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藤沢町立徳田小学校
[編集]藤沢町立徳田小学校 | |
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校舎・体育館外観(2024年4月) | |
北緯38度51分58.42秒 東経141度22分25.93秒 / 北緯38.8662278度 東経141.3738694度座標: 北緯38度51分58.42秒 東経141度22分25.93秒 / 北緯38.8662278度 東経141.3738694度 | |
過去の名称 |
第七大学区二十中学徳田小学 岩手県公立徳田小学校 八沢村立徳田尋常小学校 八沢村立徳田尋常高等小学校 八沢村立徳田国民学校 八沢村立徳田小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
徳田村(1873年 - 1875年) 八沢村(1875年 - 1883年) 徳田村(1883年 - 1889年) 八沢村(1889年 - 1955年) 藤沢町(1955年 - 2009年) |
設立年月日 | 1873年5月 |
閉校年月日 | 2009年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
校地面積 | 6,913 m2[1] |
校舎面積 | 1,450 m2[2] |
所在地 | 〒029-3404 |
岩手県東磐井郡藤沢町徳田字馬場37 (現:岩手県一関市藤沢町徳田字馬場37) | |
外部リンク | 公式サイト未開設 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
藤沢町立徳田小学校(ふじさわちょうりつ とくだしょうがっこう)は、岩手県東磐井郡藤沢町(現:一関市藤沢町)にあった公立小学校。略称は徳小(とくしょう)。
隣接していた藤沢町立徳田保育園についても記載する。
概要
[編集]学制の発布により1873年に開校し、児童数の減少により2009年をもって閉校した小学校である[3][4]。校名に「徳田」を冠していたのは、この地区一帯を指す地名が由来する。なお校名は、勅令や設置自治体の変遷などによって6回変更しており、閉校時の校名(藤沢町立徳田小学校)を名乗ったのは1955年からである[5][6]。
校歌は新旧2つある。旧校歌は千葉春村が作詞を手掛けたが、作曲者は不明であり、制定された時期も不明である。歌は2番までで、リズムは4分の2拍子となっている[7]。新校歌は開校百周年に際して作成され、荒川協平が作詞し、千葉了道が作曲を手掛けた[8]。リズムは4分の4拍子で、調はヘ長調である[9]。歌は4番まであり、地区の東に聳える「黄金山」や学校前を流れる「徳田川[注 1]」などの地域性を表す語句が含まれている。また、各番の最後は「徳田小学校 わが母校」で統一している[12]。
隣接する藤沢町立徳田保育園と幼小連携教育を行っていた。藤沢町が進める連携教育の一環として、校長は保育園の園長を兼務したり、児童は園児と一緒に遊ぶなどして交流を重ねていた[6][13]。
閉校後、体育館は後述するコミュニティ体育館に転用されている。
特色ある教育活動
[編集]俳句
[編集]俳句活動
'86年にNHKらじおで全国放送
田植え踊り
[編集]田植え踊り
1997年オーストラリア公演
スポーツ少年団
[編集]ソフトボール部、郡大会で3年連続優勝
卓球部
沿革
[編集]創立期
[編集]徳田小学校の起源は、1872年(明治5年)8月に発せられた学制にある。村単位で公立学校を設けるように命じられ、徳田村にも早急な設置が求められた。徳田村における教育は学制発布以前から行われており、村内各地で私塾が開かれていた。そのうちの一つで、かつ村役場を置く安栄山西光寺(徳田字馬場44番地)に学校を設けることとし、翌1873年(明治6年)5月に第七大学区二十中学徳田小学(別名:徳田村公立小学校)を開校した。その後、1876年(明治9年)には校名を「岩手県公立徳田小学校」に改めた[14]。開校当初の児童は男子が圧倒的に多く、女子がいない年も見られた[15][16][17]。
