コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

吉祥寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉祥寺 (武蔵野市)から転送)
駅前北口広場
吉祥寺上空からの航空写真。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

吉祥寺(きちじょうじ)は、東京都武蔵野市の東部に位置する地域。吉祥寺駅を中心とした商業地(繁華街)のほか、郊外は高級住宅街となっている。

由来は旧北多摩郡吉祥寺村であり、武蔵野市(武蔵野村・武蔵野町を含む)に1889年(明治22年)から1962年(昭和37年)までは大字として存在した。

地理

[編集]

武蔵野市の東端に位置する。現在、武蔵野市内で町名に「吉祥寺」を冠する地区は、吉祥寺本町(ほんちょう、一丁目〜四丁目)、吉祥寺北町(きたまち、一丁目〜五丁目)、吉祥寺東町(ひがしちょう、一丁目〜四丁目)、吉祥寺南町(みなみちょう、一丁目〜五丁目)があり、これらを合わせた面積は4.21km2で武蔵野市全体の約38%を占める[1]。さらに御殿山(一丁目・二丁目)と中町(一丁目〜三丁目)を合わせた範囲がかつての大字吉祥寺である。

街はJR中央線および京王井の頭線吉祥寺駅を中心として碁盤の目状に広がっている。小高い台地の上の平坦な場所にひらけているが、南端で三鷹市井の頭と接する付近のみ傾斜地になっている。

1957年(昭和32年)からの旧国鉄中央線高架複々線化計画に対応するため、吉祥寺駅周辺都市計画調査特別委員会が1960年(昭和35年)に設置され、また同年に国立市へ移転する東京女子体育短期大学跡地の貸借権を買収。これらを受けて東京大学工学部都市工学科高山英華研究室に委託した吉祥寺駅周辺都市計画案と、これをベースに昭和40年代から当時の武蔵野市長に就任した後藤喜八郎の下で構想された「回遊性の高い街づくり」を実現するため、吉祥寺駅を中心とした東西南北の十字線上に四つの大型商業施設が設置されている。なお、高山が都市計画案の作成にあたって参考にしたのは、オランダロッテルダムのライバーン商店街だと言われている[2]2010年2月時点でこれらの商業施設群に入居しているテナントは、東=ヨドバシカメラマルチメディア吉祥寺、西=東急百貨店、南=丸井、北=コピス吉祥寺である。これら四つの大型商業施設の合間を埋めるように中小のビル群が立ち並び、多種多彩な商店や飲食店が軒を連ね、いくつかの商店街を形成している。代表的な商店街としてサンロードハモニカ横丁平和通りダイヤ街などが挙げられる。

商業地域の外郭は東京多摩地域有数の高級住宅街で、多種多様な著名人等も居住している。商業地域と住宅街の近接性、新宿駅渋谷駅など主要駅に電車一本でアクセスできる利便性、井の頭恩賜公園三鷹の森ジブリ美術館などの行楽地が至近であることにより、市場調査会社などが主催する「住みたい街ランキング」で度々全国第一位に選出されている。

また、吉祥寺地域は古くから安養寺、光専寺、蓮乗寺、月窓寺という4軒の寺が集まる寺町である。特に寺が集中している武蔵野八幡宮(八幡神)の付近の地域を「四軒寺」(しけんでら)と呼ぶようになっていったと語り伝えられている。吉祥寺通り東京都道116号関町吉祥寺線)と女子大通りの交差点を「四軒寺交差点」と称する。なお、四軒寺という名前の寺があるわけではない。

範囲

[編集]

前述の通り、吉祥寺本町、吉祥寺北町、吉祥寺東町、吉祥寺南町を合わせた範囲が現在最も狭義での「吉祥寺」であり、さらに御殿山と中町を合わせた範囲がかつての大字「吉祥寺」である。後者の場合は三鷹駅に面した場所も含まれる。

一方「吉祥寺駅周辺」の意味で用いられる「吉祥寺」は、この範囲とは若干のずれがある。例えば武蔵野市御殿山と三鷹市井の頭にまたがる井の頭恩賜公園は「吉祥寺にある公園」と見なされている。『Hanako』(マガジンハウス)などの雑誌の吉祥寺特集では、吉祥寺駅から概ね1kmの範囲を「吉祥寺」と呼ぶこともあり、東は杉並区松庵西荻北、西は三鷹市下連雀、南は三鷹市井の頭や牟礼、北は練馬区立野町近辺までを含むこととなる。

