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「中村元 (哲学者)」の版間の差分

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'''中村 元'''(なかむら はじめ、[[1912年]]([[大正]]元年)[[11月28日]] - [[1999年]]([[平成]]11年)[[10月10日]])は、[[インド]][[哲学者]]、[[仏教学者]]。[[東京大学]][[名誉教授]]、[[日本学士院]]会員。[[瑞宝章|勲一等瑞宝章]]、[[文化勲章]]、[[紫綬褒章]]受章。
'''中村 元'''(なかむら はじめ、[[1912年]]([[大正]]元年)[[11月28日]] - [[1999年]]([[平成]]11年)[[10月10日]])は、[[インド]][[哲学者]]、[[仏教学者]]。[[東京大学]][[名誉教授]]、[[日本学士院]]会員。[[瑞宝章|勲一等瑞宝章]]、[[文化勲章]]、[[紫綬褒章]]受章。


在家として紹介されるが、僧階についてどの流派のものもしていない。そのため、彼の解説する仏教は哲学的随筆の範疇を超えず、独自研究である。また、ブッダは苦行と修行を区別して正法などの教えを説いたが、己を律せず単に快楽を享受することを厳しく諫めているだけでなくそこに至るための修行を説いている。それゆえ、例えば仏教の基礎であり最終たる涅槃に至るには修行が必要であり、勝手にその境地にいたれるるわけではないことが自ずと示される。しかし、中村元は僧侶にとって修行の一貫としてあるそれを修行をしていない素の頭で理解できるものと位置付け翻訳している。そのため、本来の仏教の教えを損ねている。彼の翻訳は恣意的で、複数の経典と参照しても基礎的な部分でまちがっているものがある。
在家として紹介されるが、僧階についてどの流派のものも授戒していない。そのため、彼の解説する仏教は哲学的随筆の範疇を超えず、独自研究である。また、ブッダは苦行と修行を区別して正法などの教えを説いたが、己を律せず単に快楽を享受することを厳しく諫めているだけでなくそこに至るための修行を説いている。それゆえ、例えば仏教の基礎であり最終たる涅槃に至るには修行が必要であり、勝手にその境地にいたれるるわけではないことが自ずと示される。しかし、中村元は僧侶にとって修行の一貫としてあるそれを修行をしていない素の頭で理解できるものと位置付け翻訳している。そのため、本来の仏教の教えを損ねている。彼の翻訳は恣意的で、複数の経典と参照しても基礎的な部分でまちがっているものがある。


一例として中村元は「涅槃」を独自に、心の楽しみ、安らぎと翻訳したと後述するように、心の一つの側面にすぎない世俗的概念と関連付けた。一切悉有仏性とあるように人間には修行の上で仏の境地に至れる可能性をありがたくも説かれている。つまり涅槃とは端的に修行で己を諫め、その己で他人に尽くし功徳を積むことを喜びとせよという状態を未来永劫絶やさず行い初めて至れるものである。従って彼のいうものが涅槃であるならば快楽主義者にとっては世俗的快楽は心の安らぎたりうるし、中村元の翻訳の意味するところと「涅槃」とは程遠く経典を独自解釈どころか原点から大きく逸脱しており翻訳と呼べる代物ではないことを示している。つまり、経典を世俗的概念を用いた略記(いわゆる解説)だけでわかったと思い込むのは傲慢の象徴である。
一例として中村元は「涅槃」を独自に、心の楽しみ、安らぎと翻訳したと後述するように、心の一つの側面にすぎない世俗的概念と関連付けた。一切悉有仏性とあるように人間には修行の上で仏の境地に至れる可能性をありがたくも説かれている。つまり涅槃とは端的に修行で己を諫め、その己で他人に尽くし功徳を積むことを喜びとせよという状態を未来永劫絶やさず行い初めて至れるものである。従って彼のいうものが涅槃であるならば快楽主義者にとっては世俗的快楽は心の安らぎたりうるし、中村元の翻訳の意味するところと「涅槃」とは程遠く経典を独自解釈どころか原点から大きく逸脱しており翻訳と呼べる代物ではないことを示している。つまり、経典を世俗的概念を用いた略記(いわゆる解説)だけでわかったと思い込むのは傲慢の象徴である。
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そもそも超人的修練を経て高みに立ったいわゆる偉人の言葉を何の修練も行わず理解できたとして大勢に向けて翻訳する行為は仏教への冒涜である。このことは仏教に限らずトップアスリート、職人のかたる言葉、他の宗教、芸術を実際の修練を一切経験せず理解できたと捉えることと同様である。なお、経典を何の修練を経ず理解したと思い込んでいなければ一般向けに経典の解説などと理屈のみで教義をかたるいわゆるカルト宗教と同等の言動はしない。しているということは、中村元が、僧侶のように衆生済度や人助けのために経典から学び活かすのではなく、生きる指針を得るための便利な道具として経典を捉えていることの証である。要するに中村元は求道とか釈迦の教えなどと経典と全く同一の大層な書名で出版しているものの実態は仏教とは一切関係せずそもそも仏教に反しており、カルトである。
そもそも超人的修練を経て高みに立ったいわゆる偉人の言葉を何の修練も行わず理解できたとして大勢に向けて翻訳する行為は仏教への冒涜である。このことは仏教に限らずトップアスリート、職人のかたる言葉、他の宗教、芸術を実際の修練を一切経験せず理解できたと捉えることと同様である。なお、経典を何の修練を経ず理解したと思い込んでいなければ一般向けに経典の解説などと理屈のみで教義をかたるいわゆるカルト宗教と同等の言動はしない。しているということは、中村元が、僧侶のように衆生済度や人助けのために経典から学び活かすのではなく、生きる指針を得るための便利な道具として経典を捉えていることの証である。要するに中村元は求道とか釈迦の教えなどと経典と全く同一の大層な書名で出版しているものの実態は仏教とは一切関係せずそもそも仏教に反しており、カルトである。


