唐沢登喜麿
表示
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2012年7月) |
からさわ ときまろ 唐沢 登喜麿 | |
---|---|
生年月日 | 1935年6月20日 |
没年月日 | 2007年 |
出生地 | 日本・長野県 |
国籍 | 日本 |
職業 | 撮影監督 |
ジャンル | 特撮映画、テレビドラマ |
配偶者 | 唐沢朝子(妻) |
唐沢 登喜麿(からさわ ときまろ[1]、1935年〈昭和10年〉6月20日[1] - 2007年〈平成19年〉[1])は日本映画の撮影監督。長野県出身[1]。
経歴
[編集]実家は神社[1]。1954年に成城大学文学部文芸学科に入学[1]。この頃、特技監督円谷英二の次男である円谷皐と知り合い、映画や特撮の話題で意気投合する[1]。円谷の自宅にも遊びに行くようになるうち、円谷特撮研究所でアルバイトとして務めるようになる[1]。
1958年、大学卒業と同時に円谷英二の紹介で東宝特殊技術課に所属[1]。『美女と液体人間』に参加した後、撮影部に所属し撮影助手チーフのサブとなる[1]。『世界大戦争』(1961年)に撮影助手チーフとなる[1]。その後、技師に昇格。カメラマンとしての活動を経て、東宝映像美術の特殊技術課課長となる[1]。
特撮監督の樋口真嗣は、唐沢は世話好きであったと証言しており、中学生時代に撮影所を見学した際に特技課課長であった唐沢が案内をしてくれたという[2]。
東宝映画の社長を務めた富山省吾は遠縁にあたり、学生時代には唐沢の伝手を頼って東宝で特撮美術のアルバイトに参加していた[3]。
主な作品
[編集]映画
[編集]博覧会
[編集]期間 | 博覧会名 | 主催 | 担当パビリオン | 製作会社、スポンサー | 役職 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1970年3月14日 | 1970年9月13日 | 日本万国博覧会 | 財団法人日本万国博覧会協会 | 三菱未来館 | 東宝 (三菱グループ) |
撮影助手 |
テレビ
[編集]期間 | 番組名 | 制作(放送局) | 役職 | |
---|---|---|---|---|
1971年4月2日 | 1972年3月31日 | 帰ってきたウルトラマン | TBS 円谷プロダクション |
撮影 |
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 東宝ゴジラ会 2010, pp. 44–45, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー 特別寄稿 東宝特撮の青春 唐沢登喜麿」
- ^ 「原口智生×樋口真嗣」『夢のかけら 東宝特撮映画篇』修復-原口智生 撮影-加藤文哉、ホビージャパン、2021年3月12日、106頁。ISBN 978-4-7986-2447-1。
- ^ 富山省吾 著「プロデューサー・田中友幸の想い出」、木原浩勝、清水俊文、中村哲 編『「ゴジラ」東宝特撮未発表資料アーカイヴ プロデューサー・田中友幸とその時代』角川書店、2010年3月31日、134頁。ISBN 978-4-04-854465-8。
参考文献
[編集]- 東宝ゴジラ会『特撮 円谷組 ゴジラと東宝特撮にかけた青春』洋泉社、2010年10月9日。ISBN 978-4-86248-622-6。
- 富山省吾『ゴジラのマネジメント プロデューサーとスタッフ25人の証言』KADOKAWA/アスキー・メディアワークス、2015年3月7日。ISBN 4048690000。