で“リンゴ”として清水とともに活動。1978年秋のツアー時、病気の大間に代わり一時加入。後に音楽活動を停止。
略歴
- 1964年
- 12月、高校2年のクリスマス・パーティーでバンドの生演奏をしたことがきっかけとなり、翌年の文化祭(聖光祭)のステージに立つことを目指しメンバーの中から小田和正、鈴木康博、地主道夫、須藤尊史の4人でグループが結成される。
- 1965年
- 11月3日、聖光祭に出演[† 5]。
- 高校卒業後、鈴木康博は東京工業大学制御工学科に、小田和正は東北大学建築科にそれぞれ進学[† 6]、離ればなれになる。しかし、休日に鈴木が車に機材を積み込んで仙台まで行って練習は続けられた。
- 1966年
- 8月17日、「第1回 FOLK SONGの…」開催(横浜勤労会館)。
- 1967年
- 3月27日、「第2回 FOLK SONGの…」開催(横浜勤労会館)。コンサートの後、彼らは名前のなかったこのグループに“THE OFF? COURSE”と命名する。彼らの音楽活動を支援し、コンサートのためにいつも中心となって動く聖光野球部OB会“オフコース (OF COURSE)”に敬意を表してその名をもらった。
- 大学時代、自主コンサートを毎年開催するほか、聖光学院時代の友達から頼まれて演奏したり、他の大学の文化祭に呼ばれるなど、3人は活発な演奏活動を続けた。
- 1968年
- 4月4日、「第3回 FOLK SONGの…」開催(神奈川県立青少年センター)。大学三年になった彼らにとって、これが解散コンサートのつもりだった。
- 1969年
- 7月20日、第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト (LMC)仙台地区予選(仙台西花苑[† 7])にフォーク部門から出場、第2位[† 8]。
- 8月31日、宮城県予選(宮城県民会館)に出場、第1位を獲得。
- 9月、東北地区本選大会(仙台電力ホール)に出場、第1位を獲得し、全国大会へ進出。
- 11月2日、LMC全国グランプリ大会(新宿厚生年金会館大ホール)第2位[† 9][† 10][† 11]。
- 1970年
- 4月5日、シングル「群衆の中で(作詞:山上路夫、作曲:BETTY DEAN[† 12]) ⁄ 陽はまた昇る(作詞:山上路夫、作曲:上条友章、補作曲:村井邦彦)」(ジ・オフ・コース:小田・鈴木・地主)でデビュー。
- 10月、小田・鈴木の聖光学院の後輩だった小林和行がベーシストとして加入。
- 11月14日、赤い鳥と“8人の音楽会”開催(大手町サンケイホール)。
- 1971年
- 2月、地主が建築の道へ進むためにグループを脱退。
- 5月、パシフィック・エンタープライズに所属。ボン・ミュージックと音楽出版契約。
- 10月5日、シングル「夜明けを告げに(作詞:山川啓介、作曲:加藤和彦) ⁄ 美しい世界(作詞・作曲:小田和正)」(小田・鈴木・小林)発売。
- 1972年
- 4月25日、シングル「おさらば(作詞・作曲:東海林修) ⁄ 悲しきあこがれ(作詞:山上路夫、作曲:東海林修)」(小田・鈴木・小林・吉田)発売。グループ名を「オフ・コース」とする。
- 5月13日、「第1回東京音楽祭」出場(日本武道館)、「おさらば」を歌う。当時のオフコースのマネージャーだった吉田浩二がコーラスとして加入。
- 5月19日、メンバーが小田・鈴木の二人となる。
- 6月9日、ラジオ関東“ヤングヤングミュージック・イン・テクニクス”初出演。のちに“オフコースの小さな部屋”のテーマソング「小さな部屋」を生んだ番組。
- 9月13日、第1回リサイタル“オフコース・コンサート・イン・横浜”開催(横浜市教育会館)。
- 1973年
- 2月1日、杉田二郎と「サブミュージック・パブリッシャーズ・オフィス」を設立[† 13]。
- 2月20日、シングル「僕の贈りもの ⁄ めぐり逢う今」発売。
- 5月1日、“ラブ・ジェネレーション・コンサート”を全国12か所で開催(5月25日まで)[† 14]。
- 6月5日、ファースト・アルバム『オフ・コース1 ⁄ 僕の贈りもの』発売。
- 9月9日、第2回オフコース・リサイタル“グリーン・ラブ”開催(日仏会館)。
- 11月26日、アルバム・レコーディング開始(1974年3月10日まで)。
- 11月30日、ラジオ関東“ヤングヤングミュージック・イン・テクニクス”にレギュラー出演。
- 1974年
- 1月10日、札幌道新ホールにてコンサート。この時の観客が13人で、これが後々まで話題となる。
- 3月10日、アルバムレコーディング終了。
- 3月14日、渋谷ジァン・ジァンにてコンサート。
- 3月28日、東京で“オフコース・ファミリー・コンサート”開催(岩波ホール)。
- 4月5日、シングル「もう歌は作れない ⁄ はたちの頃」発売。
- 5月5日、アルバム『この道をゆけば ⁄ オフ・コース・ラウンド2』発売。
- 5月7日、第3回オフコース・リサイタル“明日への歩み”開催(日本青年館大ホール)。
- 10月20日、シングル「忘れ雪 ⁄ 水いらずの午後」発売。
- 10月26日、第4回オフコース・リサイタル“秋ゆく街で”開催(中野サンプラザホール)[† 15]。
- 12月20日、アルバム『秋ゆく街で ⁄ オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート』発売。
- 1975年
- 3月22日、“オフコースの小さな部屋 Vol.1”–なぜ音楽活動を続けるか– 開催(日本青年館大ホール ゲスト:山本コータロー、南高節、 斉藤哲夫、 イルカ)[† 16]。
- 4月、武藤敏史がオフコースの担当ディレクターとなる。
- 4月27日、“オフコースの小さな部屋 Vol.2”–お帰りなさいジローちゃん– 開催(神田共立講堂 ゲスト:杉田二郎)。
- 6月8日、“オフコースの小さな部屋 Vol.3”–みつはしちかこさんを迎えて– 開催(日本青年館大ホール ゲスト:みつはしちかこ、イルカ)。
- 7月2日、シングル、アルバム・レコーディング開始(11月6日まで)。
- 8月17日、“オフコースの小さな部屋 Vol.4”–フォーク史をたどる– 開催(日本青年館大ホール ゲスト:石川鷹彦、新田和長)。
- 8月20日、文化放送“ハロー・パーティー”出演。
- 8月26日、“オフコース・ファミリー・コンサート”開催(新宿安田生命ホール)。
- 10月4日、第5回オフコース・リサイタル“秋ゆく街でII”開催(中野サンプラザホール)。
- 11月2日、聖光祭に出演[† 17]。
- 11月24日、“オフコースの小さな部屋 Vol.5”–コーラスの世界– 開催(日本青年館大ホール)。
- 12月8日、文化放送“歌そして仲間”出演。オンエアは1976年1月25日。
- 12月20日、シングル「眠れぬ夜 ⁄ 昨日への手紙」とアルバム『ワインの匂い』を同時発売。新宿ルイードでのチャリティーコンサートに出演。
- 12月23日、信越放送“クリーン・フォーク”出演。
- 1976年
- 1月18日、「オフ・コースとイルカの年賀状コンサート」開催(日本青年館 ゲスト:なぎら健壱)。
- 2月、小田、早稲田大学大学院を卒業。
- 2月16日、新宿ルイード(共演:イルカ)。
- 2月19日、文化放送“花のフォークタウン”出演(渋谷公会堂)。
- 2月26日、シングル「ひとりで生きてゆければ」レコーディング開始(2月29日まで)。プロデューサー武藤敏史が以前ディレクターとして担当していた「ザ・ジャネット」の元メンバーの大間ジローをレコーディングに参加させる。
- 5月5日、シングル「ひとりで生きてゆければ ⁄ あいつの残したものは」発売。同日、大間ジロー参加。
- 5月18日、「ハイファイセット・オフコース・ジョイント」コンサート開催(中野サンプラザホール)。
- 5月23日、“オフコースの小さな部屋 Vol.6”–音楽の多様性その1:音楽はいかに映像を助けるか、また映像はいかに音楽を助けるか– 開催(日本青年館大ホール ゲスト:加藤和彦)。清水仁が初参加[† 18]。
- 8月1日、それまで所属していたサブミュージック・パブリッシャーズ・オフィスから独立、マネージメント会社「オフコース・カンパニー」を設立。
- 8月15日、アルバム・レコーディング開始(9月15日まで)。
- 9月5日、“オフコース・ファミリー・コンサート”開催(全電通ホール)。
- 10月5日、シングル「めぐる季節 ⁄ ランナウェイ」発売。
- 10月23日、第6回オフコース・リサイタル“秋ゆく街でIII”開催(中野サンプラザホール)。大間と清水に加え松尾一彦が参加、大間・清水・松尾を観客に紹介。
- 10月24日、学園祭ライブ回り(11月23日まで)。オフコース史上最高の10校。
- 11月5日、アルバム『SONG IS LOVE』発売。清水は「ザ・バッド・ボーイズ」としての契約がまだ残っていたためレコーディングでは演奏には不参加だが、この頃から実質的に5人のバンドとなった。
- 11月10日、シングル・レコーディング開始(12月7日まで)。
- 11月21日、白百合女子大学園祭公演。初めてアンコールをもらう。
- 1977年
- 2月5日、シングル「こころは気紛れ ⁄ あなたがいれば」発売。
- 4月8日、初めての全国ツアー、「春のコンサート・ツアー」開始(9月28日まで:全国37か所)。
- 4月25日、“オフコースの小さな部屋 Vol.7”–音楽の多様性その2:弦カル・トマトを迎えて。ひとつの音がいくつか集まるとどのような音楽において、どんな風に音の広がりが出てくるか– 開催(九段会館)。
- 5月9日、シングル、アルバム・レコーディング開始(7月22日まで)。
- 8月5日、シングル「秋の気配 ⁄ 恋人よそのままで」発売。このシングルからアーティスト表記が「オフ・コース」から「オフコース」となる。
- 8月18日、ツアー・リハーサル開始(9月14日まで)。
- 9月5日、アルバム『JUNKTION』発売。
- 10月9日、「秋のコンサート・ツアー」開始(1978年2月27日まで:全国39か所)。
- 10月23日、第7回オフコース・リサイタル“秋ゆく街でIV”開催(中野サンプラザホール、昼夜2回公演)。
- 11月20日、シングル「ロンド ⁄ 思い出を盗んで」発売。「ロンド」は日本テレビ系ドラマ「ひまわりの家」主題歌。
- 12月14日、FM東京“スカイ・ホリデー”録音(1978年1月1日オンエア)。
- 冬、プロモート・ディスク『ANTHOLOGY』配布。
- 1978年
- 1月18日、シングル・レコーディング開始(2月22日まで)。
- 3月10日、「春のコンサート・ツアー」開始(7月24日まで:全国41か所)。
- 4月5日、“オフコースの小さな部屋 Vol.8”–78年度オフコース大賞– 開催(渋谷公会堂 ゲスト:財津和夫)。
- 4月5日、シングル「やさしさにさようなら ⁄ 通りすぎた夜」発売。
