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アリゾナ・カージナルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アリゾナ・カージナルス
Arizona Cardinals
創設 1898年 (126年前) (1898)
NFL参入 1920年シーズン
所属地区
  • NFL(1920-現在)
    • NFC(1970-現在)
    西地区(2002-現在)
    東地区(1970-2001)
    • 東カンファレンス(1953-1969)
    センチュリー地区(1967-1969)
    地区分けなし(1953-1966)
    • アメリカン・カンファレンス(1950-1952)
    • 東地区(1933-1949)
    • 地区分けなし(1920-1932)
  • 独立チーム(1913-1919)
  • アマチュアチーム(1898-1906)
チームデザイン
チームロゴ
チームカラー
  カーディナルレッド
 
 
ユニフォーム
チーム名
  • アリゾナ・カージナルス(1994-現在)
    • フェニックス・カージナルス(1988-1993)
    • セントルイス・カージナルス(1960-1987)
    • シカゴ・カージナルス(1922-1943, 1945-1959)
    • カード・ピット(1944)[注 1]
    • ラシーン・カージナルス(1919-1921)
    • ラシーンストリート・カージナルス(1901-1906, 1913-1918)
    • ラシーン・ノーマルズ(1899-1900)
    • モーガン・アスレチッククラブ(1898-1899)
ホームタウン
アリゾナ・カージナルスの位置(アメリカ合衆国内)
1988-現在
1988-現在
1960-1987
1960-1987
1920-1959
1920-1959

アリゾナ州グレンデール(2006-現在)
アリゾナ州テンピ(1988-2005)
ミズーリ州セントルイス(1960-1987)
イリノイ州シカゴ(1920-1959)

ステートファーム・スタジアム
 ユニバーシティ・オブ・フェニックス・スタジアム
(2006-現在)
サンデビル・スタジアム(1988-2005)
ブッシュ・スタジアムII
 シビックセンター・ブッシュ・メモリアル・スタジアム
(1966-1987)
ブッシュ・スタジアム(1960-1965)
リグレー・フィールド(1931-1938)
コミスキー・パーク(1922-1925, 1929-1930, 1939-1958)
ノーマル・フィールド(1920-1921, 1926-1928)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (0回)
カンファレンス・チャンピオン (1回)
NFC
地区優勝 (5回)
旧NFC東地区
NFC西地区
ワイルドカード(3回)
プレーオフ進出(9/59回)
AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン
地区優勝
NFL西
球団組織
オーナー マイケル・ビドウィル
GM モンティ・オッセンフォート
ヘッドコーチ ジョナサン・ギャノン

アリゾナ・カージナルス英語: Arizona Cardinals、略称: ARI)は、アメリカ合衆国アリゾナ州フェニックス近郊のグレンデールに本拠地をおくNFLチーム。NFC西地区に所属している(2001年までNFC東地区に所属していた)。1898年モーガン・アスレチッククラブとして設立された、現存する最古のプロフットボールチームである。ホームスタジアムはステートファーム・スタジアム。本部と練習場は、グレンデールと同じフェニックス都市圏のテンピに位置している。

スーパーボウルが始まる前の1925年、1947年にNFLチャンピオンとなっている。第43回スーパーボウルに出場している。

概要

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アリゾナ・カージナルスは、1898年モーガン・アスレチッククラブ(Morgan Athletic Club)の名称でイリノイ州シカゴで設立されたアマチュアのフットボールチームを発端とする。チーム名は1899年ラシーン・ノーマルズ(Racine Normals)、1901年ラシーンストリート・カージナルス(Racine Street Cardinals)[注 2]1919年ラシーン・カージナルス(Racine Cardinals)へと変更された。1920年9月17日、第一期メンバーとしてNFL(当時はAPFA)へ加入した。NFL創成期から在籍しているチームは、現在ではカージナルスとシカゴ・ベアーズ(当時は、デカター・ステイリーズ)の2チームのみである[注 3]1922年シカゴ・カージナルス(Chicago Cardinals)に改名した。その後、1960年にシカゴからミズーリ州セントルイスに移転し、セントルイス・カージナルス(St. Louis Cardinals)の名称で1987年まで本拠地を置いていた[注 4]1988年には、アリゾナ州テンピに移転し、チーム名はフェニックス・カージナルス(Phoenix Cardinals)と改称され、アリゾナ州立大学のキャンパス内にあるサンデビル・スタジアム英語版をホームスタジアムとした。1994年には、チーム名が現在のアリゾナ・カージナルス(Arizona Cardinals)へ変更された。2006年、ホームスタジアムをグレンデールステートファーム・スタジアム(当時は、ユニバーシティ・オブ・フェニックス・スタジアム)に移転したが、チームの本部と練習施設は引き続きテンペに置かれている。

チームは、シカゴ時代に2度のNFLチャンピオンを果たしている。 1925年にチーム初のNFLチャンピオンを制覇した際、ポッツビル・マルーンズ英語版との間で論争が巻き起こっている。 2度目は1947年に果たした。

現在チームは、1947年のチャンピオン英語版獲得以来、76シーズン連続で優勝から遠のいており、これは北米4大プロスポーツリーグの中で最長記録である。2012年、NFL初となる700敗を記録した。2020年シーズン終了時点のこれまでの勝敗記録(レギュラーシーズンとプレーオフゲームを含む)は、573勝780敗41分[注 5]である。プレーオフへは10度出場するも、カンファレンス優勝は2008年の1度のみで、出場した第43回スーパーボウルでは27–23でピッツバーグ・スティーラーズに敗れている。

夏季トレーニングキャンプは、1988年から2012年まで(プレスコットで実施した2005年を除く)長らくフラッグスタッフ北アリゾナ大学英語版で実施していたが、2013年からは本拠地のユニバーシティ・オブ・フェニックス・スタジアムで実施している。

歴史

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創成期・シカゴ時代

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1898年に創設されたモーガン・アスレティック・クラブ
シカゴ・カージナルスのロゴマーク

チームは1898年にクリス・オブライエンにより、モーガン・アスレチッククラブとしてシカゴで創設された。1899年にチームはホームスタジアムをノーマル・パークに移しラシーン・ノーマルズと改称、1901年にシカゴ大学からマルーンのユニフォームを購入した。この時オーナーはこれはマルーンではなくカーディナルレッド枢機卿の礼服の色)だと述べ、それがチームの愛称となりラシーンストリート・カージナルス(Racine Street Cardinals)と改称した。チーム名のラシーンは、シカゴのラシーン・アベニューから取られた。1906年にいったんチームは解散したが1913年にプロチームとして再建された。1918年に第一次世界大戦スペインかぜの影響で活動を一時停止したが年内に活動を再開した。

