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利用者:要塞騎士/sandbox/7

下書き:氷見事件


下書き:氷見事件

氷見事件
場所 日本の旗 日本富山県氷見市[1]
標的 少女[2]
日付 2002年平成14年)1月14日20時30分ごろ(A事件)[1]
2002年3月13日14時40分ごろ(B事件)[1] (UTC+9)
概要 2002年1月 - 3月、富山県氷見市で若い女性2人を標的とした強姦事件(2件目は未遂)が発生[1]
タクシー運転手の男性(甲)が犯人として逮捕起訴され、懲役3年に処されたが、甲の出所後、両事件とも男OEが真犯人である事実(=甲の冤罪)が判明した[3]
攻撃側人数 1人
被害者
  • A事件(強姦事件)の被害者:女性A(当時18歳)[1]
  • B事件(強姦未遂事件)の被害者:女性B(当時16歳)[1]
  • 冤罪被害者:男性甲(誤認逮捕当時34歳:氷見市在住のタクシー運転手)[4]
犯人 男OE(逮捕当時51歳:同種の余罪12件)
対処 甲を誤認逮捕起訴したが、真犯人OEの自供により冤罪が判明
謝罪 富山県警は甲に謝罪したが、冤罪を生み出した関係者への処分はなし
刑事訴訟
管轄
  • 富山県警察捜査第一課氷見警察署[1]
  • 富山地方検察庁高岡支部[5]
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    氷見事件(ひみじけん)とは、2002年平成14年)1月14日3月13日富山県氷見市で相次いで発生した連続強姦事件(後者は未遂)[6]。また、無実の男性が両事件の被疑者として氷見警察署富山県警察)に誤認逮捕され、懲役3年の有罪判決を受けて服役した後、両事件を含めた連続強姦事件の真犯人として、男OEの存在が判明した冤罪事件でもある[3]

    無実の人間が犯人に仕立て上げられて服役を強いられ、後に偶然真犯人が発見されたことにより、検察官再審請求を行い、再審で言い渡された無罪判決が検察官の上訴権放棄によって確定するという、極めて特異な経過をたどった[7]。なお、真犯人OEは両事件を含め、富山・石川鳥取の各県で、少女計14人への婦女暴行事件を繰り返したとして[2]、強姦・強姦未遂・強姦致傷などの罪に問われ、懲役25年の有罪判決が確定している[2]

    富山事件と呼称される場合もある[8][9][10][11][12]

    事件概要[編集]

    以下の2事件は、いずれも富山県氷見市で発生したものである[1][13][6]。2件のうち1件の事件現場は、後に無実の罪で逮捕された男性甲の実家(氷見市の山間部)近くだった[14]

    2002年1月14日20時30分ごろ、被害者女性A(事件当時18歳)が、自宅に侵入してきた男によってナイフを突きつけられて脅され、強姦される事件(A事件)が発生[15]。同年3月13日14時40分ごろには、被害者女性B(当時16歳)が自宅でナイフを突きつけられて脅され、強姦されそうになる事件(B事件)が発生した[15]。両事件の現場に遺された足跡は、いずれも同じバスケットシューズ[1]コンバース[16])によるもので[1]、靴のサイズは28 cm前後だった[17]。また、A事件の被害者は、「犯人は、ギザギザの刃がついたサバイバルナイフのような大型のナイフを凶器として使用した」[18]チェーンのようなもので後ろ手に縛られた」と供述した[19]

    後述のように、富山県警察は同年4月15日に甲を被疑者として逮捕したものの、同年5月5日、氷見市からほど近い石川県河北郡津幡町で同種の婦女暴行事件が発生した[16]。さらに6月1日には津幡町で[20]、8月19日には再び氷見市で、それぞれ婦女暴行事件が発生[21]2003年(平成15年)3月28日 - 12月22日には、氷見市内で6件、鳥取県米子市で1件の同種事件が発生していた[注 1][24]。同年8月には、氷見市教育委員会が市内の小中学校に対し、「女の子が一人でいる家に、宅配業者を装うなどして不審電話があっても対応しないように」という文書を配布して注意喚起を行っていた[23]

