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ノート:日本/過去ログ2

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概要の長さについて

歴史項目が長い気がします。書けばいくらでも(それこそ何十万文字でも)書けるテーマなのですから、とにかく概要では「書かずにすませるセンス」を見せつけてください。おねがいします。--58.95.145.142 2007年2月2日 (金) 15:07 (UTC)

{{Main|日本の歴史}} or {{See|日本の歴史}}をつければ内容0文字でもかまわないとおもいます。あと誤字かセンスなのかわかりませんが修正しました。--Lisa Li Lee (Nightmare) 2007年2月2日 (金) 15:34 (UTC)
誤字はセンスですが修正は許容いたします( ´_ゝ`) ノ--58.95.145.142 2007年2月2日 (金) 16:15 (UTC)
賛成です。{{see|日本の歴史}}の一行で済ますのが最もスマートかと。--122.25.7.171 2007年2月8日 (木) 12:23 (UTC)

詳細項目「5.歴史」と概要部分とが、ほぼ同じボリュームというのはいくらなんでもあんまりだ。投稿場所を間違ってるとしか言いようが無い。誰かバッサリやってくれ><ノ--58.95.141.91 2007年2月8日 (木) 14:31 (UTC)

賛成できません。ある程度の長さにまとめることは重要ですが、ただのリンクに置き換えることには反対です。日本の歴史の概要を示してほしい。他の方の議論を推し進めると、どの国の記事であっても歴史(それどころか経済や地理も)はただのリンクになってしまいます。125.200.99.186 2007年2月16日 (金) 06:03 (UTC)

2月9日にNIKKAさんが編集しているので、今くらいのコンパクトさで丁度じゃないかな。それ以前(2月8日以前)の記事も見てくだされ。ヽ(´▽`)--58.95.141.91 2007年2月16日 (金) 07:12 (UTC)

なるほど。そういうことでしたか。Nikkaさんの編集で少し気になったのはコメントアウト部分をばっさり削除していることです。カウラについての「帰属に関する日本政府の見解は未確認」だとか、工業にあった「食品工業、繊維業、石油化学工業もさかん」ですとか。次に手を入れる人の参考になる情報なので、残しておいてほしかった。125.200.99.186 2007年2月16日 (金) 07:36 (UTC)

日本地図について

テンプレート欄に埋め込まれている画像:LocationMapJapan.pngについて疑問があります。コモンズ側の編集合戦?によって、北方4島を含む画像になったり、含まない画像になったり、時期によって表示が違います。このような画像はウィキペディア日本語版側で持った方がよくありませんか。125.200.99.186 2007年2月16日 (金) 04:05 (UTC)

ここはウィキペディア日本語版であってウィキペディア日本版ではありませんから、心情的にはどうであれ日本政府の見解を無条件に採用するわけにはいきません。。commons:Image talk:LocationMapJapan.pngにもあるように、北方領土はロシアの領土であるとする見解も多くあります。--端くれの錬金術師 2007年2月16日 (金) 09:27 (UTC)

ここでも議論すると議場が2箇所になりそうなので、コモンズを無批判に採用するのでも良いとは思うが。なにもWikipediaで北方領土を日本領で明示すりゃ、北方領土がロシアから返還されるというワケでもあるまい。しかしセコい工作をするヤツがいるもんだなw全然気が付かなかった世( ´_ゝ`) --58.95.141.91 2007年2月16日 (金) 09:46 (UTC)端くれの錬金術師さん。ご指定のページ覗いてきたけど、北方領土はロシアの領土であるとする見解がとても「多く」ありましたねwやれやれ( ´_ゝ`) --58.95.141.91 2007年2月16日 (金) 09:48 (UTC)

ストライプで表示すればよいのではないでしょうか。それよりも小笠原が表示されないことが気になります。--草苺 2007年3月1日 (木) 03:01 (UTC)

英語版に合わせてテンプレート欄に埋め込まれている地図を画像:Japan (orthographic projection).svgに差し替えておきました。--敷島健一 2009年9月5日 (土) 02:56 (UTC)

リバートしました--大和屋敷 2009年9月5日 (土) 06:02 (UTC)

民族浄化の件

124.100.32.219さんにより、"外交"節に以下のように"民族浄化"と言う単語が付け加えられています。
(引用はじめ)
一方、韓国・中国・北朝鮮では、日本の評価は低い。これは、直接的にはそれぞれの国との間で日本が植民地化・侵略戦争・民族浄化を行ったからであり、間接的には東アジアの覇権、対米関係などをめぐっての駆け引きがあるからとされる。
(引用終わり)
該当する投稿の差分参照
"植民地化"と"侵略戦争"は許容範囲ですが、"民族浄化"とは、穏やかではありません。124.100.32.219さんまたは同意見の人に具体的な事例や出典を挙げていただきたいと思います。--Kk8998982 2007年3月14日 (水) 13:55 (UTC)

「民族浄化とする意見」として紹介されるべきです。ノート:民族浄化で紹介されていた報告はリンクが切れてしまっていますが、強制的な同化政策は「緩慢な民族浄化」という一つの類型に当たるというのは学術的に認識されている考え方のようです。ブルガリアにおける平時における強制的な同化政策は民族浄化にあたるという佐原徹哉の論考[1]を挙げておきます。たとえば私はブルガリアにおけるポマック(イスラム教信仰をもつ少数民族)がさらされているものは「民族浄化」概念を当てはめるのが適当だという考えを支持します。その他、[2]なども参照。日本の皇民化政策の研究においても、それが国民統合や文化的同化のみならず民族として認識されない状態を目指している点を指してエスニッククレンジングという言葉が出てくる前に「民族抹殺」を目指したものであったとする朝鮮史研究者も複数います(梶村秀樹など。梶村は同種の言及をしている著作が複数あるが手近なところで『朝鮮史』講談社現代新書、1988年)。--Iosif 2007年3月14日 (水) 23:04 (UTC)
Iosifさんコメントありがとうございます。私のような無知な人間は、"民族浄化"という単語を聞くとすぐに、日本が"アウシュビッツ"の様なことをやったのかと、びっくりしてしまいますから。せめて、"民族浄化"の説明に導くために、リンクは必要ですね。個人的には、"日本"のところにこのような記述が増えるのは好きではないのですが、("民族浄化"に具体例を追加するとか、"日本による民族浄化"という項目を立ててそちらで記述するとかの方法があると思います)、いきなり記述を消すのは、"ウィキペディアのルール"に反するような気はします。--Kk8998982 2007年3月14日 (水) 23:16 (UTC)
一部訂正--Kk8998982 2007年3月15日 (木) 03:55 (UTC)
おはようございます。緩慢であれ強制的な同化政策を「民族浄化」に含めるかその言葉を使わないまでも一つの民族を消し去ろうという点で一つに括るというカテゴライズするのは有用だと個人的には思いますが、そういう立場があるのが学術研究の結果として発表されているものとして認識されているということ以上のものではないことは一応、公平のために記しておかねばと思いました(あとから言っていたんじゃ説得力がないかもしれませんが)。ここで自分なりに注意喚起しておきたいのは「民族浄化」はユーゴ紛争あたりから出てきた新語であって長い時間を経ることで定義が固まっているとは言えなさそうだという点です。アウシュビッツはたぶん「ジェノサイド」と呼ばれるべきものなのではないでしょうか。その行為の背景には「民族浄化」の発想があったのだという説明をすると整理しやすいように思います。。。が、これ、私が知る現代の用例に即した(つもりの)整理であって、民族浄化概念の確定した定義を適用したものではないことはお断りしておきます。--Iosif 2007年3月14日 (水) 23:55 (UTC)

(タブを戻します)
コメントありがとうございます。この手の内容(本文での記述のことです)は、とにかく編集合戦を招きやすいので慎重にしたいものですね。--Kk8998982 2007年3月15日 (木) 03:55 (UTC)

Iosif様、また貴方ですか。まあ良いでしょう。とりあえず日本がアジア諸国に対して、民族浄化を行って来たとする、「出典」を挙げてください。同化政策と、民族浄化は違います。同化政策を民族浄化であるとするなら、現在のアメリカでも民族浄化が行われていることになりますね。--ちとせ 2007年3月16日 (金) 13:00 (UTC)

自分の意見を言ってみます。民族浄化が新しい概念のようですから、確かに人によっては日本の同化政策が民族浄化のカテゴリに触れる可能性はあるという意見を持つ人もいるのでしょう。しかし、一般の日本人は「民族浄化」と聞けば、それを日本の同化政策のことだと思う人は皆無だと思いますし、民族浄化の概念も確定していない現時点では載せるのは不適切かと思われます。。Wikipediaは中立性を重んじます。例え間違いでは無いと仮定しても、一般の方に誤解を与えかねない表現は極力避けるべきだと考えます。--TT 2007年3月16日 (金) 13:31 (UTC)

losif様、「韓国・中国の国民の多くは、日本の大衆文化になじんでおり、個人レベルでは日本に好感・親近感を持っている者も少なくはない。」とする貴方の主張の出典も提示していただけると助かります。他の説も含めて、根拠の提示の無い説は申し訳ありませんが削除させていただきます。なお削除後に根拠を提示して再編集されることを何ら妨げるものではありません。--ちとせ 2007年3月16日 (金) 13:52 (UTC)

過去の歴史うんぬんや、その事実認定うんぬんは別にして、「民族浄化」という術語を用いる事が適当かどうか、という議論に集約したほうが良さそうですね。民族浄化のページも不確かな点がありますが、一般的な認識としてはコソボ紛争でのetničko čišćenje(ethnic cleansing)が初出だと考えます。これって特定の政策(ユーゴスラビアにおける民族迫害)を指摘する術語であって、一般的な意味をもたない術語じゃないのかな?たとえば民族浄化のページでハンセン病患者に対する迫害を民族浄化である、と定義している箇所がありますが、これ投稿者が勝手に転用しているのであって、ハンセン病の隔離政策をおこなう過程で「民族浄化」という術語が用いられた経緯はあるのかな?これって出典のない記述ではないのか?帝国日本がおこなった北東アジアの支配政策を「民族浄化」などと勝手に定義づけるなよ、そんな簡単なものじゃねーよ、という方は一杯おられるんじゃないでしょうか?--125.205.187.233 2007年3月16日 (金) 14:03 (UTC)
追記、コソボにおける「民族浄化」は、セルビア系住民がイスラム系住民との共存を拒否して、「国土・領域からイスラム系住民を追い出し、国土を漂白(cleansing)する」という意味でしょう。これを日本が大陸に進出して行った政策と同一視することが、まずメタファー(比喩)としても正しくないと考えます。仮に比喩として相似するのはユダヤ人問題の根本解決くらいでは?・・ああ・・帝国日本が大陸に進出したことは、すべからくホロコーストだと言う主張なのかな( ´_ゝ`) w--125.205.187.233 2007年3月16日 (金) 14:11 (UTC)
当時の日本政府(満州国政府だったかな)は、少なくとも建前で"五族共和"のスローガンを唱えていたはずで、せいぜい皇民化政策ぐらいでしょう。皇民化政策自体が"民族浄化"とみなされているのですが、この程度のことは、他国に攻め入ったことのある国はどこでもやっていることのような気がします。それを殊更本文に"民族浄化"と記載するのは確かに"反日キャンペーン"と受け取る方は出てくると思います。(この記述は私のあいまいな記憶に基づいていますので本文(=通常名前空間)で記述する予定がありません。典拠を求められてもお答えできかねますので平にご容赦願います。念のため)--Kk8998982 2007年3月16日 (金) 14:32 (UTC)
▼編集競合しました。一足先に投稿なさったKk8998982さんの文章をきちんと読んでいませんが、たった今書いた文章をあわてて、つづけて投稿します。--Iosif 2007年3月16日 (金) 14:46 (UTC)
▼そうかもしれませんね。当項目で突然「植民地支配・侵略戦争・民族浄化」と並んで出てくるのはあまりに唐突で説明文としてはあまり意味がないという気がしてきました。第一に「同化政策」または「皇民化政策」とそのままズバリ言ったほうがまだ意味がわかる文章になる、第二に「「民族浄化」の概念がまだあやふやだからです。▼私は「民族浄化」の項目に「そういう意見もある」という書き方で緩慢でも強制的な同化政策を挙げるべきだと思いますし(そういう意見があるのは事実ですし)個人的にも強制同化政策がもたらす影響を鑑みると同じく括ることに意義があると考えますが、たしかに帝国日本の支配政策を「民族浄化」の語でまとめてしまうのは間違いでもありますし、それよりなにより、あくまで「日本」に対する感情を書くべき箇所であることを考えると説明もなく「民族浄化」の語が飛び出すのは読者の混乱を招くだけだ(ホロコーストを連想させる)というのも納得しました。これが「民族浄化などやっていない」と言われると「いや、同化政策をこれを民族浄化の一種だとする観点は存在する」と留保をつけたくなりますが、悪感情の理由を説明する文脈で「その原因の同化政策については○○○という意見もある」云々と紹介するのは別次元の話を混ぜているだけですね。▼というわけで、「同化政策」または「皇民化政策」に置き換えるのであれば賛成します。--Iosif 2007年3月16日 (金) 14:46 (UTC)
東アジアに関する記述はすべて、「外交#東アジア」の小節に移されているので、その際に消えた「民族浄化」の言葉を「皇民化教育」に置き換えて補足し、少し整理しました。▼しかし、各国の日本に対する感情を列挙・説明している箇所で「日本人の中国・韓国・朝鮮への感情も書かないと不公平」とした編集は、あまりに文脈違いなのでいかがなものかと思います。「東アジア」の節に移すことで解決はしていますが。--Iosif 2007年3月18日 (日) 19:34 (UTC)

保護依頼の件

遺憾ながら、上記の件などで、ここ数日編集合戦が行われておりますので、本文をWikipedia:保護依頼をかけました。--Kk8998982 2007年3月16日 (金) 12:27 (UTC)

なんでもすぐに保護依頼かけないでくださいよ。編集合戦?結構じゃないですか。 間違ったことが書かれれば誰でもすぐに直せることが記述の妥当性を保証するというのがwikiの理念じゃないんですか?以上の署名の無いコメントは、61.193.184.118 会話/whois)氏が[2007年3月16日 (金) 22:04]に投稿したものです(Kk8998982による付記)。