1920年ラシーン・カージナルスとしてNFL(当時は、アメリカン・プロフェッショナル・フットボール・アソシエーション、1922年に現名称)に加入し、オリジナルメンバーとなった。NFL発足当時から現在まで存続しているチームは他にシカゴ・ベアーズ(当初はデカター・ステイリーズ)のみである。1922年にウィスコンシン州ラシーンを本拠地とするホーリック・ラシーン・リージョンが加入したため、俗称のシカゴ・カージナルスを正式にチーム名とし、同時に本拠地もコミスキー・パークに移した。1925年に11勝2敗1分の成績でチームは初めてNFLチャンピオンとなった。1929年、オブライエンオーナーはデビッド・ジョーンズへ2万5000ドルでチームを売却した。その後1932年にジョーンズからチャールズ・ビドウィルへチームの売却について合意がなされたがシカゴ・ベアーズの株式を持っていたビドウィルがこれを売却する1933年まで合意が公表されることはなかった。

その後1930年代には10年間で2回しか勝ち越しできなかった。1933年よりリーグは東西2つに分かれることとなったが、カージナルスはウェスタン・ディビジョンに所属することとなった。1936年から1945年までは10シーズン連続で負け越した。第二次世界大戦の影響で1944年に1シーズンのみピッツバーグ・スティーラーズと合同チームを結成しカード・ピット(Card-Pitt)となったが10連敗に終わった。

1945年は1勝に終わったものの1946年には6勝5敗と勝ち越し、1947年に9勝3敗の成績を上げたチームはその年のNFLチャンピオンシップゲームフィラデルフィア・イーグルスを28-21で破り2度目のNFLチャンピオンとなった。しかし優勝の8ヶ月前にビドウィルオーナーは肺炎のために亡くなっており未亡人のバイオレット・ビドウィルがオーナーに就任していた。この時のスター選手はQBポール・クリストマン、HBチャーリー・トリッピエルマー・アングズマン、FBのパット・ハーダーらであった。1948年チームは11勝1敗で2年連続NFLチャンピオンシップゲームに出場したがこの年は0-7でフィラデルフィア・イーグルスに敗れた。1949年バイオレットオーナーはミズーリ州セントルイスの実業家、ウォルター・ウォルフナーと結婚した。チームは6勝5敗1分でシーズンを終えた。

1950年、NFLにオール・アメリカ・フットボール・カンファレンス(AAFC)から4チームが加入した際、アメリカン・カンファレンス(1953年からイースタン・カンファレンス)に所属することとなった。チームは1950年代の10年でわずか33勝しかあげることができず観客はまばらとなりチームは倒産寸前となった。

セントルイス時代

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1959年シーズン終了後、フランチャイズをセントルイスに移転し、セントルイス・カージナルス(St. Louis Cardinals、MLB球団のセントルイス・カージナルスと同じ愛称)と改称した。この移転には1960年からNFLに対抗するAFLが誕生する際にセントルイスに球団が設立されるのを阻止する目的も含まれたものであった。セントルイスへの移転はNFLのオーナー会議にかけられて12人のオーナーによる全会一致で移転は承認された。この時代のスター選手はラリー・ウィルソンチャーリー・ジョンソンジム・バッケンソニー・ランドルジム・ハートらである。

1962年にバイオレットは亡くなり息子のチャールズ・ビドウィル・ジュニア、ビル・ビドウィルがチームを運営するようになった。1964年、ビドウィルオーナーはアトランタにチームを移転することを検討したが新スタジアムを建設するので留まるようセントルイス市当局の訴えを受け、移転は白紙となりアトランタにはアトランタ・ファルコンズが新フランチャイズとして誕生することとなった。

1965年チームは4勝1敗と好スタートを切ったが5勝9敗でシーズンを終えた。1966年も一時8勝2敗1分でイースタン・カンファレンストップを走ったがそこから3連敗して8勝5敗1分となりプレーオフ出場は果たせなかった。1967年チームはイースタン・カンファレンスのセンチュリー・ディビジョンに所属することとなった。この年は6勝7敗1分で終えた。1968年、9勝4敗1分の好成績を残したがプレーオフ出場は叶わなかった。1969年は4勝9敗1分に終わったがこの年から14シーズン、カージナルスでプレーし後にプロフットボール殿堂入りを果たしたロジャー・ウェールリミズーリ大学から入団し先発セイフティとして活躍した。1970年のNFLとAFLの統合した際にNFCの東地区に所属することとなった。

1970年11月、チームはヒューストン・オイラーズニューイングランド・ペイトリオッツダラス・カウボーイズに3試合連続で完封勝利を果たした。コットン・ボウルで行われたマンデーナイトフットボールのカウボーイズ戦では38-0の大勝であった。しかしシーズン最後3試合のニューヨーク・ジャイアンツデトロイト・ライオンズワシントン・レッドスキンズ戦に3連敗し8勝5敗1分に終わりプレーオフを逃した。1971年から1973年までは3年連続4勝9敗1分に終わった。なお1972年からビル・ビドウィルが単独オーナーとなり現在までチームを所有している。1つのファミリーがNFLチームを所有している期間としてこれより長いのはニューヨーク・ジャイアンツシカゴ・ベアーズだけである。

1972年シーズン終了後、ラリー・ウィルソンが現役を引退、1973年チームにサンディエゴ州立大学からドン・コリエルがヘッドコーチに就任した。1974年、チームは開幕から7連勝を果たしNFC東地区優勝を果たした。チームがプレーオフに出場するのは1948年以来のことであった。プレーオフ、敵地メトロポリタン・スタジアムで行われたミネソタ・バイキングス戦でチームは7-0と先制したがハーフタイム前にFGに失敗するとモメンタムを失い後半開始7分で16失点するなど14-30で敗れた。

1975年もチームは地区優勝を果たしたがロサンゼルス・メモリアル・コロシアムで行われたロサンゼルス・ラムズ戦でローレンス・マッカチオンにNFLのプレーオフ記録となる202ヤードを走られジャック・ヤングブラッドビル・シンプソンにインターセプトリターンTDを許すなど23-35で敗れた。この時代チームはダン・ディアードルフコンラッド・ドブラートム・バンクスといった優れたオフェンスラインに支えられた。この時代のチームは接戦が多くメディアやファンはCardic Cardinals とチームを呼んだ。この時代のスターはウェールリ、メル・グレイテリー・メトカーフジム・オーティスであった。

