コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者:とらもん192/sandbox/VII

藤沢町立徳田小学校

[編集]
藤沢町立徳田小学校
校舎・体育館外観(2024年4月)
地図北緯38度51分58.42秒 東経141度22分25.93秒 / 北緯38.8662278度 東経141.3738694度 / 38.8662278; 141.3738694座標: 北緯38度51分58.42秒 東経141度22分25.93秒 / 北緯38.8662278度 東経141.3738694度 / 38.8662278; 141.3738694
過去の名称 第七大学区二十中学徳田小学
岩手県公立徳田小学校
八沢村立徳田尋常小学校
八沢村立徳田尋常高等小学校
八沢村立徳田国民学校
八沢村立徳田小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 徳田村(1873年 - 1875年)
八沢村(1875年 - 1883年)
徳田村(1883年 - 1889年)
八沢村(1889年 - 1955年)
藤沢町(1955年 - 2009年)
設立年月日 1873年5月
閉校年月日 2009年3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
校地面積 6,913 m2[1]
校舎面積 1,450 m2[2]
所在地 029-3404
岩手県東磐井郡藤沢町徳田字馬場37
(現:岩手県一関市藤沢町徳田字馬場37)
外部リンク 公式サイト未開設
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

藤沢町立徳田小学校(ふじさわちょうりつ とくだしょうがっこう)は、岩手県東磐井郡藤沢町(現:一関市藤沢町)にあった公立小学校。略称は徳小(とくしょう)。

隣接していた藤沢町立徳田保育園についても記載する。

概要

[編集]

学制の発布により1873年に開校し、児童数の減少により2009年をもって閉校した小学校である[3][4]。校名に「徳田」を冠していたのは、この地区一帯を指す地名が由来する。なお校名は、勅令や設置自治体の変遷などによって6回変更しており、閉校時の校名(藤沢町立徳田小学校)を名乗ったのは1955年からである[5][6]

校歌は新旧2つある。旧校歌は千葉春村が作詞を手掛けたが、作曲者は不明であり、制定された時期も不明である。歌は2番までで、リズムは4分の2拍子となっている[7]。新校歌は開校百周年に際して作成され、荒川協平が作詞し、千葉了道が作曲を手掛けた[8]。リズムは4分の4拍子で、調はヘ長調である[9]。歌は4番まであり、地区の東に聳える「黄金山」や学校前を流れる「徳田川[注 1]」などの地域性を表す語句が含まれている。また、各番の最後は「徳田小学校 わが母校」で統一している[12]

隣接する藤沢町立徳田保育園と幼小連携教育を行っていた。藤沢町が進める連携教育の一環として、校長は保育園の園長を兼務したり、児童は園児と一緒に遊ぶなどして交流を重ねていた[6][13]

小学校・保育園の校門(2024年4月)

閉校後、体育館は後述するコミュニティ体育館に転用されている。

特色ある教育活動

[編集]

俳句

[編集]

俳句活動

'86年にNHKらじおで全国放送

田植え踊り

[編集]

田植え踊り

1997年オーストラリア公演

スポーツ少年団

[編集]

ソフトボール部、郡大会で3年連続優勝

卓球部

沿革

[編集]

創立期

[編集]

徳田小学校の起源は、1872年(明治5年)8月に発せられた学制にある。村単位で公立学校を設けるように命じられ、徳田村にも早急な設置が求められた。徳田村における教育は学制発布以前から行われており、村内各地で私塾が開かれていた。そのうちの一つで、かつ村役場を置く安栄山西光寺(徳田字馬場44番地)に学校を設けることとし、翌1873年(明治6年)5月に第七大学区二十中学徳田小学(別名:徳田村公立小学校)を開校した。その後、1876年(明治9年)には校名を「岩手県公立徳田小学校」に改めた[14]。開校当初の児童は男子が圧倒的に多く、女子がいない年も見られた[15][16][17]

