ノート:京葉線
二俣支線
[編集]「2003/12現在では二俣支線が西船橋駅〜海浜幕張駅間に延長されている。」と下線付きで書かれていますが、これは、「武蔵野線列車は海浜幕張駅まで乗り入れている」ということ意味しているのでしょうか。二俣支線はあくまでも西船橋〜南船橋間だと思うのですが。--nnh 07:30 2003年12月11日 (UTC)
路線図
[編集]路線図が付いて、わかりやすいです・・・が、質問です。
- あえて一般の地図表記と異なり、北を上方にしなかった理由は?
- 「路線を上下方向に描くようにするのを標準とする」なら、上方を下り方向
ということを、どこかで統一しているのでしょうか?
出来たら、その辺も考慮しておく方が良いと思います。
(現状が悪いという意味ではありません)
--以上の署名のないコメントは、218.222.48.88(会話/Whois)さんが 2004-01-28 05:40:01 (UTC) に投稿したものです。
葛西臨海公園駅
[編集]葛西臨海公園駅は京葉快速通過だったような気がします。--以上の署名のないコメントは、219.110.41.101(会話/Whois)さんが 2004-07-04 05:22:35 (UTC) に投稿したものです。
- 過去、葛西臨海公園駅は快速停車しており、新木場駅は通過していましたが、現在では逆。
通勤快速の停車駅は東京、八丁堀、新木場、蘇我の4駅。--以上の署名のないコメントは、219.110.41.101(会話/Whois)さんが 2006-03-09 05:18:00 (UTC) に投稿したものです。
他言語版
[編集]- en:Keiyo Line --以上の署名のないコメントは、Sh(会話・投稿記録)さんが 2004-06-20 21:07:23 (UTC) に投稿したものです。
「歴史」欄の編集合戦について
[編集]2006年9月28日午後から、歴史欄にて京葉線で発生した事故についての編集合戦がおきています。
何らかの事件・事故が発生した場合、それに対する歴史的評価は、原因究明・事故であれば予防策の発表・然るべき責任者の処分、などが行われて一応の決着がついてから行うべきではないでしょうか。ウィキペディアはニュース速報ではない、というのは耳にタコが出来るくらい聞き飽きた台詞で、皆さんよくご存知と思うのですが。一部にそういったリテラシーの無い方がいらっしゃるようですね。--Alt_winmaerik 2006年9月28日 (木) 09:12 (UTC)
- 「ウィキペディアはニュース速報ではない」の基本に則り削除しました。事件・事故についてはウィキニュースの領分です。--Alljal 2006年9月29日 (金) 00:17 (UTC)
- 事件・事故とはいいますが、昨日の事故は全国区のニュースになったほどの社会的一大事です。
- 京葉線開通してからこれほどの惨事はないはずです。なのでいずれは載せるべきだと思います。--以上の署名のないコメントは、Tstyle 2005(会話・投稿記録)さんが 2006-09-29 04:24:22 (UTC) に投稿したものです。
- 確かに全国区のニュースにはなりましたが社会的一大事とまでは行かないと思います。死者や怪我人が出たわけでもないので。--Alljal 2006年9月29日 (金) 07:11 (UTC)
- いずれ載せるべきかどうかは、まさにいずれ先の問題ですからここでいま議論しても決着するはずがありません。私見ではこの程度の事故であれば特筆に値しませんね。阪神淡路大震災や、2005年4月の尼崎の事故レベルであれば話は別ですが。ちなみに他路線の例で恐縮ですが、90年代前半には営団地下鉄のストの影響で松戸駅に数万人が集まり大混乱となったことがありました。駅の外に全長4kmもの長蛇の列ができて、当日夕刊の一面トップを飾りました。それほどであっても、常磐線の歴史のところにはいまだその記述はありません。特筆に値しないからです。
- 全国区のニュースになったというだけの理由で歴史欄に書かなければならないのであれば、大雪やストで列車が止まるたびにそれぞれの路線の歴史に書かないといけませんね。 --Alt_winmaerik 2006年9月29日 (金) 09:34 (UTC)