1976年、チームは10勝4敗の好成績を残したが、同じ10勝4敗となった同地区のワシントン・レッドスキンズに2敗しており、NFCのチームとして10勝しながら初めてプレーオフ出場を逃したチームとなった。1977年チームはシーズン途中6連勝を果たしたがその後翌1978年にまたがり12連敗した。この連敗の中には1976年創設されてから26連敗し、ホームではまだ勝ち星をあげていいなかったタンパベイ・バッカニアーズタンパ・スタジアムで敗れた試合も含まれた。1977年シーズン終了とともにコリエルヘッドコーチ、メトカーフ、ドブラーはチームを去った。

1978年チームはオクラホマ大学を17年間指揮した名将、バド・ウィルキンソンを新ヘッドコーチに迎えた。しかしウィルキンソンは1963年を最後にコーチを引退しており、1978年、チームは開幕から8連敗し6勝10敗、1979年も3勝10敗の成績で解任され最後の3試合はラリー・ウィルソンが暫定ヘッドコーチに就任し5勝11敗で終えた。この時代チームはドラフトの失敗や不幸な出来事が重なった。1978年のドラフト1巡で指名されたスティーブ・リトルは1980年に交通事故で選手生命を失い、1979年のトレーニングキャンプ中にJ・V・ケイン心臓発作で死去した。

カージナルスは28シーズンをセントルイスで戦ったがその間プレーオフに出場したのは1974年、1975年、1982年のわずか3回であり187勝202敗13分、勝率.481に終わった。

1982年から1984年までチームは3年連続で勝ち越した。この時代のスターはQBニール・ロマックス、WRロイ・グリーン、RBオーティス・アンダーソンである。1982年ストライキで短縮されたシーズンを5勝4敗で終えたチームは16チームが出場することとなったプレーオフに出場したがグリーンベイ・パッカーズに16-41で敗れた。

WRのロイ・グリーン(1986年)

1983年、チームはこの年第18回スーパーボウルを制するオークランド・レイダースを破るなど8勝7敗1分の成績を残した。1984年、チームは最終週のワシントン・レッドスキンズに勝利すればプレーオフ出場を果たせるところであったが逆転を狙ったFGが失敗し27-29で敗れた。1985年、チームは3勝1敗と好スタートを切ったが5勝11敗に終わり、6シーズンチームの指揮を執ったジム・ハニファンはチームを去った。彼の後任となったのがトム・ランドリーのもとでアシスタントコーチを務めたこともあるテキサス農工大学の元ヘッドコーチ、ジーン・スターリングである。1986年、4勝11敗1分、1987年、7勝8敗とチーム成績は改善された。この年のタンパベイ・バッカニアーズ戦では3-28と25点差リードされた状況から第4Qに28点を取り、31-28と逆転勝利をおさめた。これは第4Q最大得点差からの逆転勝利としてNFL記録となっている。

この時期、老朽化したブッシュ・メモリアル・スタジアムやチーム成績の影響で観客数は伸び悩み、ビドウィルオーナーはボルチモアフェニックスジャクソンビルなどへの移転を検討した。いったんは地元ファンの反対もあり計画は中止されたが1987年ホーム最後のゲームとなったニューヨーク・ジャイアンツ戦は29,623人の観客しか入らなかった。そして翌1988年アリゾナ州フェニックス都市圏に移転し、フェニックス・カージナルス(Phoenix Cardinals)と改称した。

アリゾナ時代

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アリゾナへ移転を果たしたものの、貯蓄貸付組合からの資金調達ができず、新スタジアム建設は果たせなかった。そのため、テンピにあるアリゾナ州立大学が所有するサンデビル・スタジアムを本拠地とした。アリゾナに移転してからもチームはNFC東地区に所属した。そのためロードゲームにおける移動距離はNFL一であることが多かった。また73,000人収容可能なスタジアムに観客は平均35,000人しか入らずチケットが完売するのは平均して年に8試合中2試合ほどであった。

1994年3月に現在のアリゾナ・カージナルスと改称した。

2002年ヒューストン・テキサンズが加入した際の地区再編でそれまで所属していたNFC東地区からNFC西地区に移った。この年のドラフト3巡目でQBジョシュ・マカウンを指名した。

2004年4月にカージナルスに所属しながらアメリカ陸軍のレンジャー部隊に所属していたパット・ティルマンイラク戦争従軍中に戦死した。カージナルスはティルマンの死を悼み背番号「40」を永久欠番とした。
同年のドラフト1巡目全体3位でピッツバーグ大学WRのラリー・フィッツジェラルドを獲得した。

2006年から本拠地としているステートファーム・スタジアム(当時は、ユニバーシティ・オブ・フェニックス・スタジアム)

2006年からはアリゾナ州の外部団体が所有する、ユニバーシティ・オブ・フェニックス・スタジアムに本拠地を移した。フェニックス大学は命名権を有するだけで、この後、カーディナルスは大学チームとスタジアムを共用してはいない。

2007年ピッツバーグ・スティーラーズのオフェンシブ・コーディネーターだったケン・ウィゼンハントがヘッドコーチに就任した。NFLドラフトでは、1巡目全体5位でペンシルベニア州立大学のOTリーバイ・ブラウンを指名した。

2008年、ドラフトでは1巡目(全体16位)でテネシー州立大学のコーナーバックドミニク・ロジャース=クロマティを指名した。シーズンでは、1975年以来で、NFC西地区では初となる地区優勝を果たした。地区優勝を決めた後、調子を落としたもののプレーオフに入ってからQBカート・ワーナーWRラリー・フィッツジェラルドらの活躍、レギュラーシーズン不振だったディフェンスのがんばりでアトランタ・ファルコンズカロライナ・パンサーズフィラデルフィア・イーグルスを破りピッツバーグ・スティーラーズ第43回スーパーボウルで対戦した。前半終了間際、ワーナーのパスがエンドゾーンでインターセプトされ100ヤードリターンタッチダウンをされるなど大きくリードされたがその後フィッツジェラルドへのTDパス2本が決まり逆転を果たした。しかし終了1分を切ったところでスティーラーズの逆転タッチダウンが決まりスーパーボウル初制覇はならなかった。

パスをキャッチするラリー・フィッツジェラルド

2009年、チームは2年連続で地区優勝を果たし、シーズンでは10勝6敗とアリゾナ移転以来の最も良い成績だった。プレーオフでは、ニューオーリンズ・セインツに14-45で敗れた。シーズン終了後、QBのカート・ワーナーは引退した。