1886年(明治19年)、開校した西光寺は仮校舎であったため、戸長の館沢豊三郎が移転に乗り出した。地区の有志と校舎を設計し、寺の下にある砂子田川沿いの畑地を建設場所に定めた。この土地は元戸長の星惣七[注 2]とほか1名から寄付されたもので、面積は776坪(≒2,565.29 m2)であった。先行して教員住宅から建設に着手し、校舎は1890年(明治23年)11月から取り掛かった。校舎に用いた材料は、元岩手県会議員でのちに八沢村長となる佐藤亮助から寄付された[19]。当時の村長や先述した寄府者などが昼夜を分かたず建設にあたり、翌1891年(明治24年)に縦4間半・横9間の木造2階建て校舎を落成した。一連の工事にかかった費用約780円は、地区の有志からの寄付で賄った。その後「八沢村立徳田尋常小学校」に改称し、同年11月には開校式を行った[20]。この頃の児童数は記録が残っていないが、学級は1クラスであった[21]

仮見出し---

[編集]

1900年(明治33年)9月、小学校令が改正されたことにより、翌1901年(明治34年)に補習科を開設するも、3年後の1904年(明治37年)に廃止した。1907年(明治40年)3月には再度小学校令が改正され、修業年限が4年から6年に延長された。既存の教室は2部屋しかないため、新たに校舎を設けることにした。校舎西側にある教員住宅に

1908年、建築中の西校舎(左)

戦後

[編集]

教室増設後の校舎外観(1945年ごろ)

[22]給食センターからの給食開始:中p464

旧校舎時代の空中写真(1977年10月)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

仮見出し

[編集]

閉校後

[編集]

校舎の活用、体育館

年表

[編集]
  • 1873年(明治6年)5月 - 「第七大学区二十中学徳田小学」(別名:徳田村公立小学校)として、西光寺を仮校舎として開校[23]
  • 1876年(明治9年)5月 - 「岩手県公立徳田小学校」に改称[14]
  • 1891年(明治24年)
    • 校舎を落成し、移転[20]
    • 4月 - 「八沢村立徳田尋常小学校」に改称[20]
    • 11月20日 - 開校式を挙行[20]
  • 1895年(明治28年)5月 - 補習科を開設[24]
  • 1901年(明治34年)5月 - 小学校令改正に伴い、補習科を開設(1904年3月廃止[25][26]
  • 1907年(明治40年) - 裁縫科と唱歌科を加設[21]
  • 1908年(明治41年)4月 - 西校舎を落成[27]
  • 1909年(明治42年)
  • 1921年大正10年)6月9日 - 農業補習学校に後期部を新設し、八沢農業補習学校に改称[29]
  • 1926年(大正15年) - 青年訓練所令施行に伴い、徳田青年訓練所を併設[29]
  • 1930年昭和5年)
  • 1935年(昭和10年)6月11日 - 青年学校令施行に伴い、八沢村立徳田青年学校を併設[28]
  • 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令施行に伴い、「八沢村立徳田国民学校」に改称[32]
  • 1945年(昭和20年)4月1日 - 八沢村立八沢青年学校を併設(1948年3月廃止[33][34]
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学校教育法施行に伴い、「八沢村立徳田小学校」に改称[26]。八沢村立八沢中学校徳田分教室を併設[35]
  • 1952年(昭和27年)5月 - 新校舎を落成[26]
  • 1953年(昭和28年)10月 - 校庭を拡張。教員住宅を移転[26]
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 町村合併に伴い、「藤沢町立徳田小学校」に改称[26]
  • 1957年(昭和32年)5月17日 - 講堂(313 m2)を落成[36][37]
  • 1964年(昭和39年)1月 - 徳田小学校子ども会の歌を制定[38][6]
  • 1972年(昭和47年)11月 - 第11回一茶まつり全国小中学校俳句大会にて「学校褒賞」を受賞[38]
  • 1973年(昭和48年)11月8日 - 新校歌と校旗を制定[8]
  • 1974年(昭和49年)4月 - 給食を開始[39]
  • 1976年(昭和51年)
    • 4月 - 教員住宅を解体[1]
    • 7月 - プールを落成[40][1]
  • 1977年(昭和52年)11月 - 第16回一茶まつり全国小中学校俳句大会にて「須藤賞」を受賞[1][6]
  • 1979年(昭和54年)3月 - 新校舎を落成[41]
  • 1982年(昭和57年) - 徳田保育所との幼小連携教育を開始。
  • 1986年(昭和61年)
    • 1月 - 全国学生俳句大会にて文部大臣賞を受賞[41]
    • 4月 - 徳田田植え踊り保存会を結成[42]
  • 1989年平成元年)12月 - 屋内運動場を落成[41]
  • 1990年(平成2年)4月 - 校庭を拡張[43]
  • 1992年(平成4年)8月 - 観察池を設置[42]
  • 1998年(平成10年)1月 - 岩手県健康安全優良校として表彰[41]
  • 2004年(平成16年) - 読書活動フロンティアスクールに指定(2006年度まで)[44]
  • 2006年(平成18年)
    • 一関地方図書館フロンティア校に指定[6]
    • 5月 - 学校図書ボランティア団体「もりの会」を結成[44]
    • 11月 - スクールガードボランティア団体を結成[44]
  • 2008年(平成20年)
    • いわて型コミュニティスクール推進校に指定[6]
    • 5月 - 日本善行会より春季善行として表彰[41]
  • 2009年(平成21年)
    • 全国学生俳句大会で入賞[6]
    • 3月20日 - 徳田保育園との合同閉校式と記念碑除幕式を開催。記念碑は校庭脇に設置[6]
    • 3月31日 - 新制の藤沢町立藤沢小学校への統合に伴い、閉校[4][6]
閉校記念碑(2023年8月)