    以上の事件は全て、A・B両事件の真犯人である男OEによる犯行で、罪状はいずれも強姦・強姦未遂・強制わいせつ[23]・強姦致傷[2]だった。OEは日本各地の原子力発電所で働きつつ、逮捕されるまで性犯罪を繰り返していた[14]富山地裁高岡支部の判決 (2007) によれば、OE(判決当時52歳)はA・B両事件を含め、2002年1月 - 2006年(平成18年)7月にかけ、富山・石川・鳥取の3県で、少女計14人(当時:13歳 - 18歳)に性的暴行を加えるなどしたとされる[13]

    いずれの事件でも、犯人は日中に被害者女性の住む家に玄関から侵入し、犯行におよんで逃走する際、被害者に対し「100数えろ、その間に出ていく」と言い残していた[注 2][16]。このように、甲が逮捕されて以降も同種の事件が続発しており、富山県警もそのことを把握していたが[25]、再捜査はされなかった[26]

    甲を誤認逮捕[編集]

    富山県警察はA事件直後、被害者Aから事情聴取を行い、犯人の似顔絵を作成したほか、事件現場に遺留された足跡を採取し、バスケットシューズの足跡であることを特定した[1]。また、所轄の氷見警察署(当時の署長:松山美憲[23])も、県警本部刑事部捜査第一課の応援を得て捜査したが、被疑者を浮上させるには至らなかった[1]。一方、B事件の際も事件発生直後に被害者Bから事情聴取し、同様に似顔絵を作成したほか、同事件の現場に遺された足跡も、A事件と同じバスケットシューズによるものであることを特定[1]。犯行手口が類似し、事件現場も近接していたことから、両事件は同一犯である可能性が高いと認められた[1]

    一連の事件解決を目指し、富山県警は捜査一課の警部補だった長能 善揚(ながの よしあげ)[注 3]を氷見署へ派遣した[28]。氷見署が両事件の似顔絵をもとに聞き込み捜査を行ったところ、同年3月25日になって、運転代行業者から「似顔絵の男は、元勤務者の男性・甲(以下「甲」)に似ている」との証言があったほか、タクシー会社にも聞き込みを行ったところ、同様の証言が得られた[1]。身辺捜査の結果、甲は2事件の発生日にいずれも休日だったことや、事件現場に残された足跡に、自動車のペダルをよく踏む運転手特有のすり減り方が認められたことから、捜査幹部は「甲が犯人だ」という心証を強めた[29]。これを受け、甲を被疑者と目した氷見署が、同年4月、彼を含む15人の写真が載った写真台帳を被害者2人に見せたところ、2人とも甲の写真を「犯人」として示した[1]。しかし、甲はB事件の犯行時間帯とほぼ同時刻である14時30分 - 14時53分にかけ[16]、自宅から実兄[注 4]に電話していたというアリバイがあったものの、氷見署はアリバイの存在を十分に吟味せず[30]、誤認逮捕に至った。

    甲は逮捕前、同年4月8日に8時間、14日には9時間という長時間にわたり、任意の事情聴取を受けた[29]。2002年4月15日、B事件の被疑者として、タクシー運転手の男性甲(以下甲)が強姦未遂容疑で氷見署に逮捕された[31]。結局、富山地方検察庁高岡支部の支部長は「物証が弱い」として、甲を処分保留で釈放したが[32]、甲は5月5日には別の事件で再逮捕された[33]。結局、富山地検高岡支部は「甲の顔が(被害者の証言によって作られた)似顔絵と酷似している」という理由だけで起訴に至った[32]

