南都七大寺
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南都七大寺(なんとしちだいじ)は、奈良時代に平城京(南都・奈良)およびその周辺に存在して朝廷の保護を受けた7つの官寺を指す[1]。初出は平安時代『扶桑略記』延長4年(926年)12月9日条で、「七大寺、東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、西大寺、法隆寺」とされた。2年後『延喜式』にも七大寺として寺院名と寺院配列も同一で表記された[2]。
七大寺一覧
[編集]No. | 山号 | 寺院名 | 開基 | 宗派 | 所在地 |
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1 | 無し | 東大寺 | 聖武天皇 | 華厳宗 | 奈良県奈良市雑司町406-1 |
2 | 無し | 興福寺 | 藤原不比等 | 法相宗 | 奈良県奈良市登大路町48番地 |
3 | 無し | 元興寺 | 蘇我馬子 | 華厳宗 | 奈良県奈良市芝新屋町12
奈良県奈良市中院町11 奈良市西新屋町45 |
4 | 無し | 大安寺 | 舒明天皇 | 高野山真言宗 | 奈良県奈良市大安寺2丁目18-1 |
5 | 勝宝山 | 西大寺 | 孝謙上皇 | 真言律宗 | 奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5 |
6 | 無し | 薬師寺 | 天武天皇 | 法相宗 | 奈良県奈良市西ノ京町457 |
7 | 無し | 法隆寺 | 聖徳太子 | 聖徳宗 | 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 |
唐招提寺を法隆寺(奈良から離れた斑鳩に所在する)の代わりに入れる場合もある[3]。
また、文武天皇以後に四大寺と通称され、元興寺、大安寺、川原寺(現在の弘福寺)、薬師寺が上げられていたが、聖武天皇の代に川原寺が興福寺に代えられた[1]。
「七大寺」の用語自体は『続日本紀』天平勝宝8歳(756年)5月4日条「於二七大寺一誦経焉」が初出だが、寺院名の当初の構成は藤原京から移した大安寺、薬師寺、元興寺に、興福寺、東大寺を加えた五大寺以外は不明である[4]。
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東大寺
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興福寺
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元興寺
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大安寺
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西大寺
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薬師寺
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法隆寺