- 4月19日、アルバム・レコーディング開始(8月8日まで)。
- 4月27日、FM東京“ニュー・ミュージック’78”出演。
- 5月5日、アルバム『SELECTION 1973-78』発売。
- 7月8日、“オフコース・ファミリー・コンサート”開催(神奈川県民会館小ホール)。
- 7月20日、シングル「あなたのすべて ⁄ 海を見つめて」発売。
- 8月22日、ツアー・リハーサル開始(8月31日まで)。
- 9月1日、軽井沢にて、ツアー・リハーサル合宿(9月10日まで)。
- 9月13日、全国ツアー用リハーサル(江東公会堂)。
- 9月20日、「秋のコンサート・ツアー」開始(1979年[1月31日まで:全国60か所[† 19])。
- 10月5日、アルバム『FAIRWAY』発売。
- 10月20日、TBSラジオ“ニュー・ミュージック・ワールド”出演(11月28日オンエア)。
- 10月21日、シングル・レコーディング開始(11月7日まで)。
- 10月25日、第8回オフコース・リサイタル“秋ゆく街でV”開催(中野サンプラザホール)(10月27日まで)。
- 11月2日、大間、病気のため「秋のコンサート・ツアー」のラストまで休養。城間正博が一時加入。
- 1979年
- 1月20日、シングル「愛を止めないで ⁄ 美しい思い出に」発売。ジャケットにメンバー5人のライブ写真を使用。
- 3月1日、河口湖サニーデ・スタジオにて、ツアー・リハーサル合宿(3月12日まで)。
- 3月14日、シングル・レコーディング開始(4月2日まで)。
- 3月22日、「春のコンサート・ツアー」開始(8月5日まで:全国61か所62回公演)。
- 5月16日、アルバム・レコーディング開始(8月28日まで)。
- 6月5日、シングル「風に吹かれて ⁄ 恋を抱きしめよう」発売。
- 8月1日、松尾・清水・大間が、正式にバンドメンバーとなる。
- 8月4日、「オフコース田園コロシアム」開催(8月5日まで)[† 20]。
- 8月31日、アルバム・ジャケット撮影のため沖縄へ移動。
- 9月3日、沖縄から羽田空港へ到着。
- 9月13日、河口湖サニーデ・スタジオにて、ツアー・リハーサル合宿(9月22日まで)。
- 9月24日、シングル・レコーディング開始(10月8日まで)。
- 9月27日、河口湖サニーデ・スタジオにて、ツアー・リハーサル合宿(10月4日まで)。
- 10月16日、「OFF COURSE CONCERT “Three and Two”」開始(1980年2月25日まで:全国51か所63回公演)。
- 10月20日、アルバム『Three and Two』発売。ジャケットは表に新加入の清水・大間・松尾の3人、裏に小田と鈴木が、それぞれ写った。
- 11月3日、ラジオ関東“ニュー・ミュージック一直線”出演。
- 12月1日、シングル「さよなら ⁄ 汐風のなかで」発売。オリコンシングルチャート第2位を記録、一躍人気「ニューミュージック・バンド」と呼ばれるようになる。
- 12月11日、FM東京“歌謡バラエティ”出演。
- 1980年
- 3月3日、シングル・レコーディング開始(4月21日まで)。
- 3月5日、シングル「生まれ来る子供たちのために ⁄ この海に誓って」発売。
- 4月2日、FM東京“ニューミュージック共和国”録音(4月12日オンエア)。NHK-FM“マイ・ラブリー・ポップス”録音(4月20・26日オンエア)。
- 4月14日、ツアー・リハーサル合宿(4月19日まで)。
- 5月1日、「OFF COURSE CONCERT LØVE」開始(6月28日まで:オフコース初の日本武道館公演を含む全国15か所21回公演)。
- 5月5日、アルバム『LIVE』発売。
- 5月11日、NHK教育テレビのドキュメンタリー番組『若い広場』「牛尾治朗と若者たち」に小田が出演。
- 6月21日、シングル「Yes-No ⁄ 愛の終わる時」発売。
- 6月29日、木田高介・阿部晴彦追悼コンサートに出演(日比谷野外音楽堂)。
- 8月6日、アルバム・レコーディング開始(9月25日まで)。
- 9月28日、トラックダウンのため、渡米。ハワイ経由で10月15日に帰国。
- 10月21日、伊豆市の別荘地「伊豆エメラルドタウン」にて、ツアー・リハーサル合宿(10月26日まで)。
- 11月4日、ラン・スルー・リハーサル(朝霞市民会館)。
- 11月10日、「OFF COURSE CONCERT “We are”」開始(1981年3月28日まで:日本武道館4日間公演を含む全国47か所58回公演)
- 11月21日、アルバム『We are』発売。初めてオリコンチャートで1位を獲得する。
- 11月25日、小田和正サウンドプロデュースシングル「夜明けのグッドバイ」(イルカ)発売(SIDE A のみ)。
- 11月27日、“オフコースの小さな部屋”札幌道新ホールにて開催。かつての“観客13人”を吹っ切るために企画されたもの[† 21]。
- 12月1日、シングル「時に愛は ⁄ 僕等の時代」発売。
- 12月21日、小田和正サウンドプロデュースアルバム『我が心の友へ』(イルカ)発売(11曲中6曲)。
- 年末、鈴木が「オフコースを抜けて違う音楽をやってみたい」との意思を小田に伝える。
- 1981年
- 2月7-10日、日本武道館公演。最終日の10日に本格的にライブ撮影、その映像は後にフェアで使用。
- 4月、シングル・レコーディング開始。
- 5月25日、小田和正サウンドプロデュースシングル「Follow Me」(イルカ)発売(SIDE A のみ)。
- 6月5日、鈴木康博プロデュースシングル「君が好き」(あんべ光俊)発売。
- 6月21日、シングル「I LOVE YOU ⁄ 夜はふたりで」発売。
- 6月29日、伊豆合宿(7月1日まで)。
- 7月19日、小田、文化放送“ハッピー・フォーク”出演。
- 8月16日、アルバム制作開始。L.A.にてトラックダウン(10月30日まで)。
- 9月1日、アルバム『SELECTION 1978-81』発売。
- 10月5日、小田和正サウンドプロデュースアルバム『FOLLOW ME』(イルカ)発売(「Follow Me」のみ)。
- 10月21日、鈴木康博プロデュースアルバム『Born to be Wild』(あんべ光俊)発売。
- 11月15日、アルバム製作開始(1982年6月6日まで)。
- 11月23日、NHK教育テレビ『若い広場』に出演。
- 12月1日、シングル「愛の中へ ⁄ Christmas Day」とアルバム『over』を同時発売。
- 12月31日、『We are』が「第23回日本レコード大賞」“ベスト・アルバム賞”を受賞[† 22]。
- 1982年
- 1月3日、NHK教育テレビ『若い広場』「オフコースの世界」放映。アルバム『over』の制作過程を追ったもの[† 23]。
- 1月21日、 フジテレビ系『笑ってる場合ですよ!』「明石家さんまの減点マネージャー」に清水・大間・松尾と、マネージャーの富樫要が出演。
- 1月22日、「Off course Concert 1982 “over”」開始(6月30日まで:全国28か所69回公演)。観客動員数約25万人。
- 2月1日、シングル「言葉にできない ⁄ 君におくる歌」発売。
- 6月10日、シングル「YES-YES-YES ⁄ メインストリートをつっ走れ」発売。
- 6月15日、日本武道館連続10日間公演実施(6月30日まで)[† 24]。その後約3年間、ライブ活動を休止する[† 25]。
- 7月1日、アルバム『I LOVE YOU』発売。
- 7月、オフコース初のTVスペシャル『NEXT』の制作開始。
- 9月21日、アルバム『NEXT SOUND TRACK』発売。
- 9月29日、TBS系特別企画オフコース・スペシャル『NEXT』放映[† 26]。
- 9月29日、フィルム・コンサート「Off Course Concert 1982.6.30」開始(1983年1月31日まで:全国240か所393回上映)。
- 1983年
- 3月、海外用デモテープ・レコーディング[† 27]。
- 6月6日、大間ジロープロデュースシングル「tomorrow –すべては時の中に–」(あんべ光俊)発売。
- 8月21日、鈴木康博ソロデビュー、シングル「愛をよろしく ⁄ ラララ〜愛の世界へ〜」とアルバム『Sincerely』を同時発売。
- 8月21日、大間ジロープロデュースアルバム『HEARTS』(あんべ光俊)発売。
- 8月29日、栃木県のジュンクラシックカントリークラブ(ゴルフ場)にて行われた合宿でメンバー、スタッフを含むミーティング実施。4人での再出発を決める(9月1日まで)。
- 8月31日、鈴木、正式脱退。
- 10月21日、アルバム用プリプロダクション開始(1984年5月4日まで)。
- 10月29日、日中文化交流協会主催による中国旅行(11月22日まで)。答礼式で「いつもいつも」を披露。
- 11月3日、アルバム『YES-YES-YES』発売。
- 12月8日、清水の友人、リッキー&リボルバーの誘いで急遽、渋谷エッグマンで行われたジョン・レノン追悼コンサートに飛び入り出演。「Long Tall Sally」など3曲を演奏、4人での最初の演奏。
- 1984年
- 1月7日、アルバム『The Best Year of My Life』レコーディング開始。
- 2月14日、 フジテレビ系『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に明石家さんまからの紹介で小田が出演、翌15日のお友達に星野仙一を紹介する[† 28]。
- 4月21日、シングル「君が、嘘を、ついた ⁄ 愛よりも」発売。これも同じくオリコンシングルチャートで第2位。このシングルより、小田・松尾・清水・大間の4人となる。
- 4月26日、「君が、嘘を、ついた」プロモーションビデオ制作(6月21日まで)。
- 4月29日、トラックダウンのため、渡米(5月7日まで)。
- 6月21日、アルバム『The Best Year of My Life』発売。
- 6月23日、フジテレビ系『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」に第1位で出演、「君が、嘘を、ついた」のプロモーションビデオ・プレミアム鑑賞会を行う。
- 7月6日、「夏の日」プロモーション・フィルム制作(7月20日まで)。
- 7月18日、シングル「夏の日 ⁄ 君の倖せを祈れない」発売。
- 8月30日、「緑の日々」プロモーション・フィルム制作(9月24日まで)。
- 9月21日、シングル「緑の日々 ⁄ CITY NIGHTS」発売。
- 11月21日、シングル・レコーディング開始(1985年1月14日まで)。
- 1985年
- 1月、アメリカでのアーティスト契約への足がかりとして自身の曲を全て英訳したアルバムのレコーディングを開始(3月8日まで)。
- 2月3日、シングル・レコーディング開始(3月8日まで)。
