諦
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諦(たい、梵: सत्य, satya、サティヤ、巴: सच्च, sacca、サッチャ)[要出典]とは、仏教において真理や悟りを意味する語[1]。ヨガ哲学における、ヤマの一つ。
仏教における用例
[編集]四聖諦
[編集]→詳細は「四聖諦」を参照
四聖諦(四諦)は、仏教で説く4つの真理であり、仏教の実践的原理[2]。
これは4つの聖(ārya, ariya)なる諦(satya, sacca)、すなわち絶対的真理をまとめたものである[2]。
- 苦諦(くたい)[2] - 一切は苦(ドゥッカ)であるという真理
- 集諦(じったい)[2] - 苦には原因があるという真理
- 滅諦(めったい)[2] - 苦は滅するという真理
- 道諦(どうたい)[2] - 苦を滅する道があるという真理
4つをまとめて苦集滅道とよぶ[2]。
二諦(世俗諦・勝義諦)
[編集]二諦(にたい)[3]とは、仏教において真諦と俗諦のこと[4]。真諦は勝義諦や第一義諦ともいい、出世間的真理を指す[4]。俗諦は世俗諦や世諦ともいい、世間的真理を指す。真諦および俗諦の意味は緒経論において種々である[4]。
二諦は部派仏教時代から用いられた語で[5]、世俗諦と勝義諦を以って二諦とする記述が部派の論蔵(毘曇部)からみられるが[6]、解釈には諸説ある。三論宗の吉蔵は二諦に十四の異説があるとしている[4]。
世俗諦と勝義諦
[編集]勝義諦は漢訳仏教では第一義諦と訳出、または真諦と同義とされる[7]ことがある。ただし、二諦説は中観派などの主張で[8]、天台宗における第一義諦は三諦説のうちの中諦のことを指し、中道第一義諦といって区別する[9]。
天台宗の三諦
[編集]世俗諦・勝義諦の呼び方をとらない二諦に中諦を加えた天台教学の説。
- 空諦(くうたい) - 空観の諦
- 仮諦(けたい) - 仮観の諦
- 中諦(ちゅうたい) - 中観の諦
と区別し、三諦(さんだい)を以って三諦円融(さんだいえんゆう)、一心三観(いっしんさんがん) の調和を図る教学を確立した[10]。
他派の三諦
[編集]四(聖)諦とともに用いられない三諦の語は、すでに部派仏教時代からみられ[11]、その論(アビダルマ)では世俗(諦)や勝義(諦)の語をともなって出現する[12]。
ヨガ哲学におけるサティヤ
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ヒンドゥー教 |
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脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “諦(テイ)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年8月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g アルボムッレ・スマナサーラ『苦の見方』サンガ (出版社)、2015年、Kindle版、位置No.全2025中 134 / 7%。ISBN 978-4865640199。
- ^ 中村元ほか『岩波仏教辞典 第二版』岩波書店、2002年、787-788頁。
- ^ a b c d 総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、1097-1100頁。
- ^ 二諦(阿含部, 毘曇部) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
- ^ 二諦 世俗諦 勝義諦(毘曇部) - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。
- ^ 二諦とは - コトバンク
- ^ 二諦 『広辞苑 第6版』(岩波書店)。
- ^ 中道第一義観, 中観 『広説佛教語大辞典 中巻』 中村元著 東京書籍。
- ^ 三諦とは - 大辞泉/大辞林/世界大百科事典/コトバンク。
- ^ 大正新脩大蔵経テキストデータベース 三諦。
- ^ 大正新脩大蔵経テキストデータベース 世俗 勝義 三諦。