    逮捕前の取調べは任意で行われたにも拘らず、4月8日以降断続的に3日間、朝から晩まで長時間にわたった。4月15日の3回目の取り調べで、既に何が何だか分からなくなり疲れ切っていた甲に対し、取調官は「お前の家族も『お前がやったに違いない。どうにでもしてくれ』と言ってるぞ」などという噓で自白を誤導した。絶望した甲は容疑を認め、自白したとして逮捕された。逮捕状は既に準備されていた。しかし翌日(4月16日)、甲は富山地検高岡支部へ送検された際[34]、当時同支部の副検事だった松井 英嗣(まつい ひでつぐ)[35]に対し、「まったく身に覚えがない」と強く否認し、高岡簡易裁判所(中牟田博章裁判官[注 5])による勾留質問でも、容疑を否認した[34]。しかし、これを知った長能は激怒し、再び氷見署に戻ってきた甲を激しく恫喝して「『はい』と『うん』以外は一切言うな」と命じた上で、署長宛てに「今後は否認しません」という趣旨の念書を書くよう強要した[34]

    捜査上の問題点[編集]

    甲の逮捕を受け、自白の裏付け捜査が行われた。その際に捜査員が氷見署に提出した事件報告書には、逮捕前の段階で、被害者の目撃証言にあった星のマークの運動靴が被疑者の自動車の後部座席付近にあったと記されている。

    甲は、取調官に「はい」か「うん」しか言うなと言われ、怖くて「おかしい」などとは言えなかったという。自宅の捜索では星のマークの運動靴は発見されず、取調官が「捨てたんだろ」と言うので甲は「はい」と答えた。警察は彼が捨てたと供述した場所を捜索したが、やはり運動靴は発見されなかった。取調官が「燃やしたんだろ」と言うので甲は「はい」と答え、運動靴は自宅で燃やしたことにされた。

    氷見署は、甲宅などの関係先から、事件で用いられた靴を探したり、本人から所在について聴取したりしたが、最終的に靴を発見することはできなかった[17]。その点について、甲は「靴は捨てた」「自宅に隠してある」と供述を転々とさせ、最終的には「燃やした」と供述したが、氷見署はそれらの供述について裏付けを取らなかった[17]。それ以前に、甲が普段着用していた靴のサイズは24 - 24.5 cmで、犯行に用いられた靴の足跡 (28 - 28.5 cm) に比して明らかに小さかった[16]。しかし、氷見署はその矛盾点についても十分な検討をせず[36]、甲を犯人と断定した[32]。これは、「自分の犯行と見破られないよう、わざと違うサイズの靴で犯行に及ぶ者もいる」という過去の経験に基づいたものだった[29]

    A事件で使用されたサバイバルナイフやチェーンは甲宅からは発見されず、甲宅を家宅捜索しても、凶器となりうる刃物は果物ナイフしか発見されなかった[37]。しかし、氷見署はその点についても裏付けを行わず、甲宅から押収された果物ナイフとビニール紐を凶器と断定[19]。松井も「被害者が記憶違いをしているのだと思う」など、被害者供述と矛盾する内容の検察官調書を作成し、甲に署名押印させた[37]

    被害者自宅の見取り図も、取調官が甲の後ろから手を取って書かせた[38]。また、科学捜査研究所の担当者は、現場に残っていた体液が甲の血液型と一致しない可能性を認めながら、氷見署長から依頼がなかったという理由で再鑑定しなかった[38]

    この逮捕には、自白に「秘密の暴露が全くない」こと、犯行当時の明白なアリバイ(犯行時刻とされた時間帯に自宅から知人に電話をかけたというNTTの通話記録など)が存在したこと、現場証拠である足跡が28 - 28.5 cmだった一方、甲の足はそれより小さい24.5 cmであることなどから、立件は無理ではないかとの声が氷見署内にさえもあった。しかし、甲は松井により[35]、2002年5月24日にA事件で、同年6月13日にB事件でそれぞれ、富山地方裁判所高岡支部へ起訴された[15]

