宮町駅
宮町駅* | |
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西口駅舎(2012年8月) | |
みやまち Miyamachi | |
◄M71 小俣 (2.1 km) (1.4 km) 伊勢市 M73► | |
所在地 | 三重県伊勢市御薗町高向686 |
駅番号 | M72 |
所属事業者 | 近畿日本鉄道(近鉄) |
所属路線 | M 山田線 |
キロ程 | 26.3 km(伊勢中川起点) |
電報略号 | ミチ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
620人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1930年(昭和5年)3月27日 |
備考 |
* 1933年に外宮前駅から改称。 無人駅 |
宮町駅(みやまちえき)は、三重県伊勢市御薗町高向(たかぶく)にある、近畿日本鉄道(近鉄)山田線の駅である。駅番号はM72。
歴史
[編集]- 1930年(昭和5年)
- 1933年(昭和8年)3月20日:宮町駅に改称する[2]。
- 1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併、関西急行鉄道が発足[1]。線路名称の改定により山田線所属駅となる[3]。
- 1944年(昭和19年)6月1日:関西急行鉄道が南海鉄道(南海電気鉄道の前身)と合併、近畿日本鉄道の駅となる[1]。
- 1971年(昭和46年)12月:3番線設置、使用開始。
- 1997年(平成9年)3月22日:前年12月から開始した駅舎の改築工事が完了する[4][5]。
- 2006年(平成18年):3番線使用停止、撤去。
- 2007年(平成19年)4月1日:PiTaPa使用開始[6]。
- 2018年(平成30年)7月28日:無人化。
駅構造
[編集]相対式ホーム2面2線を持つ地上駅だが、以前は賢島方面行ホームが島式の複合型2面3線だった。賢島方面行ホームの東側にあった線路(3番線)は伊勢中川方で行き止まりになっていたが、現在は後述のように撤去されている。なお、伊勢中川方面行きホーム(2番線)はもともと単式。改札口は東西双方にあり、各ホームへは構内踏切で連絡している。
宇治山田駅管理の無人駅。自動券売機は駅舎に設置されているが、自動改札機は導入されておらず、PiTaPa・ICOCAは専用の簡易改札機による対応となっている。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | M 山田線 | 下り | 賢島方面 |
2 | 上り | 伊勢中川・白塚方面 |
※ ホーム有効長は6両である。かつてあった3番線は4両だった。
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ホーム(2012年8月)松阪方面から伊勢市方面を望む。右側が2番線、中央が1番線、左端の柵の設置されているところが旧3番線。
旧3番線
[編集]3番線は1971年に鳥羽線宇治山田駅 - 五十鈴川駅間を複線化した際、鳥羽方面からの列車は宇治山田駅のホームで直接折り返せず、伊勢市駅にも折り返し用の線路を設置できる用地がなかったため、その代替として設置された[7]。当駅始発・終着の列車は1994年に一旦廃止されていたが、1999年に山田・鳥羽・志摩線普通列車の運転区間が当駅 - 賢島間となってからは再度設定され、この列車には終日3番線が使用されていた(2001年にワンマン運転化)。その後、2004年にワンマン運転区間が白塚駅まで延長された以降も朝ラッシュ時に当駅始発・終着の列車が残っていたが、2006年3月21日のダイヤ改正で当駅始発・終着の列車は完全に消滅、3番線も事実上使用停止の状態となっていた。2006年度中に架線および線路・構内踏切の撤去とホーム柵の設置が行われた。
停車列車
[編集]普通列車のほか、朝に下り1本・上り2本のみ近鉄名古屋駅発着の急行が停車する[8][9]。2020年3月14日ダイヤ変更前日までは夕方の急行も停車していた(下り2本・上り1本)[10]。なお、夏季の伊勢神宮奉納全国花火大会や鳥羽みなとまつり花火大会が開催される際には、臨時急行の運転に加えて通常は停車しない大阪上本町駅発着の急行も停車することがある。
歴史的には、近鉄名古屋駅発着の急行一部停車は1964年には開始していた[13]。
当駅乗降人員
[編集]近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通り[14]。
- 2023年11月7日:1,133人
- 2022年11月8日:1,055人
- 2021年11月9日:986人
- 2018年11月13日:1,227人
- 2015年11月10日:1,204人
- 2012年11月13日:1,284人
- 2010年11月9日:1,645人
- 2008年11月18日:1,787人
- 2005年11月8日:1,833人
利用状況
[編集]「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである[15]。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 1,035 |
1998年 | 978 |
1999年 | 963 |
2000年 | 942 |
2001年 | 923 |
2002年 | 904 |
2003年 | 888 |
2004年 | 858 |
2005年 | 799 |
2006年 | 793 |
2007年 | 792 |
2008年 | 778 |
2009年 | 761 |
2010年 | 736 |
2011年 | 670 |
2012年 | 567 |
2013年 | 568 |
2014年 | 550 |
2015年 | 575 |
2016年 | 596 |
2017年 | 622 |
2018年 | 615 |
2019年 | 620 |
2020年 | 501 |