61.193.184.118さんコメント有難うございます。保護依頼に異議がおありでしたら、Wikipedia:保護依頼で反対票を入れてください。あなたの意見に正当性があれば、私の依頼は"見送り"又は"却下"されます。--Kk8998982 2007年3月16日 (金) 13:11 (UTC)
ノートでの書き込みが上のとおり活発になっていますので、審議に時間をかけていただくようコメントしました。--Kk8998982 2007年3月16日 (金) 14:21 (UTC)
IPユーザーは保護依頼の場で賛否表明できましたでしょうか?--目蒲東急之介 2007年3月19日 (月) 13:24 (UTC)
「俺は正しい知識をもっているから、正しい記述に直すが、お前らは不勉強だから、自分でちゃんともう一度勉強しなおしてこい。答えは自分で見つけるんだな」という態度は不親切です。正しい知識をあえて記載するのなら、ちゃんと不勉強な私たちにそれがどういった根拠(信頼される出典)によるのか提示してください。不親切な態度では困ります。先生ヅラする人は信用されませんよ?--125.205.187.233 2007年3月16日 (金) 14:26 (UTC)
私は、"先生ヅラ"する意図はありません。":「俺は正しい~自分で見つけるんだな」"は、あなたの感想でしょう?Wikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃の例をご覧下さい。私に確認もせず、私の発言の意図を自己流に解釈し攻撃するのはお止め下さい。もし根拠がおありでしたら、具体的に私のどの発言の部分でそう感じたのか明示してください。--Kk8998982 2007年3月16日 (金) 14:38 (UTC)
追記します。上の125.205.187.233さんの発言は私(=Kk8998982)に対するものでしょうか?それとも無署名でコメントした61.193.184.118さんに対するものでしょうか?もし61.193.184.118さんに対することでしたら、言葉が過ぎましたので、訂正いたします。Wikipedia:ノートのページでは投稿に署名をする#署名を補うためのテンプレートを一読していただけたら、私の貼ったテンプレートの意味はお分かりいただけるものと思います。--Kk8998982 2007年3月16日 (金) 14:57 (UTC)
一部修正--Kk8998982 2007年3月16日 (金) 15:00 (UTC)
無記名で投稿された先生に対するお願いであります。Kk8998982氏失礼いたしました( ´_ゝ`)センセ宜しく --125.205.187.233 2007年3月16日 (金) 15:42 (UTC)
「俺は正しい知識をもっているから、正しい記述に直すが、お前らは不勉強だから、自分でちゃんともう一度勉強しなおしてこい。答えは自分で見つけるんだな」って誰が言ってるのですか?--220.209.192.180 2007年3月16日 (金) 19:28 (UTC)
該当箇所は「~という態度」にかかる修飾節です。誰が誰に示す態度かといえば、「(Honkou先生が、投稿者一般に対して示す)無批判のリバートという態度」を指します。誰が言っている、という問いはこの場合不整合です。--125.205.187.233 2007年3月16日 (金) 23:55 (UTC)
125.205.187.233さん大変失礼いたしました。上記コメントを削除させていただきます。--Kk8998982 2007年3月16日 (金) 23:28 (UTC)
こちらこそ失礼致しております。編集作業、毎々ご苦労様です<(_ _)>--125.205.187.233 2007年3月16日 (金) 23:55 (UTC)

(タブを戻します)今回は、保護は見送られたみたいです。(この節での会話は打ち切りたいと思います。追加で議論を加えたい場合は、改めて新規に節を加えていただきたく思います)--Kk8998982 2007年4月5日 (木) 21:49 (UTC)

リバートが繰り返されている日本国の成立について

以下引用

近代国家である大日本帝国の成立は、大政奉還のあった1867年11月9日(慶応3年)とする説がある。敗戦後に日本国が独立国家となった1951年(昭和26年)を建国年とする説もある。

引用終わり

この記述について明らかに間違いであるのは、敗戦後に日本国が独立国家となった1951年(昭和26年)を建国年とする説という記述である。何故なら、現在の日本国憲法は大日本帝国議会によって定められたものであり、占領下にあった日本も国家として滅びていたわけではありません。近代国家である大日本帝国の成立はの下りは、間違ってはいないかもしれませんが、ここに書くことではないでしょう。大日本帝国の成立が大政奉還であるという説も多分正しくは無いでしょうし。 以上の理由でこの説をいったん削除いたしますが、復帰したいという方が居られましたら、下記に意見を述べた上で復帰してください。--ちとせ 2007年3月16日 (金) 19:03 (UTC)

この場合に、問題になるのは典拠の有無だけです。「間違いである」か否かはユーザーが思弁・論述だけで判定して良いことではありません。--Iosif 2007年3月16日 (金) 19:26 (UTC)
典拠の一例。CIA各国要覧の日本の項ではBC660年独立になっていますね。つまり少なくとも米国からはそう見られているということですね--220.209.192.180 2007年3月16日 (金) 20:04 (UTC)
losif様、貴方がこの記述をwikipediaに加えるのであれば、ほかの誰かではなく貴方が典拠を提示しなくてはなりません。嫌がらせのリバートはお止めください。--ちとせ 2007年3月16日 (金) 20:08 (UTC)
私にそのような義務はありません。元々ある記述です。このケースでは「~~~とする説がある」と書かれているのですから、問うべきは「どこにそんな『説』とやらがあるのだ?」です。「ちとせの考えではそのようなことは間違いだ」というのは記述を消す理由になりません。出典を求めればいいわけです。長く出典が出なければ削除すべきでしょうけれども。わけのわからない立証責任を人に押し付けるのはやめてください。--Iosif 2007年3月16日 (金) 22:13 (UTC)
つまりあなたは、今後この記述に関して一切典拠を挙げるつもりはない、ということですね--220.209.199.204 2007年3月17日 (土) 03:23 (UTC)

建国記念の日を見る限り、国会での合意過程で「(2月11日は)史実に基づく建国の日とは関係なく、“建国されたという事象そのものを記念する日”であるという考え」に立っていると読めます。逆にいえば「建国の日時」は国会では合意されていない。ある人はかつての紀元節(2月11日)を建国の日と主張している(有力説)。その他世論調査によれば、5月3日(憲法記念日)、4月3日(十七条憲法発布の日)、4月28日(講和条約発効の日)などがある(建国記念の日参照)。世論調査の結果を「説」とするには疑問も感じますが、建国の日として新憲法の発布や講和の締結をそれ(建国)と解釈する向きも存在するようです。一方、大政奉還のあった1867年11月9日については裏づけが確認できません。--125.205.187.233 2007年3月17日 (土) 00:16 (UTC)

また、別の論点として、こういった建国日に関わる詳細について、日本の要約表の上で網羅しなければならないかどうか、疑問があります。--125.205.187.233 2007年3月17日 (土) 00:16 (UTC)

要約表上は「公式見解」の紀元節起源論だけにして、その他の説は「日本の建国について」とでもいうようなページ作ってまとめて貰った方がいいと思います。--220.209.199.204 2007年3月17日 (土) 03:23 (UTC)
losif様、元々ある記述というのは、出典にはなりません。貴方がこの編集を復帰させたいなら、貴方が納得できる根拠を示してください。元々あったから、revertするというのは、revertの理由にはなりませんよ?それは嫌がらせです。それでもrevertされるということであれば、対話の拒否とみなします。--ちとせ 2007年3月17日 (土) 03:43 (UTC)
横すみません東京新聞によると、建国記念日が歴史的事実としての建国年月日でないのは明らかだそうです。--草苺 2007年3月17日 (土) 08:14 (UTC)
それを言い出したら、そもそも他国から独立したり征服された歴史のない日本に建国された日など存在しないですよ--61.202.202.232 2007年3月17日 (土) 10:45 (UTC)
「不詳。伝説上は紀元前660年1月1日 (旧暦)(太陽暦2月11日)[建国年と皇紀]」としたいですけど問題ありますか?(他の国のページ見ても一々細かな説並べ立てたりしてないじゃないですか)--220.219.10.234 2007年3月17日 (土) 23:41 (UTC)
BC.660年(政府公式)としてその他は国章の様に注釈をつけておけばよいのではないでしょうか?--16toki 2007年3月18日 (日) 04:27 (UTC)
「政府公式」には根拠・出典の検証を求めます。建国記念の日によれば、"建国記念日"というのは"建国されたという事象そのものを記念する日"という解釈が国会の合意事項のようです。紀元節を建国日とすることに対する野党の反発から、この合意に集約されたという事のようです。「不詳。伝説上は紀元前660年1月1日 (旧暦)(太陽暦2月11日)」というのは良さそうですね。--125.205.187.233 2007年3月18日 (日) 05:03 (UTC)

もちろん、大政奉還のあった1867年11月9日(慶応3年)とする説、敗戦後に日本国が独立国家となった1951年(昭和26年)を建国年とする説が出典を得た場合にですが、 中華人民共和国のもののように、

建国
- 統一王朝 紀元前221年
- 民国成立 1911年10月10日
- 人民共和国成立 日付 1949年10月1日

って感じで書くのはどうでしょうか?史実で無いもの、さらに、建国された日とは関係ない建国記念日を載せることには抵抗がありますが、中立的に考えて載せておくのも良いと思います。 また、あまりに曖昧であればドイツのように載せないということでも良いと思います。--草苺 2007年3月18日 (日) 05:47 (UTC)

中華人民共和国は、前の王朝から何ら継承しているわけでもありませんし、ドイツは日本と違って表向き断絶したことになっていますので比較対照としては無理があります。比較するならば、イギリスやフランスあたりと比較するべきですね。フランスも被占領国ですし。--ちとせ 2007年3月18日 (日) 06:53 (UTC)
フランスと同じで考えるべきだとおもいます。ヴィシー政権は憲法秩序を変えていますが、大日本帝国憲法は停止されていないので、その意味でも、独立というのはちょっと無理があると思います。Iceboat 2007年4月15日 (日) 13:51 (UTC)
何度も言うように、日本とフランスは置かれていた状況が全く異なります。というか、なぜフランスが基準なのかわかりません。Wikipediaの在り方として、なるべく多くの情報を盛り込むことが歓迎されるものであり、事実英語版やスペイン語版など、他国語の版ではサンフランシスコ平和条約の期日が乗っています。独立という表現がお嫌いなら、「主権回復」でもいいですが。いずれにしろ銘記すべき重要な期日であり、削除は不適当と考えます。--KASAGI 2007年4月15日 (日) 14:02 (UTC)
フランスと日本が同じように占領された国家であるのは同一ですし、なぜフランスと同様の扱いをできないのかをあなたは説明できてません。また、英語版は独立ではなく、formation 体制についての日にちとしてサンフランシスコ講和条約の日付を出しているので、独立とは書いてません。体制という項目を作って書くのは賛成ですが、独立と書くとこの場合はちょっと当てはまらないと思います。Iceboat 2007年4月15日 (日) 14:16 (UTC)
フランスと日本の大きな違いは、ドイツに降伏して占領された後も、フランス国家は主権を剥奪されたわけではなく、独立を維持したままということです。今日ヴィシー政権と呼んでいる国家が当時の正当なフランス国家です。日本の場合、主権は全て停止されており、その意味で大きく違っており、独立という言葉が使われる所以です。独立という言葉が穏当でないというのなら、主権回復でも良いと書きました。私は十分一般的な用語だとは思いますが。いずれにしろ、何かある記述を削除して内容を差し替えているのではなく、情報を付け加えただけの編集です。サンフランシスコ平和条約締結日より日本の主権が回復したという点に何ら問題はなく、情報として十分掲載に値する記述です。画面構成上も、下記に注を施すことですっきりしました。--KASAGI 2007年4月15日 (日) 14:27 (UTC)

七面倒な議論をするのも時間の無駄なので、妥協して表現を変えました。これで納得してください。--KASAGI 2007年4月15日 (日) 14:36 (UTC)

あなたがドコの誰だか誰も知らないのに、納得も何もないだろwそもそも勘違いがあるようだが、リバートを阻止するのに重要なのは信頼できる出典というのがWikipediaのルール。日本には法定の建国日は存在しない、伝説上の建国日は紀元前660年1月1日、ココまでは信頼できる出典が確認されているが、それ以上に突っこんで記述するとなると、よっぽど慎重な表現を工夫しないとリバートに対抗できないぜ?建国の話題を記述する箇所に主権回復は関係ないしょ?議論が活発におこなわれているテーマだとWikipediaは窮屈ですよ。2chみたいに言いっぱなしは効かないからねwあなたが最初に修正された以前の状態が、いかに妥協の産物か、もういちどご確認くださいな。( ´_ゝ`) --125.205.8.21 2007年4月15日 (日) 15:19 (UTC)
出典の提示を求めたいのは2点。①主権回復日が「建国日」であるとする信頼できる出典②他の重要な日付を排除して、サンフランシスコ講和条約の締結日だけを特記すべきであるとする信頼できる出典。①については沖縄の返還日を意図的に排除しているという点に信頼できない要素を感じ、あるいは北方領土の主権が回復されていない以上、厳密には日本は建国されていないことになりかねない。②については建国記念の日にも記載があるように、現行憲法が施行された日とすべき、聖徳太子の十七条憲法発布の日、などのほうが講和条約発効の日より有力であるとの世論調査があり、優先順位の設定に信頼がおけない。--125.205.8.21 2007年4月15日 (日) 15:37 (UTC)
は?あんたこそ誰?つか建国日の話をしてるんじゃないんですが。元より建国日と独立回復日は何の関係もない。建国記念の日はそのまま残してあるし、そのままで何ら異議はないんですが。従ってサンフランシスコ平和条約締結日だけを特記しているわけではない。つうか、唐突に沖縄が出てきたがそれがどう関係あるのか。さらに北方領土まで飛躍するに至っては全く意味不明である。異常に建国に拘っているようだが、建国がどうとかはこの際関係ない。世論調査とやらの出典は?あんたのあやふやな主張の方がよっぽど信頼がおけないんですが。--KASAGI 2007年4月16日 (月) 13:08 (UTC)
建国の項目ですよ。ご確認下さい。建国記念の日もご一読頂ければ誤解が解けると考えております。--125.205.8.21 2007年4月16日 (月) 14:55 (UTC)
やはり、建国の項目に主権回復を書くのはおかしいと思います。体制という項目を作るべきでしょう。削除します。Iceboat 2007年4月19日 (木) 03:00 (UTC)