さすがにディズニーランドのことを載せるのはおかしいでしょう。京葉線と全然関係ないですから。上の方が言うようにこの事故を載せてしまうと雪国の雪害による電車遅延をいちいち記載せねばなくなりますね。--Alljal 2006年9月29日 (金) 12:50 (UTC)(雪国在住/毎冬電車が雪で止まります)
- 雪国の遅れと事故は異質なものですから、同列には論じられないでしょう。個人的には、航空鉄道事故調査委員会の調査が入る程度の事故であれば、重大事故の可能性があるとの判断が公式になされているということですから、載せてよいと思います。もっとも、節を新たに作るのではなく年表に2行程度で書くくらいなら、JRや東京消防庁の公式発表が出しだい載せてよいとは思いますが。ただし、ここではその記載内容にも争いがおこりそうなので、何らかの区切りの調査結果(中間報告や最終報告)が出るまでは記載を保留すべきでしょうね。別に急ぐ必要はないでしょう。--玉川大輔 2006年9月29日 (金) 13:14 (UTC)
- 玉川大輔氏の意見に賛同します。--Alljal 2006年9月29日 (金) 13:44 (UTC)
- 私「雪国の遅れ」とは一言も申し上げておりませんけど? 例えば雪国で雪の塊に列車が乗り上げたらそれは事故ですから、「雪国の列車停止と事故は異質で同列に論じられない」とは言い切れないでしょう? と一応マジレスしつつ(笑)、まぁいずれにしろ言わんとしていることは玉川大輔さんの記載に近いので特に異論はありません、はい。--Alt_winmaerik 2006年9月29日 (金) 22:25 (UTC)
この前の名松線の事故に関しても、現在版では記載されています。火災事故によって運休になった事実がある以上、掲載するべきだと思います。鐵道関係の火災は余り発生していない気がしますが。--Tsubame-ex 2006年9月30日 (土) 00:27 (UTC)
- では公式に事故原因が分かった辞典で加筆するということで。文は〜〜が原因で運休したという程度が適当かと。→ディズニーランドのことまでは載せる必要がないと考えます。--Alljal 2006年9月30日 (土) 05:18 (UTC)
不用意な編集でした
[編集]まだはっきりとした原因がわからない以上不用意な編集は避けるべきでした。 この場で謝罪します。以後不注意な編集には気をつけます。
しかし2日間に渡り多大な影響を及ぼした火災事故であり、全国ニュースにもなったくらいなのでJRの公式な発表が出てから記載するのはどうでしょうか。
やはりこの事故に関しては載せるべきだと私は思います。--Tstyle 2005 2006年9月30日 (土) 08:52 (UTC)
- 先にも書きましたが、少なくとも年表に簡潔に書く程度ならば書いてよいと思います。
仮に載せるとすると、どのような載せ方にすべきでしょうね? 記事の載せ方方には3通りあると思います。すなわち、- 事故専用の新記事を作る(例:JR福知山線脱線事故)
- 事故専用に節を作る
- 年表に記載する(例:近鉄けいはんな線のケーブル火災事故)
- です。
今回の場合、死者も出ていないので1には該当しないと思いますが、2と3ですとどうでしょうかね? 重大事故といえるならば2でもいいような気がしますが。なお、東急田園都市線の落雷事故・接触事故に関しては年表のところでいろいろ書かれていたので、記事をまとめるために節を作ってしまいましたが、異論はありませんでした。
もっとも、載せるか載せないかの段階でこの議論は拙速といわれるかもしれませんが。--以上の署名の無いコメントは、玉川大輔(会話・投稿記録)さんによるものです。- 載せる文としては「東京駅の○○でボヤが発生し信号が〜〜して全線に渡って運転を見合わせた」くらいでどうでしょうか? これ以上書くとくどい気がします。--Alljal 2006年10月2日 (月) 23:13 (UTC)
使用車種について
[編集]確か初期の通勤快速には113系も使われていたと記憶してますが。--125.195.52.229 2006年10月4日 (水) 12:43 (UTC)
- 「初期」というのはいつ頃を想定しているのでしょうか。もし通勤快速登場から3年後まで(1993年頃まで)だとすると、下記の通り蓋然性は低いです。