- 2月21日、シングル「call ⁄ 2度目の夏」発売。
- 3月11日、ツアー・リハーサル開始(4月24日まで)。
- 4月、ファンクラブ向けビデオ『RUNNING THROUGH '84』発売。
- 4月26日、「OFF COURSE CONSERT '85 “The Best Year of My Life”」開始(10月17日まで:全国42か所56回公演)。約26万人動員。
- 5月22日、シングル「たそがれ ⁄ LAST NIGHT」発売。
- 6月1日、松任谷由実・小田和正・財津和夫共作のシングル「今だから」発売。
- 6月15日、国立競技場で行なわれた国際青年年記念イベント“ALL TOGETHER NOW”に出演。吉田拓郎のバックバンドを担当したほか[† 29]、小田は同イベントのテーマソング「今だから」を松任谷由実、財津和夫と共に歌った(バックバンドはSadistic Yuming Band)。
- 7月13日、LIVE AID出演。「ENDLESS NIGHTS」を歌う。
- 7月31日、シングル・レコーディング開始(8月8日まで)。
- 8月1日、アルバム『Back Streets of Tokyo』発売。同年初頭にレコーディングされた英語詞の楽曲をまとめたもの。
- 9月21日、シングル「夏から夏まで ⁄ ぜんまいじかけの嘘」発売。
- 10月15日、国立代々木競技場・第一体育館にて追加公演(17日まで)。
- 11月30日、シングル「ENDLESS NIGHTS ⁄ EYES IN THE BACK OF MY HEART」発売。
- 1986年
- 5月8日、小田渡米(11月24日まで)。
- 7月2日、松尾一彦ソロシングル「普通のオフィスレディ ⁄ Wrapped Woman〜風 are you」発売。
- 7月17日、大間ジロープロデュースシングル「センターラインが終わる時」(勇直子)発売。
- 7月23日、松尾一彦ソロアルバム『Wrapped Woman』発売。
- 9月29日、清水仁ソロシングル「上を向いて歩こう ⁄ 悲しんでも仕方ない」発売。
- 10月6日、清水仁ライブハウスツアー開始(10月31日まで:全国9か所10回公演)。
- 10月21日、大間ジロープロデュースシングル「ナーバスにならないで」(勇直子)発売。
- 10月22日、清水仁ソロアルバム『ONE』発売。
- 11月1日、小田和正ソロシングル「1985」発売。
- 11月21日、大間ジロープロデュースアルバム『アスファルトの天使たち』(勇直子)発売。
- 12月3日、小田和正ソロアルバム『K.ODA』発売。
- 12月8日、清水・松尾、渋谷エッグマンで行われた“ジョン・レノン追悼コンサート”に出演。
- 12月15日、アルバム『as close as possible』レコーディング開始(1987年2月21日まで)。
- 1987年
- 3月4日、シングル「IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU) ⁄ IT'S QUITE ALL RIGHT (INSTRUMENTAL)」発売。
- 3月5日、ツアー・リハーサル開始(4月16日まで)。
- 3月28日、アルバム『as close as possible』発売。
- 4月17日、「OFF COURSE TOUR 1987 “as close as possible”」開始(9月6日まで:全国50か所69回公演)。前回同様、約26万人動員。
- 5月25日、シングル「もっと近くに (as close as possible) ⁄ Tiny Pretty Girl」発売。
- 7月5日、アルバム『IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION Ⅲ 1984-1987』発売(CDも初めて同時発売)。
- 7月15日、シングル・レコーディング開始(7月17日まで)。
- 11月5日、清水仁ソロ・プロジェクト“Project ONE”シングル「二人だけの海 ⁄ 二人だけの海 (Instrumental Version)」発売。
- 11月25日、Project ONE アルバム『ONE NIGHT』発売。
- 11月25日、ビデオ『OFF COURSE TOUR 1987 –as close as possible–』発売。
- 1988年
- 1月25日、シングル「君住む街へ ⁄ 君住む街へ –INSTRUMENTAL VERSION–」発売。
- 2月16日、「君住む街へ」プロモーション・ビデオ撮影。
- 3月5日、小田和正ソロシングル「僕の贈りもの ⁄ After Forever」発売。
- 3月5日、小田和正ソロアルバム『BETWEEN THE WORD & THE HEART』発売。
- 3月30日、アルバム『Still a long way to go』レコーディング開始(5月2日まで)。
- 5月9日、ツアー・リハーサル開始(5月31日まで)。
- 6月9日、アルバム『Still a long way to go』発売。
- 6月9日、「OFF COURSE TOUR 1988-'89 “STILL a long way to go”」開始(1989年2月3日まで:全国83か所102回公演)。
- 7月25日、シングル「she's so wonderful ⁄ 陽射しの中で」発売。
- 8月5-6日、「広島ピースコンサート」出演。
- 8月7日、「SOUND SPARK'88」(愛媛県津島町南レクグラウンド)出演。
- 10月、ネスカフェ“新ゴールドブレンド”CF出演。
- 10月25日、シングル「夏の別れ ⁄ 逢いたい」発売。
- 11月、ファンクラブ会員に“To Our Friends”と題して解散を告知。
- 1989年
- 2月1日、アルバム『君住む街へ 1984→1988』発売。
- 2月3日、「STILL a long way to go」ツアー最終日(日本武道館)で、小田がステージから飛び降りる。
- 2月26日、「The Night with Us」東京ドーム公演を実施、ファンやスタッフの強い働きかけで実現したスペシャルライブ[† 30][† 31]。同日オフコース解散。
- 1996年
- 2月1日、小田和正『LOOKING BACK』発売。オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム。
- 10月23日、鈴木康博『BeSide』発売。オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム。
- 1999年
- 3月、清水、松尾、大間が“A.B.C.”を結成。
- 2000年
- 11月2日、A.B.C.『ABC VOL.1』発売。
- 2001年
- 5月26日、小田和正『LOOKING BACK 2』発売。オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム第2弾。
- 9月26日、DVD『Off Course 1969-1989 Digital dictionary』発売。
- 2002年
- 2003年
- 12月22日、A.B.C.『ABC VOL.2』発売。
- 2004年
- 12月8日、鈴木康博『FORWARD』発売。オフコース時代の楽曲のセルフカヴァー・アルバム第2弾。
- 2006年
- 2010年
- 2015年
- 12月16日、ベスト・アルバム『ever』発売。「オフコース ベストアルバム エントリー&エピソード募集」でファンが選んだ「私の一番好きな曲」「私の一番心に残る曲」を収録した、初の「ファンが選ぶベスト・アルバム」。
ディスコグラフィー
- 以降、順位は全てオリコンより。
シングル
# | タイトル | カップリング | 発売日 | 形態 | 品番 | 収録アルバム(初出のみ) | 順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
EXPRESS ⁄ 東芝音楽工業(1970-1973年) | |||||||
1 | 群衆の中で | 陽はまた昇る | 1970年 | 4月 5日EP | EP-1224 | ※「ジ・オフ・コース」名義 | |
2 | 夜明けを告げに | 美しい世界 | 1971年10月 | 5日ETP-2527 | |||
3 | おさらば | 悲しきあこがれ | 1972年 | 4月25日ETP-2647 | ※「オフ・コース」名義 | ||
4 | 僕の贈りもの | めぐり逢う今 | 1973年 | 2月20日ETP-2809 | 『オフ・コース1 ⁄ 僕の贈りもの』(僕の贈りもの) ※「オフ・コース」名義 |
||
EXPRESS ⁄ 東芝EMI(1974-1983年) | |||||||
5 | もう歌は作れない | はたちの頃 | 1974年 | 4月 5日EP | ETP-2996 | 『この道をゆけば ⁄ オフ・コース・ラウンド2』 ※「オフ・コース」名義 |
|
6 | 忘れ雪 | 水いらずの午後 | 1974年10月20日 | ETP-20074 | ※「オフ・コース」名義 | ||
7 | 眠れぬ夜 | 昨日への手紙 | 1975年12月20日 | ETP-20214 | 『ワインの匂い』 ※「オフ・コース」名義 |
48位 | |
8 | ひとりで生きてゆければ | あいつの残したものは | 1976年 | 5月 5日ETP-20259 | 『SONG IS LOVE』(ひとりで生きてゆければ) ※「オフ・コース」名義 |
||
9 | めぐる季節 | ランナウェイ | 1976年10月 | 5日ETP-10081 | 『SONG IS LOVE』 ※「オフ・コース」名義 |
||
10 | こころは気紛れ | あなたがいれば | 1977年 | 2月 5日ETP-10158 | 『SONG IS LOVE』(こころは気紛れ) 『JUNKTION』(あなたがいれば) ※「オフ・コース」名義 |
||
11 | 秋の気配 | 恋人よ そのままで | 1977年 | 8月 5日ETP-10270 | 『JUNKTION』 | ||
12 | ロンド | 思い出を盗んで | 1977年11月20日 | ETP-10343 | 『JUNKTION』(思い出を盗んで) | 89位 | |
13 | やさしさにさようなら | 通りすぎた夜 | 1978年 | 4月 5日ETP-10400 | 『SELECTION 1973-78』 | ||
14 | あなたのすべて | 海を見つめて | 1978年 | 7月20日ETP-10444 | 『FAIRWAY』(あなたのすべて) | 82位 | |
15 | 愛を止めないで | 美しい思い出に | 1979年 | 1月20日ETP-10524 | 『Three and Two』(愛を止めないで) 『FAIRWAY』(美しい思い出に) |