    なお、甲の再審で主任弁護人を担当した小林大介は、「富山では当時、検察が警察の誤認逮捕を糾弾する別の事例があり、ある警察幹部が自殺した。それで地検は県警を責めることができなかったのでは」と指摘している[32]。一方、5月・6月には石川県津幡町で、8月には再び氷見市で、それぞれ同種事件が発生したことを受け、富山県警は捜査一課課長補佐の澤田章三警部と、氷見署の附木邦彦刑事を石川県警に派遣して調査を行わせた[39]。その結果、石川事件で使われた靴は、A事件・B事件と同じ靴(コンバース)であることが判明したが、澤田はその旨を報告しなかった[39]。また、氷見署長の松山は、8月事件の発生を受け、A事件・B事件との類似性に気づいていたが、その疑問を放置した[23]

    懲役3年の判決[編集]

    当番弁護士[注 6]として、同年4月17日に甲と接見した弁護士[26](山口敏彦[注 7][43])は、甲の「やっていない」という訴えを聞いたが、その後は同年7月2日まで接見に行かず、起訴後に甲の国選弁護人として就任して以降も、(執行猶予を狙い、被害者に計250万円を支払うことを提案するなど)有罪であることを前提とする弁護活動を行った[44]。山口は、甲の無実の訴えを深く追及しなかった理由について、「最初に否認することはしばしばあることだから」と述べている[45]。一方、甲は無罪判決後、富山市内で日本弁護士連合会(日弁連)の弁護士たちと面談した際、「起訴後の2度目の接見で、自分の無実の訴えを無視され、『被害者にお金(被害弁償金)を払えば執行猶予になる』と言われた」と、当時の山口の対応を強く批判している[46]

    起訴後、甲は公判中も一貫して罪を認めた[43]。初公判は同年7月10日に開かれ、甲および弁護人は両事件の起訴事実を認めた[47]。第2回公判(9月6日)では、甲の実兄が情状証人として「今後、弟の身元を引き受けて監督していく」と証言[48]。10月9日に第3回公判が開かれ、被告人質問が行われたが、甲は被害賠償金として既に250万円を支払っていたことから、「否認しても誰も信じてくれない」とそれまでの証言を覆さず、「A・B両事件とも自分がやった」という主張を維持し[48]、両事件について謝罪した[47]。その後、同日に論告・弁論が行われ、結審[47]。検察官は、甲(被告人)に懲役4年を求刑した[49]。なお、甲は拘置中、拘置所へ面会に来た兄夫婦から、父親の訃報を聞かされている[32]

    同年11月27日、富山地裁高岡支部(中牟田博章裁判長)[注 5][49][52]被告人(甲)を両事件の犯人と認定し、懲役3年(未決拘置日数中130日算入)の有罪判決を宣告した[15]。同地裁支部は判決理由で、「女性の人格を無視した犯行は強く非難されるべきだ」と述べた[49]。判決後、甲は弁護人から「控訴しても無駄」と言われたため、控訴せず[53]、判決は同年12月12日に確定[54]。甲は2005年(平成17年)1月13日に仮出所するまで[15]福井刑務所に服役し[54]、仮出所後も、更生保護施設に入所し、刑期満了まで保護観察所に通い続けた[25]

    真犯人OEが判明[編集]

    甲が刑期を終えて出所した後の2006年8月1日[34]、真犯人の男OE(当時51歳)は[55]鳥取県米子市内で別の強制わいせつ事件を犯したとして、鳥取県警察に逮捕された[注 8][47]。同事件について送致を受けた鳥取地方検察庁が捜査の上で、OEを起訴した[47]。同年9月27日、米子[注 9]で被告人OEの初公判が開かれたが[56]、その後、OEには富山県内での事件も含め、多数の性犯罪の余罪があることが判明した[47]