人気のある地名であることから、不動産会社では三鷹市井の頭や下連雀、練馬区立野町にあるアパート・マンションを「吉祥寺の物件」として紹介していることが多い。また、京王線千歳烏山駅仙川駅つつじヶ丘駅などから徒歩でアクセス可能の三鷹市内の物件の場合でも、「吉祥寺からバスで〜分」と紹介される場合がある。

「吉祥寺通り」周辺では、吉祥寺の名前を一部に冠する事業所やマンション等が、駅から2-3km離れた相当遠方まであり、北は練馬区関町南の店から、南は三鷹市新川の物件まで存在する。

交通

[編集]

鉄道・バス

[編集]

吉祥寺駅を参照。

道路

[編集]

吉祥寺は下記の主要路線が交わり、各道路が東西南北に平行し、その囲まれた真ん中に吉祥寺駅及び中心街が広がる構造になっている。吉祥寺大通りを除いて車線数や車線幅は広くない。詳細は各道路の記事を参照。

歴史

[編集]

明暦3年(1657年)、明暦の大火で江戸本郷元町(現在の文京区本郷一丁目東京都立工芸高等学校付近)に存在した諏訪山吉祥寺門前町が焼失した際、江戸幕府は都市計画に基づき同地を大名屋敷として再建することにした。そのため、吉祥寺門前の住人を始めとする居住地・農地を大幅に失った者達に対し、「札野」「牟礼野」と呼ばれた幕府御用の場を代地とし、5年期限で扶持米を与えて家屋の建築費用も貸与するという条件で希望者を募った。吉祥寺の浪士の佐藤定右衛門と宮崎甚右衛門が土着の百姓・松井十郎左衛門と協力してこれに応じ、現在の武蔵野市東部を開墾して住人達を移住させた。

折しも玉川上水の開通に伴い、かつては水利が悪く人跡が少なかった武蔵野台地新田開発によって広大な農地へと変わっていく過程で、五日市街道(現在の東京都道7号杉並あきる野線)沿いに整然と区画された短冊状の土地が形成された。移住者によっては、五日市街道から玉川上水の分水である千川上水に至るまでの区画、600余(1,000m以上)にも及ぶ長大な土地を与えられた者もいた。しかし関東ローム層である土壌は肥沃とは言えず、農地は全て畑地であり、水田はなかった。吉祥寺に愛着を持っていた住人たちにより、新田は吉祥寺村と名付けられた。

1923年大正12年)の関東大震災を契機に被災した市街地から多くの人たちがまたもや吉祥寺に移り住むことになり、人口が急増。美しいケヤキ並木でも知られる成蹊学園池袋から移転したこともあって、農村から住宅街、そして多くの商店や学生で賑わう街へと変貌を遂げることになった。

1971年(昭和46年)の吉祥寺大通り完成を機に、商業地として本格的に発展するようになり、ファッション・文化、居住でも人気が高い街となった。その反面として、吉祥寺駅北東の近鉄百貨店裏に「近鉄裏」と俗称される風俗街が1970年代に形成された。市による環境浄化条例や客引き規制条例の制定、土地買い上げと風俗営業法の規定を利用した吉祥寺図書館建設による牽制などで、風俗店はピークの1970年代末の約90軒から十数軒へ激減した[3]

地名の由来

[編集]

