ジョバンニ・ラバッジ
ジョバンニ・ラバッジ | |
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基本情報 | |
国籍 | イタリア |
出身地 | 同・シチリア州アウグスタ |
生年月日 | 1958年2月18日(66歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1995 - 1996 |
所属チーム |
'95 パシフィック '96 ミナルディ |
出走回数 | 10 (7 starts) |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1995年ドイツGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1996年日本GP |
ジョバンニ・ラバッジ(Giovanni Lavaggi、1958年2月18日 - )は、イタリア出身の元レーシングドライバー。1995年と1996年にF1世界選手権に参戦した。
経歴
[編集]インターセリーでは名の知れた名ドライバーであり、1993年にチャンピオンに輝くなど1990年代を主に活躍。1995年にはデイトナ24時間レースで初優勝を挙げている。
フォーミュラカーでは、1991年の国際F3000選手権に参戦。1992年にフォーミュラ1のマーチとテストドライバー契約。1995年には運営資金が枯渇していたパシフィック・ロータスに40万ドルのスポンサー資金を持ち込み、チーム運営者の一人でもあるベルトラン・ガショーのシートを買う形で第8戦イギリスGPからのスポット参戦契約をした[1]。しかしFIAはラバッジのF1マシンでの走行実績が乏しいとしてスーパーライセンスの発給を拒否。定められた走行距離のテスト走行を経て、第9戦ドイツGPでライセンスが発給されてデビューした。しかし第11戦ベルギーGPを除く3戦で予選最下位と結果を残せず、第12戦イタリアGPを最後にシートを失った。
1996年、シーズン後半にミナルディにスポンサーを持ち込み、ジャンカルロ・フィジケラのシートを買う形で再度F1に参戦。2度の完走を果たすも出走した6戦全戦で予選最下位、うち3戦で予選落ちを喫した。同年のフィジケラが非力なミナルディで高い評価を得ていたイタリア期待の新人だったことから、イタリアメディアでは「チームの財政問題から38歳のラバッジと交代することになったが、才能という点でこの男はフィジケラの敵ではないだろう。」と報じられた[2]。
2007年からは自らのチームを立ち上げ、ル・マン・シリーズに参戦した。
レース戦績
[編集]ル・マン24時間レース
[編集]年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
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1989年 | ポルシェ・クレマー・レーシング | 高橋国光 ブルーノ・ジャコメリ |
ポルシェ・962C | C1 | 303 | DNF | DNF |
1990年 | チーム デイビー | マックス・コーエン・オリヴァー ティム・リー・デイヴィー |
C1 | 306 | 19位 | 19位 | |
1992年 | ポルシェ・クレマー・レーシング | マヌエル・ロイター ジョン・ニールセン |
ポルシェ・962 CK6 | C3 | 334 | 7位 | 2位 |
1993年 | ユルゲン・ラシック ウェイン・テイラー |
C2 | 328 | 12位 | 7位 | ||
2000年 | レプソル レーシング・エンジニアリング | トーマス・サルダーニャ ヘレス・ディデェ・ビジャミル |
ポルシェ・911 GT3 | GT | 78 | DNF | DNF |
国際F3000選手権
[編集]年 | エントラント | シャーシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
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1991年 | クリプトン・エンジニアリング | レイナード 91D | コスワース DFV | VLL DNQ |
PAU DNQ |
JER DNQ |
MUG DNQ |
PER Ret |
NC | 0 | |||||
ロニ・モータースポーツ | ラルト RT23 | コスワース DFV | HOC DNQ |
BRH DNQ |
SPA DNQ |
BUG DNQ |
NOG 12 |
PPGインディカー・シリーズ
[編集]年 | チーム | シャーシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 順位 | ポイント | Ref |
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1994年 | ユーロモータースポーツ | ローラ・T93/00 | イルモア | SRF | PHX | LBH | INDY | MIL | DET DNQ |
POR | 38位 | 0 | [3] | |||||||||
Leader Cards Racers | CLE 30 |
TOR | MCH | MDO | NHA | VAN | ROA 15 |
NAZ | LS DNQ | |||||||||||||
Sources:MMagResults[4]
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F1
[編集](key)
年 | チーム | シャーシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | WDC | ポイント |
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1995年 | パシフィック | PR02 | BRA | ARG | SMR | ESP | MON | CAN | FRA | GBR | GER Ret |
HUN Ret |
BEL Ret |
ITA Ret |
POR | EUR | PAC | JPN | AUS | NC | 0 |
1996年 | ミナルディ | M195B | AUS | BRA | ARG | EUR | SMR | MON | ESP | CAN | FRA | GBR | GER DNQ |
HUN 10 |
BEL DNQ |
ITA Ret |
POR 15 |
JPN DNQ |
NC | 0 |
脚注
[編集]- ^ PACIFIC 資金面も厳しい戦いの連続 F1グランプリ特集 46頁 ソニーマガジンズ 1995年9月16日発行
- ^ ミナルディ、フィジケラに代ってラバッジを起用 オートスポーツ No.709 34頁 1996年9月1日発行
- ^ “Giovanni Lavaggi – 1994 CART Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. August 15, 2023閲覧。
- ^ “Giovanni Lavaggi”. Champ Car Stats. 11 June 2023閲覧。