今のような国旗が使われるようになったのは最近になってからですよね?220.208.188.195 2007年6月27日 (水) 00:33 (UTC)

日本の国旗』という記事がありますよ。--125.205.9.64 2007年6月27日 (水) 02:38 (UTC)

現行憲法の制定日なんて必要ないと思います。(将来憲法が改正されたらまた変えるんですか?) 再独立って言葉も違和感があります。(占領時にも日本政府は存在していました) 占領終結でいいと思います。--220.218.225.42 2008年5月9日 (金) 18:15 (UTC)

  • 講和条約の締結をもって「建国の日」と解釈できるような記述がありましたが、降伏条約(国際条約)の締結をもって国家の滅亡、講和条約(国際条約)の締結を建国日と解釈する根拠は近代国際法(ハーグ陸戦条約など)にみあたらないので除去しました。講和条約締結日を建国日と積極的に解釈する客観的で信頼に足る情報源をご存知の方がいらっしゃいましたら出典情報を提示のうえ再編集お願い致します。--ネコバット 2008年5月9日 (金) 18:53 (UTC)そもそも国家が滅亡していれば講和条約締結のための主体になりえないというあたりもご一考頂けると「講和条約締結日=建国日」を主張されるWikipediaだけに登場される独自研究の方々の粗忽さ・稚拙さがご理解頂けるかと考えます。--ネコバット 2008年5月9日 (金) 19:01 (UTC)
  • Kahusiさんの2008年5月10日(土)12:58の版を差し戻させて頂きました。理由は①英語版の内容が正しい訳ではない②「建国記念日」である2月11日以外には神話上の建国日紀元前660年旧暦1月1日を除いて「建国」と要約できるまでに有力な日はなく国民的な「合意」とよべる日は存在しない(←建国記念の日の記述を参照下さい)。つまり存在しないものを勝手に要約したり列記してはいけない。③建国日について議論があるのは事実で複数の出典が確認できるが、「要約」はできないのでWikipedia上で要約したり、列記することはできない。過去のノートにおいてたびたび議論になっている論題のようですが、無理な要約をするくらいなら「建国」の項目を設定しないほうが良いくらいだと考えます。--ネコバット 2008年5月10日 (土) 17:00 (UTC)建国記念の日の小項目「建国記念の日に関する世論調査」をご覧頂くと分かると思うのですが、大日本帝国憲法の施行日や大政奉還の日、終戦日などちょっと思いつくような「近代日本にとって画期となる日付」には典拠上の根拠に乏しいところがありそうだということもあります。--ネコバット 2008年5月10日 (土) 17:06 (UTC)
どうも、Kahusiです。そもそも、あのセル見出しを「建国」とする事には疑問はあるのですが、その時点で他に良いと思える語彙が出なかったのであの儘投稿しました。他の語彙としては「成立」や「確立」等。「政体の成立」「体制の成立」でも良いかも知れません。此等はenの"Formation"に倣ったものですが、取敢ず、複数指定出来る様にテンプレートの仕様は変更してあります。--kahusi (會話) 2008年5月11日 (日) 09:34 (UTC)

項目名の変更

Wikipedia:記事名の付け方の「その他の慣例」→「国名」をご覧ください。--しゃっふる。 2007年3月27日 (火) 07:44 (UTC)
これまでの経緯を調べた限り①国名については特段の議論が無い場合は現状で維持する。これは他記事内でリンクが張られているなどの技術的な事情による②当記事(日本)のノートにおいても過去ログで「日本」を「日本国」にすべしとの議論がおこなわれたが、強行な主張や十分な出典による説得的な議論はおこなわれてないまま、なしくずしに流されている③正しい内容(国名)によって記載されるべきなのは当然であるが、検証可能で信頼できる出典による情報であるのが前提④当記事「日本」の一番最初の投稿は2002年9月24日であるが、その時点でタイトル「日本」内容「日本国(Nippon,Nihon)はアジアの東に島の国です」(以上)でタイトル「日本」で書き起こした経緯がある---こんな感じでしょうか?個人的には「日本国」であるべきかと考えるのですが、説得的な信頼できる出典を持ち合わせません。そもそも、いったいどっちが正式なんでしょうかね?「中」と比較して「日本」とすべきなんてのもなんだか独自の推論のような印象があるのですけども、パスポートじゃ日本国旅券なんですよね。国名という記事もありますが、どうもはっきりしません。--125.205.8.21 2007年4月3日 (火) 13:58 (UTC)
なし崩しであっても時と場合によってはまた良いのでは? 慣例と言うのもコミュニティ維持において必要なものでありますし、もしここで改名が仮に実現した場合、他の項目でも「アメリカかアメリカ合衆国か?」とか「イギリスかグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国か?」などとやり始めたら収拾つかなくはなりませんか? 消極的との批判は受けるやも知れませんが、日本あるいは他の国家に限らず、項目名にある一定の原則を維持して共通の表記方法で揃えた方が「移動合戦」などの混乱を阻止する観点からも適切ではないかと考えます。--水野白楓 2007年4月6日 (金) 13:27 (UTC)

お知らせの数

この記事の上部に位置するお知らせが、あまりにも多いと思います。議論をできるだけ速く終わらせ、お知らせを減らしてください。 Hosomi 2007年3月29日 (木) 12:42 (UTC)

スパム防御フィルター

IPユーザーによる記事破壊の復帰がスパム防御フィルターでできない状況なのでWikipedia:管理者伝言板に報告しました。IPユーザーの編集で、誹謗中傷的な単語があったので白紙にしました。--Alljal (会話 / 投稿記録 / メール) 2007年7月30日 (月) 14:26 (UTC)

・・・と思ったら差し戻しが成功したようですね。--Alljal (会話 / 投稿記録 / メール) 2007年7月30日 (月) 14:27 (UTC)
私も、rvしてスパム防御フィルタに引っかかりました。どうして成功したのでしょうか。不思議ですね。まあ、元に戻ったからよかったのですけど。--あなん 2007年7月30日 (月) 14:42 (UTC)
もの凄くサーバが重い状態でしたので、スパム防御フィルタが誤作動を起こしたのかもしれませんね。何度かウィキペディアのサーバーエラー画面が出ましたので、もしかしたらリブートして復旧したのかもしれません。まぁ、はっきりとしたことは言えませんけども。--Swind 2007年7月30日 (月) 14:45 (UTC)
新規記事もスパムフィルタに引っかかてたようです。私もサーバーエラー画面に何回もお目にかかったのでエラーが影響したのでしょう。憶測ですが。--Alljal (会話 / 投稿記録 / メール) 2007年7月30日 (月) 14:48 (UTC)

北方領土

北方領土は千島列島に属さないと日本側は主張します。--以上の署名のないコメントは、210.131.4.188会話/Whois)さんが 2007年7月31日 (火) 03:45 (UTC) に投稿したものです。

そうですか。--121.118.216.203 2007年7月31日 (火) 05:52 (UTC)
ほうほう。--121.112.179.28 2007年9月28日 (金) 10:45 (UTC)

「歴史」節の整理

国名節と歴史節を整理+加筆してみました。その際、「歴史」節中の「国号の成立とその後」節を「国号の成立」節と「略史」節に分けたのですが、いろいろ思うところがありましたので、以下のとおり提案してみます。

  1. 「国号の成立」節は、「国名」節へ統合した方が良いのではないでしょうか。
  2. 「略史」節は、妙に近現代に詳しすぎて全体のバランスが非常に悪いので、全面的にリライトしても良いでしょうか。
  3. 「今後の課題」節の内容は、「歴史」節に書くべきことか非常に疑問なので、消去するか、別の節へと移す。

ご意見を待ってます。--shimoxx 2007年10月13日 (土) 17:51 (UTC)

編集作業ご苦労様です。「歴史」節について。それこそ書き始めれば何万字、何十万文字にも及んで当然の項目ですから、それこそ「コンパクトに要約する」という最も難しい作業にセンスを発揮する方針でお願い致します。現代史がある程度に厚いのは「日本」という項目に期待する読者の要請を反映した編集方針かと。「今後の課題」は内容がやや微妙ですね。--121.112.179.28 2007年10月14日 (日) 02:36 (UTC)
「国号」節と「歴史」節を整理・加筆してみました。特に「歴史」節は全面的に書き換えています。従前の版は妙に近現代に詳しすぎ、かつ焦点がぼやけているような憾みがありましたので、(1)日本の国家がどのように形成されてきたか、(2)日本の領域はどのような変遷を遂げてきたか、の2つの視点で書き換えております。この執筆には、網野善彦『「日本」とは何か 日本の歴史00』(講談社、2000)および尾藤正英「日本」項(『国史大辞典 11』、吉川弘文館、1990)などを参考にしております。大まかな歴史の流れは既に日本の歴史や各時代項目で記載されていますので、視点の差別化により重複を避けたつもりです。近現代史が若干薄くなりましたが、読者のニーズには、明治大正昭和日本近代史などの項目で応えるべきであり、十分応えられるだろうと思っております。また、従前の「今後の課題」節は、「歴史#概略」の末尾に思い切ってまとめました。あと、建国にまつわるあれこれは、歴史学ではほとんど重視されていない事項ですので、冒頭から後ろの方へ回しました。--shimoxx 2007年11月4日 (日) 12:29 (UTC)

リバート合戦について(公用語・首都)

公用語、首都についてリバート合戦が発生しました。公用語については過去ログに議論が存在していますので確認してください[3]、首都については私の勘違いで首都での議論と混同していたようです。詳しくは日本の首都あるいはノート:日本の首都を参照してみてください。--隠者 2007年10月15日 (月) 00:48 (UTC)

個人的には除去したい方(誰かとは「敢えて」申しませんが)の言葉づかいに問題があると思われますが、それはともかく公用語に関しては折衷案の段階で議論が停止していますね。ただし、「除去」として合意されたわけではないので「公用語において『事実上』を除去すること」については差し戻しに値すると思われます。
首都については

で「事実上」などの表現はなされていません。東京が首都とは「正式には」決定されてはいませんので、注釈は必要と考えます。--Sanjo 2007年10月15日 (月) 10:08 (UTC)

まあ、以前に合意が得られた事項を改変するためには、新たな合意が必要だと思うので、公用語については、戻しておきます。あと、Sanjoさんも、心に思ったことでも口に出すのは避けたほうがいいかもしれません。--Damena 2007年10月16日 (火) 01:24 (UTC)
個人攻撃はやっぱよくないですよね。名前を伏せてても、イニシャルトークみたいなもんで、わかる人にはわかって、傷ついてしまいます。公用語と首都については、事実上って入っててもいいんじゃないですか?別にそこには興味ないので。とりあえず手話で日本列島がどう表せられるかの部分については、断固として削除しますけど。--H.Whity 2007年10月16日 (火) 13:55 (UTC)
そうですか。『むしろ手話で日本列島がどう表せられるかの部分については、断固として削除しますけど』の決意の理由に興味がありますね。別に無くても困らないですが。--隠者 2007年10月17日 (水) 10:51 (UTC)首都について復帰しました。--隠者 2007年10月17日 (水) 10:54 (UTC)

公用語の拡大解釈は可能か?

アイヌ語の項目によると、「国会での使用が認められている」ことを理由に、アイヌ語が日本の公用語のひとつとして挙げられています。確かに、アイヌ出身の萱野氏のアイヌ語での演説は、記憶に残っていますが、このような解釈は妥当といえるのでしょうか?--Damena 2007年11月2日 (金) 13:56 (UTC)

過去ログにこの主題に関する議論があります。当記事(日本)では「国会での使用が認められていることを理由にアイヌ語が日本の公用語として挙げられて」いるような論述体裁は採用していません。記事アイヌ語での編集方針についてはノート:アイヌ語で議論をお願い致します。--125.205.188.24 2007年11月2日 (金) 14:30 (UTC)
萱野議員によるアイヌ語の発言は演説ではなく、参議院における質問の一部です。議事録にはカタカナ表記でそのままアイヌ語で記録されています。萱野議員が自身の日本語訳を続けたので、議事録には特に翻訳も何もついていませんでした。--以上の署名のないコメントは、124.154.159.31会話/Whois)さんが 2009年8月16日 (日) 12:34(UTC) に投稿したものです(Nifeによる付記)。

編集の根拠をお示し願いたく

生協インターネット加入のIPさんのたび重なる編集[4][5][6][7]に疑義を感じましたので、ここに書きとめておきます。相対的に国際的地位が低下しているとは具体的に何を指しているのか?また、諸問題の改善が進まないことと国際地位の相対的低下とは関係があるのか?このことについて論じているのは具体的に誰なのか?百科事典でこのような漠然とした記述は通常見ることはないので、強い違和感を感じました。お答えのないまま編集合戦に走ることのないよう願っております。--shimoxx 2007年12月28日 (金) 15:15 (UTC)

日本の民族構成について

スミス16号 氏から以下の質問をいただきましたので回答します。
「95%~認識している、琉球民族が確定的な理由、広義の大和民族、これらの根拠をお願いします」

  • 95%という根拠
この数字は私が算出したものではなく日本人等から引用したのものです。今は削除されたようですが日本#民族にも同様の数字が記載されていたと記憶しております。私がこれを信憑性がある数字だと思うのは現在の日本における外国人、帰化人、沖縄の人口から推測される琉球民族、アイヌ等少数民族を合算し最大数をとっても日本の人口の5%にあたる650万には達しないだろうからです。
  • 琉球民族が確定的な理由
確定的だと思っていないから広義の大和民族に含まれることがあると書いたのです。私個人は大和民族に含めて問題ないと思いますが、確かに自分を狭義の大和民族と異なる琉球民族だと自覚してる方がいますので両論併記という形をとらせていただきました
  • 広義の大和民族
大和民族は外国人に対する日本民族という広義の意味と少数民族を除いた和人という狭義の意味があります

--Tabunoki 2008年5月10日 (土) 09:14 (UTC)

