ベシェニェイ・ペーテル
ピーター・ベゼネイ (ベシェニェイ・ペーテル) Besenyei Péter | |
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生誕 | 1956年6月8日(68歳) |
国籍 | ハンガリー |
レース経歴 | |
初出場 | 2003 |
最高順位 | 1位 (2003年) |
機体 | コーバス・レーサー540 |
公式サイト | |
besenyeipeter.hu |
ベシェニェイ・ペーテル(Besenyei Péter、1956年6月8日 - )は、ハンガリーの曲技飛行パイロット。エアレースの世界チャンピオンとして名を馳せる。日本では、英語読みのピーター・ベゼネイで呼ばれることが多いため、本項でもその呼称を採用する。
経歴
[編集]ハンガリー西部の町、ケルメンドに生まれる。ブダペストの空港のそばで育ち、幼い頃から飛行機に興味を持っていた。1962年の曲技飛行の世界選手権を観戦して、自分もパイロットになりたいと決心し、15歳の時にグライダーで初飛行を遂げる。1976年、初めて参戦したグライダー競技でその才能をいかんなく発揮し、2位で終えた[1]。
曲技飛行パイロットになり、国内外の選手権でいくつものタイトルを獲得した。初めて金メダルを獲得したのは、1982年のオーストラリア選手権だった[2]。専門はフリースタイル部門で、オリジナルのスナップロールをいくつも開発し、1984年にはナイフエッジ・スピンを生み出した。1995年には金メダル2つと銀メダル2つを獲得し、最も成功を収めた曲技飛行パイロットとして名声を得る[1]。2001年、ブダペストのドナウ川にかかるセーチェニ鎖橋の下を飛行し、橋の下をくぐる技は今日のエアレースの基本的なマニューバの一つとなっている[3]。
1996年、ゲンツ・アールパード大統領(当時)から金メダルを授与された[3]。
レッドブル・エアレース・ワールドシリーズの発展に大きく寄与し、その方面では「ゴッドファーザー」の異名を取る[3]。2001年に、オーストリアの栄養ドリンク会社・レッドブルから競技型エアレースの設立の協力を求められ、ルールや規則の設定に熱意を持って取り組み、肉体的にも精神的にも究極のエアレースにチャレンジするスキルと勇気を兼ね備えた、ある意味で向う見ずなパイロットを慎重に選んだ。またレースで使われる風船型パイロン『エアゲート』を考案した。最初のレースは、2003年にオーストリアのツェルトベクで行われ、2年後の2005年には世界各地を転戦するレースへと進化していった。
自身も初年度からレースに参加しており、2010年からは自身のためコルバス・ハンガリーで設計されたコーバス・レーサー540を利用していたが、機体が曲技飛行向けでエアレースには適さないことを理由に2015年の第4戦から『540 V3』へ変更した[4]。
現在は、ハンガリー航空局のテストパイロットのほか[3]、ジブコ エッジ540の曲技飛行パイロット向けのインストラクターをしている。他の趣味に、カーレース、スキー、スカイダイビング、釣り、カメラなどがある[3]。
2015年シーズンをもって、レッドブル・エアレースを引退した。2016年からはポール・ボノムと共に殿堂入りしている[5]。
戦績
[編集]- 1982年
-
- オーストラリア・ナショナル・チャンピオンシップ – 総合優勝
- 1990年
-
- 世界曲技飛行選手権 – 2位
- 1993年
- 1994年
-
- 規定演技(コンパルソリー)世界チャンピオン
- 1995年
-
- フリースタイル部門ヨーロッパチャンピオン
- 規定演技部門ヨーロッパチャンピオン
- 1998年
-
- FAIワールド・グランプリ・シリーズ - 1位
- 2000年
-
- フリースタイル部門世界チャンピオン
- 2001年
-
- FAIワールド・グランプリ・シリーズ - 1位
- 2003年
-
- FAIワールド・グランプリ・シリーズ(日本・東京) - 1位
レッドブル・エアレース戦績
[編集]金色 | 銀色 | 銅色 | ポイント圏内完走 | ポイント圏外完走 |
1位 | 2位 | 3位 | 4-8位[注 1] | 9-14位[注 1] |
ピーター・ベゼネイ レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ戦績 | |||||||||||||||
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開催年 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | ポイント | 勝利数 | 最終 順位 |
2003 | 1位 [注 2] |
1位 6 |
6 | 2 | 1位 | ||||||||||
2004 | 3位 4 |
3位 4 |
3位 4 |
12 | 0 | 2位 | |||||||||