'''河口慧海は一日中仕事を行わないオフの日も僧侶として修行を完全に出来ていないことを日本仏教の腐敗とき、オンの日さえ僧侶として修行することをやめ形式的規範の遵守にのみに終始して利他の実践を放棄してしまったが、中村元はオンオフも修行せず形式的規範を知ることさえままならなず当然、利他の実践もできていない。'''
'''河口慧海は一日中仕事を行わないオフの日も僧侶として修行を完全に出来ていないことを嘆たが、中村元はオンオフも修行せず形式的規範を知ることさえままならなず当然、利他の実践もできていない。'''


== 略歴 ==
== 略歴 ==

2017年2月14日 (火) 16:17時点における版

中村 元(なかむら はじめ、1912年大正元年)11月28日 - 1999年平成11年)10月10日)は、インド哲学者仏教学者東京大学名誉教授日本学士院会員。勲一等瑞宝章文化勲章紫綬褒章受章。

在家として紹介されるが、僧階についてどの流派のものも授戒していない。そのため、彼の解説する仏教は哲学的随筆の範疇を超えず、独自研究である。また、ブッダは苦行と修行を区別して正法などの教えを説いたが、己を律せず単に快楽を享受することを厳しく諫めているだけでなくそこに至るための修行を説いている。それゆえ、例えば仏教の基礎であり最終たる涅槃に至るには修行が必要であり、勝手にその境地にいたれるるわけではないことが自ずと示される。しかし、中村元は僧侶にとって修行の一貫としてあるそれを修行をしていない素の頭で理解できるものと位置付け翻訳している。そのため、本来の仏教の教えを損ねている。彼の翻訳は恣意的で、複数の経典と参照しても基礎的な部分でまちがっているものがある。

一例として中村元は「涅槃」を独自に、心の楽しみ、安らぎと翻訳したと後述するように、心の一つの側面にすぎない世俗的概念と関連付けた。一切悉有仏性とあるように人間には修行の上で仏の境地に至れる可能性をありがたくも説かれている。つまり涅槃とは端的に修行で己を諫め、その己で他人に尽くし功徳を積むことを喜びとせよという状態を未来永劫絶やさず行い初めて至れるものである。従って彼のいうものが涅槃であるならば快楽主義者にとっては世俗的快楽は心の安らぎたりうるし、中村元の翻訳の意味するところと「涅槃」とは程遠く経典を独自解釈どころか原点から大きく逸脱しており翻訳と呼べる代物ではないことを示している。つまり、経典を世俗的概念を用いた略記(いわゆる解説)だけでわかったと思い込むのは傲慢の象徴である。