あ~っと横から失礼いたしますが、たぶんこの根拠ではダメだと思います。Wikipedia内の他の記述を根拠に出典を主張するのは、そちらのほうの出典が明らかでないと・・無論Tabunokiさんがこの記述の出典を提示しなければならない義務があるわけでなないのですが、はっきりと確認できる出典がどの投稿者も(とくに最初の投稿者にすら)提示できないようなら、いったん削除しておくほうが宜しいかと。それこそ「何年に」どのような統計をもとに算定したのかサッパリわからない、たんなる目分量での数字なんてものであったのなら、そもそも百科事典に書いてある方がおかしい訳ですから。--ネコバット 2008年5月10日 (土) 10:35 (UTC)ちょっと調べてみたところ、単一民族国家という記事にも同様の記述がありますが、やはり要出典タブが張ってあります。Wikipediaの記事を無批判に他のWikipediaの記事に張っていくと、根拠のはっきりしない記載が増殖していく危険性がありますね。--ネコバット 2008年5月10日 (土) 10:39 (UTC)

Tabunokiさんありがとう御座います。ただネコバットさんが仰っておられる事と重なるのですが、検証可能な出典を示されない事には、記述者の独断であったと言う事になってしまうのです。まずは、琉球民族じたいが地元においても確定していません。それであるなら、日本の少数民族でない訳です。そうなると少数民族と記載して、引き算して95%も根拠が無くなります(日本人全体が大和民族と認識しているのかも疑問ですが)。またアイヌ民族までも、広義であろうと大和民族に含めるとは聞いた事がないです。--スミス16号 2008年5月10日 (土) 11:42 (UTC)

まあ具体的な数字の削除はやむを得ないですね。私も当時問題にされていなかった記述を転載しただけで特にこだわりがあるわけではありません。出典がある在住外国人のみの記述に絞ることにしましょう。なお自分を大和民族と認識しているという表現を使ったのは民族(エスニック)グループは結局、当人たちがアイデンティティをどうもっているかという部分に頼らざるを得ないという観点からのものです。認識というのは「日本民族としての自覚を持て」とか「自分は民族という枠に捕らわれない地球市民でありたい」とかそういう意味ではなく、自らが日本民族(大和民族)以外の何かだという認識を持っていないということです。日本人のほとんどは日本国籍を持ち日本語を話し日本文化の中で生まれ育っています。もしそれだけで日本民族と言うに不足するというのなら世界の人の大半は無民族になってしまうでしょうね--Tabunoki 2008年5月11日 (日) 07:12 (UTC)
補足としてアイヌ民族を広義の大和民族に含めるか否かという問題ですが、含めるというのはかつての日本政府のように日本に少数民族問題は存在しないという立場をとる人たちの意見です。私個人とかつての和人と北海道少数民族との間の文化の差は大きいので区別するのが適当と思います。ただし大和民族が蝦夷などの縄文系と渡来系双方の文化を継承して形成されたものである上、同様に北海道少数民族の同化がすすんでいることから和人と少数民族を合わせて大和民族とするという意見も無視しません--Tabunoki 2008年5月24日 (土) 15:20 (UTC)

211.125.43.243、222.159.178.29、211.125.42.140の方、もしかしてTabunokiさん?
「日本民族は狭義の日本民族である和人と琉球人、アイヌウィルタなどの少数民族に分類する考え方がある。」この文の出典はなんですか?
以前に同様のお伺いを立てたのですが、まともな出典を示して頂けませんでしたよね。貴方個人の意見を本文に載せるのは止めて下さい、それとこれブロック破りになりかねませんよ。--スミス16号 2008年7月28日 (月) 11:38 (UTC)

私の学んできた事を述べさせていただければ、日本はもともと、アイヌその他の土着民族によって構成されていたが、朝鮮半島や、中国地域に存在した様々な国家(民族)が長い時間をかけて、血的交流を続けた結果生まれた民族であるという事だと思います。よって、日本人はもともと混血民族であるといえるのではと思います。その証左として、日本の地名には、朝鮮半島・中国地域に由来するものも数多くあります。--Turugibe Kan-i 2009年3月12日 (木) 14:09 (UTC)

それは間違いですね。もともと東アジアの遺伝子的プールにはいくつもの種類がありますが中国人でも北部・南部で大きく違います。中国人=ヨーロッパ人くらいのゆらぎがあります。また半島については昔は百済・高句麗など今の満州人の人達の渡来記録が一番多いと思いますが、今述べている日本人についてはもっと前に渡来した集団の話です。朝鮮人等のように比較的交雑が起こりやすく過去から混血が行われた場合ではなく。日本人の場合は、特定の時期にのみ日本人全体の由来に係る混血が(成立)があったと考えるべきです。ちなみに半島は関係なく、今の中国南部・タイあたりからの移動が有力です。今の日本人には、朝鮮人固有の遺伝子プールを持つものはいませんが、タイ人等の漢人の南下で締め出された人々と共通する項目があるようです。 --jjj 2010年8月26日 (月) 11:28 (UTC)

名古屋市の画像差し替えについて

明らかに、前の画像の方が良いです。差し替えた方の画像は補正したのが丸わかりのコントラストの低い平坦でダメ写真の見本のような画像です。こんな画像に差し替えられたら、前の画像が可哀相です。--Speesia 2008年6月18日 (水) 11:08 (UTC)

移動の提案

 こんにちは。Imuzakと申します。早速ですが用件を簡単に説明します。 日本のページ名を、日本国に変えると言う提案をしに来ました。 理由は、日本の正式名称が、日本国だからです。念のため、井戸端でも提案しておきます。--Imuzak 2008年7月2日 (水) 09:14 (UTC)

  • こんにちは。過去ログ[8]に同様の議論がありますのでまずご一読ください。また上部に同様の提案もあります(ノート:日本#項目名の変更)--ネコバット 2008年7月2日 (水) 10:44 (UTC)--ネコバット 2008年7月2日 (水) 10:47 (UTC)
  • ちょっと気になって調べてみたのですがgoo辞書(三省堂大辞林 第二版)によれば「日本」我が国の国号[9]、「日本国」日本の国名としての正称[10]とあります。次に国号として「日本国」と定めた法は存在しないようです(慣例扱い)。むろん憲法が「日本国(原文:國)」と記載されているのですが、国号として「日本」を排除する積極的な理由として乏しい印象があります。国号の記事も参考になりそうです。Wikipedia:記事名の付け方#その他の慣例の国名も参照ください。--ネコバット 2008年7月2日 (水) 11:10 (UTC)
  • 本稿は地理的な「日本」に関する事項と社会学的な国家である「日本国」に関する事項の双方を統合した記事なので「日本」のままで妥当と考えます。言い換えると「日本国」といった場合は国家を意味しますが、日本といった場合は国家以外の概念も含まれると考えます。--あら金 2008年7月2日 (水) 12:00 (UTC)
  • 前にも同じ提案があったことに気付かず、すみませんでした。あら金さんのコメント、とても参考になりました。--Imuzak 2008年7月2日 (水) 13:52 (UTC)

アイヌ民族の扱いについて

大変申し訳ないですが変更履歴に書かれていることの意味がわかりません。 「日本民族を和人と琉球人に分類し、アイヌ・ウィルタなどを少数民族に分類しないのはどなたですか?」(byスミス16号) 私が従来の記述を支持するのは、アイヌ・ウォルタを日本民族かと聞かれて違うといえば嘘になるからです。日本民族は昔から日本に住んでいる民族というぐらいの意味しかない言葉なのですから。日本民族の中の和人という概念に着目すると北海道の狩猟民族が和人に対する少数民族であると定義できるのです。記事のそれはちょっと分かりにくい文章ですから推敲するのも良いと思いますがスミスさんの変更は元の文意を殺してしまっていると感じたので差し戻させていただきました--211.125.43.202 2008年8月2日 (土) 03:17 (UTC)

何度も繰返しているのですが(他の方も仰っている様ですが)、貴方が考え定義するのはWikipediaの方針独自研究は載せないにて排除されます。しかしここで貴方は、「支持するのは」と仰っておられようですので、支持する研究者とその出典について公開して頂けないでしょうか、ただそれだけの事ですから簡単な事だと思いますが、なければばっさりと削除しましょう。--スミス16号 2008年8月2日 (土) 05:11 (UTC)
一応出典つけておきましたよ。ウチナンチュを琉球王国に累する民族とする考え方は結構広く見受けられます。本当は和人だって細かく分類する考え方は沢山あって、日本民族の定義が固まるには日本帝国の成立をまたないといけません。--211.125.43.202 2008年8月2日 (土) 06:38 (UTC)
あのう、新崎先生は文化の違いを中心に語っているだけで、琉球民族をはっきりと肯定も否定もしていなかったはずですが?、記事「琉球民族」からそのまま引用ではないですよね。それとアイヌですが、その出典のどこに「少数民族に分類しない」となるのでしょうか?。--スミス16号 2008年8月2日 (土) 06:58 (UTC)
じゃあ、あなたはアイヌは日本(の)民族ではないとする出典をお持ちなのですか。私は初めからアイヌは少数民族でもあるし、日本民族でもあると申し上げております--222.159.178.75 2008年8月2日 (土) 17:54 (UTC)

え~と、言葉を変えての逆質問は止めて下さいませんか。貴方は「日本民族」として支持すると言われたのでしょう、「日本(の)民族」って「(の)」を入れると意味が違ってきますよ、「日本の民族は和人と琉球人に分類し」となってそれこそ貴方の真意からはずれます。それと「アイヌは少数民族でもあるし」とはまたまた意外なお言葉です、本文の「アイヌ、ウィルタなどの少数民族に分類する考え方がある。」に対し、私は本文から読取れる少数民族と分類しない考え方の出所は何処でしょうかと質問しています、貴方はこの本文も支持されましたよね。--スミス16号 2008年8月3日 (日) 00:44 (UTC)

日本民族かつ少数民族っていう考え方に矛盾しないことをわかってもらえれば十分ですよ。少数民族でないとする考え方は既にアイヌは同化が完遂してしまって独立した民族とはみなさないという考え方でしょう。(私はあんまり支持しませんが、アイヌが一人の例外もなく和人との混血で日本国籍を持ち日本語を母語にしてるのも事実です)。あまり概要項目で触れるのはこれぐらいにして詳細は民族項目に譲ればいいと思ってます。
結局貴方は何も答えていませんね、適当に違う事を言い始めるは、私が理解したと勝手にまとめるは、あきれました。それに、ご自分が支持している矛盾した本文はそのままに、民族節へ逃げる様な事もされるとは。私が、最初から出典を欲している事を理解していても、あえて誤魔化しているのですか。まあこれ以上続けても、根拠とする出典を示すことは無いと判断します。本文は削除して、民族節へ誘導する「詳細は民族の項目へ」と変えましょう。--スミス16号 2008年8月3日 (日) 06:54 (UTC)
一応出典をつけた文を削除する理由は何ですか?それとも沖縄民族説があるという事実への出典が不服と言うだけですか?(認知性を別にして沖縄独立派あたりの文献を出典としてもいいわけですが)私にはスミスさんが日本民族とアイヌ民族という対立項を重視しすぎているように思えます。まあ私は誘導ののち全削除でもかまいませんよ--222.159.178.75 2008年8月4日 (月) 10:11 (UTC)
いやはや、いろんな言い逃れをされもんですな。新崎先生のその本ですが私所持しておりますので、その文は何ページに書かれているか教えていただけませんか、もしかして見落としたかも知れませんので。沖縄独立派(どんな団体ですか)の文献ですか、是非お願いします、すぐ入手して検証して見ましょう。アイヌについて繰返しますが、この日本府?の談話は先住民族と認定したんでしょう、それとも少数民族と認定したんですか?。
私は出典をお願いしているだけで、貴方の自説開陳の為の演説は必要ないのですが。--スミス16号 2008年8月4日 (月) 12:55 (UTC)

私は琉球民族から孫引きしただけだので疑わしき点があるならそちらでやってください。沖縄独立運動についてはとりあえず琉球独立運動の参考文献あたりを読まれてはいかがでしょうか。検索してもそれらしき書籍がいっぱい引っかかりますね。件の文は琉球民族説が主流であるといってるのではなくそういう主張があるといってるだけなのですから一つでもホンモノなら証明されます。次に日本政府は先住民族と認めただけで少数民族と認めていないという主張ですが詭弁もいい所ですね。アイヌを独立した民族と認めるのであれば主要民族である日本民族より大幅に少数ですから少数民族です。それにしても、あなたのように議論の為の議論をする人と建設的な意見交換ができるとは思えませんね--211.125.44.199 2008年8月7日 (木) 12:43 (UTC)

ところで失礼かも知れませんが、IPの方はTabunokiさんですか?、Tabunokiさんの編集を引継いだり、同様の発言をなされているので、そっくりに見えるのですが。--スミス16号 2008年8月3日 (日) 12:03 (UTC)

違いますし、誰が発言したかは内容と関係ないでしょう--222.159.178.75 2008年8月4日 (月) 10:11 (UTC)
然様ですか、Tabunokiさんの復帰の際に邪魔になる様なネタは、まあほどほどにされたが良いでしょうね、Tabunokiさんに迷惑ですから。もう何を言っても無駄でしょうから、上であの様に発言しましたがこの節には今後書込みは致しません、お答えはお好きにどうぞ。ここの会話はWikipediaが存在する限り残されると言うことなので、IPさんも良かったですね。--スミス16号 2008年8月4日 (月) 12:55 (UTC)

 天皇について

 「初代から第125代まですべて男系で世襲・・・」という解説に疑問を感じます。女帝はどのような扱いになるのでしょうか?--138.243.56.69 2008年8月21日 (木) 04:40 (UTC)松永(昇)

男系の女帝だと思いますが。--ササニシキ 2008年8月21日 (木) 05:39 (UTC)

男系の女帝ではあっても、あえて、男系であることを強調することもないかとは思いますし、「万世一系」という、事実に基づかない (少なくとも議論の余地のある)記述は、百科事典としての中立性からすると、いかがなものでしょうか。--218.44.47.8 2009年1月2日 (金) 02:38 (UTC)さくじろう