2010年のシーズンオフにQBデレック・アンダーソンを獲得、ワーナーの後継として期待がかかっていたマット・ライナート(2006年ドラフト全体10位指名)はシーズン開幕前に解雇された[1]。シーズン開幕後、不安定なアンダーソンに代わりドラフト外で入団した新人QBマックス・ホールが先発を務めることとなった。

2011年フィラデルフィア・イーグルスからQBケビン・コルブを獲得した。コルブは故障がちでジョン・スケルトンと併用された。ドラフト1巡目全体5位で獲得したCBパトリック・ピーターソンがパントリターンで4タッチダウンをあげる活躍を見せた。オーバータイムでの勝利も何度かあり、8勝8敗でシーズンを終えた。

2012年、開幕直前までケビン・コルブジョン・スケルトンが先発QB争いを行ったが、両者ともにプレシーズンゲームでは結果を残せないまま、スケルトンが開幕戦のエースQBに指名された。その後、スケルトンが負傷退場、コルブがQBを務める中、1974年以来となる開幕からの4連勝をあげたが[2]、その後9連敗するなど、残り12試合で11敗し、5勝11敗でシーズンを終えた。シーズン終了後、ヘッドコーチのケン・ウィゼンハント、GMのロッド・グレイブズは解任された[3]。後任のヘッドコーチにはインディアナポリス・コルツで病気のためチームを離脱したチャック・パガーノの代わりに2012年シーズン途中指揮を執っていたブルース・エリアンスが就任した。

2013年、2013年ドラフト6巡指名権及び2014年ドラフト条件付き指名権と引き換えに4月2日、オークランド・レイダースからカーソン・パーマーをトレードで獲得した。10勝をするもプレーオフ進出はならなかった。翌2014年は前年を上回る11勝をし、セントルイスに本拠地を置いていた1975年以来最も多くの勝利を上げた。プレーオフでは、カロライナ・パンサーズに敗れた。2015年、コーチインターンとしてジェニファー・ウィルターを採用した。ウィルターはNFL初の女性コーチであると考えられている。シーズンでは13勝を上げ、6年ぶりの地区優勝を果たした。NFCチャンピオンシップゲームではパンサーズに2年連続でプレーオフで敗北した。エリアンスがヘッドコーチに就任して以降、スーパーボウル進出こそ果たせていないものの、レギュラーシーズンは3年連続で勝ち越しを果たした。エリアンスはコルツでペイトン・マニングアンドリュー・ラックピッツバーグ・スティーラーズベン・ロスリスバーガーを指導するなど[4]QB育成の実績を残してきたが、ここでもハイズマン賞受賞者でありながら安定した成績を残せずにいたカーソン・パーマーを正QBとして成長させ[5]、手腕を示した。

前年の好成績から優勝候補となっていた2016年は、7勝8敗1分と負け越した。2017年デビッド・ジョンソンやパーマーの怪我もあり、勝ち越すことはできず、2年連続してプレーオフを逃し、エリアンスは退任した。また、QBカーソン・パーマーもこの年限りの引退となった。カロライナ・パンサーズのディフェンシブ・コーディネーターだったスティーブ・ウィルクスが後任のヘッドコーチに就任した。

2018年、シーズン開始前にGMのスティーブ・カイムが飲酒運転で逮捕され、5週間の停職処分となった。シーズンでは、QBに新加入のサム・ブラッドフォードが起用されるも、4週目からはこの年のドラフト1巡目指名のジョシュ・ローゼンが起用されている。シーズン途中にQBブラッドフォード、オフェンシブ・コーディネーターのマイク・マッコイが解雇された。その結果、地区最下位かつカンファレンス最下位、3年連続でプレーオフを逃した。シーズン後、ヘッドコーチのウィルクスは解雇された。後任のヘッドコーチにはテキサス工科大学の元ヘッドコーチのクリフ・キングズベリーが就任した。

2019年、ドラフト全体1位でオクラホマ大学QBのカイラー・マレーを指名した。マレー指名後、ジョシュ・ローゼンはマイアミ・ドルフィンズへトレードされた。シーズンでは、マレーを先発QBとして起用するも、5勝10敗1分で2年連続で地区最下位となった。

2020年、シーズン直前にヒューストン・テキサンズからWRのディアンドレ・ホプキンスを獲得した[6]。シーズンでは、新型コロナウイルスの流行により、開幕2戦目と3戦目が無観客試合となった[7]。この年は、8勝8敗の地区3位となり、5年連続でプレーオフを逃した。シーズン後、ヒューストン・テキサンズからDEのJ・J・ワット[8]シンシナティ・ベンガルズからWRのA・J・グリーン[9]を獲得した。テネシー・タイタンズからCBのマルコム・バトラー英語版[10]も獲得したが、8月31日に個人的な理由で引退した[11]

2021年は本シーズンから4試合から3試合に減らされたプレシーズンゲームのうち最終戦をハリケーンによるニューオーリンズの被害により中止とされるも、開幕後はマレーを擁して7連勝を重ねた。終盤5試合は1勝にとどまって地区優勝できなかったものの、ワイルドカードで6年ぶりにプレーオフに進出した。初戦でロサンゼルス・ラムズに敗れた。

2022年は苦しみ、2022年12月12日のペイトリオッツ戦でマレーがACL断裂のシーズン中復帰不可能な重傷を負った[12]。翌週にはプレーオフ出場をのがすことが決まった。地区最下位でシーズンを終え、HCのキングズベリーは解任され、GMのカイムは病気のために退任した[13]。GMの後任にはテネシー・タイタンズで選手人事部門責任者であったモンティ・オッセンフォートが就任した。2023年2月14日、元イーグルスDCのジョナサン・ギャノンがHCに就任した。

2023年も第15週に地区最下位とプレーオフを逃すことが決定した。

文化

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ビッグ・レッド

マスコット

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チームの公式マスコットは、1998年に登場した猩々紅冠鳥ビッグ・レッド(Big Red)である。シカゴ時代から使用されているチームのロゴマークを元にマスコット化したもので、NFLの中でもとりわけ知名度の高いマスコットである。