31位 | |
16 | 風に吹かれて | 恋を抱きしめよう | 1979年 | 6月 5日ETP-10583 | 『SELECTION 1978-81』(風に吹かれて) 『Three and Two』(恋を抱きしめよう) |
41位 | |
17 | さよなら | 汐風のなかで | 1979年12月 | 1日ETP-10655 | 『SELECTION 1978-81』(さよなら) 『Three and Two』(汐風のなかで) |
2位 | |
18 | 生まれ来る子供たちのために | この海に誓って | 1980年 | 3月 5日ETP-10707 | 『Three and Two』(生まれ来る子供たちのために) | 48位 | |
19 | Yes-No | 愛の終わる時 | 1980年 | 6月21日ETP-17003 | 『We are』(Yes-No) 『SELECTION 1978-81』(愛の終わる時) |
8位 | |
20 | 時に愛は | 僕等の時代 | 1980年12月 | 1日ETP-17100 | 『We are』 | 35位 | |
21 | I LOVE YOU | 夜はふたりで | 1981年 | 6月21日ETP-17169 | 『SELECTION 1978-81』(I LOVE YOU) | 6位 | |
22 | 愛の中へ | Christmas Day | 1981年12月 | 1日ETP-17230 | 『over』(愛の中へ) | 23位 | |
23 | 言葉にできない | 君におくる歌 | 1982年 | 2月 1日ETP-17280 | 『over』 | 37位 | |
24 | YES-YES-YES | メインストリートをつっ走れ | 1982年 | 6月10日ETP-17362 | 『I LOVE YOU』(YES-YES-YES) 『over』(メインストリートをつっ走れ) |
6位 | |
ファンハウス(1984-1989年) | |||||||
25 | 君が、嘘を、ついた | 愛よりも | 1984年 | 4月21日EP | 07FA-1001 | 『The Best Year of My Life』 | 2位 |
26 | 夏の日 | 君の倖せを祈れない | 1984年 | 7月18日07FA-1008 | 『The Best Year of My Life』(夏の日) 『IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III 1984-1987』(君の倖せを祈れない) |
15位 | |
27 | 緑の日々 | CITY NIGHTS | 1984年 | 9月21日07FA-1011 | 『The Best Year of My Life』(緑の日々) | 14位 | |
28 | call | 2度目の夏 | 1985年 | 2月21日07FA-1023 | 『IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III 1984-1987』(call) | 7位 | |
29 | たそがれ | LAST NIGHT | 1985年 | 5月22日07FA-1037 | 『IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III 1984-1987』 | ||
30 | 夏から夏まで | ぜんまいじかけの嘘 | 1985年 | 9月21日07FA-1055 | 9位 | ||
31 | ENDLESS NIGHTS | EYES IN THE BACK OF MY HEART | 1985年11月30日 | 07FA-1061 | 『Back Streets of Tokyo』 | 26位 | |
32 | IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU) | IT'S QUITE ALL RIGHT (INSTRUMENTAL) |
1987年 | 3月 4日07FA-1107 | 『as close as possible』(IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU)) | 20位 | |
33 | もっと近くに (as close as possible) | Tiny Pretty Girl | 1987年 | 5月25日07FA-1113 | 『as close as possible』 | 29位 | |
34 | 君住む街へ | 君住む街へ (INSTRUMENTAL VERSION) |
1988年 | 1月25日EP | 07FA-1150 | 『Still a long way to go』(君住む街へ) | 11位 |
君住む街へ (Another Version) |
1988年 | 2月25日SCD | 10FD-3001 | ||||
35 | she's so wonderful | 陽射しの中で | 1988年 | 7月25日EP | 07FA-5030 | 『Still a long way to go』 | 80位 |
SCD | 10FD-5030 | ||||||
36 | 夏の別れ | 逢いたい | 1988年10月25日 | EP | 07FA-5046 | 82位 | |
SCD | 10FD-5046 |
アルバム
# | タイトル | 発売日 | 形態 | 品番 | 順位 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
EXPRESS ⁄ 東芝音楽工業(1973年) | ||||||
1 | オフ・コース1 ⁄ 僕の贈りもの | 1973年 | 6月 5日LP | ETP-8258 | ※「オフ・コース」名義 | |
EXPRESS ⁄ 東芝EMI(1974-1983年) | ||||||
2 | この道をゆけば ⁄ オフ・コース・ラウンド2 | 1974年 | 5月 5日LP | ETP-8293 | ※「オフ・コース」名義 | |
3 | 秋ゆく街で ⁄ オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート | 1974年12月20日 | LP | ETP-72024 | 1974年10月26日中野サンプラザホールでのリサイタル“秋ゆく街で”を収録したライブ・アルバム。 ※「オフ・コース」名義 | |
4 | ワインの匂い | 1975年12月20日 | LP | ETP-72123 | 62位 | ※「オフ・コース」名義 |
5 | SONG IS LOVE | 1976年11月 | 5日LP | ETP-72212 | 34位 | ※「オフ・コース」名義 |
6 | JUNKTION | 1977年 | 9月 5日LP | ETP-72269 | 21位 | |
7 | SELECTION 1973-78 | 1978年 | 5月 5日LP | ETP-80015 | 16位 | 『僕の贈りもの』から『JUNKTION』までの12曲に、シングル2曲を加えた初のベスト・アルバム。 |
8 | FAIRWAY | 1978年10月 | 5日LP | ETP-80040 | 8位 | |
9 | Three and Two | 1979年10月20日 | LP | ETP-80107 | 2位 | |
10 | LIVE | 1980年 | 5月 5日2LP | ETP-60380-1 | 16位 | 「Three and Two」ツアー(1979-80年)を中心に、それ以前のコンサート音源も収録したライブ・アルバム。 |
11 | We are | 1980年11月21日 | LP | ETP-90038 | 1位 | |
12 | SELECTION 1978-81 | 1981年 | 9月 1日LP | ETP-90106 | 『FAIRWAY』から『We are』まで、オリジナル・アルバム未収録曲も収録した2作目のベスト・アルバム。 | |
13 | over | 1981年12月 | 1日LP | ETP-90150 | ||
14 | I LOVE YOU | 1982年 | 7月 1日LP | ETP-90180 | ||
15 | NEXT SOUND TRACK | 1982年 | 9月21日LP | ETP-90200 | 1982年9月29日、TBS系特別企画番組で放映された特別番組『NEXT』のサウンドトラック・アルバム。 | |
ファンハウス(1984-1989年) | ||||||
16 | The Best Year of My Life | 1984年 | 6月21日LP | 28FB-2002 | 1位 | |
17 | Back Streets of Tokyo | 1985年 | 8月 1日LP | 28FB-2020 | アメリカでの契約に向けて制作された英語アルバム。 | |
18 | as close as possible | 1987年 | 3月28日LP | 28FB-2081 | 3位 | |
19 | IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III 1984-1987 | 1987年 | 7月 5日LP | 28FB-2101 | 11位 | 1984年以降のシングル曲に、映画挿入歌「時代のかたすみで (せめて今だけ)」を加えた3作目のベスト・アルバム。 |
CD | 32FD-1068 | |||||
20 | Still a long way to go | 1988年 | 6月 9日LP | 28FB-7007 | 3位 | |
1988年 | 8月 6日CD | 32FD-7007 |
非監修ベスト・アルバム
# | タイトル | 発売日 | 発売元 | 形態 | 品番 | 順位 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | YES-YES-YES | 1983年11月 | 3日EXPRESS ⁄ 東芝EMI | LP | ETP-90257 | 2位 | シングルA面コレクション。 |
2 | BEST COLLECTION | 1985年 | 8月31日ETP-90344 | 6位 | “ジ・オフ・コース”名義の「群衆の中で」と「夜明けを告げに」のシングル両面を収録した編集盤。 | ||
3 | スーパー・ベスト30 さよなら | 1989年 | 1月25日2CD | CT20-5401-2 | 36位 | エキスプレス・レーベル時代の作品をテーマ別に収録した6種類のベスト・アルバム。 | |
4 | バラード | CD | CT23-5403 | 91位 | |||