-
- 京葉線南船橋以西に導入された保安装置は開業当初からATS-P型のみであった(国鉄時代に開業していた西船橋〜南船橋〜千葉港〜蘇我間はATS-S型併用)。このため、ATS-P型を搭載していない系列は、東京駅へ乗入れる通勤快速運用にはつけない。
- 部分的にであれ総武線にATS-P型が導入されたのは1993年であり、幕張電車区所属の113系に同保安装置が搭載されたのも同時期である。
- 1・2より、東京全通時の1990年から幕張車にATS-P型が搭載される1993年迄の間、幕張電車区所属の113系は東京駅へ乗り入れできず、通勤快速運用にはつけない。
- --Alt_winmaerik 2006年10月6日 (金) 16:40 (UTC)
東京駅と成田新幹線の関係
[編集]”<当初から京葉線として計画されたのであれば、本来東京駅は「新東京駅」とでもなるはずだったが、成田新幹線の駅として建設されたがために、現在の場所になった。また、在来線の発着する東京駅丸の内側ではなく、新幹線のホームがある東京駅八重洲側をコンコースとしているのも、新幹線との乗り換えを容易にする意図があったためとされる。”
有益な記載と思われますがなぜコメントアウトされているのでしょう?
--以上の署名のないコメントは、220.209.86.249(会話/Whois)さんが 2005-06-11 13:25:52 (UTC) に投稿したものです。
(↑ここまで移動記事。どなたのご発言かわかりかねますが、関連する問題について過去にあった議論をこちらへ移動しました。ご了承ください)--Alt_Winmaerik 2007年9月30日 (日) 14:34 (UTC)
- 情報 上で移設されているテキストは当ノートページに220.209.86.249さんが2005年6月11日付で投稿した文章です(オリジナル投稿は 差分/2201604 で参照できます)。以下では、同投稿で紹介されている当記事の「路線概要」節にあったコメントアウト記述(成田新幹線計画と東京駅京葉線ホームの位置の関係)(e.g. 主ページの2005-06-08 08:50:17 (UTC)の版参照)の妥当性と典拠が検討されています。--Yumoriy(会話) 2024年5月8日 (水) 12:27 (UTC)
京葉線の東京駅が、成田新幹線用に準備された構造物を流用して建設されたとの話は良く出てきますが、現在のウィキペディアの記事(京葉線と東京駅)ではこれに対して否定的な立場にたった説明がなされています。この部分について、出典の明示をお願いいたします。正確を期すため、文献名だけでなく該当箇所を一字一句違わず引用してください。
なお私の手元にある「鉄道ピクトリアル2002年8月号」では、「武蔵野線・京葉線 建設の経緯と線路配置」と題する特集が組まれております。そこには京葉線東京駅ホームの写真が掲載され、下に以下の記述があります。
- 「成田新幹線用の設備を流用した2面4線のホーム」
特集記事を投稿したのは、鉄道総研勤務の祖田圭介氏で、写真提供は編集部となっています。したがって上記の解説は、祖田氏・鉄ピク編集部いずれかが記述したものであります。ちなみに執筆に使用された参考資料には、「鉄建公団京葉線工事誌」が含まれています。
一般的に流布されている説が実は誤りであるというのは時々ある話ですし、経緯を正確に書けば役立つ記事になりますので、ぜひ出典を示してください。10月31日までに無い場合は、上記の鉄ピクの記事を信頼できる情報源として修正させていただきます。--Alt_Winmaerik 2007年9月30日 (日) 14:34 (UTC)
- 私はAlt winmaerikさんのおっしゃる記述は、信頼できる情報源とはいえないと思います。
記述というのは写真に付随したコメントの事だと思いますが、執筆者が資料・調査を元に裏をとって書かれたであろう記事本文とは別のものとしてとらえるべき代物だと思います。
写真コメントはあくまでコメントとしてとらえるべきで、信頼できる資料と呼べるものではないと思います。 - なおAlt winmaerikさんの発言から察するに、記事本文には流用に関する事柄が一切書かれていないものと見受けられますが、実際はどうなのでしょうか?