頭で理解できるものと思い込む限り仏教の経典は単なる形式的規範(中村元のいう生きる指針)に形骸化する。しかし、実際のところ、実践の伴う教えやその教えによる運動、作用などの超人的働きは、本人の感覚、体験によってのみうかがい知れる。仏のように一瞬、一側面でも涅槃たるものに近づけたと錯覚しても、その一瞬以外が駄目であったらどんなに周囲に認められていても、それはその人に仏性があり修行をすれば涅槃の境地に至れるかもしれないことを示しているにすぎないのである(経典ではこのような状態も無論戒められる)。だから僧侶は在家であっても一生修行している。仏教における一般常識では、修行しなくとも心が平和で安らいでいて快楽享受して楽しければ涅槃として事足りるとするのは現実的に断じてありえない。

そもそも超人的修練を経て高みに立ったいわゆる偉人の言葉を何の修練も行わず理解できたとして大勢に向けて翻訳する行為は仏教への冒涜である。このことは仏教に限らずトップアスリート、職人のかたる言葉、他の宗教、芸術を実際の修練を一切経験せず理解できたと捉えることと同様である。なお、経典を何の修練を経ず理解したと思い込んでいなければ一般向けに経典の解説などと理屈のみで教義をかたるいわゆるカルト宗教と同等の言動はしない。しているということは、中村元が、僧侶のように衆生済度や人助けのために経典から学び活かすのではなく、生きる指針を得るための便利な道具として経典を捉えていることの証である。要するに中村元は求道とか釈迦の教えなどと経典と全く同一の大層な書名で出版しているものの実態は仏教とは一切関係せずそもそも仏教に反しており、カルトである。

河口慧海は一日中仕事を行わないオフの日も僧侶として修行を完全に出来ていないことを嘆いたが、中村元はオンオフも修行せず形式的規範を知ることさえままならなず当然、利他の実践もできていない。

略歴

没後

  • 2001年 (平成13年)6月 - 『広説 佛教語大辞典』を刊行(全4巻、東京書籍、縮刷版全2巻が2010年7月に刊行)。
  • 2012年 (平成24年)10月10日 - 生誕100年を記念して、松江市八束町に中村元記念館が開設される。
  • 2012年 (平成24年)10月 - 『中村元博士著作論文目録』を刊行(ハーベスト出版、公益財団法人中村元東方研究所編集)。
  • 『道の手帖 中村元 仏教の教え人生の知恵』(河出書房新社、2005年9月、新装版2012年9月)、門下生・関係者の紹介を収録。
  • 植木雅俊 『仏教学者 中村元――求道のことばと思想』(角川選書、2014年)。著者は東方学院で10年近く中村の講義を受講した門下生。

エピソード

博士論文は5年がかりで完成させた。その原稿は単純計算でも四百字詰の原稿用紙で六千枚であったろう。リヤカーで弟に手伝ってもらって運びこんだ。指導教授の宇井伯壽も「読むのが大変だ」と悲鳴をあげたという[4]

サンスクリット語・パーリ語に精通し、仏典などの解説や翻訳に代表される著作は多数にのぼる。「生きる指針を提示するのも学者の仕事」が持論で、訳書に極力やさしい言葉を使うことでも知られた。その最も端的な例として、サンスクリットのニルヴァーナ(Nirvāṇa)およびパーリ語のニッバーナ(Nibbāna)を「涅槃」と訳さず「安らぎ」と訳したことがあげられる。訳注において「ここでいうニルヴァーナは後代の教義学者たちの言うようなうるさいものではなくて、心の安らぎ、心の平和によって得られる楽しい境地というほどの意味であろう。」としている。

中村が20年かけ1人で執筆していた『佛教語大辞典』が完成間近になったとき、ある出版社が原稿を紛失してしまった。中村は「怒ったら原稿が見付かるわけでもないでしょう」と怒りもせず、翌日から再び最初から書き直し、8年かけて完結させ、別の出版社(東京書籍)から全3巻で刊行[5]。完成版は4万5000項目の大辞典であり、改訂版である『広説佛教語大辞典』では更に8000項目が追加され没後全4巻を刊行した。校正や索引作成に協力した者がいるとは言え、基本的に1人で執筆した文献としては膨大なものである。

中村元は「心」をどう捉えていたか。現代人の最も知りたい「心」をどのように捉えていたかについて、朝日新聞社刊「脳とこころをさぐる」(1990年8月20日発行)に詳しい。同書は中村が76歳の時の講演録である。 注)同書には専門書では発見できない中村の「人の『心』について」及び「21世紀以降の人類社会のあるべき大前提」についての発言が掲載されている、なお、同講演会は鈴木二郎(元日本脳神経外科学会会長)藤田真一(元朝日新聞編集委員)の三人が「人間の死生観」についての討論講演会録を出版物にしたものである。