5 | SELECTION ODA | CT23-5404 | |||||
6 | SELECTION SUZUKI | CT23-5405 | |||||
7 | アコースティック | CT23-5406 | |||||
8 | レア | CT23-5407 | 92位 | ||||
9 | 君住む街へ 1984→1988 | 1989年 | 2月 1日ファンハウス | CD | 28FD-7058 | 17位 | ファンハウス移籍後にリリースされた作品の中から選曲されたベスト・アルバム。 |
10 | オフコーススペシャル ⁄ 小田和正作品集 | 1990年 | 5月 9日EXPRESS ⁄ 東芝EMI | CD | TOCT-5675 | ||
11 | スーパー・ベスト | 1990年 | 9月 5日3CD | TOCT-5816-8 | |||
12 | TWIN BEST | 1996年 | 9月19日2CD | TOCT-9631-2 | レコード会社共同企画『TWIN BEST』シリーズの1枚。 「アルバムレコードのAB面」に相当する形で著名曲を『Disc 1』、隠れた良曲を『Disc 2』にそれぞれ収録。 | ||
13 | OFF COURSE Singles | 1998年 | 3月28日3CD | TOCT-10250-2 | |||
14 | Off Course GREATEST HITS 1969-1989 | 1998年 | 5月21日ファンハウス | 3CD | FHCF-2418-20 | 94位 | デビューから解散までの全シングルA面を網羅した編集盤。 |
15 | 2000 BEST Off Course | 2000年 | 5月24日EXPRESS ⁄ 東芝EMI | CD | TOCT-24351 | 47位 | 『2000 BEST』(ミレニアム・ベスト)シリーズのオフコース編。 収録順は『オフコーススペシャル ⁄ 小田和正作品集』と同じ。 |
16 | i(ai) | 2006年12月 | 6日2CD + DVD | TOCT-26151-2 | 5位 | レーベルを超えて選曲された、全メンバー公認による初のオール・タイム・ベスト・アルバム。2009年1月21日には、SHM-CDフォーマットでもリリースされた(TOCT-95047-48)。 | |
17 | ever | 2015年12月16日 | EXPRESS ⁄ UNIVERSAL MUSIC | SHM-CD | UPCY-7071 | 9位 | ファンが選んだ「私の一番好きな曲」「私の一番心に残る曲」を収録した、初の「ファンが選ぶベスト・アルバム」。 |
映像作品
# | タイトル | 発売日 | 発売元 | 形態 | 品番 |
---|---|---|---|---|---|
1 | NEXT VIDEO PROGRAM | 1982年11月21日 | 東芝EMI | VHS | TT15-1030 |
パイオニア | LD | SM048-3211 | |||
2 | Off Course 1982・6・30 -Concert in Budokan- | 1983年 | 4月21日東芝EMI | VHS | TT18-1040H |
パイオニア | LD | SM048-3211 | |||
3 | Movie The Best Year of My Life | 1984年12月 | 1日東芝EMI | VHS | 88FE-1002HI |
4 | RUNNING THROUGH '84 | 1985年 | 4月フェアウェイ・ミュージック ワンダーキッズ ギルハウス |
VHS | 580FF-01 |
5 | OFF COURSE TOUR 1987 as close as possible | 1987年11月25日 | 東芝EMI | VHS | 98FE-1010HI |
パイオニア | LD | SM068-3202 | |||
6 | Off Course 1969-1989 Digital dictionary | 2001年 | 9月26日ハンズオン・エンタテインメント | DVD | ORDX-1007 |
7 | Off Course 1981.Aug.16〜Oct.30 若い広場 オフコースの世界 | 2002年 | 1月30日東芝EMI | DVD | TOBH-7038 |
8 | Off Course 1982.6.30 武道館コンサート | 2007年 | 6月27日東芝EMI | 2DVD | TOBF-5529-30 |
関連作品
- 第3回全日本ライトミュージック・コンテスト グランプリ1969 3rd ALL JAPAN LIGHT MUSIC CONTEST GRAND PRIX / FOLK(1970年4月 LP:MR-1059)
- 1969年11月2日新宿厚生年金会館大ホールにて開催されたLMC全国グランプリ大会フォーク部門を収録したライブアルバム。ジ・オフ・コースが2位に入賞したステージより「Jane Jane」、「One Boy」を収録。
- 海と空と太陽の祭典 第一回合歓作曲コンクール入賞曲集!(1970年5月 LP:EP-7750)
- 1969年にヤマハ主催で行われた第一回合歓作曲コンクールの入賞曲を集めたアルバム。主にヤマハの講師達の作曲による楽曲を、東芝所属のアーティストがレコーディングしたもの。ジ・オフ・コースの歌による「グラジュエイト Graduate」を収録。
- ラブ・ジェネレーション LOVE GENERATION LIVE IN CONCERT(1973年8月5日 2LP:ETP-7695 - 6)
- コルサの歌 –ヨコハマが似合う奴–(1978年 EP:ERS-1331)
- RONIN 〜ORIGINAL SOUND TRACK〜(1986年1月18日 LP:28K-100)
- 1986年製作の映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』のサウンドトラック・アルバム。「時代のかたすみで (せめて今だけ)」を収録。当楽曲は『IT'S ALL RIGHT OFF COURSE SELECTION III 1984-1987』にて再録。
書籍
写真集
- オフコース写真集[We are](小学館 1980年12月19日)- ISBN 4-09-363045-3
- Off Course 1969〜1982(新興楽譜出版社 1982年10月1日)- ISBN 4-401-62037-2
- OFF COURSE YEAR BOOK '84(扶桑社 1984年10月31日)- ISBN 4-89353-062-3
- OFF COURSE YEAR BOOK '85(扶桑社 1985年12月18日)- ISBN 4-89353-064-X
- OFF COURSE –as close as possible(学習研究社 1987年12月20日)
- 1989.2.26 –OFF COURSE FINAL(ワニブックス 1989年4月20日)
関連書籍
- 『Off Course—Now The Time』GB-SPECIAL CBS・ソニー出版 (1982年7月15日発行 雑誌62935-16)
- 『スナップ・ショット—オフコースその夏まで』 藤沢映子 著 CBS・ソニー出版 (1982年7月25日発行 ISBN 4-7897-0046-1)
- 『Give up オフコース・ストーリー』 山際淳司 著 飛鳥新社 (1982年8月1日発行 全国書誌番号:83035915)
- 『オフコースの道 はじめの一歩』 オフコース・ファミリー 著 サンリオ (1983年8月15日発行 全国書誌番号:84007237)
- 『Give up オフコース・ストーリー(文庫版)』 山際淳司 著 角川文庫 (1983年6月25日発行 ISBN 4-04-154001-1)
- 『INNER DOCUMENT OFF COURSE』 藤沢映子 著 旺文社 (1984年4月14日 ISBN 4-01-009811-2)
- 『Maybe The Best Year of My Life』 オフコース詩集 新潮文庫 (1985年12月20日 ISBN 4-10-143901-X)
楽曲提供
- アーティスト名は50音順、曲名は発売順に列記。作品はグループ在籍期間に限定。松尾一彦は松尾一彦#楽曲提供を参照。
小田和正
アーティスト | 提供曲 | 作者 | 収録作品(初出のみ) | 発売日 | 販売形態 | 規格品番 |
---|---|---|---|---|---|---|
ザ・バッド・ボーイズ | アイツのせい | 作詞 : The Bad Boys 補作詞・作曲 : 小田和正 |
僕と踊ろう ⁄ アイツのせい |
1975年 | 8月20日EP | ETP-20166 |
牧ミユキ | さよならの離陸 | 作詞 : 竜真知子 作曲 : 小田和正 編曲 : 井上鑑 |
Fly Like A Bird | 1978年11月 | LP | LX-7056-A |
由紀さおり | 永遠のひととき | 作詞 : 山川啓介 作曲 : 小田和正 編曲 : 青木望 |
ルームライト『オリジナル・ア・ラ・カルト』 | 1973年 | 4月 5日LP | ETP-8238 |
鈴木康博
- ソロ以降の提供作品は鈴木康博を参照
アーティスト | 提供曲 | 作者 | 収録作品(初出のみ) | 発売日 | 販売形態 | 規格品番 |
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杉田二郎 | 憂世 HAPPY STREET |
作詞 : 鈴木康博 作曲 : 杉田二郎 |
アパートメント1109 APARTMENT 1109 |
1972年10月 | 5日LP | ETP-8197 |
桃井かおり | 秋風の吹く夜 | 作詞・作曲 : 鈴木康博 編曲 : 鈴木茂 |
FOUR | 1980年11月25日 | LP | 27PL-4 |
参加作品
- 発売順に列記。作品はグループ在籍期間に限定。
発売日 | アーティスト | 収録作品(初出のみ) | 生産番号 | 収録曲 | 参加内容 |
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1972年10月5日 | 杉田二郎 | アパートメント1109 APARTMENT 1109 |
LP:ETP-8197 | あの扉をあけて OPEN THE DOOR |
作詞 : 及川恒平 作曲 : 杉田二郎鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal |
君は眠る YOU'RE SLEEPIN' |
作詞 : 山川啓介 作曲 : 杉田二郎鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal | ||||
