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ロイ・ヘインズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロイ・ヘインズ
Roy Haynes
ロイ・ヘインズ(2007年)
基本情報
出生名 Roy Owen Haynes
生誕 (1925-03-13) 1925年3月13日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン
死没 (2024-11-12) 2024年11月12日(99歳没)
ジャンル ジャズビバップハード・バップ
職業 バンド・リーダー、パーカッショニスト、作曲家
担当楽器 ドラム、パーカッション
活動期間 1945年 -
レーベル Mainstream、エマーシー・レコードインパルス!レコードギャラクシー・レコードニュー・ジャズパシフィック・ジャズ・レコード、Evidence、Vogue
共同作業者 レスター・ヤングチャーリー・パーカーバド・パウエルサラ・ヴォーンスタン・ゲッツ、ワーデル・グレイ、マッコイ・タイナー

ロイ・ヘインズRoy Haynes1925年3月13日 - 2024年11月12日)は、アメリカジャズミュージシャンドラマー。アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン生まれ。

1940年代なかばからルイス・ラッセルレスター・ヤングらと活動したのち、1949年から1953年ビバップの最重要人物、チャーリー・パーカーのグループで活躍した。その後もマイルス・デイヴィスサラ・ヴォーンジョン・コルトレーンセロニアス・モンクエリック・ドルフィーチック・コリアパット・メセニーなどの重要レコーディングに参加するなど、90歳を超えてもジャズシーンの先端を行く貴重なミュージシャンであった。

略歴

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1925年3月13日にロックスバリーに生まれたロイ・ヘインズは、ジョー・ジョーンズケニー・クラークアート・ブレイキーマックス・ローチといったドラマーに影響を受けて育っている。ティーンの頃からジャム・セッションで腕を磨いていた彼は、高校時代にサビー・ルイス楽団やフランキー・ニュートンのバンドで活動し、19歳でニューヨークに進出した。1945年から1947年にかけてはルイス・ラッセル楽団、次いで1947年からの2年間はレスター・ヤング・セクステットで活動している。その後ニューヨークに居を定め本格的なジャズ活動に身を置く。1949年にはカイ・ウィンディングのグループに参加して初レコーディングも体験。この年から翌年にかけてはチャーリー・パーカー・クインテットにも在籍した。

1952年からはエラ・フィッツジェラルドのバックを務め、本格的な歌伴の仕事も行うようになった。しかしあちこちのグループで目まぐるしく活動することに疲れたヘインズは、エラの伴奏という経験を生かし1953年からサラ・ヴォーンの専属伴奏者となる。1954年には彼女のグループで初のヨーロッパ・ツアーを体験、この間にストックホルムとパリにおいて地元のミュージシャンを含むグループで4つのレコーディングを行なう。これらはその後、数種類のオムニバス盤で発表されている。サラのバンドには1958年まで在籍、その後ヘインズは再びニューヨークのジャズ・シーンにカムバックを果たす。

この年の彼はそれまでにないほど精力的にクラブ・ギグをこなしている。まずはフィニアス・ニューボーンを迎えて自己のトリオ(ベースはポール・チェンバース)を結成したヘインズは、4月「ファイブ・スポット」にレギュラー出演し、それは秋になって毎週月曜の「バードランド」でのギグに継続されていく。そして11月にはこのトリオで初のリーダー・アルバム『ウィ・スリー』(プレスティッジ)を残している。また夏には伝説的なセロニアス・モンク・カルテット(ジョン・コルトレーンが参加)の一員として「ファイブ・スポット」で演奏。その他にもマイルス・デイヴィスリー・コニッツのグループに入って積極的に一線への復帰を果たしたのだった。

その後はコーラス・グループのランバート、ヘンドリックス&ロスジョージ・シアリング・クインテット、そしてケニー・バレル・カルテットなどで演奏。「ファイブ・スポット」や「プレリュード」といったニューヨークのジャズ・クラブを中心に活躍したバレル・カルテットは、1960年の初頭にリーダーがブロードウェイ・ミュージカル「バイ・バイ・バーディー」のピット・バンドに参加することで解散してしまう。その結果残り3人がヘインズ・トリオ(リチャード・ワイアンズポール・チェンバースがメンバー)としてそのまま活動することになったのである。そして吹き込まれたのが彼の代表作『ジャスト・アス』(プレスティッジ)だった。

