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城願寺 (神奈川県湯河原町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
城願寺
地図
所在地 神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252番地
位置 北緯35度8分52.1秒 東経139度6分6.7秒 / 北緯35.147806度 東経139.101861度 / 35.147806; 139.101861座標: 北緯35度8分52.1秒 東経139度6分6.7秒 / 北緯35.147806度 東経139.101861度 / 35.147806; 139.101861
山号 万年山[1]
宗旨 曹洞宗[1]
本尊 聖観音[1]
開山 大鑑禅師(清拙正澄
開基 土肥兵衛入道
正式名 万年山 城願寺
文化財 土肥一族墓所(県指定)
公式サイト 城願寺
法人番号 9021005005890 ウィキデータを編集
城願寺 (神奈川県湯河原町)の位置(神奈川県内)
城願寺 (神奈川県湯河原町)
城願寺 (神奈川県湯河原町)の位置(日本内)
城願寺 (神奈川県湯河原町)
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城願寺(じょうがんじ)は、神奈川県足柄下郡湯河原町にある曹洞宗の寺院。山号は万年山。

概要

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平安時代末期から鎌倉時代初期の武将土肥実平の草創と伝える。その後衰退していたが、南北朝時代に土肥実平の末裔の土肥兵衛入道が、清拙正澄(大鑑禅師)の弟子の禅僧雲林清深を開山に招請して再興。もと密教寺院だったものを臨済宗に改め、清拙正澄を勧請開山(名目上の開山)とした。その後ふたたび衰退したが、戦国時代に大州育守(鎌倉海蔵寺三世)が再興し、曹洞宗に改宗した。[2]

土肥一族墓所や、石橋山の戦い源頼朝と共に逃げのびた頼朝七騎が祭られた七騎堂が境内にある。

文化財

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天然記念物(国指定)
神奈川県指定史跡
  • 土肥一族墓所 - 多数の石塔のなかには、嘉元2年(1304年)銘の五重石塔、永和元年(1375年)銘の宝篋印塔などを含む。

ギャラリー

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交通

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脚注

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参考文献

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  • 神奈川県高等学校教科書研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 下』山川出版社、1987年5月25日、187 - 189頁。ISBN 978-4-634-29540-7 
  • 『日本歴史地名大系 14 神奈川県の地名』平凡社、1984年2月。ISBN 978-4-582-49014-5 
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』角川書店、1984年6月。ISBN 978-4-04-001140-0 
  • 「早川庄 土肥堀之内村 城願寺」『大日本地誌大系』 第37巻新編相模国風土記稿2巻之32村里部足柄下郡巻之11、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179210/91 

関連項目

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外部リンク

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