    そこで、富山県警が富山県内での事件についてOEを取り調べ[47]、OEは同年10月、(A・B両事件とは別の強姦致傷・強姦未遂容疑で)氷見署に逮捕された[57]。そして同年11月中旬、OEは氷見署の取り調べに対し、A・B両事件について自白し[43]、両事件について詳細に供述した[58]。その自供を受け、富山県警・富山地検が捜査を行ったところ、OEはA・B両事件当時の現場付近の特徴について詳細な供述をした上で、両事件の現場に残された足跡が、OEの起こした別事件の現場に残された足跡と一致することが判明[47]。さらに、B事件に関しては、犯行時間帯に甲が実兄宅に電話を掛けていた履歴があり、アリバイが成立する可能性が高いことなども判明した[47]

    このため、OEは両事件の真犯人として、2007年(平成19年)1月19日にA事件の強姦容疑と、B事件の強姦未遂容疑で[59]、氷見署によって再逮捕された[58]

    富山県警は2007年1月17日、甲の親族へ経緯を説明して謝罪し、真犯人としてOEを逮捕した1月19日に記者会見で事実を発表した[58]。また、1月29日に富山地検の検事正が甲に直接謝罪した。その後、県警は甲に直接謝罪したが、「うち(警察)にも非があるが、あんたにも非がある」と発言し、これに憤慨した甲は「こういう状態にしたのはあんたたちだ」と叫んだ[60]

    再審無罪[編集]

    甲の無実が判明したことを受け、富山地検高岡支部は同年2月9日、真犯人OE(それ以前に婦女暴行傷害など10件で起訴)を両事件の被告人として起訴するとともに、甲の名誉回復を急ぐため、富山地裁高岡支部に甲への無罪判決を求める再審を請求した[61]。富山地裁高岡支部は同年4月12日、再審開始を決定した[62]

    同年6月22日に再審初公判が開かれたが、甲に与えられた陳述機会は、起訴状朗読に続く罪状認否だけで、弁護団が請求していた取調官への証人尋問は「必要ない」と却下された[63]。同日、一般傍聴券(27枚)を求めて希望者488人が並び、抽選倍率は約18倍に上った[注 10]ことから、地裁高岡支部は本庁からも応援を得て対応した。

    再審の論告公判は8月22日に開かれ、検察官[56]・弁護人の双方が甲に無罪を求めた。同年10月10日、富山地裁高岡支部(藤田敏裁判長)は甲に無罪判決を言い渡した[65]。同日、検察が上訴権を放棄したため、甲は逮捕から5年半ぶりに無罪が確定した[66]

    一方、真犯人OEは強姦致傷[13]・強姦・強姦未遂・強制わいせつなどの罪に問われた[67]。OEは公判で、起訴された14件のうち、3件の強姦未遂の犯意を否認したが[2]、2007年9月5日、富山地裁高岡支部(藤田敏裁判長)で検察官から懲役30年(有期刑の上限)を求刑された[注 11][68]。同年11月14日、富山地裁高岡支部(藤田敏裁判長)は全事件でOEの犯意を認定し、被告人OEに懲役25年の実刑判決(当時、県内の有期刑としては最長)を言い渡し[注 12][2]、同判決は同月29日に確定した[5]

    OEは判決に先立ち、11月5日に高岡拘置支所で甲と初めて面会した際、甲に対し「不幸を味わわせてしまった」と反省の言葉を述べ、支援を希望する旨を伝えた[70]。甲はOEとの面会について、『北日本新聞』の記者に対し「腹が立ったが、それなりに意義があったと思う」と話している[71]。OEは判決確定後、2009年および2014年(平成26年)時点で岐阜刑務所に服役しているが、テレビ朝日北日本放送 (KNB) からの取材に対し、「警察は甲の無実を知りながら隠蔽していた」と述べている[72][38]

    県警などの対応への批判[編集]