1886年(明治19年)、開校した西光寺は仮校舎であったため、戸長の館沢豊三郎が移転に乗り出した。地区の有志と校舎を設計し、寺の下にある砂子田川沿いの畑地を建設場所に定めた。この土地は元戸長の星惣七[注 2]とほか1名から寄付されたもので、面積は776坪(≒2,565.29 m2)であった。先行して教員住宅から建設に着手し、校舎は1890年(明治23年)11月から取り掛かった。校舎に用いた材料は、元岩手県会議員でのちに八沢村長となる佐藤亮助から寄付された[19]。当時の村長や先述した寄府者などが昼夜を分かたず建設にあたり、翌1891年(明治24年)に縦4間半・横9間の木造2階建て校舎を落成した。一連の工事にかかった費用約780円は、地区の有志からの寄付で賄った。その後「八沢村立徳田尋常小学校」に改称し、同年11月には開校式を行った[20]。この頃の児童数は記録が残っていないが、学級は1クラスであった[21]。
仮見出し---
[編集]1900年(明治33年)9月、小学校令が改正されたことにより、翌1901年(明治34年)に補習科を開設するも、3年後の1904年(明治37年)に廃止した。1907年(明治40年)3月には再度小学校令が改正され、修業年限が4年から6年に延長された。既存の教室は2部屋しかないため、新たに校舎を設けることにした。校舎西側にある教員住宅に
戦後
[編集]k
[22]給食センターからの給食開始:中p464
仮見出し
[編集]閉校後
[編集]校舎の活用、体育館
年表
[編集]- 1873年(明治6年)5月 - 「第七大学区二十中学徳田小学」(別名:徳田村公立小学校)として、西光寺を仮校舎として開校[23]。
- 1876年(明治9年)5月 - 「岩手県公立徳田小学校」に改称[14]。
- 1891年(明治24年)
- 1895年(明治28年)5月 - 補習科を開設[24]。
- 1901年(明治34年)5月 - 小学校令改正に伴い、補習科を開設(1904年3月廃止[25])[26]。
- 1907年(明治40年) - 裁縫科と唱歌科を加設[21]。
- 1908年(明治41年)4月 - 西校舎を落成[27]。
- 1909年(明治42年)
- 1921年(大正10年)6月9日 - 農業補習学校に後期部を新設し、八沢農業補習学校に改称[29]。
- 1926年(大正15年) - 青年訓練所令施行に伴い、徳田青年訓練所を併設[29]。
- 1930年(昭和5年)
- 1935年(昭和10年)6月11日 - 青年学校令施行に伴い、八沢村立徳田青年学校を併設[28]。
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令施行に伴い、「八沢村立徳田国民学校」に改称[32]。
- 1945年(昭和20年)4月1日 - 八沢村立八沢青年学校を併設(1948年3月廃止[33])[34]。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学校教育法施行に伴い、「八沢村立徳田小学校」に改称[26]。八沢村立八沢中学校徳田分教室を併設[35]。
- 1952年(昭和27年)5月 - 新校舎を落成[26]。
- 1953年(昭和28年)10月 - 校庭を拡張。教員住宅を移転[26]。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 町村合併に伴い、「藤沢町立徳田小学校」に改称[26]。
- 1957年(昭和32年)5月17日 - 講堂(313 m2)を落成[36][37]。
- 1964年(昭和39年)1月 - 徳田小学校子ども会の歌を制定[38][6]。
- 1972年(昭和47年)11月 - 第11回一茶まつり全国小中学校俳句大会にて「学校褒賞」を受賞[38]。
- 1973年(昭和48年)11月8日 - 新校歌と校旗を制定[8]。
- 1974年(昭和49年)4月 - 給食を開始[39]。
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)11月 - 第16回一茶まつり全国小中学校俳句大会にて「須藤賞」を受賞[1][6]。
- 1979年(昭和54年)3月 - 新校舎を落成[41]。
- 1982年(昭和57年) - 徳田保育所との幼小連携教育を開始。
- 1986年(昭和61年)
- 1989年(平成元年)12月 - 屋内運動場を落成[41]。
- 1990年(平成2年)4月 - 校庭を拡張[43]。
- 1992年(平成4年)8月 - 観察池を設置[42]。
- 1998年(平成10年)1月 - 岩手県健康安全優良校として表彰[41]。
- 2004年(平成16年) - 読書活動フロンティアスクールに指定(2006年度まで)[44]。