2024年シーズン

2024年シーズンのカージナルスの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ビルズ 49ers バッカニアーズ ライオンズ カウボーイズ
2位 レイダース ジャガーズ ブラウンズ ドルフィンズ ラムズ セインツ パッカーズ イーグルス
3位 ブロンコス コルツ スティーラーズ ジェッツ シーホークス ファルコンズ バイキングス ジャイアンツ
4位 チャージャーズ タイタンズ ベンガルズ ペイトリオッツ カージナルス パンサーズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2024年シーズン及び過去15シーズンの成績
成績 NFC 地区 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 SOS SOV
2024 3位 1位 6 4 0 .600 2-0 3-3 238 220 23.8 22.0 .583 .459
2023 レギュラー敗退 15位 4位 4 13 0 .235 0–6 3–9 330 455 19.4 26.8 .561 .588
2022 レギュラー敗退 15位 4位 4 13 0 .235 1–5 3–9 340 449 20.0 26.4 .529 .368
2021 ワイルドカード敗退 5位 2位 11 6 0 .647 4–2 7–5 449 366 26.4 21.5 .490 .492
2020 レギュラー敗退 8位 3位 8 8 0 .500 2–4 6–6 410 367 25.6 22.9 .475 .441
2019 レギュラー敗退 12位 4位 5 10 1 .344 1–5 3–8–1 361 442 22.6 27.6 .529 .375
2018 レギュラー敗退 16位 4位 3 13 0 .188 2-4 3-9 225 425 14.1 26.6 .527 .302
2017 レギュラー敗退 10位 3位 8 8 0 .500 3-3 5-7 295 361 18.4 22.6 .488 .406
2016 レギュラー敗退 10位 2位 7 8 1 .469 4-1-1 6-5-1 462 368 28.9 23.0 .463 .366
2015 カンファレンス敗退 2位 1位 13 3 0 .813 4-2 10-2 489 313 30.6 19.6 .477 .457
2014 ワイルドカード敗退 5位 2位 11 5 0 .688 3-3 8-4 310 299 19.4 18.7 .523 .477
2013 レギュラー敗退 7位 3位 10 6 0 .625 2-4 6-6 379 324 23.7 20.3 .531 .444
2012 レギュラー敗退 14位 4位 5 11 0 .313 1-5 3-9 250 357 15.6 22.3 .559 .475
2011 レギュラー敗退 8位 2位 8 8 0 .500 4-2 7-5 312 348 19.5 21.8 .469 .391
2010 レギュラー敗退 15位 4位 5 11 0 .313 1-5 3-9 289 434 18.1 27.1 .465 .450
2009 ディビジョナル敗退 4位 1位 10 6 0 .625 4-2 8-4 375 325 23.4 20.3 .445 .356

2024年シーズン成績

NFC西地区 2024
チーム 勝率 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 SOS SOV 残試合
アリゾナ・カージナルス 6 4 0 .600 2-0 3-3 238 220 23.8 22.0 .583 .459 7
ロサンゼルス・ラムズ 5 5 0 .500 2-1 3-4 213 239 21.3 23.9 .525 .451 7
シアトル・シーホークス 5 5 0 .500 1-2 2-4 230 238 23.0 23.8 .519 .453 7
サンフランシスコ・49ers 5 5 0 .500 1-3 3-4 250 222 25.0 22.2 .500 .346 7
NFC 2024

チーム
勝率 DIV CON SOS SOV
地区1位
1 デトロイト・ライオンズ 9 1 0 .900 2-0 6-1 .480 .489
2 フィラデルフィア・イーグルス 8 2 0 .800 3-0 5-2 .390 .369
3 アリゾナ・カージナルス 西 6 4 0 .600 2-0 3-3 .583 .459
4 アトランタ・ファルコンズ 6 5 0 .545 4-1 6-2 .513 .426
ワイルドカード圏内
5 ミネソタ・バイキングス 8 2 0 .800 1-1 3-2 .452 .393
6 グリーンベイ・パッカーズ 7 3 0 .700 1-2 3-3 .544 .425
7 ワシントン・コマンダース 7 4 0 .636 2-1 5-2 .446 .324
プレーオフ圏外
8 ロサンゼルス・ラムズ 西 5 5 0 .500 2-1 3-4 .525 .451
9 シアトル・シーホークス 西 5 5 0 .500 1-2 2-4 .519 .453
10 サンフランシスコ・49ers 西 5 5 0 .500 1-3 3-4 .500 .346
11 シカゴ・ベアーズ 4 6 0 .400 0-1 2-3 .448 .293
12 タンパベイ・バッカニアーズ 4 6 0 .400 1-2 4-3 .632 .667
13 ニューオーリンズ・セインツ 4 7 0 .364 2-3 3-4 .504 .341
14 カロライナ・パンサーズ 3 7 0 .300 1-2 2-4 .434 .258
15 ダラス・カウボーイズ 3 7 0 .300 1-1 1-5 .558 .400
16 ニューヨーク・ジャイアンツ 2 8 0 .200 0-4 1-6 .534 .350
タイブレーク
                                   
ワイルドカード・プレーオフ ディビジョナル・プレーオフ
2025年1月11日か12日か13日
    1月18日か19日
    1月26日
    2月9日
シーザーズ・スーパードーム
 6    
 3      
2025年1月11日か12日か13日
     
         
 7     AFC
 2       1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
     
         
AFCチャンピオンシップ
1月26日
 5    
     
 4        
 1      
2025年1月11日か12日か13日
1月18日か19日
     
       
 6     第59回スーパーボウル
 3      
2025年1月11日か12日か13日
     
         
 7     NFC
 2       1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
     
         
NFCチャンピオンシップ
 5    
     
 4        
 1      
  • 対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
  • スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
  • チーム名の左の数字はシード順。
  • * 延長戦決着
  • 日付はアメリカ東部時間

成績

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NFC西地区(2002年-現在)