なお日本以外にも、国際的な仏教学者の権威としてアメリカ・ヨーロッパなど各地で講義・講演した。音声録音が多数残されている。NHK『こころの時代』など放送番組にも度々出でいる。

中村の生涯と思想については、数々のエピソードを交えてつづられた評伝・植木雅俊著『仏教学者 中村元――求道のことばと思想』(角川選書、2014年)に詳しい。

著作

翻訳

著書(主に現行版)

辞典

  • 『広説佛教語大辞典』(東京書籍2001年、新版2010年)
  • 『新・仏教辞典』(監修) (誠信書房 第三版 2006年)
  • 『岩波・仏教辞典』(編集の一人)(岩波書店、1989年、第二版2002年)

『中村元選集』(春秋社、1988年〈第1巻〉~1999年〈別巻4〉)

  • 第1巻 『インド人の思惟方法 東洋人の思惟方法 I
  • 第2巻 『シナ人の思惟方法 東洋人の思惟方法 II
  • 第3巻 『日本人の思惟方法 東洋人の思惟方法 III
  • 第4巻 『チベット人・韓国人の思惟方法 東洋人の思惟方法 IV
  • 第5巻 『インド史 I』
  • 第6巻 『インド史 II』
  • 第7巻 『インド史 III』
  • 第8巻 『ヴェーダの思想』
  • 第9巻 『ウパニシャッドの思想』
  • 第10巻 『思想の自由とジャイナ教』
  • 第11巻 『ゴータマ・ブッダ I 原始仏教 I
  • 第12巻 『ゴータマ・ブッダ II 原始仏教 II
  • 第13巻 『仏弟子の生涯 原始仏教 III
  • 第14巻 『原始仏教の成立 原始仏教 IV
  • 第15巻 『原始仏教の思想 I 原始仏教 V
  • 第16巻 『原始仏教の思想 II 原始仏教 VI
  • 第17巻 『原始仏教の生活倫理 原始仏教 VII
  • 第18巻 『原始仏教の社会思想 原始仏教 VIII
  • 第19巻 『インドと西洋の思想交流』
  • 第20巻 『原始仏教から大乗仏教へ 大乗仏教 I
  • 第21巻 『大乗仏教の思想 大乗仏教 II
  • 第22巻 『空の論理 大乗仏教 III
  • 第23巻 『仏教美術に生きる理想 大乗仏教 IV
  • 第24巻 『ヨーガとサーンキヤの思想 インド六派哲学 I
  • 第25巻 『ニヤーヤとヴァイシェーシカの思想 インド六派哲学 II
  • 第26巻 『ミーマーンサーと文法学の思想 インド六派哲学 III
  • 第27巻 『ヴェーダーンタ思想の展開 インド六派哲学 IV
  • 第28巻 『インドの哲学体系 I 『全哲学綱要』訳註 I
  • 第29巻 『インドの哲学体系 II 『全哲学綱要』訳註 II
  • 第30巻 『ヒンドゥー教と叙事詩』
  • 第31巻 『近代インドの思想』
  • 第32巻 『現代インドの思想』
  • 別巻1 『古代思想 世界思想史 I
  • 別巻2 『普遍思想 世界思想史 II
  • 別巻3 『中世思想 世界思想史 III
  • 別巻4 『近代思想 世界思想史 IV
  • 別巻5 『東西文化の交流 日本の思想 I
  • 別巻6 『聖徳太子 日本の思想 II
  • 別巻7 『近世日本の批判的精神 日本の思想 III
  • 別巻8 『日本宗教の近代性 日本の思想 IV

CD・カセット

  • 中村元講演選集 『ゴータマ・ブッダの心を語る カセット全12巻』(アートデイズ
    • 『ゴータマ・ブッダの心を語る CD版全11巻』(アートデイズ 2010年)
  • ブッダの言葉』、『ブッダの生涯』(新潮社、新潮CD 2007年/ 新潮カセット 1992年)

論文

関連項目

脚注

  1. ^ 博士論文書誌データベースによる
  2. ^ 『比較思想論』(岩波全書)と、東京書籍刊で『比較思想事典』(監修)、『比較思想の軌跡』がある。
  3. ^ 『東方学回想 Ⅷ 学問の思い出〈3〉』(刀水書房、2000年) に収録(年譜・書誌入りで177~208頁)。
  4. ^ 植木[2014:31]
  5. ^ 1999年10月11日の朝日新聞および日経新聞の追悼記事

外部リンク

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