- 2006年(平成18年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
閉校後
[編集]- 2010年(平成22年)4月1日 - 体育館を「コミュニティ体育館徳田ふれあいランド」として開設。
コミュニティ体育館徳田ふれあいランド
[編集]コミュニティ体育館徳田ふれあいランド | |
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裏手からの外観(2023年8月) | |
施設情報 | |
用途 |
屋内スポーツ コミュニティ |
旧用途 | 藤沢町立徳田小学校体育館 |
管理運営 |
一関市 徳田地区住民自治協議会 |
構造形式 | 鉄骨構造[45] |
延床面積 | 830.9 m2[45] |
階数 | 1階[45] |
着工 | 1989年 |
竣工 | 1989年12月 |
所在地 |
〒029-3404 岩手県一関市藤沢町徳田字馬場37-1 |
位置 | 北緯38度51分58.38秒 東経141度22分27.58秒 / 北緯38.8662167度 東経141.3743278度 |
指定管理者制度を導入しており、徳田地区住民自治協議会が担っている。
施設概要
[編集]主な施設。
- 校舎(1,450 m2[2]) - 1979年竣工の鉄筋コンクリート造3階建て[41][46]
- 体育館(830.9 m2[45]) - 1989年竣工の鉄骨造平屋建て[41][45]
- 校庭
- プール(600 m2[2]) -
- 観察池
児童・学級数
[編集]年度以降の児童数と学級数の推移。1875年度から1877年度、1907年度以降は毎年度掲載。
年度 | 児童数 | 増減 | 学級数 | 増減 | 出典 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1875(明治8)年度 | 75 | 不明 | [15] | |||
1876(明治9)年度 | 50 | -25 | [16] | |||
1877(明治10)年度 | 49 | -1 | [47] | |||
1881(明治14)年度 | 39 | -10 | [17] | |||
1907(明治40)年度 | 206 | 167 | 2 | [48] | ||
1908(明治41)年度 | 207 | 1 | 3 | 1 | [49] | |
1909(明治42)年度 | 141 | -66 | 不明 | [50] | 補習学校開設 | |
1910(明治43)年度 | 161 | 20 | 5 | [50][51] | ||
1911(明治44)年度 | 140 | -21 | 不明 | [50] | ||
1912(明治45)年度 | 168 | 28 | ||||
1913(大正2)年度 | 125 | -43 | 2 | [50][31] | 学級数は尋常科のみ | |
1914(大正3)年度 | 125 | 0 | 2 | |||
1915(大正4)年度 | 126 | 1 | 3 | |||
1916(大正5)年度 | 136 | 10 | 3 | |||
1917(大正6)年度 | 138 | 2 | 3 | |||
1918(大正7)年度 | 144 | 6 | 5 | [50][52] | ||
1919(大正8)年度 | 150 | 6 | 不明 | [50] | ||
1920(大正9)年度 | 143 | -7 | ||||
1921(大正10)年度 | 140 | -3 | ||||
1922(大正11)年度 | 128 | -12 | 5 | [50][53] | ||
1923(大正12)年度 | 131 | 3 | 不明 | [50] | ||
1924(大正13)年度 | 139 | 8 | ||||
1925(大正14)年度 | 147 | 8 | ||||
1926(大正15)年度 | 159 | 12 | 3 | [54] | ||
1927(昭和2)年度 | 173 | 14 | 不明 | [50] | ||
1928(昭和3)年度 | 180 | 7 | ||||
1929(昭和4)年度 | 191 | 11 | ||||
1930(昭和5)年度 | 190 | -1 | 5(1) | [55] | 高等科開設 | |
1931(昭和6)年度 | 202 | 12 | 5(1) | 0 | [55][56] | |
1932(昭和7)年度 | 211 | 9 | 5(1) | 0 | [55] | |