    2007年1月24日、富山地検は甲を呼び出し[25]、細野道誉検事が甲と面談した[34]。細野は県警や地検が甲に謝罪した際に同席していたが、その際のやり取りを基に[34]、甲本人の意に反して「当時の取調べ捜査官と担当検事を恨んでいません」「刑事さんは良い人でした。何で自白したんですか。優しく諭されたからだ」などといった供述調書を作成させた[73]。これについて、日本弁護士連合会(日弁連)は2008年(平成20年)1月にまとめた調査報告書で、「富山地検の振る舞いは驚くべきことだ。虚偽自白を強いたことを認識しつつ、隠蔽している」と厳しく批判している[34]。また、甲が知らないはずの事件の詳細についての自白書類が富山県警により捏造され、署名・指印させられたことが判明している。

    無罪となった甲は真犯人発覚後、マスコミのインタビューに答え、尋問した刑事から「身内が間違いないと認めている」と告げられ弁明しても聞いてもらえず、罪を認めざるを得ない状況に陥ったと答えている。また、同意すること以外は意見を述べることを刑事から禁じられた上で、刑事の言うことが事実だという念書を書かされ、署名させられていたとも告白している。

    再審では尋問した取調官の証人尋問が却下されている。藤田敏裁判長が「ただ単に無罪判決を出す手続きにすぎない」と理由を述べたためで、この発言に対し、「本気で真相を究明し、反省する気があるのか」という疑問や非難が出た[誰?]。さらに判決公判でも謝罪は裁判所側からは一切行われておらず、甲は判決中述べた裁判官のあまりにも他人事な発言に「むかついた」と怒りを露わにした。

    国家賠償請求訴訟[編集]

    無罪判決が確定したものの、取調べをした警察官などの証人尋問および処分が実施されていないなど、冤罪事件が発生した経緯が解明されていないとして、甲は2009年(平成21年)5月14日に国家賠償請求訴訟を提訴した[34]被告は国、富山県、長能善揚(富山県警刑事)、松井英嗣(富山地検検事)の4者で[34]、請求額は合計1億400万円であった[74]。原告側は、「長能は自白の強要、虚偽の証拠作出・証拠隠しを行った」「松井は虚偽の自白調書を作出し、甲を起訴した」と主張した[7]

    2014年2月17日の富山地裁での第24回口頭弁論の取調官の証人尋問で、事件当時の取調官(長能)は、被害者の自宅の見取り図を、甲に確認しながら自ら見本を書き、清書させたと証言した[38]。また、犯人でなければ知り得ない事柄(凶器・被害者の縛り方など)については、自ら選択肢を示し供述を得ていたことも認めた[38]。同年4月21日の第25回口頭弁論では、事件当時の検察官が、「甲のアリバイである通話記録について見たが、精査しなかった。足跡のサイズの差についても、バスケットシューズは大きめのものを履くこともあり、矛盾するとは思わなかった」と弁明した[38]

    2015年(平成27年)3月9日に判決公判が開かれ、富山地裁(阿多麻子裁判長)は、富山県警の捜査の違法性を認めた一方、国や取り調べを担当した警察官(長能)・検察官(松井)への請求は棄却。県に対し、原告(甲)へ1,966万円を支払うよう命じる判決を言い渡した[75]。原告(甲)、被告(富山県)の双方が控訴しなかったため、判決は3月23日付で確定[76]。再審無罪事件で捜査の問題点を認め、賠償を命じた判決が確定した日本では初の事例となった[77]

    また、甲の支援者は2014年(平成26年)11月26日、長能ら事件当時の県警捜査員4人を[78]、「事件で用いられた靴と同じタイプの靴を、甲の車の中で見た」とする虚偽の報告書を作成するなどしたとして、有印公文書偽造・同行使の疑いで刑事告発した[79]

    その後[編集]

    2007年には鹿児島県でも本事件と同じく、公職選挙法違反事件の被疑者とされた人物が虚偽の自白によって有罪に処された冤罪事件(志布志事件)が判明し、国民から非難の声が上がった[80]。これを受け、最高検察庁は同年8月、『いわゆる氷見事件及び志布志事件における捜査・公判活動の問題点等について』と題した調査報告書を発表した[80]が、最高検が個別事件の誤起訴原因について、公的に報告書を発表したのは極めて異例なことだった[81]。富山県警は冤罪再発防止策として、自白に依存しない客観的証拠を重視した捜査の徹底を目指し、刑事企画課を新設したり、捜査部門の実務担当者約20人が委員を務める「ち密な捜査推進委員会」を設立したりして、捜査手法の見直しや再発防止策の検討作業を行った[82]