閉校後

[編集]
  • 2010年(平成22年)4月1日 - 体育館を「コミュニティ体育館徳田ふれあいランド」として開設。

コミュニティ体育館徳田ふれあいランド

[編集]
コミュニティ体育館徳田ふれあいランド
裏手からの外観(2023年8月)
施設情報
用途 屋内スポーツ
コミュニティ
旧用途 藤沢町立徳田小学校体育館
管理運営 一関市
徳田地区住民自治協議会
構造形式 鉄骨構造[45]
延床面積 830.9 m2[45]
階数 1階[45]
着工 1989年
竣工 1989年12月
所在地 029-3404
岩手県一関市藤沢町徳田字馬場37-1
位置 北緯38度51分58.38秒 東経141度22分27.58秒 / 北緯38.8662167度 東経141.3743278度 / 38.8662167; 141.3743278 (コミュニティ体育館徳田ふれあいランド)
テンプレートを表示

指定管理者制度を導入しており、徳田地区住民自治協議会が担っている。

施設概要

[編集]

主な施設。

  • 校舎(1,450 m2[2]) - 1979年竣工の鉄筋コンクリート造3階建て[41][46]
  • 体育館(830.9 m2[45]) - 1989年竣工の鉄骨造平屋建て[41][45]
  • 校庭
  • プール(600 m2[2]) -
  • 観察池

児童・学級数

[編集]