人力ヒコーキのバラード AIR PLANE SONG |
作詞 : 山川啓介 作曲 : 杉田二郎鈴木康博(The Off Course) : Acoustic Guitar, Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal | ||||
孤独の広場 LONESOME SQUARE |
作詞 : 山川啓介 作曲 : 杉田二郎鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal | ||||
若いというだけで YOUNGER GENERATION |
作詞 : 泉谷しげる 作曲 : 杉田二郎鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal | ||||
ひとりにばれば LONELINESS |
作詞 : 及川恒平 作曲 : 杉田二郎鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal | ||||
憂世 HAPPY STREET |
作詞 : 鈴木康博 作曲 : 杉田二郎鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal | ||||
春は寂しいネ GROOMY SPRING |
作詞 : 吉田拓郎 作曲 : 杉田二郎鈴木康博(The Off Course) : Background Vocal 小田和正(The Off Course) : Background Vocal | ||||
1973年4月5日 | 由紀さおり | ルームライト『オリジナル・ア・ラ・カルト』 | LP:ETP-8238 | 永遠のひととき | 作詞 : 山川啓介 作曲 : 小田和正 編曲 : 青木望オフ・コース : Backing Vocal |
1977年5月 | 飛行船 | 風の時刻表 | LP:ETP-72244 | 青春の踏切で Seishun no fumikiri-de |
作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 飛行船鈴木康博(Off Course) : Electric Guitar 小田和正(Off Course) : Hammond Organ 清水仁 : Electric Bass 大間仁世 : Drums |
花嫁泥棒 Hanayome dorobo |
作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 飛行船 ブラス・セクション・アレンジメント : 小田和正(Off Course)小田和正(Off Course) : Strings ensemble 松尾一彦 : Chorus | ||||
悲しみのイエスタデイ Kanashimi no yesterday |
作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 飛行船 ストリングス・アレンジメント : 鈴木康博(Off Course) | ||||
五月になれば Gogatsu ni nareba |
作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 飛行船 ホーンセクション(シンセサイザー)・アレンジメント : 小田和正(Off Course)小田和正(Off Course) : Mellotron & Synthesizer 大間仁世 : Drums | ||||
サンライズサンセット Sunrise sunset |
作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : オフコース & 飛行船 ストリングス & ブラスセクション・アレンジメント : 鈴木康博(Off Course)鈴木康博(Off Course) : Electric Guitar 小田和正(Off Course) : Acoustic Piano 清水仁 : Electric Bass 大間仁世 : Drums 松尾一彦 : Chorus, Harmonica オフコース : Chorus | ||||
三年目の決心 Sannenme no kesshin |
作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 飛行船 ブラス・セクション・アレンジメント : 鈴木康博(Off Course)小田和正(Off Course) : Electric Piano オフコース : Chorus | ||||
やさしさはほしいけれど Yasashisa wa hoshiikeredo |
作詞 : 安部光俊 作曲 : 萩原誠 編曲 : オフコース ストリングス・アレンジメント : 小田和正(Off Course)小田和正(Off Course) : Acoustic Piano, Electric Piano, Synthesizer 鈴木康博(Off Course) : Electric Guitar 清水仁 : Electric Bass 大間仁世 : Drums & Bell Tree | ||||
1977年8月5日 | 寺尾聰・田辺靖雄 | 16の夏 ⁄ 坂道を登れば |
EP:ETP-10269 | 16の夏 | 作詞・作曲 : 寺尾聰 & 田辺靖雄 編曲 : ミッキー吉野 コーラス・アレンジメント : 鈴木康博(オフコース)オフコース : Chorus |
1977年11月5日 | 加山雄三 | 地平線の彼方 | LP:ETP-72282 | 足音 | 作詞 : 岩谷時子 作曲 : 弾 厚作 編曲 : 森岡賢一郎 コーラス・アレンジメント : 小田和正(オフコース)オフコース : Chorus |
もえる草原 | 作詞 : 岩谷時子 作曲 : 弾 厚作 編曲 : 森岡賢一郎 オフコース : Chorus | ||||
1977年11月20日 | アイリーン | 愛の唄 ⁄ 私の庭から |
EP:ETP-10338 | 愛の唄 AI NO UTA |
作詞・作曲 : 小田和正 編曲 : 青木望 & オフコースオフコース : Chorus |
1978年7月5日 | 尾崎亜美 | STOP MOTION | LP:ETP-80022 | 来夢来人 | 作詞・作曲・編曲 : 尾崎亜美 ストリングス & オーボエ・アレンジメント : 尾崎亜美小田和正(OFF COURSE) : Chorus 鈴木康博(OFF COURSE) : Chorus |
ストップ モーション | 作詞・作曲・編曲 : 尾崎亜美 ストリングス・アレンジメント : 尾崎亜美小田和正(OFF COURSE) : Chorus 鈴木康博(OFF COURSE) : Chorus | ||||
ラスト キッス | 作詞・作曲・編曲 : 尾崎亜美 ストリングス・アレンジメント : 尾崎亜美松尾一彦 : Harmonica | ||||
1978年11月5日 | PRISMY | LP:ETP-80050 | 気紛れ予報 | 作詞・作曲・編曲 : 尾崎亜美 ストリングス編曲 : 尾崎亜美オフコース(小田和正・鈴木康博) : Chorus | |
コズミック ブルー | 作詞・作曲・編曲 : 尾崎亜美 ストリングス編曲 : 尾崎亜美松尾一彦 : Harmonica | ||||
白夜 | 作詞・作曲・編曲 : 尾崎亜美 ストリングス編曲 : 尾崎亜美オフコース(小田和正・鈴木康博) : Chorus | ||||
1978年12月5日 | あんべ光俊 | 碧空と海のすき間から | LP:ETP-80045 | 星の旅 | 作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 木田高介大間仁世 : Drums |
甘い夜 | 作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 武藤敏史大間仁世 : Drums | ||||
霧の晴れ間に | 作詞 : 安部光俊 作曲 : 松尾一彦 編曲 : 安部光俊松尾一彦 : Acoustic Guitar | ||||
君を夢みて | 作詞・作曲・編曲 : 安部光俊大間仁世 : Drums 鈴木康博 : Slide Guitar 清水仁 : Chorus 松尾一彦 : Chorus | ||||
雪の日のひとりごと | 作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 小田和正小田和正 : Electric Piano, Clarinette & Synthesizer 鈴木康博 : Acoustic Guitar, Percussions 清水仁 : Electric Bass 大間仁世 : Drums Chorus by OFF COURSE Kazumasa Oda ⁄ Yasuhiro Suzuki | ||||
真夜中の電話 | 作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博鈴木康博 : Electric Guitar, Percussions 小田和正 : Electric Piano 清水仁 : Electric Bass 大間仁世 : Drums Chorus by OFF COURSE Kazumasa Oda ⁄ Yasuhiro Suzuki | ||||
12月の頃 | 作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 木田高介大間仁世 : Drums | ||||
風は知っている | 作詞・作曲・編曲 : 安部光俊 ストリングス編曲 : 武藤敏史大間仁世 : Drums | ||||
25歳の冬に | 作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 木田高介 ストリングス編曲 : 木田高介大間仁世 : Drums | ||||
1980年4月20日 | オリンポスの果実 | LP:ETP-80134 | 愚かなる冬の自画像 | 作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 安部光俊 & 小田和正小田和正 : Keyboards 清水仁 : Bass 大間仁世 : Drums | |
ラスト ショウ | 作詞・作曲・編曲 : 安部光俊清水仁 : Chorus 松尾一彦 : Chorus | ||||
1980年12月21日 | イルカ | 我が心の友へ | LP:GWP-1003 | ふりむけばそこに | 作詞・作曲 : イルカ 編曲 : 小田和正 |
我が心の友へ | |||||
ジェレミーの木 | |||||
夜明けのグッドバイ | |||||
