コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ウィリアム・ホールデン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
William Holden
ウィリアム・ホールデン
ウィリアム・ホールデン
本名 William Franklin Beedle Jr.
生年月日 (1918-04-17) 1918年4月17日
没年月日 (1981-11-12) 1981年11月12日(63歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州オファロン英語版
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ
民族 イングランド系アメリカ人
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1939年 - 1981年
配偶者 ブレンダ・マーシャル(離別)
主な作品
サンセット大通り』(1950年)
第十七捕虜収容所』(1953年)
麗しのサブリナ』(1954年)
慕情』(1955年)
戦場にかける橋』(1957年)
ワイルドバンチ』(1969年)
タワーリング・インフェルノ』(1974年)
ネットワーク』(1976年)
受賞
アカデミー賞
主演男優賞
1953年第十七捕虜収容所[1]
ヴェネツィア国際映画祭
審査員特別賞
1954年重役室[1]
エミー賞
男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)
1974年The Blue Knight
その他の賞
備考
ハリウッド名声の歩道
テンプレートを表示
ウィリアム・ホールデンとオードリー・ヘプバーン(1954年『麗しのサブリナ』)

ウィリアム・ホールデンWilliam Holden, 1918年4月17日 - 1981年11月12日)は、アメリカ合衆国イリノイ州出身の俳優である。本名:William Franklin Beedle Jr.

生涯

[編集]

イリノイ州オファロン英語版に、父は化学者[2]、母は教師という裕福な家庭に生まれる。学生時代は細菌学者を目指していたが、パサディナ・ハイスクールからジュニア・カレッジに進学した頃から演劇に傾倒し、パサディナ・プレイハウスで演技を学ぶ。劇団に所属して、『キュリー夫人』の端役で舞台に立っていたところをパラマウントにスカウトされて1938年に映画入り。ホールデンの芸名の由来は、彼がパラマウントの重役に紹介された際、たまたま掛かってきた電話の相手の名を頂いたものだった。1939年のデビュー作『ゴールデン・ボーイ』で早くも注目される。その後も『前科者』『我等の町』など好調なスタートを切る。当時は“赤ん坊のような笑顔を持った隣家のお兄ちゃん”と呼ばれ、アイドルスターとして売り出した。

第二次大戦中は陸軍航空隊に所属。4年間の軍務の後、戦後再び映画に出演するが、しばらくは作品に恵まれず復帰間もないころは低迷していた。しかし、1950年ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』でアカデミー主演男優賞にノミネート[1]、この一作でそれまでのアイドル路線から脱却し演技派スターへと変化を遂げてスターダムを駆け上がる。その後は1950年代を通じて興行的に最も信頼できるスターと称され、数々のヒットを飛ばし、特にビリー・ワイルダーと再び組んだ『第十七捕虜収容所』では念願のアカデミー主演男優賞を受賞[1]。他にもデヴィッド・リーン監督『戦場にかける橋』、キャロル・リード監督『鍵』、ジョン・フォード監督『騎兵隊』、『喝采』、『麗しのサブリナ』、『ピクニック』、『慕情』と、世界映画史を代表する名作・ヒット作に出演し大活躍。常に人気も上位にランクインしていた。

来日もしており、黒澤明監督との写真も現存する[3]。『トコリの橋』では淡路恵子、『戦場にかける橋』では早川雪洲、『第七の暁』では丹波哲郎と共演している。無声映画のスターだった早川雪洲とは縁があり、ホールデンは少年時代に雪洲がハリウッドで暮らしていた豪邸(グレンギャリ城)に新聞を配達していて、その時に俳優をやってみないかと声を掛けていた雪洲と共演が果たされた[4]

ハリウッドでも指折りの実業家としても有名で、野生動物の保護に熱心に取り組み、1970年代にはアフリカケニアに1260エイカーにも及ぶ広大な土地を購入、そこを保護区にしサファリ・クラブの共同経営などにも参加した。また、1959年には税金対策の為に家族共々スイスに移り住んだりした。

女優のブレンダ・マーシャルと応召前の1941年に結婚し、3人の子供に恵まれたが、1970年に離婚。1960年代終わりのアメリカン・ニューシネマの時代に入ってからは人気も下降気味になったが、1969年サム・ペキンパー監督『ワイルドバンチ』、1973年クリント・イーストウッド監督『愛のそよ風』、1974年の『タワーリング・インフェルノ』、そして、1976年にはシドニー・ルメット監督『ネットワーク』で再びアカデミー主演男優賞候補になるなど[1]、活躍を続けた。しかし、私生活では事業の不振や呼吸器疾患、年下の女優ステファニー・パワーズとの関係などから、晩年はアルコール依存症だったという。1981年、自宅にて酩酊状態で絨毯で足を滑らせ、テーブルに頭をぶつけてできた傷からの出血による失血で死去した[5]。遺体は火葬され、遺灰は太平洋に撒かれた。故人の意向により、葬儀等は行われなかった[6]

本格的デビュー作『ゴールデン・ボーイ』で共演して以来、長年、彼と交流のあった女優バーバラ・スタンウィックが、彼の死去後の1982年3月29日に開催された第54回アカデミー賞授賞式で名誉賞を受賞した。その受賞スピーチでバーバラは「彼のことが大好きでした。亡くなって寂しいです。彼は私がオスカーを手にすることをいつも願ってくれていました」と語り、オスカー像を掲げ「私のゴールデン・ボーイ(彼女は彼をこう呼んでいた)、あなたの願いが叶ったのよ!」とスピーチを締めくくって哀悼の意を表した[7]

主な出演作品

[編集]