2005 | 1位 6 |
2位 5 |
2位 5 |
1位 6 |
3位 4 |
4位 3 |
4位 3 |
32 | 2 | 2位 | |||||
2006 | 3位 4 |
1位 6 |
2位 5 |
中止 |
3位 4 |
失格 |
2位 5 |
2位 5 |
1位 6 |
35 | 2 | 2位 | |||
2007 | 1位 6 |
5位 2 |
1位 6 |
5位 2 |
中止 |
3位 4 |
3位 4 |
4位 3 |
4位 3 |
6位 1 |
中止 |
7位 0 |
31 | 2 | 3位 |
2008 | 4位 6 |
8位 2 |
5位 5 |
中止 |
6位 4 |
4位 6 |
5位 5 |
7位 3 |
中止 |
7位 3 |
34 | 0 | 5位 | ||
2009 | 10位 2 |
4位 8 |
DNS |
10位 2 |
4位 8 |
8位 4 |
24 | 0 | 8位 | ||||||
2010 | 3位 9 |
10位 2 |
11位 1 |
10位 2 |
8位 4 |
9位 3 |
中止 |
中止 |
21 | 0 | 10位 | ||||
2011年から2013年はレース休止 | |||||||||||||||
2014 | 10位 0 |
11位 0 |
7位 2 |
7位 2 |
7位 2 |
12位 0 |
12位 0 |
12位 0 |
6 | 0 | 11位 | ||||
2015 | 7位 2 |
13位[6] 0 |
12位[7] 0 |
6位[8] 3 |
6位[9] 3 |
8位[10] 1 |
13位[11] 0 |
13位[12] 0 |
9 | 0 | 12位 |
関連項目
[編集]出典
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b “Peter Besenyei Aerobatics Pilot”. budpocketguide.com. 2010年1月25日閲覧。
- ^ “Besenyei Peter” (Hungarian). rtl.hu. 2010年1月25日閲覧。
- ^ a b c d e “Peter Besenyei”. redbullairrace.com. 2010年1月25日閲覧。
- ^ 新機体を導入したベゼネイ | Red Bull Air Race
- ^ パイロット LEGENDS | Red Bull Air Race
- ^ “室屋義秀が最速タイムでラウンド・オブ・8へ進出”. Red Bull Air Race (2015年5月17日). 2016年1月31日閲覧。
- ^ 浅田真樹 (2015年6月2日). “【エアレース】室屋義秀、第3戦で10位もトップ争いへ視界良好”. Web Sportiva. 集英社. 2016年1月31日閲覧。
- ^ “Round 8 wraps with full throttle drama”. Red Bull Air Race (2015年7月5日). 2016年1月31日閲覧。
- ^ “Ascot anguish for Arch in Round of 8”. Red Bull Air Race (2015年8月16日). 2016年1月31日閲覧。
- ^ “第6戦シュピールベルク:決勝レース後リアクション”. Red Bull Air Race (2015年9月6日). 2016年1月31日閲覧。
- ^ “Double celebration for Dolderer in Qualifying”. Red Bull Air Race (2015年9月26日). 2016年1月31日閲覧。
- ^ “Muroya maneouvres for race podium”. Red Bull Air Race (2015年10月18日). 2016年1月31日閲覧。
外部リンク
[編集]- Péter Besenyei Official Site
- Péter Besenyei (Official Fan Page)
- Biography at Budapest Pocket Guide website
- Red Bull Air Race World Series official website
- Aerobatics website with Péter Besenyei videos
- The Story of Péter Besenyei on Youtube
- The Story of Air Show Unawatuna Beach, Sri Lanka
タイトル | ||
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先代 - |
レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ チャンピオン 2003 |
次代 カービー・チャンブリス (2004) |