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四日町 (横手市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 秋田県 > 横手市 > 四日町 (横手市)
四日町
四日町の町並み(四日町上丁付近)
四日町の町並み(四日町上丁付近)
四日町の位置(秋田県内)
四日町
四日町
四日町の位置
北緯39度18分55.36秒 東経140度34分0.87秒 / 北緯39.3153778度 東経140.5669083度 / 39.3153778; 140.5669083
日本の旗 日本
都道府県 秋田県
市町村 横手市
地域 横手地域
人口
2020年(令和2年)10月1日現在)[1]
 • 合計 99人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
013-0022[2]
市外局番 0182[3]
ナンバープレート 秋田

四日町(よっかまち)は、秋田県横手市郵便番号は013-0022[2]。人口は99人、世帯数は43世帯(2020年10月1日現在)[1]住居表示実施済み地区[4]

地理

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横手地域の中央部に位置し、東で大町、西で中央町田中町、南で鍛冶町、北で蛇の崎町と隣接する。町域は南北に細長く伸びる[5]

町の北端は横手川が流れ、南部は二ノ堰が西に流れる[5][6]。北部には稲荷神社が鎮座[5]。町内を縦貫する通称「四日町通り」には商店や銀行などが立ち並び、藩政期以降から大町とともに市内を代表する商業地であったが[5]、後年に横手駅周辺、横手バイパス沿いへと商業地は変遷し、大町などとともに空洞化が進んでいる[7]

河川

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歴史

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横手川右岸の朝倉山(通称・お城山)に位置した横手城[8]城下町として栄えた地域で、現在も横手市の中心市街地の一角を成している[9]。現在の四日町は横手川の左岸、商人職人が住む「外町」に当たる地域で[10]江戸時代頃から城下町として形成されていった[11]

外町には南北に2本の街路が引かれ、そのうち西側の街路沿いを四日町と称した[12]。さらにこれを三分する2本の辻貫通りが東西に引かれ、この通りを境に南から四日町上丁・四日町中丁・四日町下丁と称した(大町も同様の区分)[12][13]1889年明治22年)に平鹿郡横手町が発足すると、横手町四日町上丁・同四日町中丁・同四日町下丁として町名が引き継がれ、1966年4月1日に実施された住居表示によって現在の町域となった[4]。住居表示の際には上丁・中丁・下丁の区分がなくなり、栄通町・大町上丁の各一部を編入した[13][4]

江戸時代の横手城下における朝市は月20回開催されており[注釈 1]1884年(明治17年)の県史産業編の調査では毎日開場とされている[15]1930年昭和5年)の横手町市場取締規則においては、大町と四日町で交互に市が開設されていることが読み取れる[16]。横手町における市は大正時代から昭和初期頃にかけて盛んに行われ、年間で平均して150の露店が並んでいたという[16]。ただ、第二次世界大戦の影響により市場の継続は断念されていたが、戦後の1946年(昭和21年)に成果物統制が撤廃されたことよって「横手市場協同組合」が設立され、市場が復活した[17]。ただ、大町の市場は官庁街であり自動車交通上の理由もあって廃止され、四日町だけでの開催となった[17]1964年(昭和39年)9月20日には市からの要請があり、商店街との兼ね合いや交通上の理由から市場を寺町(現・中央町)へ移転し、水路の整備や道路の舗装などを行い、環境の整備を行った[18]

四日町の他に、横手城下には二日町・五日町などといった市場の開催日に由来する町内が存在する[19]。なお、二日町は四日町・大町の南側に位置していた町内で[6]1881年(明治14年)の「郡区町村一覧」においては栄通町(さかえとおりまち)とある[20]。五日町については鍛冶町と同町異名であったと考えられている[20]

世帯数と人口

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2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
四日町 43世帯 99人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[21]

番地 小学校 中学校
全域 横手市立横手南小学校 横手市立横手南中学校

交通

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鉄道

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町内に駅はない。最寄り駅は駅前町にあるJR東日本奥羽本線北上線横手駅

バス

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羽後交通
  • 横手・小安線、横手・大曲線、横手・湯沢線、横手・本荘線、岩井川線、朝日が丘線・上台線
    • 四日町上丁
  • 横手市循環バス

道路

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施設

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「享保郡邑記」によれば、3日・5日・8日・13日・15日・18日・20日・23日・25日・28日・30日の開催との記載[14]

出典

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  1. ^ a b c 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat)”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年4月9日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2022年4月9日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2022年4月9日閲覧。
  4. ^ a b c 横手市史編さん 1981, p. 801.
  5. ^ a b c d 角川日本地名大辞典編纂 1980, p. 795.
  6. ^ a b 平凡社 1980, p. 230.
  7. ^ 横手市 2011, p. 669.
  8. ^ 平凡社 1980, p. 229.
  9. ^ 平凡社 1980, p. 227.
  10. ^ 平凡社 1980, p. 688.
  11. ^ 横手市 2010, p. 116.
  12. ^ a b 横手市 2010, p. 654.
  13. ^ a b 角川日本地名大辞典編纂 1980, p. 688.
  14. ^ 横手市史編さん 1981, pp. 748–749.
  15. ^ 横手市史編さん 1981, p. 749.
  16. ^ a b 横手市史編さん 1981, p. 751.
  17. ^ a b 横手市史編さん 1981, p. 753.
  18. ^ 横手市史編さん 1981, pp. 753–754.
  19. ^ 横手市史編さん 1981, p. 748.
  20. ^ a b 平凡社 1980, p. 231.
  21. ^ 横手市立小中学校通学区域に関する規則”. 横手市. 2022年3月24日閲覧。

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典5 秋田県』角川書店、1980年。 
  • 平凡社 編『秋田県の地名 日本歴史地名大系5』平凡社、1980年。 
  • 横手市史編さん委員会『横手市史 昭和編』横手市、1981年。 
  • 横手市 編『横手市史 通史編 近世』横手市、2010年。 
  • 横手市 編『横手市史 通史編 近現代』横手市、2011年。 

外部リンク

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