映画

[編集]
公開年 邦題
原題
役名 備考
1939 ゴールデン・ボーイ
Golden Boy
ジョー・ボナパルト
前科者
Invisible Stripes
ティム・テイラー
1940 我等の町
Our Town
ジョージ・ギブス
アリゾナ
Arizona
ピーター
1941 空の要塞
I wanted Wings
アル
掠奪の町
Texas
ダン・トーマス
1943 俳優志願
Young and Willing
ノーマン・リース
1947 恋文騒動
Dear Ruth
ウィリアム・シークロフト
ハリウッド・アルバム
Variety Girl
本人
1948 荒原の女
Rachel and the Stranger
デヴィッド・ハーヴェイ
1949 コロラド
The Man from Colorado
デル・スチュアート
テキサス決死隊
Street of Laredo
ジム
1950 サンセット大通り
Sunset Boulevard
ジョー・ギリス
武装市街
Union Station
ウィリアム・カルホーン
ボーン・イエスタデイ
Born Yesterday
ポール 日本劇場未公開
1951 戦場の誓い
Force of Arms
ジョー・ピーターソン(ペペ)
太平洋の虎鮫
Submarine Command
ケン・ホワイト
1952 黒い街
The Turning Point
ジェリー・マッキボン
1953 第十七捕虜収容所
Stalag 17
J.J. セフトン アカデミー主演男優賞 受賞
月蒼くして
The Moon Is Blue
ドナルド・グレシャム
女性よ永遠に
Forever Female
スタンリー
ブラボー砦の脱出
Escape from Fort Bravo
ロウパー大尉
1954 重役室
Executive Suite
マクドナルド ヴェネツィア国際映画祭 審査員特別賞[1]
麗しのサブリナ
Sabrina
デイヴィッド・ララビー
喝采
The Country Girl
バーニー・ドッド
トコリの橋
The Bridges at Toko-ri
ハリー・ブルーベイカー
1955 慕情
Love Is a Many-Splendored Thing
マーク・エリオット
ピクニック
Picnic
ハル・カーター
1956 誇りと冒涜
The Proud and Profane
コリン・ブラック
1957 戦場にかける橋
The Bridge on the River Kwai
シアーズ
ロケット・パイロット
Toward the Unknown(Brink of Hell)
リンカーン・ボンド
1958
The Key
デヴィッド・ロス
1959 騎兵隊
The Horse Soldiers
ヘンリー・ケンダル
1960 スージー・ウォンの世界
The World of Suzie Wong
ロバート
1962 誘惑の夜
Satan Never Sleeps
オバニオン神父
偽の売国奴
The Counterfeit Traitor
エリック・エリクソン
ライオン
The Lion
ロバート・ヘイワード
1963 パリで一緒に
Paris-When It Sizzles
リチャード・ベンソン
1964 第七の暁
The 7th Dawn
フェリス
1966 アルバレス・ケリー
Alvarez Kelly
アルバレス・ケリー
1967 007 カジノ・ロワイヤル
Casino Royale
ランサム
1968 コマンド戦略
The Devil's Brigade
ロバート・T・フレデリック
1969 ワイルドバンチ
The Wild Bunch
パイク・ビショップ
クリスマス・ツリー
L'arbre de Noël
ローラン・セギュール
1971 夕陽の挽歌
Wild Rovers
ロス・ボーディン
1972 復讐の荒野
The Revengers
ジョン・ベネディクト 日本劇場未公開
1973 愛のそよ風
Breezy
フランク・ハーモン 日本劇場未公開
1974 タワーリング・インフェルノ
The Towering Inferno
ジェームズ・ダンカン
ダーティハンター
Open Season
ハル・ウォルコウスキー
1976 テロリスト・黒い九月
21 Hours at Munich
マンフレッド テレビ映画
ネットワーク
Network
マックス・シュマッチャー
1978 悲愁
Fedora
バリー
オーメン2/ダミアン
Damien: Omen II
リチャード・ソーン
1979 アシャンティ
Ashanti
ジム・サンデル
1980 世界崩壊の序曲
The Day the World Ended When Time Ran Out...
シェルビー・ギルモア
アドベンチャー・ロード
The Earthling
パトリック・フォーリー
1981 S.O.B.
S.O.B.
ティム 日本劇場未公開
遺作

テレビ

[編集]
放映年 邦題
原題
役名 備考
1955 アイ・ラブ・ルーシー
I Love Lucy
本人 シーズン4 第16話 "Hollywood at Last"

受賞歴

[編集]

アカデミー賞

[編集]
受賞
1954年 アカデミー主演男優賞:『第十七捕虜収容所[1]
ノミネート
1951年 アカデミー主演男優賞:『サンセット大通り[1]
1977年 アカデミー主演男優賞:『ネットワーク[1]

日本のテレビ番組出演

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i ウィリアム・ホールデン : 受賞歴”. 映画.com. エイガ・ドット・コム. 2024年6月26日閲覧。
  2. ^ "Ancestry of William Holden." Genealogy.com. Retrieved: November 13, 2011.
  3. ^ マガジンハウス刊「スタアの40年 平凡 週刊平凡 秘蔵写真集」より
  4. ^ "ニッポン人最初のハリウッドスター 早川雪洲(ジャバニーズ・イン・ザワールド特別編)". SmaSTATION-3. テレビ朝日. 2004年1月17日. 2024年6月23日閲覧
  5. ^ Death Certificate of William Holden, autopsyfiles.org; accessed September 28, 2016.
  6. ^ Capua 2010, p. 164
  7. ^ Barbara Stanwyck receives Honorary Oscar

関連項目

[編集]
  • 近藤洋介(ウィリアム・ホールデンの声の吹替えを担当)

外部リンク

[編集]