ササニシキさんの仰るとおりです。男系は「父方の家系」、女系は「母方の家系」を意味するものであり、敢えて男系を強調するのは、天皇家を(道鏡のごとき)外部の人間によって乗っ取りを防ぐ「ファイアーウォール」の目的があると考えられます。結果として、政務実権者が変更されても、日本(大和)は変更されないという効用を生んだのです。だからこそ、日本は、2670年も主権国家たり得たのではないでしょうか。よって、男系を強調する事は必然であり、歴史的事実を加味しても、決して偏向的視座ではないと思います。--Turugibe Kan-i 2009年3月12日 (木) 14:22 (UTC) あわせて、歴史的視座について言及したいと思います。歴史の捉え方は、事実証明によるものと、伝承(神話)に基づくものがあります。議論を呼ぶ、「万世一系」は、さくじろうさんの仰る様に、「議論の余地がありますが」と言う記述を当然為した上で、「基本は、万世一系かつ男系の継嗣により、日本皇室は受け継がれてきた。現在の皇室典範でもそのように定められている。」とすべきではないでしょうか。--Turugibe Kan-i 2009年3月12日 (木) 14:33 (UTC)

ここは記事:万世一系が詳しいのであまりコテコテ書かないほうが宜しいのではないでしょうか。--ネコバット 2009年3月12日 (木) 15:36 (UTC)
私もネコバットさんの見解に同意します。本項目からの内部リンク先の記事万世一系天皇があるので細かいことはそちらに書かれるのが良いでしょう。--Zyugem 2009年3月13日 (金) 06:26 (UTC)

水と安全はタダについて

明らかな妄想です。(米国に戦を挑む御国柄ですから) 水は日本の水道整備関連予算を見れば明らかであります。 (国と地方合わせての額) 安全についても同じことが言えます。 世界有数の軍事大国でありながら憲法では 軍隊の存在を認めない可笑しな国ですが。 (防衛予算や警察関連予算の膨大な額に上ります。 しかしどれだけ正しく国民の為に使われているか不透明のオマケつきです。)

The age template broken

There may be something wrong with the age template, the fragment will happen if we browse the page by using Firefox 3.1 at 1024 by 768 pixel resolution.Please fix it up!58.186.62.45 2008年9月10日 (水) 16:01 (UTC)

天皇の表記について

記事を見て疑問に思ったのですが、infobox内では現在の天皇について「天皇今上天皇」という風に記述されていますが、この用法は誤りではありませんか? 今上天皇の項目を見ると、この語は現在即位している天皇に対する呼称であり、「今上天皇」=「今現在即位している天皇」という意味のようです。つまり何代天皇が代わっても、その時点で即位している天皇は常に今上天皇と呼ばれるようです。なので正しく表記するならば「天皇:今上天皇」ではなく「天皇:明仁」または「今上天皇:明仁」とするべきだと思うのですが、どうでしょうか?--120%割引特価 2008年12月13日 (土) 13:31 (UTC)

  • 呼称については過去ログのなかに議論があるようです(元首の表記)。ただしどうも結論が出ていないようですね。私も明仁で良いと考えるのですが、どうも一部のWikipedianのなかには敬称をつけないと恐れ多くて気がすまないという方がいらっしゃるようで(まったく百科事典らしからぬ余計な配慮だと思うんですが・・)「明仁陛下」と編集しちゃったり「天皇陛下」と編集しちゃったりで編集合戦になってしまったようです。かつては「明仁」だったようなので、いつのまにか妥協の産物として現状(今上天皇)に落ち着いているようです。「明仁」で良いとおもうんですけれども・・・--ネコバット 2008年12月25日 (木) 13:25 (UTC)
該当部分を見れば見るほど,「天皇:[[明仁|今上天皇]」という表記のおかしさが気になってきました。過去ログの議論も読んでみましたが,どうもおかしな議論の流れになってしまったようですね。
当代の天皇は誰ですか,と聞かれた時に「今の天皇は明仁である」というべきところを「今の天皇は今上天皇である」というのでは聞かれたことに答えていませんね。あの欄は当代の天皇の呼び方について書く欄ではなく,当代の天皇が一体「誰」なのかを表記するべきだと思います。私は「天皇:明仁」の表現が簡潔にして適切なものだと考えます。--Zyugem 2008年12月25日 (木) 18:10 (UTC)
同じく、「天皇」の欄には、「明仁」と今上天皇の名を記載すべきであると思います。「今上天皇」は、現在皇位に就いている天皇を指す普通名詞に過ぎず、特定の人を指す固有名詞ではないからです。--Digesto 2008年12月25日 (木) 22:11 (UTC)

このままで構わない,現状の方が望ましい,などの現状追認の意見やその他の案など,今のところありませんね。正月過ぎくらいまでノートで皆さんの意見を待ちまして,反対などなければ「天皇:明仁」に改稿しようかと思いますが,どうでしょうか。--Zyugem 2008年12月30日 (火) 21:00 (UTC)

(賛成)返事が遅れてすみません。少々パソコンの調子が悪くてWikipediaにアクセスしていませんでした…。ところで私としては、表記は「天皇:明仁」で良いのではないかと思うので、Zyugemさんの提案に賛成させていただきます。--120%割引特価 2008年12月30日 (火) 21:29 (UTC)

特に異論もない様子ですので,「天皇:明仁」に改稿を行いました。--Zyugem 2009年1月8日 (木) 19:00 (UTC)

先祖返りで申し訳ありません。「今の天皇は、明仁である。」と表現するには今上天皇がやはりいいと思うのですが?「天皇:明仁」では、歴代天皇が皆、「明仁」を襲名する事と誤解されてしまうのではないでしょうか?細かい事ですが・・・・・。もう少し分かりやすくするには、当代天皇と言うのも有りかなと思いますが正式なものでは有りませんので自己内ボツとしました。--Turugibe Kan-i 2009年4月15日 (水) 15:33 (UTC)

その解釈ですと、内閣総理大臣は代々麻生太郎を襲名しているかのように読んでしまうことになりますので(文意解釈としてはかならずしも誤りではない)結局おなじことです。難しいところですね。--ネコバット 2009年4月15日 (水) 15:57 (UTC)
(改行改めました)当該個所は別名リンクを使うべき場所ではないと思います。別名リンクを使うと,印刷して閲覧する際に本質的な意味,表現意図が失われてしまいます。別名リンクは「正式な記事名」と「使いやすい名称」との間をつなぐには便利ですが,リンク先で意味の変換を伴うような使い方は出来れば避けたいと思います。
あと,襲名制と誤解するかという問題は,ネコバットさんが書かれていますがおそらく心配はいらないかと思います。(この議論とは関係ないですが,逆にもし襲名制であればどう書かれるかなぁと考えたのですが,「なんとか何世」とか「何代目だれだれ」のような書き方になって,やはり個人を特定できるように記事が立って,その記事名を使って説明されるのではないでしょうかね。)--Zyugem 2009年4月15日 (水) 16:35 (UTC)
明仁」というのがもっとも簡素で分かりやすい。わざわざ「第125代天皇」みたくお名前を書かないような配慮する必要ないでしょう(YOUR-MAJOSTYじゃあるまいし)。「明仁」が代襲名だと誤解する方(読者)はご自身で調べてくださいということですよ(おそらく多言語版からの訪問者になるのでしょうが)。日本人の投稿者がごちゃごちゃ言うのは「明仁」と書いたら恐れ多いという余計な心情に捉われているだけですよ。--トキモコ 2009年4月17日 (金) 13:07 (UTC)
そもそも当該欄は現在即位している天皇が一体誰なのかを書くべき場所だと考えます。今上天皇とはその時点で即位している天皇を指す呼称であり、個人名ではありません。もし今上天皇がありならば、現内閣総理大臣という書き方もありになってしまいますが、こちらのほうが読者に混乱を招くように思います。それに今上天皇という書き方にしてしまったら、天皇が代わっても(見た目上は)永遠に「天皇:今上天皇」という表記をとることになってしまいます。記事を読んでもリンク先をクリックしなければ当代天皇が誰なのか分からないというのは、読者にも不親切ではないでしょうか。「明仁」が代襲名だと誤解されるというならば、「今上天皇明仁」の表記をとることも出来るでしょうが、今のところあまりその必要はないかと思います。現状維持で問題ないかと思います。--120%割引特価 2009年4月17日 (金) 14:28 (UTC)
「現在の天皇は誰ですか」というのは外国人によってのみありうる質問ですが、敢えて日本語で答えるならば「今上天皇です」と答えるのが普通だと思います。自分はそう答えます。英語では「Akihito」となるのでしょうが、これを日本語に訳せば「今上天皇」です。英語は君主をその名ズバリで呼ぶ文化であるのでそうなるのは当然ですが、訳す場合には外国の言語文化を無理に日本語に当て嵌める訳にもいきません。「今上天皇」とは、単に麻生太郎氏を「現任首相」と呼ぶのとは違うことは、日本語で過ごしてきた日本人なら分かる筈です。「天皇が代わっても(見た目上は)永遠に「天皇:今上天皇」という表記をとることになってしまう」という指摘がありますが、それがごく当たり前の表記だと思います。明治時代には「…、121代:孝明天皇、122代:今上天皇」となり、大正時代には「…、122代:明治天皇、123代:今上天皇」となり、昭和時代には「…、123代:大正天皇、124代:今上天皇」となり、平成も同様で、当代における公式な個人名に等しい訳です。恐れ多いとか何とかの前に、日本語表記としてそれが正統だと信じます。--Naigai 2009年5月10日 (日) 02:14 (UTC)
追加敷衍、「今上天皇」という語は、そのものの意味は「当代の天皇」ですが、それは「お早うございます」のそのものの意味が「お早いことですね」であるが、実際の意味は英語の「good morning」であるのと同様であり(反対に同じことがgood morningにも言えますね)、「今上天皇」という記述があれば、九割九分、「当代の天皇」という意味ではなく、その時代の「天皇の個人名」と同等の用いられ方をしていると存じます。尚々、このノートの議論を知らずに一度本文の編集をしてしまいましたので、ご紹介下さいましたZyugemさん、有難う御座います。--Naigai 2009年5月10日 (日) 02:34 (UTC)
まず今上天皇の項では「現在、日本では口語の中で「今上天皇」と言う呼称を用いる事は少ない。政府などの公的機関および主要メディアなどでは皇室典範に定められる敬称の陛下を入れて「天皇陛下」と呼称することが多い。」とあるように、この表現を使う(もしくは知る)機会は普通に生活していてそうあるものではないようです。なので「「今上天皇」とは、単に麻生太郎氏を「現任首相」と呼ぶのとは違うことは、日本語で過ごしてきた日本人なら分かる筈です。」という意見には疑問を覚えます(恥ずかしながら私もついこの間までは知らなかったので)。一般的に使われる言葉ではない以上、百科事典でそれを使うのは好ましくないと考えます。またWikipedia:記事名のつけ方の項でも項目名をどうするか議論が行われたようですが、「大正天皇」「昭和天皇」に倣って当代天皇の項目を「今上天皇」とするという案は否決されています。ただ、Naigai氏のご指摘のとおり、「昭和天皇」などの表記に倣って、当代天皇の項目名も「今上天皇」とするべきだという意見も多かったようなので、この記事内でどのように表記するかについてはまだ議論の余地がありそうです。私はこのあたりにあまり詳しくないのでどれが正しいとは断言できないのですが、もう少し議論を続けて、最後に投票で決めるという方法もありだと思います。--120%割引特価 2009年5月10日 (日) 07:47 (UTC)

2009-01-30 17:46:29の差し戻しの理由説明

花鳥さんによる2009-01-30 17:14:16の加筆を、差し戻しました

第一に、この加筆は、南アジア、東南アジアにおける日本人による買春が問題化したという文脈において、「現地では」韓国人が日本人を騙っているという内容のものですが、出典としてつけられたYouTubeの動画は、たしかに韓国人が日本人を騙るといった内容を扱ったものであるものの、南アジア、東南アジアにおける売春の文脈でそのような事実があると述べるものではありません。

第二に、そもそも、出典としてつけられたYouTubeの動画がどういう性質のものなのか分かりませんが、少なくと韓国人が日本人を騙るといった動画内の内容は、事実の報道や解説であるようには見えません。

第三に、出典としてつけられたYouTubeの動画は、著作権を侵害していることが強く疑われ、Wikipedia:外部リンクの選び方#禁止される外部リンクに抵触するおそれがあります。

第四に、加筆の内容は韓国人を批判・侮辱するものであり、仮に事実だとしても、適正な十分に信頼のおける出典をつけることなく記述するようなものではないと考えます。

個人的な心情としては、'仮にこのYouTubeの動画の内容が韓国人の一般的な考え方を示しているのであれば、私も不愉快に感じます。しかし、そうだからといって、このような恣意的な「出典」の使い方をしてよいことにはなりません。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年1月30日 (金) 18:02 (UTC)

2009-03-02 13:08:43の{{要出典範囲}}貼付について

2009-03-02 13:08:43の{{要出典範囲}}貼付について。当該部分はおそらく、聖徳太子の関わったとされる隋との関係について書いているのでしょう。しかし、日本側が「同格」「対等」として振舞おうとしたことはたしかでしょうが、隋側(別の王朝であれば、それが)が日本を「同格」と認めたとする根拠は何でしょうか?