幻のタペストリィー | |||||
まあるいいのち | |||||
1981年10月5日 | FOLLOW ME | LP:GWP-1011 | Follow Me | 作詞・作曲 : イルカ 編曲 : 小田和正 | |
1981年10月21日 | あんべ光俊 | Born to be Wild | LP:ETP-90017 | さよならMy Boy | 作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博鈴木康博 : Guitars 松尾一彦 : Guitars 清水仁 : Bass 大間ジロー : Drums |
Single Girl | 作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博鈴木康博 : Guitars 松尾一彦 : Guitars 清水仁 : Bass 大間ジロー : Drums | ||||
ふり向いて もう一度 | 作詞 : 安部光俊 作曲・編曲 : 鈴木康博鈴木康博 : Guitars 松尾一彦 : Guitars 清水仁 : Bass 大間ジロー : Drums | ||||
そして誰もいなくなった | 作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博鈴木康博 : Guitars | ||||
Born to be Wild | 作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博鈴木康博 : Guitars 松尾一彦 : Guitars 清水仁 : Bass 大間ジロー : Drums | ||||
ねえ君 | 作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博鈴木康博 : Guitars | ||||
365日 | 作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博 | ||||
君が好き | 作詞・作曲 : 安部光俊 編曲 : 鈴木康博鈴木康博 : Guitars | ||||
大きな河のほとりで | 作詞 : 安部光俊 作曲 : 松尾一彦 編曲 : 鈴木康博鈴木康博 : Guitars 松尾一彦 : Guitars 清水仁 : Bass 大間ジロー : Drums | ||||
1982年6月1日 | 原日出子 | 青いラプソディー | EP:ETP-17347 | 無風都市 | 作詞 : 松本隆 作曲 : 筒美京平 編曲 : 大谷和夫 コーラスアレンジ & コーラス:鈴木康博 |
CMソング
- CMのために制作された作品のみ列記。
- エッソ (1972年)
- マツダ・サバンナ (1973年)
- 日本リーバ・ラーマ (1973年)
- ミカレディー (1973年)
- エチケット・ライオン (1973年)
- 資生堂・赤い花見つけた (1974年)
- コカコーラ (1974年)
- 花王石鹸 (1974年)
- ナショナル・楽園 (1974年)
- 三菱 (1974年)
- ニッタケ食品 (1975年)
- ミリンダ (1975年)
- スプライト (1975年)
- 明治ブルガリアヨーグルト (1975年)
- 江崎グリコ・グリコ天然ジュース (1976年)
- カネボウ・キャンディ (1976年)
- カルピス・ソーダ (1976年)
- カシオトロン (1976年)
- グリコ・ナッチェル (1976年)
- ワコール (1976年)
- キッコーマン・ソース (1976年)
- 明治梅酒ソーダ
- 川村サイクル
- 住友金属
- ゼロックス
- ライオン・ネオスマイル
- 花王トニック・シャンプー
- LOVE化粧品
- 日本リーバ・ブルックボンド紅茶
- 味の素
- ニーナ
- 仁丹
- 日本石油
- ネッスル・コーヒー
- ハウス・ジャワ・カレー
- 日産スカイライン (1976年)
- 月星化成ベンチャー
- 花王・エッセンシャルシャンプー (1976年)
- 丸井
- ライオン・エメロンクリームリンス
- 日立冷凍冷蔵庫 (1976年)
- 明治・ポテト・スティック
- ファンタ (1976年, 1977年)
- 花王・ソフィーナ
- ケロッグ
- ダイエー
- 花王エッセンシャル・リンス (1976年)
- コーセー化粧品 (1976年)
- グリコ・セシル・チョコレート
- グリコ・コメッコ (1976年, 1977年)
- コーセー・リリカル・リップ (1976年)
- コーセー・ミニバーグ (1976年)
- ブルボン・アルル (1976年)
- ヤマハ・スキー (1976年)
- ライオン・エメロンオイルリンス
- シャープ (1976年)
- ジョンソン (1976年)
- トーリ・クッションフロア (1977年)
- 全日空・秋の北海道ツアー (1977年)
- 不二家 (1977年)
- バネット・ライオン (1977年)
- リボンシトロン (1978年)
- サンテ目薬 (1978年)
- トヨタ・コルサ (1978年)
- タイガー魔法瓶 (1978年)
- カネボウ・カナディアンソフト (1978年)
- 日石チューンナップジョッキーテーマ (1973年)
- RKBラジオ・ステーションジングル
エピソード
- “オフコース (OFF COURSE)”という名前はコンサートのためにいつも中心となって動く聖光野球部OBが作った草野球チームの名前が“勝ってof course”、“of course 勝つ”という意味で“OF COURSE”だったことから。コンサートを始めてなにか名前をつけるということで“調子っ外れ”とひっかけて“OFF COURSE (THE OFF? COURSE)”にしたという[2]。
- <さよなら>、<Yes-No>、<YES-YES-YES>、<君が、嘘を、ついた>などのヒットで当時、TBSの人気番組『ザ・ベストテン』に何度となくランクインしたが、この番組を含むすべての音楽番組には出演しなかったため、「オフコースの皆さんはコンサート活動に専念するため…」とお詫びのお辞儀をする久米宏の姿が毎週のように見られた。<YES-YES-YES>では一度、レコーディング・スタジオから中継で小田が単独でコメントを出したことがある。その一方で『笑っていいとも』と『オレたちひょうきん族』には出演したので、フジテレビの音楽番組担当プロデューサーは、バラエティ担当プロデューサーを羨ましがったという。
- オリコンシングルチャートでは<さよなら>、<君が、嘘を、ついた>が最高2位止まり、アルバムチャートでは『We are』と『over』が1位になっている。なお、小田が作った曲のシングルチャート1位は、ソロシンガーとしてデビュー後、<ラブ・ストーリーは突然に>で達成した。
- 八曜社刊『Three and Two』でのインタビューで小田は「去年初めて『銀河鉄道999』の(映画)音楽をやらないかって話があってね、さんざん考えた末、やろうっていう気になったら映画会社とかレコード会社の問題とか、いろいろいきさつがあって、結局ゴダイゴということになっちゃって」と、実現しなかったいきさつを語っている。
- 1981年3月28日宮城県民会館で行われた「OFF COURSE CONCERT “We are”」最終公演のアンコール、<愛を止めないで>のエンディングにさしかかった瞬間、舞台の袖から200本のカーネーションがスタッフの手によって投げ入れられた。後に小田は「僕たちの制作するものの中で特に、レコーディングとステージに関しては何がどうなっているか知らぬ部分はない。だから、僕らの想像を超えて何かが創造されるということは全く考えたことがなかった。しかしそれは起こった。他人が聞けば他愛のないシャレに過ぎないかも知れないが、それが僕にとっては今度のアルバム・レコーディング、そしてこのコンサート・ツアーのすべてが覆されるほどの衝撃だった。だから僕は『ヤラレタ…』と思ったのだった。そして、あんなことが起こったのが心から嬉しかった」と語っている。この時の写真がベスト・アルバム『SELECTION 1978-81』の中袋に掲載されている。
- シングル<I LOVE YOU>のエンディングのコーラスは当初、少年合唱団によるテイクを予定していたが、結果的にはレコーディングスタジオ近くの公園にいた子供たちやその親を迎え、さらにそこにメンバーやスタッフも加わってレコーディングしたテイクに変更された。また、この曲はアルバム『I LOVE YOU』収録の際、ビル・シュネーの友人がジョン・レノン死亡の新聞記事をニュース調に読み上げたナレーションが間奏部に挿入された。
- シングル<YES-YES-YES>に女性の声(ねぇ、私のこと好き?)が入っていると、テレビのオカルト番組で取り上げられることがあるが、この声の主はレコーディングのとき、同じ録音スタジオを使っていた“レモンツリー”という男女デュオの女性である合沢尚子で、意図的に収録されていることが当時の音楽雑誌『ギターブックGB』(ソニー・マガジンズ)の記事に掲載されている。
- 1982年の日本武道館10日間公演中の6月23日、ツアーの追加公演という形で横浜スタジアムでのコンサートが8月に計画されたが、7月5日に鈴木からの「区切りをつけたい」との申し入れにより中止となった。横浜スタジアム公演は後に小田がソロとして1992年8月29日、 30日の“MY HOME TOWN”で実現させている。
- <僕等の時代>は1987年から1991年まで、名古屋テレビのオープニングBGMとして使われた。
- <僕等の時代>の詞がオフコースの写真・プロフィールと共に、教育出版発行の中学校国語教科書『伝え合う言葉』に採用されている。
- <言葉にできない>のフェードアウトで曲が終わる直前に、当時の解散を示唆する“We are”, “over”, “thank you”のナレーションが収録されている。
- シングルのA面はほとんどが小田の曲だが、最初から小田の作品がA面と決められていたわけではなく、メンバー(ほとんどは小田か鈴木)が曲を持ち寄り、コンペティションを行った結果だった。このことは小田が『たしかなこと』[3]で、鈴木が自身のホームページでのファンからの質問への回答で、それぞれ異口同音に語っている。結果として小田の曲が多くA面に採用されたことについて、小田は「ヤス(鈴木)に対して申し訳ないと思っていた」、鈴木は「そういう結果だから仕方ないと思っていた」と語っている。鈴木はよく自身のオフコース時代を“B面人生”と自嘲したりしたことがあったが、A面の選ばれ方自体には特にわだかまりは無いと思われる。