吉祥寺門前の住人が五日市街道沿いを開発・移住したことによる。当地に吉祥寺という名の寺院が所在したことはない。

沿革

[編集]
  • 1653年承応2年)11月 - 玉川上水が開通。
  • 1657年明暦3年)1月18日 - 明暦の大火。
  • 1658年(明暦4年)1月 - 再度の大火(吉祥寺大火)で吉祥寺も焼失し、現在地(駒込、現在の東京都文京区本駒込)へ移転する。
  • 1659年万治2年)11月 - 佐藤定右衛門、宮崎甚右衛門、松井十郎左衛門が武蔵野原野の開拓を開始。
  • 1664年寛文4年)7月 - 幕府代官・野村彦太夫による検地が行われ、吉祥寺村が成立する。
  • 1703年元禄16年)11月 - 西側に吉祥寺新田村が成立する(後に吉祥寺村へ編入)。
  • 1868年明治元年)6月 - 吉祥寺村が武蔵県に編入される。
  • 1869年(明治2年)2月 - 品川県六番組に編入される。
  • 1871年(明治4年)12月 - 東京府に編入される。
  • 1872年(明治5年)5月 - 神奈川県に編入される。
  • 1873年(明治6年)5月 - 大区小区制施行に伴い、神奈川県第11大区4小区に属する。
  • 1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法施行に伴い多摩郡が分割され、神奈川県北多摩郡吉祥寺村となる。
  • 1889年(明治22年)
  • 1893年(明治26年)4月1日 - 北多摩郡・南多摩郡西多摩郡が神奈川県から東京府へ移管され、東京府北多摩郡武蔵野村大字吉祥寺となる。
  • 1899年(明治32年)12月30日 - 吉祥寺駅が開業する。
  • 1928年昭和3年)11月10日 - 武蔵野村が町制施行し、東京府北多摩郡武蔵野町大字吉祥寺となる。
  • 1929年(昭和4年)9月1日 - 三鷹信号場が設置される。
  • 1930年(昭和5年)6月25日 - 三鷹信号場が三鷹駅に昇格する。
  • 1934年(昭和9年)4月1日 - 帝都電鉄井の頭線の吉祥寺駅が開業する。
  • 1937年(昭和12年) - 前進座は、演劇映画研究所と集団住宅を吉祥寺に建設。創造(稽古)と生活(住居と食糧(田畑・養鶏))を統合した理想の場を得る。吉祥寺に演劇の香りを持ち込んだ創世期となる。
  • 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制が施行され、東京都北多摩郡武蔵野町大字吉祥寺となる。
  • 1947年(昭和22年)11月3日 - 武蔵野町が市制施行し、東京都武蔵野市大字吉祥寺となる。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 武蔵野市内の町名整理が行われ、吉祥寺本町、吉祥寺東町、吉祥寺南町、吉祥寺北町、御殿山、中町に分割される[4]

サブカルチャーの発信地

[編集]

前進座第二次世界大戦前の1937年から吉祥寺に根を下ろすなど、古くから演劇の町として実績がある。ジャズ喫茶ライブハウスなどが多数点在することからジャズロックフォークなど音楽の街として知られている。

付近に漫画家が多く住んでいることでも知られる。このため、吉祥寺を舞台とした漫画作品が多い。『週刊コミックバンチ』(~2010年)の編集部コアミックスが存在する。現在は『月刊コミックゼノン』を発行しているノース・スターズ・ピクチャーズが後継している。

アニメーション製作会社やゲームソフトメーカーも多く、STUDIO 4℃スタジオディーンGAEミンク (企業)シンソフィアブラウニーブラウンインディーズゼロなどが事業所を構える。その他、JAP工房マンマユート団冬水社 グッドフェローズ (企業)ウェーブ (模型メーカー)などが本社を構える。この影響か、吉祥寺駅前を中心にアニメ舞台のロケ地となることも多い。

学生の街

[編集]

成蹊大学東京女子大学杏林大学井の頭キャンパス(かつては武蔵野美術大学美術学部、現在は通信教育部武蔵野美術学園)が吉祥寺駅から徒歩圏内に、立教女学院武蔵野大学国際基督教大学亜細亜大学日本獣医生命科学大学ルーテル学院大学などの大学が吉祥寺駅から鉄道やバスで15分圏内に点在する。このため吉祥寺には多数の学生が集い、吉祥寺は高田馬場お茶の水下北沢などと並ぶ東京有数の「学生の街」としても知られている。

主な商店街・商業施設

[編集]
アトレ
アトレ吉祥寺
ヨドバシ
ヨドバシ吉祥寺
コピス吉祥寺
コピス吉祥寺
東急
東急
ユニクロ
ユニクロ
丸井
丸井

かつて存在した施設

[編集]
伊勢丹
伊勢丹
三越・大塚家具
三越・大塚家具
ユザワヤ旧店舗
ユザワヤ
(旧店舗)

商店・飲食店

[編集]

雑誌やガイドブックで紹介されることも多い個性豊かな商店や飲食店が多く存在する。その一部を列記。

娯楽施設

[編集]