写真コメントのみに記事本文で一切ふれてないような重要な事柄がポーンと記されているのであれば、尚のこと信憑性を疑わざるを得ないと思います。--202.212.62.49 2007年10月4日 (木) 08:41 (UTC)
- で、「京葉線東京駅は成田新幹線の東京駅の箱(設計)を流用したものではない」という出典はあるのですか? ウィキペディアにまず求められているのは出典です。まずはそれを示してください。信頼性については、出典がある程度出揃った段階で相互に矛盾があった場合問題になるべきものです。私の手元には、成田新幹線の建設開始時の投稿記事(鉄道土木のバックナンバー)も大学時代に図書館でコピーしたものがあります。議論が深まっていけば、おいおい出典として出すことになるかもしれません。が、いま、貴方がお示しになるべき、「成田新幹線東京駅と京葉線東京駅の関係が無い」ことの出典の出ていない段階で、当該記事も読まずに相手の出典の信頼性の有無を問うても不毛なことです。私が求めているのは、出展の明示です。202.212.62.49さんに必要なのは出典をお示しになることです。--Alt_Winmaerik 2007年10月4日 (木) 12:44 (UTC)
- 本日仕事帰りに東京駅付近を通ることになったため、駅前にある某大型書店に立ち寄り得た情報を追記します。
- 『すでに完成していた東京駅地下ホームは、京成線が乗り入れを希望したが果たせず、京葉線の乗り入れホームに流用された。』 新幹線発達史 イカロス出版
- 『本来は成田新幹線用につくられたものだが、成田新幹線の建設が中止になった後で、延伸してきた京葉線のホームに流用された。』 同上
- 『すでに成田新幹線の土屋―成田空港間の路盤、東京地下駅は完成していた。東京地下駅は京葉線が新木場から東京に乗り入れたとき、京葉線の東京ターミナルとして流用された。』 新線鉄道計画徹底ガイド 新幹線編 川島令三著 山海堂
- 『東京駅ホームや成田空港付近など一部の工事は進んだものの、1983年には工事凍結に追い込まれた。』 新幹線がわかる事典 原口隆行著 日本実業出版社
- 『京葉線の東京駅も、もともとは新幹線仕様でつくられていたため、かなり立派な構造となっている。』 同上
- 誤解いただきたくないので申し上げておきますが、私は上記の書籍の情報がすべて正しいとは考えておりませんし、その一部についてやや懐疑的な立場をとります。しかし重要なのは、ウィキペディアに求められているのは真実かどうかではなく検証可能性だということです。上記のように検証可能な事実をベースに、記事は執筆されるべきです。もし、それが真実とは異なる、納得がいかない、ウィキペディアに書かれることが我慢ならないということでしたら、本文中にきちんと出典を明記して記事を修正してください。
- それから出典の信頼性に言及する際は、根拠を明確にして下さい。貴方のご指摘に答えますと、
-
- >「執筆者が資料・調査を元に裏をとって書かれたであろう記事本文とは別のものとしてとらえるべき代物だと思います。」
- では別の代物だとして、鉄道ピクトリアル編集部以外の誰が執筆したのでしょうか。執筆者は信頼できて、編集部だと信頼できないということでしょうか? もしそうであればその根拠をお示しください。
-
- >「写真コメントはあくまでコメントとしてとらえるべきで、信頼できる資料と呼べるものではないと思います。」
- ぜひそう考える根拠をお示しください。一方的な決め付けでは議論になりません。
-
- >「写真コメントのみに記事本文で一切ふれてないような重要な事柄がポーンと記されているのであれば、尚のこと信憑性を疑わざるを得ないと思います。」