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地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2023 SF (1) 12 5 0 LAR(6w) 10 7 0 SEA 9 8 0 ARI 4 13 0
2022 SF(2c) 13 4 0 SEA(7w) 9 8 0 LAR 5 12 0 ARI 4 13 0
2021 LAR(4v) 12 5 0 ARI(5w) 11 6 0 SF(6c) 10 7 0 SEA 7 10 0
2020 SEA(3w) 12 4 0 LAR(6d) 10 6 0 ARI 8 8 0 SF 6 10 0
2019 SF(1s) 13 3 0 SEA(5d) 11 5 0 LAR 9 7 0 ARI 5 10 1
2018 LAR(2s) 13 3 0 SEA(5w) 10 6 0 SF 4 12 0 ARI 3 13 0
2017 LAR(3w) 11 5 0 SEA 9 7 0 ARI 8 8 0 SF 6 10 0
2016 SEA(3d) 10 5 1 ARI 7 8 1 LA 4 12 0 SF 2 14 0
2015 ARI(2c) 13 3 0 SEA(6d) 10 6 0 StL 7 9 0 SF 5 11 0
2014 SEA(1s) 12 4 0 ARI(5w) 11 5 0 SF 8 8 0 StL 6 10 0
2013 SEA(1v) 13 3 0 SF(5c) 12 4 0 ARI 10 6 0 StL 7 9 0
2012 SF(2s) 11 4 1 SEA(5d) 11 5 0 StL 7 8 1 ARI 5 11 0
2011 SF(2c) 13 3 0 ARI 8 8 0 SEA 7 9 0 StL 2 14 0
2010 SEA(4d) 7 9 0 StL 7 9 0 SF 6 10 0 ARI 5 11 0
2009 ARI(4d) 10 6 0 SF 8 8 0 SEA 5 11 0 StL 1 15 0
2008 ARI(4s) 9 7 0 SF 7 9 0 SEA 4 12 0 StL 2 14 0
2007 SEA(3d) 10 6 0 ARI 8 8 0 SF 5 11 0 StL 3 13 0
2006 SEA(4d) 9 7 0 StL 8 8 0 SF 7 9 0 ARI 5 11 0
2005 SEA(1s) 13 3 0 StL 6 10 0 ARI 5 11 0 SF 4 12 0
2004 SEA(4w) 9 7 0 StL(5d) 8 8 0 SF 7 9 0 ARI 5 11 0
2003 StL(2d) 12 4 0 SEA(5w) 10 6 0 SF 7 9 0 ARI 4 12 0
2002 SF(4d) 10 6 0 StL 7 9 0 SEA 7 9 0 ARI 5 11 0

NFC東地区(1970年-2001年)

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  • DAL:ダラス・カウボーイズ、NYG:ニューヨーク・ジャイアンツ、WAS:ワシントン・レッドスキンズ、PHI:フィラデルフィア・イーグルス、StL→PHO→ARI:セントルイス・カージナルス→フェニックス・カージナルス→アリゾナ・カージナルス
  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
年度 地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 PHI(3c) 11 5 0 WAS 8 8 0 NYG 7 9 0 ARI 7 9 0 DAL 5 11 0
2000 NYG(1s) 12 4 0 PHI(4d) 11 5 0 WAS 8 8 0 DAL 5 11 0 ARI 3 13 0
1999 WAS(3d) 10 6 0 DAL(5w) 8 8 0 NYG 7 9 0 ARI 6 10 0 PHI 5 11 0
1998 DAL(3w) 10 6 0 ARI(6d) 9 7 0 NYG 8 8 0 WAS 6 10 0 PHI 3 13 0
1997 NYG(3w) 10 5 1 WAS 8 7 1 PHI 6 9 1 DAL 6 10 0 ARI 4 12 0
1996 DAL(3d) 10 6 0 PHI(5w) 10 6 0 WAS 9 7 0 ARI 7 9 0 NYG 6 10 0
1995 DAL(1v) 12 4 0 PHI(4d) 10 6 0 WAS 6 10 0 NYG 5 11 0 ARI 4 12 0
1994 DAL(2c) 12 4 0 NYG 9 7 0 ARI 8 8 0 PHI 7 9 0 WAS 3 13 0
1993 DAL(1v) 12 4 0 NYG(4d) 11 5 0 PHI 8 8 0 PHO 7 9 0 WAS 4 12 0
1992 DAL(2v) 13 3 0 PHI(5d) 11 5 0 WAS(6d) 9 7 0 NYG 6 10 0 PHO 4 12 0
1991 WAS(1v) 14 2 0 DAL(5d) 11 5 0 PHI 10 6 0 NYG 8 8 0 PHO 4 12 0
1990 NYG(2v) 13 3 0 PHI(4w) 10 6 0 WAS(5d) 10 6 0 DAL 7 9 0 PHO 5 11 0
1989 NYG(2d) 12 4 0 PHI(4w) 11 5 0 WAS 10 6 0 PHO 5 11 0 DAL 1 15 0
1988 PHI(3d) 10 6 0 NYG 10 6 0 WAS 7 9 0 PHO 7 9 0 DAL 3 13 0
1987 WAS(3v) 11 4 0 DAL 7 8 0 StL 7 8 0 PHI 7 8 0 NYG 6 9 0
1986 NYG(1v) 14 2 0 WAS(4c) 12 4 0 DAL 7 9 0 PHI 5 10 1 StL 4 11 1
1985 DAL(3d) 10 6 0 NYG(4d) 10 6 0 WAS 10 6 0 PHI 7 9 0 StL 5 11 0
1984 WAS(2d) 11 5 0 NYG(5d) 9 7 0 StL 9 7 0 DAL 9 7 0 PHI 6 9 1
1983 WAS(1s) 14 2 0 DAL(4w) 12 4 0 StL 8 7 1 PHI 5 11 0 NYG 3 12 1
1982 WAS(1v) 8 1 0 DAL(2c) 6 3 0 StL(6w) 5 3 1 NYG 4 5 0 PHI 3 6 0
1981 DAL(2c) 12 4 0 PHI(4w) 10 6 0 NYG(5d) 9 7 0 WAS 8 8 0 StL 7 9 0
1980 PHI(2s) 12 4 0 DAL(4c) 12 4 0 WAS 6 10 0 StL 5 11 0 NYG 4 12 0
1979 DAL(1d) 11 5 0 PHI(4d) 11 5 0 WAS 10 6 0 NYG 6 10 0 StL 5 11 0
1978 DAL(2s) 12 4 0 PHI(5w) 9 7 0 WAS 8 8 0 StL 6 10 0 NYG 6 10 0
1977 DAL(1v) 12 2 0 WAS 9 5 0 StL 7 7 0 PHI 5 9 0 NYG 5 9 0
1976 DAL(2d) 11 3 0 WAS(4d) 10 4 0 StL 10 4 0 PHI 4 10 0 NYG 3 11 0
1975 StL(3d) 11 3 0 DAL(4s) 10 4 0 WAS 8 6 0 NYG 5 9 0 PHI 4 10 0
1974 StL(d) 10 4 0 WAS(d) 10 4 0 DAL 8 6 0 PHI 7 7 0 NYG 2 12 0
1973 DAL(c) 10 4 0 WAS(d) 10 4 0 PHI 5 8 1 StL 4 9 1 NYG 2 11 1
1972 WAS(s) 11 3 0 DAL(c) 10 4 0 NYG 8 6 0 PHI 4 9 1 StL 2 11 1
1971 DAL(v) 11 3 0 WAS(d) 9 4 1 PHI 6 7 1 StL 4 9 1 NYG 4 10 0
1970 DAL(s) 10 4 0 NYG 9 5 0 StL 8 5 1 WAS 6 8 0 PHI 3 10 1