1960年代に入ってからはジョン・コルトレーンローランド・カークエリック・ドルフィーブッカー・アーヴィンなど進歩派とも好んで共演し、また折から注目を集め始めていたフリー・ジャズにも積極的に関わっていく。そんな姿勢にも常に新しいジャズにチャレンジするヘインズの面目跳如たるものが感じられる。カークとの共演は1962年にレコーディングされた『アウト・オブ・ジ・アフタヌーン』(インパルス)で聴くことができる。その後も彼は時代の先端を行くミュージシャンとの共演を重ね、そんな中から1968年にチック・コリアと録音した『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス』(ソリッド・ステイト/ブルーノート)が生まれている。

このトリオは当初レコーディングのためだけのものだったが、25年後の1982年に再結成し、このときはワールド・ツアーも敢行された。チックとのコラボレーションは「バド・パウエル・トリビュート・バンド」で復活した。

2024年11月12日に死去。99歳没[1]

ディスコグラフィ

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リーダーまたは共同リーダー・アルバム

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  • Busman's Holiday (1954年)
  • 『ロイ・ヘインズ・セクステット』 - Roy Haynes Modern Group (1954年)
  • 『ジャズ・アブロード』 - Jazz Abroad (1956年、Mercury) ※クインシー・ジョーンズとのスプリット・アルバム
  • 『ウィ・スリー』 - We Three (1958年、New Jazz) ※with ポール・チェンバース & フィニアス・ニューボーン・ジュニア
  • 『ジャスト・アス』 - Just Us (1960年、New Jazz)
  • アウト・オブ・ジ・アフタヌーン』 - Out of the Afternoon (1962年、Impulse!)
  • クラックリン』 - Cracklin' (1963年、New Jazz) ※with ブッカー・アーヴィン
  • 『シンバリズム』 - Cymbalism (1963年、New Jazz)
  • 『ピープル』 - People (1964年)
  • 『ヒップ・アンサンブル』 - Hip Ensemble (1971年、Mainstream) ※『Equipoise』として再発あり
  • 『センヤー』 - Senyah (1973年、Mainstream)
  • 『闘牛』 - Togyu (1975年、RCA)
  • 『アイム・ソー・ハイ』 - Jazz a Confronto Vol. 29 (1976年、Horo)
  • 『シュガー・ロイ』 - Sugar Roy (1976年) ※with トミー・フラナガンロン・カーター
  • Vistalite (1977年)
  • 『サンキュー・サンキュー』 - Thank You Thank You (1977年)
  • Live at the Riverbop (1979年、Marge Records)
  • True or False (1986年、Freelance Records)
  • Homecoming (1992年)
  • 『ロイ・ヘインズに任せろ!』 - When It's Haynes It Roars (1992年)
  • 『マイ・シャイニング・アワー』 - My Shining Hour (1994年)
  • 『テ・ヴ!』 - Te Vou! (1994年) ※with パット・メセニー
  • 『プレイズ』 - Praise (1998年)
  • 『ザ・ロイ・ヘインズ・トリオ・フィーチャリング・ダニーロ・ペレス & ジョン・パティトゥッチ』 - The Roy Haynes Trio (2000年)
  • Roy Haynes (2000年)
  • Birds of a Feather: A Tribute to Charlie Parker (2001年) ※with ロイ・ハーグローヴデイヴ・ホランドケニー・ギャレット
  • 『ラヴ・レター』 - Love Letters (2002年)
  • 『ファウンテン・オブ・ユース』 - Fountain of Youth (2004年)
  • Whereas (2006年)
  • A Life in Time: The Roy Haynes Story (2007年) ※3CD-1DVDボックス・セット。1949年-2006年録音
  • Roy-Alty (2011年)

参加アルバム

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脚注

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  1. ^ Roy Haynes, pioneering modern jazz drummer, has died at 99” (英語). WUNC (2024年11月12日). 2024年11月12日閲覧。

外部リンク

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