- ご指摘を受けて、本文で触れている出典を示しました。貴方の論理では、これなら信頼できることになりそうですが? 貴方がどのような持論をお持ちになろうとご自由ですが、ご自身にとって都合の悪い内容が書かれている書籍に対して、根拠も示さず頭ごなしに「信頼性が無い」と仰られても、議論になりません。10月31日までに無い場合は、予定通り当該部分を修正させていただきます。範囲は、京葉線のみならず、成田新幹線、東京駅などすべてです。--Alt_Winmaerik 2007年10月9日 (火) 15:25 (UTC)
ノート:成田新幹線 にある記述
[編集]成田新幹線のノートにある下記の記述について。
- 『日本鉄道建設公団30年史』や公団の各年度の事業計画なども確認しましたが、やはり成田新幹線の名義で東京駅ホームに着手したとする記述はありませんでした。
どの範囲をお探しになったのかは存じませんが、
- 『成田新幹線は,〜 中略 〜 今まで沿線住民の建設反対で,工事は東京駅構内と成田空港内に限られていたが,今年度は成田市内の一部において,地元の同意が得られる見込みとなったので,逐次用地買収および路盤工事を進めたい.』 日本鉄道建設公団50年度事業計画
- 『成田新幹線は,〜 中略 〜 現在,東京駅と成田空港内に限られている工事も,今年度は成田市内の一部について地元の同意が得られる見込みとなったので,成田空港-国鉄成田線付近間の用地買収を行い,工事に着手する予定である.』 日本鉄道建設公団51年度事業計画
このように日本鉄道建設公団によって成田新幹線東京駅の工事は開始されています。昭和52年の事業計画にも同様の記述があります.--Alt_Winmaerik 2007年10月15日 (月) 18:14 (UTC)
記事修正のための問題点の整理
[編集](左に戻します)出典提示の期限である10月31日が近づいてきましたので、ここで改めて問題の整理をしておきます。
A.検証可能な事実
- 成田新幹線の東京駅の工事は、1975年時点で既に開始されている。(①『日本鉄道建設公団50年度事業計画』 なお51年度・52年度版にも同様の記載あり)
- 成田新幹線の東京駅を京葉線の東京駅に流用したとする文献が複数存在する。(②『新幹線発達史』 イカロス出版、『新線鉄道計画徹底ガイド 新幹線編』 川島令三著 山海堂、③『鉄道ピクトリアル』2002年8月号 電気車研究会)
- 京葉線の東京駅は、成田新幹線の東京駅の規格で設計されたとする文献が存在する。(④『新幹線がわかる事典』 原口隆行著 日本実業出版社)
B.2007年10月28日時点の記事本文中にある、検証不可能な記述
- 京葉線の記事本文中にある、「成田新幹線の工事凍結後、JR東日本により京葉線の駅として建設が再開されている[要出典]」との記述。
- 成田新幹線の記事本文にある、「なお、京葉線の駅施設が在来線の地下駅としては躯体が広く見えることや、位置的には成田新幹線東京駅の予定地と同じ場所であることなどから「成田新幹線用に建設された躯体を京葉線ホームに転用した」と誤解されることが多いが、実際には「確保した場所の転用」だけであり、成田新幹線用に造られた躯体を京葉線に転用したわけではない[要出典]。」とする記述。
- 東京駅の記事本文にある、「ここには当初成田新幹線用のホームが建設される予定だったが、地下ホームの工事着手前に同路線の建設が中止されたため、空いた場所を活用する形で建設された。したがって、「成田新幹線用に造られたホームを京葉線に転用した」という話は厳密には誤りである[要出典]。」とする記述。
⇒いずれの記事についても言えることですが、新幹線ホームまで完成していたものを流用したのか、ホーム完成までこぎつけずに工事は中断し、その後JR東日本によりホームも含めた駅躯体が完成したのかが不明です。完成した駅を流用したとする文献(上記①②③)がある一方、JR東日本により駅工事が行われていたとの文献(⑤『鉄道ジャーナル』1988年3月号)があります。