NFL東カンファレンス・センチュリー地区(1967年-1969年)

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地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1969 CLE(n) 10 3 1 NY 6 8 0 StL 4 9 1 PIT 1 13 0
1968 CLE(n) 10 4 0 StL 9 4 1 NO 4 9 1 PIT 2 11 1
1967 CLE(c) 9 5 0 NY 7 7 0 StL 6 7 1 PIT 4 9 1

NFL東カンファレンス(1953年-1966年)

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優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1966 DAL(n) 10 3 1 CLE 9 5 0 PHI 9 5 0 StL 8 5 1 WAS 7 7 0 PIT 5 8 1 ATL 3 11 0 NY 1 12 1
スーパーボウル開始
1965 CLE(n) 11 3 0 DAL 7 7 0 NY 7 7 0 WAS 6 8 0 PHI 5 9 0 StL 5 9 0 PIT 2 12 0
1964 CLE(v) 11 3 0 StL 9 3 2 PHI 6 8 0 WAS 6 8 0 DAL 5 8 1 PIT 5 9 0 NY 2 10 2
1963 NY(n) 11 3 0 CLE 10 4 0 StL 9 5 0 PIT 7 4 3 DAL 4 10 0 WAS 3 11 0 PHI 2 10 2
1962 NY(n) 12 2 0 PIT 9 5 0 CLE 7 6 1 WAS 5 7 2 DAL 5 8 1 StL 4 9 1 PHI 3 10 1
1961 NY(n) 10 3 1 PHI 10 4 0 CLE 8 5 1 StL 7 7 0 PIT 6 8 0 DAL 4 9 1 WAS 1 12 1
1960 PHI(v) 10 2 0 CLE 8 3 1 NY 6 4 2 StL 6 5 1 PIT 5 6 1 WAS 1 9 2
1959 NY(n) 10 2 0 CLE 7 5 0 PHI 7 5 0 PIT 5 6 1 WAS 1 9 2 CHC 2 10 0
1958 NY(n) 9 3 0 CLE 9 3 0 PIT 7 4 1 WAS 4 7 1 CHC 2 9 1 PHI 2 9 1
1957 CLE(n) 9 2 1 NY 7 5 0 PIT 6 6 0 WAS 5 6 1 PHI 4 8 0 CHC 3 9 0
1956 NY(v) 8 3 1 CHC 7 5 0 WAS 6 6 0 CLE 5 7 0 PIT 5 7 0 PHI 3 8 1
1955 CLE(v) 9 2 1 WAS 8 4 0 NY 6 5 1 CHC 4 7 1 PHI 4 7 1 PIT 4 8 0
1954 CLE(v) 9 3 0 PHI 7 4 1 NY 7 5 0 PIT 5 7 0 WAS 3 9 0 CHC 2 10 0
1953 CLE(n) 11 1 0 PHI 7 4 1 WAS 6 5 1 PIT 6 6 0 NY 3 9 0 CHC 1 10 1

NFLアメリカン・カンファレンス(1950年-1952年)

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優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1952 CLE(n) 8 4 0 NY 7 5 0 PHI 7 5 0 PIT 5 7 0 CHC 4 8 0 WAS 4 8 0
1951 CLE(n) 11 1 0 NYG 9 2 1 WAS 5 7 0 PIT 4 7 1 PHI 4 8 0 CHC 3 9 0
1950 CLE(v) 10 2 x NYG 10 2 x PHI 6 6 x PIT 6 6 x CHC 5 7 x WAS 3 9 x

NFL西地区(1933年-1949年)

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優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1949 LA(n) 8 2 2 CHB 9 3 0 CHC 6 5 1 DET 4 8 0 GB 2 10 0
1948 CHC(n) 11 1 0 CHB 10 2 0 LA 6 5 1 GB 3 9 0 DET 2 10 0
1947 CHC(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 GB 6 5 1 LA 6 6 0 DET 3 9 0
1946 CHB(v) 8 2 1 LA 6 4 1 GB 6 5 0 CHC 6 5 0 DET 1 10 0
1945 CLE(v) 9 1 0 DET 7 3 0 GB 6 4 0 CHB 3 7 0 CHC 1 9 0
1944 GB(v) 8 2 0 CHI 6 3 1 DET 6 3 1 CLE 4 6 0 Card-Pitt 0 10 0
1943 CHB(v) 8 1 1 GB 7 2 1 DET 3 6 1 CHC 0 10 0
1942 CHB(n) 11 0 0 GB 8 2 1 CLE 5 6 0 CHC 3 8 0 DET 0 11 0
1941 CHB(v) 10 1 0 GB 10 1 0 DET 4 6 1 CHC 3 7 1 CLE 2 9 0
1940 CHB(v) 8 3 0 GB 6 4 1 DET 5 5 1 CLE 4 6 1 CHC 2 7 2
1939 GB(v) 9 2 0 CHB 8 3 0 DET 6 5 0 CLE 5 5 1 CHC 1 10 0
1938 GB(n) 8 3 0 DET 7 4 0 CHB 6 5 0 CLE 4 7 0 CHC 2 9 0
1937 CHB(n) 9 1 1 GB 7 4 0 DET 7 4 0 CHC 5 5 1 CLE 1 10 0
1936 GB(v) 10 1 1 CHB 9 3 0 DET 8 4 0 CHC 2 8 1
1935 DET(v) 7 3 2 GB 8 4 0 CHB 6 4 2 CHC 6 4 2
1934 CHB(n) 13 0 0 DET 10 3 0 GB 7 6 0 CHC 5 6 0 StL 1 2 0 CIN 0 8 0
1933 CHB(v) 10 2 1 POR 6 5 0 GB 5 7 1 CIN 3 6 1 CHC 1 9 1

NFL(1920年-1932年)