1933(昭和8)年度 | 224 | 13 | 5(1) | 0 | [55][57] | |
1934(昭和9)年度 | 217 | -7 | 6(1) | 1 | [55][58] | |
1935(昭和10)年度 | 217 | 0 | 7(不明) | 1 | [55] | |
1936(昭和11)年度 | 220 | 3 | 7(不明) | 0 | ||
1937(昭和12)年度 | 212 | -8 | 8(2) | 1 | ||
1938(昭和13)年度 | 205 | -7 | 8(2) | 0 | ||
1939(昭和14)年度 | 210 | 5 | 8(2) | 0 | ||
1940(昭和15)年度 | 226 | 16 | 8(2) | 0 | ||
1941(昭和16)年度 | 218 | -8 | 7(1) | -1 | [59] | |
1942(昭和17)年度 | 214 | -4 | 7(1) | 0 | ||
1943(昭和18)年度 | 206 | -8 | 6(1) | -2 | ||
1944(昭和19)年度 | 243 | 37 | 6(1) | 0 | [55] | |
1945(昭和20)年度 | 223 | -20 | 6(1) | 0 | ||
1946(昭和21)年度 | 210 | -13 | 6(1) | 0 | ||
1947(昭和22)年度 | 218 | 8 | 6 | 0 | 6・3制施行 | |
1948(昭和23)年度 | 214 | -4 | 6 | 0 | [59] | |
1949(昭和24)年度 | 196 | -18 | 6 | 0 | ||
1950(昭和25)年度 | 204 | 8 | 6 | 0 | ||
1951(昭和26)年度 | 184 | -20 | 6 | 0 | ||
1952(昭和27)年度 | 177 | -7 | 6 | 0 | ||
1953(昭和28)年度 | 167 | -10 | 6 | 0 | [60] | |
1954(昭和29)年度 | 176 | 9 | 6 | 0 | ||
1955(昭和30)年度 | 202 | 26 | 6 | 0 | [50][60] | |
1956(昭和31)年度 | 197 | -5 | 6 | 0 | [60] | |
1957(昭和32)年度 | 211 | 14 | 6 | 0 | ||
1958(昭和33)年度 | 222 | 11 | 6 | 0 | ||
1959(昭和34)年度 | 226 | 4 | 6 | 0 | ||
1960(昭和35)年度 | 213 | -13 | 6 | 0 | [50][60] | |
1961(昭和36)年度 | 199 | -14 | 6 | 0 | [60] | |
1962(昭和37)年度 | 202 | 3 | 6 | 0 | ||
1963(昭和38)年度 | 180 | -22 | 6 | 0 | ||
1964(昭和39)年度 | 171 | -9 | 6 | 0 | ||
1965(昭和40)年度 | 162 | -9 | 6 | 0 | ||
1966(昭和41)年度 | 151 | -11 | 6 | 0 | ||
1967(昭和42)年度 | 141 | -10 | 6 | 0 | ||
1968(昭和43)年度 | 123 | -18 | 6 | 0 | [61] | |
1969(昭和44)年度 | 129 | 6 | 6 | 0 | [50][60] | |
1970(昭和45)年度 | 125 | -4 | 6 | 0 | [60] | |
1971(昭和46)年度 | 116 | -9 | 6 | 0 | ||
1972(昭和47)年度 | 108 | -8 | 6 | 0 | ||
1973(昭和48)年度 | 101 | -7 | 6 | 0 | [62] | |
1974(昭和49)年度 | 99 | -2 | 6 | 0 | [63] | |
1975(昭和50)年度 | 88 | -11 | 6 | 0 | [64] | |
1976(昭和51)年度 | 78 | -10 | 6 | 0 | [65] | |
1977(昭和52)年度 | 69 | -9 | 5 | 0 | [66] | 複式学級発生 |
1978(昭和53)年度 | 69 | 0 | 5 | 0 | [67] | |
1979(昭和54)年度 | 63 | -6 | 5 | 0 | [68] | |