仮に①②③を否定し、⑤を支持する立場にたった場合(つまり新幹線駅の京葉線駅への流用説を肯定しない立場をとる場合)でも、更に2通りの見解が存在します。一つは「新幹線用の設計を流用して京葉線の駅として建設された(上記④)」、もう一つは「在来線規格の駅として最初から設計・建設された(出典なし)」です。この場合、設計を流用したとする積極的事実は検証可能ですが、在来線規格の駅として建設されたという出典がありません。出典が無い以上、現在の京葉線・成田新幹線・東京駅の記事は、執筆者の解釈・主張を記事に投入したものと判断せざるを得ません。
よって結論としては、
- A-1は掲載する。
- A-2、A-3は「○○(文献名)によると〜とされている。」という形で検証可能であることのみに言及する。
- 検証不可能な記述はすべて削除
以上で問題ないと思いますが、いかがでしょうか。
ちなみに、事実として押さえておいていただきたいのですが、京葉線の東京駅と東京駅〜八丁堀駅間の工事はJR東日本施工、八丁堀駅〜新木場駅間は日本鉄道建設公団により施行されています(担当範囲がJRと公団で分けられた理由は、京葉線工事史によれば、既存施設との関連があるためとされる)。このため、鉄建公団の資料をいくらあたっても、JR東日本が工事を担当した時期の東京駅に関する記述は、無くて当たり前です。担当範囲外なのですから。鉄建公団の資料に「京葉線東京駅は新幹線規格で建設したとする記述」がないことを持って、新幹線施設流用説を直ちに否定できるものではありません。--Alt_Winmaerik 2007年10月28日 (日) 03:58 (UTC)
- 期限である10月31日までに、「新幹線施設を流用したわけではない」ことの出典、もしくは「新幹線規格ではなく在来線規格で建設された」との出典が示されなかったことから、上記結論をベースに記事を修正させていただきます。異論反論おありでしたら、早急は編集はせず、きちんとこちらのノートで出典に基づいた議論をお願いします。私自身も、ホームを流用したとする説にはやや懐疑的ですが、検証可能性を満たさない主観が記事本文に持ち込まれるよりは、幾分マシです。--Alt_Winmaerik 2007年10月31日 (水) 15:33 (UTC)
参考:川島令三『〈図解〉新説 全国未完成鉄道路線』(2007)
[編集]『<図解>新説 全国未完成鉄道路線――謎の施設から読み解く鉄道計画の真実』川島令三著に、このノートとの結論と似たようなことが書かれています。出版されたのはちょうど2007年10月中旬、いま店頭に並んでいるものが11月に出た第二版なので、ウィキペディアをきっかけにしてかかれた可能性は否定できませんが、ウィキペディアには無い独自の情報も含まれて居ます。
- 成田新幹線東京駅の工事は、設計のために必要なボーリング工事が終わったところで中断した。
- その後JR東日本が京葉線の駅として工事を再開する際に、早期開業が急がれたことと、将来成田空港直通特急が乗入れる予定があったため、成田新幹線東京駅の設計をベースに一部を手直して工事を行った。
こんなかんじのことが書かれています。N'EXは、もともとは千葉から京葉線への連絡線(新設)を通って京葉線経由で東京駅へ乗入れる予定だったのでこれは真実っぽいです。結果的には、内外房特急を京葉線に逃がして空いたスジで総武線経由となりましたが。--61.124.18.120 2008年1月20日 (日) 13:23 (UTC)
八丁堀駅〜潮見駅間と成田新幹線ルートの関係
[編集]下記の記述について、出典を明記してください。
>東京駅〜越中島貨物駅付近 … 成田新幹線用に設定された地下空間を活用する形で京葉線が建設された