映画館

[編集]
過去

ボウリング

[編集]
  • ディグボウル吉祥寺(吉祥寺エクセルホテル東急地下・2022年3月までは東京ボウリングセンターが所在)
  • ラウンドワン吉祥寺店
過去
  • 井の頭ボーリングセンター(現・東急REIホテル) - 駅南口にあったボウリング場[7]
  • サンデーボウル(ミドリヤ地下2階)[8]

宿泊施設

[編集]

吉祥寺を舞台とした作品

[編集]

小説

[編集]

[編集]

漫画

[編集]

★はアニメ化もされている作品。

アニメ

[編集]

東急、井の頭公園やぞうのはな子、以前、駅前にあった桜やユザワヤビルも出てくる。

ゲーム

[編集]

ドラマ

[編集]
『GTO』(2012年版)に登場したカフェの撮影に使用されたギャラリー。

映画

[編集]

メディア

[編集]

放送

[編集]
過去

タウン誌

[編集]
  • 週刊きちじょうじ - 店舗情報やイベント情報、吉祥寺にまつわるエピソードなどの情報誌。毎週金曜日発行。街中に設置してある配布用什器や協賛店舗にて無償配布。ただし、発行元へ直接申し込みの定期購読は有償。発行は株式会社吉祥寺情報センター。
  • 吉祥寺ECCO!!-吉祥寺で活動する20代後半~30代半ばの女性をターゲットとしたタブロイド版オールカラーの月刊フリーペーパー。街中に設置してある配布用什器や協賛店舗にて無償配布。発行はぱど
  • 吉祥寺Walker(角川マガジンズ(発売:株式会社KADOKAWA)、2015年06月26日発売)ISBN 978-4-04-731928-8[14]

コミュニティ

[編集]
  • 吉祥寺アートウォーク - 近隣美大の学生やアーティスト、漫画家などが集まり独自のアート文化を築く吉祥寺のアートポータルサイト。ギャラリーやギャラリーカフェ、個性的な雑貨店など、吉祥寺のアートを隅々まで探れるマップ『吉祥寺アート&ギャラリーマップ』を発行。マップのダウンロードが出来る他、展覧会の最新情報、作家の個展レビューやインタビュー記事も掲載。
  • 吉祥寺まち案内所 - 2004年から吉祥寺総合案内運営委員会とNPO法人まちづくり観光機構、2010年から吉祥寺総合案内運営委員会運営。サンロード商店街にある。風の人には微笑を、土の人には安らぎを を基本理念に吉祥寺を訪れた人々、吉祥寺にいる人々それぞれに必要となる情報を提供。

ゆかりのある人物

[編集]

参考文献

[編集]
  • 角川日本地名大辞典13 東京都』角川書店、1978年
  • 『武蔵野風土記 第一回 開村以前の武蔵野』森安彦
  • 『武蔵野風土記 第二回 吉祥寺村の成立』森安彦
  • 『吉祥寺今昔写真集』ぶんしん出版、2018年 

脚注・出典

[編集]
  1. ^ 武蔵野市 - 市の面積変更に伴う町丁目別面積の変更について - 各町丁目の面積及び各町の面積の構成比 (PDF)
  2. ^ https://www.asahi.com/and/article/20180330/150443/
  3. ^ 【ぶらりふらり】吉祥寺(1)住民が団結 風俗街に歯止め朝日新聞』朝刊2018年12月6日(第2東京面)2019年9月19日閲覧
  4. ^ 『角川日本地名大辞典』1149頁。
  5. ^ 『吉祥寺今昔写真集』64-65頁
  6. ^ アップリンク吉祥寺
  7. ^ 『吉祥寺今昔写真集』138-139頁で、1970年当時の吉祥寺駅南口に「井の頭ボーリングセンター」があるのが確認できる。
  8. ^ 「吉祥寺今昔写真集」149頁掲載の写真において、ミドリヤの看板の下に「サンデーボウル B2レーン」の看板があるのが確認できる。
  9. ^ マチベンの事務所が吉祥寺にある設定.
  10. ^ a b c d ムサシノ吉祥寺で映画を撮ろう!
  11. ^ あんてるさんの花 公式サイト
  12. ^ さよならケーキとふしぎなランプ
  13. ^ 「臨場 劇場版」ヒットの裏に死体役の“無言の熱演” - スポニチアネックス
  14. ^ ウォーカームック 吉祥寺Walker 61806-55 株式会社KADOKAWA

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]