- 全米デビューへの足がかりの一環として『Back Streets of Tokyo』が制作された1985年以前に、全米デビューを打診されていたことがある。松尾によれば、『We are』と『over』を聴いてオフコースを気に入ったBS&Tの元メンバーで当時キャピトル・レコードのプロデューサーだったBobby Colombyから<きかせて>と<せつなくて>で是非アメリカ・デビューを、との話をもらったという。すぐに英詞の仮歌によるデモテープが制作されたものの、直後に鈴木の離籍とグループの解散問題が浮上したため、それきりになったという[4]。
脚注
注釈
- ^ その数少ないテレビ出演も歌番組ではなくオレたちひょうきん族等のバラエティ番組でファンを驚かせた。
- ^ 大間はSoul & Beat Unit 天地人を2003年に結成。
- ^ 小田は2004年12月25日放送の『クリスマスの約束』でオフコースを取り上げているが、それは元メンバーに対して「(オフコースは)終わった」、「オフコース(の再結成)はもうないよ」というメッセージだという旨の発言をし、言葉をつまらせている。また、2004年10-12月放送の「風のようにうたが流れていた」では、「オフコースは学校のようなもの。学校はいずれ卒業する時が来る」と語っている。鈴木の考えは鈴木康博の項参照。
- ^ a b 大阪の中学時代の同級生だった廣田龍人(リッキー)(ジョン担当)と清水仁(ポール担当)を中心に1969年結成されたビートルズコピーバンド。メンバーは廣田・清水のほか、ダンスホールのオーディションに彼らと共に来ていた他のバンドの川端孝博(ジョージ担当)と、廣田の弟の友人の城間正博(リンゴ担当)。1973年9月20日にアルバム『MEET THE BAD BOYS』 (LP:ETP-8269)でデビュー、同年10月20日にシングル「ビートルズが教えてくれた ⁄ チークを踊ろう」 (EP:ETP-2924)をリリース。1975年8月20日に2枚目のシングル「僕と踊ろう ⁄ アイツのせい」 (EP:ETP-20166)をリリース後、同年冬に解散。
- ^ 当初は本編の前座的な意味合いで午前中に登場、「グリーン・スリーブス」や「イエロー・バード」などフォークのヒット曲を演奏し歌ったが評判となり、閉会式の前にアンコールでステージに立った。このとき味わった喜びが、その後の小田・鈴木・地主の音楽を通じての交流に繋がった。
- ^ 千葉大学医学部に進学することも考えていたが、見学に行ったときに「カーテンが薄汚れていた」という理由でやめた。
- ^ 「西花苑」は、現・仙台市青葉区西花苑にあった遊園地。1963年(昭和38年)から昭和40年代まで存続し、小西造園が運営していた。ヘルスセンター(南欧風ジャングル大浴場・200畳の大広間)、花のコーナー(温室・花壇・熱帯植物園)、子供用の遊具などで構成されていた。仙台地区予選は温室で開催された。
- ^ 仙台地区からの出場は、関東地区から出場すれば非常に競争が激しいだろうという計算もあってのことだったが、実際には関東地区よりも仙台地区のほうがレベルが高かった。申し込みに行くと早速、係員に全国大会までの日程を尋ねた。合計四回行われる大会について詳しく聞いてゆくと、係員は途中からまるで真剣に取り合わなかったという。前年の「第3回 FOLK SONGの…」を最後に解散と考えていたが、もうひとつ、客観的な尺度での評価を受けたいとの希望からの出場だった。その一方で、「うまくすれば全国大会まで進めるかもしれない」という自信もあった。
- ^ 第1位は赤い鳥
- ^ この時のレパートリーは「One Boy」(ミュージカル『バーディー・バーディー』挿入歌)と「Jane Jane」(ピーター・ポール&マリー)、小田は最優秀歌唱賞を受賞。
- ^ 自分たちの演奏には絶対の自信があり、優勝して「ジ・オフ・コース」とアマチュア音楽活動を終え社会人になるつもりだったが、2位にとどまったことで小田・鈴木は気持ちに決着がつかなくなった。鈴木はミュージシャンになることを親に反対されていたが、これで音楽で生きて行く決心が固まり、内定を取っていた安川電機への就職を辞退した。
- ^ BETTY DEANはアマチュアで、1969年11月23日ヤマハ主催の「’69 作曲コンクール」(後の「ポピュラーソングコンテスト」)に「DON'T PASS ME BY」という自作曲で出場していた。
- ^ パシフィック・エンタープライズから独立した加藤和彦と杉田二郎は個人事務所を設立することになり、オフコースは両方から誘いを受けた。加藤の事務所はPA会社を併合したもので音楽的に魅力があった。杉田には一緒にコンサートを回るうちに人間的に惹かれ結局、杉田の「俺について来い」の一言で意を決した。後に小田は、加藤にそのことを報告したら「二郎のところもいいけど、音楽、全然違うじゃん」と言われたという。
- ^ 東芝レコード所属アーティストによるイベントコンサート。出演 : トワ・エ・モワ、イースト、オフ・コース、アリス、シュリークス、はしだのりひことエンドレス、ザ・ラニアルズ、チューリップ、りりィ、杉田二郎、加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド、赤い鳥。
- ^ このコンサートの数日前に新曲「忘れ雪」(作詞:松本隆、作曲:筒美京平)が発売されたが、レコード会社の幹部が来ていたにもかかわらず自分たちが望んでリリースした曲ではないとの理由で演奏しなかった。この出来事はファンのあいだで“「忘れ雪」事件”と呼ばれるようになり、この曲はその後も演奏されることはなかった。
- ^ 当時のマネージャー上野博の発案で計画されたシリーズ・コンサート。一味違った人たちと触れ合う中で何か新鮮なものを見つけ、色彩の豊かなコンサートにしようという目的でこの年に5回、全部で計8回開かれた。
- ^ 聖光祭実行委員会のイベント担当者が依頼したところ、音響設備だけ手配すればとの条件で、ノーギャラでの出演をOKした。このコンサートの開始前には、オフコースの2人と同期にあたる当時の世界史担当の斉藤教諭と在校生との座談会を実施。座談会には、10月4日の“秋ゆく街でII”で「オフコース万歳」と叫んだ声がライブ・アルバムにも収録された当時の現役聖光生も出演した。コンサート終了後、在校生が花束贈呈とともにステージ上で「オフコース万歳」と叫んだ。
- ^ 鈴木は「技術力が無い」として清水の参加に反対したが、小田が「オフコースには仁のような人柄の人間が必要だ」として引き下がらなかったため、渋々了承した。後に、清水の人間的な雰囲気の良さに「結果的には小田の言う通りになった」と語っている。
- ^ “全国60か所”というのはというのは県庁所在地クラスの都市40か所以上を回る、一流の証だという。[誰によって?]
- ^ 曲目:季節は流れて – やさしさにさようなら – 眠れぬ夜 – 恋を抱きしめよう – 通り過ぎた夜 – あなたのすべて – 新しい門出 – ひとりで生きてゆければ – 潮の香り – 秋の気配 – California Dreamin' – 想い出のサンフランシスコ – 君を待つ渚 – 愛の唄 – 老人のつぶやき – HERO – 心は気紛れ – ランナウェイ – のがすなチャンスを – 愛を止めないで – (アンコール) 風に吹かれて – 眠れぬ夜 – ランナウェイ – さわやかな朝を迎えるために – のがすなチャンスを – いつもいつも
- ^ 曲目:愛を止めないで – 眠れぬ夜 – おまえもひとり – こころは気紛れ – 愛の唄 – Today – A Soalin' – 僕の贈りもの – でももう花はいらない – Day By Day – 秋の気配 – 風に吹かれて – Yes-No – 一億の夜を越えて – のがすなチャンスを – 私の願い – きかせて – 僕等の時代 – 時に愛は
- ^ 他に松任谷由実『水の中のASIAへ』、大滝詠一『A LONG VACATION』も同賞を受賞。
- ^ それまでテレビメディアの取材をほとんど受けなかったため、当時異例の番組だった。アルバム『over』のレコーディング・リハーサル初日(8月16日)から終了(10月30日)までの約2か月半を密着取材。レコーディングの様子のほか、2月10日の日本武道館公演の模様も放送された。
- ^ コンサートへのチケット抽選応募葉書は約53万通にも及んだ。
- ^ 最終日には小田が「言葉にできない」で感極まり、歌に詰まっている。
- ^ ストーリーは1982年夏の武道館コンサート後に解散し、それぞれの道を歩んでいたメンバーが5年後の1987年夏に無理矢理再結成させられ、9月21日に再び武道館でコンサートを行うというもの。6月30日の武道館のライヴ映像がダイジェストで使われた。共演は謎の男役に中村敦夫、再結成についてコメントをする近藤真彦(声は田原俊彦)・具志堅用高・小森和子(の物真似)で片岡鶴太郎がそれぞれ出演したほか、メンバーを連れ去る2人組としてスタッフの富樫要と柿崎譲二も出演した)。
- ^ 当時の彼らのプライベート・スタジオ名にちなんで“GETTING BETTER DEMO”と題されたこのときのレコーディング曲は「SAYONARA(さよなら)」、「CITY NIGHTS(哀しいくらい)」、「YES-YES-YES (YES-YES-YES)」、「QUIET AS THE NIGHT(きかせて)」、「THE LITTLE ONES(生まれ来る子供たちのために)」、「THE PRICE OF FAME(NEXTのテーマ〜僕等がいた)」、「MYSTERY IN MY LIFE(哀しき街)」、「IT'S NOT MY AFFAIR(せつなくて)」、「GOOD TO HAVE YOU HERE (Yes-No)」の計9曲。
- ^ タモリは1976年ごろから「女々しい」、「歌が軟弱、根暗な奴が聞く曲だ」と、ラジオ番組で盛んに批判・揶揄した。これによりオフコースのファンから所属事務所へカミソリ入りの脅迫状が届くまでになったが、小田本人はタモリのことは「けっこう好き」と雑誌『ギターブック』でファンからの質問に回答し、このときの出演も簡単にOKした。
- ^ 曲目:おまえが欲しいだけ (吉田拓郎) – Yes-No
- ^ 曲目:緑の日々 – 君住む街へ – LAST NIGHT – 夏の日 – こころは気紛れ – 逢いたい – 時に愛は – 言葉にできない – きかせて – たそがれ – 夏の別れ – IT'S ALL RIGHT (ANYTHING FOR YOU) – She's so wonderful – 君が、嘘を、ついた – ぜんまいじかけの嘘 – Tiny Pretty Girl – YES-YES-YES – 生まれ来る子供たちのために – 君住む街へ – (アンコール) Yes-No – 眠れぬ夜 – 愛を止めないで – いつもいつも
- ^ このときも小田は「言葉にできない」で声を詰まらせた。
- ^ 小田にとってグループ解散後初の、元メンバーの楽曲へのレコーディング参加作品。
出典
外部リンク
- Off Course - ユニバーサル ミュージック合同会社による公式サイト
- オフコース - ソニーミュージックによる公式サイト。ファンハウス(現・アリオラジャパン)期の作品紹介。