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マリア・ペトロワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マリア・ペトロワ
Maria PETROVA
フィギュアスケート選手
2004年世界選手権でのペトロワとティホノフ
生誕 (1977-11-29) 1977年11月29日(46歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国レニングラード
身長 152 cm
選手情報
代表国 ロシアの旗 ロシア
パートナー アレクセイ・ティホノフ
コーチ Ludmila Velikova
所属クラブ Yubileiny Sport Club
開始 1982
引退 2007年
ISUサイト バイオグラフィ
ISUパーソナルベストスコア
総合188.212005 世界選手権
SP67.422004 GPファイナル
FS123.182006 世界選手権
大会成績
国際スケート連盟主催大会 1 2 3
世界選手権 1 1 2
欧州選手権 2 2 4
グランプリファイナル 0 1 3
世界ジュニア選手権 0 0 1
合計数 3 4 10
国内大会 1 2 3
ロシア選手権 1 6 1
フィギュアスケート
世界選手権
2000 ニース ペア
2003 ワシントンD.C. ペア
2005 モスクワ ペア
2006 カルガリー ペア
欧州選手権
1999 プラハ ペア
2000 ウィーン ペア
2002 ローザンヌ ペア
2003 マルメ ペア
2004 ブダペスト ペア
2005 トリノ ペア
2006 リヨン ペア
2007 ワルシャワ ペア
グランプリファイナル
1998 サンクトペテルブルク ペア
2002 サンクトペテルブルク ペア
2003 コロラドスプリングス ペア
2004 北京 ペア
世界ジュニア選手権
1993 ソウル ペア
1994 コロラドスプリングス ペア
1995 ブダペスト ペア
1997 ソウル ペア

マリア・イーゴレヴナ・ペトロワロシア語: Мари́я И́горевна Петро́ва[1]1977年11月29日 - )は、ロシア出身の女性フィギュアスケート選手。2002年ソルトレイクシティオリンピック、2006年トリノオリンピックペアロシア代表。2000年世界フィギュアスケート選手権ペアチャンピオン。パートナーはアレクセイ・ティホノフアントン・シハルリドゼなど。ロシア語では「マリーヤ・イーガリェヴナ・ピトローヴァ」が近い。

経歴

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ソビエト連邦レニングラードに生まれ、7歳のときにスケートを始めた。1992年にアントン・シハルリドゼとペアを結成し、初出場の1993年世界ジュニア選手権で2位。翌1994年、1995年世界ジュニア選手権では2連覇を果たした。同じ時期、シニアクラスにも参戦し1994年世界選手権8位、1995年世界選手権6位と着実に強豪ペアへの階段を上りつつあったが、1996年にアントン・シハルリドゼとのペアを解消。同年にテイムラズ・プーリンと新たにペアを組んだ。

1996-1997年シーズン、1997年世界ジュニア選手権および1997年ユニバーシアードで2位となり、翌1997-1998年シーズンからはISUグランプリシリーズにも出場したが、表彰台に上ることはなく、ロシア選手権でも6位に留まり同シーズン終了後にペアは解散。1998年、アレクセイ・ティホノフと新たにペアを結成した。

ペア1シーズン目の1998-1999年シーズンからISUグランプリシリーズに参戦。いきなり表彰台の常連となり、グランプリファイナルにも進出。1999年欧州選手権では優勝を果たし、2000年欧州選手権で2連覇を達成。2000年世界選手権をも制し、強豪ペアとして注目を集めたが、2000-2001年シーズン以降はライバルの台頭もあり、世界選手権や欧州選手権などで表彰台に上ることはあってもタイトルからは遠ざかっていった。2002年ソルトレイクシティオリンピックに出場し6位、2度目のオリンピックとなった2006年トリノオリンピックでは5位に終わった。

2007年世界選手権では、パートナーのティホノフの怪我によりフリースケーティングを棄権。のちに引退を発表。競技引退後はロシアでアイスショーやフィギュアスケート絡みのテレビ番組に出演している。

ティホノフとは私生活上でもパートナーである。2002年に日本のNHKで彼らに関する叙情的なドキュメンタリーが放映されたことがある[2]

2010年2月1日、ティホノフとの間に娘が誕生した[3]