    他の冤罪事件の被害者たちも甲と同様の経験を証言をしていることから、このような方法は冤罪を生み出す手法として時代や場所を選ばずに行われている方法であるとも指摘される。2007年6月6日には、日本弁護士連合会主催で「えん罪を生み出す取調べの実態」というシンポジウムが緊急に開かれている。日弁連側は取調べを録画・録音(「可視化」)する事でこのような事態を防ぐべしと主張している。

    一方、取り調べを担当した長能は富山県警から処分を受けることなく、2009年(平成21年)時点でも県警で勤務を続けていたほか、いったん富山地検から異動した松井も後に富山地検へ復帰したが、処分は受けていなかった[34]。処分を行わなかった理由について、県警は「誤認逮捕は組織としての捜査の結果であって、捜査関係者個人の問題ではない」と[83]、地検の佐野仁志次席検事は「(担当検察官が)職務上の義務に反したまでとは言えない」と説明している[84]浅野健一や山田悦子(甲山事件の冤罪被害者)は、本事件の報道で長能が実名報道されていないことを問題視している[85]。甲や山田は、冤罪を防ぐために取調室の可視化や、裁判所の体質改善などの必要性を訴えている[85][86]

    さらに、長勢甚遠法務大臣(当時)が再審前の2007年1月26日、甲に対し謝罪した際、自白の強要については違法性が無いと述べ、当時の捜査員に対して処分は行わないことを決定している[56]

    甲は出所後、地元で再就職活動をしたが、25社から不採用とされた上、厳しい取り調べがフラッシュバックするようになり、心的外傷後ストレス障害 (PTSD) と診断された[38]。甲は2011年(平成23年)からは生活保護を受給しつつ、東京都杉並区のアパートで1人暮らしをしている[38]

    警察検察の捜査機関が「カメラがあると容疑者が話しにくくなり真実が見えなくなる」と全面可視化に抵抗している事に対して、2014年4月22日に法務省法制審議会要請共同行動として、甲は他の冤罪被害者と全面可視化を要請した。

    本事件を扱った媒体[編集]

    • 日本テレビ放送網NNNドキュメント』[制作:北日本放送 (KNB) ]
      • 「犯人にされた男 検証 富山えん罪事件」(ナレーター:浜田治貴[87] - 2008年7月7日の深夜1時25分から放送[88]
      • 「陽炎 えん罪被害の闇」(ナレーター:あがた森魚[38][89] - 2014年7月14日の深夜1時00分から放送[90]。平成26年度(第69回)文化庁芸術祭(テレビ・ドキュメンタリー部門)参加作品[91]
    • テレビ朝日ザ・スクープ』「真犯人が告発!!富山冤罪事件に重大疑惑が浮上」[92] - 2009年11月29日14時00分 - 15時30分放送[93]。同年7月1日に甲へ取材[94]
    • 北日本放送 (KNB) ラジオ『ひとりぼっち〜えん罪被害者の今〜』 - 2014年5月31日に放送されたドキュメンタリー番組。甲が事件に人生を狂わされながらも、希望を模索する姿を追った作品。日本民間放送連盟賞ラジオ中部北陸審査会の報道部門で、4作品中1位に選出された[95]
    • 北日本放送 (KNB) 『KNB報道スペシャル 「私はここにいる えん罪被害と空白の7年」』[96] - 2014年6月29日放送[97][98]
    • フジテレビ系列奇跡体験!アンビリバボー』2020年4月2日放送回「誰ひとり信じてくれない!現代日本で本当にあった恐怖SP」[99]

    脚注[編集]

    注釈[編集]