もし、私は中国史に明るいわけではないので良く分かりませんが、中国の王朝がそんなことをすれば、それは中華思想の崩壊であって、中国の正当王朝であることを自ら否定することにさえつながるように思うのですが。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年3月2日 (月) 13:15 (UTC)

建国について

建国について深く研究されたのですが、そういうテーマを克服した網野吉彦氏が「大方の見解は七世紀末、六八年に施行された飛鳥浄御原令とするが、それと異なる見解にしても七世紀半を遡らず、八世紀初頭を下らない。「日本」はこのときはじめて地球上に現れたのである」と述べています。20ページ、「日本とは何か?、2000年。歴史でない神話を別にして、七世紀末に「日本国」という国家が発生したと歴史学者の間に思われているのですが、建国=689年ということを書いて、結局解除され、「通説」ではないと言われても、実際に大学では「通説」になっていますよ。いつ「日本」という国号が定まったとかが資料によって不明ではないですし、どうして不明にしたいのかを説明してください。--Furansowakun2 2009年5月29日 (金) 11:03 (UTC)

  • リバートした者ではありませんが経緯をご説明します。なにをもって「通説」とするかについてはよく存じませんが、建国の年代はむろん、建国日についても複数の議論があり、要約欄では特定しない記述が採用されています(要は「○○年○月○日」と断定できるような日は「不明」との趣旨です)。すくなくとも現在の日本国において法定の「建国日」は規定されていません(参照:建国記念の日)。過去のノートでの議論も参照ください。--121.118.218.211 2009年5月29日 (金) 11:19 (UTC)

リバートした者です。近年自分は大学で歴史学(日本)を専攻しましたが、日本の建国を飛鳥浄御原令に求めるという説は、一度も触れられたことすらありません。日本の国号の成立に関してでしたら飛鳥浄御原令にも触れた様な気もしますが……。それどころか「七世紀半を遡らず、八世紀初頭を下らない」というのもハッキリ言って同様に一顧だにされませんでした。そもそも聖徳太子の時代すら日本の歴史に含めぬ奇論に見えます。そのような一学説に過ぎないものを公式に断定事項の様に書くのは、問題の多いことであると思います。--Naigai 2009年5月29日 (金) 20:20 (UTC)

天皇号や「日本」の国家号を飛鳥浄御原令で確定されたという説は網野氏だけではなく、複数の方が唱えている説ですが、天皇号や国号の決定と建国を同一とみなしていいのかどうかはまた別の問題ではないのでしょうか?--水野白楓 2009年7月12日 (日) 15:16 (UTC)

「そもそも聖徳太子の時代すら日本の歴史に含めぬ奇論に見えます」に関してですが、網野氏の主張はあくまでも日本史の中で、「日本という国号を持った国家」の時代と、その国号を有さなかった時代を無批判に混同しないという点に尽きるでしょう。ほかの国家と比較してみると、清朝の歴史をマンジュ・グルン(建州女直)統一の時代、アイシン・グルン(後金朝)の時代、ダイチン・グルン(大清帝国)の時代を無批判に「清朝の歴史」として混同しないというのと同義と言っていいかと思います。そもそも国家としての日本はヤマト王権の形成から段階を追って連続したプロセスとして成立したものですから、現段階では正史(日本書紀)の主張する建国時点、実証史学に基づくヤマト王権の成立時期、国号・天皇号の決定時期などといった神話的建国時、実年代における国家形成プロセスの複数の画期を同時に盛り込んでいくほかはないのではないかと思います。--ウミユスリカ 2009年7月12日 (日) 16:46 (UTC)



「日本」の読み方について…「にほん」と「にっぽん」どちらが正しいか

日本の発音について 日本の発音は、英語でジャパン、フランス語でヤポン、イランとインドの境でヤポンからニポンに変わることから、「にほん」ではなく、「にっぽん」が正しいのだと思われる。伝統的な発音は「にっぽん」であり、これはマルコ・ポーロのジパングとも発音がPを含むことが一致する。 俗説。日本を「にっぽん」と読むのは対中華のための音読みであり、自国では「ひのもと」を名のったともいわれる。--以上の署名のないコメントは、犬塚拓馬会話投稿記録)さんが 2009年9月6日 (日) 00:48 (UTC) に投稿したものです(Damenaによる付記)。

もうしわけありませんが出典をお願い致します。このさい出典・引用元情報だけが重要ですので。単なる独り言でしたらご自身の日記帳にでも・・。--118.18.2.61 2009年9月6日 (日) 06:19 (UTC)
日本国政府の公式見解として、「にほん」と「にっぽん」どちらでも正しいとされています。
ソース:
--114.148.253.34 2009年9月14日 (月) 10:07 (UTC)
追伸:これは、上の「建国について」とは違う話題だと思います。別節として独立させました。--114.148.253.34 2009年9月14日 (月) 10:13 (UTC)

復帰依頼

WP:RFUにおいて復帰依頼しました。
理由は、削除人Bellcricket氏が、「(削除議論において)有意な反対意見はありませんでした」と表明したからです。
実際には「Wikipedia:削除依頼/朝日新聞記事からの転載」において、Dendrocacalia氏と私(神奈川IP)から、法的根拠に基づいた有意な反対意見が表明されており、誰もこれに対する反論を為していない状況でした。
この記事を含め4件の記事の特定版削除であり、履歴が抹消される等、これにより発生する被害は甚大です。よって復帰依頼に至りました。--122.16.57.203 2009年9月16日 (水) 17:24 (UTC)

北方領土の記述について質問

「概要」の「地理」における文章( 2009年9月26日 (土) 01:28 以降)を変更したいと思います。
>日本は、東アジアの東方(ヨーロッパを中心に見て極東と呼ばれることもある)又は太平洋の西部にある島国である。領土は、本州、北海道、九州、四国などからなる日本列島を中心に、南に延びる伊豆諸島、小笠原諸島、南西に延びる南西諸島(沖縄など)、及び北東に延びる千島列島を含み、全体として弧状列島を形成する。
「千島列島を含み」と書かれていますが、日本国政府が領有権主張しているのは、択捉島以西だけです。
「南千島を含み」と書き換えた方が、真実に近いと思います。
また、千島列島(クリル)の範囲については、政治的にはっきりしていないことであるようですから、国後と択捉を「南千島」であると明言するよりも「北方領土」と表現した方が、さらに無難であると思います。
参考1: http://www.hoppou.go.jp/gakusyu/islands/index.html (「北方領土の略図」をご覧ください。)
参考2: http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164073.htm
以上について、(記述の変更に)反対なさる方はいらっしゃいますか?
「南千島を含み」と「北方領土を含み」、どちらの方が良いと思いますか?
--Mimosa5 2009年9月27日 (日) 09:49 (UTC)
「千島列島を含み」を「南千島を含み」に書き換えました[11]。--Mimosa5 2009年10月1日 (木) 14:16 (UTC)
2009年10月2日 (金) 19:21時点の版で加筆された「北方四島」が適切と考え、「南千島」は削除しました(2009年10月3日 (土) 08:01 時点の版)。2009年10月2日 (金) 21:22時点の版については、歯舞と色丹が千島列島の一部ではないと考える立場から見れば、少々問題があると思います。--Mimosa5 2009年10月3日 (土) 08:45 (UTC)
諒解です。しかし一方、四島のみ(それも一列に並んでいない)で「北東に延びる」という表現には違和感を覚えますので、「~位置する」に直しました。悪しからず。--死郎 2009年10月3日 (土) 11:32 (UTC)
ありがとうございます。個人的には「~位置する」の方が良い文章だと思います。--Mimosa5 2009年10月3日 (土) 12:43 (UTC)

「日本をあらわす言葉」について

いつもの荒らしと思いリバートしましたが反論がきましたのでコメントします。①都合のよい字句を並べても意味がありません。「日本をあらわす言葉」を検証可能性をもとに記事化することを試みるならば、相当酷い表現を羅列することになりますが、そういった不快な用語集をつくる意味ありますかね?(記事化することはWikipediaのルール上は可能かもしれませんが)。非百科事典的。②「隋書」倭国伝に「大業三年、其王多利思比孤遣使朝貢(略)、其國書曰「日出處天子致書日沒處天子無恙」云云」との記載がありますが、日出處とはありますが「日いずる国」とは書いていないですね。googleればこういう本[12]くらいすぐにヒットしますので、情緒的な字句で煽らないで貰いたい。③「礼の国」として追加された引用元には「礼の国=日本」と確認できる引用情報が確認できませんでした。【日本人社会が、いかに「礼」を重視するかを、思い知らされた】云々は発見することができます。むろんその気になれば非礼な日本の事例を挙げる検証可能な資料も検索したうえで追加できますが、そんなことは個人的にはしたくないですね。釣られたみたいですし。④情緒的な字句はいらないでしょう、とこれは個人的な意見。--大和屋敷 2010年1月3日 (日) 12:52 (UTC)

コメント差し戻し部分については、どの観点(立場)にたって、「日本の呼び名」という説明をしているかという説明をまったく欠いているので、「日本」という記事においての説明としては削除すべきほど酷い内容です。説明を欠いているので推定になりますが、「日出處天子」は『隋書東夷伝』にある聖徳太子が隋の帝煬帝に宛てた手紙とされる引用ですから、聖徳太子の見解と推定されます。聖徳太子の記事であるならいざ知らず、説明する上で関連の説明なしといわけには行かず。日本の別名であるという根拠が必要です。「隋書」倭国伝は隋の見解ですから、やはり関連の説明なし日本の別名とすることはできないです。「サーチナ」等の記事は現代中国人の観点であり、「中国でそういう人がいる」というだけでは、日本の別名というようりは、単なる個人的見解なので事実から評論を合成した独自研究です。--あら金 2010年1月3日 (日) 13:33 (UTC)

「いつもの荒らし」だとか「都合のよい字句」だとか、脳みそが何かに汚染されているようですね。日本の別名を上げているわけではなく(「別名というようりは」は日本語として理解出来ませんが「別名と言うよりは」と推定して)、そして愛国者ではありませんが、否定的言動にがっかりです。もし反日活動なのであれば他でやってください--113.197.144.252 2010年1月3日 (日) 16:01 (UTC)

 また建国について。神話=紀元前660年2月11日、現実=689年

前に当記事には、建国の日は「不明」だったのですが、今は紀元前660年2月11日と修正されましたね。(笑)

その日付は神話に過ぎないし、前も書きましたが、資料で研究している大部分の歴史学者は、「日本」という国号が689年に定まったこを主張します。そのとき、「日本国」という国家が形成されたわけです。日本神話や日本伝説によって、建国の日が紀元前660年2月11日と記事で書いてもいいが、それは「神話である」と注意しておかないといけないですね。ちなみに、日本語版の記事はすべての国の建国の日が書かれていいですね。例えば、「フランス」についてのフランス語版記事が建国の日が書かれていないですが、日本語版の記事ではちゃんと書いてありますね(843年)。その場合はフランス神話を唱えるフランスナショナリストの日付ではないので、日本語版も同じくすべきですね。というわけで、689年であると修正すべきだと思います。「神話」によって紀元前660年2月11日ということも指摘すべきだと思いますが、ウィキメディアにおいて神話と現実を混ぜることが駄目ですよね。私は記事の内容を変えたら、すぐまた修正されましたので、ここで書くことにしました。--Furansowakun2 2010年2月21日 (日) 15:55 (UTC)

お久しぶりです。Furansowakun2さんのおっしゃる通り、紀元前660年に建国された云々は、一つの象徴的な記述に過ぎませんね。一通りの義務教育を終えた日本人なら、「紀元前660年に建国された」というのを歴史的事実として受け取ることはないと思いますが、それは日本POVともいえそうです。ただ、689年をもって日本という国が建国されたのも、偏った見方だと思います(645年の大化の改新など)。1~2週間ほど、議論を待って、反論が無ければ、「建国の日:不明(神話上の象徴的建国の日は紀元前660年)」などと書き換える編集をしても問題は、ないと思います。--Damena 2010年2月21日 (日) 15:59 (UTC)
早い返事でありがとうございます。でも、網野善彦などの歴史学者は「日本国」国号、日本国という国家自体が七世紀末に形成されたと主張しますが?当初成立から「日本」というその国家の支配階級が「中国」の支配者と文通しており、様々な資料によって、七世紀末だったことは学界で誰でも認めているのですが?資料がなければ不明だという可能性もありますが、「日本国」という国家の発生に対して、7世紀末だったこと、証明してくれる資料がたくさんありますよ。そういう資料を否定することが修正主義だと思いますがどうでしょうか。--Furansowakun2 2010年2月21日 (日) 16:14 (UTC)
著作権侵害を理由とした削除依頼の執行によりこの版で大きく巻き戻されてしまった結果のようですね[13]。技術的な問題であってどうしようもないのですが、元の記述がどういうものであったかご存知の方は適宜適切な記述に復元していただければと考えます。--大和屋敷 2010年2月21日 (日) 16:30 (UTC)そもそも共和政の国でもないのに「建国の年月日」を問うこと自体ナンセンスですよ。--大和屋敷 2010年2月21日 (日) 16:33 (UTC)

倭国や大和朝廷と連続するものが今の日本国の歴史と思われます。大和や倭、日本という言葉の成立をもってこの国が成立したわけではありません。実際、ヤマトと呼ばれた時期も倭国とよばれた時期も国として(国内外問わず)国家として記録されています。また多くの学者が日本の成立を689年とするのは聞いたことがありません。日本の国号の使用=建国ではありません、日本は時代により呼び方が変化しています。混乱をなくすため“日本(名称として)”と“日本国(国家)”に分割することを提案します。 -- 2010年8月21日 (日) 16:00 (UTC)

  • 日本の場合、現在の領域に住んでいた人々の歴史と日本列島の歴史、政体の歴史などが渾然となっていて西欧史や中国史の史観を持ち込みにくい事情があって悩ましいところですね。Wikipedia独自の編集方針になってしまわないようにしなければならない(独自研究禁止)原則があるため、全体として混沌としてしまう記述になっているのですが、これは逆に現実の学会や教科書の反照でもあるわけでして、混沌を嫌って整理してしまうことでかえって独自研究になることを懼れます。国号については国号という記事がありますが、たとえば日本の国号などといった記事を別に立項するなどは良いアイデアかもしれません。--大和屋敷 2010年8月27日 (金) 16:30 (UTC)

日本国土面積が一桁間違っているようです。

ウィキペディアでこの項を検索すると,377万平方キロと出ます。また世界各国の面積も同じ桁を使っているようです。 1平方キロは100ヘクタールです。1000kmx200km=20万平方キロ。日本の国土がこの十倍以上あると思えません。 (宇田英男)--124.27.23.222 2010年3月4日 (木) 06:56 (UTC)

Wikipedia:表記ガイド#数字にある通り、数字をカンマで区切る場合は3桁ごとに区切ることになっています。日本語になじみのあるような4桁区切りにする場合は「億」「万」というように漢字を使うことになっています。したがって、377,914は三十七万七千九百十四の意です。もし、あなたの見ている画面に異なる表示がされているということがあれば、何らかの環境・設定の問題ということも考えられますが、「377,914」という数字が表示されているという理解でよろしいでしょうか?--Shadow ump 2010年3月4日 (木) 07:21 (UTC)

お詫び(日本の国土面積)

先ほどの意見は私の読み間違い。失礼しました。(宇田英男)--124.27.23.222 2010年3月4日 (木) 07:22 (UTC)

冒頭部の記述について

私のこの編集[14]がIPユーザーによる編集[15]で差し戻されました。

私個人の意見としては、

日本は、BというAである。

とするより、

日本は、Aである。○○という資料によると、日本はBである。

とすべきだと思います。(この場合、A=国、B=先進国という構造になっています。)

なぜなら、定義文で「Bという」などと修飾させるのは、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に抵触するおそれがあるからです。

皆さんはどう思われますか?--Damena 2010年3月5日 (金) 12:53 (UTC)

Damenaさんのご意見に賛同します。定義部は簡潔であるべきだと思います。また,国であることを定義する前に「主要先進国」などとするのは,論理的にもおかしい気もします。--Zyugem 2010年3月6日 (土) 03:29 (UTC)
あれから、またIPユーザーの編集[16]がありました。先の編集と同一人物であるかどうかはわかりませんが、どうもご理解が十分とはいえないようです。冒頭部に必要な文は定義のみで十分であり、先進国云々の記述は、概要の節でなされているので不要であると考えます。--Damena 2010年3月6日 (土) 03:56 (UTC)

首都について

冒頭の表の「首都」に『東京都(事実上)』と記されていますが、この事実上とは何のことを指しているのでしょうか?--Rainbow colors会話 2010年5月11日 (火) 11:12 (UTC)

上の方の#リバート合戦について(公用語・首都)で詳しく議論されていますが、簡潔に言うと、「東京は日本の首都である」と定めた法律が存在しないということを意味しています。ごくごく少数の人たちですが、「東京は日本の首都ではない」と主張する人たちの存在も考慮した中立的な記述だと考えてください。日本の首都も合わせてご覧ください。--Damena 2010年5月11日 (火) 11:18 (UTC)

なるほど。そういった意味ですか。分かりやすいご説明をありがとうございました。--Rainbow colors会話 2010年5月11日 (火) 11:27 (UTC)

オーストラリアに日本国の領土?