主な戦績

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大会/年 1998-99 1999-00 2000-01 2001-02 2002-03 2003-04 2004-05 2005-06 2006-07
オリンピック 6 5
世界選手権 4 1 4 4 3 4 2 3 棄権
欧州選手権 1 1 4 3 3 2 3 3 2
ロシア選手権 2 2 2 3 2 2 2 1
GPファイナル 3 4 5 5 3 3 2 4 6
GPロシア杯 1 2 2 2
GPエリック杯 2 1
GP中国杯 3 1
GPスケートカナダ 2 3 2
GPNHK杯 5 1 3 4 1 1
GPスケートアメリカ 2
GPボフロスト杯 1 1 2 3 4

詳細

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2006-2007 シーズン
開催地 大会名 SP FP 結果
2007年3月19日-25日 2007年世界フィギュアスケート選手権東京 11
56.36
- 棄権
2007年1月22日-28日 2007年ヨーロッパフィギュアスケート選手権ワルシャワ 2
62.22
2
117.39
2
179.61
2006年12月14日-17日 2006/2007 ISUグランプリファイナルサンクトペテルブルク 5
56.52
6
98.07
6
154.59
2006年11月24日-26日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ 2
62.28
1
115.75
2
178.03
2006年11月17日-19日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 1
61.64
1
112.63
1
174.27


2005-2006 シーズン
開催日 大会名 SP FP 結果
2006年3月19日-26日 2006年世界フィギュアスケート選手権カルガリー 3
63.04
2
123.18
3
186.22
2006年2月10日-26日 トリノオリンピックトリノ 3
64.27
6
117.42
5
181.69
2006年1月17日-22日 2006年ヨーロッパフィギュアスケート選手権リヨン 2
66.07
3
120.97
3
187.04
2005年12月16日-18日 2005/2006 ISUグランプリファイナル東京 2
62.10
4
116.00
4
178.10
2005年11月3日-6日 ISUグランプリシリーズ 中国杯北京 1
62.76
1
122.62
1
185.38
2005年10月27日-30日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダセントジョンズ 2
60.10
2
114.04
2
174.14


2004-2005 シーズン
開催日 大会名 SP FP 結果
2005年3月14日-20日 2005年世界フィギュアスケート選手権モスクワ 2
66.94
2
121.27
2
188.21
2005年1月25日-30日 2005年ヨーロッパフィギュアスケート選手権トリノ 3
63.15
3
112.74
3
175.89
2004年12月16日-19日 2004/2005 ISUグランプリファイナル北京 2
67.42
2
119.90
2
187.32
2004年11月19日-21日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 2
65.76
3
113.76
2
179.52
2004年11月4日-7日 ISUグランプリシリーズ NHK杯名古屋 1
66.44
1
121.12
1
187.56


2003-2004 シーズン
開催日 大会名 SP FP 結果
2004年3月22日-28日 2004年世界フィギュアスケート選手権ドルトムント 2 4 4
2004年2月2日-8日 2004年ヨーロッパフィギュアスケート選手権ブダペスト 2 2 2
2003年12月11日-14日 2003/2004 ISUグランプリファイナルコロラドスプリングス 3
56.32
4
110.44
3
166.76
2003年11月27日-30日 ISUグランプリシリーズ NHK杯旭川 1
63.24
1
118.72
1
181.96
2003年11月6日-9日 ISUグランプリシリーズ 中国杯北京 3
57.92
3
107.66
3
165.58
2003年10月23日-26日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカレディング 2
64.94
1
119.98
2
184.92


2002-2003 シーズン
開催日 大会名 SP FP 結果
2003年3月24日-30日 2003年世界フィギュアスケート選手権ワシントンD.C. 3 3 3
2003年1月20日-26日 2003年ヨーロッパフィギュアスケート選手権マルメ 1 3 3
2002年11月28日-12月1日 ISUグランプリシリーズ NHK杯京都 3 4 4
2002年11月22日-24日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ 2 2 2
2002年11月8日-10日 ISUグランプリシリーズ ボフロスト杯ゲルゼンキルヒェン 2 4 4

脚注

[編集]
  1. ^ ロシア語ラテン翻字: Maria Igorevna Petrova
  2. ^ NHKアーカイブス保存番組『氷上のふたり ロシア・フィギュア 愛と挑戦の物語』2002年2月9日放映(2006年、2010年と冬季オリンピックの年、及び日本で世界選手権が開催された2007年に再放送されている)
  3. ^ Мария Петрова и Алексей Тихонов стали родителями

外部リンク

[編集]