年度以降の児童数と学級数の推移。1875年度から1877年度、1907年度以降は毎年度掲載。

年度 児童数 増減 学級数 増減 出典 備考
1875(明治8)年度 75 不明 [15]
1876(明治9)年度 50 -25 [16]
1877(明治10)年度 49 -1 [47]
1881(明治14)年度 39 -10 [17]
1907(明治40)年度 206 167 2 [48]
1908(明治41)年度 207 1 3 1 [49]
1909(明治42)年度 141 -66 不明 [50] 補習学校開設
1910(明治43)年度 161 20 5 [50][51]
1911(明治44)年度 140 -21 不明 [50]
1912(明治45)年度 168 28
1913(大正2)年度 125 -43 2 [50][31] 学級数は尋常科のみ
1914(大正3)年度 125 0 2
1915(大正4)年度 126 1 3
1916(大正5)年度 136 10 3
1917(大正6)年度 138 2 3
1918(大正7)年度 144 6 5 [50][52]
1919(大正8)年度 150 6 不明 [50]
1920(大正9)年度 143 -7
1921(大正10)年度 140 -3
1922(大正11)年度 128 -12 5 [50][53]
1923(大正12)年度 131 3 不明 [50]
1924(大正13)年度 139 8
1925(大正14)年度 147 8
1926(大正15)年度 159 12 3 [54]
1927(昭和2)年度 173 14 不明 [50]
1928(昭和3)年度 180 7
1929(昭和4)年度 191 11
1930(昭和5)年度 190 -1 5(1) [55] 高等科開設
1931(昭和6)年度 202 12 5(1) 0 [55][56]
1932(昭和7)年度 211 9 5(1) 0 [55]
1933(昭和8)年度 224 13 5(1) 0 [55][57]
1934(昭和9)年度 217 -7 6(1) 1 [55][58]
1935(昭和10)年度 217 0 7(不明) 1 [55]
1936(昭和11)年度 220 3 7(不明) 0
1937(昭和12)年度 212 -8 8(2) 1
1938(昭和13)年度 205 -7 8(2) 0
1939(昭和14)年度 210 5 8(2) 0
1940(昭和15)年度 226 16 8(2) 0
1941(昭和16)年度 218 -8 7(1) -1 [59]
1942(昭和17)年度 214 -4 7(1) 0
1943(昭和18)年度 206 -8 6(1) -2
1944(昭和19)年度 243 37 6(1) 0 [55]
1945(昭和20)年度 223 -20 6(1) 0
1946(昭和21)年度 210 -13 6(1) 0
1947(昭和22)年度 218 8 6 0 6・3制施行
1948(昭和23)年度 214 -4 6 0 [59]
1949(昭和24)年度 196 -18 6 0
1950(昭和25)年度 204 8 6 0
1951(昭和26)年度 184 -20 6 0
1952(昭和27)年度 177 -7 6 0
1953(昭和28)年度 167 -10 6 0 [60]
1954(昭和29)年度 176 9 6 0
1955(昭和30)年度 202 26 6 0 [50][60]
1956(昭和31)年度 197 -5 6 0 [60]
1957(昭和32)年度 211 14 6 0
1958(昭和33)年度 222 11 6 0
1959(昭和34)年度 226 4 6 0
1960(昭和35)年度 213 -13 6 0 [50][60]
1961(昭和36)年度 199 -14 6 0 [60]
1962(昭和37)年度 202 3 6 0
1963(昭和38)年度 180 -22 6 0
1964(昭和39)年度 171 -9 6 0
1965(昭和40)年度 162 -9 6 0
1966(昭和41)年度 151 -11 6 0
1967(昭和42)年度 141 -10 6 0
1968(昭和43)年度 123 -18 6 0 [61]
1969(昭和44)年度 129 6 6 0 [50][60]
1970(昭和45)年度 125 -4 6 0 [60]
1971(昭和46)年度 116 -9 6 0
1972(昭和47)年度 108 -8 6 0
1973(昭和48)年度 101 -7 6 0 [62]
1974(昭和49)年度 99 -2 6 0 [63]
1975(昭和50)年度 88 -11 6 0 [64]
1976(昭和51)年度 78 -10 6 0 [65]
1977(昭和52)年度 69 -9 5 0 [66] 複式学級発生
1978(昭和53)年度 69 0 5 0 [67]
1979(昭和54)年度 63 -6 5 0 [68]
1980(昭和55)年度 67 4 5 0 [69]
1981(昭和56)年度 66 -1 5 0 [70]
1982(昭和57)年度 73 7 6 1 [71] 複式学級解消
1983(昭和58)年度 80 7 6 0 [72]
1984(昭和59)年度 80 0 6 0 [73]
1985(昭和60)年度 94 14 6 0 [74]
1986(昭和61)年度 86 -8 6 0 [42]
1987(昭和62)年度 90 4 6 0
1988(昭和63)年度 90 0 6 0
1989(平成元)年度 90 0 6 0
1990(平成2)年度 74 -16 不明 [75]
1991(平成3)年度 66 -8
1992(平成4)年度 68 2 5
1993(平成5)年度 61 -7 不明 [76]
1994(平成6)年度 60 -1
1995(平成7)年度 55 -5
1996(平成8)年度 53 -2
1997(平成9)年度 54 1 5 [77]
1998(平成10)年度 58 4 5 0
1999(平成11)年度 57 -1 5 0
2000(平成12)年度 52 -42 5 -1 [78]
2001(平成13)年度 56 4 5 0 [79]
2002(平成14)年度 62 6 6 1 [80] 複式学級解消
2003(平成15)年度 56 -6 5 -1 [81] 複式学級発生
2004(平成16)年度 52 -4 5 0 [82]
2005(平成17)年度 54 2 5 0 [83]
2006(平成18)年度 49 -5 5 0 [84]
2007(平成19)年度 45 -4 4 -1 [85]
2008(平成20)年度 40 -5 4 0 [86] 閉校
※学級数内の括弧は高等科の学級数(内数)