「地理・地勢」についての解説から、以下の文章を削除しました。
オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州カウラ市カウラ日本人墓地 (1963年10月、オーストラリアが日本に割譲した正式な領土であるが、カウラ市が管理を行っている)
オーストラリア人の善意で、日本人が眠る墓地を日本の領土とみなすとされたことを、実質的な領土と同一視するのは、おかしいと思います。--Mimosa5 2010年5月29日 (土) 08:09 (UTC)

領土に関しての法的解釈がどのようなものか私には判断しかねるので、詳しい方の参考になるよう、問題の記述を転記しておきますね。

以下、2010年5月25日 (火) 14:53 (UTC)の版の引用。

オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州カウラ市カウラ日本人墓地 (1963年10月、オーストラリアが日本に割譲した正式な領土であるが、カウラ市が管理を行っている)

以上。--Damena 2010年5月29日 (土) 08:41 (UTC)

該当項目にいくつかリンクを追加しました。で、「カウラ日本人墓地」=「カウラ戦争捕虜収容所」という記述がありますが、「Japanese and Australian War Cemeteries」(日豪戦争墓地?)が別にあります(1964年に日本人墓地ができたという記述は別にあるのですが…、これのことかな?)し、誤りのような気がします。現状では、日本の領土であるかも怪しいですねぇ。それほどのことであるなら、現地の歴史して記載されていてもいいような気がします。カウア地方議会のサイトでカウアの捕虜収容所に関する歴史をざっと読んでも日豪戦争墓地に関する記述はあっても日本に割譲したという記載はないですし。それと「カウラ」にも同様に記載がありますね。 --Masamic 2010年5月29日 (土) 14:33 (UTC) 記載一部修正 --Masamic 2010年5月29日 (土) 14:39 (UTC)

首相交代

与党の党首が変わったり衆議院で指名されたり参議院で指名されるたびに首相の欄を変えようとする方がいますが、憲法第六条により天皇による任命が済むまでは総理大臣ではありません。急いで変えないようお願いします。私は日本語しか話せませんが、他言語版でも同様のことが言えるので他言語版にも知らせてください。--126.116.128.37 2010年6月4日 (金) 09:27 (UTC)

「衆議院の解散権」の所在

(現在、本文が保護中であり、また、私自身も諸事情を理由にwikipedia日本語版における本文の編集を自粛中ですので、気付いた点の指摘のみ記載しておきます。)

[17]の編集にて、「衆議院の解散権」の所在が「内閣」から「内閣総理大臣」へと変更されました。

が、この編集については、複雑なのですが以下の理由から、差し戻されるべきであると考えます。

詳しくは、衆議院解散#日本国憲法下の衆議院解散衆議院解散#解散権の帰属衆議院解散#内閣に実質的権限が帰属する根拠衆議院解散#手続等などをご参照いただきたいのですが、簡単に述べると、日本国憲法第7条第3号で「衆議院を解散すること。」が内閣の助言と承認を受けて天皇が行う国事行為と定められていることから、一般的には、「内閣」というのが通説的です。

もちろん、小泉内閣での「郵政解散」などのように、解散の腹を固めた内閣総理大臣が「反対するなら罷免するぞ」と国務大臣を罷免する権限を「脅し」に国務大臣の反対を封じ込めることも可能ですから、そこまで見越して「内閣総理大臣」とすることも、あながち完全に間違いである、とも言えないのですが。

それでもなお、記事・「衆議院解散」の趣旨などを踏まえても、「衆議院の解散権」の所在についての記述は、「内閣総理大臣」でなく、「内閣」とされるべきものと考えます。

関係各位による幅広い議論が為されることを願います。--YourDreamComesTrue-Independence&Freedom 2010年6月6日 (日) 03:00 (UTC)

少しは憲法の教科書を真面目に読んで、論点を整理して下さい。こんなの法律の勉強では初歩中の初歩に属する姿勢であり、「解散権」なるものについての定義も「解散権者」についての定義もないことは、どんな教科書でも常識とされています。出典主義をとっているくせに、こんな初歩的なことで出典を求めないとは、Wikipediaの質も程度が知れますね。--以上の署名のないコメントは、183.76.237.1会話/Whois)さんが 2011年1月9日 (日) 8:12 (UTC) に投稿したものです(アルビによる付記)。

ここでの議論とずれてしまうことを予め断っておきます。申し訳御座いません。
IPユーザー(183.76.237.1)さんの仰ることは確かだと思います。
しかし、Wikipediaは不完全な百科事典です。そのため多くの執筆者によって編集が繰り返されているのです。IPユーザーさんもWikipediaの不完全さを認識し「こんなの法律の勉強では初歩中の初歩に属する姿勢であり、「解散権」なるものについての定義も「解散権者」についての定義もないことは、どんな教科書でも常識とされています。」と仰るのであれば、ご自身で編集されては如何でしょうか。そのお積もりが無いのであれば、今回のこの場での発言は不適切であると思います。--アルビ 2011年1月9日 (日) 12:07 (UTC) 

セキュリティ > 安全保障

(現在、本文が保護中であり、また、私自身も諸事情を理由にwikipedia日本語版における本文の編集を自粛中ですので、気付いた点の指摘のみ記載しておきます。)

[18]の編集にて、「日本語優先の原則につき」との理由で、節の名称が「セキュリティ」から「安全保障」へと変更されました。

もちろん私も、確かにwikipedia日本語版なのですから「日本語優先の原則」を優先すべき、と考えます。

が、(国家との関連で)カタカナで「セキュリティ」と言った場合、その含む意味としては、単に

のみならず、

などといった、幅広い意味が含まれます。(ちなみに、記事・「セキュリティ」は、記事・「保安」へリダイレクト。)

もちろん、節の名称を「治安・安全保障」という風に複数の日本語の併記へと改めることも選択肢の一つでしょうが、いずれにしても、単に「安全保障」とのみなっている現状については、ミスリード(不正確)であるものと考えます。

なお、念のため。他の節の内容などとのバランスを考慮し、節を「治安」と「安全保障」(「軍事」などを含む)と2つの節へ分けることについては、反対です。

関係各位による幅広い議論が為されることを願います。--YourDreamComesTrue-Independence&Freedom 2010年6月6日 (日) 03:00 (UTC)

安全保障(National security)とは何も対外戦争のみを指すものではなく、治安維持を内包する概念ですね。でも日本語で安全保障となると別の意味なってしまうのかな?日本人は戦争アレルギーなのか治安維持と対外安全保障を別物と考えがちですね。ま、私も「安全保障・治安維持」にでもしようか待ったぐらいですから、併記に反対しません。また、二つを合併することも反対しません。--Littlefox 2010年6月7日 (月) 08:17 (UTC)

ベトナム語版の国の標語

ベトナム語版ウィキペディア日本(Nhật Bản)の項目の「国の標語(Khẩu hiệu)」欄に「平和と進歩」と書かれていますが正しいのでしょうか?--126.116.128.37 2010年8月7日 (土) 07:51 (UTC)
見たことも聞いたことも無いですね-Littlefox 2010年8月7日 (土) 16:39 (UTC)

国民について

現在日本在住者について民族となっていますが、正しくは国民であると思います。いつから切り替わったのか分からないのですが、この項でも以前は国民をしていたようです。またいくつか違う国家についても見てみましたが「国民」を利用していますのでそちらに合わせたいと考えます。違う提案がありましたらよろしくお願いします。 -Q-B 2010年8月28日 (土) 1:39 (UTC)

報道の自由

この項の必要性に疑問があります。ほかの項目と比べて「日本国」の記述にそこまで必要な項目なのでしょうか?際限なく項目が増えてしまいそうな気がするのですが。

第二外国語

フランス語よりドイツ語のほうが選択されているというのは事実でしょうか。学部にもよるのではないかと感じます。近年、中国語が伸びているのは否定しませんけれど、この二つについてはそれほど差はないのではないかなあ。とはいえ短いスパンでの流行り廃りもあるし、過去何年、何十年の単位で見るかによっても違うとは思いますが。--死郎 2010年12月2日 (木) 03:50 (UTC) とりあえず要出典としておきました。納得できる資料が示されればタグを外します。無いようなら記述を戻します。--死郎 2010年12月3日 (金) 16:47 (UTC)

同じ節での話題なのでここでお知らせします。2010年10月10日のこの編集の意図が判然としなかったので、差し戻しておきました[19]。--Damena 2011年1月4日 (火) 10:26 (UTC)

日本・南アフリカ関係について

「ただし、国際社会から厳しい非難を浴びていた時期に、日本人が同国から「名誉白人」(詳細は、名誉人種 参照。国連から非難決議を受けた事実も指摘されている)扱いを受けていたことと現在の外交関係とを直ちに同一視するのは疑問である。前者は、日本人の人種差別への無理解を現す事実として銘記されるべき事柄である。」――同趣旨を何度投稿しても、いっさいの理由なく削除されました。別項に「名誉人種」なる解説もあり、そこに言及されていることをリンクしてもです。この「日本」という項目では、日本礼賛以外の記事は許されないのですか? 「出典主義」なるものは、日本礼賛以外の記事には適用されないのですか。だとしたら、もはや日本語版Wikipediaは百科事典どころかWikipedia失格ですね。ネットワーク資源の無駄遣いですから、世界から消してもらうよう、10周年に当たって検討してもらいましょうか、世界の場で。

 そういう「愛国騎士団」ばりの行為は滑稽なだけです。過去の事実を見ない者は未来に対しても盲目になる、というヴァイツゼッカー元・西ドイツ大統領の言葉は、日本人にも向けられています。削除なさる方は、それに挑戦するだけの覚悟でやってください。--以上の署名のないコメントは、183.76.237.1会話/Whois)さんが 2011年1月9日 (日) 17:40 (UTC) に投稿したものです(Damenaによる付記)。

出典はありますか。ウィキペディアの他の記事は、ウィキペディアの記事に対する出典には成りえません。そうでなくとも、「疑問である」や「銘記されるべき事柄である」は百科事典的な文章ではないと考えられます。ウィキペディアというところは不思議なところで、執筆者の私見を載せてはいけないのです。執筆者が「疑問」に思っていることを書くことは禁止されており、専門家がその著作などで疑問を提示していれば、「専門家の誰々が著作内でこういう疑問を提示している」ということを出典を提示した上で書くことができます。詳しくは、WP:NOT#ORの「個人的なエッセイ」や、WP:NOT#ADVOCATEの「プロパガンダ、アドボカシー(提言)、あるいは求人や勧誘」と「論評」、Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するなどもご覧ください。--Ohgi 2011年1月9日 (日) 18:28 (UTC)

評価を書こうとするからおかしなことになるのでしょう。私が編集により、名誉白人・非難決議という、争いのない事実(公知の事実)のみ残し、評価の部分は削除した上で、タグの類は外しました。これで問題ないはずです。--カレル・シュタミッツ 2011年1月10日 (月) 03:58 (UTC)

外交・国際関係 中華民国

「台湾は、日清戦争で日本に割譲されて以来50年間の日本統治時代を経験して近代国家の礎を築いた。」

日本統治以前は近代国家の礎が築かれておらず、日本統治終了後に築かれたわけでもないという記述である。中立的な観点とは言いかねる気がする。--大魔王シャザーン 2011年3月27日 (日) 14:46 (UTC)

「その後、連合国の一員として日本に戦勝しながらも共産党に大陸を追われた中国国民党が台湾を支配することになる。」

日本に戦勝したのは国民党であって、中国共産党は日本に戦勝していないという記述である。中国共産党は第二次国共合作によって、国民党と協力し、日本軍と戦っている。戦ってはいるが、戦勝していないとは、いかなることか。日本軍は、連合国の一員である国民党には降伏したが、中国共産党には降伏していなかったということか。その観点は、あまりに台湾よりであり、日本よりであるのではないだろうか。--大魔王シャザーン 2011年3月27日 (日) 14:46 (UTC)

「日本と中華民国とは、旧敵国であったが、共に反共の立場をとる西側陣営に所属する。」

あるいは中華民国は反共だったかもしれない。しかし、日本を含む西側陣営は反共の立場をとっていたのか。インド共産党マルクス主義派が西ベンガル州やケーラ州で政権、ないし連立政権を樹立したインドは反共の立場をとっていたのか。イタリア共産党、共産主義再建党、イタリア共産主義者党などが連立与党に参画したイタリアは、西側陣営ではないのか。西側陣営すなわち反共陣営という歴史認識は、一面的すぎるのではないか。--大魔王シャザーン 2011年3月27日 (日) 14:46 (UTC)