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チーム
チーム
チーム
チーム
チーム
チーム
1932 8 1 CHB 7 1 6 2 GB 10 3 1 3 POR 6 2 4 4 BOS 4 4 2 5 NY 4 6 2 7 CHC 2 6 2
1931 10 1 GB 12 2 0 2 POR 11 3 0 3 CHB 8 5 0 4 CHC 5 4 0 5 NY 7 6 1
1930 11 1 GB 10 3 1 2 NY 13 4 0 3 CHB 9 4 1 7 CHC 5 6 2 8 POR 5 6 3
1929 12 1 GB 12 0 1 2 NY 13 1 1 4 CHC 6 6 1 9 CHB 4 9 2
1928 10 4 GB 6 4 3 5 CHB 7 5 1 6 NYG 4 7 2 9 CHC 1 5 0
1927 12 1 NYG 11 1 1 2 GB 7 2 1 3 CHB 9 3 2 9 CHC 3 7 1
1926 22 2 CHB 12 1 3 5 GB 7 3 3 6 NY 8 4 1 10 CHC 5 6 1
1925 20 1 CHC 11 2 1 4 NY 8 4 0 7 CHB 9 5 3 9 GB 8 5 0
1924 18 2 CHB 6 1 4 6 GB 7 4 0 8 CHC 5 4 1
1923 20 2 CHB 9 2 1 3 GB 7 2 1 6 CHC 8 4 0
1922 18 2 CHB 9 3 0 3 CHC 8 3 0 8 GB 4 3 3
1921 21 1 CHS 9 3 2 7 GB 7 2 1 9 CHC 3 3 2
1920 14 2 DEC 10 1 2 4 CHC 6 2 2

主な選手

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現役選手

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永久欠番

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アリゾナ・カージナルス 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
8 ラリー・ウィルソン Larry Wilson S 1960–1972
40 パット・ティルマン Pat Tillman S 1998–2001
77 スタン・モールディン Stan Mauldin OT 1946–1948
88 J・V・ケイン J. V. Cain TE 1974–1978
99 マーシャル・ゴールドバーグ[* 1] Marshall Goldberg HB 1939–1943, 1946–1948
  1. ^ J・J・ワットはゴールドバーグの娘の許可を得て、2021-2022シーズンまで背番号99を着用していた。

プロフットボール殿堂入り

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プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号 名前 ポジション 在籍期間 選出年
4 アーニー・ネバーズ Ernie Nevers FB 1929–1931 1963
- ヘッドコーチ 1930–1931, 1939
- ジム・ソープ Jim Thorpe RB 1928 1963
13 ガイ・チェンバレン Guy Chamberlin End、ヘッドコーチ 1927–1928 1965
1 パディ・ドリスコル John "Paddy" Driscoll QB 1920–1925 1965
- コーチ 1920–1922
2 ウォルト・キースリング Walt Kiesling GDT 1929–1933 1966
- コーチ 1944
62, 2 チャーリー・トリッピ Charley Trippi RB 1947–1955 1968
33 オーリー・マトソン Ollie Matson RB 1952, 1954–1958 1972
81 ナイト・トレイン・レーン Dick "Night Train" Lane CB 1954–1959 1974
8 ラリー・ウィルソン Larry Wilson S 1960–1972 1978
13 ドン・メイナード Don Maynard WR 1973 1987
81 ジャッキー・スミス Jackie Smith TE 1963–1977 1994
72 ダン・ディアードルフ Dan Dierdorf T 1971–1983 1996
22 ロジャー・ウェールリ Roger Wehrli CB 1969–1982 2007
22 エミット・スミス Emmitt Smith RB 2003–2004 2010
35 アニーアス・ウィリアムズ Aeneas Williams CB 1991–2000 2014
13 カート・ワーナー Kurt Warner QB 2005–2009 2017
32 エジャリン・ジェームス Edgerrin James RB 2006–2008 2020
16 デューク・スレイター Duke Slater T 1926–1931 2020
66 アラン・ファニカ Alan Faneca G 2010 2021
コーチ・エグゼクティブ
名前 役職 在籍期間 選出年
カーリー・ランボー Earl "Curly" Lambeau ヘッドコーチ 1950–1951 1963
ジミー・コンツェルマン Jimmy Conzelman ヘッドコーチ 1940–1942, 1946–1948 1964
チャールズ・ビドウェル Charles Bidwill オーナー 1933–1947 1967
ジョー・スタイダハー Joe Stydahar ヘッドコーチ 1953–1954 1967

リング・オブ・オナー

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著名選手

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歴代ヘッドコーチ

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ガイ・チェンバレン
カーリー・ランボー

1920年以降

脚注

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注釈

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  1. ^ ピッツバーグ・スティーラーズとの合同チーム
  2. ^ 1906年に一度チームは解散し、1913年に再び結成された
  3. ^ グリーンベイ・パッカーズは、1921年にNFLに参加するまでリーグに属さない独立チームだった
  4. ^ MLBの同名チームとの混同を避けるため、地元では「フットボールカージナルス」、「グリッドバード」、「ビッグレッド」などと呼ばれていた
  5. ^ レギュラーシーズンでは566勝771敗41分、プレーオフでは7勝9敗

出典

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  1. ^ カーディナルスがQBライナート放出、アンダーソン先発に”. NFL JAPAN (2010年9月5日). 2010年9月9日閲覧。
  2. ^ 【第5週プレビュー】大躍進のカーディナルス、開幕5連勝は?”. NFL JAPAN (2012年10月4日). 2012年10月20日閲覧。
  3. ^ カーディナルス、HCとGMの他にも攻撃コーチ陣を一掃”. NFL JAPAN (2013年1月1日). 2013年1月2日閲覧。
  4. ^ 新HCたちの挑戦 -アンディ・リード&ブルース・アリアンズ-”. NFL JAPAN (2013年5月23日). 2016年10月3日閲覧。
  5. ^ QBパーマー、「カーディナルスのオフェンスは完全開花」”. NFL JAPAN (2014年5月27日). 2016年10月3日閲覧。
  6. ^ カーディナルスがWRホプキンスと2年57億円で契約延長”. NFL JAPAN (2020年9月9日). 2021年4月29日閲覧。
  7. ^ アリゾナ・カーディナルスが無観客での2020年レギュラーシーズン開幕を発表”. NFL JAPAN (2020年8月30日). 2021年4月29日閲覧。
  8. ^ J.J.ワットがカーディナルスと2年契約”. NFL JAPAN (2021年3月2日). 2021年4月29日閲覧。
  9. ^ カーディナルスがWRのA.J.グリーンと1年8億円超えの契約”. NFL JAPAN (2021年3月18日). 2021年4月29日閲覧。
  10. ^ CBバトラーがカーディナルスと最大6億円の1年契約”. NFL JAPAN (2021年3月26日). 2021年4月29日閲覧。
  11. ^ Cardinals place CB Malcolm Butler on reserved/retired list”. NFL.com. 17 August 2022閲覧。
  12. ^ カーディナルスQBマレーはACL断裂でシーズン終了”. NFL Japan. 2022年12月14日閲覧。
  13. ^ カーディナルスがキングスベリーHCを解任、カイムGMは健康状態に専念するため退任”. NFL Japan. 2022年1月10日閲覧。

外部リンク

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