宮町駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(宮町駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果:人/日 | 特記事項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 384,080 | ←←←← | 431,972 | 816,052 | |||
1951年(昭和26年) | 388,080 | ←←←← | 483,601 | 871,681 | |||
1952年(昭和27年) | 321,930 | ←←←← | 408,907 | 730,837 | |||
1953年(昭和28年) | 271,290 | ←←←← | 442,971 | 714,261 | |||
1954年(昭和29年) | 268,800 | ←←←← | 486,483 | 755,283 | |||
1955年(昭和30年) | 272,250 | ←←←← | 487,368 | 759,618 | |||
1956年(昭和31年) | 287,430 | ←←←← | 488,500 | 775,930 | |||
1957年(昭和32年) | 284,670 | ←←←← | 452,281 | 736,951 | |||
1958年(昭和33年) | 299,160 | ←←←← | 441,281 | 740,441 | |||
1959年(昭和34年) | 316,800 | ←←←← | 372,307 | 689,107 | |||
1960年(昭和35年) | 321,090 | ←←←← | 350,141 | 671,231 | |||
1961年(昭和36年) | 385,170 | ←←←← | 322,911 | 708,081 | |||
1962年(昭和37年) | 414,900 | ←←←← | 302,328 | 717,228 | |||
1963年(昭和38年) | 442,340 | ←←←← | 243,778 | 686,118 | |||
1964年(昭和39年) | 446,220 | ←←←← | 255,813 | 702,033 | |||
1965年(昭和40年) | 400,020 | ←←←← | 251,235 | 651,255 | |||
1966年(昭和41年) | 387,300 | ←←←← | 223,781 | 611,081 | |||
1967年(昭和42年) | 373,740 | ←←←← | 216,512 | 590,252 | |||
1968年(昭和43年) | 324,210 | ←←←← | 224,518 | 548,728 | |||
1969年(昭和44年) | 338,730 | ←←←← | 220,594 | 559,324 | |||
1970年(昭和45年) | 445,890 | ←←←← | 217,598 | 663,488 | |||
1971年(昭和46年) | 451,680 | ←←←← | 204,294 | 655,974 | |||
1972年(昭和47年) | 474,720 | ←←←← | 213,788 | 688,508 | |||
1973年(昭和48年) | 476,160 | ←←←← | 227,519 | 703,679 | |||
1974年(昭和49年) | 461,190 | ←←←← | 223,075 | 684,265 | |||
1975年(昭和50年) | 429,090 | ←←←← | 224,488 | 653,578 | |||
1976年(昭和51年) | 388,320 | ←←←← | 207,532 | 595,852 | |||
1977年(昭和52年) | 364,650 | ←←←← | 214,493 | 579,143 | |||
1978年(昭和53年) | 346,860 | ←←←← | 217,924 | 564,784 | |||
1979年(昭和54年) | 325,290 | ←←←← | 213,806 | 539,096 | |||
1980年(昭和55年) | 303,810 | ←←←← | 208,278 | 512,088 | |||
1981年(昭和56年) | 274,620 | ←←←← | 194,721 | 469,341 | |||
1982年(昭和57年) | 244,890 | ←←←← | 193,052 | 437,942 | 11月16日 | 3,498 | |
1983年(昭和58年) | 236,850 | ←←←← | 188,746 | 425,596 | 11月8日 | 3,667 | |
1984年(昭和59年) | 234,930 | ←←←← | 181,996 | 416,926 | 11月6日 | 3,441 | |
1985年(昭和60年) | 250,830 | ←←←← | 185,718 | 436,548 | 11月12日 | 3,563 | |
1986年(昭和61年) | 246,720 | ←←←← | 183,271 | 429,991 | 11月11日 | 3,453 | |
1987年(昭和62年) | 245,550 | ←←←← | 174,635 | 420,185 | 11月10日 | 3,548 | |
1988年(昭和63年) | 251,160 | ←←←← | 169,209 | 420,369 | 11月8日 | 3,547 | |
1989年(平成元年) | 253,020 | ←←←← | 166,202 | 419,222 | 11月14日 | 4,892 | |
1990年(平成2年) | 247,080 | ←←←← | 178,743 | 425,823 | 11月6日 | 3,509 | |
1991年(平成3年) | 234,450 | ←←←← | 179,006 | 413,456 | |||