学区

[編集]

開校時から藤沢町徳田地区を学区としていた。藤沢町の北東部を占める徳田地区は、

進学先の中学校

[編集]
  • 藤沢町立八沢中学校(藤沢町新沼) - 1947年度から1968年度
  • 藤沢町立藤沢中学校八沢校舎(藤沢町新沼) - 1969年度から1971年度
  • 藤沢町立藤沢中学校(藤沢町藤沢) - 1972年度以降

藤沢町立徳田保育園

[編集]
藤沢町立徳田保育園
過去の名称 藤沢町立徳田保育所
国公私立の別 公立
施設種別 保育所
設置者 藤沢町
設立年月日 1974年4月1日
閉園年月日 2009年3月31日
定員 30人
所在地 029-3404
岩手県東磐井郡藤沢町徳田字馬場37
外部リンク 公式サイト未開設
プロジェクト:保育園テンプレート
テンプレートを表示

サブプールを借用していた。町内でも水深深い

アクセス

[編集]

徳田地区の中央部、砂子田川沿いに位置していた。

自動車

[編集]

周辺

[編集]
  • 徳田交流館
  • 西光寺

関連項目

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 現在の砂子田川を指している[10]。校歌作成当時、黄金山から流れる揚戸渓と山口渓が合流する地点から、大平川へ注ぐ砂子田字銭塚までを徳田川と称していた[11]
  2. ^ 星惣七はこのほか、1873年に学資金として65両(≒2.45 kg)を寄付している[18]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 137.
  2. ^ a b c 旧徳田小学校”. 岩手県企業立地ガイド. 岩手県. 2011年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月30日閲覧。
  3. ^ 藤沢町教育委員会 2011, p. 345.
  4. ^ a b 笑顔あふれる学校に 新生・藤沢小が開校」『岩手日日』2009年4月10日。オリジナルの2009年4月16日時点におけるアーカイブ。2024年5月30日閲覧。
  5. ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 131–132.
  6. ^ a b c d e f g h i まちの総合情報誌ふじさわ No.663”. 藤沢町. pp. 6-7,16 (2009年4月15日). 2011年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月30日閲覧。
  7. ^ トーバン印刷株式会社 2016, pp. 5, 38–39.
  8. ^ a b 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 132–133.
  9. ^ 佐々木正太郎『岩手の校歌ものがたり』ツーワンライフ、2000年4月1日、237頁。ISBN 4-924981-22-2 
  10. ^ 砂子田川 8202040150 北上川水系 地図”. Geoshapeリポジトリ. 人文学オープンデータ共同利用センター. 2024年5月30日閲覧。
  11. ^ 東北地方建設局岩手工事事務所 編『北上川 第4輯』岩手工事事務所、1975年1月25日、6-7,232頁。doi:10.11501/9669281 
  12. ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 133.
  13. ^ 保育園長兼務の手当廃止<藤沢町>」『岩手日報』2000年3月10日。オリジナルの2005年10月31日時点におけるアーカイブ。2024年4月18日閲覧。
  14. ^ a b 徳田小学校創立百周年記念事業実行委員会 1973, p. 10.
  15. ^ a b 『日本帝国文部省年報 第3 明治8年 第2冊』文部省、1875年、937頁。doi:10.11501/809146 
  16. ^ a b 『日本帝国文部省年報 第4 明治9年 第2冊』文部省、1009頁。doi:10.11501/809148 
  17. ^ a b 『学校幼稚園書籍館博物館一覧表 明治14年』文部省、1882年、867頁。doi:10.11501/812644 
  18. ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 534.
  19. ^ 藤沢町史編纂委員会 1984, p. 178.
  20. ^ a b c d 徳田小学校創立百周年記念事業実行委員会 1973, p. 12.
  21. ^ a b 徳田小学校創立百周年記念事業実行委員会 1973, p. 18.
  22. ^ 岩手・一関『ひがしいわいの校歌集』26曲目 藤沢町立徳田小学校校歌”. トーバン印刷株式会社 (2017年1月26日). 2023年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月2日閲覧。
  23. ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 131, 135.
  24. ^ 藤沢町立徳田小学校閉校事業実行委員会記念誌部 2009, p. 26.
  25. ^ 徳田小学校創立百周年記念事業実行委員会 1973, p. 13.
  26. ^ a b c d e f 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 132.
  27. ^ 徳田小学校創立百周年記念事業実行委員会 1973, pp. 3, 13, 19.
  28. ^ a b 東磐井教育長協議会 1973, p. 127.
  29. ^ a b c 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 191.
  30. ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 132, 191.
