吉野村 (東京都)
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よしのむら 吉野村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 吉野村、三田村、小曽木村、成木村 → 青梅市 |
現在の自治体 | 青梅市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 東京都 |
郡 | 西多摩郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 11.75[1] km2. |
総人口 |
4,633人 (1950年10月1日) |
隣接自治体 |
青梅市 西多摩郡 三田村、大久野村 |
吉野村役場 | |
所在地 | 東京都西多摩郡吉野村 |
座標 | 北緯35度47分12秒 東経139度13分28秒 / 北緯35.78658度 東経139.22433度座標: 北緯35度47分12秒 東経139度13分28秒 / 北緯35.78658度 東経139.22433度 |
ウィキプロジェクト |
吉野村(よしのむら)は東京都の西部、西多摩郡に属していた村。
地理
[編集]現在の青梅市の南部に位置する。
- 河川:多摩川
歴史
[編集]村名は、江戸時代から梅の名所として知られていたが、さらに多くの桜を植え、桜の名所にしたいということから大和の吉野にならって吉野村と名づけられた。
村域の変遷
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、下村三郷、畑中村、日影和田村、柚木村が合併し神奈川県西多摩郡吉野村が成立する。
- 1893年(明治26年)4月1日 - 西多摩郡が南多摩郡、北多摩郡とともに東京府へ編入する。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 三田村、小曽木村、成木村とともに青梅市へ編入する。
変遷表
1868年 以前 |
1889年 4月1日 |
1955年 4月1日 |
現在 | |
---|---|---|---|---|
下村 | 吉野村 | 青梅市 に編入 |
青梅市 | |
畑中村 | ||||
日影和田村 | ||||
柚木村 |
大字
[編集]- 下(しも) - 下は下分(後に下郷:現在の梅郷(ばいごう)1・2丁目)、中分(後に中郷:梅郷3~5丁目)、上分(後に上郷:梅郷六丁目)に分かれる[2][3]。
- 畑中(はたなか)
- 日影和田(ひかげわだ) - 現在の和田町(わだまち)。
- 柚木(ゆぎ)
行政
[編集]- 歴代村長
- 川上郡三 1889年4月 - 1897年4月[4]
- 石川得太郎 1897年5月 - 10月[4]
- 野村五兵衛 1897年10月 - 1898年1月[4]
- 野村勘兵衛 1898年2月 - 1908年10月[5]
- 岩村正盛(臨時村長代理) 1908年10月 - 1909年2月[5]
- 鈴木隆之介 1909年2月 - 1910年3月[5]
- 岩田盛三郎 1912年4月 - 1915年9月[5]
- 吉野賢木(村長職務管掌) 1915年9月 - 11月[5]
- 野村五兵衛 1915年11月 - 1925年11月[5]
- 久保真 1925年12月 - 1940年2月[5]
- 岩田盛三郎 1940年2月 - 1944年5月[5]
- 久保岱 1944年6月 - 1946年11月[5]
- 岩田佐一 1947年4月 - 1951年4月[5]
- 渡辺修(村長代理) 1951年4月限り[5]
- 岩田佐一 1951年4月 - 1955年3月[5]
- 歴代助役
- 並木半四郎 1889年4月 - 1896年12月[4]
- 野村五兵衛 1897年4月 - 10月[4]
- 川上弥五郎 1897年10月 - 1898年2月[4]
- 小川百次郎 1898年3月 - 1905年7月[5]
- 久保真 1905年8月 - 1908年10月[5]
- 藤野九蔵 1909年4月 - 1913年4月[5]
- 土方安太郎 1913年4月 - 1915年2月[5]
- 石川得太郎 1915年11月 - 1917年11月[5]
- 久保真 1917年12月 - 1925年12月[5]
- 久保田義三 1925年12月 - 1929年12月[5]
- 土方重義 1930年8月 - 1934年8月[5]
- 岩田盛三郎 1939年6月 - 1940年2月[5]
- 鈴木由蔵 1943年7月 - 1947年4月[5]
- 土方精一 1947年5月 - 1948年8月[5]
- 久保久 1948年12月 - 1950年3月[5]
- 渡辺修 1950年4月 - 1955年3月[5]
人口・世帯
[編集]人口
[編集]総数 [単位: 人]
1913年(大正2年) | 3,572[6] |
1920年(大正9年) | 3,228[7] |
1925年(大正14年) | 3,197[8] |
1930年(昭和5年) | 3,199[9] |
1935年(昭和10年) | 3,146[10] |
1940年(昭和15年) | 3,281[11] |
1947年(昭和22年) | 4,612[12] |
1950年(昭和25年) | 4,633[13] |
世帯
[編集]総数 [単位: 世帯]
1913年(大正2年) | 540[6] |
1920年(大正9年) | 571[7] |
1925年(大正14年) | 590[8] |
1930年(昭和5年) | 601[9] |
1935年(昭和10年) | 610[10] |
1940年(昭和15年) | 605[11] |
交通
[編集]鉄道
[編集]脚注・出典
[編集]- ^ 東京府市町村勢要覧. 昭和16年刊行 p.3 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」
- ^ 第4支会のご紹介 - 青梅市自治会連合会HP
- ^ a b c d e f 『増補改訂 青梅市史 下巻』p.1220
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 『増補改訂 青梅市史 下巻』p.1221
- ^ a b 東京府西多摩郡第一囘郡勢一斑 p.36 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 国勢調査速報. 世帯及人口 p.33 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 国勢調査報告. 大正14年 第3巻 p.12 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 東京府市町村勢要覧. 昭和6年9月刊 p.25 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 東京府市町村勢要覧. 昭和11年12月刊 p.16 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 東京府市町村勢要覧. 昭和16年刊行 p.15 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 臨時国勢調査結果報告. 昭和22年 第2 p.35 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 官報. 1951年02月10日 p.5 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1978年、ISBN 4040011309
- 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180
- 青梅市史編さん委員会『増補改訂 青梅市史 下巻』1995年10月20日。
- 東京都西多摩郡役所『東京府西多摩郡第一囘郡勢一斑』、東京都西多摩郡役所、1914年11月
- 臨時国勢調査局『国勢調査速報. 世帯及人口』、帝国地方行政学会、1920-1921年
- 内閣統計局『国勢調査報告. 大正14年 第3巻』、内閣統計局、1926年
- 東京府知事官房調査課『東京府市町村勢要覧. 昭和6年9月刊』、東京府、1931年
- 東京府総務部調査課『東京府市町村勢要覧. 昭和11年12月刊』、東京府総務部調査課、1936年
- 東京府総務部調査課『東京府市町村勢要覧. 昭和16年刊行』、東京府総務部調査課、1941-1942年
- 総理庁統計局『臨時国勢調査結果報告. 昭和22年 第2』、1948年
- 大蔵省印刷局『官報. 1951年02月10日』、日本マイクロ写真、1951年