1992年(平成4年) | 219,300 | ←←←← | 173,179 | 392,479 | 11月10日 | 3,263 | |
1993年(平成5年) | 199,170 | ←←←← | 171,479 | 370,649 | |||
1994年(平成6年) | 198,150 | ←←←← | 176,110 | 374,260 | |||
1995年(平成7年) | 198,450 | ←←←← | 169,029 | 367,479 | 12月5日 | 2,753 | |
1996年(平成8年) | 205,710 | ←←←← | 165,160 | 370,870 | |||
1997年(平成9年) | 206,310 | ←←←← | 171,441 | 377,751 | |||
1998年(平成10年) | 198,120 | ←←←← | 158,686 | 356,806 | |||
1999年(平成11年) | 192,810 | ←←←← | 155,918 | 348,728 | |||
2000年(平成12年) | 193,500 | ←←←← | 150,434 | 343,934 | |||
2001年(平成13年) | 191,490 | ←←←← | 145,562 | 337,052 | |||
2002年(平成14年) | 191,880 | ←←←← | 137,945 | 329,825 | |||
2003年(平成15年) | 192,330 | ←←←← | 132,641 | 324,971 | |||
2004年(平成16年) | 192,990 | ←←←← | 120,286 | 313,276 | |||
2005年(平成17年) | 181,440 | ←←←← | 110,114 | 291,554 | 11月8日 | 1,833 | |
2006年(平成18年) | 178,830 | ←←←← | 110,548 | 289,378 | |||
2007年(平成19年) | 184,890 | ←←←← | 105,004 | 289,894 | |||
2008年(平成20年) | ←←←← | 11月18日 | 1,787 | ||||
2009年(平成21年) | ←←←← | ||||||
2010年(平成22年) | ←←←← | ||||||
2011年(平成23年) | ←←←← | ||||||
2012年(平成24年) | ←←←← | ||||||
2013年(平成25年) | ←←←← | ||||||
2014年(平成26年) | ←←←← |
駅周辺
[編集]周辺の施設
[編集]駅南方に駅名と同じ、伊勢市宮町の地名がある。
バス路線
[編集]- 三重交通(宮町駅東口停留所)
- 12系統:今一色行き(伊勢市駅前経由)
- 12系統:土路行き
隣の駅
[編集]- 近畿日本鉄道
- M 山田線
脚注
[編集]- ^ a b c d 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日、18-23頁。ISBN 978-4-02-340132-7。
- ^ 鉄道省監督局「地方鉄道、軌道事業の現況並に異動」『電気協会雑誌』第196号、日本電気協会、1938年4月、附録4頁。(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 近畿日本鉄道株式会社『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年12月、156頁。全国書誌番号:21906373。
- ^ 「乗降客に赤飯サービス 御薗村高向 近鉄宮町駅舎が供用開始」中日新聞 1997年3月23日付 朝刊 22面 伊勢志摩版
- ^ 「東駅舎にも自動券売機 御薗村 宮町駅の工事が完了」伊勢新聞 1997年3月23日付 14面
- ^ 『平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります』(pdf)(プレスリリース)近畿日本鉄道、2007年1月30日 。2016年3月13日閲覧。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』(電気車研究会)1971年12月号(No.258)p.91
- ^ “宮町駅時刻表(2020年3月14日変更)” (PDF). 近畿日本鉄道 (2020年3月14日). 2020年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月18日閲覧。 - 上り列車。
- ^ “松阪駅時刻表(2020年3月14日変更)” (PDF). 近畿日本鉄道 (2020年3月14日). 2020年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月18日閲覧。 - 下り列車。
- ^ 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.150 - p.157・p.162 - p.184・p.308 - p.315・p.320 - p.342
- ^ 藤井信夫『車両発達史シリーズ2 近畿日本鉄道特急車』関西鉄道研究会、1992年8月1日、29頁。
- ^ 徳田耕一、『名古屋近郊電車のある風景 今昔』、ISBN 4-533-04598-7、176頁、JTBパブリッシング、2003
- ^ 1960年1月20日変更の列車運行図表の停車駅欄には宮町駅停車の注記がないが[11]、1964年3月23日変更の近畿日本名古屋駅の時刻表には宮町駅停車の注記がある[12]。
- ^ 駅別乗降人員 山田線 - 近畿日本鉄道
- ^ 三重県統計書 - 三重県
- ^ 向笠千恵子+すきや連『日本のごちそう すき焼き』平凡社、2014年11月19日、184-186頁。ISBN 978-4-582-83675-2。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 駅の情報|宮町 - 近畿日本鉄道