  31. ^ a b 徳田小学校創立百周年記念事業実行委員会 1973, p. 19.
  32. ^ 菊地隆『追憶 藤沢町立徳田小学校閉校記念誌 昭和10年度~昭和37年度』菊地隆、2010年5月。 
  33. ^ 徳田小学校創立百周年記念事業実行委員会 1973, p. 16.
  34. ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 136, 191.
  35. ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 164–165.
  36. ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 132, 136.
  37. ^ 「32年間ありがとう 藤沢町徳田小 解体の講堂にお別れ」『岩手日日』1989年7月9日。
  38. ^ a b 藤沢町立徳田小学校閉校事業実行委員会記念誌部 2009, p. 27.
  39. ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 136.
  40. ^ 藤沢町史編纂委員会 1984, p. 469.
  41. ^ a b c d e f g 藤沢町教育委員会 2011, p. 353.
  42. ^ a b c 藤沢町立徳田小学校閉校事業実行委員会記念誌部 2009, p. 28.
  43. ^ 藤沢町教育委員会 2011, pp. 342, 353.
  44. ^ a b c d 藤沢町立徳田小学校閉校事業実行委員会記念誌部 2009, p. 30.
  45. ^ a b c d e 一関市公共施設白書 第4章”. 一関市. p. 53 (2016年11月10日). 2024年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月11日閲覧。
  46. ^ 藤沢町史編纂委員会 1984, p. 477.
  47. ^ 『日本帝国文部省年報 第5 明治10年 第2冊』文部省、1049頁。doi:10.11501/809150 
  48. ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 132,138.
  49. ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 132, 135, 138.
  50. ^ a b c d e f g h i j k l 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 139.
  51. ^ 『帝国小学校名簿』東京書籍商組合、1910年10月、374頁。doi:10.11501/813004 
  52. ^ 東京書籍商組合『帝国小学校名簿 再版』東京書籍商組合事務所、1919年3月19日、407頁。doi:10.11501/939365 
  53. ^ 東京書籍商組合『全国小学校名簿』東京書籍商組合事務所、1922年11月25日、444頁。doi:10.11501/939366 
  54. ^ 帝国地方行政学会『全国学校名鑑 大正15年版』帝国地方行政学会、1926年3月20日、714頁。doi:10.11501/937724 
  55. ^ a b c d e f g 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 132, 139.
  56. ^ 岩手県『岩手県統計書 昭和6年 第2編 敎育』岩手県、1933年3月31日、22-23頁。doi:10.11501/1710165 
  57. ^ 岩手県『岩手県統計書 昭和8年 第2編』岩手県、1935年3月30日、22-23頁。doi:10.11501/1451426 
  58. ^ 岩手県『岩手県統計書 昭和9年 第2編』岩手県、1936年3月30日、22-23頁。doi:10.11501/1451447 
  59. ^ a b 徳田小学校創立百周年記念事業実行委員会 1973, p. 20.
  60. ^ a b c d e f g 徳田小学校創立百周年記念事業実行委員会 1973, pp. 20–21.
  61. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和44年版』文化研究社、1969年2月15日、84頁。doi:10.11501/9528544 
  62. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和49年版』文化研究社、1974年2月1日、81頁。doi:10.11501/12246885 
  63. ^ 福武書店『全国学校名鑑 昭和50年版』福武書店、1974年10月1日、807頁。doi:10.11501/12244266 
  64. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和50年度』岩手県教育委員会、1975年8月、46頁。doi:10.11501/12114708 
  65. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和51年度』岩手県教育委員会、1976年8月、52頁。doi:10.11501/12109822 
  66. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和52年度』岩手県教育委員会、1977年、48頁。doi:10.11501/12111553 
  67. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和53年度』岩手県教育委員会、1978年、48頁。doi:10.11501/12111552 
  68. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和54年度』岩手県教育委員会、1979年、50頁。doi:10.11501/12111551 
