中嶋英夫
中嶋 英夫(なかじま ひでお、1920年(大正9年)10月26日[1] - 1988年(昭和63年)4月18日[2][注 1])は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。中島と表記される場合がある[3][4]。
経歴
[編集]青森県[3][2]三戸郡三戸町[4]で、中嶋武兵[注 2]の息子として生まれる[4]。小学校4年次に母の実家の所在地・盛岡市に転居した[4]。1940年(昭和15年)岩手県立盛岡工業学校(現岩手県立盛岡工業高等学校)土木科を卒業し[3][2]、日本鋼管(現JFEスチール・JFEエンジニアリング)に入社し川崎製鉄所で勤務した[2][4]。
1946年(昭和21年)1月、日本鋼管労働組合の発会式で書記長に選出され[4]、以後、川崎市労働組合協議会議長、鉄鋼産業労働組合連合会副執行委員長、日本鋼管労働組合執行委員長などを務めた[3][2][4]。
政界では、26歳で川崎市議会議員に当選し、1950年(昭和25年)神奈川県議会議員に選出され2期在任した[2][4]。1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙に神奈川県第2区から日本社会党公認で出馬し、川崎市労組の支援を受けて初当選した[3][2][4][5]。以後、第32回総選挙まで再選され[6]、衆議院議員に連続5期在任した[3][2][4]。この間、社会党川崎支部長、同神奈川県連合会副会長、同鉄鋼等対策特別副委員長、同財務委員会副委員長、同代議士会副会長、同院内役員会副会長、同選対副委員長などを務めた[3][2]。ほか、1963年(昭和38年)4月の川崎市長選挙に立候補したが落選した[7]。1972年(昭和47年)12月の第33回総選挙には出馬せず引退し[4][8]、その後、社会党総務局長に就任した[4]。後継には、自社さ政権の第1次橋本内閣で環境庁長官を務めた岩垂寿喜男。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『日本人事録 第6版 全国篇』中央探偵社、1963年。
- 『川崎市史 本編』川崎市、1968年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 東奥日報社編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。