佐藤義和
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さとう よしかず 佐藤 義和 | |
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生誕 |
1948年4月6日 宮城県 |
死没 |
2020年10月28日(72歳没) 沖縄県 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東北学院大学 |
職業 | フリープロデューサー |
活動期間 | 1971年 - 2019年12月31日 |
テレビ番組 |
『オレたちひょうきん族』 『森田一義アワー 笑っていいとも!』他 |
配偶者 | 既婚 |
補足 | |
愛称:サトちゃん |
佐藤 義和(さとう よしかず、1948年4月6日[1] - 2020年10月28日)は、日本のテレビプロデューサー。
元フジテレビプロデューサー。宮城県塩竈市出身[1]。フジテレビ退社後は沖縄県中頭郡北谷町に在住していた。
来歴・人物
[編集]1971年、東北学院大学法学部法律学科卒業[1]。元青森放送の鈴木伸夫と女優の篠ひろ子は東北学院大学の1年先輩である。
当初は地元である仙台地区の民放に就職を希望していたが、新卒の募集がなかったため上京し、フジテレビの制作系子会社「フジポニー」に、2年間のアルバイトを経て、正社員として入社。
その後フジ制作を経て、1980年に行われた機構改革でフジテレビに転籍。横澤彪の下でディレクターやプロデューサーとして数々のバラエティ番組を手掛ける。『オレたちひょうきん族』では「ひょうきんディレクターズ」の一員として、シングル「ひょうきんパラダイス」をリリースした。1994年7月に演芸担当部長に昇格。その後アーカイブセンター勤務を経て、2005年にフジテレビを早期退職。その後は沖縄県に移住。
2019年12月31日、フリープロデューサーとしての活動をやめ、現役引退宣言をする。
2020年10月28日、肺癌のため死去。72歳没。訃報は死去約1か月後の12月2日にスポーツ各紙等で報じられた[2][3]。
手がけた番組
[編集]- ディレクター
- テレビナイトショー
- お昼のゴールデンショー(AD)
- ハイヌーンショー
- 君こそスターだ!
- 爆笑ゴールデンショー(AD)
- リビング11
- 日曜テレビ寄席
- 日本放送演芸大賞
- お笑い大集合 → 大進撃!おもしろ組
- 初詣!爆笑ヒットパレード(1986年は演出名義)
- THE MANZAI(1980年 - 1982年)
- 笑ってる場合ですよ!(木曜担当)
- らくごin六本木
- オレたちひょうきん族(1981年5月 - 1987年9月)
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(木曜担当、1982年10月 - 1984年9月)
- タケちゃんの思わず笑ってしまいました(1983年 - 1987年)
- ライオンのいただきます(1984年10月 - 1987年9月)
- 冗談画報(初期)
- テレビくん、どうも!
- FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島(1987年)
- プロデューサー
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(2代目、1987年10月 - 1994年9月)
- 笑っていいとも!増刊号
- 笑っていいとも!特大号(1987年 - 1993年)
- 初詣!爆笑ヒットパレード
- 冗談画報(1986年10月 - ) → 冗談画報II
- FNSスーパースペシャル 1億人のテレビ夢列島'88
- 夢で逢えたら
- FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島'89
- カンコンキンシアター TV中継
- ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!
- ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!
- FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島'90
- ダンス!ダンス!ダンス!(前期)
- ダウンタウンのごっつええ感じ(初代)
- 夢がMORI MORI(初代)
- 平成教育テレビ(コーナー担当プロデューサー)
- 制作・ゼネラルプロデューサー
- ダウンタウンのごっつええ感じ
- 夢がMORI MORI
- とぶくすりZ
- 初詣!爆笑ヒットパレード
- SMAPのがんばりましょう
- SMAP×SMAP
- 新春かくし芸大会(1995年・1997年 - 1999年)
- FNS1億2700万人の27時間テレビ夢列島(1998年・1999年制作指揮、2000年統括ゼネラルプロデューサー)
- ワールドカウントダウンスーパースペシャル 24時間まるごとライブ LOVE LOVE2000〜世界中のこどもたちへ僕らが愛でできること(1999年 - 2000年)
- ザッツエンゲイテイメント
- BACK-UP!
- 水10!「ハッピーボーイズ!」
- その他
- 新しい波(企画)
- ザッツお台場エンターテイメント!(1997年、実行委員会)
- FNS ALLSTARS 27時間笑いの夢列島(2001年、スーパーバイザー)
他
元・佐藤義和班
[編集]- 荻野繁
- 「笑っていいとも!」ディレクター・プロデューサー。2008年度定年退職し2020年現在はフリープロデューサー、おぎの屋CREATIVE mix代表取締役。
- 星野淳一郎
- フリーディレクター。「笑っていいとも!」「冗談画報」「夢で逢えたら」「ダウンタウンのごっつええ感じ」でディレクターを担当。2017年12月没。
- 吉田正樹
- 「笑っていいとも!」「夢で逢えたら」ディレクター、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」ディレクター・プロデューサー。その後「笑う犬」「ネプリーグ」「爆笑レッドカーペット」等を経て、2020年現在はワタナベエンターテインメント代表取締役会長、吉田正樹事務所代表取締役。
- 清水淳司
- 小畑芳和班を経て、「ごっつええ感じ」「笑っていいとも!」でディレクターを担当。その後フジクリエイティブコーポレーション出向を経て、2020年現在はデジタル技術推進部データ放送プロデューサー。
- 小須田和彦
- 「笑っていいとも!」AD・ディレクター、「夢で逢えたら」ディレクター。「ダウンタウンのごっつええ感じ」ではディレクター→AP→プロデューサーを歴任した。その後美術などを経て、2020年現在はスポーツ局チーフゼネラルプロデューサー。
- 荒井昭博
- 栗原美和子
- 「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」AP。その後第一制作部→ドラマ制作センターを経て、現在は共同テレビジョン第1制作部企画担当部長。
- 片岡飛鳥
- 「笑っていいとも!」「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」ディレクター。その後「めちゃ×2イケてるッ!」、編成制作局制作センター第2制作室チーフゼネラルプロデューサーを経て、2022年にフジテレビを退社し、現在は「とぶとりっぷ合同会社」の代表取締役。
- 小松純也
- 「ダウンタウンのごっつええ感じ」AD→ディレクター。その後「笑う犬」「平成日本のよふけ」等を経て、2020年現在はフリープロデューサー、スチールヘッド代表取締役。
著書
[編集]- 「他人の才能でメシを食う方法」(同朋舎)1997年
- 「バラエティ番組がなくなる日」(主婦の友社)2011年
脚注
[編集]- ^ a b c 恵志泰成『それいけ!六本木 : 主演・ひょうきんディレクターズ』講談社、1986年9月15日、11頁。NDLJP:12275347/7。
- ^ “「ひょうきん族」「いいとも!」手がけたテレビプロデューサー・佐藤義和氏死去”. 讀賣新聞オンライン. 読売新聞社. (2020年12月2日) 2020年12月2日閲覧。
- ^ "「ひょうきん族」ディレクター佐藤義和さん死去72歳". ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 1 December 2020. 2020年12月2日閲覧。