  69. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和55年度』岩手県教育委員会、1980年、56頁。doi:10.11501/12111550 
  70. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和56年度』岩手県教育委員会、1981年、98頁。doi:10.11501/12111632 
  71. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和57年度』岩手県教育委員会、1982年、96頁。doi:10.11501/12111631 
  72. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和58年度』岩手県教育委員会、1983年、94頁。doi:10.11501/12111633 
  73. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和59年度』岩手県教育委員会、1984年、96頁。doi:10.11501/12111494 
  74. ^ 岩手県教育委員会『学校一覧 昭和60年度』岩手県教育委員会、1985年、96頁。doi:10.11501/12111488 
  75. ^ 藤沢町立徳田小学校閉校事業実行委員会記念誌部 2009, pp. 28, 35.
  76. ^ 藤沢町立徳田小学校閉校事業実行委員会記念誌部 2009, p. 29.
  77. ^ 藤沢町立徳田小学校閉校事業実行委員会記念誌部 2009, pp. 29, 42.
  78. ^ 千厩地域の小・中学校”. 岩手県内の学校一覧. 岩手県. 2001年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月8日閲覧。
  79. ^ 千厩地域の小・中学校”. 岩手県内の学校一覧. 岩手県. 2002年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月8日閲覧。
  80. ^ 千厩地域の小・中学校”. 岩手県内の学校一覧. 岩手県. 2003年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月8日閲覧。
  81. ^ 学校一覧 平成15年度”. 岩手県. p. 34 (2003年10月). 2004年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月8日閲覧。
  82. ^ 学校一覧 平成16年度”. 岩手県. p. 34 (2004年10月). 2004年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月8日閲覧。
  83. ^ 学校一覧 平成17年度”. 岩手県. p. 36 (2005年11月). 2007年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月8日閲覧。
  84. ^ 学校一覧 平成18年度”. 岩手県. p. 36 (2006年9月). 2023年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月8日閲覧。
  85. ^ 学校一覧 平成19年度”. 岩手県. p. 36 (2007年10月). 2023年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月8日閲覧。
  86. ^ 学校一覧 平成20年度”. 岩手県. p. 38 (2008年10月). 2023年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月8日閲覧。
  87. ^ まちの総合情報誌ふじさわ No.633”. 藤沢町. p. 32 (2006年10月). 2011年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月3日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 藤沢町史編纂委員会 編『藤沢町史 本編 中』藤沢町、1984年2月25日。doi:10.11501/9571179NCID BN04810187 
  • 藤沢町史編纂委員会 編『藤沢町史 本編 下』藤沢町、1981年3月25日。doi:10.11501/9570523NCID BN04810187 
  • 藤沢町教育委員会 編『藤沢町史 現代編』藤沢町、2011年9月25日。 
  • 徳田小学校創立百周年記念事業実行委員会 編『百年史』徳田小学校創立百周年記念事業実行委員会、1973年11月。 
  • 藤沢町立徳田小学校閉校事業実行委員会記念誌部 編『藤沢町立徳田小学校閉校記念誌「とくだ」』藤沢町立徳田小学校閉校事業実行委員会、2009年3月。 
  • トーバン印刷株式会社 編『ひがしいわいの校歌集』トーバン印刷株式会社、2016年12月20日。ISBN 978-4-9909119-0-4 

でふぁうるとそおと・きゃっと

[編集]

DEFAULTSORT→ふしさわちようりつとくたしよう

Cat→岩手県の公立小学校 (廃止)、一関市の小学校:ふしさわちようりつとくた、一関市の歴史:ふしさわちようりつとくたしようかつこう、学校記事

リダイレクト

[編集]

リダイレクト→藤沢町立徳田保育園/ふしさわちようりつとくたほいくえん/日本の公立保育所:ふしさわちようりつとくた、一関市の建築物、一関市の歴史、1974年開業の施設、2009年廃止の施設

略リダイレクト→徳田保育園

リダイレクト→コミュニティ体育館徳田ふれあいランド/こみゆにていたいいくかんとくたふれあいらんと/東北地方の屋内競技施設、岩手県のスポーツ施設、一関市の建築物、廃校活用施設、1989年竣工の日本の建築物、2010年開設のスポーツ施設

略リダイレクト→徳田ふれあいランド/とくたふれあいらんと