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吉田信解

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉田 信解
よしだ しんげ
内閣府地方創生推進室より公表された肖像
生年月日 (1967-09-08) 1967年9月8日(57歳)
出生地 埼玉県本庄市
出身校 早稲田大学第一文学部
大正大学大学院仏教学研究科
所属政党 無所属
称号 修士

当選回数 5回
在任期間 2006年2月5日 - 現職

本庄市旗 本庄市(旧)長
当選回数 1回
在任期間 2005年7月2日 - 2006年1月9日

本庄市旗 本庄市議会議員
当選回数 3回
在任期間 1995年5月 - 2005年5月
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吉田 信解(よしだ しんげ、1967年昭和42年)9月8日[1] - )は、日本政治家埼玉県本庄市長(5期、旧市で1期在任したため通算6期)。

来歴

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埼玉県本庄市出身。父親は仏教学者で大正大学名誉教授の吉田宏晢、弟は指揮者の吉田行地

本庄市立本庄東小学校(在学2年生、3年生時に西ドイツ(当時)ハンブルグ在住)、本庄市立本庄東中学校を経て早稲田大学本庄高等学院卒業。早稲田大学第一文学部史学科に進学。大学在学中は雄弁会に入会し[2]、副幹事長を務めた。大学4年時に台湾台北国立台湾師範大学國語教学中心(センター)に語学留学。大学卒業後、大正大学大学院仏教学研究科修士課程修了[2]

真言宗智山派総本山智積院にて研修、所定の行を終え住職の資格を取得。

1995年5月、本庄市議会議員に初当選[2]2001年、公益社団法人こだま青年会議所[3]こだまJC)第33代理事長を務めた。

2005年7月、旧・本庄市長に初当選(当時、埼玉県内で最年少の市長となった)し[2]児玉町と新設合併する2006年1月まで旧・本庄市の最期の市長を務めた。2006年1月29日、合併後の新・本庄市長に無投票で初当選(通算2期)。2月5日、新・本庄市の市長に就任[4]2010年1月、3名の対立候補を破り2選(通算3期)。2014年1月19日告示された本庄市長選で無投票で3選(通算4期)。2018年1月21日告示された本庄市長選で再び無投票となり4選(通算5期)。

2015年8月から2016年8月まで全国青年市長会会長を務めた[5]

2016年12月より、無電柱化を進める全国市区町村長の会会長に就任。2021年7月より同会顧問。

2019年6月より、全国市長会社会文教委員会委員長に就任。2024年6月退任。

2022年1月、12年振りに選挙戦となった本庄市長選挙で対立候補を破り5選(通算6期)[6]

2024年6月より、全国市長会副会長に就任。

市政

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  • 市長の部屋/本庄市ホームページを参照。5期目までの公約と成果を掲載。

人物

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関連書籍

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  • 市長の夢 19人の青年市長[7]日本ドリームプロジェクト(編)『市長の夢―19人の青年市長×きむ』いろは出版、2010年9月。ISBN 978-4902097344 

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、113頁。
  2. ^ a b c d Vol.101 吉田信解 本庄市長”. 若者と政治を結ぶ NPO法人ドットジェイピー. NPO法人ドットジェイピー. 2022年3月15日閲覧。
  3. ^ 公益社団法人こだま青年会議所”. facebook. 2016年2月1日閲覧。
  4. ^ 任期満了日一覧 - 埼玉県
  5. ^ 全国青年市長会”. 2016年2月1日閲覧。
  6. ^ 埼玉・本庄市長選 現職の吉田さんが5選:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2022年3月15日閲覧。
  7. ^ 全国市長会 市長の夢 19人の青年市長 編集:日本ドリームプロジェクト 協力:全国青年市長会

関連項目

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外部リンク

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