1980(昭和55)年度 | 67 | 4 | 5 | 0 | [69] | |
1981(昭和56)年度 | 66 | -1 | 5 | 0 | [70] | |
1982(昭和57)年度 | 73 | 7 | 6 | 1 | [71] | 複式学級解消 |
1983(昭和58)年度 | 80 | 7 | 6 | 0 | [72] | |
1984(昭和59)年度 | 80 | 0 | 6 | 0 | [73] | |
1985(昭和60)年度 | 94 | 14 | 6 | 0 | [74] | |
1986(昭和61)年度 | 86 | -8 | 6 | 0 | [42] | |
1987(昭和62)年度 | 90 | 4 | 6 | 0 | ||
1988(昭和63)年度 | 90 | 0 | 6 | 0 | ||
1989(平成元)年度 | 90 | 0 | 6 | 0 | ||
1990(平成2)年度 | 74 | -16 | 不明 | [75] | ||
1991(平成3)年度 | 66 | -8 | ||||
1992(平成4)年度 | 68 | 2 | 5 | |||
1993(平成5)年度 | 61 | -7 | 不明 | [76] | ||
1994(平成6)年度 | 60 | -1 | ||||
1995(平成7)年度 | 55 | -5 | ||||
1996(平成8)年度 | 53 | -2 | ||||
1997(平成9)年度 | 54 | 1 | 5 | [77] | ||
1998(平成10)年度 | 58 | 4 | 5 | 0 | ||
1999(平成11)年度 | 57 | -1 | 5 | 0 | ||
2000(平成12)年度 | 52 | -42 | 5 | -1 | [78] | |
2001(平成13)年度 | 56 | 4 | 5 | 0 | [79] | |
2002(平成14)年度 | 62 | 6 | 6 | 1 | [80] | 複式学級解消 |
2003(平成15)年度 | 56 | -6 | 5 | -1 | [81] | 複式学級発生 |
2004(平成16)年度 | 52 | -4 | 5 | 0 | [82] | |
2005(平成17)年度 | 54 | 2 | 5 | 0 | [83] | |
2006(平成18)年度 | 49 | -5 | 5 | 0 | [84] | |
2007(平成19)年度 | 45 | -4 | 4 | -1 | [85] | |
2008(平成20)年度 | 40 | -5 | 4 | 0 | [86] | 閉校 |
※学級数内の括弧は高等科の学級数(内数) |
学区
[編集]開校時から藤沢町徳田地区を学区としていた。藤沢町の北東部を占める徳田地区は、
進学先の中学校
[編集]- 藤沢町立八沢中学校(藤沢町新沼) - 1947年度から1968年度
- 藤沢町立藤沢中学校八沢校舎(藤沢町新沼) - 1969年度から1971年度
- 藤沢町立藤沢中学校(藤沢町藤沢) - 1972年度以降
藤沢町立徳田保育園
[編集]藤沢町立徳田保育園 | |
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過去の名称 | 藤沢町立徳田保育所 |
国公私立の別 | 公立 |
施設種別 | 保育所 |
設置者 | 藤沢町 |
設立年月日 | 1974年4月1日 |
閉園年月日 | 2009年3月31日 |
定員 | 30人 |
所在地 | 〒029-3404 |
岩手県東磐井郡藤沢町徳田字馬場37 | |
外部リンク | 公式サイト未開設 |
プロジェクト:保育園テンプレート |
サブプールを借用していた。町内でも水深深い
アクセス
[編集]徳田地区の中央部、砂子田川沿いに位置していた。
自動車
[編集]周辺
[編集]- 徳田交流館
- 西光寺
関連項目
[編集]- 岩手県小学校の廃校一覧
- 聖ウルスラ学院高等学校 - 2006年9月、生徒が藤沢町へホームステイをした際に交流学習を行った[44][87]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 137.
- ^ a b c “旧徳田小学校”. 岩手県企業立地ガイド. 岩手県. 2011年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月30日閲覧。
- ^ 藤沢町教育委員会 2011, p. 345.
