北堀篤
北堀 篤 きたぼり あつし | |
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内閣府地方創生推進室より公表された肖像 | |
生年月日 | 1950年7月23日(74歳) |
出生地 | 日本・埼玉県秩父市中町 |
出身校 | 法政大学第一高等学校 |
前職 | |
現職 | 埼玉県秩父市長 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
配偶者 | 妻 |
公式サイト | 北堀あつし公式ページ |
選挙区 | 秩父市 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2021年5月1日 - 現職 |
選挙区 | 北1区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1999年 - 2013年 |
選挙区 | 秩父市 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1991年 - 1999年 |
北堀 篤(きたぼり あつし、1950年(昭和25年)7月23日[1] - )は、日本の政治家、実業家、埼玉県秩父市長(第3代)。元埼玉県議会議員。
来歴
[編集]生い立ち、政治進出するまで
[編集]埼玉県秩父市中町生まれ。秩父市立高篠小学校卒業後[2]、秩父市立高篠中学校を卒業[2]。法政大学第一高等学校を卒業した後に[2]、東京食糧学院を卒業[2]。ホテル美やまに入社し[2]、ホテル美やまの専務・取締役会長を務める[2]。
秩父市議会議員
[編集]1991年の秩父市議会議員選挙で初当選し、秩父市議会議員を2期8年務めた[3]。
埼玉県議会議員
[編集]1999年に行われた埼玉県議会議員選挙に秩父市と横瀬町を選挙区とする埼玉県北1区から無所属で立候補し、18,625票を獲得し、現職で自由民主党公認の井上久との一騎討ちを制して初当選。2003年の埼玉県議会議員選挙では無投票で再選。2007年の埼玉県議会議員選挙では、秩父市のみに区割りが変更になった北第1区から立候補し、20,306票を獲得して、3選を果たす。2011年の埼玉県議会議員選挙で、無投票で4選を果たす。埼玉県議会議員を4期14年務め、自由民主党県議団政調会長などを歴任。
秩父市長選挙挑戦から秩父市長になるまで
[編集]県議会議員辞職後、2013年、2017年の秩父市長選挙に立候補するも落選。2017年の秩父市長選挙では、15,932票獲得したが、現職の久喜邦康に90票差で敗れる。 2020年10月、3度目の秩父市長選挙への立候補を表明する。 2021年4月18日に行われた秩父市長選挙で、14,812票を獲得し、秩父市長に初当選を果たした[4]。秩父市が旧町の時から数えると20代目となる。
秩父市長
[編集]2021年5月1日、秩父市長に就任。2021年5月6日、当選後、秩父市役所に初登庁し、約100人の職員と支持者に出迎えられた[5]。
主な公職
[編集]全国組織
[編集]埼玉県組織
[編集]秩父市組織
[編集]- 一般社団法人秩父宮会 理事[2]
- ちちぶ学セミナー学長[2]
- 自民党秩父支部長[2]
- 秩父市市議会議員[2]
- 秩父ホッケー連盟会長[2]
- 秩父旅館業協同組合相談役[2]
- 秩父旅館業組合役員[2]
- 秩父商業青年経営者研究会会長[2]
- 秩父社交業組合顧問[2]
- 秩父飲食店組合顧問[2]
- ホテル美やま専務取締役[2]
政見・政策
[編集]財政
[編集]教育
[編集]- 教育環境の整備と子育て支援[2]
福祉
[編集]- 高齢者福祉の充実と強化[2]
医療
[編集]- 医療体制の一層の充実[2]
女性活躍
[編集]- 女性活躍の促進[2]
人物
[編集]- 埼玉県秩父市にある老舗旅館「ホテル美やま」の経営者であり、秩父市の基幹産業である観光業界への影響力は非常に大きい。
- 小学校時代にはソフトボールを、高校時代には野球と体操をやっていた。
- 埼玉県トライアスロン協会副会長や秩父ホッケー連盟会長であり、スポーツ振興にも力を入れている。
性格
[編集]- 真面目すぎるくらい真面目である。
信条
[編集]- いつもあなたと共に。ともに考え、ともに行動。
交友関係
[編集]- 埼玉県ホテル旅館生活衛生同業組合・全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会をはじめ、数多くの県議会議員、国会議員とネットワークを持っている。
エピソード
[編集]秩父渓流会の顧問であり、幼少期にアンマ釣りを楽しんでから釣りをやっている[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- “北堀篤公式プロフィール”. 北堀篤公式ホームページ. 2021年4月17日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 北堀篤 公式ホームページ
- ようこそ市長室へ - 秩父市
- ホテル美やま
- 秩父新電力株式会社
公職 | ||
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先代 久喜邦康 |
埼玉県秩父市長 2021年 - |
次代 現職 |