「その後、国民党は、本省人である李登輝総統を輩出するなどし、反日姿勢も弱まった。」

輩出とは、たくさん晴れ舞台に送り出すという意味である。しかし、李登輝の次代の総統の陳水扁は本省人だが、民主進歩党だったし、陳水扁の次代の総統の馬英九は国民党だが、香港出身だ。「国民党は、本省人である、総統を輩出する」という事実はない。また、本省人が総統になることによって反日姿勢が弱まるのであれば、馬英九が総統になった現在は反日姿勢は強まったはずである。その通りなのか、その通りでないのか、この文章の編集者は明らかにしてもらいたい。--大魔王シャザーン 2011年3月27日 (日) 14:46 (UTC)

「安全保障において台湾は、台湾関係法などを背景にアメリカ軍と密接な関係にあり、日米同盟を持つ日本とも間接的な協力関係にある。日本と台湾とは、互いに尖閣諸島の領有を主張し、たびたび係争も起きたが、深刻な対立に至っていない。」

日本と中華人民共和国は、深刻な対立に至ったことがあるが、日本と台湾は、深刻な対立に至っていない、と取られかねない記述である。何を以て日本と中華人民共和国は深刻な対立に至り、日本と台湾は至っていないというのか。--大魔王シャザーン 2011年3月27日 (日) 14:46 (UTC)

国号についての移動提案

国号の節における、とりわけ古代史的な詳細などについて、項目国号への移動を提案します。理由は、

  1. 国号の方は情報量がまだ少なく、余裕があること。
  2. 本項目の情報量はすでに多く、可読性を少しでも改善するため。

まあ、分割提案というわけではないので、そのように編集すればいいのですが、いざやるとなるとちょっと大変なので、提案だけをしておきます。 なお、英語版にはNames of Japanという項目があるので、「日本の国号」または「日本の国号の歴史」という項目を新規に作成するのもありかと考えます。--西方 2011年4月8日 (金) 08:49 (UTC)

理由がもうひとつありました。

  • 3.国号に関する記述を増やそうにも、本項目では、全体の情報量を考えると、なかなか増やせない(ためらわれる)。--西方 2011年4月8日 (金) 08:57 (UTC)
国号というのは本項目名にも直接関わる重要なことであるので、他へ移動させてしまうのは反対します。--8943l 2011年5月9日 (月) 04:58 (UTC)

記事の出典に関して

この日本の記事は未だに脚注や出典が足りないのが現状だと思います。自分が読んだり編集する時間はないものの記事の編集に役立ちそうな参考書籍や資料をお知りの方は、ここで紹介していただけると助かります。現在、参考文献の項に一冊しかないため出来るだけ多くの資料が提示された方が記事の向上に役立つかと思います。--パンダ三郎 2011年4月13日 (水) 14:35 (UTC)

沖ノ鳥島が島か環礁かの位置付け

沖ノ鳥島(ダグラス リーフ、Douglas Reef)がか、「環礁」かについて、1日に2度も前の版を取り消す等の激しい編集合戦が行われた結果、2011年4月14日から30日間、管理者及びビューロクラットを除く一般利用者が、「日本」のページを編集できなくなる事態になりました。一般利用者が、5月14日から再び「日本」のページを編集できるようになりますが、沖ノ鳥島の位置付けについて、「日本」のページで、島か環礁かについて深入りして編集してしまいますと、再び編集保護の対象となってしまい、「日本」のページの他の内容を書き加えたり、又は新しいものに加筆修正したりすることができなくなる恐れが有ります。編集保護になりますと、新しい出来事や資料・統計を編集したくても、一般利用者が編集できなくなり、最新の学術研究成果を「日本」のページに反映できなくなります。

確かに沖ノ鳥島に関しましては、島である考え方と、「環礁」である考え方の双方がありますので、沖ノ鳥島が島である説と「環礁」である説の両論を簡潔に併記して編集するのは、記事の中立性の保障の観点から見ても、極めて当然です。よって、沖ノ鳥島の位置付けについては島か「環礁」かの論争がある事実を記載した版を、沖ノ鳥島が「環礁」であるのは気に入らないからいって、その版を取り消すのは、余りにも自己中心的であり、記事に主観が入り、偏向する恐れが生じます。

その一方で、沖ノ鳥島の位置付けを「日本」のページに相当割いて、各論的に多く取り上げるのは、「日本」のページそのものが、日本国全般の総論的概説について記載しておりますので、一般的包括的な内容から幅広く構成される「日本」のページでは、沖ノ鳥島が島か「環礁」かについて論争がある旨を簡潔に紹介するだけで充分です。この論争の詳細に関しては、「日本」のページでは「沖ノ鳥島小笠原諸島小笠原支庁及び小笠原村を参照すること」にとどめるべきでしょう。沖ノ鳥島が島か「環礁」かについての論争に係る具体的で詳細な内容に関しては、「沖ノ鳥島」、「小笠原諸島」、「小笠原支庁」及び「小笠原村」のページで深く専門的に取り上げるのが適当です。その際、編集の中立性の確保の観点から、日本政府の主張や日本語の文献内容(特に地理学や国際法に関する学術論文や専門書)のみならず、アメリカ合衆国中華人民共和国の各国政府の見解や英語中国語の文献内容をも併記するのが穏当です。

最後になりましたが、「日本」のページを編集なされる場合は、「日本」のページが、ウィキペディア日本語版の代表的な看板ページである以上、アカウントを有する利用者によって、検証可能な出典及び引用・参考文献を付した上で、編集なされることを望みます。匿名ユーザーが「日本」のページを編集なされるならば、まず、アカウントを取得し、ウィキペディア日本語版にログインしてからにして頂きたいものです。というのも、今回の編集保護の原因である直前の編集合戦で、私が編集した歴史・領土問題や沖ノ鳥島の位置付けに関する論争の記事を、自分が気に入らないからといって、一方的に直前の版を取り消す自分勝手な匿名ユーザーが存在したからです。匿名ユーザーの場合ですと、同一人物でも、コンピューターのシステム上IPアドレスが自動的に変更されることがあり、IPアドレスではどの方が編集なされたのか、全くわかりませんし、本来ならば同一人物が編集しても、IPアドレスの自動変更で、あたかも別人が編集されたかのように感じが否めません。この辺りについても、「日本」のページを編集なされる方々には是非御考慮して頂ければ大変光栄です。どうぞ宜しくお願い申し上げます。--Redaktoro 2011年5月9日 (月) 14:11 (UTC)

編集履歴で確認する限り、沖ノ鳥島が島か環礁かの相違で編集合戦が行われた訳ではなく、日本領の範囲について編集合戦が行われています。「沖ノ鳥島」の項でも書かれていますが、中華人民共和国は沖ノ鳥島の主権が日本にある事を認めた上で、排他的経済水域が適用されない岩であると主張しているのであり、領有問題のある北方領土竹島とは異なります。ちなみに日本政府は沖ノ鳥島の環礁内にある二つの露岩(北小島、東小島)が海面から姿を出しているため、国際法上は「島」としての地位を有するとしています(第112回国会(常会)答弁書第六号)。--SRIA 2011年5月10日 (火) 10:35 (UTC)
編集合戦についての私の指摘が余りにも短絡的に、かつ、近視眼的に捉えてしまったことに関しては、お詫び申し上げます。私は5月中旬前半の沖ノ鳥島環礁かの位置づけで2度にわたって取り消した編集履歴だけを見て、沖ノ鳥島の島か環礁かの位置付けの編集合戦が編集保護に至ったと解釈しましたが、SRIAさんからの御説明を拝読し、編集保護の本当の原因が日本国の領土の範囲についてであったことを納得致しました。又、沖ノ鳥島に関する説明をなさって頂きまして本当にありがとうございました。確かに沖ノ鳥島のページにも、御指摘された内容は記載されております。
さて、明石時間の明日午後から編集保護が解除されますので、再び「日本」のページを編集できるようになれるのは、一般編集者にとっては待ちに待った喜ばしいことです。この30日間で変化した内容であって最新の検証可能な事実及び情報を「日本」のページでリニューアルできるのは、閲覧者にとってもこのページから日本国の一般的包括的概説・総論レベルの基礎的入門的情報を信用して入手できることも喜ばしいことです。
しかしながら、「日本」のページでは、領土問題につきましては、非常にデリケートで複雑な問題を抱えていますので、客観的な事実のみを簡潔に編集して、「詳細は北方領土千島列島(クリル諸島)竹島を参照すること」とし、専門的な内容は「北方領土」、「千島列島(クリル諸島)」、「竹島」のそれぞれのページで、日本政府の見解(千島列島(クリル諸島)にあっては日本共産党が1969年に提起した全千島返還論を含む。)並びに日本語の専門書(主に地理学及び国際法に関するもの)及び学術論文のみならず、千島列島(クリル諸島)や北方領土にあっては千島列島(クリル諸島)の先住民族であるアイヌ民族からの視点及び立場並びにロシア連邦政府の見解、ウィキペディアロシア語版並びにロシア語の専門書及び学術文献の、竹島にあっては大韓民国及び朝鮮民主主義人民共和国の両政府の見解、ウィキペディア朝鮮語版並びに朝鮮語の専門書並びに学術文献の、それぞれの文献内容を併記するのが、編集の中立性及び検証可能な出典からの参照の可能性の確保から見て、最も穏当でしょう。
そうでなければ、一般的包括的概説・総論を記載する「日本」のページが領土問題で再び編集合戦が勃発し、再び編集保護の対象となり、管理者やビューロクラット以外の一般編集者が、領土問題以外の日本についての様々な分野の基礎・基本を記載できなくなる恐れをとても危惧しております。再度の編集合戦を回避する観点から、「日本」のページを編集される方々は、日本のことに関してあらゆる分野にわたって幅広く御執筆なされらていらっしゃる以上、この辺りに関して是非御留意なさって、領土問題は客観的で検証可能な出典を付した事実に絞り込んでコンパクトに御執筆して頂ければ大変光栄です。どうぞ宜しくお願い申し上げます。--Redaktoro 2011年5月13日 (金) 13:55 (UTC)

「歴史」項目における先の大戦の表記について

「歴史」項目における先の大戦の表記について、直前までは「第二次世界大戦(十五年戦争・アジア太平洋戦争・太平洋戦争・「大東亜戦争」)」としてありましたが、大東亜戦争にのみ「」をつけるのは適当ではないように思います。 御存じのとおり、“大東亜戦争”と“アジア太平洋戦争”という呼称は特定の勢力が好んで使うものであり、このどちらかに「」をつけて他の呼称と違う扱いをするのは、「中立的観点からの編集」というウィキペディアの編集方針に真っ向から逆らうものです。 両方表記しないか両方同じように表記するのが中立的観点からみて一番妥当かと思います。--61.22.20.148 2011年5月29日 (日) 11:29 (UTC)

私もそう思います。実は、以前は「アジア・太平洋戦争(十五年戦争・第二次世界大戦・太平洋戦争・「大東亜戦争」)」となっていて、もっと酷かったんです。不肖ながら私が編集させて頂きましたが、いつの間にかまた鍵括弧がついていました。--ヌーフ 2011年5月29日 (日) 12:28 (UTC)

先の大戦の表記につきましては、「中立的観点からの編集」というウィキペディアの編集方針に従う観点から、第二次世界大戦太平洋戦争十五年戦争アジア・太平洋戦争大東亜戦争(メインタイトルは第二次世界大戦又は太平洋戦争)のいずれにも「」を付すことなく、対等に併記する是正を全面的に受け入れます。私の方でこの問題に関し重大で根本的な誤りを犯したことを反省します。ご容赦くださいますようお願いします。--Redaktoro 2011年5月29日 (日) 14:37 (UTC)

日本の国号に関する記事の分割提案

日本の国号に関する記述が、このページの冒頭にして冗長な記事になっているので、国号、国号の由来の節を日本の呼称の歴史に関するページに分割することを提案いたします。本ページでは、日本国憲法の施行以降は日本国である旨、国名については、古くは倭、天武朝期以降にに日本の国号を対外的に用い始める。という程度に簡潔化すべきでしょう。--ぱんだぱん会話2015年3月28日 (土) 01:46 (UTC)

  • 「日本国憲法の施行以降は日本国である」が間違いです。冗長性については理解できますが分割するほどでもないでしょう。ご提案には反対いたします。--大和屋敷会話2015年3月28日 (土) 04:37 (UTC)
  • 分割提案の発案にあたっては、簡潔に主旨を示すため、一行で書きましたが実際にここまで省略すべきと言っているわけではありません。それでも歴史的変遷も含めて5-6行に収めるべきです。「「日本国憲法の施行以降は日本国である」が間違いです。」とのことですが、本文にも直接国名に定めている条文がない、といって否定的な表現ですが、最高法規である日本国憲法の題名が「日本国」の憲法なのであって、これによって法的に正式な国号は明示的に示されていると思います。(当方法の専門ではありませんので、法律家で別のことを言っている人がいたら教えて下さい) cfアメリカ合衆国の憲法ドイツ連邦共和国基本法大韓民国憲法
  • 憲法というのは単なる法律ではなく英語でconstitutionなのですから、題名自体で、その国の政体を規定しているのは明らかです。ざっと調べたところ各国憲法では、国土や首都、国旗などについて条文で定めている場合が多いですが(日本の憲法にはそれはない)、国名自体は憲法の題名で明示しているので、条文で規定しているのはありませんね。--ぱんだぱん会話2015年3月28日 (土) 08:11 (UTC)
  • と言うか改めて見なおしたら日本国憲法の第一条に「天皇は日本国の象徴」とはっきり書いてあるのですが…本文はウソを書いていることになりませんかね?--ぱんだぱん会話2015年3月28日 (土) 08:24 (UTC)
  • 反対 前節における「日本国への改名」が実施された後であればこのような分割もありでしょうが、現行の記事内容を前提とした場合には別記事への分割は検討する必要はないでしょう。また、憲法の題名は国名を既定しているというのは自明ではありません。たとえば、現行のフランス共和国の憲法の題名は "Constitution du 4 octobre 1958"(1958年10月4日の憲法)と国名は入っていません。--Claw of Slime (talk) 2015年3月30日 (月) 04:49 (UTC)