- ^ a b 「笑顔あふれる学校に 新生・藤沢小が開校」『岩手日日』2009年4月10日。オリジナルの2009年4月16日時点におけるアーカイブ。2024年5月30日閲覧。
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 131–132.
- ^ a b c d e f g h i “まちの総合情報誌ふじさわ No.663”. 藤沢町. pp. 6-7,16 (2009年4月15日). 2011年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月30日閲覧。
- ^ トーバン印刷株式会社 2016, pp. 5, 38–39.
- ^ a b 藤沢町史編纂委員会 1981, pp. 132–133.
- ^ 佐々木正太郎『岩手の校歌ものがたり』ツーワンライフ、2000年4月1日、237頁。ISBN 4-924981-22-2。
- ^ “砂子田川 8202040150 北上川水系 地図”. Geoshapeリポジトリ. 人文学オープンデータ共同利用センター. 2024年5月30日閲覧。
- ^ 東北地方建設局岩手工事事務所 編『北上川 第4輯』岩手工事事務所、1975年1月25日、6-7,232頁。doi:10.11501/9669281。
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 133.
- ^ 「保育園長兼務の手当廃止<藤沢町>」『岩手日報』2000年3月10日。オリジナルの2005年10月31日時点におけるアーカイブ。2024年4月18日閲覧。
- ^ a b 徳田小学校創立百周年記念事業実行委員会 1973, p. 10.
- ^ a b 『日本帝国文部省年報 第3 明治8年 第2冊』文部省、1875年、937頁。doi:10.11501/809146。
- ^ a b 『日本帝国文部省年報 第4 明治9年 第2冊』文部省、1009頁。doi:10.11501/809148。
- ^ a b 『学校幼稚園書籍館博物館一覧表 明治14年』文部省、1882年、867頁。doi:10.11501/812644。
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1981, p. 534.
- ^ 藤沢町史編纂委員会 1984, p. 178.
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- ^ a b 徳田小学校創立百周年記念事業実行委員会 1973, p. 18.
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参考文献
[編集]- 藤沢町史編纂委員会 編『藤沢町史 本編 中』藤沢町、1984年2月25日。doi:10.11501/9571179。 NCID BN04810187。
- 藤沢町史編纂委員会 編『藤沢町史 本編 下』藤沢町、1981年3月25日。doi:10.11501/9570523。 NCID BN04810187。
- 藤沢町教育委員会 編『藤沢町史 現代編』藤沢町、2011年9月25日。
- 徳田小学校創立百周年記念事業実行委員会 編『百年史』徳田小学校創立百周年記念事業実行委員会、1973年11月。
- 藤沢町立徳田小学校閉校事業実行委員会記念誌部 編『藤沢町立徳田小学校閉校記念誌「とくだ」』藤沢町立徳田小学校閉校事業実行委員会、2009年3月。
- トーバン印刷株式会社 編『ひがしいわいの校歌集』トーバン印刷株式会社、2016年12月20日。ISBN 978-4-9909119-0-4。
でふぁうるとそおと・きゃっと
[編集]DEFAULTSORT→ふしさわちようりつとくたしよう
Cat→岩手県の公立小学校 (廃止)、一関市の小学校:ふしさわちようりつとくた、一関市の歴史:ふしさわちようりつとくたしようかつこう、学校記事
リダイレクト
[編集]リダイレクト→藤沢町立徳田保育園/ふしさわちようりつとくたほいくえん/日本の公立保育所:ふしさわちようりつとくた、一関市の建築物、一関市の歴史、1974年開業の施設、2009年廃止の施設
略リダイレクト→徳田保育園
リダイレクト→コミュニティ体育館徳田ふれあいランド/こみゆにていたいいくかんとくたふれあいらんと/東北地方の屋内競技施設、岩手県のスポーツ施設、一関市の建築物、廃校活用施設、1989年竣工の日本の建築物、2010年開設のスポーツ施設
略リダイレクト→徳田ふれあいランド/とくたふれあいらんと