吉田 (下関市)
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吉田 よしだ | |
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国 | 日本 |
地方 | 中国地方 |
都道府県 | 山口県 |
自治体 | 下関市 |
旧自治体 | 吉田村 |
面積 |
19.62km² |
世帯数 |
686世帯 |
総人口 |
1,629人 (登録人口、2011年12月31日現在) |
人口密度 |
83.03人/km² |
隣接地区 |
王喜地区、菊川地区 美祢市(西厚保町地区)、山陽小野田市(埴生・厚狭地域) |
下関市役所吉田支所 | |
北緯34度5分28.52秒 東経131度4分23.31秒 / 北緯34.0912556度 東経131.0731417度座標: 北緯34度5分28.52秒 東経131度4分23.31秒 / 北緯34.0912556度 東経131.0731417度 | |
所在地 |
〒750-1102 山口県下関市大字吉田地方2499番地 |
吉田(よしだ)とは、山口県下関市の吉田地区(下関市役所支所設置条例で示された下関市役所吉田支所の所管する区域)を指す地域名称。
本項では同地域にかつて所在した厚狭郡吉田村(よしだむら)についても述べる。
地域概要
[編集]- 下関中心市街地からは北東に約20km離れており、旧下関市の北東端、木屋川下流に位置する内陸の地域である。地区の大部分が農地および山地林野で占められる田園地帯である。
- 登録人口は1,674人(2009年2月28日現在、下関市役所ホームページによる)で、市内17地区のうち内日に次いで人口が少ない。
- 地区面積は19.62km2。(2007年10月1日、下関市役所ホームページによる)
- 北は菊川地区、西は小月地区、東は美祢市および山陽小野田市、南は王喜 (下関市)と隣接する。
- 域内には、主要地方道である県道33号のほか、県道260号や県道266号が通る。鉄道路線および国道は通っていない。地区中心部から約5km離れたところに中国自動車道小月ICがある。
地名由来と地域のあゆみ
[編集]吉田村 | |
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廃止日 | 1955年7月1日 |
廃止理由 |
編入合併 王喜村、吉田村 → 下関市 |
現在の自治体 | 下関市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方 |
都道府県 | 山口県 |
郡 | 厚狭郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,414人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
下関市、美祢市 厚狭郡厚狭町、埴生町、王喜村 |
吉田村役場 | |
所在地 | 山口県厚狭郡吉田村 |
座標 | 北緯34度5分28.4秒 東経131度4分23.3秒 / 北緯34.091222度 東経131.073139度 |
ウィキプロジェクト |
古くは吉井[注釈 1]と呼ばれたが、やがて吉田と改められた。時期によっては良田[注釈 2]とも表記され、昔からの田園地帯であった。『下関の地名』には良田から「地味の豊かなよい田」、『山口県地名考』には葭から「湿った田」が由来とある。
江戸時代、現在の下関市域の大半は長府藩および清末藩の所領であったため、吉田は萩藩領の最西端の拠点として位置づいた。
萩藩により吉田宰判(代官所、美祢郡南西部と厚狭郡西部を担当)が設置され、山陽道の宿場町(吉田市)として栄えた。
明治に入り、吉田村と吉田地方(じかた)村が合併して厚狭郡吉田村(新制)が成立したが、1950年(昭和30年)に王喜村とともに下関市に編入した。