こちらにある鉄建公団作成の資料『見解書の概要』-京葉線新砂町・東京間鉄道建設事業-をご覧いただくと分かると思いますが、京葉線の八丁堀駅〜潮見駅間には、30パーミルを超える勾配が3箇所もあります。車両性能の向上したいまでこそ、九州新幹線や長野新幹線の一部に30パーミル以上の勾配が存在しますが、成田新幹線の計画された1970年代はまだ0系しかなかった時代ですから、新幹線の軌道に30パーミルを越えるような勾配を設定することは考えにくいです。つまり空間設定自体が新幹線向きではないということです。これはあくまでも持論ですので、検証可能性は満たしません。よってウィキペディアの記事本文に持ち込むべきではないと考えていますが、ご参考まで。--Alt_Winmaerik 2007年10月15日 (月) 17:56 (UTC)
- 10月中に出典の提示が無い場合は、下記のように修正させていただきます。
- 成田新幹線用に設定された地下空間を活用する形で〜
- ↓
- 成田新幹線用に検討された用地を活用する形で〜
- --Alt_Winmaerik 2007年10月28日 (日) 02:48 (UTC)
- 期限である10月31日までに、当該部分の出典が示されなかったことから、上記の例の通りに記事を修正させていただきます。--Alt_Winmaerik 2007年10月31日 (水) 15:33 (UTC)
- 「東京〜新木場間の用地の一部は、成田新幹線用地として取得した土地を有効利用する」
- 日本鉄道建設公団「京葉線工事誌」にも上記記述がありますので、念のためこちらにも記しておきます。--Alt winmaerik 2009年2月17日 (火) 04:28 (UTC)
- 期限である10月31日までに、当該部分の出典が示されなかったことから、上記の例の通りに記事を修正させていただきます。--Alt_Winmaerik 2007年10月31日 (水) 15:33 (UTC)
概要の整理について
[編集]2008年9月23日現在、概要の節がありますが、分量が肥大化している印象があります。原因は、「概要」「建設の経緯」「(運用)現況」がごっちゃになって記述されているからだと思いますが。節を分けるなりして整理しようと考えていますが、これについて何か良い提案がありましたらお願いします。--Alt winmaerik 2008年9月24日 (水) 08:28 (UTC)
- とりあえず、「建設の経緯」は「歴史」節に移動しました。--210. 2008年9月29日 (月) 18:25 (UTC)
路線図の事ですが…
[編集]路線図からそれぞれのページへ移動できるように、リンクを張ってみました。路線図をこれに、変更したほうが良いですか?
--Tetudou 2011年2月10日 (木) 09:32 (UTC)
京葉線の歴史
[編集]これは追加できますか?
==歴史==
2013年4月10日西船橋駅で武蔵野線からの車両のドアに乗客のリュックサックのひもが巻き付き、ドアが閉まらなくなるというトラブルが発生した[1][2]。
== 脚注 ==
- ^ 京葉線-ドア全開のまま100km/hで列車運転!日刊動労千葉2013年4月23日 No.7494
- ^ 京葉線 朝のラッシュ時ドア閉まらず全開走行スポニチ Sponichi Annex
- コメント ありがちなトラブルですし、当線に限った事柄ではない(当線の特筆性の説明に寄与しない)ので、記述は不要と考えます。--Si-take.(会話) 2013年11月30日 (土) 18:08 (UTC)
駅一覧 東京駅乗り換え表示について
[編集]東京駅京葉1・2番出入り口と、銀座線京橋駅が近接しているため、唯一の銀座線との徒歩連絡駅として、駅一覧の東京駅乗り換え表示に出してもいいと思いますが。--コーキー(会話) 2016年6月29日 (水) 14:26 (UTC)