    1. ^ 同年3月28日・5月31日・8月8日と氷見市で同種事件が続発し、8月9日には米子市で、8月18日には再び氷見市でそれぞれ同種事件が発生[22]。氷見市教育委員会による注意喚起後にも、2件の事件[23](11月30日・12月22日)が発生していた[24]
    2. ^ ただし、2002年8月19日の事件のみ「100いや50秒数える間に出て行くから」と言い残している[21]
    3. ^ 「ながの よしあき」とする文献もある[27]
    4. ^ 甲の兄は当時、石川県金沢市在住[16]
    5. ^ a b 中牟田博章はその後、殺人罪で懲役10年に処された女性が再審請求を起こした大崎事件の再審請求審(鹿児島地裁)を担当したが、弁護団からの「検察側に対し、これまで明らかにされていない証拠の開示を命令ないし勧告してほしい」という要請に全く応じず[50]、2013年3月6日付で、「弁護団の『新証拠』には、共犯とされた3人の自白の信用性を揺るがす証拠価値は認められない」として、請求棄却の決定を出した[51]
    6. ^ 富山県弁護士会は1992年(平成4年)4月1日から当番弁護士制度の運用を開始したが、この制度は、富山・長野連続女性誘拐殺人事件1980年発生)など、密室での取り調べによる冤罪事件を教訓に導入されたものだった[40][41]
    7. ^ 山口敏彦は2018年(平成30年)時点で、富山県弁護士会の会長を務めており、「性暴力被害ワンストップ支援センターとやま」(同年3月1日から業務開始)の業務を円滑に進めるために連携・協力する協定に署名している[42]
    8. ^ 『毎日新聞』 (2006) は、「OEは2006年7月31日13時30分 - 14時ごろにかけ、鳥取県境港市内の民家に無施錠の玄関から侵入し、紐状の物で女性(当時17歳)の手を縛ってわいせつ行為をしたとして、翌日(8月1日)に強制わいせつ容疑で鳥取県警境港警察署に逮捕された」と報じている[55]
    9. ^ 鳥取地裁米子支部。
    10. ^ 本事件以前に、富山地裁管内で多数の傍聴希望者が並んだ事例には、本庁で開かれた富山・長野連続女性誘拐殺人事件の判決公判(1988年2月)がある[64]
    11. ^ 検察官は、OEが積極的に自白したことによって甲の無実が判明した点などを考慮し、無期懲役(強姦致傷罪の最高法定刑)ではなく、有期刑の上限となる懲役30年を求刑していた[13]。なお、懲役30年は改正刑法(2005年1月施行)に新設された有期刑の最高刑だが、富山県内での求刑事例はこれが初だった[68]
    12. ^ 富山地裁高岡支部 (2007) は、犯行の凶悪さや常習性、被害者の精神的苦痛、再犯の恐れの高さを指摘した一方、OEの自供が冤罪判明のきっかけとなったことをOEにとって有利な情状として認めた[69]

    出典[編集]

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    参考文献[編集]

    裁判の判決文

    • 「冤罪事件(上) 氷見国賠訴訟 判決全文と論考」『判例時報』第2261号、判例時報社、2015年8月21日。 

    事件の問題点を検証した資料

    事件関係者による著書など

    • 中北龍太郎(弁護士)「憲法から考える・憲法を考える 連載(53) 《冤罪をなくすために》14 氷見事件で国賠提訴する」『月刊むすぶ―自治・ひと・くらし―』第40巻第5号、ロシナンテ社、2009年5月1日、56-61頁、国立国会図書館書誌ID:000009827181  - 2009年5月号(通巻:第460号)。
    • 柳原浩(編さん) 編『「ごめん」で済むなら警察はいらない‐冤罪の「真犯人」は誰なのか?』桂書房、2009年8月。ISBN 978-4903351759  - 冤罪で服役した男性の著書。

    その他

    テレビ番組(放送ライブラリーで視聴可能なもの)